似て非なるもの
ゲームなどにおける誰が使っても思考停止に強い「厨キャラ」及びその使用者の事ではない。
逆に「弱いキャラクターを愛するあまり強キャラの使用者を叩く」層がここに含まれている。
概要
要するに「特定キャラへの思い入れが強すぎる人」「そのキャラが活躍してさえいれば満足で、ストーリー面など作品自体はまともに見ていないような人」である。
「キャラクターの保護者ぶっている消費者」というのが適切だろうか?
また「作品そのものは嫌いもしくは無関心で、好みのキャラクターの性的、恋愛的なイメージにしか興味を示さず、公共の場でそのキャラをそういうイメージだけで語る萌え豚・腐女子(作品によっては硬派厨・ノマ厨)」「作品自体にはさほど興味はないが、外聞だけで知った特定のキャラのイメージに惹かれてそれのファンを気取って推してくる俄」「身近にいる気に入らない人間とその友人知人(ターゲット)が読み描き(自己投影)しているオリキャラ、嵌っている版権キャラを把握・掌握して支配しようとするサイコパス」も含む事がある。
「愛していた推しのキャラクターが死亡した、不遇な目に遭った」「期待通りの動きをしなかった」「それに対する制作者のフォローが無いか稚拙で納得できない、下手すると傷口に塩を塗られた」等の理由で、作者・プロデューサーや監督・演出・脚本家、あるいはコンテンツそのものに対して敵意を向け、悪質なものになるとそれらに対する迷惑行為を行う。
この手の作品批判の常套句は「キャラは良かったのに」であり、小説にせよアニメ、マンガにせよ、どれだけ立派な世界で素晴らしいシナリオを考えたとしても、その中に生きるキャラクターのみを中心に考えて作品を評価する傾向が特徴。
ここにゲームであれば「運営やゲームシステムがクソ」「キャラを人質に課金を強要するな」、アニメや漫画であれば「監督や脚本がゴミ」「バカな作者が無能にしたせいやぞ」等、キャラクターに肩入れするあまりそれらを創り出している現実の人間への非難がくっつくのがお約束。
勿論実際に脚本や演出に難があって不振に終わった作品は数知れないが、その中でキャラクターを褒めるのは作品に対する「フォロー」ではなく、自分の好みを当てつけにしたに過ぎない「皮肉」というものである。
キャラや声優の良さを褒めた所で、それはあくまで『役者・演者』への評価であって『作品』を褒めた事になどなりやしないのだ(重要な要素には違いないが)。
わかりやすく言えば
「ロミオとジュリエットが悲恋になったのは、シェイクスピアのせいだ。シェイクスピアがいなければ、ロミオもジュリエットも幸せになれたんだ」
(そもそもシェイクスピアがいなければロミオとジュリエット自体が誕生していなかった事は棚上げであり、信者としてもアンチとしても作品・作者に全く付属していない)
「モナ・リザに描かれている女性可愛いですね!絵は色彩のセンスから絵の具の使い方までダメダメだけど」
(「自分はこのタイプの女性が好き」という評価者の趣味嗜好を語っているだけ=単なる自己紹介・自分語りで、作品への評価はしていないも同然。亜種で本人の中で「かわいいと思う女性の性格」がたった一種類(性的消費に都合のいい性格、キャラ厨と同じ性格、キャラ厨が嫉妬せずに済む性格など)しかない為、「女性の性格も絵の描き方もどっちも間違っていますね」と言って、キャラの性格と絵師の画力を同時に否定するパターンもある)
「花咲か爺さんよりも隣りの意地悪爺さんのほうが容姿がいいし性格も媚びてないから、意地悪爺さんがいい目に遭うべきだ」
(花咲か爺さんの境遇は本人が生み出したものであり、重要人物の犬が花咲か爺さんが好きで意地悪爺さんが嫌いであり、意地悪爺さんが花咲か爺さんとの対比のみでキャラが立っているのは棚上げ)
(金太郎ファンは「桃太郎ファンを止めて金太郎ファンになれ」とは言っておらず、桃太郎にも固定ファンがいる為、棲み分けすればいいだけの話。公式で悪役の鬼ヶ島の鬼ではなく、無関係の作品の主人公の金太郎を敵視しているのも変。)
「なんで一寸法師や親指姫は小人なの?デッサンが狂ってるよ。普通サイズの人間だけが王道なんだからそれしか描いちゃ駄目だ。」「打ち出の小槌が出るまでモチベーションが持たないよ」
(普通サイズの人間が主人公の話なんかごまんとあるんだから、そっちを読めとしか言いようがない。小人が嫌いなら小人が人間サイズになる二次創作を描けとしか言いようがない。小人が嫌いなら脇役目的で読めとしか言いようがない。そもそもどこに「小人はR-18のように一部の場所で描くのを禁止をされている」と言うルールがあるのか。)
「お前、牛若丸が同じ内容で主人公が源義経と別の人物だったら読まないだろ。牛若丸が非イケメンに描かれてて、天狗がコソ泥に描かれてたら読まないだろ。」
(だからなんなんだと突っ込みたくなる。脳内で主人公を自分や理想の人物に挿げ替えて読めばいいだろ、としか言いようがない。)
主張する理由や理屈は様々ながら作品そのものよりも「キャラクターにとってのハッピーエンドを勝手に都合よく妄想する」「キャラクターごとの魅力・センス・イメージのみで作品を見る」「面白いと感じる作品は自分で作った作品と、自分が満足できる作品『のみ』」という性質上、信者とアンチを併発しているケースも多い。
キャラの扱いおよび物語の内容に不満があるか、自身にとって理想的な作品が必要なら一次創作(ネタ元を伴うもの含む)・二次創作共に自ら創作活動なり、別に理想的な作品を探すなりなんなりでそれを発散するくらいならば個人の自由である。
中には後述のようにその自分の理想を元にした創作物を笠に着ての厨行為に走る者もいないわけではなく、実際にキャラクターを盾に制作側に執拗に誹謗中傷を加える悪質な厨まで存在する。
「キャラ厨」を生み出す主な原因
前述との重複も含む。アンチの「ファン転向型アンチ」の項目も参照。
- 期待された新作のシナリオ(内におけるキャラの言動や顛末)が期待外れな出来だった、あるいは出来の良し悪し問わず消費者の望むものではなかった。
- 推しのキャラクターが死亡した、不遇な扱いを受けた
