概要
テアトル・エコー⇒青二プロダクション所属(一時期ぷろだくしょんバオバブにマネージメントを移していた時期(1979年~1980年代)あり)⇒冴羽商事(個人事務所)代表。
1970年代から活動する、日本を代表するベテラン・レジェンド男性声優の一人。
明るくエネルギッシュで凛々しい、独特の美声の持ち主である。
バビル2世、流竜馬、ひびき洸といった熱血漢や、里中智など線の細い美形役で名高い。
一方で、真逆の落ち着きのある低音への切り替えも自在で、冴羽獠、ケンシロウ、毛利小五郎(初代)といったシリアスなキャラクターを演じることも。
更には独特の濁声でコメディーリリーフを務めることも多く、有名どころではキン肉スグル、面堂終太郎、鳥坂先輩、ニャロメなどがあげられる。
70~80年代のロボットアニメでは圧倒的な出演率を誇り、「ロボットアニメの主役にはとりあえず神谷明」という風潮すらあった。
スーパーロボット大戦シリーズをプレイするとその片鱗を見ることができ、特に『第3次スーパーロボット大戦α』では、何と5人もの主人公を演じている。
元々舞台・TV役者であったことから、CMでも教官役で顔出し出演もしていたこともある。(「ラジャーだぁ!!!」)
更にアニメ化された週間少年ジャンプの人気作の主役を三作品で演じている。
要するにリアルチート級の万能声優であり、美声とともに演技力・歌唱力の高さを評価されている。
こうした広い演技の幅から、とくに作中で性格が二転三転する主人公格を担当することが多かった。本人曰く、今まで演じたキャラクターで一番のお気に入りは冴羽獠で、理由は「ケンシロウのような二枚目の演技も、キン肉スグルのような三枚目の演技も冴羽獠は全て受け入れてくれるから」とのこと。自身の社名に名前を使用するあたりその愛着が覗える。
(原作者の北条司は、神谷が事務所の名前に「冴羽」名義の使用の許可をとりに来た際は冗談だとおもってOKを出し、実際に「冴羽商事」が立ち上げられた際は驚愕したとのこと。ただし神谷が事務所を立ち上げる際北条に所名をどうするか相談し、「冴羽商事」と共に候補として挙げられたのが「もっこりカンパニー」で、「流石に“もっこりカンパニー”と名乗るのは問題があり過ぎるので」と「冴羽商事」を選んだとする話もある)
『スーパー戦隊シリーズ』枠などで放送されている東京ドームシティアトラクションズ(旧後楽園ゆうえんち)のヒーローショーのCMのナレーションも有名である。また『オレたちひょうきん族』をはじめ、多くのTV番組で顔出し出演もしている。
趣味は立ち食い蕎麦。山手線の全ての駅の駅そばを制覇したという伝説を持つ。
現在は後進の育成にも熱を注ぎ、近年では日本工学院専門学校(蒲田校・八王子校)で講師を務めており、教え子には新谷良子、清水愛などがいる。
しかし第一線を退いたつもりはまったくなく、レジェンド声優と呼ばれるようになった後も「自分ではそうは思わない、生涯現役。生涯勉強」と向上心を忘れず仕事に向かっている。
特に『新宿PRIVATEEYES』の主役冴羽獠役として再登板した時は、大ヒットも相まって久方ぶりに『神谷明』の名前が改めて世に知らしめられた。
人気
1970年代~1980年代にかけての人気は特に圧倒的なものであった。
当時のアニメ雑誌の声優ランキングを見ると、軒並み1位を獲得しているのがわかる。
「アニメグランプリ」でも11回にわたり1位を獲得した唯一の男性声優となっている。
(これは林原めぐみとタイ記録であり、いかに人気があったかが伺える)
その後保志総一朗が3連覇したのが次点となっており、この記録は2017年現在に至るまで破られていない。
TVのバラエティ番組などの「声優ランキング」的な企画では、現在も必ず名前が出ることでも、一般人気の幅広さ、知名度の高さがうかがえる。
交友関係、共演者など
共演の多い声優に田中秀幸、千葉繁、古川登志夫、玄田哲章、島津冴子等が挙げられる。
