1990年代に全盛期を迎えた歌手やプロデューサーは何らかの形で悲劇に見舞われる事が多いジンクスの事。
代表例
男性
いずれも悲劇に見舞われたのが比較的最近であり、年齢も50前後に多いのが特徴。特に2023年は「呪いじゃないか」とも言われるレベルで悲劇が相次いでいる。
1990年代を語る上では欠かせない存在。1990年代半ばに大量のミリオンヒットを生み出し、資産は100億円に上るとも言われていた。誰もが将来安泰だろうと予測していたが、現状は起業失敗や日頃の浪費癖が祟り金欠生活を送っており、2008年に著作権を巡る詐欺の疑いで逮捕される。自業自得と言われればそれまでだが、億万長者から前科持ちの貧乏人へと落ちぶれた転落劇は日本中に衝撃が走った。
さらに10年後、今度は週刊文春のスクープによって看護師との不倫が発覚して騒動となり、それのけじめとして引退することになってしまった。しかし、友人の秋元康の誘いもあって、2020年に乃木坂46の配信限定シングル「Route246」の作曲を担当するなど、徐々に活動を再開していった。
チャゲアスのヒット曲の大半の作詞作曲を手掛けている。
1980年代は光GENJIのプロデューサーとして活躍。90年代に入ってからは1991年の「SAY YES」と1993年の「YAH YAH YAH」がダブルミリオンを記録し、社会現象となる。
2009年に無期限活動停止を発表。2013年に活動再開と復活ライブを発表しファンを喜ばせるも束の間、ASKAが脳梗塞を発症したため延期になってしまう。
病気の療養中、ASKAに薬物使用の疑惑がある事が週刊文春にリークされてから再結成にますます暗雲が立ち込めはじめ、2014年5月17日に覚醒剤取締法違反に逮捕された事でそれが確定してしまった。
薬物使用による症状は想像以上に重く、最低でも3年は治療に専念しないと歌手として復帰出来ない状況だと明かされたが、2017年2月に自主レーベルから新作をリリースし音楽活動を再開した。しかし2019年8月にチャゲアスの解散を正式に発表した。
シャ乱Qのボーカリスト。1994年に「シングルベッド」、1995年に「ズルい女」、1996年に「いいわけ」をヒットさせ、瞬く間にトップアーティストの仲間入りを果たす。さらに自身がプロデュースしたアイドルモーニング娘。、松浦亜弥も大ブレイク。一時社会現象を起こすなどプロデューサー・企業家としても成功し、億万長者となった。
しかし2014年頃から咽頭がんが見つかり、治療に専念。一度は回復するも再発し、10月に声帯を除去した事を公表。結果的に歌手としての命である声を失ってしまった。
1997年に解散し、2007年に再結成。破滅という単語を好むバンドだが、そのメンバーももれなく「破滅」している。
そもそもの解散の一因であるToshiはリーダーYOSHIKIからの無茶な要求や家族間のトラブルなどにより自殺を選ぶ寸前の精神状態にあり、さらに配偶者が自己啓発セミナー『ホームオブハート』の一員だった事を教祖のMASAYAから運悪く漬け込まれ、10年近くカルトにのめり込んでしまった上多くの財産も失うこととなった。
さらに解散直後には1998年5月にギターのHIDEが33歳という若さで謎の首吊りをして急逝する不幸が連続し、Toshiのカルト洗脳をさらに加速させてしまうこととなった。
再結成後も悲報は絶えず、1992年までの元同僚ベースのTAIJIが2011年7月に暴行事件の末サイパンで首吊り自殺をしこれもまた45歳という若さで逝去。
2016年にはギターのPATAが大腸憩室炎と門脈血栓症を併発し、ICUでの治療が必要になるほどの重篤状態に陥ったが、こちらは奇跡的な回復により一命をとりとめた。
しかし2023年には今度は二代目現ベースのHEATHの大腸癌が発覚し、治療に専念するもすでに手遅れで同年10月55歳の若さでHIDEとTAIJIの後を追うように亡くなった。
元から体にムチ打ちを繰り返し満身創痍の状態だったXJAPANのリーダーYOSHIKIにしても過去に酩酊状態に入ると何度も自殺未遂を起こした事があり、2015年明けに右手が腱鞘炎を起こし回復が絶望的な状況にあることを公表。下手すれば一生右手が使えなくなるかもしれないほどに状態が深刻であることを明かしている。
