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概要編集

漫画『キングダム』における将軍について、本記事では昇格の描写が明確な秦国を中心に解説する。


戦国七雄に共通するのは、各国の大王が軍部の最高決定権を持つが、軍部の最高責任者は別の人物という構成。

ただし例外も一部見られ、王都奪還編時点の秦国では、軍総司令の昌平君が呂不韋傘下のため軍の最高決定権は大王・嬴政には無かったも同然で、竭氏派と呂氏派がそれぞれに大王暗殺や軍を興し国家転覆を狙っていた。

蛇甘平原編以降は一応嬴政が玉座に就けたことで最高決定権も嬴政に戻ったが、毐国反乱編までは呂不韋と争っていたため軍事的な方向性は定まっておらず、呂不韋の失脚後に嬴政が大王としての実権を握り、本格的に中華統一事業に乗り出すこととなる。

楚国は考烈王の崩御後、大王は実質不在(正確には李園の妹・李環と考烈王の子(幽王)はいるが、当時2歳で政治に関わるのは不可能)、宰相に李園と媧燐が即位した一方、李園が軍部が嫌いという事情から、軍の最高決定権は媧燐に一任している状態であった。

また、趙国は幽繆王の即位直後に宰相・李牧に対し趙全軍の指揮権を与え、自らは軍部について口出ししない態度を取ったが、この理由は自分の快楽の時間を最大限長引かせるためである一方、防衛に成功すると史実通りに李牧を武安君に任命しているため、全くの無関心ではない。


軍総司令も国によって事情が異なり、概ね大将軍級の武将あるいは国中で最高の軍師が就任している模様。

秦国の昌平君は作中の描写から大将軍級の武将であることが示唆されている。

趙国の李牧は宰相であると同時に趙国の大将軍として最高位・三大天の一人である。

楚国の媧燐は李園や項燕の口添えもあるが、楚国の大将軍として最高位である四天王就任から間もなく宰相にも就任した。

韓国の張宰相は小国の韓の中でも最高の軍師である。


この他にも戦国七雄の各国で、大王と軍総司令以外に軍事を考える人物が軍議に出席する体制が採られている。

これらの人物は必ずしも軍事に明るい人物ばかりではなく、秦国の李斯のような法律家(ただし日本で言う法務省法務事務次官と財務省財務事務次官に相当しそうな人物である)や、韓国の公主のような亡国の危機に立たされなお反戦思想を持ち込む者すら居る。


『キングダム』作中の軍部は、他国出身であろうと武功をきちんと挙げれば爵位も大金も手に入れられる機会を従軍する兵士全員に与えている。

作中で詳しい経緯は描かれないが、蒙驁や楽毅のように他国に移籍して大金を得たり大将軍に至ったりした将軍も一定数居る他、例外的措置な可能性も否めないものの楊端和や舜水樹のように戦国七雄以外の人物が関係の薄い戦国七雄の兵を率いることもあり得る世界である。

特に秦国は最も恩功制度が強いとが語った通り、従軍して生き残り続ければ格上げも視野に入る。

信が蛇甘平原編の武功でいきなり百人将に昇格した他、韓攻略にて王賁の昇格に乗じる形で亜花錦が三千人将から一気に将軍に昇格した例もある。

ただし、従軍には戸籍と持ち家が必要なようで、信は下僕の身なので王都奪還編で戸籍を得なければ「天下の大将軍」以前に従軍さえできない有様だった。

桓騎も野盗という経歴から戸籍が無かったと考えられるが、こちらは蒙驁が副将に抜擢する際に戸籍を与えていると考えられる(蒙驁は大将軍であるため、桓騎軍を収容できるほどの城自体は保有しているはずである)。


一方、作中の恩功制度の根幹は、討った首級の数であった。

作中で誰がいくら殺したかを地の文で説明しているのが特に顕著だろう(麃公が3万の首級を挙げたなど)。

ただし秦国の場合、影丘の虐殺後はこの首級の判定も無くなったが、仕組みは不明なものの作中では特に不満を見せる描写が見られないことから、首級以外の判断基準でもなお恩功制度は厚く機能している模様。