- キャラクターの行動が消費者の期待を裏切った。
- 制作者による不祥事、不適切な発言の発覚。そもそもこの手の厨は「作者」「作品」ではなく「いちキャラクター」だけを持ち挙げているので、その邪魔になり得るのであれば例え原作者や功労者であろうとも攻撃・排除の対象となる("公式が解釈違い"など)。
- 原作者や主要スタッフが業界から干されようが、表舞台から消えようが、自分達の目にかなう作家や声優陣さえ残っていればコンテンツ自体は生き残るからだ。仮にコンテンツ自体が不祥事をきっかけに転覆した所で恨むのは作者だけ、自身は自分の目にかなう別の作品に鞍替えするだけの話である。
- 批判を浴びた結果芋づる式に業界の闇やさらなる不祥事まで洗いざらいされ、実際に謝罪に追い込まれたという事例もあるが、これも殆どは「自分のより好みを作者の『魔の手』から守る」という一種の独善から来た側面も大きい。キャラ厨が本当に必要としているのは「法令遵守」や「再発防止」ではなく「『戦犯』達に私刑も含めた社会的制裁を加える」事と「そのような人物が排斥される事でキャラクターの生きる場が守られる」と思い込みたい事なのだ。
「キャラ厨」の主な行動
- 「キャラクターは好きだが、作品そのものや作者やスタッフは嫌い」だとSNSや掲示板で公言する。
- 公式よりもキャラクターを愛している、愛することができると自負している
- 実際に注目しているのは自分に都合のいい、自分が好んでいる要素だけ(翻案、換骨奪胎が出来る創作者は意外とこういうことは言わない)。
- 作品をメタな視点で解析する時に、「話を前に進める大きな縦筋=本筋の有無(主人公の性格や世界観と直結している)」よりも「キャラクターの魅力」にこだわる。
- キャラ厨の中で「魅力的ではないキャラクター」もいることになり、失礼極まりない(個人的に嫌いなキャラと魅力がないキャラを混同している)。「設定段階のキャラクター」(作りかけであり、修正の余地がある為、一般人なら感情が湧かない)「意図して個性を付けていないキャラクター」「好みが分かれるキャラクター」「悪役」はいても、魅力がないキャラと言うものはおらず、オナニー認定が好きな人間が言う「ファンは作者一人」という事態は絶対に発生せず、作者が描いてて楽しいキャラはイコール“見る”モチベーションが続くキャラであり、イコール特定数の人間が萌えるキャラである。主人公が作者含む全員が嫌うキャラ(それを作者が描くということは、何かしらの意味があるのであろう)でも、決まって脇役は当たりであり、リョナやスカトロでさえもジャンルである。
- キャラ厨はよく「不細工な読者にしか好まれない不細工キャラクター」等のマジックワードを好む。B専呼ばわりした人間に「一番人気がありそうな美形を好むミーハー」と言うダブルスタンダード発言をすることもある(美形好きのミーハー呼ばわりされた人間は、キャラ厨が「魅力的」として押し付けるキャラクター像は嫌い、キャラ厨自身も自分が魅力的とするキャラクター像のファンクラブ(本当に魅力的、人気ならそういった巣がある)には向かわず、この点も矛盾している)。他人の容姿や性癖を貶し、その価値観を作品に反映させたがる人間が、よく「大勢に好かれる設定」「大勢に売れる設定」について語れるものだ。
- 似たキャラデザ、設定のキャラ(例:感情表現に乏しいダウナー系のキャラ)が複数いた時に、自分が好きなキャラはクールビューティー扱いし、自分が嫌いなキャラは根暗扱いし、作者含む全員にその解釈を押し付ける。その解釈をしない性格のいいファンもいる為、キャラ厨の性格の悪さ、偏った見解がますます露呈する。
- 「明るくて活発なキャラはいいけど、大人しくてなかなか行動しないキャラは格好悪いから駄目だ」「必ずお金になる、必ず人気が出ると確定してる絵以外はオナニーだから描いちゃ駄目だ」等と言って、謎ルールで表現の幅を狭める(内容を指定されてから作る商業作品ならまだしも、明確なルールが存在しない同人作品や投稿作品にも発言する)。「その“描いちゃ駄目”なものを描いたほうが、お前が別に嫌ってるトレパクを避けられるんじゃないのか?」と言ってもスルーする。作者は「第三者に“それを描いてはいけない”と脅迫され、表現の幅を狭められたケースを除いて、何をしても形にできなかった」「個人的に魅力や共感性を感じなかった為、見る気や書く気がしなかった」とは発言していない。
- 誰もが「魅力的」と思うキャラ(下積み期間や非モテ期間が存在せず、個性があり、既視感がなく、揚げ足を取る隙がなく、人間味があるキャラクター)を作ったら作ったで、作者が描きたがっているジャンルと別のジャンル(男女恋愛しかやらない話、戦いしかやらない話等、善良な読者がまず好まないジャンル)に含めようとしてくる。サイコパスの「冴えない人間はいびり、いいものを持っている人間は利用する」手口と一緒なのが分かる。
- キャラ厨の中で「魅力的ではないキャラクター」もいることになり、失礼極まりない(個人的に嫌いなキャラと魅力がないキャラを混同している)。「設定段階のキャラクター」(作りかけであり、修正の余地がある為、一般人なら感情が湧かない)「意図して個性を付けていないキャラクター」「好みが分かれるキャラクター」「悪役」はいても、魅力がないキャラと言うものはおらず、オナニー認定が好きな人間が言う「ファンは作者一人」という事態は絶対に発生せず、作者が描いてて楽しいキャラはイコール“見る”モチベーションが続くキャラであり、イコール特定数の人間が萌えるキャラである。主人公が作者含む全員が嫌うキャラ(それを作者が描くということは、何かしらの意味があるのであろう)でも、決まって脇役は当たりであり、リョナやスカトロでさえもジャンルである。
- キャラ厨が「本筋」に拘らないのは、「全ジャンルにおいて、恋愛(エロ)以外の本筋はない」(それ以外の本筋を正当化するキャラは必要ない)「キャラさえ良ければ本筋自体なくていい」(本筋がない話でも、不細工しか登場しないギャグ漫画は除外)と言った大前提がある為。個性、魅力がないのはお前だ。