現在そのような破滅的災難と無関与なのは二代目ギタリストのSUGIZOのみであり、彼もジンクスに巻き込まれるんじゃないかと心配する声も出ている。
黒沢健一(L⇔R)
元・L⇔Rのボーカリスト。1995年に「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」がミリオンセラーを記録し、人気絶頂の中1997年に活動休止。作曲家としても森高千里の「気分爽快」などをヒットさせている。バンド活動休止後はソロ活動を続けていたが、実弟の黒沢秀樹とも決して仲が悪かったわけではなく共に仕事をする事もあった。しかし2016年10月脳腫瘍を患って何度か通院していた事を公表し治療のためにしばらく活動休止を宣言するも、わずか二ヶ月後の12月に同病気で急死。48歳という若さだった。
彼と同期のアーティストはまさに今が歌手として脂の乗っている時期であり、ちょうどL⇔R結成25周年の企画がこれから展開される矢先ともいうべきタイミングで、再結成の希望も見られた中での悲劇であった。
ジャニーズが生んだ国民的アイドルグループ。1991年にCDデビュー。
96年には人気メンバーだった森且行が脱退するというアクシデントに見舞われるも、この頃からその喪失感を感じさせないほど人気が急上昇し、「夜空ノムコウ」「らいおんハート」「世界に一つだけの花」などのビッグヒットも出しジャニーズの代名詞とも言うべきトップアイドルへと急成長した。
しかし、2015年1月に週刊文春でのメリー女史による暴露記事をきっかけに、SMAPマネジャーと喜多川一族との対立が泥沼化し、2016年明けにメンバーの事務所退社や独立騒動が浮上し解散危機に陥っている事が週刊誌やネットニュースなどで取り上げられ、後にそれが事実である事を事務所が認めた。
この時はファンの決死の反対運動により事態は収束化するも、同年8月に正式に同年大晦日をもって正式な解散が発表された。
この年はちょうどデビュー25周年のメモリアルイヤーにもかかわらずライブイベントもまったく行われず、NHKからの数度にわたるプッシュも空しく紅白歌合戦も辞退。ラストステージは26日放送の「SMAP×SMAP」最終回のスタジオライブになると発表されたが、実際放送された番組の内容の大半が過去の映像のダイジェスト、終盤のスタジオライブも生ではなく3週間以上前の1日に収録済みのものというあたかも現在の彼らを極力出す事を避けるような番組構成で視聴者からも「死んでないのに追悼番組を見ているかのよう」とも揶揄された。
SMAPと同じ2016年に活動終了したμ’sと氷室京介が「東京ドームのキャパシティを解放しきったたラストライブ」という綺麗な大団円を迎えた例と比べても杜撰さは明白であり、その最後は25年もの長きキャリアを持つトップアーティストのそれとは到底思えない、あまりにも無様で呆気ないものだった。
SMAPファンからも「ジャニーズ事務所が圧力をかけて彼らを束縛し無理矢理終わらせられたのではないか」と邪推され事務所が厳しい批判を食らっているが、その事務所も一体内部で何が起こっているのか全く明かされず各マスコミですら投げやり気味な考察しか出来ないほど完全なブラックボックス状態なので真相は依然闇の中なのが現状である。
ちなみにSMAPが解散前に行った最後のライブは解散発表から1年以上遡る2015年1月12日の「Mr.S」ツアーファイナルのナゴヤドーム公演となる。
ジャニーズが生んだ国民的バンドのベース担当。2018年4月、『Rの法則』で共演したJKを自宅に連れ込んだ上、自身は飲酒してセクハラをしたことが発覚し、5月6日TOKIOを脱退、ジャニーズ事務所を自主退社してしまう。
そのとばっちりはグループ全体にも大きく響き、前年8月に出した「クモ」を最後に新譜が途絶え24年間出場していた紅白歌合戦出場もストップ、さらに冠番組ザ!鉄腕!DASH!!でもメンバー随一の肉体労働要員だっただけに残りのメンバーに過負荷がかかる形となって以前ほど大胆な企画はやり辛くなってしまった。騒動から2年後の2020年9月22日に飲酒運転で現行犯逮捕されてしまった。
