騎手時代
1966年6月3日生まれ、滋賀県出身。身長164cm、体重54kg(騎手引退時)。血液型AB型。
父は騎手のち調教師の須貝彦三、叔父に騎手のち競馬評論家の須貝四郎がいる競馬一家に生まれる。
1985年、JRA競馬学校を第1期生として卒業し騎手免許(平地)取得、デビューを果たす。
代表的な騎乗馬としては、1970年代前半のアイドルホースハイセイコーの子として注目を集めたハクタイセイが挙げられる。須貝は新馬戦からハクタイセイの鞍上を任され、1990年2月のきさらぎ賞(GⅢ)では人馬ともに重賞初勝利を果たした。
しかし、皐月賞は南井克巳に、日本ダービーは武豊に鞍上を譲り、ハクタイセイとクラシックを戦うことは叶わなかった。
また、新馬時代のリンデンリリーにも2戦騎乗し、このうちメイクデビューにあたる新馬戦で勝利しているが、条件戦時代は同じく武豊、そしてローズステークスおよびエリザベス女王杯では岡潤一郎に乗り替わったため、彼女とも牝馬クラシックに参戦することができなかった(岡騎手はエリザベス女王杯で生涯唯一のGⅠ勝利を掲げている)。
なお2000年には、のちにゴールドシップの母となるポイントフラッグ(父の須貝彦三厩舎所属だった)の新馬戦に騎乗し、同馬唯一の勝利を挙げている。
結局、騎手としてはGⅢに4勝、最後までGⅠ勝利には手が届かず、ゴールドシップの姉ハニーフラッグでの勝利を最後に2008年に引退した。
調教師時代
2009年、栗東トレーニングセンターに厩舎を開業し調教師へと転身。
2012年2月、共同通信杯(GⅢ)をゴールドシップが制し調教師としての重賞初勝利。さらに4月、皐月賞もゴールドシップが制し(参考:ゴルシワープ)、騎手時代に届かなかったGⅠ初勝利をクラシック競走で飾った。10月、菊花賞をゴールドシップが制し、これが調教師としての100勝目。厩舎開業から3年7カ月のスピード記録であった。
2013年には、ゴールドシップの同期ジャスタウェイが天皇賞(秋)を制し、厩舎初の天皇楯獲得。ジャスタウェイは翌2014年にはドバイデューティーフリーを制し、厩舎初の海外GⅠ制覇、さらに国際サラブレッドランキングで1位に格付けされる快挙を達成した。
2020年には、白毛の牝馬ソダシが厩舎からデビュー。同年の阪神ジュベナイルフィリーズを制し、白毛馬として世界初のGⅠ競走制覇を果たした。
管理馬たちとの関係
毎日の日課は「馬とハグをすること」。
「毎日、ハグをして馬に接していると微妙な変化がわかる。気をつけないと、本気で噛んでくる馬もいるから、こっちは大変なんですけどね(笑)。でもこうして接していると馬も感情や信号を発してくるからね。」とは本人談。
ゴールドシップは上記の通り、須貝を調教師として一躍注目株へと押し上げた馬なのだが、世に出回っている写真では「須貝師とゴルシは仲悪いのか?」と受け取られるようなものが多い。
2012年の有馬記念をゴールドシップが制した際、表彰式で須貝は喜びのあまりゴールドシップの鼻を抱いてキスをするのだが、その写真のゴールドシップは「目が死んでる」と評判である。
また2015年、平地同一GⅠ3連覇の偉業がかかった宝塚記念を致命的な出遅れ&やる気のない走りで吹っ飛ばした、通称「120億円事件」のレース後には、近寄ってきた須貝に対し「やべぇ」とばかりに目線を逸らすゴールドシップ、なんてことをしてくれたんや…とゴールドシップに触れてうなだれる須貝に対し「知るかよ」だか「こんなハズじゃあなかったんだ」とばかりに仏頂面のゴールドシップの写真が残されている。
どうやら、頭がよくずる賢い馬であるゴールドシップは、厩務員の今浪隆利などは「ふだん身の回りの世話をしてくれる良いおっちゃん」と認識していたが、須貝は「キツい調教や面倒くさいレースを決めてくるやつ」と認識していたものらしい。
だが、わがままで唯我独尊なゴールドシップをスタッフ一丸粘り強く調教し、優等生タイプのジャスタウェイを隣の馬房に置いて落ち着かせるなど工夫し、ともすればただの暴れ者で終わりかねなかった馬をGⅠ6勝まで導いたのは、間違いなく須貝厩舎の功績である。
また、馬房内でゴールドシップが須貝師と一緒に遊んでいた話や放牧先で馬房の奥で背を向けて出てこなくなってしまい、連絡を受けて駆けつけた須貝師が声をかけると振り向いてトコトコやって来た話があるが、ゴールドシップの見ている前で今浪厩務員を叱ったせいで嫌われてしまったとも言われる。
