もしかして:リゾートゲートウェイ・ステーション駅(舞浜リゾートライン)
四十七士の墓どころ
雪は消えても消えのこる
名は千載の後までも
(『鉄道唱歌』第一集「東海道篇」二番)
概要
2020年3月14日に営業を開始したJR東日本山手線・京浜東北線の駅。山手線としては1971年の西日暮里駅開業以来約40年ぶりの、また京浜東北線としては2000年のさいたま新都心駅開業以来約20年ぶりの新駅となる。
「暫定開業」というのは、この駅が広大な車両基地(田町電車区/品川客車区/東京機関区)の跡地に建設されており、周辺を含めてまだ再開発の途上にあるためである。
300mほど西に京急・都営浅草線の泉岳寺駅があるものの、そちらも大規模な商業施設等を抱えているわけではないため乗客の移行もあまり発生しておらず、現時点では山手線・京浜東北線の駅とは思えないほどに閑散としている。
本開業は2024年の予定となっている。
新技術のショールーム的な存在として位置付けられており、人工知能搭載の各種ロボットや双方向的なコミュニケーションが可能なバーチャルキャラクター、無人コンビニ、自動調光システムの採用など、挑戦的な試みが多く取られている。
駅名について
駅名はJR東日本の駅としては初めて一般公募に基づいて決定された。2018年6月5日~6月30日の間、インターネット及び郵送での駅名案募集が行われ、それら送られてきた駅名案を基に新駅名を決定、同年12月4日に公式発表された。
しかし「高輪ゲートウェイ」の得票数は僅か36票で130位であった事、カタカナ交じりの長い名前が山手線のイメージに合わない、そもそも「ゲートウェイ」という単語自体がよく分からないなどの理由から批判が殺到してしまった。
1位は「高輪」、2位は「芝浦」、3位は「芝浜」と、多くの人は伝統的でシンプルな命名を望んでいたのである。
ちなみに「高輪」は過去に同名の駅が存在していたが、戦前の、京急がまだ「京浜電気鉄道」を名乗っていた時代に廃駅となっており、混同を避けたという事も考えにくい。
東京のど真ん中にできる新駅という事で、メディアの注目度も極めて高かった。ニュースなどで繰り返し取り上げられたために沿線以外にも広く拡散され、炎上を通り越して社会問題のように扱われたほどである。実際、撤回と再考を要求する抗議運動も行われており、4万8000名の署名が集まったという(JR東日本はこの名称の変更をするつもりはないと回答している)。
そもそも駅周辺の開発もJR東日本主導で進められており、「グローバルゲートウェイ品川」というプロジェクト名が付けられていた。これに合わせようとした事は確定的に明らかであり、要するに出来レースだったわけである。
一応「ゲートウェイ」にも元ネタらしきものはあり、江戸時代に存在した「高輪大木戸」という関所に由来しているものと考えられている。とは言え、その遺構は先述の泉岳寺駅の方が圧倒的に近い位置にあり、後付け感は否めない。
もっとも、これはJR東日本では珍しい話ではなかった。
車両基地を空けるために始めた東海道線と東北本線の直通運転は「上野東京ライン」と命名されたし、歴代のフラッグシップトレインであった「北斗星」「はやて」「はやぶさ」も、公募こそされたもののいずれもトップ3にも入っていない候補であった。
「北斗星」などは「北を目指す夜行列車に相応しい」と結果的にかなりの好評を得ており、もしかすると「高輪ゲートウェイ」も先見の明が評価される時が来る・・・のかもしれない。
ネットの反応
元々「DQNネーム」を批判する傾向が強かったネットユーザーも、その一種であるとして当然のごとくこの炎上に便乗した。
ただ、真剣な抗議運動はそれはそれで冷笑に付される傾向がネットにはあり、リアルとは一線を画して大喜利的にネタとして消費する行為が主流を成した。
一例を挙げると
- コンピュータネットワーク用語(デフォルトゲートウェイ)調に「高輪192.168.11.1」などと書き換える。
- 1990年代後半に人気のあったパソコンブランド「ゲートウェイ」から、特徴だった牛柄のパッケージ風にする。
- 奇しくも付近の泉岳寺付近は、明治初頭まで「高輪牛町」とも呼ばれていた。
- 付近に存在する天井が低い事で有名なガード(高輪架道橋=通称高輪ガード)をもじって「高輪ガードウェイ」、逆にそのガードが自動車通行不可になった事を指して「高輪ゲートウェイ」などと呼ぶ。
- 国鉄風のデザインに落とし込んで歴史をでっち上げる、あるいはそれで異常性を際立たせる。
- 逆に他の駅も適当な横文字を付ければ違和感が無くなるとして、「池袋サンシャイン」などと呼んでみる。
- DQNと言うよりもむしろ「ザギンでシースー」的な古の業界用語に近い発想ではないかとする説から、色々な死語と組み合わせてみる。
- 「ゲイとウェイ」でカップリング。
- 天皇の生前退位を控えていた時期であったため、そちらとの合体事故を起こす。
