概要
太平洋戦争において活躍した旧大日本帝国海軍の水雷戦隊。通称、二水戦。
旧日本海軍においては、太平洋戦争開戦当時、6つの水雷戦隊が存在しており、その中で第一水雷戦隊と並び常設隊として編制されていた水雷戦隊の一つである。
第一水雷戦隊は、その上位に位置する第一艦隊の主目的である艦隊決戦のため温存されていた戦艦部隊の護衛であったのに対し、第二水雷戦隊の所属は前線での攻撃任務を主とする第二艦隊である為、阿賀野型、島風のような最新鋭の軽巡・駆逐艦が次々と投入され、練度も非常に高いエリート部隊であった。二つ名は「華の二水戦」。その強さは大日本帝国海軍内どころか、当時間違いなく“世界最強”と目された武闘派集団だったという。
第一水雷戦隊の名誉のために補足すると、こちらも艦隊決戦要員とされていただけあって、他水雷戦隊に比べればかなりの装備・練度を有していた。一航戦と五航戦の関係にも似ているかもしれない。
一水戦は第一艦隊の護衛隊、二水戦は第二艦隊所属の突撃隊であり、比較する場合は二つの戦隊の役割に差異があったことにも留意すべきだろう。
エリート部隊の名に恥じず、主にソロモン海域において幾度も活躍している。
太平洋戦争開戦時の旗艦は軽巡洋艦・神通で、本艦が最も長く二水戦の旗艦を務め上げている。
その訓練も、常軌を逸した厳しさと苛烈さでも知られ、特に最盛期は他の水雷戦隊と同じ様に月月火水木金金を地で行く地獄の特訓を繰り返していたという。
艦隊の“切り込み部隊”として常に前線で激戦を繰り広げ、その勇名を太平洋上に轟かせた。
また、ガダルカナル島への強行突入作戦を20回にわたって成功させ、多くの将兵を救出するなど、直接的な戦闘以外でも戦果を挙げている。
『艦隊これくしょん』における第二水雷戦隊
『艦これ』において「第二水雷戦隊」との繋がりが深い艦娘は主に以下の4隻。
神通
「私達二水戦も全艦待機しています。……提督、ご命令を」
旗艦在任(以下同じ):1931年~1933年・1934年~1938年・1939年~1943年。
『艦これ』界隈において二水戦旗艦といえば彼女のイメージが強い。
最も史実の本艦は大戦が始まった頃には旧型艦と言って差し支えなく、加えて旧帝国海軍の戦法が時代遅れ又は現実に則していない事を皮肉にも実戦で証明し続けた。
輸送作戦に従事し続けたそんな彼女が目覚ましい活躍をしたのは、最期の戦いとなるコロンバンガラ島沖海戦である。
「溶鉱炉のように燃え続けた」と観察される程に被弾して尚も反撃を続け勝利に繋げたその姿は、後世のアメリカの研究家に「太平洋戦争で最も果敢に戦った日本艦艇」と称賛された。
神通改二となると現状の軽巡洋艦で最強クラスのステータスを誇り、また台詞も決意を秘めたものが増える。
また、神通改二が実装されたアップデートと同日に実装された海域「5-4 東京急行」は、ドラム缶を用いた鼠輸送を意識したステージ。
5-4と後に実装された5-5の曲は「二水戦の航跡(道中)」と「次発装填、再突入!(ボス)」というタイトルであり、間違いなく神通の事を意識したもの(大越香里氏の該当ツイート)。
先述の通り太平洋戦争開戦当時の旗艦であり、那珂と交代しながら9年の長きにわたって二水戦旗艦を務めている為、彼女が旗艦を務めた間に何度も麾下の駆逐隊の編成が変わっている。
『艦これ』の実装艦を纏めると、
- 開戦前
- 開戦時・大戦中
駆逐隊 | 所属艦(太字は改二) | 備考 |
---|---|---|
第八駆逐隊 | 朝潮、満潮、大潮、荒潮 | |
第十五駆逐隊 | 黒潮、親潮 | 42年8月陽炎編入 |
