将棋
しょうぎ
歴史
起源
多くの類似ゲーム(チェスなど)と同じく、インドの「チャトランガ」が起源であると見られている。
東南アジアにはタイの「マークルック」のような類似ゲームがあり、東南アジア系のチャトランガとよく似ている点があるが、東南アジアのチャトランガ系ゲームは立体駒である。
平面駒は東アジアでしか使われれず、有名なものに「象棋(シャンチー)」があるが、「駒の形や動きが違う」「駒を盤面に置く位置が違う(象棋は、囲碁のように線の交点に駒を置く)」「象棋には『河界』という、一部の駒が通行不可能なゾーンがある」といった理由で、直接の関係はないとみられる(象棋もインドのチャトランガが起源と考えられているので、直接の先祖ではなくとも、従兄弟のような関係である)。
恐らくは東南アジアの何かが中国沿岸部との交易による駒の平面化を経て、日本へ伝わったのではないかとも推測されているが、記録等が乏しい(というかほぼない)ため詳細は定かでない。
そのようなわけで、囲碁とは違い伝来した時期は不明だが、平安時代に入った11世紀には既に存在していたことが確認されている。
平安時代
ともかく、日本に伝わった将棋は、平安時代には飛車と角行がない「平安将棋」と、各種の駒を追加した(これも飛車・角行はまだない)「平安大将棋」があった。現存最古の将棋の駒は、1993年(平成5年)3月に興福寺の旧境内跡から発掘された物で、同時に出土した木簡には天喜6年(1058年)とあった。このことから、日本への伝来は10世紀末~11世紀初と推定されている。
その後も次々と駒が追加されたり、肥大化したルールを削ったりがあり、駒の種類が多い「大将棋」、大将棋をコンパクトにした「中将棋」、大将棋の一部の駒を平安将棋に導入した「小将棋」が生まれた。これらは全て駒は取り捨てであった。
戦国時代(15世紀末~16世紀)に小将棋に修正を加えたのが、今の本将棋である。大きな変化は、駒の再使用、すなわち持ち駒制の導入であり、これが日本の将棋の独自性となっている。しかし、いつ持ち駒制が採用されたのかは、明確に時期を特定する史料は発見されていない。
なお中将棋は現代まで辛うじて伝わっているが、大将棋は中世に廃れてしまい、いまだに全容は不明である。現在に伝わる中将棋には持ち駒の概念はないため、持ち駒ルールは小将棋から本将棋に変わった時期に付け加わったものと思われる。
現代
新聞掲載やテレビ放映だけでなく、AbemaTV・ニコニコ動画などの動画サイトでも配信されている。また、漫画などの題材にもなっており、それについては関連タグを参照。
街頭での将棋を見なくなった代わりに、インターネットを通じた対戦が日夜行われている。コンピューターによる将棋は2010年代にはトッププロを超え、手のつけようがないまでに進化中である。
海外でも楽しまれるようになっている。ただ、駒の漢字が外国人には分かりづらいため、漢字の代わりに、絵を用いた駒が使用されることがある(例えば、「王将」という文字の代わりに王冠の絵、「桂馬」という文字の代わりに騎士の絵が描かれている等。動きが似ているチェスの駒を意識した絵が使われることが多い)。
特徴
駒は五角形で平面的な「将棋の駒型」で、表に駒の種類の名前が(漢字で)書いてあり、裏には、奥まで進んで「成る」と種類を変えられる駒はその名前を書いてある。
チャトランガを原型とするチェス様のゲームは世界中に存在するが、その中でもトップクラスに複雑な方向に進化を遂げている。「ゲームの複雑さ(Game complexity)」を数学的に図る計算式はいくつかあるが、いずれの方法でも、将棋はだいたいチェスの倍くらいの数値となる(なお、これはあくまで数学的な複雑さを示すものであり、将棋とチェスのどちらが優れているかを比べるものではない)。
最大の理由は(前述の「大将棋」、「中将棋」まではなかった)「取った駒の再利用」という、いわゆる「持ち駒」の概念ができたためである。これは、他の「チャトランガを原型とするゲーム」では見られないもので、極めて独自性の強いルールである。
