概要
コーエーテクモ発売のゲーム『戦国無双』シリーズの派生タイトル『100万人の戦国無双』で新たに登場した武将(固有グラフィックを持つキャラクター)の一覧。
元々は「100万人の戦国無双」記事でまとめていたが、容量がかさばってしまったためこちらにまとめて記載する。
なお、本作での各武将のデザインはあくまでコーエーテクモから著作を借りたGREEでの展開であり、本作以降に発売された『戦国無双』本編シリーズの登場武将とは必ずしも一致しない。
…ただし、後続となった本編のシリーズにおいて新たに追加されたPCの中には、本作と奇跡的に近いイメージになっている者も存在する。一部では「同じ人物をモチーフにしているのだから当然」という意見もあったが、プロデューサーの鯉沼久史氏は、一般ファンからの質問に「少なからずとも参考にしている部分はある」と回答している。
以下、後のタイトルで無双武将化した人物
- 藤堂高虎 ⇒ 戦国無双chronicle 2ndでプレイアブル化
- 真田信之 ⇒ 戦国無双4でプレイアブル化
- 大谷吉継 ⇒ 戦国無双4でプレイアブル化
- 松永久秀 ⇒ 戦国無双4でプレイアブル化
- 片倉小十郎 ⇒ 戦国無双4でプレイアブル化
- 上杉景勝 ⇒ 戦国無双4でプレイアブル化
- 小早川隆景 ⇒ 戦国無双4でプレイアブル化
- 井伊直政 ⇒ 戦国無双4-Ⅱでプレイアブル化
- 真田昌幸 ⇒ 戦国無双 真田丸でプレイアブル化
- 茶々 ⇒ 戦国無双 真田丸でプレイアブル化
- 武田勝頼 ⇒ 戦国無双 真田丸でプレイアブル化…ではあるが槍凡庸なので特殊モブ(モブ+)と言うべきか
- 徳川秀忠 ⇒ 戦国無双 真田丸でプレイアブル化…ではあるが刀凡庸なので特殊モブ(モブ+)と言うべきか
- 佐助 ⇒ モチーフは猿飛佐助とおもわれるが、徳川の間者などオリジナル設定がある上、姓がないため断定は出来ない
その逆で、石川五右衛門、宮本武蔵、佐々木小次郎は復活を成し遂げたが、初代の本願寺顕如の登場はなかった。更にchronicle 2ndの柳生宗矩、井伊直虎の登場もなかった(藤堂高虎のデザイン、性格が2ndで一新されている事も踏まえてか)が宗矩・直虎に関しては一般武将としても登場せず終いであった。
※ 本編に登場する武将と凡庸無双武将は親記事である『100万人の戦国無双』を参照。
本作登場の新武将
茶々(ちゃちゃ)
浅井長政とお市の娘で、豊臣秀吉の側室。「浅井三姉妹」の長女。別名:淀殿(よどどの)。
豊臣秀吉に娶られ、子・秀頼をもうける。秀吉没後、豊臣家の実権を握るが、大坂の陣で徳川家康に攻められ、秀頼や家臣たちと共に自害した。
一人称は『私』。
常に沈んだ(泣き)顔をしている。髪が地面に着くほど長い。
お初(おはつ)
浅井長政とお市の娘。「浅井三姉妹」の次女。別名:常高院(じょうこういん)。
京極高次の正室となる。豊臣家と徳川家が対立すると、調停役として両家を行き来し、和議の成立に尽力した。
一人称は『私』。
おっとりとしたのんびり屋で、伸ばした語尾(~しますぅ、~ですかぁ?)が特徴。
お江(おごう)
浅井長政とお市の娘。「浅井三姉妹」の三女。別名:崇源院(そうげんいん)。
徳川家康の三男・秀忠の正室となり、家光・千姫など多くの子をもうけた。秀忠に側室を許さないなど、激しい面もあった。
一人称は『アタシ』。
天真爛漫で、市から「幼いころの私とそっくり」と言われている。
足利義輝(あしかが よしてる)
室町幕府13代将軍。「剣豪将軍」とも称される。
剣聖・上泉信綱より指南を受け、新陰流の奥義を伝授された。松永久秀らに奇襲され、孤軍奮闘の壮絶な最期を迎えた。ちなみに義昭は実弟。
一人称は『余』。
イラストでの周囲に突き立てられた復数の刀は、前述の久秀の襲撃の際に刀を畳に突き刺し、その刀を次々持ち替えて闘ったと言う逸話から。
山中鹿介(やまなか しかのすけ)
尼子家臣。本名:山中幸盛(やまなか ゆきもり)。
三日月に対し、「我に七難八苦を……」と願った逸話で知られる。尼子勝久を擁して主家再興を企むが、播摩上月城で毛利軍に敗れた。
一人称は『私』。凛々しい顔立ちの若武者。
前述の七難八苦の逸話からか、背中に巨大な三日月型の刃を背負っている。
猫御前(ねこごぜん)
伊達政宗の側室。別名:飯坂の局(いいさかのつぼね)。飯坂宗康の次女。
政宗の影武者を務めたとされる。扇でねずみを追う姿が猫のようであったことから「猫御前」と呼ばれた。なお、この人物自体が後世の創作との説もあり、彼女の名前もNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が由来。
一人称は『自分(一人称ではない可能性も?)』、影武者モードの時は政宗を意識して『わし』。
影武者故、服装は政宗を意識したものを纏っているが、腰巻(スカート)やサイドテールなど、あからさまに違っている。政宗も「マシな奴はおらんかったか」と呆れている。なお、眼帯は付けているが恐らく両目は見えている模様。愛称は「猫ちゃん」もしくは「猫さん」。
上泉信綱(かみいずみ のぶつな)
戦国時代の剣術家。新陰流開祖で、「剣聖」と称される。
はじめ上杉家の武将・長野業正に仕える。主家滅亡後は一時武田信玄に仕えるが、間もなく武芸修業のため浪人し、新陰流を創始した。上記の剣豪将軍・足利義輝や柳生新陰流開祖・柳生宗厳は弟子だったとされる。
一人称は『わし』。白く長い髭が特徴の老人で「ひょひょ」と笑うのが特徴。
のんびりな性格で飄々としており、その姿や性格から若衆から「じいさん」や「御老体」と軽視されているが、各武将の思惑を読み取るなど観察眼に長けている。
武器は「刀」。イラストでは刀二本をさながら曲芸師のように片手の指一本で支えている。
滝川一益(たきがわ かずます)
【紹介札:織田信長 設置施設:楽市楽座】
織田家家臣。織田四天王の一人で、鉄砲の名手であったという。各地の合戦で活躍し「進むも退くも滝川」と称された。本能寺の変後、北条軍と戦って惨敗し、以後は権威を失った。
前田慶次がこの滝川氏一族の出身とされる。また、甲賀出身で元忍者であったという説も。
一人称は『拙者』。「進むも退くも」ヲタで、有数の茶器マニア。
武器は火縄銃だが、前述の忍者説から仮武器が鎖鎌(服部半蔵)となっている。
ちなみに、特殊A→無双昇格は多々あるけど、完全新→特殊Aとなった極めて珍しい人物である。
(行長とまつはイベントと同時進行でコレクションが発表されていたため)
吉川元春(きっかわ もとはる)
