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キリスト教の編集履歴

2022-03-22 07:36:02 バージョン

キリスト教

きりすときょう

救世主にして王のイエス・キリストが処刑され蘇り、天に昇ったあと、再び人類最後の日に再び現れて千年王国を作るとされる宗教。

英:Christianity(クリスチャ二ティ)

ギ:Χριστιανισμός(クリスティアニズモス)


概要

ナザレのイエスメシアキリスト(救い主)として信じる宗教 イエス・キリストが、神の国の福音を説き罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ復活したものと信じ、イエスが処刑され蘇り、天に昇ったあと、再び人類最後の日に再び現れて千年王国を作るとされる宗教。

いわゆる「アブラハムの宗教」と呼ばれるものの1つであり、イスラム教ユダヤ教とは同根と言える。同根であるだけに、「エデンの園」「最後の審判」などの重要な概念をこれらの宗教と共有している。


その多く(正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会プロテスタント諸派など)は「父と子と聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。


日本では〈キリスト教〉や〈基督教〉、ギリシャ語では〈Χριστιανισμός〉、ラテン語では〈Religio Christiana〉、英語では〈Christianity〉と表記される。

ユダヤ教から枝分かれした、世界的に広く信仰されている宗教欧米中南米の人々の多数派はキリスト教徒であり、アフリカ中東などにもキリスト教徒が多数派の国がある。アジアでは中国韓国フィリピン東ティモールにキリスト教徒が多い。

開祖にして救世主であるイエス・キリストと聖なる父と聖霊三位一体を崇める一神教。ユダヤ教の聖典であるタナク(旧約聖書)に加えて、新約聖書教会において信者達に説かれている。教派はカトリックプロテスタント正教会などに分かれており、教義面や作法で多くの違いがある。キリスト教(ヘブライズム)はギリシャ文明(ヘレニズム)と並んでヨーロッパ文明の源流とされ、欧米の伝統的な美術音楽文学哲学はこの二つの文明を基盤としている。


日本には戦国時代南蛮貿易で伝来しそれなりに広まったが、江戸時代に危険思想として弾圧され戦前も国家管理を余儀なくされた。その後ようやく戦後民主化を迎えたが、今度はそもそも神も仏も信じない無宗教な人々が増えたこともあって信者数はかなり少なく、日本国民の1%を下回っており戦国時代末期の水準にまで戻っていない。

ただ、クリスマスイースターなどの行事はイベントとして盛んで、ミッションスクール(キリスト教徒によって設立された大学など)や教会結婚式も女子を中心に人気だったり、逆に国内で活動するカルト宗教団体にキリスト教の教義を利用するものがあったりするなど、良くも悪くも江戸明治に比べると日本社会に浸透はしている。


また、キリスト教に出てくる事物(天使悪魔天国・天地創造・など)は文化的な常識としては広く知られているが、クリスチャン以外にはその本来の意義はあまり理解されていない。


キリスト教徒は性に関わる道徳に厳格である傾向にあり、ポルノを忌み嫌う、同性愛や婚前交渉を否定するといった思想の背景にキリスト教が存在することがある。長らく西洋=性に開放的のイメージがあったものの、冷戦集結以降の保守派拡大、リベラル派の変質によって西洋で再び性に対する規制が強まりつつある。

また日本においても、同性愛否定論や表現規制推進論にキリスト教が一枚噛んでいるのではないかとの批判がある。もっとも、当然クリスチャンの全てが同性愛否定派・表現規制推進派という訳ではなく、ゲイの牧師、クリスチャンの表現規制反対運動家、カトリック信仰を公言するエロ漫画家も存在する。


教義

神観

キリスト教史において様々な機会において信仰内容をまとめた「信条」という短いテキストが編まれてきた。

第1ニカイア公会議で成立した「ニカイア信条(原ニケア信条)」においては、主流派キリスト教の全ての教派に共通する神観が表現されている。


我らは、見えるものと見えざるものすべての創造者にして、すべての主権を持ち給う御父なる、唯一の神を信ず。


我らは、唯一の主イエス・キリストを信ず。

主は、御父より生れたまいし神の独り子にして、御父の本質より生れ、(神からの神)、光からの光、

まことの神からのまことの神、造られずして生れ、御父と本質を同一にして、

天地万物は総べて彼によりて創造されたり。

主は、我ら人類の為、また我らの救いの為に下り、しかして肉体を受け人となり、

苦しみを受け、三日目に甦り、天に昇り、生ける者と死ぬる者とを審く為に来り給う。


また我らは聖霊を信ず。


主の存在したまわざりし時あり、生れざりし前には存在したまわず、

また存在し得ぬものより生れ、

神の子は、異なる本質或は異なる実体より成るもの、造られしもの、

変わり得るもの、変え得るもの、と宣べる者らを、

公同なる使徒的教会は、呪うべし。


(wikipediaより引用)