この持ち駒の考え方が、いつ出来たのかは良く分かっていない。すでに原型の平安将棋の頃にはあったとも、戦国時代に本将棋になった時点で付け加わったとも言われている。歴史的に確実なのは、江戸時代初期に持ち駒を使った棋譜が残っている。
まぁチェスの感覚で捉えると殺した敵軍の兵士がいきなり復活して味方になるという訳の分からない展開になるので、むしろなんでこんな発展を遂げたのか謎である(日本では戦国時代、安土桃山時代までは調略などによって敵対勢力の武将を切り崩して味方につけることがよくあったので、その影響が組み込まれたのかもしれない)。なお、1960年頃、「クレージーハウス」や「バグハウスチェス」という、持ち駒の概念を取り入れたチェスの変則ルールが出来た。ただ、これらは先攻が有利という問題があったので、1997年にルールを改良した「ホステージチェス」が発表された。いずれも世界的な大会は開かれておらず、あくまで趣味の範疇として遊ばれている。
戦後GHQが『日本の将棋は捕虜にした将兵を強制的に自分がいた陣営と戦わせている』として将棋を禁止しようとすると、実力制第4代名人・升田幸三は『将棋は捕虜にした将兵を同じ待遇で用い、将として重用している』と説得したことにより、将棋が禁止されることを免れたという。(詳しくは「升田幸三」の記事を参照)
しかし、駒の字をよく見てほしい。玉(ぎょく)、金、銀、桂(かつら) (肉桂)、香(お香)と、宝玉の類ばかりである。また、この当時、香辛料は高価であり、宝玉と同等の扱いを受けたものさえある。飛車・角行は古いタイプの将棋(平安将棋)には存在せず後付け、「王将」も南北朝~戦国時代あたりに産まれたとも言われる。この時点で「王」「女王」「騎士」「城」「僧正」等、権力の象徴を表したチェスとは全く趣が異なる。つまり、チェスが権力と権力のぶつかりあいなら、将棋は宝の取り合いっこ気分で遊びに興じているのであり、「取った駒の再利用」という発想もあり得る話である。「歩兵」はさしずめ蔵の見張り番ポジションか。武士が台頭する前の平安貴族の時代とも合っていたのかもしれない。
なお、実は将棋に「相手の王将を取る」という概念はない。将棋における敗北条件は「投了する」「反則負け」の二つしかないのだ。詰んだ状態で無理矢理他の駒を動かすと「王手を放置してはいけない」というルールに引っかかり、反則負けとなる。
つまり相手の王将(玉将)の行動を完封した方が勝つゲームなのだ。
プロ棋士レベルになると駒と盤すらなくても将棋を指せるらしく(余談だが、将棋のゲームをすることは「指す」と表現し、「打つ」では無い。ただし、駒を動かす動作は駒を「打つ」と表現する)、頭の中で盤と駒の位置を正確に把握したイメージとして対局できる程。そうなると電車の中だろうが風呂の中だろうがお構いなしに対局できる。
複雑になったとはいえ、シミュレーションゲームとして考えると「マップ固定」「地形効果無し」「ユニット固定(ハンディ戦として、上位者が一部の駒を最初から落とす駒落ち戦はある)」「HP1固定(一撃必殺)」「命中率100%固定(回避不能)」「パワーアップ(成)は1種類限定」と極めてシンプルである。歩兵であっても玉将を詰ませられる(ただし、持ち駒の歩を打って詰ませる「打ち歩詰め」は反則となる)など、ユニット間の攻撃性能も基本的に差は無く、違いは移動性能のみといってよい。
将棋は完全情報ゲームの一種であり、必勝法が存在するゲームである。しかし、人間はもちろん、コンピュータによっても未だに必勝法が解明されていないほど、奥が深いゲームなのだ。
道具
前述の通り、将棋はその気になれば脳内でも指せるが、基本的には以下の道具を用いて対局する。
100円ショップでも最小限の道具は揃う反面、高い道具を一式で揃えると、値段は数百万円にもなる。
ちなみに、コンピュータ将棋でも、人間同士の対局に対応していることが多い。この場合は、ゲーム機やディスプレイ・マウスなどが道具や手の代わりとなる。