- 「魅力がない」という割にはそのキャラに現実の人間を語るような言い回しで執着する(架空の人物な上に、ファンでもないキャラクターに執着する意味がまるでない。「作品全体も嫌い」「作者も嫌い」「脇役に他作品では見られない好きで仕方がないキャラがいる訳ではない」「現実が舞台ではない」の条件が揃っているなら、なおさらキャラ厨にとっては赤の他人な筈)。これだけ娯楽があるご時世に「去る者は追わず」と言う選択肢を選ばない。そうする理由は簡単で、自分はそのキャラを嫌いでも、他の人はそのキャラが好きなのを認めざるを得ないからである。嫌うのが地味なキャラや既視感が強いキャラの場合は、展開が進んだら化けそうだから嫌っている。
- 「好きな作品の好きなキャラはどうした?」とも思う(現実にも二次元にも友だちがいない可能性がある)。
- このように、キャラ厨同士で仲違いし、ジャンル自体を委縮させるのも特徴。
- キャラ厨には様々なタイプがいるが、「個人的に好みのキャラをコレクションするタイプ」よりも、「“善人と悪人、しっかり者とヘタレ、ハイスペックとロースペックを判断・審査してやる”と言いながら近付いてくるタイプ(本人曰く、好みのキャラや容姿がいいキャラやエロいキャラではなく、誰もが善人・常識人と思うキャラを見にきているらしい。その属性のキャラが他作品に少なくて困っている訳ではないらしい。)」「ATMになりそうなキャラ、レアキャラを搾取するタイプ(そのキャラが好みか嫌いかは一切関係ない)」「キャラの今後を自分に都合よく決めてくるタイプ」が特に悪質なタイプとして知られている。
- キャラ厨が善人・常識人と言うタイプは、どこも万人受けするタイプではない(そのキャラが人気キャラの場合は、好む部分がDQNに都合のいい要素ばっかりで、断じて善人・常識人として評価している訳ではない)。しかも、実際にはそのキャラはカモフラージュで、本当は容姿がいいキャラや金を持っていそうなキャラや(キャラ厨自身の手では作れない)人間味のあるキャラにばかり注目している。
- 「なんだ、この作品に好きなキャラいないじゃん。いち抜けた。」と言って抜けていくキャラ厨はまだいい。
- 嫌いな作品の宣伝に企業が資金をかけるのを妬むアンチは有名だが、マイナーなアマチュア作品や二次創作作品(それも、キャラ厨が知らない原作のもの)の小規模の盛り上がりまで妬んで叩いてくるのもいる。恋愛経験が豊富な人(その人の知り合いは全員そいつの知らない人)を妬んで叩く人に似ている。その人とその人の知り合いを、口の悪い部外者がまるで自分の知り合いのようにとやかく語って採点・審査している様子を想像すれば、異常性が分かるであろう。
- 作者に自己投影認定を行うのが好きだが、予想を外す率が高い。
- 仮に作者が自己投影を好むタイプだとしたら、「いかにも主人公・メインヒロインらしいキャラ」「ありがちな展開」は真っ先に憑依先候補から外し、恋愛対象に見ているキャラは複数用意して、下世話な言動をさせて、LGBT要素を入れて、痛めつけて苦しむ様子を楽しみ、お気に入りキャラはアンチに一挙手一投足を取り上げられないように登場数を減らしたりするであろう。主人公=自分なので、食事している気分や寝ている気分や物理的な趣味に熱中している気分もリアルに再現するであろう。中二病で擦れたオタクが「予想だにしない展開」(例:意外な人物の死亡、浮気、キャラクター総替え、鬱展開)「マニアックな題材」好きだらけなのは有名。
- 恋愛がテーマじゃない作品に恋愛要素を求める人(読者)は「R-18から遠い原作」よりも「R-18でエロエロエロ結の二次創作」に期待することが多く、原作には何も求めない傾向にあるのだが、その点をどう思っているかの言及がない(「原作者」が私情を挟むことはあり得ない)。
- 格好悪い要素しか作者の自己投影要素と認定しないが、意図して没個性にしている主人公以外で、萎え要素「のみ」が一ヶ所に集中するのは確率的にあり得ない。萎え要素のみで作ったとしても、猟奇作品として完成されるであろう。「格好いいキャラに自己投影してるハズがない」と決めつけている証拠でもある(そのキャラが作者のアバターだったらどういう反応をするのか興味深い)。
- 別のまともな人(作者の旧友でも初めて会った人でも)に聞いてみると、(案の定)自己投影と予想している要素が全然違ったりする。褒め殺しにする訳でもない為、お世辞や身内補正とも違うのが分かる。一般人は変な固定概念や私情に捕らわれず、作者が決めた公式設定をそのまま取る傾向にもある。
- 自分の好きなキャラクターが、推しのカップリング通りに結ばれなかった際、公式カップリングを執拗に敵視する(カプ厨との合併症)。
- 「憑依に都合がいい同性」(一キャラとして好きなのではない)や「単体で恋愛対象に見ている異性」(同性側は好きではない)と「カップル好き」を混同している。パラレル二次創作(特に、原作と主人公の性格を変えたもの、「原作の公式カプは違い、原作の公式カプは人気がない」と言う前提がなくても萌えるもの、公式の恋人を引き立て役にしないもの)を作ったり、その好きなカプに似た公式カプが登場する別作品を探したり、理想の公式カプが主役の一次創作を作ったりはしない。話になる前のキャラクターシートすら作らない。
- 自分にとってのキャラクターイメージを崩される事を過剰に嫌う
- 自分にとって都合の良い情報は率先して採り入れるが、逆に都合の悪い情報は「自分の考え=大衆の総意」と言わんばかりに敵視し排除する。
- ポジティブな情報は出所不明であっても気にしない割に、ネガティヴな情報は相応の論拠を積み重ねた考察、他の掲示板からの意見であっても聞く耳を持たない上に、自分はそれを否定する論拠を示さず(示せず)、安直に「こんな事を書くヤツは荒らしだ!!」と逆上・非難する。酷くなると、批判を打ち消す論拠が支離滅裂になった挙げ句、無自覚に自分でキャラクターを貶める事もある(=自治厨との合併症)。