第十六駆逐隊 | 初風、雪風、天津風、時津風 | |
第十八駆逐隊 | 霰、霞、陽炎、不知火 | 42年8月解散→一水戦で再建 |
第二十四駆逐隊 | 海風、江風、涼風 | 42年8月~44年2月解隊 |
第三十一駆逐隊 | 長波、高波 | 42年8月~ |
が隷下の駆逐艦(それを纏めた駆逐隊)として所属していた。
彼女の最後の戦いとなったコロンバンガラ島沖海戦には雪風・浜風・三日月が参戦した(軍隊区分で雪風・浜風らは神通指揮下)。ほか、皐月・水無月・松風が輸送部隊に従事している。
第二水雷戦隊に触れる駆逐艦はは他の水雷戦隊所属艦娘に比べて多い。天津風は「二水戦所属は伊達じゃないわ!」と語る(他に触れるのは長波、高波、時津風、雪風(15秋イベ限定)、海風)。
ノベライズ作品『陽炎、抜錨します!』では、第十八駆逐隊の陽炎と不知火が神通の元で厳しく鍛え上げられた事が語られているが、これは恐らく二水戦時代の事を意識していると見て間違いないだろう。
また、公式監修漫画『いつか静かな海で』においては、第十六駆逐隊と第十八駆逐隊、コロンバンガラ島沖海戦参戦艦に対して訓練を施しており、彼女の二水戦が開戦直前のものを想定している可能性が高いと思われる。
公式4コマでは、初風が神通の訓練を回想するくだりがあり、曰く「訓練のときは鬼」。
いずれも開戦期の隷下であった陽炎型である。
神通=二水戦のイメージは根強いが、ゲーム中では長らく図鑑コメントで「第二水雷戦隊の旗艦を務めました」と語っているだけであった。
実際、「第二水雷戦隊」の事を出撃前に語る軽巡は後述する2隻である。
(尤も、初期の頃から実装されている他の水雷戦隊旗艦も四水戦のセンターと追加ボイス実装組以外は自分の所属を語ったりはしていないのでむしろ図鑑で所属を語った神通が珍しい方である)
しかし、2015年秋イベントでは、史実で神通率いる二水戦が関わっている背景から、遂に神通が二水戦を率いて待機している限定ボイスが追加された。
更に、隷下駆逐隊を厳しく訓練する時報ボイスも追加実装された。
能代
「第二水雷戦隊旗艦、能代。抜錨します」
1943年~1944年。
神通から(正確には長良からだが)二水戦を受け継いだのは、最新鋭軽巡・阿賀野型の二番艦、能代であった。
ゲーム中でも出撃前に上記の台詞を言う。
この頃になると戦況もかなり悪化していたのだが、同胞を撤退させる為に縦横無尽の活躍を残している。
当時の編成の中で『艦これ』に実装されている艦は、
駆逐隊 | 所属艦 | 備考 |
---|---|---|
第二十七駆逐隊 | 有明、白露、時雨+春雨、五月雨 | 44年8月解散 |
第三十一駆逐隊 | 長波、朝霜、岸波、沖波 | |
第三十二駆逐隊 | 藤波、早波、浜波 | 43年10月~ |
第二駆逐隊(再編) | 早霜、秋霜 清霜 | 44年8月~ |
附属 | 島風 |
この時期になると夜戦は全体でもスリガオ海峡海戦くらいと、水雷戦の機会には恵まれなかったが、その分護衛任務に従事することも多く、一時的に二水戦旗艦を離れ初霜や卯月といった他の戦隊の艦を指揮下に置くこともあった。
特に水雷戦隊の申し子と呼んでも過言ではない島風だが、彼女の初陣であるキスカ島撤退作戦は、神通が沈んだコロンバンガラ沖海戦の直後。
つまり島風が第二水雷戦隊に所属していたのは能代が旗艦を務めていた時のみである。
この事もあって公式4コマ『吹雪、がんばります!』第38話の阿賀野型メインの回においては、島風が能代に懐いているような描写もあった。