90年代末期を代表するテクノバンド電気グルーヴのボーカリスト。
2019年3月13日に厚生労働省麻薬取締部によりコカイン所持使用の容疑で緊急逮捕、さらに長らく所属していたソニー・ミュージックアーティスツを解雇となった。
調べに対し「20代のころからコカインや大麻を使用していた」と長期の使用を認めているという。
この解雇が後に相方の石野卓球とSMAとの衝突につながったとされる石野本人の発言があり、彼も同年6月の契約満了を期に事務所を退所している。
2005年に「月光花」を大ヒットさせるも2007年に事実上の活動凍結状態に陥り、10年以上も沈黙が続く。
それでもバンド活動再開に希望を抱いていたファンが多かったが、2017年8月にAcidBlackCherryとしてソロ活動していたボーカルのyasuが頚椎を損傷する音楽生命に致命的な怪我を負ってしまう。それに追い打ちをかけるように2年後の2019年4月1日、ベースのka-yuが「社会的正義から著しく反する行為」に手を染めたためバンドを脱退、事務所を退所したことでバンドの正式な解散が決まってしまった。
近年はSIAMSHADEに並ぶ演奏レベルの高さを評価され、尚更活動再開を熱望されていただけにバンドの解散は多くの人から惜しまれた。
1990年に流星のごとくデビュー。1991年に「どんなときも」がミリオンヒットし、90年代の天才シンガーソングライターの異名を取ったが、1999年に覚醒剤を所持していたとして現行犯逮捕され、同時にゲイであったことも暴露されてしまう。2年後の2001年に復帰し、自身が作詞作曲し、上述のSMAPに提供した「世界に一つだけの花」が大ヒットし、違法薬物に手を染めた芸能人の反面教師として再び注目を浴びた。しかしデビュー30周年を迎える2020年、様々な企画を用意していた矢先の2月13日に再び覚醒剤所持で21年ぶりに御用となってしまった。
長尾大
DoAsInfinityの元メンバーで知られ、D・A・I名義の方が通じる人も多いのではないだろうか。Do As Infinityのプロデュースのみならずミリオンセラーを記録した浜崎あゆみの「Boys&Girls」や「A」収録の4曲全曲、2000年代にも「SEASONS」などの作曲も手掛け、小室と決別後のエイベックスを支えた重鎮の一人でもあったが、2020年6月24日に覚醒剤所持の疑いで現行犯逮捕されてしまった。
1998年にメジャーデビューし、ポストジュディマリとして売り出されたスリーピースバンド。
翌年「春~spring~」「なぜ…」が大ヒットしブレイクしたが、2004年にメンバーだったギターのナオキが9人に暴行を行ったとして逮捕されたことで解散を余儀なくされてしまった。
さらに2020年9月にわいせつ行為を行ったことで再び逮捕された。
その後はナオキ抜きの二人で活動再開しているが、基本ヒスブルの曲の歌唱はTama、代表曲の大半の作曲はドラムのたくやという事情もあり、彼の再犯は2人にはバンドのイメージを落としかねない迷惑極まりない足かせになってしまっている。
1987年のメジャーデビューから35年以上一度もメンバーチェンジをすることなく続けてきた実力派バンド。XJAPANと共にヴィジュアル系ジャンルの始祖とも呼ばれている。
そんな半端な覚悟では継続できない偉業をやってのけた5人のうちの誰かが最初に欠けたのは、2023年10月の横浜のライブがボーカルの櫻井敦司の体調不良により中止となり、その日のうちに50代半ばという若さで亡くなってしまうというあまりに突然すぎるものだった。
この報せはヴィジュアル系界隈にも大規模なショックを与え、多くの後輩たちが哀悼の意を表した。
法政大学卒業後の1987年にメジャーデビュー。1990年に発表された愛は勝つは翌年シングルとして発売され、200万枚を売り上げる大ヒット曲となった。
しかし2023年3月、世界ではゴグ稀とされる『メッケル憩室ガン』を羅患していたことを公表し、治療を優先して活動をするも同年11月12日に治療の甲斐も虚しく急死した。
1990年代から2000年代前半を中心に活動していたロックバンド。