このように、キリスト教とは、唯一神信仰でありつつも、人間のメシアであるイエスを「唯一の主」とし、彼を世界の創造主とみなす宗教である。


「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 」(『ヨハネによる福音書』1章1節~4節)

父なる神と共に在り、世界を創造した「言(ロゴス)」が、イエスとしてユダヤの地に聖母マリアの子として生まれ、布教の末に囚われて処刑され、三日後に蘇った。(彼はその40日後に)天上に戻ったが、世界の終末において再臨し、最後の審判を執り行う。

上記の信条はキリスト教におけるイエス観の軸となる部分を語ったものと言える。


「聖霊を信ず」のあとの「主の存在したまわざりし時あり、生れざりし前には存在したまわず、」の部分は「イエスはある時点に父なる神に創造されたのであり、それ以前は存在しなかった」という論の否定である。

また存在し得ぬものより生れ、」というのは、「イエスはマリアから産まれる前から存在はしていたが、父なる神のように永遠の昔から存在する(始まりなしで存在する)のではなく、ある時点で無から創造された」という論をさしており、キリスト教はこれも否定する。

神の子は、異なる本質或は異なる実体より成るもの、造られしもの、変わり得るもの、変え得るもの」とは、信条の前の箇所にある「まことの神からのまことの神、造られずして生れ、御父と本質を同一にして、」の部分を否定、あるいは相対化する意見を指す。

キリスト教において、イエス・キリストは父なる神と同じく不変であるという点で「変り得るし、換え得る」被造物とは隔絶しており、ガチで100パーセント神なのである。

と同時にキリスト教におけるイエス・キリストとは「肉体を受け人となり」ガチで100パーセント人間でもある(こちらはカルケドン信条で強調される)。


と宣べる者らを、公同なる使徒的教会は、呪うべし。」この締めの文章は、その前に挙げられていたのが仮定上の異論ではなく、実際に主張していた人々が居たことを表わしている。

この信条が成立した「第1ニカイア公会議」はアリウス派を排斥する公会議であり、アリウス派とは、主流派キリスト教とは原ニケア信条における「また我らは聖霊を信ず。」までを部分的に共有し、その後の箇所では対立する意見を持つ人々であった(参考リンク)。


聖典、正典

概要にあるようにユダヤ教の聖典「タナク(タナハ)」と新約聖書を聖典とする。タナクに記されたメシア到来の予言はイエスの出現によって果たされ、彼を介して新たな契約が結ばれた、という考えからタナクはキリスト教において旧約聖書、と呼称される。

神の啓示によって書かれ、真理が記されたと見なされる書物を「正典(カノン)」といい、旧約部分については教派により正典である文書の数と収録タイトルに違いがある。

巻数と一覧の違いについては外部リンクや「聖書」の項目を参照。


ちなみに前述のアリウス派も正典じたいは主流派と重複しており、アリウス派独自の聖書文書(グノーシス主義の『ユダの福音書』のような)は存在しない。

ゴート語の四福音書写本「銀文字聖書」を残したアリウス派司教ウルフィラは『列王記』以外の旧約、新約の文書を全て翻訳した。

現代において主流派側から「三大異端」の一つに数えられるエホバの証人も正典はプロテスタント諸派における66巻と同じである。つまり正典の範囲が同じだけでは「正統」なキリスト教とは見なされない。


他宗教との関係

他のアブラハムの宗教との関係

キリスト教およびイスラム教ユダヤ教は、極端に他宗教・他宗派を排斥するケースがあるが、排斥の度合いについては地域と時代によるところが大きい。歴史的には「共存」と言える関係を築いた地域もあるが、エルサレムをめぐる問題もあり、緊張関係は継続されている。また過去にはキリスト教の異なる宗派同士で宗教戦争が戦われた歴史もある。また奴隷狩り・民族浄化に協力する宣教師がいたため今日問題となっている。

先行する宗教の影響

宗教学者の中からは「アブラハムの宗教」に共通する「最後の審判」や大天使の概念はゾロアスター教から流用している」という論が出ている。

実際、『最終的に悪が駆逐され善によるユートピアが築かれる』という「最後の審判」の骨子はゾロアスター教と共有している。ユダヤ教の聖典でもある旧約聖書のダニエル書やイザヤ書、アモス書といった預言者で終末の到来の到来が語られているが、このテーマは新約聖書でも繰り返された。新約聖書の場合、書物全体で「最後の審判」を取り扱う『ヨハネの黙示録』が存在する。