※左が元春。
毛利元就の次男。毛利隆元(イラスト中央)の弟で、小早川隆景(同右)の兄。
安芸の豪族・吉川家に継ぎ、山陰地方の攻略にあたる。厳島の戦いでは元就に兄弟の中では武に勝ると称えられた。不敗を誇った家中随一の猛将である一方、陣中で「太平記」40巻を写本するなど知識人としての一面もあった。
一人称は『俺』だが、感情高まると『私』になる場面も。策を考えず当たって砕ける主義。
父に似たややクセのある黒髪で、後ろ髪を緑紐で縛っている。服装は父・元就のものと似ているが、肌脱ぎをしている。
武器は矢の形をした「槍」。
小早川隆景(こばやかわ たかかげ)
毛利元就の三男。実兄に毛利隆元と上記の吉川元春がいる。
安芸の豪族・小早川家を継ぎ、山陰地方の攻略にあたる。本能寺の変後は毛利家の存続のため豊臣秀吉に接近し、五大老の1人となった。
一人称は『私』。策を用いて勝利すること心がける軍略家。
髪はカールのかかった中分で、烏帽子を付けている。軍配をヴァイオリンのように構え、燕尾服のような陣羽織など、演奏者をイメージしたようなシルエットをしている。
後にシリーズ本編である『戦国無双4』にて無双武将化(→詳細)。
陶晴賢(すえ はるかた)
大内家家臣。立花宗茂の登場以前に「西国無双の侍大将」と評された。
主君・義隆を自害させ大友晴英を当主に迎えて主家を傀儡化した。厳島合戦で毛利家に敗れ、自害。大内義隆を自害に追い込んだり、家臣を火あぶりの刑にするなど冷徹な性格だったと言われる。
一人称は『私』。“正義”を重んじ、“悪”を憎み粛正するお熱い性格。
白地の軍服のような衣装に、髪型はピッチリとした七三分けが特徴。その性格や外見も合わせ「戦国の諸葛誕」と言われることも。
小西行長(こにし ゆきなが)
【紹介札:加藤清正 設置施設:御用商】
豊臣家家臣。堺の豪商・小西隆佐の子。熱心なキリスト教信者として有名。
慶長の役(朝鮮出兵)で先鋒を務めるなど、秀吉から丁重された。加藤清正とは大変不仲であったという。関ヶ原合戦では西軍に属して戦うが敗れ、処刑された。
キリシタンであるためか南蛮衣装を着用。赤い羽根付き帽子とマントが特徴。
巨大なそろばんを手にしてる。そのせいか、やけに銭には厳しい。その上清正には挑発的。
ちなみに、関西弁でしゃべる。
母里太兵衛(もり たへえ)
黒田家家臣。本名:母里友信(もり とものぶ)。
黒田官兵衛とその子・長政に仕え、後藤基次と双璧をなす家中屈指の猛将。福島正則が大杯に満たした酒を飲み干し、名槍「日本号」を拝領した「黒田節」の逸話で有名。
一人称は『わし』。柿崎景家に似たいい男の壮将。九州方弁でしゃべる。
武器は「槍」。逸話に沿って、並々の盃も手にしている。
山県昌景(やまがた まさかげ)
武田家家臣。武田四名臣の1人。
武田信玄とその子・勝頼に仕え、内政・軍事・外交全般で活躍。三方ヶ原の戦いで徳川本陣に突入し、家康を自害を考えるまで追い込んだ猛将であった。また、軍装を赤で統一した「武田の赤備え」の先駆けであったとも。長篠の戦いで全身に銃弾を浴び戦死した。
一人称は『我』。鬼のような剣幕の猛将。
史実通り服装は赤備えの甲冑姿。
武器は「両刃槍」。
高坂昌信(こうさか まさのぶ)
武田家家臣。武田四名臣の1人。本名:春日虎綱(かすが とらつな)。
主君・信玄には小姓から仕え、侍大将となった。武略・用兵は家中随一といわれ、中でも撤退戦では殿軍を務めたことから「逃げ弾正」と呼ばれた。また「甲陽軍艦」の原著者でもある。
一人称は『わたし』。茶髪のロングヘアーが特徴の涼やかな青年。
口元を布のようなもので隠している。とても真面目な性格。
徳川秀忠(とくがわ ひでただ)
徳川家康の三男。後の江戸幕府第二代征夷大将軍。
関ヶ原合戦の際、中山道からの進軍を真田昌幸に阻まれ、父の不興を買う。しかし、凡庸篤実な人柄を父に見込まれ、父の跡をつぎ江戸幕府二代将軍となる。継室に上記のお江。子供に後の三代将軍・家光や、豊臣秀頼の妻となる千姫など。一説では恐妻家で妻には頭が上がらなかったとか。
一人称は『俺』。わがままな性格。
父にも似たずんぐりとした体格。常に大量の汗をかいており、扇で煽いでいる。
後に『戦国無双4-Ⅱ』にて特殊NPCとして固有のグラフィックが追加された。
伊達成実(だて しげざね)
伊達家家臣。伊達輝宗と、その子・政宗の二代に仕える。政宗とは従兄弟の関係。
「武の伊達成実」「英毅大略あり」と評された伊達家随一の猛将。後述の「智の片倉景綱」こと片倉小十郎と共に「伊達の双璧」と並び称された。「決して引くことはない」という意志を込めて百足(ムカデ)の前立てをあしらった兜を着用したとされるが、最近になって百足ではなく毛虫であったという説が有力視されている(由来は同じ)。
一人称は『俺』。髪の毛が逆立ったやや強面の青年。
喧嘩っ早い性格で、親戚で年下である政宗にもタメ口を使用する。衣装の色は政宗と同様の緑。マントのような襟巻きを体に羽織っている。
武器は百足型の「籠手」。なお、ガチャにて「成美」と誤表記されていた。
鬼庭綱元(おににわ つなもと)
伊達家家臣。後に姓を茂庭(もにわ)に改めたとも。
政宗の腹心。政治手腕に優れた能吏として知られ「吏の鬼庭綱元」と評された。前述の「武の成実」「智の小十郎」と並び「伊達三傑」とも称される。豊臣秀吉の政宗への嫌疑を解いた際、その雄弁さが秀吉に気に入られ、以降両家のパイプ役として活躍したとされる。
一人称は『私』。メガネをかけた温和な雰囲気の青年。
イラストでは、秀吉との賭け碁のエピソードからか、碁石を指している。
長野業正(ながの なりまさ)
山内上杉家家臣。主君滅亡後も居城・箕輪城を守り、武田信玄の侵攻を6度に渡って撃退した。
「業正がいる限り、上州には手が出せぬ」と信玄を嘆かせたともいわれる。
生前、息子の業盛に「もし死んだ時は普通の墓は建てるな。一里塚と同じ形をとれ。そこに一つでも多くの首を供えよ。お前は何があっても敵に降伏だけはするな。もし降伏するような事があれば、潔く死ね」…と遺言を託したという。
頭に天冠を付けた厳しい顔の老人。手にしているのは一里塚型の墓石か。
島津歳久(しまづ としひさ)
「島津四兄弟」の三男。日置島津家の祖となる。兄弟の中では「智将」と呼ばれていた。
温和な性格で、当初は豊臣秀吉と和議を試みようとしたが却下される。兄たちが豊臣に下る中、九州征伐軍に最後まで抵抗した。後に多くの家臣が海北国兼の乱に加担した責任を問われ自害。その際「安産の神になる」と言い残したとも。