なお、能代が戦没した際、性能が突出したワンオフ艦で駆逐隊を組めなかった事もあり、ほんの僅かな期間ではあるが、島風が二水戦旗艦を引き継いでいる。
艦隊これくしょんにおいては、沖波が自分の上司は能代であることをにおわせる発言をしており、藤波は二水戦所属である旨を明示している。
2018年冬イベント捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)で、能代旗艦の第二水雷戦隊が当時の二水戦の部下たち(長波・島風・「沖波・藤波または早霜・清霜」と彼女ら戦没後に編入した初霜)を従え、友軍艦隊支援に加わった(能代の専用ボイスも存在する)。また、同期間限定ボイスでは32駆を点呼するものも追加されていた。
霞
「第二水雷戦隊臨時旗艦、霞!抜錨よ!ついてらっしゃい!」
1944年。
第十八駆逐隊が壊滅するまではこの戦隊に所属していたが、壊滅、ドック入りの後は第五艦隊傘下第一水雷戦隊に所属。 阿武隈より旗艦を継承。 解隊されるまでの旗艦を務め、第二次、四次の多号作戦を成功させる。
一水戦は解隊されるものの、その艦艇と司令部はそのまま二水戦へと再編される(一水戦参謀の星野清三郎少佐曰く「司令部そのままに看板替えになったのである」、看板こそ変われど、礼号作戦、北号作戦も実質の一水戦ではある)。
1944年12月26日、礼号作戦において木村昌福少将が座乗し、第二水雷戦隊旗艦を務める。
この戦いでは軽巡大淀や重巡足柄も参加していたが、木村少将は小回りが利き命令を出しやすい駆逐艦の霞に座乗。
この礼号作戦が日本海軍の組織的戦闘における最後の勝利であるとも言われる。
そして北号作戦にも第二水雷戦隊旗艦として参加、こちらは最後の作戦成功とされる。
しかし、大局には何の影響も及ぼせず、霞自身は約5か月後の坊ノ岬沖海戦で大破して航行不能となり、駆逐艦冬月の最初で最後の雷撃による撃沈処分となってしまう。
なお、その冬月の艦長を務めていたのは、皮肉なことに霞の前艦長であった。
ゲーム中では、霞改二が礼号作戦時を意識してか上記の通り二水戦臨時旗艦を名乗る。
矢矧
「第二水雷戦隊、預かります。矢矧、抜錨する!」
1944年~1945年。
天一号作戦(坊ノ岬沖海戦)に臨む実質的な最後の旗艦を務めたのは能代の妹、矢矧である。
ゲーム中では上記の通り「第二水雷戦隊、預かります」と前置いて出撃している為、神通か能代のどちらかから預かっていると思われる(史実に則せば霞から引き継いでいる)。
ただ他に正式な旗艦がいない場合でも「預かる」という表現は用いられるため、彼女が正式な二水戦旗艦という解釈も問題なく通用する。
当時の編成の中で『艦これ』に実装されている艦は以下の通り。
駆逐隊 | 編入元 | 所属艦(太字改二、斜字乙改/丁改) | 備考 |
---|---|---|---|
第七駆逐隊 | 一水戦 | 潮、響 | 霞は44年11月~45年3月在籍 |
第二十一駆逐隊 | 一水戦 | 初霜、時雨、霞、朝霜 | 時雨44年11月、朝霜45年2月、霞同3月編入 |
第十七駆逐隊 | 第十戦隊 | 浦風、雪風、浜風、磯風 | |
第四一駆逐隊 | 第十戦隊 | 涼月 |
元は阿賀野没後の第十戦隊の旗艦であり、上記のうち陽炎型の第十七駆逐隊の面々や涼月らは元よりの部下である。特に涼月は「最後の二水戦に所属した」と図鑑上で言及している。(節分で矢矧に豆を投擲している。)
エリート部隊から残存部隊の寄せ集めとなり、その全てが天一号作戦に参加したわけではないのだが、この天一号作戦が二水戦としては最後の作戦となっている。