ジャスタウェイとの間にはあまりそういうエピソードは伝えられていない。普通に撫でられている写真や遊んだ話がある一方、2014年の安田記念で勝利したジャスタウェイに対しても須貝師はキスをするのだが、その際のジャスタウェイは歯を食いしばっているようにも見える。
一方でソダシは須貝に懐いているといい、「声をかけなくても顔を見ると寄ってくる」「隣の馬房の子たちと遊んでいると、やきもちを焼く」とインタビューで語っている。
馬主からの評価
ジャスタウェイの馬主である大和屋暁氏は須貝調教師について、「『こういう理由があるから、このレースを使います』ときちんと説明してくれる。何となくで馬を使わない。理由があって、勝てる可能性を考えてくれるから、安心してお任せできる。」と評している。
また、西山牧場の西山茂行氏は「計画性を持ち きちんと説明をしてくれる調教師」と評している。
なお、「あのゴールドシップを扱いきったのだから」と、その後須貝厩舎には癖馬の入厩申し込みが多く持ち込まれるようになったらしい……。
ソダシなども、度重なるゲート難でレースにならず引退したブチコの初仔であり、デビュー時点では母の人気半分・好奇半分といった目で見られていた馬であった。
(なお同じ現象は、ゴルシと同父を持つドリームジャーニー・オルフェーヴルの暴れ馬兄弟を管理した池江泰寿厩舎にも起こったとか)
厩舎スタッフ
今浪隆利
元厩務員。内藤繁春厩舎→中尾正厩舎を経て須貝厩舎立ち上げ時から定年まで勤務。
ゴールドシップの担当として、同馬がパドックを回る際に高確率で手綱をとっていた。よってトレセン調教中や競馬場を問わず、ゴールドシップが棹立ちになったり尻っ跳ねを繰り出したりして暴れ回る写真で振り回されていたのは大抵の場合彼である。一方、普段から自分の面倒をみてくれる人としてゴールドシップが親愛を示した写真や映像も多く、ゴールドシップの人気も相まっていち厩務員としては異例の知名度を得ている。その関係か、アニメ『ウマ娘プリティーダービー』でも、ゴールドシップの隣でカメオ出演したことで話題となった。のちにソダシの担当となった事で話題になり、主要スポーツ紙や競馬メディアでも名物厩務員として有名だった。
2023年9月で65歳の誕生日となる為、6月末を以って定年を迎えた。
北村浩平
調教助手(もと須貝尚介厩舎所属の騎手。ゴールドシップの兄カントリーフラッグの騎乗経験もある)。調教中、ゴールドシップが暴れ回ってロデオ状態で振り回されたり、時には振り落とされて肩を脱臼したこともあった。
だが、レースにてゴールドシップ鞍上の騎手がたびたび入れ替わる中、調教助手として一貫して彼のトレーニングを担当したことから「最もゴールドシップの良し悪しを知る男」と評された。
北村は「騎手としてゴールドシップに乗ってみたかった」「もし自分だったら、大逃げの戦法を取る」とインタビューに答えている。
今浪厩務員の定年後、ソダシを担当していた。
なお、2023年にX(旧twitter)を始め、引退後に厩舎にやってきた今浪氏の写真等を投稿している(なお、今浪氏の後方の壁には須貝調教師の写真が飾られているが、何者かによって顔に落書きをされている)。
榎本優也
厩務員兼調教助手(持ち乗り助手)。ジャスタウェイの担当。
競馬ファンの父の影響で幼い頃から競馬に慣れ親しみ、武豊騎手に憧れて騎手を志すも視力の問題で断念。しかし競馬関係の仕事に就きたいという思いから牧場勤務を経て、JRA厩務員課程へ入学し卒業。2009年5月に須貝厩舎で待望の厩務員生活を開始。 7月には持ち乗り助手となった。ジャスタウェイを担当した時には3年目の若手であった。
ジャスタウェイの現役時代は競馬ラボ内のブログで須貝厩舎の所属馬を紹介する広報担当のような存在であった。
「あの難しい馬を扱う今浪さんの姿から、特に馬との精神的な接し方を勉強させてもらいました」とは本人談。
ミーちゃん
雌の黒猫。厩舎開業間もない頃から須貝厩舎に住み着いており、厩舎が引っ越しになった際もまたやって来たという。スタッフからは「守り神」「幸運の招き猫」、須貝師からは「おばあちゃん」等と呼ばれて、親しまれている。
主な管理馬
GⅠ・JpnⅠ競走勝ち馬
ゴールドシップ:2011~15(皐月賞、菊花賞、有馬記念、宝塚記念2連覇、天皇賞春)
ジャスタウェイ:2011~14(天皇賞秋、ドバイデューティーフリー、安田記念)
ローブティサージュ:2012~15(阪神ジュベナイルフィリーズ)
レッドリヴェール:2013~16(阪神ジュベナイルフィリーズ)