一人称は『オイ』で、語尾に「だで」と付ける癖がある。
次兄の義弘同様屈強な体格だが、温和な表情が印象的。
武器も義弘同様「大槌」だが、前述の「安産の神様」の逸話からかでんでん太鼓のような形をしている。
島津家久(しまづ いえひさ)
「島津四兄弟」の四男。永吉島津家の祖となる。兄弟の中では「戦術」に勝るとされた。
「釣り野伏」を徳井とし、沖田畷合戦では数倍の兵力を有する龍造寺軍を破ったとも。豊臣秀吉の九州征伐軍に降り、豊臣秀長との会見後に急死。
一人称は『僕』。御河童頭が特徴の、如何にも悪そうな目つきをした青年。
武器は「銃」。イラストでは政宗のような短筒(拳銃)。また、銃の他に司書も手にしており、どこかで見たようなしたり顔など、某殺人手帳のパロディと思われる。
後に『戦国無双4』にて、彼の息子・島津豊久が無双武将化された。
(なお、本作に豊久は登場していない)
前田まつ(まえだ まつ)
【紹介札:前田利家 設置施設:みかん畑】
前田利家の正室。別名:芳春院(ほうしゅんいん)。
秀吉の妻・ねねとは、織田信長配下の頃は家が隣同士であったこともあり夫婦ぐるみで非常に仲が良かったとされる。賤ヶ岳の戦いにて柴田勝家と秀吉が対立した際、前田家は勝家に与していたがまつが秀吉に掛け合ったとされる。
一人称は『アタシ』。男勝りで威勢が良い性格。
夫の利家や義理の甥である慶次に負けず劣らずの傾いた出で立ち。
手には前田家の家紋のあしらわれた纏を持っている。
九鬼嘉隆(くき よしたか)
織田家家臣。志摩海賊衆の1人。
木津川口合戦での大敗を契機に「鉄甲船」を建造し、毛利水軍の船を600隻ほど討ち果たしている。その功で大名に出世し、「海賊大名」の異名をとった。信長亡き後は秀吉に仕え、小田原の役などに参戦。関ヶ原の際には西軍に属するが、息子の守隆と東西で決別。敗戦が伝えられると家臣に促され自害した。
一人称は『オレ』。ボサボサの長髪に無精髭の上半身裸の将。
「海賊」のイメージからか、右胸の辺りには髑髏の刺青が彫られている。
武器はサーフボードのような形の鉄板。
木村重成(きむら しげなり)
豊臣家家臣。主君・秀頼とは乳兄弟の関係。
秀頼の小姓を務め、重要な軍議や会議にも参加したという。徳川家との和睦の際は豊臣家の使者を務めた。大阪夏の陣で井伊直孝軍と戦い戦死した。背丈が高く、女性のような端正な顔立ちの美丈夫であったらしく、徳川の和議を申し入れる際は女房に扮していたとも。
一人称は『私』。中性的な顔立ちの美男子。
髪は長く一本結び(俗に言うポニーテール)で、ススキの髪飾りを付けている。
衣装は黄色と赤を基調とした師将風の衣装。
武器は「三叉槍」。こちらも同じく黄と赤のグラデーションのかかった刀身が特徴。
後藤又兵衛(ごとう またべえ)
黒田家家臣。本名:後藤基次(ごとう もとつぐ)。
侍大将を務める。主君・黒田長政とは折り合いが悪く、後に謀反を疑われ出奔。浪人の末、豊臣秀頼に招かれ大坂城に入る。人望を集め、徳川軍相手に奮戦するが、大坂夏の陣で戦死した。
一人称は『俺』。ボロボロの服装に伸び放題のモジャモジャの髪と無精髭の浪人。
不敵な笑みを浮かべ、手には銭を入れる茶碗を持っている。長政とはやはり険悪な仲。
武器は「鉾槍」。
鬼小島弥太郎(おにこじま やたろう)
上杉家家臣。本名は小島貞興(こじま さだおき)であったとも。
幼少から側近として主君・上杉謙信に仕えた。川中島合戦には旗本として従軍。剛力無双の豪傑で「鬼小島」と呼ばれて恐れられ、数々の伝説を残した。なお、上杉に小島姓を名乗る将がたくさん居たため誰が弥太郎なのかは未だ明確ではなく、実在しなかったという説も。
一人称は『オラ』。褐色肌の野性味溢れるわんぱく坊主。
北関東方言の「~だっぺ」などの語尾が特徴。能天気でお気楽な性格だが、腕の立つ猛将。勝負は全て「相撲」と呼んでいる。また、猿や猛犬と競り合った逸話からか、猿を連れている。
武器は金太郎の鉞を髣髴とさせる「斧」。
太田資正(おおた すけまさ)
扇谷上杉家臣。岩付城主。別名:太田三楽斎(おおた さんらくさい)。
主家滅亡後は上杉家や佐竹家に属し、生涯を通じて北条家と戦った。戦場では犬の首輪に竹筒を付け、そこに手紙を入れ味方と連絡を取り合ってたとされ、軍用犬の先駆けともいわれている。
一人称は『俺』。馴れ合いを嫌う性格。
鋭い目つきとボサボサの黒髪が印象的な渋いオジサマ。
史実通り犬を連れているが、会話からして確実に闘犬。
村上義清(むらかみ よしきよ)
信濃の豪族で、村上氏最後の人物である。葛尾城主。
武田信玄の攻撃を2度も退け、近隣に勇名を轟かす。しかし、真田幸隆の計略に敗れて居城を失い、越後の長尾景虎の庇護を受けた。長槍の名手と言われ、当時は長槍を使用する武将が彼と下記の斎藤道三くらいだったので義清は槍戦術の先駆けであるとも言われる。
一人称は『俺』。西洋風の鎧を纏った白髪の将。かなり口汚い。
武器は「三叉槍」。
蛍(ほたる)
雑賀衆の女射撃手。ただし資料が少なく実在したかは不明。
高い狙撃技術を持ち、闇夜に浮かぶ蛍を撃ち落とした事から「蛍」と異名を与えられたと言われている。
一人称は『ウチ』が基本だが、ときには『私』ともいう。
姫鎧の胴を纏った茶髪ショートの女性。下はスカート風。頭目の雑賀孫市からは女性として意識されてはいない様子(ガラシャのように子供っぽいせいか、雑賀衆として付き合いがあるせいかは不明)。
武器は当然「火縄銃」だが、イラストでは花火玉のようなもの(爆弾?)を手にしている。
磯野員昌(いその かずまさ)
浅井家家臣。佐和山城主。
姉川合戦では先鋒を務めて奮戦した。後に織田信長に降り新庄城主となるが、信長の勘気を蒙って所領を没収され、出奔し高野山に入った。
一人称は『俺』。
顔に大きな刀傷を持つ西洋風の鎧をまとった青年武将。
武器は『双西洋槍(ダブルランス)』。
真柄直隆(まがら なおたか)
朝倉家家臣。
「太郎太刀」と言う五尺三寸(約175㎝)の大太刀を振るい戦ったとされ、同じく「次郎太刀」という大太刀で戦った弟・直澄とともに家中随一の剛勇の士として名を馳せる。
姉川合戦で味方兵が敗走する中、徳川軍を相手に奮戦するが、子・隆基とともに戦死した。
一人称は『わし』。茶髪を結んだ力強い顔立ちの荒武者。
前述の太郎太刀であろう大きな刀を所有している。
今川氏真(いまがわ うじざね)
今川義元の嫡子で、今川家第10代目当主。
父の死後に家督を継ぐが、蹴鞠や和歌に傾倒し、無為の日々を送る。その結果、徳川家康・武田信玄といった近隣の勢力に領国を追われた。