黙示録では「最後の審判」について詳細な説明がなされた。ゾロアスター教の終末論とは骨子じたいは共通しているが、終末に起こる現象といったディティール部分には違いがある。この点ではメソポタミア神話の洪水神話からモチーフがほぼそのまま転用された「ノアの方舟」とは異なる展開を見せていると言える。

他宗教・神話の再解釈

別の宗教・思想と共存するという発想があまり無く、基本的に習合ではなく強制改宗の道を選んだ。キリスト教文化圏から生まれた西洋思想全般にも一つの思想による世界支配を求める傾向が強い。ただし一部は抹殺しきれず習合している要素がある。


ヨーロッパの悪魔学で語られる悪魔には、キリスト教徒によって多神教の神々をデーモンとして再解釈したものも複数含まれる。

新約聖書の時点でエクロンの都市神バアル・ゼブルを元にしたベルゼブルベルゼブブ)が言及されている。

この発想は他の異教神にも適用された。バアル・セフォン(セフォンとはカナン神話に登場するサフォン山の事)からバールゼフォンが生み出された。旧約聖書で言及されるモアブ人のバアル・ペオルはベルフェゴールとなり、バアルそのものやアスタルトなど、聖書中で偶像として記された異教神は近世の『地獄の辞典』までには何らかの形で悪魔化されている。


旧約・新約でカバーされていない文化圏であるケルト神話の神クロム・クルアハの例のように、布教先で新たに遭遇した他宗教の神々もたびたびデーモンとして捉え直された。


他宗教への影響

キリスト教が他宗教(神話)の伝承じたいに影響を与えたとみられる例もある。北欧神話ロキサタンルシファー)の影響を受け、現在のトリックスターと化したと言われる(それ以前のロキは『悪戯者な妖精』ぐらいの存在だったとされる)。

フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』はフィンランドの多神教神話に源流を持つ伝承を19世紀の医師エリアス・リョンロートが再構成したものだが、処女懐胎した「マリヤッタ」等キリスト教の影響が見て取れる。


キリスト教と科学

キリスト教と科学が敵対するというイメージは強い。しかし、よく考えると近代科学はだいたいキリスト教世界から生まれている。実はむしろ親和的であり、完璧な神が合理的に自然を設計したという考え方は近代科学の母体となったのである。聖職者は聖書や神学以外の学問を修めていることも多く、その意味でも知識人ポジションであった。聖職者以外でもニュートンのように信心深い科学者が存在している。

同じ考え方はイスラム教にもあり、キリスト教圏が停滞していた時代にはかつてはイスラム圏のほうが科学が進んでいた。彼等は過去のギリシャ、ローマの学問を継承し研究し、ここを介してキリスト教社会が再発見した経緯がある。イスラム社会は十字軍モンゴル帝国の侵攻等で打撃を受けたもののマドラサ(神学校)等で知の継承は行われ続けた。しかし、ヨーロッパ、アメリカに展開した文明は他文化圏から植民地等の形で他文化圏から収奪・蓄積した膨大な富の存在もあり、先んじて科学や技術を更に発展させる形となった。


ところが、西方キリスト教世界で更に育った科学はキリスト教の教勢に悪影響を与える事になる。中世以来キリスト教世界で重要な教養とされたリベラル・アーツ等とは異なり(中世ヨーロッパ=暗黒時代とする古い史観は現在否定されている)、近世以降に育った科学的知見はキリスト教の伝統説と衝突した。

自然科学(進化論、地質学)はノアの方舟(世界的な大洪水や、聖書から換算される数千年程度の地球の年齢)と生物種の由来についての認識を揺るがし、人文科学もまた文献学、本文批評は伝統的に受け入れられていた「トーラー(モーセ五書)はモーセが書いた」といった認識を根拠の無いものとしていった。学問的には、実際に「本人」の筆によるものと認められるのはいくらかのパウロ書簡のみである。

それ以外の「パウロ書簡」はタルソスのパウロの名を借りた「擬似パウロ書簡」とされている。

キリスト教と科学の衝突という話題では進化論など自然科学のほうに目が行きがちであるが、後者の威力も絶大であった。即ち「(一部を除き)名も知れぬ古代人たちが書いてまとめた本」つまるところ「(ギリシャ神話などの)神話・伝説の本」の同類となった聖書は社会への影響力を甚だしく低下させることになる。

