概要
生んだ人(父親も広義的には該当する)より育ててくれた人の方が恩があるということ。
"親"に対して「生んでくれた事」と「育ててくれた事」、そのどちらに「より"感謝"を感じるか」を考えてみれば、この言葉に納得できるかもしれない(そもそも「子」にしてみれば自分の意思でその親の下に生まれた(宿った)のではないわけで……)。
まして訳あって里親とか養父母の下にいたのなら、なおのこと恩義も感じるだろう。
場合によっては血縁関係があるが、祖父母もこのカテゴリーに入ると言える。
なお、実親より育ての親の方に恩義があるとわざわざ表明する言葉であるため、この言葉が使用される場合の実親は毒親であったり虐待、育児放棄などの問題を抱えている事が多い。
中には父母と実子が生まれて間もなく第三者に引き離されてしまい、養親に実の子同然として愛される事もある。
フィクションでこの言葉が該当する人物
(※1)生い立ちや少年期の経験などもあり、まさにこの言葉を体現している(実母には感謝の念があるが、対して実父を嫌っているのも同じ)。
(※2)二人の両親は研究者だったが、父は己が夢の為に子供達を作っていたが母は夫の研究に対して否定的だった。
(※3)シルヴィアとバダック(ラルゴ)の間にメリル(現ナタリア)は産まれた。しかし、生後間もない娘であるメリル(現ナタリア)を奪われ、死産だった本当のナタリアとすり替えられた。インゴベルト六世が企てた訳でなく、キムラスカの乳母などが「国家繫栄の預言の為に」と裏で根回しをした。インゴベルト六世や王妃はナタリア(メリル)を愛情深く育てたが、長らくナタリアが血の繋がった実娘ではない事には気付かなかった。
(※4)バーダック自体は息子を案じるぐらいにはまともな父親であるが、物心つかぬ時に悟空は惑星ベジータから脱出した為、親としての恩を感じているのはじいちゃんということになる。
(※5)幼馴染だが、中沢家に預けられた彼にとって、彼女が母親ポジションという事になる。
(※6)遠坂夫婦は娘二人を大事に想ってるのは事実だが、それはあくまで『魔術師の親』としての思想であり魔術師至上主義であり一般人の人生を見下す時臣とそんな時臣を盲愛してる葵にはおおよそ『ヒトの親』としての心は持ち合わせておらず、『娘たちが互いに殺し合うのすら家柄の野望が達成できれば幸福』という歪んだ価値観を持っている。一方、藤村大河は魔術と無縁の一般人であり、間桐家で悲惨な境遇を送ってきた桜を一人の教師として姉として母として接してきた為、遠坂家と間桐家に良い感情を抱いていない桜にとってまさに本当に母親らしい人物といえる。
(※7)アトムはロボットなので、親は製作者とする。
(※8)実父は作中で不明。作中で登場した父親は母親の再婚相手であり、母親が他の男へと行く際に自分の意思で「父さん(義父)が悲しむので二度と自分達の前に現れないで下さい」と述べ、彼女と絶縁している。母親の容貌からかなり素行の荒れた人間である可能性が高い。
(※9)正確には憑依された者と憑依した者であり、互いに親子としての認識は無いが、恵美がレミリアに対して本物の愛情を抱き、彼女の未来の為に真剣に行動してくれた事とレミリアがそんな恵美の愛情を糧に育ち、利己的な父親と違って自身を愛してくれた唯一の家族として心底から愛しているのは本当である。