- 万が一、討論になると「自分の考えこそが唯一無二」を貫き、相手の考え(普通の意見や、討論を終わらせる妥協案、挙げ句は自分から相手に尋ねて聞いた返答さえも含む)には決して耳を貸さない為、まともな遣り取りになる事はほぼなく、挙げ句の果て討論した相手を一方的に罵倒する。
- 自分の気に入らない考察をする人に対し、執拗に「論拠を示せ」と強要するが、逆に相手から論拠を求めれると、まず虚実問わずのキャラクター賛美(=「このキャラクターは素晴らしい存在だから、欠陥や欠点はない」等の妄言)で誤魔化し、最後は逆ギレをした後に無視をすると、真っ当な大人がすべきでない言動に終始する。
- また、公式から「このキャラクターは視聴者によって、様々な見方が出来る」とアナウンスされると、「自分の考えが公式に認められた」と恣意的に解釈して暴走、それ以外の考えを排除すると、公式アナウンスと真逆の暴挙を行う。
- 運良く否定的な意見・事実を聞き入れたとしても、注意深く見ないと分からない程度or劇中の行動を簡素に纏めた情報しか認めず、それ以上の追加をしようとすれば『既に充分に書いてある』『主観で書くな』等の、もっともぶった言い訳を初め、「似た境遇のキャラクターも居る」と言った論点のすり替えや、マクロコスモスな視点や例えを持ち出して妨害・削除を強行、結局は聞き入れていない(その割に、同好の士による過度な賛美はスルーしている)。
- pixiv百科事典のように、誰でも編集出来る場所に現れた場合、自分のお気に入りキャラクターの記事に張り付き、批判的な意見を見付けては「公式からの見解が出ない限り、自分が考えるキャラクター像こそが絶対正解」と言わんばかりに秒単位・分単位で削除を強行する。
- 挙げ句の果て、劇中で公式に出たキャラクターへの指摘さえも、自分が知らないかつ気に入らない設定=存在しない設定として認めず、その詳細を教えても「非難するな気違い!」と自分の痴愚を棚に上げ逆上、恩を仇で返す等の多くの愚行を平然と行い、既に人としての最低限の良識・礼儀さえ皆無な事を平然と行うと、他者を『気違い』と断じたキャラ厨の方が気違いである。
- これ等キャラ厨は共通して、自分の考えの正当性を示す論拠が皆無(要は『このキャラクターがお気に入り』なだけ)の為、ひたすら「『自分のなりたい理想像』・『(自分にとっての)このキャラクターに相応しい姿』の押し付け」に終止するだけで、「何故そう言う考えに至ったか?」の経緯は愚か、「相手の意見を否定する論拠」すらない。その為、キャラ厨は自分と異なる意見に対し、否定する推測や論拠もなく「無理がある」「こじつけだ」の連呼しか出来ない。
- 酷い時には「話は嫌いだがキャラは好き」すら言わず、作品に「つまらないけど見てやる」「第三者として物申す」「編集者や読者全員の代表になって下手な作品をあるべき姿に導いてやる」と言って超上から目線で作品に近付き、説教者や仲人面をし、キャラの性別、立ち位置、自分が自己投影するのに便利な環境(努力せずに楽してモテた気分になれる環境)だけを見て細かい設定を無視し、自分に向けられていないキャラ、好きでもないキャラに理解者面で馴れ馴れしくし、自分がシコれる作品と自分がシコれない作品により分けようとする(サイコパス、ヤリモク、オナニストとの合併症)。
- 説教はどこかで聞いたような内容で「目から鱗」「盲点だった」と思えず、読者が「キャラが立ってる」「面白い」「見たい」「ページをめくりたい」「金を出したい」「自分(読者)たちに似ていて共感しやすい」と思わなそうな改善案ばっかり出してくる。キャラ厨に都合のいい「恋愛至上主義の話や恋愛対象になるキャラ」を作るには恋愛以外の設定(土台)を用意する必要がある為、出来の良し悪しに関係なく、(オリジナル・二次創作共に)キャラ厨自身の手で一から作品を作ることはしないらしい。
- 自分に都合が悪い要素を不細工しか登場させられないジャンル、男女比が偏ったジャンル(キャラ厨曰く「廃棄物処理所」「残りカス」)へと追いやって誰得なゾーニングを助長し、その「廃棄物処理所」(仮名)にも僅かに出る美形キャラや見た目さえ良くすれば使えそうなキャラや馬鹿には作れない物語や全体の1%の恋愛要素や質のいいファンや売り上げなどを期待し、シコれる部分だけを盗む目的でストーキングしてくる(金は出さない)。一方で、キャラ厨に占拠された「上流層だけに向けられたジャンル」はキャラ厨の身勝手な自治や気に入らないファンの叩き、追い出しにより、すっかり委縮している。
- 酷い時には「話は嫌いだがキャラは好き」すら言わず、作品に「つまらないけど見てやる」「第三者として物申す」「編集者や読者全員の代表になって下手な作品をあるべき姿に導いてやる」と言って超上から目線で作品に近付き、説教者や仲人面をし、キャラの性別、立ち位置、自分が自己投影するのに便利な環境(努力せずに楽してモテた気分になれる環境)だけを見て細かい設定を無視し、自分に向けられていないキャラ、好きでもないキャラに理解者面で馴れ馴れしくし、自分がシコれる作品と自分がシコれない作品により分けようとする(サイコパス、ヤリモク、オナニストとの合併症)。
- キャラクターの描写はされているが、明らかに本編と関連が薄い(あるいは全くない)茶番やギャグ描写を「ほんへ(本編)」と称し、本筋のストーリーを批判するダシにする。
- 当然ながら、消費者からの笑いを誘うのが目的の茶番が、物語において重要な要素となる事は少ない。ストーリーなんか興味ないからブヒる出来高をよこせと明言しているようなものである。
- 評価している点がサービスシーン。
- 口を開けば容姿偏差値ランキング(萌えや恋愛がテーマではない作品まで犠牲になることもある)。公式でブサメン、フツメン、喪、いなかっぺ、井の中の蛙と説明されていない人物を貶したり、自分が「美形」だと思う人物、自分が「平均値」「黄金比」だと思うデフォルメを施した絵柄を崇拝しない他のオタクをB専呼ばわりして貶したりする。萌えアニメに登場する、美少女たちが乳の大きさで張り合うギャグどころじゃない容姿(美醜)、性格、性癖、年齢、恋愛経験等に関する誹謗中傷を行う(実際にはキャラ厨に都合のいい脚色がが多く、取りこぼしも多い。そもそも、好きなキャラの親の仇、好きなキャラと恋人が被ったキャラ“以外”に粘着するのはおかしい。二次元キャラに執着するだけでも異常なのに)。