聖書研究に「本文批評」の手法を取り入れた分野を「聖書批評学(Biblical criticism、聖書批判学の訳語もある)」という。

本文批評は聖書だけでなくシェイクスピア作品のような一般の古典に対してもされるものであるが、世俗の書物に対して行う研究法を「神の言葉」とされていた聖書に適用する部分に特色がある。その容赦ない追求の結果が「擬似パウロ書簡」といった認識であった。

19世紀末から20世紀初頭にかけて「聖書を批評的に読解する」という(現代においては当のキリスト教徒の多くにとっても当たり前な)営みと伝統的な立場との衝突が既に表面化していた。レオ13世やピウス10世といった近代のローマ教皇たちはこれを「近代主義(モダニズム)」と呼び回勅で強く非難したが、この大きな流れを堰き止めることはできなかった。


第二次世界大戦後になると、欧米において聖書やそれを土台とするキリスト教の教義や規範文化の影響力が弱まる一方、共産圏との対決もありリベラル思想に基づく価値観が優勢となっていく。キリスト教内部にもその知見を取り入れたリベラル神学、その支持者たちは衰退していく保守派にかわって勢力を伸ばした。

その結果聖公会では伝統的には男性のみである司祭が女性もなれるようになり、プロテスタント諸派では宗教的に同性婚を認めていく機運が強まっている。こうした立場のキリスト教徒たちは聖書やキリスト教伝統に誤りや時代的な限界が含まれる事を自明とした上で信仰を行っている。こうしたリベラルな立場は新しい自然科学・新しい人文科学・新しい価値観という、新たな時代の状況に対応したキリスト教信仰であるとも言える。

「リベラル」を名乗らず思想色を強く打ち出さない「メインライン」と呼ばれる勢力においても、進化論、地質学などの科学や現代的な倫理を全否定する事は少なくなっている。


しかし冷戦が集結すると、共産化を阻止するためのリベラル社会の建設という目的が無くなったことや、東欧における急速なキリスト教復興、イスラム圏との対立再燃などによって福音派をはじめとする保守派の巻き返しが発生。これにより消える一方とみられた保守派が無視できない程の勢力拡大をしている。日本でも社会派が衰退し、福音派、三大異端系、日ユ同祖論のような派閥が増加して少ないパイを奪い合う状況になっている。

彼等は新しい自然科学・新しい人文科学・新しい価値観に抵抗し、進化論教育、同性婚をはじめとするLGBTQの法的保護、人工妊娠中絶、イスラムなどに反対の姿勢を示し、選挙で勝利を収めることもある(ドナルド・トランプ誕生やハンガリーポーランドロシアでの同性愛者罰則強化など)。


少子化する欧州とは対照的に順調に信徒人口を増加させている(大陸別クリスチャン人口、アフリカが南米上回り1位にアフリカ大陸の教会では、現時点では伝統的解釈が有力な傾向がある。


呼称と職名の教派別対応表

教派・組織正教会カトリック聖公会プロテスタント学校
司祭の呼称神父神父先生司祭神父先生先生
階位総主教(総主教区教会の首座主教)教皇(最高権威一人)牧師教諭
府主教スラブ系で総主教区以外の首座主教)枢機卿(教皇補佐)首座主教、総裁主教副牧師  
大主教ギリシャ系で総主教区以外の首座主教)大司教大主教   
主教司教主教   
司祭司祭牧師   
輔祭助祭   
副輔祭   

関連タグ

宗教 思想 哲学 ユダヤ教 イスラム教 仏教 神道

YHVH GOD デウス唯一神 救世主 イエスイエス・キリストイイスス・ハリストス聖母マリア聖母マリア生神女

聖書旧約聖書 新約聖書十字架 七つの大罪 贖罪 十字教

天使 悪魔サタンサタナ十二使徒使徒魔王

キリスト教文化

聖人 聖師父教父神父 牧師 修道士 修道女シスター教会 神殿 修道院 大聖堂 バチカン キリシタン

カトリック プロテスタント 正教 正教会 クエーカー

パンとぶどう酒聖体礼儀ミサ聖餐式

クリスマス降誕祭大斎 復活祭イースター復活大祭聖神降臨祭ペンテコステ五旬祭結婚式婚配機密バレンタイン ハロウィン ロンギヌス 聖骸布 聖杯 神曲 誦経

ザビエル 大友宗麟 高山右近 蒲生氏郷 一条兼定 小西行長 黒田官兵衛 細川ガラシャ 天草四郎

麻生太郎 石破茂 井上ひさし 又吉イエス 天池治彦 酒井勝軍


外部リンク

教派いろいろ対照表

各教派における正典の違い(英語版ウィキペディア)

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