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日テレ版ドラえもん

にほんてれびばんどらえもん

1973年(昭和48年)に日本テレビ系列で放送されていた『ドラえもん』初のアニメ化作品。
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概要

藤子・F・不二雄原作の漫画『ドラえもん』のアニメ版といえば、1979年(昭和54年)からテレビ朝日系列で放映されているシンエイ動画製作のものが一般的となっている。
しかし、実はそれ以前にも一度『ドラえもん』はアニメ化されており、それが『日テレ版ドラえもん』なのである。
1973年(昭和48年)に日本テレビ系列で放映され、製作会社は「日本テレビ動画(日本テレビとは資本関係もなく無関係の会社、現にTBS系列でアニメを作成している。「東京テレビ動画」の後継会社)」であった。

スラップスティックコメディの要素が強かった原作初期の雰囲気をさらに強めて描いており、ドラえもんが頼れるお助けロボットというより、イタズラ好きでトラブルばかり起こすが憎めないポンコツとして描かれている。そのため、現在のドラえもんの感覚で見ると大分違和感がある。

この作品はカラーフィルムで作成されている。しかし白黒アニメだと誤解している人も多い(ドラえもん役の野沢雅子本人ですら忘れかけていたほど)。これは後述のように資料が散逸しており、インターネット普及以前は当時の雑誌などに掲載されたと推測されるアニメの一部カットを映したモノクロ写真くらいしか一般の人が目にできる資料がなかったため、そのような誤解が広まったと推測される。

一方でコスト削減のため、本作は16mmフィルムで直接撮影が行われた。日本製アニメは長く富士フイルム製32mmシネフィルムで製作し、局への納品前に16mmフィルムに転写するのが通例となっていた。本作の少しぼやけた画調、独特の色調はこれが理由であったとされる。ちなみに同様にフィルムをケc……もとい、コストを低減させた例としては、『機動警察パトレイバー』旧OVAがある(コダック製フィルムを使ったため、どうしてもフジのように鮮やかな発色が出なかった)。

僅か半年間の生涯

放送時間は日曜日の19時であったが、この枠の裏番組には元祖スーパーロボットの『マジンガーZ』や『アップダウンクイズ』等の人気番組が放映されていたため視聴率的には苦戦していた。しかし、テコ入れとしてドラえもんの声優富田耕生(裏番組の悪役であるDr.ヘル役でもあるのが何ともいえないが)から野沢雅子に変更したり(そのため実は大山のぶ代は3代目、水田わさびは4代目ということになる)、ドラえもんのライバルともいえる「ガチャ子」なるキャラクター(一応原作にも登場している)を活躍させる等の努力により、人気が徐々に上がっていった。当時のスタッフによると、どうしても納得ができずあとは納品するだけとなっていたフィルムを処分してやり直したこともあったと言う。
この『ドラえもん』のおかげで日本テレビ動画の経営も黒字になった。

また、日本テレビにとっては確かに7-9%と冴えない数字ではあったが、もともと『マジンガーZ』と『アップダウンクイズ』の視聴率競争の煽りを受けるこの時間枠にあって、低いながらもなんとか安定した数字が取れ、また子供に大人気の藤子不二雄原作アニメということでスポンサーが定着していた(実際には民放で一番重要なのは数字そのものではなくこれ。視聴率はスポンサーに対する営業をかけるための数字で高いに越したことはないがそれだけでは意味がない)。この為さらに2-4クールの延長を打診していた