- ライトノベルや異世界もの等のキャラクターの衣装を「ダサい」と言って貶すが、作者は「現実ではない」と分からせる為に意図して「癖」を強めて描いている為、作者やファンにとっては悪口でもなんでもないのに気付いてない。
- キャラ厨が「現実的」として押し付ける絵柄は面白くもなんともなく、キャラ厨が自己投影する主人公だけがリアルタッチだったり、絵が複雑骨折していたりして、現実よりも萌えなかったりする(「美」を意識している癖に見た目重視の人間にも嫌われる)。「自分はこれが好きだからいい」「同じ嗜好の仲間がいるからいい」と言って引き篭もっているならいいが、別嗜好の人間の元に直接来て押し付けてくる上に、自力で原作を作らない(別の一次創作をしている人、既に完成している一次創作を見ている人の元に直接押しかけ、「内容をこれに変えろorこれと描き間違えてるだろ」「これを好め」と押し付けてくる。オブラートに包んで不人気要員を押し付けて来る)。
- 現実嫌いなキャラ厨になると「二次元のキャラと現実のキャラは一切無関係」として、感情移入、自己投影、現実を参考にした新ネタ、共感、キャラの人間扱いの一切を禁止させる(原作は言わずもがな、二次創作も対象外ではない)。現実を一切モデルにしないので内容が発展せず、使える材料も限られ、最も萌える設定である「現実にいたらモテそうなキャラ」「本物のリア充のような気分」と言う設定が使えなくなる為、シコるのが目的の萌え豚や腐女子「にも」売れなくなり、ジャンルが委縮せざるを得なくなる。
- 自分がキャラ厨なので(自分以外のキャラ厨への同族嫌悪で)、「余計なシーンを入れずに本題を引き立てたほうがいい」「恋愛がテーマじゃないなら外観を良くするパーツを消したほうがいい」「自分が前に見たキャラに似てる髪型や目を使ってはいけない」(実物を見ると大体似ておらず、相手はキャラデザを不細工やキモオタに変えるまで粘着を止めない為、本当は被り防止よりもパーツの独り占めが理由なのが分かる)等の尤もらしいことを言い、自分に向けられていないジャンルの萌え要素を消そうとしてくる(普段はキャラ厨の癖に、都合のいい時だけ「作品の主旨を理解している」「サービスシーンだけで作品を評価しない」等と主張し、真面目な読者ぶる)。
- 嫌いなヒロインの可愛い衣装、可愛いショットを見た時に「この作品は恋愛がテーマではないので、○子(意訳:自分の嫌いなヒロイン)に、××(意訳:非イケメン含む男性キャラ、真面目なキャラ、実用性・機能性のある格好をしたキャラですら滅多にしないダサい格好、ショット)をさせたほうがいい」「萌え豚、腐女子向けにしない為に、△△(意訳:青年漫画ですら滅多に見かけない鬱グロ展開。現実に詳しい人が描くグロとは異なる。)にしたほうがいい」等と作者やスタッフに上から目線で説教し、自分が好きなヒロイン関連のエピソードだけは例外扱いする。嫌いなヒロインの粗探しをして人格批判をし、好きなヒロインの同様の欠点は棚上げする。断髪や加齢と言った展開を嫌うキャラ厨の亜種であり、「外見を重視する読者が多い」「(例えば)ロングヘアと比べてショートヘアは可愛くなくて嫌われる」と言う事実を利用して、嫌いなキャラから可愛いパーツを極力取り除いて、好きなキャラよりも人気者にならないように調整する(元々ショートヘアが好きな人が描くショートヘアとは描き方が異なる)。
- だが、「ダブルヒロインを両方可愛く描いて百合の関係にする作者」「格差がある二人の入れ替わりパニックを描く作者」「読者の理想の美形キャラと読者に立場が近い不細工キャラ(二人ともキャラが立っており、後者はスイカに付ける塩的なキャラ付けではない)を描き分ける作者」「悪役(キャラヘイト創作に登場するマウントを取られ、ヒスる様子を楽しまれ、人気キャラとの待遇に差を付けられるいじめられっ子とは異なり、見た目以外にも嫌われる要素があり、本人も好きで悪役をやっているキャラクター)を作るのが上手い作者」「キャラに個性自体を与えない作者」と言った上位互換がいる為、返って性格の悪さに気付かれて嫌われる。
- 自分がキャラ厨なので(自分以外のキャラ厨への同族嫌悪で)、「余計なシーンを入れずに本題を引き立てたほうがいい」「恋愛がテーマじゃないなら外観を良くするパーツを消したほうがいい」「自分が前に見たキャラに似てる髪型や目を使ってはいけない」(実物を見ると大体似ておらず、相手はキャラデザを不細工やキモオタに変えるまで粘着を止めない為、本当は被り防止よりもパーツの独り占めが理由なのが分かる)等の尤もらしいことを言い、自分に向けられていないジャンルの萌え要素を消そうとしてくる(普段はキャラ厨の癖に、都合のいい時だけ「作品の主旨を理解している」「サービスシーンだけで作品を評価しない」等と主張し、真面目な読者ぶる)。
- 一生懸命になったり、悩んだり、楽しく会話するキャラクターが出て来た時に「お前は俺か」「(こだわるものが違うだけで)自分も同じ気持ちになったことがあるぞ」と共感するのではなく、「変わったことを言うのが面白い」と言ってビジュアルだけを面白がる。また、同じ行動を取る人物でも、アバターの同性とアバターじゃない同性、同性と異性、美形と非美形、10代・20代とそれ以外の年齢とで態度を変える(展開の積み重ねで、特定のキャラに嫌なイメージを持つケース、人見知りするケースとは別)。キャラの行動を視聴者をシコらせる為の要素として見ている節がある。
- 悲しい過去を持つ美形悪役が出てきた際に、沸点を低くして「作者はこいつの顔と過去を理由に情が移り、贔屓し、生存させるに違いないんだ!!!」と一人相撲をし出す。だが、実際には、そのキャラはあっさり倒されるか、生存するものの『味方にならないまま』贖罪行為をするなどのキャラ厨の予想を裏切る展開になり、その展開に対して、キャラ厨が一番文句を言いだす(悪役に情が移り、主人公と恋愛関係になって欲しいのはキャラ厨だった)。