なお、将棋の上級者にもなると、盤や駒すらない状態でも、棋譜を読み上げていくことで対戦する方法もある。俗に「目隠し将棋」や「脳内将棋」と呼ばれる。ただ、これは将棋の腕前以上に、記憶力が要求されるため、プロ棋士でも難しい方法である。
- 将棋盤
駒を置く・動かすための盤。いわゆるボードである。駒を置く升目は9枡×9枡になっている。棋譜では先手から見て、一番右上のマスを「11(または「1一」)」、一番左下のマスを「99(または「9九」)」と表記する。最初の数字がタテの、二つ目の数字がヨコの位置を示す。
一般的には木製である。携帯用の薄型から、9寸(約27センチ)の分厚い脚付きまである。プロのタイトル戦では、厚さ6~7寸の脚付きがよく用いられる。
材質はカヤが最も高級とされ、トウヒ(スプルース・俗に新カヤとも)、カツラ、イチョウ、ヒノキ、ヒバ、アガチスなどが用いられる。
安価なものではプラスチック製、ゴム製、布製などもある。マグネット(磁石)を使用した駒のために、金属が挟み込まれている盤もある。
テレビ対局では見やすいように一文字駒が多い。
色は、木製なら素材の木目をそのまま生かし、表面に漆やニスを塗っただけの茶色であることが多い。安価なプラスチック製であっても、木製を意識した薄い茶色のものが多い。ただし、視覚障害者のために、マス目のコントラストを白黒にわかりやすく塗り分けた製品も存在する。また、こういった障害者のための盤は、マス目に深い凹凸をつけるなど、指しやすくするための工夫が凝らされていることも多い。
- 駒
駒。いわゆるユニットである。玉将(王将)から歩兵まで8種類、1チーム20枚で構成される。購入時には「余り歩」として、歩のスペアが1枚付く(先手、後手、余り歩あわせて41枚セット)ことが多い。
かつては象牙製の駒も生産されていたが、現在は木製が主流である。
材質は黄楊(ツゲ)が最も高級とされ、シャムツゲ(クチナシの一種)、オノオレカンバ、ホオノキ、カエデ、カバ、イジュなどが用いられる。安価なものはプラスチック製が主流で、携帯用に磁石を入れた駒もある。
文字は文字を彫った上に、漆を重ね塗りして文字が木地より盛り上がっている「盛り上げ駒」が最高級品とされる。以下、木地と水平に漆を塗り重ねた「彫り埋め駒」、彫った上に漆を塗っただけの「彫り駒」、表面に直接書いた「書き駒」と続く。粘り気の強い漆で直接書くのは技術が要るため、「書き駒」の生産は少ない。
安価な製品では、直接印刷したり、スタンプで文字を押したり、あるいは成形時に直接文字ごと生成する(プラスチック駒など)。
- 駒台
持ち駒を置くための台。通常、盤より薄いものを使う。厚い盤になると、専用の脚付きの駒台を使う。材質は将棋盤同様、木製が多く、カヤが最高級とされる。
- 駒箱・駒袋
駒を収納する箱と袋。駒を袋に収納し、袋ごと箱に収納するのが手順だが、箱だけあれば収納には差し支えない。箱の材質は木製(カヤ、ヒノキなど)またはプラスチック製、袋は絹製または化学繊維製が主流である。
なお、駒の出し入れは、対局の上位者が行う慣習がある。
- 対局時計
持ち時間が存在する対局で、残り時間を測定するための時計。チェスクロックを使い、一手指すごとにボタンを押すことで、それぞれの残り時間を測定できる。プロの対局では、専用の記録係がストップウォッチやチェスクロックで測定することが多い。
- 棋譜
対局内容の記録。ゲームレコード、またはスコアレコードが英訳(Recordは「記録」の意味)だが、単に「スコア」と呼んだ方がわかりやすいかも知れない。基本的に紙に記録する。
公式戦では、「対局者(先手・後手別)」「棋戦名」「対局場所」「開始・休憩・終了時間」「手合割(ハンディの有無。ハンディ無しなら「平手」)」「持時間(考えられる制限時間)」「消費時間」「手数と勝敗」「戦型」「記録係」「備考」「先手の指し手と消費時間」「後手の指し手と消費時間」を記録できる棋譜を用いる。ただし、公式戦では手数・勝敗は専用の欄ではなく、指し手欄の最後に大きく書く習慣がある。
