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概要

保護地域(ホームエリア)は千葉県

2020年現在の親会社は菓子メーカーのロッテ。球団会社名はチーム名と同じで、通称は『ロッテ』又は『マリーンズ』。英語で「の〜」や「海兵隊」などの意味のある「マリーンズ」は、球団によると(おそらく千葉の球場前にある)「海をイメージすると力強く感じる」ことが由来としている。

本拠地は、1軍は千葉市美浜区にある千葉マリンスタジアム(現在はZOZOが施設命名権を取得し「ZOZOマリンスタジアム」の名称を使用)。

イースタン・リーグに所属する2軍は、埼玉県さいたま市南区の親会社の工場に隣接する「ロッテ浦和球場」である。

チームカラーは黒。

源流は1950年に参加した毎日新聞社資本の毎日オリオンズ。その後映画会社大映資本の大映ユニオンズと対等合併。チーム名は毎日大映オリオンズ大毎オリオンズ)、東京オリオンズという変遷を経て、69年よりロッテオリオンズとなり71年にロッテの完全子会社となった。92年に千葉に移転すると同時に現球団名となった。

これまでに5回のリーグ優勝と4回の日本一・1回の完全制覇(後述)を達成している。

また親会社を統括するロッテホールディングスグループは、韓国KBOリーグに所属するプロ野球球団・ロッテジャイアンツを経営している。

球団史

千葉移転前の球団史については、毎日オリオンズ毎日大映オリオンズ東京オリオンズおよびロッテオリオンズの記事を参照。

千葉移転と悪夢の18連敗

1991年オフに本拠地を千葉マリンスタジアムに移し、球団名を現在の千葉ロッテマリーンズに改称。

実は千葉マリン自体はこの前年にできており、「マリーンズが建てた本拠地だから千葉マリン」ではなく、「千葉マリンに移転したからマリーンズ」が因果関係としては正しい。

移転直後は成績が芳しくなったが、1995年の第1次バレンタイン政権下で諸積兼司堀幸一初芝清フリオ・フランコ伊良部秀輝小宮山悟エリック・ヒルマン河本育之成本年秀といった個性的な選手を率いて見事2位に躍進。

しかし広岡達郎GMとの確執が原因でバレンタインは1年で監督を退任され、その後は再び低迷。1998年にはプロ野球記録となる18連敗を喫することになる(途中の7月7日に喫した17敗目は俗に「七夕の悲劇」と呼ばれる)。

それでも低迷期に小林宏之小林雅英清水直行渡辺俊介今江敏晃西岡剛ら後に2005年2010年日本一を支える選手がドラフトなどで加入。後の下地につながってくる。

「ボビー・マジック」と「下剋上日本一」

2004年にバレンタインが監督に復帰、第二次政権が始まる。2004年は惜しくもシーズン4位だったが、2005年は序盤から好調。この年導入された交流戦では福浦和也の活躍などで見事初代優勝に輝くと、シーズンでは2位に終わるもののプレーオフで福岡ソフトバンクホークスを下し、日本シリーズでは阪神タイガースを総得失点差33-4という圧倒的大差をつけて4勝0敗で下し31年ぶりの日本一に輝いた。その後も2009年までバレンタインは指揮を執ったものの、以降は主力選手の好不調や故障による戦線離脱に泣かされて徐々に低迷、最終年は契約の方針等を巡ってバレンタインと球団フロントの関係がこじれ、一部のファンが試合中にフロントへの抗議活動を決行するなど異様な雰囲気となり、最終的にはチーム成績もバレンタイン政権史上最低のリーグワーストチーム打率を記録するなど不本意なシーズンとなった。

2010年からはヘッドコーチを務めていた西村徳文が監督に就任。この年は荻野貴司金泰均ら新戦力の活躍で好スタートを切ったものの、途中でけが人が続出してシーズンは3位に終わる。それでもクライマックスシリーズ(以下、「CS」)で埼玉西武ライオンズ、さらに福岡ソフトバンクを破って日本シリーズに進出。日本シリーズでは中日ドラゴンズを激闘の末破り4度目の日本一。レギュラーシーズン3位のチームが日本一になる史上初の快挙を成し遂げた。

2011年2012年はそれぞれ6位、5位に終わり西村が監督退任。

伊東勤が監督を務めた2013年は3年ぶりにCS進出。2015年2016年もCS進出を果たすも、2017年は投手陣の乱調や深刻な貧打に悩まされて最下位となり、伊東は退任。

井口監督による常勝軍団化

2018年より前年限りで現役を引退した井口資仁が監督として指揮。「マクレ」というスローガンを掲げた1年目は5位に終わるも、福浦和也が2000本安打を達成、新外国人のマイク・ボルシンガーが13勝するなど明るい話題もあった。

