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国鉄の編集履歴

2018-05-24 20:17:58 バージョン

国鉄

こくてつ

国鉄とは、日本国有鉄道など国が管理および運営する鉄道に関する作品につけられるタグである。

このタグは管理および運営を行ったり、国がすべて出資する会社が管理運営を行う鉄道のことである。

なおpixivにおいてはほぼ日本に昭和24年から昭和62年まで存在した日本国有鉄道およびその前身となる組織や施設・車両等に関するイラストや小説に本タグが付与される場合が大半であるため、本項目では国が運営する鉄道を軽く説明したのち、日本国有鉄道について説明する。


広い意味での「国鉄」

鉄道というインフラはかつては軍事産業における輸送において重要な役割を果たしたこともあり、国が管理および運営を行う、あるいは行わなければならないとしている国も多く存在した。また、鉄道線所有および運営を別の組織で行っている事例も存在する(上下分離方式)。

さらには、中小私鉄などの倒産などによる路線保護のために国が買収するというパターンも存在している。

経営方式としては国の直轄機関としての運営、政府が出資する会社形式などが存在する。

一方で海外鉄道民営化に関してはアメリカのように国営鉄道がまったく存在しない国(なおアムトラックは合衆国政府が出資する株式会社形態であり、州が出資する鉄道会社も存在する)、カナダドイツのように従来の国鉄がそのまま民営化された国、イギリスのように上下分離方式で多数の企業に分割(後に鉄道線運営会社は再国営化)して民営化された場合もある。またフランスのように逆に国の資本が増強された事例も存在する。

日本のように、上下一体で地域分割された民営化の形態はあまり例がないが、これには民営化の際の経緯や人口密度の多寡、その国の鉄道の立ち位置が絡んでいる。


なお、JRやアメリカのAmtrakのような国策と密接にし係した鉄道会社を「国鉄」と称することがある。


関連項目

ここに存在するのは項目がピクシブ百科事典に存在するものである。

フランス国鉄 ドイツ鉄道 アムトラック


日本国有鉄道

狭義の「国鉄」は日本国有鉄道を指す。この組織は1987年3月31日限りで分割民営化され、4月1日JRグループへと引き継がれた。なお組織の正式名称としての日本国有鉄道の名称は戦後につけられているが、国鉄という名称はそれ以前より存在し、広く使われていた。

また、この組織は鉄道のみならず、国鉄バス青函連絡船宇高連絡船などの定期船事業、職員向けの病院鉄道警察隊(鉄道公安職員、鉄道内の警察業務)なども行っていた。

なおプロ野球球団国鉄スワローズ(その後紆余曲折を経て現・東京ヤクルトスワローズ)を昭和25年から昭和40年まで間接的に所有していた。


沿革

 この組織は昭和24年6月1日に発足した。本来は明治時代に官設鉄道として設立されたものおよび鉄道国有法により私鉄を買収したため国有鉄道としたものとがあり、これらは政府(の関係省庁、たとえば鉄道院、鉄道省、運輸省など)の直営の国営事業として運用していた。

 しかし第二次世界大戦において駅や線路などの設備が荒廃したこと、戦後復員兵・海外引揚者などの失業者対策としての大量雇用をさせられたことなどにより財政が悪化していた。

 この状況を見たGHQダグラス・マッカーサーは直接国と関係ない事業を切り離し、公共企業体とすることを命令、昭和24年に行われたが、4月の予定が2か月遅れた。

 この組織が発足するとまず財政の正常化を行わなければならない多難なスタートとなった。経営再建のため、当時約60万人もいた職員の首切りを行わざるを得なかった。しかし、労働運動に影響力を持っていた左翼団体が革命を叫ぶ不安定な世相のなか、国鉄の労使問題は政治の焦点となり、当時の下山総裁は謎めいた死を遂げる(下山事件、総裁は家を出たのち行方不明となり、翌日轢死体で見つかった)。

さらに三鷹事件(国鉄三鷹車庫から無人の汽車が暴走転覆、線路近辺の住人6名死亡20人負傷、なお冤罪事件でもある)、松川事件(何者かにより福島県信夫郡金谷川村近辺のレールが外され列車が脱線転覆、乗員3名死亡)などの怪事件が続発した。

 しかし当局はこれにめげず合理化および人員整理を断行し経営改善をはかったものの、今度は桜木町事故、洞爺丸事故(青函連絡船にて台風をおして出航、結果1155人の死者行方不明者を出した事故)、紫雲丸事故(宇高連絡船にて濃霧をおして出航、他の連絡船と衝突沈没、修学旅行中の小学生など168名死亡、なおこの船はそれまでに3回事故を起こしていた船であった)と大事故が続発し、世間から轟々たる非難を浴びた。