日本将棋連盟が一般にも販売しているが、Webでフリー頒布されているテンプレートでも十分だろう。
棋譜を読めるようになると、自分でプロの戦いを再現できるようになり、上達も早くなる。
人口
将棋を遊ぶ人口というものは、なかなか計測が難しいが、日本生産性本部が計測している「レジャー白書」では、2022年は500万人となっている。ただ、レジャー白書は、調査対象が15歳から79歳の男女で、将棋人口の一番多い小中学生が除外されている。これを踏まえて、日本将棋連盟では1200万人という数字を上げている。
また、これらはプレイヤー数であり、自分では指さず、観戦を主体とするいわゆる「見る将」も含めると、人口はもう少し増加するものと思われる。
コンピュータ将棋
その複雑なルールから、すでに1997年にはコンピュータが人を優越したチェスと違って、将棋はコンピューターと戦ってもしばらくは負けることはないだろうと予測されていた。一方でその日は(局面の数が将棋より多い)囲碁に比べれば早いだろうとも予想されていた。
ちなみに、チェスの盤面の場合の数はおおよそ「100の100乗」、将棋だと「100の200乗」。囲碁はさらに多い。
1968年、日立製作所の越智利夫らが、詰将棋プログラムを発表したのが、コンピュータ将棋の最初である(清愼一「コンピュータ将棋の初期の歴史」)。当時のコンピュータの性能では、複雑な将棋のルールを全て処理することは難しかった。そのため、まず、「連続王手をかけ続け、正解すれば必ず相手は詰む」ルールとなっている詰将棋を解くプログラムを開発したのである。日立の「HITAC5020」で動作したこのプログラムを、原田泰夫八段と加藤一二三八段(段位は当時。以下同)はアマチュア初段、最終的にはアマチュア三段相当と認定した。
最初の本将棋を指すプログラムは、1975年5月に完成した。日本電気と推理作家・斎藤栄のタイアップ小説のコラボ企画として、「江戸時代の天野宗歩棋聖と、現代の棋士が対局したらどうなるかをコンピュータで再現できないか」という依頼を受け、早稲田大学大学院理工学研究科の大学院生であった瀧澤武信(後のコンピュータ将棋協会会長)らが開発したプログラムだった。
しかし、最初からアマチュア有段者クラスであった詰将棋に比べると、話にならない弱さであったようだ。開発者を除くと、斎藤栄が記念すべき人間の対局者第1号となったが、コンピュータの指し手は序盤の定跡を外れるとメチャクチャで、対局は途中で打ち切られている。1976年、日本情報処理開発協会の催しで、米長邦雄八段と対局したのが記念すべきプロ棋士との対局第1号だが、あまりの弱さに解説に来た中原誠名人を困らせたという。
その後しばらくは、まともに将棋を指せるレベルにするための開発に費やされた。1985年発売の『森田和郎の将棋』(開発:ランダムハウス、発売:エニックス)で、アマチュア級位者レベルの格好は付いてきた。1990年には、コンピュータ将棋の世界大会「世界コンピュータ将棋選手権」の第1回大会が開かれ、『永世名人』(開発:吉村信弘。商業版はコナミより発売)が初代王者となった。「世界コンピュータ将棋選手権」は、新型コロナウイルスにより中止された2020年を除き、毎年開催されている。
コンピュータ将棋は、遅くとも1995年にはアマチュア有段者レベルに達し、それからの上達は早かった。1996年の『平成8年度将棋年鑑』には、「コンピュータがプロを負かす日は? 来るとしたらいつ」というプロ棋士相手のアンケートが掲載された。棋士の反応も千差万別であった。
- 来るという意見
- 条件付きで来るという意見
- 来ないという意見
- 番外編
一人既に負けたという人がいたが、それはともかく、賛否両論だったがいつかはコンピュータが勝つだろう、しかしそれはまだしばらく先だという回答が主流を占めた。一方で、詰将棋を解く能力については、この頃既にプロ級に達していた。