2019年北海道日本ハムファイターズからブランドン・レアードが移籍し、シーズン途中より、キューバ人の新たな助っ人・レオニス・マーティンが加入。「マウエ」というスローガンを掲げて、本塁打数は前年より上昇し、対ソフトバンク戦の攻略に大成功、何度か楽天や日ハムを凌いで一時期Aクラス入りを果たすなど、終盤までCS争いがもつれたが、前年度は好調だったボルシンガーを含む先発陣の乱調や打者陣の不安定なコンディションなどが響いて、6月のセ・パ交流戦ではパ・リーグチーム最下位となり、対西武戦・対オリックス戦の攻略失敗なども相まって、最終的には4位で終わり、CS進出とはならなかった。

2020年は、美馬学をはじめとする楽天からの移籍者が台頭、シーズン途中は元広島の新助っ人ジェイ・ジャクソンの不祥事に伴う電撃退団や、種市・レアードなど主力選手のケガや不調に泣かされる一方、トレードなどで巨人より澤村拓一、元中日の助っ人チェン・ウェインなど強力な戦力を迎え続け、前年同様に対ソフトバンク戦での勝負強さを維持、昨年まで相性が悪かった対オリックス戦でも順調に勝ち星を重ね、シーズン当初や8月中には一時リーグ首位に躍り出るなど明るい話題も多かった。しかし、シーズン終盤近く、主力選手が相次いでCOVID-19感染が発覚し戦線離脱を強いられたことを機に徐々に失速。CS進出は出来たものの首位・ソフトバンクに14ゲーム差を付けられての2位であり、CSでは2敗を喫するストレート負けで逆転日本シリーズ出場とはならなかった。

2021年。2年目・佐々木朗希に対し100球前後・中10日以上の登板間隔を維持し育成。また佐々木千隼が中継ぎながら8勝を挙げ躍動。シーズン途中にはトレードにより横浜DeNAから国吉佑樹が移籍し好投、同様に中日から移籍した加藤匠馬田村龍弘に代わる2番手捕手として機能した。約半世紀ぶりのマジックナンバー点灯にも成功したが、オリックスとの首位争いにあと僅かの差で敗れ2位で終了。CSではファーストステージで楽天を打ち破るも、ファイナルステージでは前年2敗1分のストレート負けで再び逆転日本シリーズ出場を逃した。

シーズン勝率1位未達成

球団が最後に「シーズン勝率1位」となった1974年以降、約半世紀もの間「シーズン勝率1位」になったことがない。2005年のリーグ優勝は上記の通り、勝率2位でプレーオフを制した結果によるもの。

  • 1974年は前期・後期制を採用していたため、純粋なシーズンでの勝率1位は1970年まで遡る。
  • 2004年に消滅をした大阪近鉄バファローズを含む13球団の中では、唯一平成約30年間で1度も勝率1位が確定できなかった。
  • 唯一の完全制覇(完全1位の状態でリーグ優勝と日本一を同時に達成。)は1950年のみであり、全球団の中で最も遠ざかっている。

順位の推移

順位監督備考
1992年6位八木沢荘六
1993年5位八木沢荘六
1994年5位八木沢荘六
1995年2位ボビー・バレンタイン
1996年5位江尻亮
1997年6位近藤昭仁
1998年6位近藤昭仁
1999年4位山本功児
2000年5位山本功児
2001年5位山本功児
2002年4位山本功児
2003年4位山本功児
2004年4位ボビー・バレンタイン
2005年2位ボビー・バレンタインプレーオフによりリーグ優勝&日本一
2006年4位ボビー・バレンタイン
2007年2位ボビー・バレンタイン
2008年4位ボビー・バレンタイン
2009年5位ボビー・バレンタイン
2010年3位西村徳文日本シリーズ進出&日本一
2011年6位西村徳文
2012年5位西村徳文
2013年3位伊東勤
2014年4位伊東勤
2015年3位伊東勤
2016年3位伊東勤
2017年6位伊東勤
2018年5位井口資仁
2019年4位井口資仁
2020年2位井口資仁
2021年2位井口資仁

フィクション作品において

野球ゲームパワプロシリーズに登場する早川あおいは、プロ入り後にマリーンズに入団する事が多い。

またマリーンズが千葉に移転する前に、すすめ!!パイレーツという千葉県を本拠地とする架空のプロ野球球団を描いた作品があった。ロッテ球団のチーム名が公募された時にも「パイレーツ」を推す投票が多数あったとされる。

選手一覧

(2022年2月11日現在)