一人称は『私』。涼やかな顔立ちの蹴鞠青年。
父同様に公家の衣装を纏っているが、サムライジャパンのようなカラーリングで二つ名も「戦国ストライカー」と、明らかに狙っている。
成田長親(なりた ながちか)
北条家家臣。成田家当主・成田氏長(甲斐姫の父)の従兄弟。
小田原攻めでは忍城代である父・泰季が合戦直前に死去したため、防衛の指揮を執る。石田三成率いる大軍から甲斐姫とともに忍城を守った。周囲から「のぼう様(でくのぼう)」「出来損ない」と言われていたが、2万3千人(2万5千人とも)の軍勢を3千人(5百人とも)で屈服させており、名大将とも言える。
映画『のぼうの城』とのコラボレーションによる参戦で、映画前売り券のシリアルコードを入力する事によって手に入る。デザインも、同映画で長親を演じた野村萬斎をイメージした姿である。
加藤段蔵(かとう だんぞう)
上杉家従属の忍。通称「飛び加藤」。
様々な忍術・幻術に長じたとされる。上杉謙信に仕えるも、あまりにも腕が立ちすぎるため不信を買われ、暗殺の危機を察知し逃亡。続いて武田信玄に属するが、やはりその才を警戒され、厠で用を足しているところを馬場信春に斬られ断命した。
一人称は『私』。橙色の髪(もしくは金髪)の忍者。
白の忍者衣装に黒のマント・目隠しを着用している。
武器は「護符」。
NPC(特殊レアA)からの昇格
真田昌幸(さなだ まさゆき)
【紹介札:真田幸村 設置施設:真田丸】
武田家家臣。幸村の父。「表裏比興の者」と豊臣秀吉に評された稀代の謀将。
関ヶ原へ行軍途中の徳川秀忠率いる3万8千人の兵を、上田城の数千の兵で翻弄したとされる。
西軍・石田三成の敗報と共に、幸村と共に九度山に流され、善名称院(真田庵)にて病死する。
一人称は『わし』。采配を振るう白髪混じりの老将。着丈の長い赤色の羽織の裾部分には六文銭があしらわれている。
ファンからの愛称は「パパ(真田パパ、パパ幸とも)」。
上杉景勝(うえすぎ かげかつ)
【紹介札:前田慶次 設置施設:毘沙門堂】
綾御前の子で、後の出羽米沢藩初代藩主。旧名:長尾顕景(ながお あきかげ)。
主家である上杉謙信の養子となり、謙信没後、同じく養子の上杉景虎との家督争い(御館の乱)に勝利し、上杉家の跡継ぎとなった。関ヶ原の戦いでは西軍に属し、最上・伊達軍と戦った。不言実行の人で、その威風堂々とした姿勢は奔放な前田慶次をも唸らせたという。
凛々しい顔立ちの無口な青年。
史実で愛刀家であったことからか、刀を多数所持している。
本作とのデザインのギャップがとくに大きいとよく話題になる。
織田信忠(おだ のぶただ)
【紹介札:お市 設置施設:能楽堂】
織田信長の嫡男。 母は信長の愛妾・吉乃。
松永久秀の謀反鎮圧・武田討伐などで功を立て、信長から家督を譲られる。本能寺の変の際、二条御所で自害した。
一人称は『私』。信長のコレクションが無いためか、叔母であるお市の紹介札になっている。
武器は西洋剣。茶筅髷・マント付きの黒甲冑と、父・信長に近いシルエット。
顔には般若の面を付けており、手で傾けた面の下から顔を覗かせている。
足利義昭(あしかが よしあき)
【紹介札:明智光秀 設置施設:公家屋敷】
室町幕府15代将軍。上記の足利義輝の弟。
織田信長の後援で将軍職に就くがのちに対立、周辺諸国と協力して信長包囲網を敷く。自らも挙兵するが信長軍に敗れ、京を追われた。
一人称は『あたし』。オネエ言葉で話す。
睫毛が長く、口ひげを蓄えている。服装は紫とオレンジのグラデーションカラーの公家衣装。
宇佐美定満(うさみ さだみつ)
【紹介札:上杉謙信 設置施設:毘沙門堂】
上杉家臣。上杉四天王の一人。越後流軍学の祖という。
上条定憲の乱の際は上条側に属するが、定憲の死後に帰参。国政に参画するなど活躍したが、長尾政景と舟遊び中に政景と共に溺死。一説では政景を殺害するための策謀だったとも。
一人称は『わし』。白い頭巾を被った白髪の老将。
船の上にいるということは……
名古屋山三郎(なごや さんさぶろう)
【紹介札:阿国 設置施設:能楽堂】
蒲生家臣。出雲阿国の夫とも伝わる。
九戸政実の乱の際、一番乗りの軍功をあげる。槍の名手で、女性と見紛うほどの美丈夫であったとされる。
一人称は『俺』。阿国等女性を「子猫ちゃん」と呼ぶキザな性格。
赤い着流し姿で、手にはサイコロを持った遊び人のような出で立ち。
猿飛佐助(さるとび さすけ)
【紹介札:くのいち 設置施設:忍者屋敷】
真田十勇士の一人。信濃の山中で猿と戯れているところを甲賀忍者の戸沢伯雲斎に見込まれて忍者となる。のち真田幸村に仕え、大坂の陣まで尽力したという。但し、猿飛佐助の存在自体、架空説も唱えられている。
一人称は『俺』。口を慎まない自由な性格。
髪は茶色の短髪で、名前に倣ってか猿を彷彿とさせる。上半身裸にファー付きの赤いジャケット風の羽織、猿の派手柄の袴と、くのいち同様にチャラい印象の忍者。くのいちとは仲が良く、くのいちを「姉ちゃん」と呼び、彼女からは「佐助っち」と呼ばれている。
巨大な竹とんぼの羽根を刃にしたような武器を持つ。
実は戦国無双2で護衛武将として登場していた。
下間頼廉 (しもつま らいれん)
【紹介札:雑賀孫市 設置施設:大仏】
本願寺の坊官。石山合戦において法主・本願寺顕如に代わって全軍を指揮、織田信長に対し徹底抗戦を挑んだ。その時に『大坂之左右之大将』と呼ばれた。信長の死後、豊臣秀吉から本願寺町奉行に任じられた。
一人称は『拙僧』。
真面目な性格で、戦場の女性を口説いて周る孫市に呆れている。スタンダードな武僧姿で、少しオシャレなベリーショート風の坊主頭に無精髭を生やした凛々しい顔立ち。
武器は棍。
山本勘助(やまもと かんすけ)
【紹介札:武田信玄 設置施設:馬牧場】
武田家臣。文武百般に通じ、主君・信玄の軍師を務めた。史実では色黒で隻眼、足が不自由で指も不揃いであったと言われている。第4次川中島合戦で「啄木鳥戦法」を宿敵・上杉謙信に見破られた責を負い、乱軍に突入し討死した。
近年放送された大河ドラマに影響されてか凛々しい顔立ちで描かれている。
茶筅髷に口ひげを蓄え、右目に巴柄の眼帯を付けている。衣装は赤い甲冑姿。手に広げた巻物は史実の勘助の肖像画のポーズをモチーフか。
『chronicle』では、老将に眼帯と言った特殊モブ武将として登場した。
片倉小十郎 (かたくら こじゅうろう)
【紹介札:伊達政宗 設置施設:餅屋】