特に田中秀幸とは『ドカベン』『キン肉マン』『北斗の拳』『シティーハンター』等で友人かそれに近しい間柄で共演していた。
- 古川登志夫とは同年齢だが芸歴としては神谷の方が長く、古川は「先輩」としている。ただし古川は児童劇団から役者の世界に居たため総合的には古川の方が長いという。『うる星やつら』『北斗の拳』でそれぞれライバル関係を演じており、『ドラゴンボールZ』の劇場映画の悪役・ガーリックJr.のキャスティングについては監督が『うる星やつら』のファンで「古川さん(ピッコロ役)のライバルなら、神谷さんだ」という理由で抜擢されたという経緯がある。また本人も、かつてはオーディションにおいてよく希望のキャラクターが神谷とカブってしまい、オーディションで神谷に敗れることが多い古川は「オーディションで(神谷に)勝つことが目標」とのこと。
- 古谷徹も同じく、神谷が全盛期にヒーロー役で数多く活躍していた際に、ライバル意識を持っていたと自伝で語っている。役柄が被るためか、二人の共演作品は意外にも少ない。
- 玄田哲章のことは玄田の愛称である「玄やん」とプライベートでは呼んでおり、全盛期から変わらずパワフルな演技をする玄田を見て、自身も影響され奮い立たされているという。
- 佐藤正治とは高校時代の演劇部における仲間であり、昔馴染みの間柄。佐藤のことを声優業界に誘ったのも神谷である。
- テアトル・エコー時代には山田康雄や熊倉一雄、納谷悟朗など、名優達とともに活動し、教え子だったと語る。彼等の指導やダメ出しは厳しかったが、芝居を間近で見ることが出来たおかげで、役者としてたくさんのことを学んだと話している。特にこの三名の芝居は、後の冴羽獠や毛利小五郎の役作りや演技に繋がっているとは本人談。
- 塩沢兼人とは共演も多く、気が合い仲も良かったため芝居の話でしばしば盛り上がっていた。それだけに急逝した時のショックは大きかったという。今でも塩沢との思い出について話すことは多く、「良い友人(後輩)でした」としばしば語っている。そして「(今だからこそ)二人で語り合いたいことがたくさんある」とのこと。
- 同じ名字を持つ神谷浩史とは、親子関係はおろか親類ですらない。しかし自身は「僕のお父さん」と冗談めかして語っており、実際同じ青二所属だった時は指導を受けたこともあったという。ただし神谷浩史のブレイク時は神谷明の出演数が減少傾向にあったためか、共演作はほとんどない。
指導者として
かねてから後進の育成には熱心である。また、自身がテアトル・エコー時代に諸先輩の凄まじい芝居を見てきたことから、芝居は現場で学んでいくものだという考えを持ち、多くの先人と同じく舞台出演を推奨している。
現在のアニメ業界の状況を憂いており「かつては大御所から新人まで揃えた、ピラミット型のキャスティングだったが、現在は背の低い台形になってしまっている(金銭的な問題もあって大御所が呼ばれない)。だからせっかくの勉強の場が失われている」と語る。
一方で「自分や一つ下の時代くらいまでは、大先輩の芝居を間近で見ることができたから、非常に恵まれていた」ともしており、自身よりも採用されやすい後輩で、黄金期を生きた時代の芝居を継承してほしいと願っている。
余談・エピソード
この項目では細かなエピソードを箇条書きする。
- 大御所の中にあって、声優という呼ばれ方を嫌う諸先輩に対して、真っ向から反対意見を唱えた第一人者的な存在である。「呼び方を気にしたところで、飯を食わせてくれたのは声優の仕事であり、プライドだけの問題にしかなっていない。そんなプライドは不要である(要約)」と豪語している。ただし、芝居を学ぶうえではどちらかと言うと舞台を踏むのは良い経験になると薦めているため、自身に芸を学ばせてくれた先輩を軽視しているわけではない。
- 『笑っていいとも』の1コーナー「テレフォンショッキング」で出演した平野文に「神谷さんは本当に良い声ですよね~顔はどうしようもないですけど」と紹介されタモリの笑いを誘っていた。後に声優を主としたドラマ出演した際も、「声優は顔が良くないとなれないんですか?」という生徒に、自身の顔立ちをネタにしつつ「関係ない」としている。ただしこれはドラマ上の台詞のため、脚本なのか自身の考え方なのかは不明。