元からの二水戦は後述の通り朝霜のみであり二水戦とも名ばかり、担った任務も大和ただ一隻が出撃する第一航空戦隊の護衛任務、つまりは主力部隊の護衛という一水戦や第十戦隊の元の役割であった。それなのに二水戦の看板を掲げたというのは、最後の二水戦の母体となった一水戦が所属していた第一艦隊がすでに解散済みという建制上の理由で第二艦隊所属の水雷戦隊としての二水戦の名が残っただけのことである。
それもあってか、矢矧単体としては「二水戦の旗艦」というより「大和の随伴艦」というイメージが強い(→やまはぎ)。
だが、矢矧自身は元よりの部下の雪風の事にも触れており、2015年夏に実装された風雲は第十戦隊の旗艦として矢矧の名を挙げている。
また、2017年の瑞雲祭りのステージでは川内型役の佐倉綾音氏不在の中、山田悠希氏が矢矧としてタニベユミ氏(由良。神通戦没後の二水戦の母体である四水戦の旗艦を務めた。)、野水伊織氏(阿武隈。矢矧が引き継いだ二水戦の母体である一水戦旗艦。)と共に本来神通のキャラソンである「華の二水戦」を歌っている。
※130thKURE2019イベントでは、野水伊織氏は鬼怒として「華の二水戦」を歌った。(「鬼怒」も二水戦旗艦経験を持ち、鬼怒の艦籍も呉鎮守府のためと思われる。)
矢矧戦没後の1945年4月20日、初霜の艦上にて行われた解隊式をもって第二水雷戦隊は解隊され、その歴史に幕を閉じた。
2019年春イベでは、友軍艦隊として、
矢矧旗艦…17駆「浜風・磯風」21駆「霞・朝霜・初霜」/17駆「浜風・磯風・雪風」41駆「涼月」/21駆「(前掲)」
初霜旗艦…7駆「潮・響」/7駆+17駆「雪風」
の編成が存在した。
また、北上旗艦、酒匂旗艦の艦隊に7駆/17駆等の組み合わせで残存二水戦所属艦の友軍艦隊も登場している。
他の旗艦となった艦
ちなみに、『艦これ』に実装済の艦の中で第二水雷戦隊の旗艦を務めたことがあるのは・・・
天龍
1919年~1922年。
日本初の水雷戦隊旗艦用として建造された天龍だが、その水雷戦隊こそ二水戦である。
当時の編成の中で『艦これ』に実装されている艦は存在しない。
当時の部下にも夕凪という駆逐艦がいるが、これは先代の方であり、三川艦隊として共に戦った神風型最終番艦ではない。
北上
1922年~1924年。
改装後の重雷装巡洋艦としての顔がよく知られているスーパー北上さまだが、実は軽巡洋艦時代に二水戦旗艦も務めたことがある。
ゲーム開始当時、『艦これ』に実装されている麾下駆逐隊所属艦は存在しなかったが、16年春以降に神風や春風、朝風、松風、旗風が実装された。
なお、当時の編成の中で4隻の駆逐艦が北上同様沈むことなく終戦を迎えているが、うち2隻(波風、汐風)は北上同様回天の母艦に改造されている。
残りの2隻は峯風型で唯一最後まで駆逐艦として存在した夕風と、羽黒と足柄の最期を看取った神風である。
当初実装されている部下がいなかったためか、北上は駆逐艦を「ウザい」と一蹴している。
五十鈴
1924年~1926年。
大正時代から戦い抜いた歴戦の軽巡洋艦だけあって、彼女も二水戦旗艦を任されたことがある。
また、正規旗艦としての任を解かれた後、修理の為に入渠した神通の代わりに一時的に復帰した事もある。
その時期の所属艦は長波・巻波・高波の第三一駆逐隊、海風・江風・涼風の第二四駆逐隊、陽炎・黒潮・親潮の第十五駆逐隊である。
ちなみに五十鈴の戦没日は奇しくも坊ノ岬沖海戦で沈んだ矢矧と同じ、1945年4月7日である。