 国鉄は鉄道省時代から長らく国民の足として、物流の大動脈として重要な役割を担ってきたものの、昭和40年代以降航空機や特に自動車の発達に伴い、長距離輸送および貨物輸送における鉄道の割合が低下したこと、高度経済成長に伴うインフレにもかかわらず運賃値上げが遅れたこと、都市部の路線改良(メリットは存在したが多額の費用が掛かった)などにより、東海道新幹線開業直後から赤字となった。


斜陽化

 不適切な運賃設定(運賃のインフレ対応が遅れたり、赤字になったために運賃を上げ利用者が減るなど)、整備新幹線、赤字線問題の放置、通勤五方面作戦(過密運行緩和を目的とした首都圏路線の複々線化などによる輸送力の大幅増強)の実施、各種改革に対する職員の抵抗などによって生み出されたこの組織の莫大な赤字は国政問題化した。

 この問題に対し国としても手をこまねいていたわけではなく、生産性向上運動赤字83線(使命を終えたローカル線とされる路線や区間を廃止する試み)や財政再建10カ年計画(10年で国鉄を黒字化する計画)が立ち上がった。

 しかし生産性向上運動は労働組合が日本共産党日本社会党の支援を受けつぶし、赤字83線は田中角栄によりつぶされ、財政再建10カ年計画は人件費の増大や貨物輸送の減少(度重なるストライキサボタージュにより信頼を失ったことと道路による運送に切り替わったこと)により失敗した。

 一方で、労働組合としても日々国鉄の立場が厳しくなる状況を座視していた訳でもなく、過激な労働争議の中でも貨物列車をストライキの対象から外す「貨物安定化宣言(1978年)」など、利用者の立場に沿った方針に転換したが、国鉄が全面的に信頼を回復するには至らなかった。


 更には1970年代の末から、国鉄職員のミスや規律の不履行などによる事故やカラ出張などの不祥事が相次ぎ、国鉄に対する批判はいっそう厳しいものとなった。一例では、1982年に名古屋駅で機関車の付け替えのために停車していた東京発紀伊勝浦行きの寝台特急紀伊」に、酒気を帯びた機関士が運転するディーゼル機関車が衝突し、機関車と客車一両が大破するという許されざる事故が起こった。

 職場規律の荒廃など国鉄の実態が明らかになるにつれて、世論は国鉄批判と分割民営化へと流れていった。

分割民営化

 そして末期の昭和55年には日本国有鉄道再建法が成立、所有する路線を幹線地方交通線に分類し料金をわけ、地方交通線のうち特に採算の取れないとされていた特定地方交通線の大整理を行うこととなった。これらは当時の内閣総理大臣であった鈴木善幸によりすすめられた。この時整理された地方交通線の中には、本線との直通運用存続した区間より利用客の多い路線、さらには運用により改善可能であった路線も存在し、路線名単位での画一的な廃止は後年にまで問題をもたらした(後述)。

 さらに昭和57年には中曽根康弘内閣主導の行政改革の一環として、各地方に分割(上下分離や新幹線の独立などはせずに)し民営化することに至った。

 この民営化の際凋落の原因の一つとなっていた国鉄労働組合(国労)など、経営側と対立関係にあった労働組合関係者を大量解雇された(なお当局寄りの組合員は基本的に全員採用。また、国労を離れた者には復帰が許されたとされる)。この分割の際JR各社の経営基盤にまで悪影響を与えており、かのJR福知山線脱線事故のような事故の多発も、会社による利益格差(各社の新幹線の分割結果によりJR西日本は利益の少ない山陽新幹線のみを継承している)による営業目標の違いが原因の一つとされており、政治からの不適切な介入により、分割民営化を無理に進めた悪影響が現在まで残っていると言える。

 昭和62年に分割された会社はJRとされ、鉄道会社JR北海道JR東日本JR東海JR西日本JR四国JR九州の旅客6社とJR貨物の計7社、JR総研JRシステムなどであった。なおバス事業や連絡船事業に関してはJRバスなどという会社が作られたわけではなく、それぞれの会社に移管された。公安職員は解体され、各県警に統合された。

民営化がバブル景気と重なったこともあり、国鉄分割民営化後は新幹線や都市圏を中心にJR線のサービス改善が進んだ。一方では地方交通線などの閑散路線や貨物輸送は冷遇されるようになり、長距離列車の大幅な削減・ローカル線の廃止や第三セクター化が進められ鉄道による旅行は不便で味気のないものとなっていった。

 また、遊休地等の処分は国の失策(資産を高いうちに手放さず、結局投げ売りした)等もあり赤字の清算はうまくいったとは言えない状況である。

総評

 この組織が作り上げた全国的な鉄道輸送システムは、その膨大なインフラ投資のためにこの組織及び国の経営を圧迫する結果となったが、旅客・貨物輸送の両面で高度経済成長を支える役割を存分に果たし、そして今も果たし続けている。