伊達家臣。主君・政宗を「智」の面で政宗を補佐した智将。笛の名手としても知られる。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣するよう政宗を説得し、伊達家の存続に貢献した。
一人称は『私』。
イラストでは史実に倣い笛を演奏する姿で描かれている。
猫御前の素質を見抜き影武者に選抜するが、「政宗様の真似をしてればよい」と適当な部分も見られる。
斎藤道三(さいとう どうざん)
【紹介札:濃姫 設置施設:伏兵砦】
「美濃の蝮(マムシ)」の異名をとった美濃の戦国大名。元僧侶・油商人だったが、そこから名高い戦国大名に駆け上がる『下剋上』の典型と言われる男。美濃守護・土岐頼芸に仕官、頼芸を追放して国主となるが、後に子・斎藤義龍と戦い、敗死。
厳格な顔立ちに剃髪した頭が特徴。緑を中心とした甲冑を纏っている。
武器は蛇槍。史実で合戦に長槍をはじめて用いたことと、異名である「蝮(≒蛇)」に肖ったものとおもわれる。
百地三太夫(ももち さんだゆう)
【紹介札:服部半蔵 設置施設:忍者屋敷】
伊賀の豪族・百地丹波(ももち たんば)の別名。もしくは丹波をモチーフとした武士・忍者。服部・藤林と並ぶ伊賀上忍家の一角を担い、石川五右衛門が彼の弟子だったと言う説もある。天正伊賀の乱で織田信雄の伊賀侵攻軍と交戦し、その忍術を駆使して撃退するが、後に信雄の父・織田信長率いる大軍の襲撃を受け、戦死したという。
一人称は『私』、二人称は『君』。
白い長髪が特徴の、何処か中性的な雰囲気のある老人。イラストでは、牛のような二本角の生えた巨大な髑髏に乗っており、風魔小太郎に続く妖怪枠。
自身の後継者たる最高の忍者を創造することを至上の目的とする、マッドサイエンティスト然たる人物で、最高傑作であり後継者として服部半蔵を養成したことになっている。
人間を「薄汚く愚かな生物」と称し、情を持ち始めた半蔵に対し「人間に成り下がるな」「暖かい光など望むな」と警告するなど、本編における半蔵の、任務に非情に徹するという人物像に大きく影響を与えたことを窺わせる。
朝比奈泰朝(あさひな やすとも)
【紹介札:今川義元 設置施設:おみこし】
今川義元・氏真の二代に渡り今川家に仕えた忠臣。父・朝比奈泰能は義元の軍師を務めたことでも知られる。義元死後、駿河を追われた氏真を居城・掛川城に迎え入れ、追手である徳川軍と戦った。5ヶ月の籠城戦の末に開城し、氏真とともに相模に落ち延びた。
白髪の髷頭に口髭が特徴の老齢の武士。裃姿に厚手の手袋を着用しており、飛んできたであろう蹴鞠を手にしっかり止めている。さしずめ、駿河・遠江のゴールキーパーといったところか。
因みに本編タイトルでは依然モブ扱いであるが、『3Empires』では「ダメだ……ダメダメすぎる…」との名台詞を残したことでファンに広く知られている。
真田信之(さなだ のぶゆき)
【紹介札:稲姫 設置施設:真田丸】
真田昌幸の長男で、幸村の兄。関ヶ原以前は「信幸」と名乗っていた。和睦のため、後に徳川家康の養女となっていた稲姫と婚姻する。関ヶ原の戦いでは父や弟と別れて東軍に属し、徳川秀忠率いる別働隊として父らの居城である上田城を侵攻するが、その後の真田父子の処罰について岳父・本多忠勝と共に助命懇願した。その後も徳川家に忠節をつくし真田の家名の存続に尽力し続け、江戸幕府発足後は上田藩の初代藩主となった。因みに93歳(現在値で約120歳)と、当時でもかなりの長寿まで生きたことで知られる。
ファンからの愛称は「お兄ちゃん」。
一人称は『私』。そして、実弟の幸村も「君」と呼ぶなど、ややキザな口調を用いる。弟が天然鈍感男であったのに対し、彼も彼で天然タラシ。スポーティな短髪と笑顔が爽やかな青年。勇ましい武者姿の幸村に比べると、軽装に筆を携えた文官のような出で立ち。赤より白地の方が多く、父たちと決別したためか衣装の何処にも六文銭の刻みが見られない。
朝倉義景 (あさくら よしかげ)
紹介札:浅井長政 設置施設:公家屋敷
朝倉家5代当主。孝景の嫡男。将軍・足利義昭と結び織田信長包囲網の一角を担うが、次第に勢力を失う。刀禰坂合戦で敗北を喫し、一族に背かれて自害した
越前の戦国大名。盟友である浅井家と手を組み織田信長に挑むが姉川の戦いで敗れてしまう。
浅井のイメージカラーの水色をモチーフに狩衣の様な服装。それに衣冠。将棋を指してるが、どうやって戦うんだろうか。 恐らく、自ら軍を駒発言している事がきっかけか。
島津義久 (しまづ よしひさ)
紹介札:島津義弘 設置施設:銃工房
島津家16代当主。優秀な弟たちの協力により領土を拡大、九州をほぼ手中に収めるが、豊臣秀吉の九州征伐軍に敗北し、薩摩一国に安堵された
島津家の当主であり、義弘を始め、歳久、家久と『島津四兄弟』として名高い。
『引き籠っていたらいつのまにか三州の大将になってた。』通称、最強の引き籠り
大の占い好きはEmpiersでも健在。だが、戦前にお御籤をひいてたと言う話もある。
一人称は『私』。しかし、どう見ても弟(義弘)より容姿が若い。2歳差と言えど…… でも戦国無双ではよくあること。
最上義光 (もがみ よしあき)
紹介札:直江兼続 設置施設:かまくら
最上家11代当主。 父を隠居させ、弟を討ち当主となる。密約外交や敵重臣の暗殺など、権謀術数の限りを尽くし、最上家最大の版図を築いた
出羽の大名。長谷堂の戦いでは、甥の政宗と連合軍を築き、上杉軍を撤退させている。ちなみに妹は政宗の母である、義姫(よしひめ)。
通称、羽州の狐、また、鮭様。重装であったかそうな格好をしている。兜が狐耳仕様。
通称のせいか、尖った目な顔付き。
一人称は『俺』。武器は銛(もり)。(銛と言っても古代の一本モノではなく、山の字タイプ。正確に言えば銛の形をした「三叉槍」と言う槍 とも言える。)
好物の鮭を刺して泣かせている。ハナに付く言い方が特徴。
敵で不仲同士の兼続の紹介札。何故か連携無双奥義もある。
しかし無双武将に昇格した。
北条綱成 (ほうじょう つなしげ)
紹介札:風魔小太郎 設置施設:温泉
北条家臣。父・福島正成の死後、北条氏綱を頼り、氏綱の娘を娶って一門となる。川越合戦などで活躍し、その旗印より「地横八幡」と呼ばれ畏怖された
北条家代々に仕えた武将。父は福島正成(ふくしま まさなり)だが、北条家に継ぐ。色備えの「黄備え」担当で、八幡大菩薩に勝機を祈願した。
黄備えのクセに赤が目立つ青年(北条は大体赤)。「八幡」の旗を持つ。一人称は『俺』。熱血漢。
容姿と性格が松岡修造……
香宗我部親泰 (こうそかべ ちかやす)
紹介札:長宗我部元親 設置施設:音楽堂