- 自分を「信者と違って忖度する事のない本当のファン」と思い込み、公式へのバッシング行為を行う
- 「キャラ厨ではない」or「他のキャラ厨とは違う」と過剰にアピールする。
- アピールの例:「自己投影せずに傍観している(だが、公式の性格や展開をそのまま取らない)」「サディスティックなキャラに自己投影していて、内気なキャラや人間的なキャラには自己投影していない(だが、恋愛要素などの女々しい部分にばかり注目する)」「同性が本命だ(だが、同性ばかりの作品には来ず、どの作品でも一番最初に注目するのは異性の容姿レベルで、アバター以外の同性の悪口三昧)」「個人的に好きな展開ではなく、売れる展開やみんなが求める展開を求めている(私情を押し通す為に主語を大きくする。その割に商業にも同人にも金は出さないし、同時期に大流行している別ジャンルを貶すし、気に入らないオタクが「みんな」に含まれていない理由は説明しない。)」「髭モジャのオッサン、マッチョマン、ネタキャラが好き(と言いつつ若者キャラが主役の作品を見ている)」「萌え豚・腐女子のようなにわかと違って職業やスポーツや歴史に詳しい(だが、それらをキャラをハイスペックに見せる舞台装置だと思っていて、その証拠に職業やスポーツや歴史以外の現実にはこだわらない)」「キャラを恋愛目線ではなく、親族やペットのような目線で見ている(だが、「サザエさん」のようなファミリー向け作品には無反応で、他人が萌え擬人化した時のみに近寄ってくる)」「萌えよりも燃えが好きだ(だが、萌えと比べて燃えの語りが短く、燃えを「萌えを排するもの」という目線でしか扱っておらず、燃える展開が好きな気持ちが伝わってこない)」「このシリーズに○○(新要素)はいらない(閉鎖的。キャラや世界観や時代錯誤のテンプレートが崩れることを過剰に恐れる)」「性格がいいキャラが好き(そのキャラは善人というよりも無難で批判されづらいキャラで「個人的にこのキャラが好き」「性格のいい悪いに関わらず、容姿が一番いいキャラが好き」とは意地でも言わない。証拠に、容姿普通の無難なキャラだけが出ている作品は読まず、恋愛無しに成り立たない同性キャラ/容姿普通の無難な異性キャラ/性格が悪い美形の異性キャラの組み合わせの時は積極的に読み、最初の二人だけが出ている作品は読まず、容姿がトップ1、2を争う美形じゃない限りキャラグッズは買わない)」「キャラ全員嫌い(という癖に貴重な時間を割いて作品を見ていて、作品は性的要素が強い美形の異性が多い作品に限られている。)」
- 好みのモブキャラや不遇な扱いに終わった準主人公・準ヒロインをあたかも主役であるかのように過剰に持ち上げ、主人公や本来のヒロインやその行動を「作者本人の具現化(自己投影・自慰)」「作者の枕」「不細工、喪豚向けのキャラ」等と呼んで批判する。
- 尤も、制作者自身が特定のキャラクターを過剰に肩入れする行為は自分がその“上のように批判している原作者”と変わらないと言えるため、これはこれで人のことは言えない。
- 上記の派生で、不遇なキャラクターのファンが公式から優遇されているキャラクターやその声優を「枕営業」呼ばわりするといった事例も見られる。この場合の不遇優遇とは「実装されてからそれっきりなキャラクターがいる一方で、実装直後から描き下ろしが数多く投入されているキャラクターがいる」「ボイスなしのキャラクターも珍しくない中で、実装当初からキャラクターボイスが実装されていた」等があげられる。
- 作品のストーリーやバックボーンには興味を示さずに自身の本能や性的好奇心を優先し、公序良俗をわきまえず(特に非成人指定作品において)エロ展開を執拗に要求する
- 好みの女性キャラが出てくるたびに「シコい」「ヤりたい」等…。これは主要層を性的に成熟している層狙いにした場合の弊害でもある。
- サービスシーンの項目で述べたように、エロを恋愛とか一般向けとか需要というオブラートにくるんで求めるケースもある。
- 制作側の関係者あるいはそのキャラクターを好きな消費者による犯罪・迷惑行為・不正行為等の不祥事が露呈した際に「こんな奴に作られている(愛されている)なんて、キャラクターが可哀想だ」といったキャラクター主眼の非難・擁護を行う。
- キャラクターの行動に対し、時代背景・世界観を無視して現代・消費者目線の価値観でメタ目線での非難・糾弾を行う。
- 例えば戦時下の困窮した世界に対して現実・現代の価値観で批判するのは場違いであるが、作中での大量虐殺といった非人道的行為に対し「制作側の倫理観の欠如」として批判する層も存在したりする。
- 作者もキャラの一員だと思う傾向があり、作品を無視して作者の性的魅力、創作姿勢の話ばかりし、ストーリーを面白がる気やテーマを受け取る気はサラサラない為、画力ランキング、作品の点数、取材量、実体験の投影、新しく生み出した表現数、評価(そのジャンルのファン本人に確認を取らずに、どこが受けたか、世間でどういうイメージかを勝手に決めつける。決まって、自分が好きなジャンルで同様の自治をされたら発狂する決め付け方をする。好きでもないジャンルの自治厨ぶる。一ファンとして意見を出すのとは別。)を自分のモノサシのみでランキングする。作品が最終回を迎え、キャラ厨が邪推していた要旨(例:恋愛系自己投影、恋愛系の私情を挟んで美形悪役を生かす、他人を踏み台にしたキャラが生存する)以外が作者が伝えたい要旨(例:社会の客観視、美形悪役の死亡、本命嫁を勘違いさせるミスリード展開の判明、カップル自体が成立しない)だったことが判明した際には負け惜しみを言い出す。
- 青年誌でエロ漫画を描く女性漫画家にファンレターを出す際に、おまけページで作者が語っていた作者が好きなアニメの話ばかりし、作者本人と慣れ合う目的の文ばかり書き、肝心な作品の感想は出さない。作者は性別と若さだけに注目し、人間性には一切注目しない。