監督・コーチ

一軍

背番号名前役職備考
6井口資仁監督
86森脇浩司ヘッドコーチ兼内野守備コーチ
77木村龍治投手コーチ
82小野晋吾投手コーチ
96河野亮打撃コーチ
70福浦和也打撃コーチ
84清水将海バッテリーコーチ
72的場直樹戦略コーチ兼バッテリーコーチ補佐
80大塚明外野守備兼走塁コーチ
81伊志嶺翔大走塁兼外野守備補佐兼打撃コーチ補佐
97菊地大祐トレーニングコーチ

二軍

背番号名前役職備考
88鳥越裕介監督
89川越英隆チーフ投手コーチ
78大隣憲司投手コーチ
85大谷智久投手コーチ
75堀幸一チーフ打撃コーチ
74小坂誠打撃兼内野守備兼走塁コーチ
73金澤岳バッテリーコーチ
87根元俊一内野守備兼走塁コーチ
83諸積兼司外野守備兼走塁コーチ
98根本淳平トレーニングコーチ

所属選手

投手

背番号名前備考
11佐々木千隼
12石川歩
14小島和哉43から背番号変更
15美馬学
16種市篤暉
17佐々木朗希
18二木康太
19唐川侑己
20東條大樹
24東妻勇輔
27山本大貴
29西野勇士
30廣畑敦也2021年ドラフト3位
33八木彬2021年ドラフト5位
34土肥星也
35鈴木昭汰
37小野郁
41成田翔
43秋山正雲2021年ドラフト4位
45タイロン・ゲレーロ新外国人
46岩下大輝
47田中靖洋
48中村稔弥
49本前郁也
52益田直也選手会長
56中森俊介
58河村説人
60横山陸人
62森遼大朗育成から支配下登録
65古谷拓郎
69土居豪人
91エンニー・ロメロ
92国吉佑樹
120田中楓基育成選手・2021年育成ドラフト1位
121小沼健太育成選手
125永島田輝斗育成選手・2021年育成ドラフト3位
129佐藤奨真育成選手
138松永昴大育成選手

捕手

背番号名前備考
2松川虎生2021年ドラフト1位
22田村龍弘
32佐藤都志也
39吉田裕太
53江村直也
66加藤匠馬
95植田将太
99柿沼友哉
122谷川唯人育成選手
126村山亮介育成選手・2021年育成ドラフト4位

内野手

背番号名前備考
0池田来翔2021年ドラフト2位
4藤岡裕大
5安田尚憲
8中村奨吾キャプテン
13平沢大河
23三木亮
40福田光輝
44井上晴哉
54ブランドン・レアード
55アデイニー・エチェバリア再契約
57小川龍成
67茶谷健太
68西巻賢二
123速水将大育成選手・2021年育成ドラフト2位

外野手

背番号名前備考
0荻野貴司
1藤原恭大2から背番号変更
3角中勝也
7福田秀平
25岡大海
31菅野剛士
38髙部瑛斗
51山口航輝
59西川僚祐
63和田康士朗
79レオネス・マーティン
124山本大斗育成選手
130サンディ・サントス育成選手
131ホルヘ・ペラルタ育成選手

過去に所属した選手

外国人

スタン・パリス

アルト・ロペス

ジョージ・アルトマン

レオン・リー

レロン・リー

ビル・マドロック

マイク・ディアズ

エリック・ヒルマン

フリオ・フランコ

ブライアン・ウォーレン

デリック・メイ

ネイサン・ミンチー

フランク・ボーリック

ホセ・フェルナンデス

リック・ショート

李承燁

マット・フランコ

ベニー・アグバヤニ

ダン・セラフィニ

ホセ・オーティズ

フリオ・ズレータ

ブライアン・シコースキー

金泰均

ジョシュ・ホワイトセル

セス・グライシンガー

クレイグ・ブラゼル

カルロス・ロサ

ルイス・クルーズ

ヤマイコ・ナバーロ

アルフレド・デスパイネ

ジェイソン・スタンリッジ

ウィリー・モー・ペーニャ

ロエル・サントス

マイク・ボルシンガー

ジェイ・ジャクソン

チェン・グァンユウ

チェン・ウェイン

フランク・ハーマン

アデイニー・エチェバリア

準永久欠番

26・マリーンズファン

  • 準永久欠番に制定される前から、ファンの間では「ベンチ入り25名に次ぐ26番目の戦士」という理由で背番号26を扱っており、2004年オフ、当時背番号26をつけていた酒井泰志投手の引退により、ファンの期待に応える形で準永久欠番に制定された。また、ロサンゼルス・エンゼルスも同様の理由で初代オーナーの永久欠番として背番号26を制定している。

球団歌

現在の球団歌は千葉移転時に制定された『WE LOVE MARINES』である。

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