長宗我部国親の三男。 阿波中富川合戦で十河存保軍を破るなど、兄・元親の片腕として四国統一に貢献。 織田家に使者として赴くなど、外交でも活躍した
長宗我部元親の実弟。父の命により、香宗我部家に継ぐ。兄と共に四国統一に力を出す。
ライトグリーンの袴の様な衣装。黒髪の金メッシュ、メガネレンズ有。一人称は『私』。兄が「凄絶」とよく口にするように、口癖(?)は「御意」
元親が戦国のロックミュージシャンなら親泰はヴィジュアルミュージシャンか。無双武将に昇格した時、腹黒い一面がある事が判明した。その上、重度のブラコン。
細川忠興 (ほそかわ ただおき)
紹介札:ガラシャ 設置施設:黄金茶室
織田家臣。明智光秀の娘を娶るが、本能寺の変後は豊臣家に属した。関ヶ原合戦では東軍に属し、豊前中津39万6千石を領した。利休七哲の1人
細川幽斎(ほそかわ ゆうさい)の息子。豊前国小倉藩の藩主。玉子こと、ガラシャ(明智光秀娘)を妻に迎える。戦上手と称えられ、文化人とし、茶道等に精通した が……
非道な面も持っていて、そちらの方で語り継がれる事が多い。 俗に言う“ヤンデレ”
髪の毛ボサボサ。青メインの青と黄のグラデーションの鎧。瞳孔が開いていて、ま、つまり、目が死んでる。武器は包丁と鉈。
一人称は、『私』。安心した。 しかし、3以降の「私はアアアァァァッ」では収まらなく、(妻が孫市と蘭丸と言う男友達がいるとの話を聞いて)
「覚えたぞ覚えたぞ覚えたぞ覚えたぞ覚えたぞ覚えたぞ(以下略」と。余計に(ヤンが)悪化してしまった。阿国からは一途で可愛らしいと言われていたが、かわ、いい……? CV:宮坂俊蔵
黒田長政 (くろだ ながまさ)
紹介札:黒田官兵衛 設置施設:銃工房
豊臣家臣。黒田官兵衛の嫡男。九州征伐などで活躍した。関ヶ原合戦では東軍に属し、戦後筑前福岡52万石を領す。以後は徳川幕府への恭順の姿勢を貫いた
黒田孝高(官兵衛)の嫡男。関ヶ原の戦いや大阪の陣で活躍した。家康に称賛され、右手を取られたと言うと、父・官兵衛から「その時左手は何をしていた?」と聞かれた逸話は有名。(つまり、左手が空いてたのなら何故そこで殺さなかったのか? との事。)
官兵衛曰く、「風が吹くと首ごと持って行かれそうな」一の谷兜をしたお髭の将。
やはり島津みたく上の者より老けt(ry
一人称は『私』。上記通り暗殺の逸話が、コレクション会話になってるのだが、こちらの長政は
「右手を取られたら左手も取り返し…泰平の世を築くまで」と答えている。実にいい子。
千姫 (せんひめ)
紹介札:甲斐姫 設置施設:温泉
父は徳川秀忠、母は江。温和な性格の持ち主だが、夫秀頼と側室の子が処刑されそうになった時、身をていしい助命嘆願を行い、その命を救った
戦国時代の女性。父は徳川秀忠で、母は浅井三姉妹のお江。…となると祖父は徳川家康。とても美しく穏和な女性だったそうだ。
ピンク色の着物をはいている。武器は弓。別のサイトでは背中に羽根を付けていると言われるが、成の装飾だと思われる。(弓の成→羽根) 一人称は『千』
ふわふわした世界を望むメルヘン少女。戦国希少のロリキャラ。と言うのも夏の陣終了時点で、甲斐姫との歳の差が25である。
だから、若く描かれている上からロリになってしまったのだろう。ちなみに甲斐は『おばちゃん』
ちなみに、2012/03までレアAでたった一人唯一の女性(寧、女の子)だった。ちなみに、2012年7月に登場した利家のレアAは松。
斎藤義龍 (さいとう よしたつ)
紹介札:竹中半兵衛 設置施設:伏兵砦
美濃の戦国大名。道三の子。 家督を巡って父と対立、父を討って美濃国主となるが急死した。 身長6尺5寸の巨漢と伝わる
上記の斎藤道三は実父、妹に帰蝶こと、濃姫。父に家督を譲られ美濃の太守になるが、謀反を起こし、父を斬ってしまう。
烏帽子ののようなヘルメット(?)を装着、双眼鏡を持っている。武器は銃。全身に葉や木の枝を付け、カモフラージュも。
意外に顔の彫りが深い。口数が少なく服部半蔵とキャラが被る。武器が銃なのは遠距離射撃の話から。
3で(ある意味)活躍していた、龍興さま(義龍の息子)はなんと、レアBである。どういうことなの……
北条氏政 (ほうじょう うじまさ)
紹介札:北条氏康 設置施設:代官所
後北条家4代当主。氏康の嫡男。優秀な弟たちや家臣団に支えられ、北条家の地位を不動のものにした。豊臣秀吉の小田原征伐軍に抗戦するが敗れ、自害した
北条氏康の息子。汁掛け飯の話で有名。暗愚と謳われるが、北条家の拡大や滝川一益の追放など、数多くの実績を持っている。
おっとり、のんびりしている。一人称は『わし』。いつも頭の中はメシの事。父からも「ド阿保」と呼ばれる始末。顔は母親に似ている。つまり……
毛利隆元 (もうり たかもと)
紹介札:毛利元就 設置施設:百万一心
毛利元就の長男。元就隠居後、家督を相続する。政治手腕や財務手腕に優れていたとされる。
毛利元就の息子。弟に上記の吉川元春と小早川隆景がいる。(二人とも養子に送られている)
九州征伐では大友・立花と互角に張り合うなどの軍略を持っている。ある時、謎の腹痛に襲われ急死。その上、父・元就より早死にしてしまう。毒殺が疑われ処された家臣も少なくない。
一人称は『私』。しかし、イベントでは『僕』と名乗った時があった。
前髪で目が見えていない。(メカクレ属性) 控え目な性格。彼の運の良さは後ろのアレから。後ろのアレが本体と言われるが実は背負ってるのではなく憑かれている。また殆どの人には見えていない。隆元本人にも見えていない。
見えた者達には阿国が居たり外伝シナリオでは誾千代、島津にも見えたが、”毛並みの良い白くてモフモフしていて、異様に眼光が鋭い百戦錬磨の武人のような猫”と言う評価をした。凄い猫だ。
隆元コレクション交換時に半兵衛が「何かに憑かれるんじゃない?」との発言と勝利時に「憑きものが落ちたようだ」との本人の発言により、後ろのアレは憑き物だと確定。
ただし、二次創作では隆元本人にも見えている。
柿崎景家 (かきざき かげいえ)
紹介札:綾御前 設置施設:毘沙門堂
上杉家臣。主君・謙信に「越後七郡で彼にかなう者はなし」と評された家中随一の猛将。上杉軍の主力として活躍したが織田信長への内通疑惑により死罪になった
越後国の守護代。上杉家の家臣。川中島の戦いでは先鋒を務め、武田壊滅に追い込むなど活躍の場は広い。
彫りの深い髭の壮将。兜は取っている。一人称は『拙者』。いい男である。 やはり、お堅い性格。
イベント
松永久秀 (まつなが ひさひで)