よって、かつて噂された「視聴率低迷による番組打ち切り説」は全くの誤りである。

終了の顛末

しかし、日本テレビ動画の実質的な経営者(社長と自称)だった新倉雅美が理由不明の失踪
さらに前身である東京テレビ動画時代に製作していた作品の赤字が酷く、日本テレビ動画は負債の返済に追われていたが、『ドラえもん』がそこそこヒットしたおかげで清算が可能となり、会社経営に嫌気が差していた後継の経営陣が会社を解散させることを決断。
そのため『日テレ版ドラえもん』は僅か半年でその生涯を終えることとなり、その直後に日本テレビ動画も解散となった。
残されたスタッフは日本テレビ動画の清算に伴う残務処理に追われ、その過程でグロス請け(アニメ業界における下請け)先に支払金を当てるために会社の備品を売却し、社屋を引き払うために本作の資料セル画を廃棄処分した。
突然の会社解散によりアニメの終了が藤子プロや小学館側に伝わらなかったことも原作者側が不義理を働いたと思わせることになったと推測される。
当時のスタッフが個人的に所有しているものや、フィルム現像を担当したIMAGICA(当時は東洋現像所)に奇跡的に残っていたシリーズ後半の16話分のネガフィルム以外はほぼ現存しないとみられている。当時はまだ一般庶民の録画環境も満足に整っていなかったことから、市井に存在するものも幻に近いものと考えられる。

なお、この社長は後にフィリピンに移住し、後に拳銃密輸で逮捕されている。会社の清算方法は資料などの徹底的な処分を図った上で処理されており、社長を基準にしてみれば夜逃げのようなものだったと言える。
この他、社長は新潟県出身で県内の有力者とも繋がりがあったことが、逮捕当時の週刊誌などで報じられている。いわゆる実話系サブカルカルト雑誌に掲載されたような噂レベルではあるが、時の権力者でテレビ放送に関わる権限を有する郵政大臣経験者の田中角栄が、同社に間接的に全国テレビ放送アニメであるドラえもんの放送を斡旋したと言う説も存在する(なお、新潟県内では平日の帯放送の形で本放送最終回前後より遅れネット)。

テレ朝・シンエイ動画版への継承

“最終回”じゃない“最終回”

終了と会社精算に際しても、スタッフの多くが東京ムービーが引き継ぐなどして制作再開があると信じていた。
このため、最終回はいろいろと仕込みがされた。まず、最終回のエピソードはてんとう虫コミックス6巻収録の有名なものではなく、ドラえもんとの永遠の別れを避け再会を誓うもの(1972年『小学四年生』3月号版)が選ばれた。そして放送終了時のアイキャッチは最終回であるにもかかわらず「次回おたのしみに」と書かれていたのである。

しかし、本作の顛末に激怒した藤子プロはアニメ関係に新規に版権を下ろすことを一切中止した。この為、およそ6年間に渡ってドラえもんのみならずすべての藤子作品の新作アニメが途絶えた
シンエイ動画から企画を持ちかけられたときもかなり消極的だったと言われ、最終的に、以下の条件をつけてアニメ化を許諾したという。

「私の作品はどこが受け入れられなかったのでしょうか?」

その条件とは「藤子不二雄A作品からもアニメ企画を出すこと」

なぜこんな条件を出したのか。それは日テレ版の顛末により藤子F氏がアニメ原作としての自身の作品に対し自信を喪失していたためである。というのも、シンエイ動画の企画書を藤子F氏はかなり早い段階で承知していたのだが、一方で肝心のテレビ局への売り込みはことごとく失敗していた。テレビ朝日の編成局員だった高橋浩が納得したものの、逆に高橋が「日テレが失敗した作品を、なんでうちで引き受ける話をしてるんだ」と言われてしまう
この為、最初は強気だった藤子F氏も、アニメ化の失敗の原因が自身の原作にあるのではという一種の軽いノイローゼ状態に陥ることになったのだ。

だからこそのこの条件である。同じ制作会社でA氏の作品と並行してアニメ化すれば自身の作品の問題点がわかりやすいし、同時に「安孫子と一緒になら……」という思いがあったのも事実だろう。まさに「2人で1人」の面目躍如であった。

この為、テレビ朝日・シンエイ動画は藤子A作品からアニメ企画を出さねばならず、これにより『怪物くん』(カラー版)のアニメ化が決定する。さらに同作の終了後は後継番組として『忍者ハットリくん』『プロゴルファー猿』と、1988年に藤子不二雄コンビが解散するまでA氏作品のテレビ朝日・シンエイ動画制作アニメが続く。

もっともテレビ朝日にとっては悪い話ではなかったようで、むしろ一度モノクロ版で成功している『怪物くん』のカラーアニメが放映でき、さらに一気に藤子作品のアニメ化を独占する機会だったようだ。実際、1987年に『キテレツ大百科』がフジテレビに卸されるまで、テレビ朝日は藤子アニメを独占することになる。