- そのキャラクターの不幸および破滅といった展開の原因をスタッフの人格や腕に求め、そんなキャラクター達を「被害者(公式の犠牲者)」と祭り上げ、それらをまとめたアンチ記事を作成しスタッフを戦犯・加害者呼ばわりし糾弾・非難する(脚本厨の一種)。
- 自分が作品の観賞想定層の対象から外れていた、といった事は一切考えず「期待を裏切るような展開にして消費者を不快にした向こうに全面的な非がある」と思い込んでいるようなケースも。悪質なものになると本気で「処刑」を目論んでいたという事も。
- 逆に、キャラの扱いに関して自分の望む展開の(特にファンが作った非公式の)二次創作をあたかも公式のオリジナル作品であるかのように崇拝・評価し、公式作品への当てつけを行う(「原作者は二次作家を見習え」などと言って公式にそれを送り付ける事も)。
- 自分が推していたキャラと反対の位置にいる、もしくはそのキャラの不幸的展開に関わった他のキャラを否定ないし貶めるような内容のキャラヘイト創作に手を出す。その二次災害で、キャラ厨が推している元々はアンチが少なかったキャラまで嫌われてしまう。
- あくまで“公式でやることに意味がある”“読者全員が自分と同じ解釈をしている”という考えに固執し、「漫画の中の現実で行われていた劇であり、死者はいなかった」というオチの二次創作、好きな版権キャラと自分の分身のみを登場させた夢小説、パラレルワールドを扱った二次創作、リスペクトの一次創作(好きな版権キャラのモドキキャラが恋人役の恋愛作品等)に手を出す率は少ない(キャラ厨とキャラファンは微妙に異なる)。
- その作品が続編物やシリーズ物だった場合、その続編のキャラクターのタイプが自分に合わず「昔の方が良かった」と昔を懐かしむ一方で、その当時のキャラと以後の作品のキャラを比較して、現行作品の内容の批判や否定に走る(懐古厨との合併症)。
- 単語の意味を使い間違う。自己投影は自分に都合が悪いキャラクターの人間味を貶すのに使い、トレパクは自分に都合が悪いSF、ファンタジー、ホラーのギミックを貶すのに使い、同人活動は「自由に創作できる場所」ではなく「商業よりも劣った場所」の意味で使う(その割に商業作品の9割を嫌っており、滅多なことで財布を開かない。有名商業作品ですらファンの目の前で思い通りに行かない展開を叩きまくり、都合のいい作品は性欲発散と「すごいものを読んでる」自慢だけに使う)。
実害
キャラクターへの思い入れが強すぎたファンが暴走した結果、実際に制作側が被害に遭った事例も少数ではあるが存在する。
- 機動戦士ガンダムにおいてガルマ・ザビが戦死した際、株式会社サンライズにガルマの死を恨んだファンから剃刀の入った手紙が送りつけられた。
- イナズマイレブンアレスの天秤でととある無印キャラクターが登場しなかったことに腹を立てた世宇子ファンが産みの親に殺害予告を起こした。
- 人気男性俳優と共演していたヒロイン役の女優が、視聴者に嫌がらせを受けて途中で降板してしまった。
- ヒロインが主人公以外の男性と結婚した作品、主人公がキャラ厨が好きな女性以外と結婚した作品(ヒロイン候補が複数いるハーレム体制の作品)、主人公とヒロインが結ばれなかった作品、内向的で人形のようなのが売りのヒロインが主人公に迫り、キスをした作品、主人公がキャラ厨が自己投影しづらい見た目も性格もいい同性のラブコメ等のスタッフの元に破った単行本や叩き割ったCDが送り付けられた。
- 制作側がキャラ厨(ネットで声がでかく、時には殺害予告もする)に合わせた結果、売り上げが大暴落した。キャラ厨の口癖は「オナニーよりも売れる展開を描け」(そう言う割に本人は買わない)。
- 無関係の場所にまで被害が及んだ。
- かつてあるジャンルにいたキャラ厨にありがちな行動の一例。
- 自分の思い通りに動かない製作者とまともなファン達(キャラ厨とは異なり原作の展開を許容している)の輪に混ざりたくても混ざれない悔しさから、ネットで作者と読者両方のアンチ行為に走り、コミュニティーを萎縮させる。
- 最初は有名作品、好きな作品のみで解釈論争をしていて(事実上は解釈の押し付けで、大勢の読者が辟易する)、次第に見た目麗しいキャラや人間味のあるキャラのいるすべての作品(古典、マイナー版権作品、本人の興味がないジャンルは言わずもがな、アマチュア無名作品にまで及ぶ)にまで自治厨面で突撃してくるようになる。他人の友人知人や恋人を盗ろうとしてくる人に似ている。
- 既成作品に不平不満を漏らさず、理想通りの作品がなかったらファミリー向けに行くオタクや、自分で理想のオリジナルキャラクターを作るオタクに嫉妬で八つ当たりをするようになる。オリキャラ好きのコミュニティーに入ってくることもあるが、作風の押し付けと交流だけが目的なので煙たがられる。
- オリキャラ作りが趣味のオタクや二次オリ作り(想像力がいり、設定が多い原作をエロゲーに作り替える即席二次創作しかできない人には妄想することすら不可能)が趣味のオタクを「作品よりも自分に酔ってる感じがして嫌い」と言って叩き、かくいう自分は外観、性格、人間関係が固まった既成原作のみに執着して、思い通りに行かない展開、邪魔なキャラのネガティブキャンペーンを行い、時には公式に突撃して製作の邪魔をし、原作の展開やキャラや公式カプ好きの人たちにドン引きされている。
- かつてあるジャンルにいたキャラ厨にありがちな行動の一例。
- pixiv百科事典のように誰でも記事の編集出来る場所では、上記のように自分好みの記事内容に編集する。これにより、自分勝手な検閲を行った挙げ句、ネガティヴな情報を編集したユーザーに脅迫・恫喝メールを送ると言った愚行をする。これらの行為はファン及びユーザー間の交流を断つ行為であり、それと同時に該当コンテンツの萎縮を助長する行為でもある。
勿論だが、このような事例は例え制作側に非があろうとも許される事ではない犯罪である。
相手が悪いからと言って自分の狼藉が正当化されるわけではない、罪の相殺はできないのだ。
「キャラだけ好き」は悪なのか?