- 終いにただ駅名を並べただけで笑えてくるという意見も。
といった具合である。
暫定開業以降
実際に高輪ゲートウェイ駅が出来上がると、今度はその看板が新たな火種になった。
フォントが標準のヒラギノではなく、妙に細い明朝体になっていて視認性に難があったためである。
ヒラギノと言えば遠目からの視認性に特化したようなフォントであって外す合理的理由が見当たらず、やはり利用者の事を考えていない自己満足的なデザインではないかと批判が上がった。かと言って別段お洒落というわけでもなく、ただただダサいだけという感想が大勢を占めている。
また、バーチャルキャラクターは男女2種類が用意されていたのだが、女性型のみが萌えキャラ調のデザインであった上にセクハラに対する受け答えまでプログラミングされていたという事が明らかとなって「何に金を注ぎ込んでいるのか」などとの批判が一部から沸き起こった。
ただし、この件に関しては次第に「フェミニズムvs表現の自由」という構図で捉えられるようになり、オタクと保守派の多くが後者に付いてむしろ擁護する傾向を見せ始めた。特にコンピュータ系のオタクにとっては、人工知能の進化を体現する存在として感動的ですらあったという。
男性型の方も(かつてネットの一部でカルト的人気を博した)「股尾前科」のコンパチではないかという疑惑が持ち上がったが、女性型を巡る論争にかき消されてしまった感がある。
そうこうしている内にCOVID-19の感染拡大が進み、駅一つで争っていられるような情勢ではなくなった事で全てがうやむやになり、なし崩し的に定着を見ている。
そして、待ちに待ったオリンピックが来るはずだったのだが……観客は誰一人来ること無かったです。残念ながら…はい。
余談
近隣のりんかい線「天王洲アイル駅」などはどうなのかといった声も挙がったが、新興の埋立地に位置する事、路線自体の歴史も浅い事などから同列に扱うべきではないとする対抗言説も出てさほど盛り上がらなかった。
「大喜利」のネタとして持ち寄られる事はあったものの、基本的に当駅と運営するJR東日本の間で終始していた点はこの騒動の特徴であったと言える。
実際、本駅名の決定と同時期にも東京メトロ日比谷線の新駅が「虎ノ門ヒルズ駅」になったと発表されているが、既に営業している「虎ノ門ヒルズ」ありきの駅である事、社名自体もカナ交じりである事などから強い批判には至っていない。
とは言え、こうしたネーミングも世に出た当初は各々物議を醸しており、決して手放しで受け入れられてきたわけでもない。「当時やり尽くしているので今更批判するまでもない」「最早手遅れである」といった感覚も少なからず見られる点には留意が必要がある。
そもそも「同列に扱うべきではない」とは「明確に格下であり論ずるに値しない」という意味と表裏一体になる。「言われるうちが花」という事でもあるのだろう。
これを裏付ける例として、2019年には東急田園都市線の「南町田駅」が「南町田グランベリーパーク駅」に改称されているが、付近一帯が「南町田グランベリーパーク」になった事、以前から「たまプラーザ駅」などを有してきた事、「田園都市線」自体もイメージ優先の新興路線という趣が強い事などから、かなりすんなりと受け入れられたという事がある。
あまりの無風状態に、炎上商法に失敗したなどと前途を危ぶむ声が挙がるほどである。
2021年5月には、京葉線の新習志野駅と海浜幕張駅間に建設する新駅の名称が公募された。
この時の結果は1位が「幕張新都心」、2位が「新幕張」、3位が「幕張ゲートウェイ」となっており、皮肉や愉快犯も相当混ざっていたものと見られる。
なお採用されたのは13位の「幕張豊砂」(104票)であった。これに対しては「やっぱり出来レースじゃないか」といった批判の他、「何故普通の駅名なんだ」と逆に困惑する声も一部で挙がっている。
駅構造
島式2面4線の地上駅。
西側ホームが山手線。東側ホームが京浜東北線となる。
隣の駅
※山手線、京浜東北線共通
【内回り・北行】田町駅 ← 当駅 → 品川駅【外回り・南行】
渋谷駅との間は、当駅西側に発着する東急バス品川線【渋43】とある程度並行するが、そちらは山手通り(特に、JRの駅がない目黒区)を経由する。ただし平日は朝夕、土休日は昼間のみ運行。
利用状況
2021年(令和3年)度の1日平均乗車人員は7,867人である。山手線の駅では最も少ない。
先述の通り、現時点では再開発の途上で「何にもない」に等しい駅であるため、「秘境駅」扱いされる事さえある(あくまで山手線・京浜東北線ユーザーにとっての感覚であって、本物の秘境駅は0人の日がザラにあるとか駅に繋がる公道が無いレベルなのだが)。
年度別
年度 | 乗車人員 | 乗降人員 |
---|---|---|
2020年(令和2年) | 6,785人 | 13,570人 |
2021年(令和3年) | 7,867人 | 15,734人 |