ソダシ:2020~現役(阪神ジュベナイルフィリーズ、桜花賞、ヴィクトリアマイル)
ドルチェモア:2022~現役(朝日杯フューチュリティステークス)
その他(個別記事の存在する馬)
ステラヴェローチェ:2020~現役(サウジRC、神戸新聞杯)
ヴェローチェオロ:2020~23(ゴールドシップ産駒)
エピソード
父とタイテエムの天皇賞
父須貝彦三氏は騎手時代にタイテエムで天皇賞(春)を制覇している。それ故にタイテエムの天皇賞は須貝尚介氏にとって人生で思い出のある天皇賞となり、一番勝ちたいレースとして天皇賞の制覇を目指すようになった。騎手としてはGIに手が届かずに終わった須貝師であるが、調教師の道に進み、ゴールドシップで春の盾を、ジャスタウェイで秋の盾を手にすることとなる。
須貝調教師と芦毛馬
ハクタイセイそしてゴールドシップと何かと芦毛馬と縁のある須貝調教師だが、そもそも芦毛好きだという。
ソダシの預託が決まった際には「ゴールドシップも手掛けさせていただいたけれど、そもそも芦毛が好きなんです。繁殖や種馬に上がれなくても誘導馬とか神馬とか、延命になる余生の道がありますから。それが今回はさらに白い白毛。金子オーナーには感謝しかありません」と感じたとのこと。
また、須貝厩舎の事務室には馬頭観音の掛け軸(父須貝彦三調教師から厩舎開業の際に受け継いだもの)が飾られているが、そこには白斑や橙色の鼻先等、不思議なほどゴールドシップに似ている芦毛馬が描かれている。そのため、須貝調教師にとってゴールドシップは神様の馬という意識があるという。
(<Number競馬ノンフィクション傑作選>名馬堂々。「暴れん坊と優等生、最強のふたり」より)
大和屋暁氏との出会い
ジャスタウェイのオーナーである大和屋暁氏はセレクトセールでジャスタウェイを落札した際に、生産者である角田場長に調教師の紹介を希望した。当時、大和屋氏は新米馬主であったことから「若い調教師の方が良い」と判断した角田場長は当時、開業2年目の須貝師を紹介し、ジャスタウェイの須貝厩舎入厩が決まる。
この判断は大正解となり、須貝師がまだそこまで忙しくなかった2011年から2012年頃は、須貝師が東京に来る度に大和屋氏は飲みに誘い、ジャスタウェイやゴールドシップの話題に花を咲かせ、結果的に大和屋氏は須貝厩舎マニアとなった。
ノーザンファームの吉田勝己代表に誘われ、打ち上げに参加した際には須貝師と大和屋氏でお笑い芸人のコンビのように盛り上げ役を担うこともあったという。ジャスタウェイ引退後も相変わらず、須貝厩舎に珍名馬を預けていっている。
坂路小屋の調教師仲間たち
栗東トレーニングセンターの坂路の脇には放馬等のトラブルに備えて馬場監視員がいる監視塔(通称坂路小屋或いははと小屋)がある。
そこではハーツクライやローズキングダムで有名な橋口弘次郎師、パンサラッサやコントレイルで有名な矢作芳人師、マカヒキやドウデュースの友道康夫師、ピクシーナイトやエガオヲミセテの音無秀孝師、カレンブラックヒルの平田修師ら調教師たちが2階前列(4席ある)から調教の様子を見ており、須貝師もまたこの中に加わった。
その中では弟分のような存在であったという。
厩舎初重賞とフグとクエ
須貝厩舎がまだ重賞2着が続き、重賞に手が届かなかった2012年の初め、須貝師が「どうしても重賞を勝ちたいんですよ」とボヤいたところ、先輩調教師である橋口師(ジャスタウェイの父ハーツクライ等を管理)は「もし重賞を勝ったのなら、ここにいる全員にフグをおごってくれ。それで重賞を勝てるのなら安いものだろう?」と意味不明な要求をした。
その後、ゴールドシップが共同通信杯を制覇。すると須貝師はフグをクエにグレードアップしておごるという男気を見せた。「メシをおごる約束をした俺たちだけでなく、普段からお世話になっている馬場監視員の方々もたくさん招待していただろ? それがうれしかった。いい行いをしたからいいことが返ってくる。これからもまだまだ勝つぞ」と言い出しっぺの橋口師は言ったが、この言葉は後に現実のものとなったと言える。
12世代と21世代
須貝師が「この世代はちょっと違う」等と管理馬について期待を込めたメッセージを発信したことは2度ある。1度目はゴールドシップやジャスタウェイを擁した12世代の時、2度目はソダシ、ステラヴェローチェら21世代の時である。
関連イラスト
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須貝彦三:父親
武豊:幼馴染
柴田善臣:競馬学校での同期