夕張
1926年~1927年。
実験兵装軽巡としての顔が強い夕張だが、二水戦旗艦も務めたことがある。
当時の編成で艦これ実装済みの艦は、次項名取の頃まで第二二駆逐隊がいる。
ちなみに太平洋開戦当時は第六水雷戦隊の旗艦となっている。
第六水雷戦隊では第三十駆逐隊(睦月、如月、弥生、卯月、望月)などを率いる旗艦であり、公式4コマの弥生・卯月の登場回でも触れられていた。
名取
1927年~1928年。
『艦これ』ではイマイチ目立たない感がある彼女だが、立派な水雷戦隊旗艦である。
太平洋戦争開戦当時は、第五水雷戦隊の旗艦となっている(それも比較的短期で解隊されているが)。五水戦では22駆(皐月、文月、長月、水無月)及び5駆(春風、朝風、松風、旗風)を率いていた。
鬼怒
1928年~1931年。
あまり知られていない経歴ではあるが、彼女も二水戦旗艦経験者である。マジパナイ。
当時の編成の中で『艦これ』に実装されている艦は、第11駆逐隊(吹雪、白雪、初雪、深雪)、第12駆逐隊(叢雲)、第23駆逐隊(菊月、三日月、望月)、第19駆逐隊(磯波、浦波、綾波、敷波)。
戦時中は第一六戦隊、つまりは球磨や(第六戦隊解隊後の)青葉、(第九戦隊解散後の)北上、大井と共に行動しており、後に19駆も組み込まれた。
1944年10月、かつての部下であった浦波と共にオルモック輸送作戦(第一次多号作戦)に斃れた。
那珂
1933年~1934年・1938年~1939年。
基本的には船団護衛や援護を任務とする第四水雷戦隊のセンター、もとい旗艦であった那珂ちゃんだが、二度ほど神通に代わって二水戦旗艦を務めたことがある。
当時率いていたのは響らの第六駆逐隊、狭霧らの第十駆逐隊、吹雪らの第十一駆逐隊(那珂が2回旗艦を務めたその両方で所属。深雪の事故喪失は初回の出来事。)、叢雲らの第十二駆逐隊。
2回めに那珂が旗艦を務めた時の部下は11駆と天霧ら、朝潮の先代にあたる8駆が所属した。
神通
時系列的にはここ。以下が太平洋戦争時の旗艦である。
第二次ソロモン海戦で損傷してから五十鈴に司令部を移している。
長波
鼠輸送(東京急行)の中で行われたルンガ沖夜戦時の旗艦。この時、輸送任務の為に魚雷を半数しか搭載していなかった駆逐艦6隻と僚艦の高波の駆逐艦8隻で、レーダーを装備して待ち伏せていたアメリカ重巡艦隊と交戦、圧倒的に不利な状況を覆して完全に撃破する鮮やかな勝利を挙げた。
長波は旗艦を務めた以外にも、最新鋭の駆逐艦(少なくとも水雷戦に関しては)だけあって、開戦以来最も二水戦に長く在籍しており、「二水戦の駆逐艦と言えば長波」と言えるかもしれない。
なお、彼女が二水戦に言及する時は……
照月
ソロモン海戦後の輸送任務において、第十戦隊から引きぬかれて旗艦を務めた。
照月沈没後、輸送任務に失敗し、新鋭駆逐艦を沈めたとして田中少将は更迭されてしまった。
長良
神通が二水戦司令部ごと戦没した為、四水戦からの司令部ごとの編入で一ヶ月ほど旗艦を務める。
阿賀野就役前の第十戦隊旗艦であり、『艦これ』での難関任務である海上突入部隊の元ネタ、第三次ソロモン海戦第一夜戦においては第六駆逐隊を率いて戦っている。
能代
時系列的にはここ。
島風
1944年レイテ沖海戦後、能代がシブヤン海に沈んでからオルモック輸送作戦で機銃の蜂の巣にされるまで第二水雷戦隊の旗艦を務めていた。
第二水雷戦隊のコンセプトそのものとして建造された彼女だったが、第二水雷戦隊の時は能代以外の軽巡の元に就いたことはなかった。
