概要
大抵の漫画家やイラストレーターは活動期間が長くなるにつれ少しずつ絵柄(画風)が変わっていくものである。
仮に一見変化がないように見えても(仕事として長年続けているのであれば)その時代ごとに微妙な差があるのが当たり前であり、一切変化がないというのはごく稀である。
「絵柄」という概念は少々曖昧なため、どの程度で「変わった」とするかは人によるが、過去の作品と現在の作品を比較した時に複数の人がわかるような(場合によっては別人レベルと言っていいほどの)大きな変化がある時に言われることが多い。
理由としては
- 絵の上達(画力自体の向上)
- 他者の影響を受ける
- 新しい作風への挑戦(漫画家や挿絵画家など、作品のストーリーに合わせて画風を切り替える人もいる)
- その時代ごとの流行への対応
- 製作環境の変化(画材やアナログ⇔デジタルなど本人の環境の他、アシスタントや分業状態の変化なども含まれる)
など様々。
作家によっては、休業や断筆、他ジャンルへの転向などを挟む長いブランクや、病気などの影響で以前と同じように描けなくなってしまったためやむを得ず絵が変わった、というケースもある。
pixivでは以下に挙げるような絵柄が変わった人物をネタにする作品のほかに、投稿者自身の絵柄の変化を紹介するような作品にもタグとして使われている。
また、「変化」と言っても作品ごと・ジャンルごとで意識的に切り替えているというよりは、時間経過とともに段階的に変容していったケースを指すことが大半である。
主な人物例
80年代の作品はリアルすぎて人を選ぶかもしれない(後発の大友克洋の影響が強い)。
ただしアトムに関しては長期連載ゆえに意図的に絵柄を変えていたらしく、丸っこく小学校低学年向けなアトムとスリムな小学校高学年向けを読者が入れ替わったと思うタイミングで使い分けていたという。
初期はいかにもギャグマンガ然としていたが、ハレンチ学園ではじけてからは作風も作画も激変。デビルマン以降は一気に書き込みが増えた。
デビュー当時~80年代中期くらいまでは戦友・永井豪の影響も強かったが、『魔界転生』を期に独自の画風・作風をより確立してゆく。
- 秋本治(こちら葛飾区亀有公園前派出所)※1976年デビュー
初期はこってりとした劇画タッチで、中盤以降はギャグ調・アニメ調のすっきりとしたタッチに変わっている。連載開始当時にタイムスリップする話は必見。なお、141巻の表紙はあえて昔のタッチで描かれている。
初期はアメコミや往年のプラモデルの箱絵のようなアメリカンなテイストが強かったが、だんだん簡略化された「完成されたイラスト」に。
作画の方のこと中井義則。初期はヘタすぎてジャンプ編集部から表紙イラストを描かせてもらえなかったとのことで、連載開始時の表紙イラストでキン肉マンが緑色のマスクなのは「新人でまだ絵も上手くないから無理だ」と判断した編集部が勝手に外部のイラストレーターに依頼して描いてもらったため。その後絵の専門学校に通ったり、3Dモデルやフィギュアを作画に活用したりすることで、現在進行形で画力が上昇している。
- 荒木飛呂彦(魔少年ビーティー、バオー来訪者、ジョジョの奇妙な冒険、岸辺露伴は動かない他)※1980年デビュー
初期は劇画らしい荒々しさだったが、今やシャープで芸術的な絵柄に(ルーヴル美術館にバンド・デシネの依頼をされるレベル)。特に『ジョジョ』の第2部から第3部の間、ウルトラジャンプに連載誌を移籍した第6部から第7部の間で変化が激しい。
『北斗』執筆中からどんどん書き込みが増え、リアルになっていき迫力が増すが逆に暑苦しさを感じさせるような画面構成に。花の慶次では多忙と戦国時代という舞台設定から線を減らしたのだが、かえって見やすくなったと好評に。
- 小畑健(サイボーグじいちゃんG、ヒカルの碁、DEATH_NOTE、バクマン。他)※1985年デビュー
リアルタッチな作画で知られるが、もともとは少年漫画らしいやや丸っこい画風であった。『ヒカルの碁』連載中に登場人物が整形したのかと言われるほどどんどん絵が美麗になっていった。『バクマン。』では原作の大場つぐみの要望でデフォルメを効かせたシンプルな絵柄に変え、年を重ねるごとにデフォルメが加速していった。しかし『プラチナエンド』では往年のリアルタッチな絵柄に回帰した。
『テイルズオブシリーズ』や『サクラ大戦シリーズ』からのファンが、初期の「逮捕~」を見て絶句すること間違いなし。
初期は師匠に似て少女漫画風の絵柄だったが、次第に少年漫画らしい画風へと変わっていった。
刃牙第2部でガラリと筆遣いが変化する。スクリーントーンの貼り方がかなり独特。なお、近年の作品ではカラーイラストにおける彩色担当としてさいとうなおきが参加している。