2005年、第15回世界コンピュータ将棋選手権に優勝した『激指』が、エキシビションマッチで角落ちの勝又清和五段に勝利した。また、同年9月18日、「第29回北國王将杯争奪将棋大会」の企画で『TACOS』が橋本崇載五段と平手(ハンディ無し)で対局。一時は橋本を劣勢に追い込むが、結果は橋本に敗れた。後に橋本は「緩めた(手加減した)」と述べているが、しかし公開の場で苦戦したことを日本将棋連盟は重く見て、棋士に公開の場で無断でソフトと指さないようにという通達を出した。
同年6月にVer.1.0が公開された『Bonanza』(開発:保木邦仁)は、プロ棋士・奨励会員の間からも、早くからその強さが評判になっていた。2006年の第16回世界コンピュータ選手権で優勝した『Bonanza』は、翌2007年に渡辺明竜王と公開対局した。企画した大和証券グループの支払った契約金は1億円(渡辺の取り分は1割)であった。結果は112手で渡辺が勝利したが、渡辺は『Bonanza』の棋力を「奨励会初段~三段」程度と評価し、その強さがプロに迫っていることをうかがわせた(同じ段級位では、通常、アマチュアよりプロの方が強い)。
2008年、第18回世界コンピュータ将棋選手権のエキシビションで、『激指』が清水上徹アマチュア竜王に、『棚瀬将棋』(商業版は『東大将棋』)が加藤幸男朝日アマ名人に勝利し、トップアマに肩を並べたことを示した。この時点で、「次はいつプロに勝利するか」が、大きな関心を集めるようになった。
2010年、情報処理学会は会長の白鳥則郎名義で「(1975年以来)35年の開発の末名人に伍する力ありと情報処理学会が認める迄に強いコンピューター将棋を完成致しました」と宣言し、日本将棋連盟に挑戦状を叩き付けた。将棋連盟会長となっていた米長邦雄は、「その度胸と不遜な態度に感服した」として挑戦状を受理し、最初の対局相手として清水市代女流二冠を指名した。ソフトは『激指』『GPS将棋』『Bonanza』『YSS』の4ソフトの合議制で、『あから2010』と名付けられた。10月11日、『あから2010』は86手で清水に勝利した。
いよいよ男性プロ棋士との対局か、という空気に対し、米長は「羽生善治と対局したいなら7億800万用意しろ。ただし(既に現役引退した)自分なら1000万円でいい」と条件を出した。後者に乗ったのが中央公論新社とドワンゴで、2011年の第21回世界コンピュータ将棋選手権に優勝した『ボンクラーズ』(開発:伊藤英紀)と対局することになった。これが「将棋電王戦」である。
2011年11月21日に行われた「将棋電王戦プレマッチ」では、86手で『ボンクラーズ』が勝利。2012年1月14日の本番でも、113手で『ボンクラーズ』が勝利した。そして、翌2013年の「第2回将棋電王戦」で、ついに現役の男性プロ棋士が対局することになった。
対局順 | 対局日 | 人間 | コンピュータ | 人間から見た勝敗 |
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先鋒 | 3月23日 | 阿部光瑠四段 | 習甦(開発者:竹内章) | ○113手 |
次鋒 | 3月30日 | 佐藤慎一四段 | ponanza(開発者:山本一成) | ●141手 |
中堅 | 4月6日 | 船江恒平五段 | ツツカナ(開発者:一丸貴則) | ●184手 |
副将 | 4月13日 | 塚田泰明九段 | Puella α(開発者:伊藤英紀。『ボンクラーズ』後継) | △230手 |
大将 | 4月20日 | 三浦弘行八段 | GPS将棋(開発チーム:Team GPS(東京大学大学院総合文化研究科)) | ●102手 |