城への侵攻は、次の流れで進行する。

  1. 軍略会議にて、自軍の軍略や相手の軍容に応じて総大将を選定し、侵攻先を選定する。なお、総大将選定の対象となるのは基本的に将軍以上、かつ首都または侵攻先の付近に居る大将軍が対象となることが多いが、特に秦国のように常に侵攻していたり趙国のように討たれたりして大将軍が足りない場合、大将軍未満の将軍にも機会が巡ってくることがある。
  2. 侵攻地で戦争を行い、勝敗を決める。基本的に相手の総大将を討てば勝利となるが、馬陽のように王騎を討ったが表向きは趙国の敗北とした例や、山陽のように総大将同士による和平交渉で解決する例もある。防衛戦は、相手の総大将を討つか、相手の軍が防衛する城の突破が不可能と判断し撤退したら、勝利となる。
  3. 勝利国は、防衛網を準備したり、敗戦国の外部の兵が再度城を攻撃する、あるいは敗戦した城の民が勝利国の兵を攻撃するのを阻止するため警備を行なったりする。ちなみに、統治権は対外的には敗戦国から勝利国に移譲するが、奪い返してはならないルールは存在しないため、奪われた後でも奪い返すために進軍するのが常である。
  4. 勝利国から文官が派遣され、武将が保有していた統治権を文官に移譲することで、武将としては仕事が完了する。
  5. 統治権を委譲された文官は、同じく派遣された城の護衛兵とともに、再度城を奪い返してくる敗戦国の進軍、新たにその城を狙おうとする第三国の進軍、そしてその城に元々住んでいた敗戦国の城民からの反乱から防衛するため尽力する。作中では常識だが、このうち城に元々住んでいた敗戦国の城民からの反乱を止めるため、反乱の芽になりかねない城主や城民のリーダーなどは予め殺害するが、それに反発し決起する城民もまた殺害するなど、反乱を起こさせないための弾圧は徹底的に行う(剛京の記事も参照)。

以下は大将軍とその手前の記載が中心である。

ちなみに予め記載しておくが、作中では自衛隊のような陸軍や海軍といった区分は存在せず、実働部隊は作戦次第で船を用意して水軍として活動することもあり得る。

まあ当時は船について複雑な技術は無いので、軍部の根回しや軍師の作戦次第でどうとでもなるからであろう。

また、あくまで同じ軍であっても、率いる兵数については個人の階級に準じて設定されている

例えば影丘侵攻時は、李信が将軍、羌瘣が五千人将であるため、飛信隊全体で1万5千人を率いることが可能であり、その人数をきっちり揃えて従軍する。

ただし援軍については個人の軍の兵数とは無関係のようで、例えば黒羊では飛信隊は桓騎軍の指揮下にはあるものの、桓騎軍5万人の中に飛信隊8千人が含まれる訳ではなく、桓騎軍は5万人を個別に揃えた上で、援軍である飛信隊8千人を加えた、合計5万8千人で戦っている。


大将軍編集

作中の実働部隊における最高位……ではなく、階級としては「将軍」だが、客観的にも強大な武将を通称として大将軍と呼ぶと解釈した方が良い。

というのも王騎や廉頗といった名だたる大将軍と呼ばれる存在であっても、作中での階級の説明では一貫して「将軍」が用いられるためである。

現代では元帥くらいの立場と思われ、大将軍のリンクにあるように大臣らよりも強い政治力を有した例もある。

作中では上記の通り楚の大将軍の最高位・四天王を有する項燕の発言が政治的に強く現れている様子が見られる他、韓では第一将・洛亜完が首都・新鄭(しんてい)に、魏では呉鳳明が首都・大梁(たいりょう)にそれぞれ常駐し、軍中枢で意見する様子が散見される。


大将軍に昇格できる条件は不明だが、摎は討たれるまでに99もの城を落とし、それまでには間違いなく大将軍だった。

また、合従軍編の第一功として蒙武が、著雍の武功として騰が、黒羊の武功として桓騎が、それぞれ大将軍に昇格している。

例外として秦国の楊端和や趙国の龐煖が挙げられ、元は各国の軍の所属では無いが、いきなり大将軍に任命されている

大将軍が討たれたことでその穴埋め的に昇格する例もあり、楚の媧燐は汗明が討たれたことで大将軍に昇格している一方、秦の王騎の副将・騰は王騎の死後に王騎軍を継いでいるが継いだ直後は大将軍では無かったため、この辺りは国や軍部によって判断が異なると考えられる。


一部の国では、秦国大王が昭襄王の時代、作中の戦国七雄という領土を決定付けるほど際立って強力な大将軍に対して特別な称号を与えている。

具体的には秦国の六大将軍、趙国の三大天、魏国の魏火龍、楚国の四天王が挙げられる。

ただし彼らは作中ではその殆どが故人であり、存命であっても作中で殉職諸事情で亡命し将軍に降格といったように既に彼らの黄金時代は過去のものとなっており、武威を示すために現代に同様の称号を復活させたとしても秦国以外は淘汰されることがほぼ確定している。


一方、彼ら大将軍にとっては春秋戦国時代はまさに「黄金の時代」と呼べるほど名誉ある時代かもしれないが、王騎の跡を継いだ騰によると、旧六大将軍制度の「戦争の自由」だけでは昭王が目指していた中華統一が果たせなかったことを踏まえ「戦争の責任」、即ち中華統一の過程あるいは統一後における人々の生き方に対する責任も付随すると考えている模様。


大将軍は10万以上の兵を率いることができ、史実では60万もの兵を率いた大将軍も居る。

大将軍同士の対決は周囲に居る両軍の兵士が戦いを止め、大将軍同士の対決を見守ったり檄を飛ばしたりする光景も見られる。


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合従軍編前後で秦国では名だたる大将軍を失い、新たに大将軍を立てるのが急務だったため、以降の展開で大将軍を増やし、鄴戦後に六大将軍制度を復活させた。