- 同じく『笑っていいとも』の1コーナーとして存在していた「あなたの(知ってるようで)知らない世界」で、声優陣の一人として参加した際の質問「一番辛かった役は誰?」でキン肉マンを挙げた。その理由は「(演じる度に)喉がつぶれるかと思った!」という。
- 本人曰く「ただの二枚目役はお話が余程面白くないと演じていてつまらない」としている。どちらかと言えば二枚目であっても面堂終太郎のように俗っぽさや三枚目の要素を持っている方が演じていて楽しさがあると語る。
- ケンシロウの声は当時の同業者から驚きを持って迎えられた。何故なら台本にある「あたたたた」は、オーデションの参加者は全員「もっと低い声」想定していた。しかし、神谷はブルース・リーを彷彿とさせるような怪鳥音から始まる高音で勝負してきたので、周囲は度肝を抜かれたという。古川登志夫もオーデションでケンシロウ役を競っていたが、真っ先にこれを聞いて「これは(オーデションで)負けた」と確信したという。千葉繁も神谷がこの選択をしたことはまったく想像の範疇外だったと語っている。しかし神谷明は「実を言うと人は裏声よりも低い声を出す方が(人間は)キツイ」と語ったことがある。
- 『名探偵コナン』の毛利小五郎役を「契約上の問題と」「制作側との信頼関係を失った」ことを理由に降板。ただし関係者と義絶したわけではなく、食事会に参加したりコナンという作品そのものを応援したりしていたという。後任の小山力也とも食事の席を設けて正式に役を継承したとのこと。本人も応援団として支え続けると語っており、ツイッターでもコナンのことを時折話題にし、小五郎を演じていたこともタブーにはしていない。その末、紺青の拳では北斗の拳のコラボ企画として、ケンシロウの声で映画を応援するCMに参加。作品的には10年以上を経ての久しぶりのカムバックとなった。
- テアトル・エコー時代の先輩は皆、声優という呼ばれ方を嫌っていた。これは役者としてのプライドの問題が大きいとされている。神谷明もかつては同じ考えを持っていたが、「自分は声優ではなく俳優と言っても飯を食わせてくれたのは声の仕事じゃないか」として今では声優という肩書に誇りを持つようになったという。一方で指導者としては声優という狭い視野ではなく、演者として幅広い視野を持った演技ができるようにと、かつて自身が受けたアドバイスなどを話している姿も伺える。
- ゲッターロボシリーズをスーパーロボット大戦で演じることになった際は、当時現場をともにしたキートン山田と八奈見乗児と顔を合わせたそうで、「こんなに時間が経ってからかつての役を演じられるなんて幸せだね」と語り合ったことがあったという。
- 現在でも尾を引いているが、00年代頭は各々の理由で神谷明が演じていたキャラクターが尽く変更されるという事態に見舞われた。これが一時期「神谷は第一線から退いた」と言われる原因にもなっているが、実際はギャランティの問題とのこと。しかし10年代後期にはかつて神谷が演じていた役の再演が果たされている(それでも代役となるパターンは多いが)。
主な出演作
アニメ
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イラスト未確認
- チクタクボン@夢の星のボタンノーズ
特撮
ゲーム
イラスト未確認
吹き替え
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担当俳優
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ドラマCD
脚注
- *2 左の人物。
- *3 左の人物。
- *4 左の人物。
- *5 左のキャラクター。
- *6 左の人物。