6年越しの“次回”の実現

一方、シンエイ動画版ドラえもんのスタッフの間では日テレ版に敬意を払うことは最初から規定事項だったようで、放送第1回はドラえもんが未来からやってくる話ではなく、原作の『ガリバートンネル』を元にした『ゆめの町ノビタランド』である。しかもなんの説明もなく最初からドラえもんが居る
ドラえもんがやってくるエピソードは1980年の正月特番『未来の国からはるばると』で説明されることになる。
要するに6年越しの“次回”が制作されたのだ
(したがって、本来なら『ゆめの町ノビタランド』は第27回として処遇すべきなのだろう)

声優も配置を変えつつも引き続き担当した人が多かった。小原乃梨子(玉子→のび太)、肝付兼太(ジャイアン→スネ夫)、加藤修は引き続きスネ夫のパパを演じた
そして、肝心のドラえもん役だった野沢雅子はどうしたのか。ドラえもんのレギュラーキャラクターとしては配置されなかった。やっぱり……いや、そんなことはない。野沢氏の配役は決まっていた。怪物くんである。実は怪物くんの声優はモノクロ版の白石冬美から出演希望があったのだが、それを押し切っての抜擢だった
シンエイ動画は日テレ版『ドラえもん』が決して失敗作ではないことを証明しなければならないため並行制作の『怪物くん』とともに不退転の体勢で臨んだのである

さらに、『ゆめの町ノビタランド』のテレビ朝日本放送日は1979年4月2日であり、奇しくも1973年4月1日放送開始(『出た!ドラえもんの巻』)の6年と1日後に放送を開始したのである
元日本テレビ動画のスタッフは、再びブラウン管に登場した、再放送ではない完全新作のドラえもんの姿にただ感動したという。

ちなみに余談だが、テレ朝版も初期は安定しているとは言えずまだまだ原作初期のスラップスティック調である。日テレ版の作画の影響を受けている部分も多い。これが引き締められるのは1983年のキャラクターデザインマイナーチェンジ後である。

現状

製作会社の日本テレビ動画が解散し、ネガや資料、セル画が処分されたこともあり、現在このアニメは著作権の引継ぎ手も不明であり宙に浮いたような形となり、Youtubeニコニコ動画などの動画サイトで権利者削除もされることなく漂流している(藤子プロが権利者削除に熱心でないだけかもしれないが)ような存在である。
近年では製作会社の倒産でアニメ放映が中止となった『サイボーグクロちゃん』が似たような存在といえよう。

小学館や藤子プロ側から出されるドラえもんの歴史などを扱った公式資料本などでは、このアニメがほとんど取り扱われないため、黒歴史認定されていると捉えられることが多いが、実際は上述のように「著作権の扱いがあいまい」なうえ「当時の資料が乏しく、公式でも内容を取り扱いにくい」というのが大きな理由である。
原作者の藤子・F・不二雄がこの作品を「あれは私のドラえもんではない」と言って嫌っていたという話がまことしやかに語られているが、公式な発言ソースは不明であり、このアニメの制作スタッフの証言ではF先生はアニメの継続を望んでいたという話もあり、情報が錯綜している。
ただ、原作のストックのない初期に作成された作品であるため、まだキャラクターや制作体制が固まっていなかった(例:ジャイアンのかあちゃんが故人、原作だと一回限りのゲストキャラ「ぼた子」が静香ちゃんの家のお手伝いさんとして登場する、他)ことも加え、後にドラえもんのCVを担当する大山のぶ代女史や、後のアニメ版の制作元・シンエイ動画元社長の楠部三吉郎氏、藤子先生のアシスタントスタッフなどドラえもん関係者の証言からは、少なくとも先生がこのアニメ版について(それが本当に嫌悪によるものであったかどうかは未明だが)少なからず否定的な感情を抱いていたことが窺える。