将軍・足利義輝を討ち、東大寺大仏殿を焼いた稀代の梟雄。織田信長に属し謀反を起こすが敗れ、「平蜘蛛」と共に爆死した
織田家家臣。奇襲、焼打ち、謀反と悪人のイメージしかつかないが、茶道に通ずる人物でもあり、また、領民への配慮もかかさなかったと言う。ちなみに降誕祭(クリスマス)を祝った人物とも言われ、日本で初めて『爆死』という自害を行った人でもある。
ハネた髪とアホ毛のある武将。右目に刀傷がある。一人称は『私』。常に相手を誘うような発言をしているが、エンパイアーズから健在。
彼は早くも義輝の交換時にグラフィック有で登場したが、イベント合戦の『信忠の野望』の信貴山の戦いにも登場した。今回、晴れて無双武将に昇格。
大谷吉継 (おおたに よしつぐ)
紹介札:石田三成 設置施設:学問所
豊臣家臣。 親友・石田三成のために関ヶ原合戦では西軍に属し、藤堂高虎の軍を撃退するが、 寝返った小早川秀秋軍に攻められ敗北した
豊臣家の家臣で、大谷刑部(おおたに ぎょうぶ)とも呼ばれる。ハンセン病を患っており、常に白ずきんで顔を隠していたらしい。そして、茶会で嫌な思いもするが、それがきっかけとなり、石田三成とは大の親友であった。ちなみに、真田信繁(幸村)の正室の竹姫(たけひめ)は吉継の娘なので、幸村は義理の息子にあたる。
史実通り白ずきんで顔を隠している。同社の「采配のゆくえ」ではターバンのようだったが、こちらは完全に布である。ただ、こちらも向こうも赤い紐で布を固定している。
着物のような重装をしていて、顔に右に紫、左に朱の化粧をしている美青年(?)。
一人称は『我』。もの難しい難解な言葉で話す。
戦国無双本編では一人称「私」で、難解な言葉は話さなかった。ちなみに、山本勘助と違い、一般のモブスタイルでもあった。
ちなみに、100万人の無双武将の中でいち早く“無双武将” “特殊レアA” “イベント専用”全てを経験している。2012年の夏に行われた人気投票で見事、1位を獲得。その時宣言されていた、新武将配信が、みにきゃらカレンダーのイラストを抜き出し、『大谷吉継(カレンダー)』として、全員配信された。
また、忍城攻めイベントの時に、ステータスはそのままで『[百万才覚]大谷吉継』と変更された。
可児才蔵 (かに さいぞう)
紹介札:福島正則 設置施設:土俵
福島家臣。侍大将を務める。宝蔵院胤栄に槍術を学ぶ。関ヶ原合戦では討ち取った17の首級すべてに笹を差して目印としたため、「笹の才蔵」の異名をとった
可児吉長(かに よしなが)。転々と主君を変えていて、明智光秀に仕えた時もあった。常に笹を身につけ、討ち取った首(もしくは当人の口に)に笹を添えたことで『笹の才蔵』と呼ばれた。
こちらでも笹を身につけている将。光秀の事を大将と呼ぶ。一人称は『俺』。武器は「槍」だが、十文字槍(真田幸村の愛槍)に似ている。自信家で、べらんめえ言葉を使う。
前記の、転々と主君を変えていたに関し、第二章移行前の「天王山決戦」では光秀のイベントのみ登場。ガチャコンプの会話イベントでは「徳川家康」。そして、「福島正則」の特殊レアAとして登場する。
吉継みたく、“イベント専用”から始まり、“無双武将” “特殊レアA” 全てを経験している。
馬場信春 (ばば のぶはる)
武田四名匠の1人。多くの合戦に参加し1度も負傷せず「不死身の鬼美濃」と呼ばれた。長篠の合戦の際に殿軍として主君・勝頼の逃亡を助け、戦死
馬場信房(ばば のぶふさ)とも。武田家の家臣で、武田四天王の一人。長篠の戦いまで掠り傷一つ負わなかったと言われて、「鬼美濃」と称えられた。長篠の戦いにて勝頼に撤退を進言するが、聞く耳を持たず。そのせい(?)か決死の覚悟で敵陣に乗り込み戦死してしまう。
こちらは黒髪のちょんまげの将。名前のせいか馬に乗っている。一人称は『それがし』。
顔の彫りが深い、三人目のいい男。
蒲生氏郷 (がもう うじさと)
織田家臣。主君・信長の娘を娶る。本能寺の変後秀吉に仕え活躍、陸奥会津92万石を領した。文武に秀でたその器量を秀吉は恐れたという
近江の武将。織田家に仕える。信長にその雄姿を「只者ではない」と評価された。小姓に上記の「名古屋山三郎」がいたと言われる。
逸話に、石田三成か直江兼続によって毒殺されたと言われているが、作り話の可能性が高い
黒髪で紫カラーの鎧をまとった青年。兜とは言わないが頭部に史実の(但し、史実では兜)鯰尾(又、燕とも言われる)の装飾をしている。一人称は『私』。褒美を与える癖があり、そのせいか、財政が苦しいとか。そして他の者によく呆れられている。
遠かれ無双OROCHIの源義経に似ているともいえる。
内藤昌豊 (ないとう まさとよ)
武田家臣。武田四名臣の1人。武田信繁の死後、主君・信玄の副将格となる。武略に優れ、箕輪城主として西上野方面の治政を担当した。長篠の合戦で戦死した
内藤昌秀(ないとう まさひで)とも呼ばれる。武田家の家臣で、武田四天王の一人。一度甲斐を追い出されているが、信玄に「武田の副将」と称えられ、それからは最期まで信玄に忠誠を尽くしたと言われる。
袴のような衣装。武器は萬で(色々との事)左腕に備えているが直接持っているのではない。…となると、左腕を失っており、改造しているのか、ましては腕はあるが袴の袖に隠しているかは不明。但し、右腕は見えている。一人称は『私』。
……色々が色々で『影が薄い』と言われ続けていたが、こちらでも実装されていて、くのいちに大きな声で本気で呼ぶまで気づいて貰えなかったとか…
(※:有名な小説やドラマに、“武田四天王”とありながら登場がなかったと言われる、公式二次創作。)
上杉景虎 (うえすぎ かげとら)
北条氏康の七男。越相同盟成立の際に越後に赴き綾御前の娘と婚姻、のちに上杉謙信の養子となった。謙信の死後、御館の乱において義弟の上杉景勝と家督を争うが、敗死した
北条家時代は北条三郎(ほうじょう さぶろう)と名乗っていた。
始めは武田家に人質に送られ一時を過ごした後、大叔父の北条幻庵(ほうじょう げんあん)に養子入り。更にその後に綾御前の夫・長尾政景(ながお まさかげ)の養子になり、最終的に謙信の養子となるという形で、多くの家を転々と渡っている。
謙信死後に勃発した御家騒動である御館の乱では義弟・上杉景勝と家督を争うことになるが、その最中に味方が次々と裏切り孤立無援となり、最期は自害した。
史実の通りイケメンであり、髪は銀の長髪で前髪で片目が隠れている。一人称は『俺』で実父・氏康親譲りの性格。白の陣羽織を肩に羽織り煙管を吹かすなど、衣装も実父に近しいものがある。武器は『鋸剣』(?[大剣の刃が波(鋸の刃)のようになっている])。西洋剣のようなサーベル(取っ手+鍔)付き。恐らく初の左利き。