ボーカルのチバユウスケのがなり立てるような歌唱力や楽器隊の演奏技術の高さもさることながら、2003年6月27日放送のミュージックステーションのt.A.T.u.ドタキャン騒動で急遽生演奏を披露した雄姿は番組の名場面としても取り上げられる。2003年解散。
その後アベフトシが2009年に42歳という若さで亡くなったためオリジナルメンバーでの活動は不可能となり、2023年にはチバまでもが55歳という若さで食道癌で亡くなってしまった。
女性
ビーイングブームを象徴するアーティストの一人。
ブーム終焉後も積極的に音楽活動をしていたが2000年頃に子宮頸がんが発見され、以降は仕事をこなしながら闘病生活を送っていた。
しかし2007年4月にがんが肺に転移し病状が悪化。同年5月26日に入院先の慶応大学病院のスロープから転落、翌日27日に脳挫傷で40歳の若さで亡くなった。
1998年にデビューし、翌年発売した1stアルバム「First Love」が700万枚という圧倒的売り上げで歴代売上一位を記録。若干16歳にして天下を取った。
しかし、2000年に入ると後述の家族関係のストレスからか卵巣に異常をきたし卵巣摘出手術を受ける。
そして2013年8月に実母である藤圭子が自殺。藤圭子はかなり前から精神病を患っていたが、自覚症状がないため治療させてあげる事が出来ないジレンマに長年悩まされていた事も明かされた。
小室撤退後の90年代後半~00年代前半のエイベックスをリードした歌手。
CDの総売上は歴代3位を誇る。
2000年ごろに左耳に突発性内耳障害を発症した事が発表され、2008年には完全に聴力を失っている事が明かされた。
また、2011年に起こしたミュージックステーションのドタキャン騒動は彼女のイメージを完全に悪化させてしまいファン離れや2014年の紅白歌合戦落選にも繋がってしまっている。
小室ブームを象徴するアーティストその1。
1990年代半ばにヒット曲を連発し97年にTRFのSAMと結婚。幸せな家庭を築いたかに見えたが、1999年義理の父の弟が母親を殺害する事件が発生し衝撃を与えた。
また2002年にはSAMと離婚している。そして、2018年9月をもって芸能界を引退することを発表した。
小室ブームを象徴するアーティストその2。
小室の愛人としても知られたが、1998年ごろから関係が悪化。1999年には破局し、同年にはそのショックで自殺未遂を起こしそのあまりに変わり果てた姿にショックを受けたファンは多い。
一時期は海外に遠征し一からボイトレをし直したり、コロッケとのデュエットやクレヨンしんちゃんの主題歌を歌うなど精力的に活動していたが、2007年に再び自殺未遂を引き起こし事務所を解雇。また、当時付き合っていた男から暴行を受け片耳がほとんど聴こえなくなるなど裏でも波乱万丈な人生を送っていた。
2012年12月新しい事務所に所属し歌手活動に復帰。2014年には因縁の小室と番組内で共演し和解、2015年5月には再び小室プロデュースの楽曲を発売することが決定した。
小室ブームを象徴するアーティストその3。
華原朋美とほぼ同時期に小室も所属するglobeのボーカリストとしてデビューした。
2002年に小室と結婚。しかしその6年後に小室が逮捕されたストレスによるものか、2011年くも膜下出血で倒れる。幸い早期発見だったため一命は取り留めたものの、治療の後遺症にglobe時代の記憶や自らの歌唱スタイルを忘れてしまうという記憶障害を抱えてしまった。
現在は歌手活動を休止しリハビリに専念している。
なお上記にある小室の不倫騒動はこのリハビリ期間中に起きている。
1995年の「碧いうさぎ」のヒットで知られる。
2009年に夫が覚醒剤使用容疑で逮捕、妻である本人も同じ疑惑をかけられ、逃亡を図ったが逮捕された。
また、マスコミの過度のバッシングによりどす黒い家族関係やプライベートを赤裸々に暴露され表舞台への復帰がほぼ出来なくなってしまっているほどに世間からの印象を落としてしまった。
この影響もあり夫とは離婚している。
1996年にデビューしたアイドルグループSPEEDのメンバー。
2012年にET-KINGのTENNと結婚し、幸せをつかみ取ったかに思えたが2年後の14年9月にTENNが謎の自殺をしてしまう。
