プレイステーション
略称は「プレステ」、「PS」。公式略称はPS。これはソニー上層部が「ステは捨てに繋がる」と嫌っていたため。1990年代の文化を代表する、一時代を画したゲーム機である。
絶頂期は1997年から2000年であり、ミリオンセラーを記録するソフトが続発した。PS登場前はゲームプレーヤーは子供とマニアに偏る傾向があったが、このプレイステーションとたまごっちの成功により、大人のライトユーザーにまで一気にプレイヤー層を広げ、日本ゲーム業界の最盛期を現出した。
PS対サターン
PSとセガサターンの登場以降、ドット絵のグラフィックが主流だったゲーム業界は一気に3Dグラフィック主流に塗り変わる。発売当初は2Dの格ゲーが強く『バーチャファイター』など3Dもこなすセガサターンを『リッジレーサー』などの3Dゲームで追うPS、置いていかれるPC-FX、という構図だったが、PSの動画再生を演出に生かし映画のようなゲームに仕立てた『FINAL FANTASY Ⅶ』の発売により形勢が逆転。
PSが売上を急激に伸ばし、この世代のトップシェアハードとなるに至った。
3Dゲームの台頭期ということで実験的な試みが多くなされた。『メタルギアソリッド』や『パラッパラッパー』『風のクロノア』など、新たなスタンダードを築いた名作は数多い。3Dゲームだけでなく、ドット絵を生かした正統派RPGの名作も数多く生み出している。一方で「柳の下のドジョウ」狙いで安易に企画されたタイトルも目立ち、『里見の謎』『C-1 Circuit』『修羅の門』『アンシャントロマン』などの駄作・迷作もあまた乱造された。
ハードウェア
CPU | MIPS R3000A 32bit | グラフィック補助処理用のジオメトリエンジン(GTE)を内蔵 |
---|---|---|
GPU | Sony Custum GPU 32bit | |
メモリ | 2MB(メイン)+1MB(グラフィック)+512KB(サウンド) | |
メディア | 専用CD-ROM/音楽CD |
RISCプロセッサを搭載した32ビット機であり、3D映像出力性能は一昔前のワークステーション並であるという売り文句の元に展開された。
高コストになりがちなROMカートリッジではなく、大容量かつ安価なCD-ROMを採用。低価格かつボリューム豊かなゲームが多数発売された。JPEGデコーダを内蔵しており、この機能を活用して当時の水準としては高画質なMotion JPEGによる動画(ムービー)の再生が可能であった。
PSの描画の欠点として、ポリゴンの間にPS特有の「継ぎ目」ができたり、テクスチャマッピングに特有の歪みができる奇妙な癖がある。これは当時のコンピュータの性能とコストの問題から描画処理を簡略化したため。
ゲームデータの保存はフラッシュメモリを採用した専用のメモリーカードに保存する方式になった。
これで従来のバッテリーバックアップのように電池が切れるとデータが消えるということは無くなったが、フラッシュメモリ自体に書き込み回数の寿命があるためオートセーブ機能を使うとメモリーカードの寿命が切れてしまう場合がある。これはフラッシュメモリを採用している現在のUSBメモリやSDカードにも原理的には起こりうるが、改良が進んでいる近年のフラッシュメモリは粗悪品でなければ通常の利用で寿命が来ることはまずない。
PCエンジンのCD-ROM²やセガサターンと違い、ソフト裏面は黒色である。これはソニーいわく「音楽用CDとの区別のため」であったとのことだが、擦り傷等が付くと非常に目立つため、神経質な人にはストレスだった様だ(このディスクは色付きの関係か、通常の音楽ディスクよりも盤面が軟質であり、このため研磨機にそのままかけることが出来ないという報告もある)。PCエンジン・CD-ROM²の難点であった読み込みの遅さが大幅に改善されており、先行のセガサターンと共にCD-ROM機の普及に大きく貢献している。
後継機であるPS2発売後に、最終モデルであるSCPH-9000をベースに筺体の小型化を行った「PS one」が発売されている。
別売りの専用液晶モニターを接続することで、外出先でもゲームを楽しめるようになる。