- 久米田康治(行け!!南国アイスホッケー部、かってに改蔵、さよなら絶望先生他)※1990年デビュー
初期は頭身が高く太めの線で、ある意味時代を感じさせるような絵柄であったが、徐々に線が細くなり全体的にシャープでデフォルメの効いたものに。一方カラーイラストでのシティポップな路線は変わっていない。
泥臭さの残る少年漫画らしい絵柄からやけに萌え風の可愛らしい絵柄に。特に烈火に関しては1巻と最終巻はもはや別人。毎巻の画力の向上がはっきり分かる。
初期はそうでもなかったが、ガッシュ連載以降師匠の影響で明らかに二次関数レベルで画力が上がっている。
連載が進むにつれ線が細くなっていき、アラバスタ編あたりで現在の画風が定着。同時に書き込み量の変化もすさまじく、週刊連載でありながら画面全体がびっちりと絵で覆い尽くされている。
- 赤松健(A・Iが止まらない!、ラブひな、魔法先生ネギま!、UQ_HOLDER!)※1993年デビュー
一説では「ラブひな」以降はアシスタントが描いているという噂もある。初期からアニメ調のともすると野暮ったいような絵柄だったが、『ネギま!』の3巻辺りから次第に垢抜けたキャラデザになっている。「UQ~」からは完全デジタル化でシンプルな絵に。
デビュー当時からそれなりに上手かったが、今はもはや別人が描いているとしか思えないレベルに上達。
- 藤真拓哉(魔法少女リリカルなのはViVid等)※1997年頃デビュー
初期の同人誌や初連載『D'v』では劇画に近いリアルタッチで、萌え系の絵柄になったのは2003年頃から。変化の幅はかなり大きく、別人が描いているという説があったほど。
『RAVE』初期は「マガジンのワンピース」と呼ばれるほど尾田栄一郎に似た絵柄であったが、その後も少しずつ絵柄が変わっていき別物に。なお、真島の(初期の)作風には尾田の影響がある、というのは実際には読者による憶測であり、真島・尾田両名とも(ライバル誌の現役で連載中の作家ということもあって)言及したことはない。
- 綱島志朗(ジンキ、人狼機ウィンヴルガ、オリハルコン・レイカル、ライフ・エラーズ)※1998年デビュー
ライフ・エラーズや、それより前の読み切り作品などでは女性キャラの絵柄が可愛らしい物だったが、ジンキの連載開始を機に地味な絵柄に変化した(メカニックに関しては当初から緻密な描き方であった)。これは綱島氏曰く「敢えて自分の素の描き方を出してみた」との事だったが、読者から物凄く不評だったため、早々にライフ・エラーズ時に近い絵柄に修正された。
更に、主役機のモリビト2号は、当初はダグラムを彷彿とさせるキャラクター性を重視しない、いわゆる「顔の無い」機体を想定して描かれていたが、続編であるジンキ・エクステンドの開始直前の頃には、目鼻口がハッキリとしたキャラクター性のある面構えで描かれるようになっていた。
双子だけあって絵も似ているが、どちらも2003年頃から段々とシンプルで読みやすい絵柄に変貌。
- 澤井啓夫(ボボボーボ・ボーボボ、ふわり!ドンパッチ)※2000年デビュー
『ふわり!ドンパッチ』では、濃い目でバイオレンスな作風から柔らかいやさしげな作風に変化。作者曰く“日常系”の漫画に挑戦したかったらしい。一応元々の絵も描けるが、漫画自体の方向性もあってすっかり封印されている。
初期は「絵の上手い中学生」レベルだったのが、十団編辺りから青天井に画力が上昇。
連載初期から絵柄変化の間隔が短い傾向にあり、アニメシリーズのキャラデザも製作当時の絵柄に合わせているので、これまでの4作のデザインが全員別キャラにしか見えない。マリアさんだけ10年前の絵柄に戻してみたなどというメタギャグ(師匠も同じことやってる!)を披露している。
『週刊ヤングマガジン』デビュー当初はフニャフニャした線だったが、『新宿スワン』終盤の頃には立体的な絵柄になり、『セキセイインコ』にもそれが引き継がれたが、『週刊少年マガジン』移籍後の『デザートイーグル』からは絵柄が少年漫画寄りになった。
初期はまだ作画に慣れていなかったためか、顔はおにぎり型&たらこ唇と奇抜になりがちであったが、デビューから10年目になる頃には現在の丸顔&シンプルな画風となる。彼女の代表作である『透明なゆりかご』および『お別れホスピタル』は、その頃から開始している作品なので、左記の作品で作者を知ったファンは、初期の画風を見れば驚くことであろう。作画の変化については『蜃気楼家族』を見れば分かりやすいので、是非閲覧して欲しい。
- クール教信者(小森さんは断れない、小林さんちのメイドラゴン)※2008年デビュー
試験的に絵柄を大幅に変えたものの、不評だったために元の絵柄に戻したというなかなか珍しいケース。