その3年後に遺族が遺書が公開し、自殺の動機が自身の不妊から来る上原の不倫である事が明らかになった。
同じくメンバーの今井絵理子も2004年に175Rのボーカルと結婚するも3年後に離婚、さらに息子は手術でも治せない聴覚障害を患っている。
16年に自民党の参議院に当選するが彼女も不倫をしていた事が大きく問題になった。
1999年加入。瞬く間に人気を獲得し一時期ジャケットのセンターを安倍なつみから奪い取るほどだった。
しかし弟がマネージャー暴行・未成年飲酒などの問題を引き起こしていたことに悩まされる。さらに2010年明けには母親が実家から転落死してしまう。父親は1996年に登山で転落死しているため、24歳という若さで両親がいない家庭となってしまった。
2019年3月には週刊文春にて、自身の元カレとの不倫を巡って、夫との離婚訴訟を報じた。
元モー娘。の転落レベルのスキャンダルとなると矢口真里や加護亜依、吉澤ひとみのイメージが強いが、加護と吉澤は2000年加入なのでここでは割愛。
悲劇を乗り越えられた例
90年代の後半にデビューし、紅白歌合戦に2002年まで連続出場するほど躍進したのだが、2000年代半ばにはメンバーの脱退が相次いで終いにはリーダーのISSA以外の結成当初のメンバーがいなくなった。さらに追い打ちをかけるかのようにISSAも2008年にはバク転に失敗して大怪我した挙げ句、さらに2012年には当時の交際相手との婚約間近と言われていた矢先にとあるスキャンダルでトラブルを起こしてしまう。これにより当初予定していた婚約を破棄された上にグループにイメージダウンをもたらしてどん底の状態となり、新メンバー達とともに各地ショッピングモールを回って新譜のリリースイベントするほどになってしまったという。しかし2018年には「U.S.A」で再ブレイクを果たし、紅白にも再び出場するも、それがもし出来なかったらISSAは「グループを辞めるつもりだった」と語っていた。
ビーイングブームを支えたアーティストの一つ。
活動の最中であった1995年にボーカルの森友嵐士が心因性発声障害を発症したことでライブは大阪厚生年金会館公演、シングルは翌年の「Be Myself」のリリースを最後に継続が困難となり予期せぬ活動休止を強いられ、そのまま解散してしまう。その後も十数年に渡り闘病していた。
しかし2010年代に入り森友が病気を克服したことで完全復活を果たし、徐々にかつてのような歌声も取り戻しつつある。
通称ドリカムで知られるDREAMS COME TRUEのボーカリスト。
2004年に結婚した映像ディレクターが3年後に胚細胞腫瘍で33歳の若さで亡くなってしまう。
このニュースがきっかけで同年12月に発売されたアルバムは70万を超える大ヒットとなってしまったのが何とも皮肉である。
現在は無事に悲しみを乗り越え精力的に音楽活動を続けており、2012年に再婚もしている。
BOOWYと並ぶ偉大なバンドと称されているJUDY AND MARYのボーカルで、現在はソロ活動をしている歌手。
JUDY AND MARY時代でも喉の不調や方向性の違いでメンバー同士のトラブルに悩まされたものの、解散後に真心ブラザーズの倉持陽一との間に儲けた長男が乳幼児突然死症候群で死亡するという最大の不幸が襲いかかる。これには「本当は今回ライブができるかどうか、わからなかったです」と語るほどショックだったという。しかしその後2人の男の子を出産し、現在も歌手活動をしている。
飯田圭織(元モーニング娘。)
1997年結成時のモー娘。オリジナルメンバーの1人で二代目リーダー。卒業後ファン向けバスツアー前に元7HOUSEのケンジとできちゃった結婚を発表しファンを驚かせた。しかし、その翌年に彼との間に儲けた長男が生後6ヶ月で急死する悲劇に見舞われてしまうも2013年に次男、2017年に長女が誕生したことがきっかけで悲劇を克服した。
その他
持ち歌でギャラや印税を全くもらえなかった事を暴露した沢田知可子、19のメンバーだったのになかったことにされた326、CDやグッズのギャラをほとんど事務所に持っていかれたSHAZNAのIZAMなど90年代の邦楽バブルの闇がどんどん明らかになっている。