但し、アダプタを電源元に接続しておく必要がある。
後継機として、互換性を持つプレイステーション2が発売されている。その後継機であるプレイステーション3ではディスク版、ゲームアーカイブス版の両方がプレイ可能。
プレイステーション・ポータブルとプレイステーション・ヴィータでもアーカイブス版が遊べるが、プレイステーション4では3以前の全てのソフトがプレイ不可能。
型番による違い
一般ユーザー向けに発売した機種はSCPHを参照。
開発者向け
DTL-H1000系
開発用のSCPH-1000などに相当。本体が青色であるため「青ステ」と呼ばれる。CD-Rに焼いたディスクがそのまま使えた模様。
DTL-H1200系
開発用のSCPH-3000などに相当。通称「リビジョン-C」。本体が緑色であるため「緑ステ」(みどすて)と呼ばれる。この機種からは開発者用専用ブランクディスクを使うように仕様変更された様子。
DTL-H3000
「ネットやろうぜ!」用。国籍プロテクトが省略されているため、日本国外で発売されたソフトも動く。本体が黒色であるため「黒ステ」と呼ばれる。一般・教育機関への販売がされていた。
注意点
プレイステーションは比較的薄型で、しかも初期ロットは通気口が少ないので熱がこもりやすく熱暴走の危険がある。また、CD-ROMドライブはCDウォークマンのものを応用して作られており、本来金属で作られるはずのピックアップのスライド機構が、全ロット共通でプラスチック製のレールになっており、使用していくうちにプラスチックがすり減ってフォーカスが合わなくなり読み込めなくなる(この2つの問題を解決するために本体を縦置きにするという方法が有効で、当時広く普及した)。
ただ上記したように5500番以降は構造が改良されており、フォーカスがずれにくくなっている。
その他
- ゲーム業界で「プレイステーション」の名前が出たのはこのハードが最初ではない。当初ソニーは任天堂と共同でCD-ROMドライブを搭載したスーパーファミコン互換機を共同開発していて、その時の開発コードネームがPSX、仮名称が「プレイステーション」であった。
- 元々ソニーと任天堂の関係は良好で、当時ソニーの社員にして後にPlayStationの産みの親として知られることになる久多良木健(くたらぎ・たけし)氏は、スーパーファミコン用のサウンドプロセッサを開発しており、それがそのまま採用された経緯がある。
- しかし上記の互換機について任天堂は「ロードが遅くなる」等の理由でかなり冷ややかな態度をとっていた。その後紆余曲折あってこの互換機の計画は予告なしに任天堂の方から一方的に打ち切られてしまった。
- これにソニーは大打撃を受け、一時期ゲーム事業に対してかなりネガティブなイメージを抱いてしまうも、1992年の経営会議にて久夛良木氏は「我々はこのまま本当に引き下がって良いんですか。ソニーは一生、笑い者ですよ。」と喝を入れ、更に試作機が既に出来上がっていることも公表。最終的に当時ソニーの社長だった大賀典雄氏がゴーサインを出した。
- その後のゲーム機開発においては久夛良木氏は勿論の事大賀社長もかなりの熱を入れたらしく、例として今となってはお馴染みのグリップ式のコントローラを開発する際に何度も改善点を指摘したとのこと。
- 皮肉にもPSのヒットによって当時冷ややかな態度をとっていた任天堂はトップシェアの座からあっという間に引きずり下ろされ、ソフトウェア面においてもサードパーティーは勿論、当時ほぼセカンドパーティーだったエニックス(当時)でさえも次々にPSに移っていくなど(後にWiiで持ち直すまで)ハード、ソフトともに地獄の道を歩むことになった(あくまで据置での話、携帯ではポケットモンスター赤緑の大ヒットによりトップの座に居続けた。)。
- ソニーは商品展開を行う過程でその商品の洗練度を上げようとする試みを積極的に行うことで知られているが、本機においてもそれは例外ではなく、初号機であるSCPH-1000と最終型であるSCPH-9000/SCPH-100(PSone)では内部構成のみならず外部出力インタフェースの内容、さらに画像処理能力まで異なる。SCPH-1000ではAVマルチインタフェースに加えてコンポジットビデオ、Sビデオ出力端子が別個存在するため、トリプルディスプレイ構成にすることすら可能であるが、SCPH-9000/SCPH-100ではAVマルチインタフェースしか残っていない(周辺機器を使用することで再現は可能)。RGBはソニーのトリニトロンテレビ専用のケーブルも出ていた。そのテレビにあったRGB端子はそれ専用のコネクタだったのである。