なお、二水戦に来る前は龍田率いる第11水雷戦隊のメンバーで暁を失った第六駆逐隊とも組んでいた事もある。また、キスカ島撤退作戦においては電探と逆探を積んでいた事から阿武隈率いる第一水雷戦隊に招集され所属を変えずに参加、その奇跡の作戦の立役者にもなった(若葉・初霜・長波多重衝突事故のため、警戒隊指揮官の21駆司令を乗せたことにより、一時的に21駆司令駆逐艦となる)。
上記の長波と同じく第三次の多号作戦にて戦没、当時の早川幹夫司令官もこの時亡くなっている。
事実上の二水戦の最期である。
矢矧
矢矧の二水戦旗艦就任は、時系列的にはここ。
しかし、司令部は一水戦司令部から二水戦司令部に看板替えした格好であり、その当時内地にあった矢矧は戦隊に参加できず、この間は現地に居た下記の大淀・霞が臨時旗艦を務めていた。
その為、二水戦最後の成果となった礼号作戦にも北号作戦にも矢矧は参加しておらず、二水戦司令部が矢矧に乗艦したのは北号作戦成功後・天一号作戦前であった。
霞
時系列的にはここ。木村昌福司令官が大淀に臨時旗艦が落ち着けるまでは潮や朝霜、清霜も一時将旗を掲げたことがある。
古村啓蔵司令官になり北号作戦で帰国するまでは再び霞が臨時旗艦となっている。
大淀
島風の没後、阿武隈から継承された霞座上の一水戦司令部がそのまま二水戦の看板を掲げることとなるが、通信施設などの格の違いもあり、礼号作戦や北号作戦の前などの非戦闘時には司令部をこちらに置いたりしている(二水戦臨時旗艦となる前は第三十一戦隊に組み込まれたこともある)。
礼号作戦においても通信などの要を担っていた。北号作戦においては四航戦指揮下となっている。
初霜
元は阿武隈や霞が率いた一水戦所属(ちなみに在籍最長)の護衛を得意とする駆逐艦であったが、残り少ない戦力をかき集める形で霞、潮と共に二水戦に組み込まれる。実装艦中最後の二水戦編入艦でもある(雪風を除く17駆同様、それまで二水戦編入歴が全くない)。
礼号作戦には参加予定であったが、妙高の護衛の為不参加。
その後の北号作戦には霞指揮下で朝霜と共に参加、無事本土に帰投している。
坊ノ岬沖海戦では、矢矧旗艦のもと霞や雪風などと共に出撃。
航行不能となった矢矧に代わり大和に接近し、大和の通信を代行しつつ、この戦いを唯一死者なしで生き抜き、先述の通り沈没した矢矧に座乗していた古村啓蔵司令官を救助、二水戦の将旗を収容し臨時旗艦となる。
佐世保へ帰投後の1945年4月20日13時、初霜の艦上で二水戦は解隊された。
『艦これ』においては、追加された時報で矢矧指揮下でいつでも出撃可能であることを述べている(=涼月同様、矢矧二水戦の一員であることを示している)他、改二のグラフィックでは頭に巻いた青色のハチマキに白いラインが2本入っており、恐らく二水戦所属艦を表す煙突表記に基いているものと思われる。
その他
能代、霞などの部下として奮戦した駆逐艦。
第十戦隊と第一水雷戦隊の統合により、建て直された矢矧の二水戦の中で元からの二水戦の艦は彼女と岸波、清霜、そして時雨だけであった(その後岸波・清霜・時雨は戦没)。
つまりは能代、矢矧の両者と作戦行動に出た唯一の二水戦の艦である。
矢矧の言う「第二水雷戦隊、預かります」の言葉が、二水戦の看板以外にも含みがあるとすれば、それは朝霜のことだろう。
その花の最期のひとひらも、1945年4月7日、坊ノ岬沖で散ることとなった。
関連イラスト
太平洋戦争開戦時の水雷戦隊旗艦達。川内と阿武隈を除く過半数が本戦隊旗艦経験者である。
関連タグ
栗田艦隊…捷一号作戦時の二水戦所属隊(2駆「清霜」を除く)