そのほか

  • この組織の赤字となった理由に関してこれと同時に硬直化した経営体制や一部極左思想を掲げる構成員の活動により職場のモラルは極限まで低下、石灰でスローガンを車体に醜く塗りたぐる醜悪な行為、度重なるストライキ(JR東日本千葉支社が代表)や事故、利用者減少に伴う運賃値上げで利用者である国民の支持を失ったうえに、政治的な圧力による赤字確定のローカル線の新規敷設など、どんな大企業であろうも経営が傾いて当然の行為を際限なく繰り返している。
  • 有名な鉄道紀行作家宮脇俊三の著書によれば、昭和50年代前半には既に黒字の路線は東海道新幹線山手線のみという惨状であったとされ、中には収支係数3000(100円を稼ぐために3000円の経費が必要)を越える大赤字路線まで存在した。その一つが勝田線であったが、同線は福岡県の住宅街に路線が存在し需要が十分あったにも関わらず、国鉄側が1日6往復というダイヤを一向に改善しないことでここまでの赤字路線と化していたのである。
  • 連絡線として利用していた例としては伊勢鉄道として民営化されたが本来この路線は関西本線紀勢本線を短絡するための路線であり、その影響で現在でも特急などで利用すると別料金がかかる。
  • 画一的な廃止の例としては江差線松前線があげられる。この二つの路線は廃止された松前線(なお基準ぎりぎりであったらしい)よりも存続となった江差線の閑散区間(平成26年に部分廃線)のほうが利用者が少なかった。


歴代総裁

  • 下山定則(1949/6/1~1949/7/6 下山事件で死亡)
  • 加賀山之雄(1949/9/24~1951/8/24 桜木町事故で引責辞任)
  • 長崎惣之助(1951/8/25~1955/5/13 紫雲丸事故で引責辞任)
  • 十河信二(1955/5/14~1963/5/19 東海道新幹線建設費問題で辞任)
  • 石田禮助(1963/6/20~1969/5/26 唯一任期を満了した国鉄総裁)
  • 磯崎叡(1969/5/27~1973/9/21 マル生運動後の現場混乱を受けて辞任)
  • 藤井松太郎(1973/9/22~1976/3/5 スト権奪還ストに対する対応の責任を取り辞任)
  • 高木文雄(1976/3/6~1983/12/1 国鉄再建に関して政府の圧力を受け辞任)
  • 仁杉巌(1983/12/2~1985/6/24 国鉄独自の再建案の責任を取り辞任)
  • 杉浦喬也(1985/6/25~1987/3/31 運輸省から送り込まれた最後の国鉄総裁)

ロゴマーク

メイン画像の『Japan National Railways』の頭文字を図案化した「JNR」以外にも「国鉄」を示すロゴマークは複数存在した。

  • 「工」マーク

工部省鉄道局旗印

鉄道省より前の、工部省鉄道部だったころから用いられていた意匠。

鉄道連絡船煙突に掲げられたファンネルマーク(1960年頃までに新造された船)、用地境界の杭、作業用ヘルメット、身近なところでは寝台車の乗客に貸し出された浴衣にも印刷されていた。

  • 「動輪」マーク

日本国有鉄道記章

蒸気機関車の動輪を図案化した意匠。国鉄の事業を体現する象徴的なマークと言っても過言ではない。

実際はイラストのようなボックス車輪ではなくスポーク車輪を図案化したものが多かった。

制帽の帽章や、制服の襟章やボタン、国鉄バスの車体正面のエンブレム、乗車船券の地紋などに用いられた。

  • 「五七桐」

日本国政府を示す五七の意匠。

こちらは「JNRマーク」や、「工」「動輪」比べるとやや地味な存在ではあるものの、国鉄を示すマークとして使われていたことがある。

帽章に動輪マークと合わせて用いられていたほか、制服の襟章(後に制服改定とともに動輪マークに)、また鉄道公安職員階級章警察の旭日章に五七桐を組み合わせた意匠の襟章であった。


タグとして

このタグは、JR各社発足以前にデビューした国鉄時代の車両イラストなどに付けられている。国鉄が消滅して2017年で丁度30年経つが、国鉄型車両(キハ40系105系など)はいまだに数多く活躍している。



鉄道省 国電 旧型国電 蒸気機関車

國鐵廣島 國鐵金澤 國鐵新潟 國鐵千葉 國鐵髙﨑 国鉄色

D51 C62 0系 485系 103系 113系 キハ58系


元国鉄職員の有名人

佐藤栄作……戦前の鉄道省に在籍。

三代目三遊亭圓歌落語家)……戦前に在籍。


今井雄太郎(元プロ野球選手)

西村徳文(元プロ野球選手、前:千葉ロッテマリーンズ監督、現:オリックス・バファローズ一軍ヘッドコーチ)

福良淳一(元プロ野球選手、前:オリックス・バファローズ監督) /> ストロング金剛 (元プロレスラー、タレント) /> 伊藤敏博シンガーソングライター) /> 藤井フミヤ(ミュージシャン)

ツートン青木(物まね芸人) /> 田中要次(俳優、分割後はJR東海所属。)


参照

wikipedia同項目および日本国有鉄道およびそのリンク先

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