1979年、テレビ朝日版ドラえもんが放送を開始した後に唯一日テレ版を再放送した放送局に富山テレビがあるが、放送9回目にして抗議が行われとされ、急遽打ち切りとなっている。
この抗議は藤子・F・不二雄先生自身が行ったという説と、小学館と藤子スタジオが連名で行ったという説があるが、何れにせよこの打ち切りは単なる嫌悪感だけではなくテレビ朝日版との競作関係に陥ることへの懸念や権利問題と関係していると思われる。
ただし、富山テレビはフジテレビ系列であり、テレビ朝日系列の存在しない富山県内では同系列の番組もいくつかネットしているが、現行のテレビ朝日版は富山テレビでの打ち切り約半年後に日本テレビ系列の北日本放送が開始したというややこしい関係が存在しており、これもあれやこれやの噂の原因になっている(もっとも日テレ版の富山における本放送はこれも北日本放送が行っていた。また朝日系の存在しない県では一部を除き日テレ系列がネットしているパターンが多い)。

真実は藤子・F・不二雄先生が鬼籍に入られたことで、真相は藪の中にほぼ入ったと言っていい。
真意を知っている可能性のある人物は1人だけいる、おそらく今更語る話でもないと墓の中に持っていくだろう。

過去に、日テレ系の番組でもある『特命リサーチ200X』でこのアニメを流す話も出たが、小学館や藤子プロ側の同意が得られずに白紙化された模様である。

主題歌

「ドラえもん」
作詞:藤子不二雄、作曲:越部信義、歌:内藤はるみ&劇団NLT
「ドラえもんルンバ」
作詞:横山陽一、作曲:越部信義、歌:内藤はるみ
クイーカの合いの手が入った曲。

キャスト


スタッフ

  • 原作:藤子不二雄(小学館学習雑誌連載)
  • 企画:藤井賢祐(日本テレビ)
  • プロデューサー:川口晴年、米沢孝雄(日本テレビ)、佐々木一雄
  • チーフディレクター:上梨満雄
  • 担当演出:岡迫和之、腰繁男
  • 脚本:山崎晴哉、鈴木良武、井上知士、吉原幸栄、馬嶋満、園屁蔵士
  • 原画:日本テレビ動画新潟スタジオ、スタジオジョーク、上條修、竹市正勝、田中保、永樹たつひろ
  • 動画:スタジオジョーク、秋山博雅、荒井政良志、岡山陽子、加藤輿治、楠田悟、滝波いつ子、八武崎好郎
  • 背景:スタジオじゃっく、アトリエローク、高野正道、西巻晶子、亀川尚子、平川やすし、細谷秋男、阿部行夫
  • 仕上:日本テレビ動画新潟スタジオ、江口マキ子、大橋啓子、黒田英里子、小林一幸、島崎あつ子、長村葉子
  • 仕上外注:スタジオ古留美、狩野節子、若井喜治、石田康美、石田国松、石田ヤゴ、川上直子、中野則子、三宅敏博
  • 絵コンテ:生頼昭憲、奥田誠二、棚橋一徳、矢沢則夫、村田四郎、岡迫和之、石黒昇、腰繁男
  • 作画監督:鈴木満、村田四郎、宇田川一彦、生頼昭憲、白川忠志
  • 美術監督:鈴木森繁、川本征平
  • 撮影:菅谷正昭(株式会社 珊瑚礁)
  • 撮影監督:菅谷信行(株式会社 珊瑚礁)
  • 録音:番町スタジオ
  • 編集:西出栄子
  • ネガ編集:スタジオ・ゼロ
  • 現像:東洋現像所(現・IMAGICA)
  • 調整:田中英行
  • 効果:片岡陽三、小川勝男(E&Mプランニングセンター)
  • 文芸:徳丸正夫
  • 選曲:宮下滋
  • 音楽:越部信義
  • 音響演出:近森啓祐
  • 音響制作:E&Mプランニングセンター
  • 制作進行:木沢富士夫、小野忠、増田厚美、 山下一郎 
  • 制作事務:増田一恵
  • 制作主任:下崎闊
  • 制作:日本テレビ・日本テレビ動画


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ドラえもん 黒歴史 封印作品
初代遊戯王/東映版遊戯王 - 本作と同じように公式から封印されている作品。『遊戯王』アニメ初代第一作目。本作とは逆に、テレビ朝日系列放映の初代遊戯王が封印作品で、他の系列局(ここではテレビ東京系列)のものが公式のアニメ作品と化している。

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