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将軍は多数登場する一方、大将軍級は少ない。

さらに現在は廉頗も魏を経て楚に亡命している。

なお、司馬尚は龐煖が討たれた後で三大天に任命されたため、三大天(新)が同時に3人居た時期は無い。



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大将軍の変遷が激しい国。

作中から14年以上前に魏火龍(旧)が内乱により減り獄中で過ごした間、当時の最後の魏火龍である呉慶が討たれ、息子の呉鳳明が大将軍に昇格。

後に魏火龍(旧)が釈放されたものの、凱孟以外も討たれたことで、魏火龍(新)が登場した。



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秦国が把握している武将自体がそもそも少数である。

なお、満羽と千斗雲はかつて存在した小国の大将軍だが、楚でも同様かは明らかではないものの、便宜上こちらに記載する。



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元々国土が小さいため兵を用意するのも防衛するのも一苦労。

さらに韓は情報戦がメインで戦いを避ける傾向が強いため、武将の昇格にも影響している可能性がある。



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こちらも秦国が把握している武将が少ない。

さらに合従軍編時点で登場する大将軍はオルドしかいない。



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こちらも秦国が(ry



大将軍の手前編集

秦国では明確に存在する区分。他国は不明。

ピクシブ百科事典では一万人将の将軍との差別化のため、作中で用いられる表現である「大将軍の手前」と表記している記事がいくつかある。


将軍と大将軍の間に位置し、一万人将の将軍と比べ5万人を率いることができるが、数万人規模の挙兵ともなると人材不足のために、必ずしも理論上の兵数を揃えられないケースもある。

逆に下記のように一万人将1人に対し五千人将が複数人が配備されるなど軍全体で率いる総数が1万人を超える例がしばしばある他、廉頗四天王のように大将軍の采配によってその直属の将軍が数万人規模の兵を率いる可能性もあるため、実際の所「大将軍の手前」の位置付けを区別するのは難しい。

このため本項目では、以下のパターンに該当する将軍を「大将軍の手前」として掲載する。



  • 明確に大将軍に昇格した描写のある人物
    • 騰、楊端和、王翦・桓騎(蒙驁の死により昇格)
    • 媧燐



  • 大将軍傘下、かつ作中で3万人以上(作中では上記以外の基準は不明だが、キングダム関連のゲームでは高レアリティのキャラクターの排出率が高くなるガチャ演出に3万人という区分けがある)5万人未満の兵を率いた実績のある将軍

将軍編集

名前ありのキャラクターが作中で最も多く登場する階級。

作中の登場時期も併記する。

なお、原作漫画に将軍の記載が無いものの公式ガイドブック等に将軍の記載のある人物も含めて掲載している。


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  • 趙荘万極渉孟馮忌:馬陽戦の趙将軍たち
  • 昧広(まいこう):屯留に侵攻した将軍
  • 晋成常(しんせいじょう)・雷伯(らいはく)・共伯(きょうはく):李牧軍傘下将軍
  • 岳嬰金毛:慶舎軍傘下将軍
  • 紀彗馬呈劉冬・海剛(かいごう)・紀昌(きしょう):離眼城の将軍たち
  • 善満(ぜんまん):離眼の悲劇の際に李牧とともに邯鄲から派遣され火刑を見届けた将軍
  • 晋利間(しんりかん):鄴編で鄴城の城主に苦言を呈した、鄴城の西側を守る将軍
  • ロゾ・ゴバ・ブネン・トアク:鄴編の犬戒族
  • 甲鬼央(こうきおう):鄴編で秦の水軍を負かした将軍
  • 黄司(こうし):什虎攻めから影丘攻めの間に戦った将軍
  • 竜布:龍白公の長男

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  • 朱鬼麻鬼:呉慶軍傘下将軍
  • 風伯(ふうはく):山陽攻略編で侵攻された城の将軍
  • 間永(かんえい):河了貂軍師デビュー時の相手将軍
  • 蛾牛(がぎゅう):週刊少年ジャンプ読切(公式ガイドブック『覇道列記』にも掲載)に登場した陳城(ちんじょう)の将軍
  • 紫太(したい):先代紫伯
  • 乱美迫:霊凰軍傘下将軍→呉鳳明軍傘下将軍
  • 筍詠(じゅんえい)・龍范(りゅうはん):什虎城侵攻の呉鳳明軍傘下将軍
  • 馬介(ばかい):什虎城侵攻で玄右に討たれた将軍

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  • 魯近(ろきん):臨武君の副官
  • 剛摩諸(ごうましょ)・貝満(べいまん):汗明軍傘下将軍
  • 玄右(げんう)・寿胡王(じゅこおう):什虎城の将軍
  • 項翼白麗:媧燐軍傘下将軍

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その他編集


関連タグ編集

キングダム

将軍:一般的な将軍の意味はこちら。

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