結論から言えば「キャラクターだけは好き」な事自体が悪なわけではない。
今のご時世、原作にはノータッチで二次創作にしか触れていない層、原作のグダグダなストーリーが苦手でキャラが読む原動力の層は決して少なくはないだろう。
作者が不適切発言や不祥事で作品打ち切りの目に遭う事態になった際にも「キャラクターは好き」「キャラクターに罪はない」という趣旨の主張でキャラクターを擁護する元ファンも少なくない。
消費者からすれば、わざわざそのような作者の作品に触れる義理などないからである。
問題視されがちなのは「キャラクターへの愛着や恋慕を盾に作品そのものの内容および制作陣を否定する」行為や「キャラクターを“性的対象”としてしか見ない」行為である。
逆にキャラクターを“いい意味で”蔑ろにしてストーリーや内容を楽しんでいる所に「キャラがシコいだけで何ら中身がない作品だ」「作者の趣味嗜好が透けて見えて気持ち悪い」と言えば、それはそれで批判されて然るべきであろう。
例えば、哀しき悪役が悪に手を染めた理由が具体的(社会風刺、時事ネタなど)で、作者はキャラクターを見せるよりも「我々の世界にもよくある理不尽な出来事を読者に考えさせる目的」で描いているのに、そこに一切注目されず、キャラクターの性格の話、メタな視点の作者の批判しかされなかったらどう思うだろうか。
哀しい悪役自体は誰が描いても同じキャラで、最初からキャラ萌えが売りの作品以外ではテーマを伝える為の手段でしかない。
ストーリーのおまけとしてキャラに萌えたり萎えたりする分にはいいが、作品の主旨を無視するのは止めよう。
キャラ厨へ警告
そもそも作り手がいなければ、キャラクターも生まれなかった、元がなければ「if」も存在しない事を理解すべきとされる。
公式の『期待を裏切った』『素人未満の駄作』と呼ばれる展開がなければ、そもそも論として「誰かが作った理想のif」も誕生していないはずである。
なのに「最初から公式なんていらなかった」「公式は理想の二次創作を見習え」などと言ってのけてしまうのは、双方の作品自体の出来はどうあれリスペクトに欠けていると言わざるを得ない。
「作者が変な気出して贔屓しなかったら、あのキャラクターはラストで思い人と結ばれて幸せになれていたんだ!作者さえいなければ!」
これではそもそも作品もキャラクターも生まれていなかった。
この怒りは“作者や作品へのリスペクトなど存在していない”、“作者のせいで自分が推すキャラクターは幸せになれず、自分が満足できなかった”という、まさに『行き場のない』怒りである。
つまり、どうしても自分が好きなキャラクターの原作での扱いに不満があるならば、(身も蓋もない解決策でもあるが)自分の手で「そのキャラが報われる理想の展開のif二次創作」か「自身の嗜好とする内容の完全な一次創作」を作ってそれで満足するしかない。
そして前述したが、期待を裏切られたり自分の好きなキャラクターが傷つけられたり、不祥事を起こしてコンテンツにとって邪魔になったりしたからといって、監督や演出といった主要スタッフを脅迫したり、殺害予告を送ったり、「責任を取って首を吊れ」等の自殺教唆をしたりする行為は犯罪であり、法的に処罰を受ける可能性を孕む行為である。
例え本当に彼方が不法行為を犯していた事実が発覚しても、報復の犯罪行為までは許されない事を肝に銘じておくべきである。
関連タグ
- アンチ/信者
- 前述した通り、キャラ厨は「キャラクターあるいはその声優・俳優の信者、制作者のアンチ」の二面性を併せ持つ事があるので決して「水と油」ではない
- 厨/厨房
- 萌え豚/腐女子
- ノマ厨/硬派厨/公式厨
- モンスターペアレント/モンペ
- 脚本の被害者…キャラクターのファンが「制作者のアンチ」となった場合、キャラクターをこう扱う傾向が極めて強い。
- コレジャナイロボ…自分が欲しかったのはこれじゃない!
- 大人の事情…この手のキャラ厨はそんな“大人の事情”の介在を「消費者を蔑ろにしている」と捉える傾向がある。
- どうしてこうならなかった/もうこれが公式でいいよ…そのファンにとって受け入れがたいと感じられた特定のキャラクターの扱われ方および最終的な結末に対し、それとは違うファンが期待していたであろう展開を描いた二次創作に付けられることの多いタグ。本人にその気があろうが無かろうが、原作に対するアンチ的意味合いで取られる可能性もあるので注意。
- 顧客が本当に必要だったもの…前者と同様、そういうそのファンにとって本当に見たかった展開、結末的な意味で付けられがちなタグ。この手の人間が使う場合の「顧客」は消費者であり、本来は誤用。
【合併症の可能性が高いもの】
【類似するもの】