1局目は阿部四段が習甦に勝利したが、2局目にponanzaが佐藤慎一四段に勝利し、公開の場でのプロ棋士相手の初勝利となった。当時の将棋ファンは、コンピュータはまだプロ棋士には敵うまいという声が多かった(一方でコンピュータ将棋開発者は、伊藤英紀など、既に名人を上回ったとする見解が増えていた)。しかしコンピュータの3勝1敗1分、それも順位戦A級所属の三浦八段に勝利という結果に、コンピューター侮りがたしという空気が流れた。
2014年の「第3回将棋電王戦」でも、コンピュータの4勝1敗。2015年の「将棋電王戦FINAL」では、プロ棋士が3勝2敗と勝ち越したが、ソフトの事前貸出でプロ棋士側がハメ手(ハメ技と同義)を探すことができる条件であり、コンピュータの実力が認められていたといえる。
2016年からの電王戦は、新たに創設された将棋公式戦「叡王戦」の優勝者と、コンピュータのエキシビションマッチとなった。2016年の「第1期叡王戦」では、山崎隆之叡王(八段)と『ponanza』の二番勝負で、『ponanza』が連勝。また同年、渡辺明竜王らが三浦弘行九段が公式戦で「ソフト指し」(コンピュータでカンニングすること)を疑った事件があった。第三者委員会の調査の結果、三浦が電子機器を使っていた形跡はなく、疑いは誤りであったが、トッププロが「ソフト指し」を疑った事実そのものが、もはやコンピュータがトッププロを上回っていることを、自他共に認めたことを示していた。
そして2017年度の「第2期電王戦」において、佐藤天彦叡王(名人)が『Ponanza』2連敗で敗北を喫したことにより、名実ともに名人より強いことを知らしめる結果になった。そして電王戦はこの年が最後になった(叡王戦は継続)。
今や『Ponanza』を始め、『やねうら王』『技巧』『Kristallweizen』『狸王』『水匠』『elmo』といった有力ソフトには、羽生善治のような最強クラスな棋士であっても、ぶっつけ勝負ではほぼ勝てないというのが定説となっている。藤井聡太五冠(恐らく2015年頃、ネット対局サイト「将棋倶楽部24」に登場した『Ponanza』に挑んだが勝てなかったと述べている)、佐々木勇気七段をはじめとする若手棋士はすでにコンピューターを相手に研究を深め、将棋界も新たな時代を迎えている。
現役生命が実は職業的に最も長いプロ棋士
プロ野球選手は現役を長くやれても40歳前後、プロサッカー選手もゴールキーパーを除くフィールドプレイヤーなら35歳前後、大相撲も35歳前後までしか務まらない現状において、激しい運動を全く必要としないプロ棋士は頭脳が損傷したり認知症にでもならない限り、現役を70歳以上でも続けられ、シニア部門などで60歳以上でも務められるプロゴルフ選手よりも、長い現役生命を誇れる数少ない夢がある職業である。長い目で見れば、あらゆる職業よりも稼げる職業と言っても差し支えはないだろう。
プロ入りの関門が非常に厳しい(詳細は棋士の項目を参照)分、現役生活は最低10年間(「フリークラス」編入の場合で、最初から「順位戦」に参加する通常のルートなら13年)保証されている。ただしプロスポーツ界同様完全実力主義社会なので、羽生善治や藤井聡太のようにタイトルを総ナメするぐらいの猛者でなければ、30歳も満たないで強制的に引退させられる危険性も孕んでいるので、この業界も決してぬるま湯な世界ではないだろう。
近年稀にみる藤井聡太の目覚しい最年少快進撃を目の当たりにして、将棋に憧れ夢を抱く少年少女たちが増加する現在、将棋界もまた新たな時代を迎えようとしている。
関連タグ
将棋の棋士
囲碁・将棋棋士の一覧を参照のこと。
将棋の格言
- 歩のない将棋は負け将棋(外部リンク):将棋において、最弱な駒とされ、重要度が一見最も薄いように見える歩兵が、実は攻守によく働き、勝敗に関わる必要な駒であるという意味の格言。
- ヘボ将棋、王より飛車をかわいがり(外部リンク):将棋において、勝敗に直接関わる王将よりも、戦闘能力が最も高い飛車を重宝する愚かさを意味する格言。一般的に、明治時代の落語家が考案した格言として知られている。転じて、目先な価値に囚われて、本当に最も大切なものを失ってしまう愚かさを表現するために用いられている。