上杉想いの性格で、義弟の景勝が唯一まともに会話出来る相手でもある。
第2回人気投票では、1位にランキングされた。
[毘沙門天]上杉景虎として配信された。
特殊NPC武将
(上)
森長可 (もり ながよし)
紹介札:森蘭丸 設置施設:土俵
鬼武蔵と呼ばれ恐れられた猛将。信濃の撤退戦など数多くの武勇伝をもっている。
鬼武蔵。蘭丸の実兄。ヒャッハー その事もあり、信之が「お兄ちゃん」なら彼は『鬼いちゃん』。3のモブと似ている。CV:草尾毅
井伊直政 (いい なおまさ)
紹介札:本多忠勝 設置施設:赤備え詰所
徳川家康の家臣。当本多忠勝をはじめ、酒井忠次(さかい ただつぐ)や、榊原康政(さかきばら やすまさ)と共に『徳川四天王』と呼ばれる。
ちなみにchronicle2ndに登場する「井伊直虎」は義理の母。(直政は直虎の養子になる。)
史実の鎧をモチーフにしている。ちなみにモフモフ付き。顔に刀傷のある青年。一人称は『俺』。
何故か忠勝の戦い方を好んでいない。
本多正信 (ほんだ まさのぶ)
紹介札:徳川家康 設置施設:国崩し
相模国玉縄藩主。家康の家臣だが、家康から「友」と呼ばれるほど高い評価を得ていた。本佐録の著者とも言われる。話が難解だったらしいが、家康のみ理解出来たとも。ちなみに本多姓であり、忠勝とは遠い親戚にあたるが、「あいつは本多一族でありながら無関係だ」と存在否定されている……
鷹匠でも有名。
兜で顔を半分隠しているギョロ目の爺さん。一人称は『わし』。ホホと笑う
家康のためならどんな汚い手も使うとの事とか。
筒井順慶 (つつい じゅんけい)
紹介札:島 左近 設置施設:黄金茶室
大和の筒井城主。わずか2歳にして家督を継いだ。山崎の戦いで羽柴,明智両方どちらかにつくか、洞ヶ峠で観察し、有利となる羽柴側についた「洞ヶ峠の日和見」で有名か。
網代笠を被り僧スタイル。一人称は『私』。
戸次鑑連 (べっき あきつら)
紹介札:立花誾千代 設置施設:雷神像
通称「立花道雪」(たちばな どうせつ)。戸次鑑連は彼が存命時名乗ってた名前である。誾千代の実父。
雷を直に受け、下半身不随になるが、その時中にいた雷神を斬った逸話は有名。その時の刀を「雷斬」と名付けた。
上半々裸で鎖の様な首飾りをしているムキムキのジジイ。一人称は『ワシ』。ヤンデレではないが「バッキャロオオォォォ!!」など兎に角叫ぶ
ちなみに、100万人稼働当時立花道雪名義の軍師紹介札が存在した。これとあれ、2枚持ってたらどっちがどうなるんだ?
藤堂高虎 (とうどう たかとら)
紹介札:ねね 設置施設:工匠館
伊勢国津藩の初代藩主。また彼も君主を転々と変えていたらしい。また、建築の名人であり、江戸城や伏見城を建立したのは彼だと言う。また、関ヶ原の際、大谷吉継の墓も建てたとか。
茶髪でツンツンの目を尖らせた一見ヤンキーにも見えなくもない戦国の大工さん。一人称は『俺』。武器はトンカチと釘でいいのか(多分違う…)
何故かねねの紹介札で、彼女を「ねね様」と呼ぶ。(“お”を付けない) しかもタメ口。
後で清正に〆られなければ良いが……
ちなみに、戦国無双chronicle2ndに参戦が決まったが、こちらとはデザインが異なる。(言えば“采配のゆくえ”版の『細川忠興』のような。)
戦国無双のプロデューサーである鯉沼久史Pによると「戦国無双4があるなら、一部の武将は(100万人のデザインと)異なる」との事。まさにこのことか
↑ゲーム本編の高虎。DLCで「100万人衣装」があれば嬉しいのだが…
丹羽長秀 (にわ ながひで)
紹介札:柴田勝家 設置施設:楽市楽座
米五郎左。織田四天王のひとり。鬼五郎左とも呼ばれ、権六(鬼柴田 - 柴田勝家)と共に功績を残す。
兜から甲冑まで農夫を想像させるような容姿。で、武器も「鍬」(くわ)。でもなぜか戦場では刀らしい。
戦いを好まず、「仕方ないか」的な思想だが、刀を持つと性格が変わる、俗に言う“二重人格”
大友宗麟 (おおとも そうりん)
紹介札:立花宗茂 設置施設:国崩し
大友義鎮(おおとも よししげ)とも。豊後のキリシタン大名。九州の名高い大名を家臣にし、勢力拡大を試みたが、最終的に島津に敗れてしまった。
“国崩し”なる大砲に乗っている。また、顕如や道三みたいくなつるっぱげなスキンヘッド。ちょんまげが導火線っぽいけど、装飾?
一人称は『予』。語尾に「あーる」を付けるのが特徴。どこぞの名族を思い出す。
それはそうとして、宗茂父の『高橋紹運』(たかはし しょううん)が、「高橋鎮種」(たかはし しげたね)名義で凡Aなのは何処か解せない…
イベント
大内義隆 (おおうち よしたか)
周防の守護大名。和歌や芸能を好む文化人であり、周防の国(山口)を整え、「西の京」と呼ばれるように改正した。また、あの「フランシスコ・ザビエル」とも面会があるらしい。
毛利家の隆元・隆景に対しては実の子のように可愛がっていたと伝えられる。
1551年、大寧寺の変にて、陶晴賢の軍に追い込まれ、自害。
赤と金の胴服と言うか何というか…(恐らく違う)と冠をしたニコニコしている爺さん。
一人称は『余』。かなりおっとりして優しい性格だが…… 晴賢に粛正されましたとさ。
恐らく義元と気が合いそう。
龍造寺隆信 (りゅうぞうじ たかのぶ)
肥後の戦国大名。今山の戦いで大友氏を打ち破り、肥前,筑前,築後と勢力を拡大していくが、沖田畷の戦いにて島津家久の釣り野伏に掛り大損害になってしまい、最終的に自身も討ち取られた。話によれば、「肥後の熊」と呼ばれたらしくかなりの大漢だったらしい。
そのまんまの大漢。一人称は『わし』。武器は『爪』(鉄爪)。しかも熊の形・毛付きでしかも足具まで熊。
龍造寺四天王が五人いると言うから、戦国無双の隆信はバカ設定なのかと思えば史実である。なんということでしょう…
容姿や言動からして、戦国の孟獲っぽい。
鍋島直茂 (なべしま なおしげ)
肥前佐賀藩の藩祖。龍造寺隆信の右腕として丁重された。今山の戦いでは大友に奇襲(夜襲)をかけ、敵将を討ち取っている。しかしながら、沖田畷の戦いで龍造寺敗北の知らせが入ると命からがら佐賀まで逃げたと言われる。隆信の遺体を残してまで……
袴姿の武将。一人称は『拙者』。武器は「日本刀」。周りに霊魂があるが、彼が史実上悪霊に呪われて耳が腫れたと言われるがそれは沖田畷の戦いのかなり後の話になるし…
固有のものなのだろうか…?