- この過程ではやはり主流となるゲーム機の負の宿命と言うべきコピーソフト問題が付いて回っていた。当初からCD-ROMにプロテクト領域を持たせて対策をとってはいたが、本体改造で簡単に破られてしまった。ソニーは新たに新プロテクト「レッドハンド」と呼ばれた物を自社タイトルや大手サードパーティを含むソフトに導入したのだが、副作用で初期の本体にプロテクトが誤作動してしまうケースが出てしまった(※)。現在ならばインターネットを通じたファームウェアの更新で対策はできるようになったが、PS2の世代まではネットワークの常時接続を前提としていなかったためそのようなことは困難であった。それゆえ初期型ユーザーは買い替えを余儀なくされた。この時期はCD-Rに対応したドライブが価格低下で普及しだした事も背景にあった。ちなみにPSマークが出る認証画面の次にソフトをリリースするメーカーの名前やロゴの部分で二段階目のライセンスチェックを行っていた様子。導入されたタイトルは「IQファイナル」やサードタイトルでは「FF8」等からだとされている。
- SCPH-7500まであった「外部拡張端子」にSCEIから対応した機器が出る事は無く、SCPH-9000でようやく廃止された。EGWORD用プリンターインターフェースに対応しているが、PARという非公式手段でしか普及していなかった。なお、SCPH-9000では外装(ガワ)では跡形も無いが、上述の通り実は内部にはまだ外部拡張端子の回路が残っていたりする。
- これに並んで実際に使われた事のある端子「シリアルI/O端子」があるが、もはや覚えている人も少ないだろう。これは二台のプレイステーションをケーブル接続して対戦プレイができた端子である。結局は一部タイトルでしか対応していなかった上にいざ対戦プレイをやるとなるとモニタ(TV)も二台必要と大掛かりになるのでひっそりと廃れていった。それでもSCPH-9000で残っていた端子である。
- 起動デモで「白を背景に◇マークと当時のソニー・コンピュータ・エンタテインメントのロゴ」が出るが、その後の「黒背景にプレイステーションのマークとロゴ」はプレイステーションソフトと認証して初めて表示される。PS2以降にPS1のソフトを起動させると後者が必ず表示される。(ゲームアーカイブス版も同様)
- 「キン肉マン旋風」の歌詞中にプレイステーションと聞こえる空耳(実際の歌詞は『センセーション』)が一部の好事家の間で人気。
※…改造されたPSもしくは初期型だとこのプロテクトに引っかかると黒背景で○の中に手の入った赤いマークで警告表示されて起動しないものであった事から。後に駐禁マークに似たマークと共に「強制終了しました。本体が改造されているおそれがあります。」と表示される警告画面になった。ちなみに、正規品同士でもソフトとハードのエリアが異なる場合でも出る事がある。(例:日本国内向け新プロテクト採用PSソフトを国外版PSで起動)
- ACでは互換基板が複数のメーカーから出た稀有な例でもある。代表的なものとしてナムコの「SYSTEM11」(後継に「SYSTEM12」とその廉価基板である「SYSTEM10」)、タイトーの「FXシステム」/「G-NET」、コナミの「GX700/GV999」、設計と開発はSCEだが主にカプコンが採用していた「ZN-1」/「ZN-2」が挙げられる。
代表的なソフト
随時追加お願いします。
関連タグ
SONY SCEI PlayStation PS プレステ ゲーム機 DUALSHOCK
久夛良木健 盛田昭夫(後半二文字が『捨て』を連想させるため、プレステという略称を嫌っていた)
プレイステーション2 プレイステーション3 プレイステーション4 プレイステーション・ポータブル プレイステーション・ヴィータ プレイステーションクラシック