俺が概要だ
『機動戦士ガンダム00』でガンダムエクシアに搭乗した主人公の刹那・F・セイエイの台詞にしてガンダム哲学である。
憧憬であり、決意であり、悪党への引導であり、ネタでも有り、職業倫理であり、決め台詞であり、自己の証明にして自分との訣別でもある、いわば刹那・F・セイエイという男のすべてが詰まった言葉。
初出時にはロックオン・ストラトスから「何言ってんだ?」と視聴者の心を代弁するかのような突っ込みを入れられながらも彼の口癖として定着した。
俺が解説だ
彼の素性をよく知らない人からすれば「コイツは何か、ガンダムという単語の意味を誤解しているのではないか」とツッコミ入れたくなる台詞だが、実のところこの言葉は極めて多面的な意味をはらんでいる。
第1期の第12話「教義の果てに」ラストで、それまで散々ガンダムだと言ってきた刹那が突然「俺は…ガンダムになれない…」と呟いた次話の第13話「聖者の帰還」予告内で『刹那、ガンダムになる』と言われたとおり、意図自体はこの上なく大真面目。単なるネタに見える台詞だが、刹那の精神的な成長も表した、本当に深い意味が込められた台詞である。
俺が、俺達が!!解説だ!!
かつて彼は使い捨てのゲリラの少年兵として洗脳(現実にも存在する思想誘導。SF的な人格改鋳ではない)され、生身でMSと戦わされそこで死に瀕している。神の名の下に自らの手で実の親を殺し、信じた神とその教導者にも裏切られ、死を待つだけだった少年兵を救ったのは“ガンダム”であった。この瞬間、幼い刹那にとってのガンダムは神に代わる救世主にして、戦争を終わらせる実在する神となったのである。上述したガンダムになれない発言もMSに狙われた少年兵達を救えなかった自責の念から発した言葉であり、いかに刹那にとってのガンダムが重い意味を持つのかが窺えるだろう。
お前は解説を超えた
やがて「ガンダム」の意味は再びの神の裏切りなど様々な経験を経て、漠然とした「神」という概念から「紛争を根絶するもの」という確固たるものへと変わり、未知との対話や人類の革新へと繋がっていく。
その過程で「俺がガンダムだ」も「ガンダムになれない…」「今度こそガンダムに」「俺達がガンダムだ」「お前達がガンダムであるものか」など成長に伴い変化していった。まさしく、単なるネタではない名言であり迷言なのである。ロックオン曰く、「ガンダム馬鹿(ロックオンに言われた際には褒め言葉として受け取っている)」である刹那を表している台詞と言えよう。
また、彼の搭乗するガンダムエクシアは実体剣を複数持つ唯一のガンダムだが、これはソレスタルビーイング内部からの裏切り者が盗用した技術を外部に漏らし敵機もGNフィールドが使えるようになった場合、それを無効化し駆逐するためであるということが終盤になって発覚する。つまり、この機体に乗るパイロットは近距離武器を使いこなせるだけの操作技術のみならず「戦争根絶」という目的に対し確固たる信念を持つガンダム馬鹿でなければ務まらないというわけである。
自身の中の「ガンダム」を確立した2期以降は原作では口にしなくなったが、クロスオーバーなどでは己の中のガンダムに従い、一級ガンダム認定士として活躍している。
もう一度俺に…解説になるチャンスを…
それでもわからなければ、まず他作品で「英雄」や「アイドル」を目指す、あるいは背負わされる主人公を見てみよう。彼らは物語が進むにつれて「理想と現実のギャップ(=俺はガンダムにはなれない)」「衝撃的な真実が隠されていた。ぶっちゃけ詐欺(=リボンズの暗躍)」という展開に苦悩することが多いが、1期でガンダムガンダム言っている刹那も大きな括りでみればそんな主人公の一人である。当然ながらキャラクター造形の話で他作品の主人公が刹那と同じ理想を持っているわけではないし、刹那は「信仰」という要素も絡んでくる。
その辺りが理解できたら、次は「ガンダム」を「神」と入れ替えてみれば大体の意味は理解できるだろう。ただ、「ガンダム」の意味は段々と変化する上、「神」の定義によっては刹那が本来意図しているところとは全く逆になる。(が、中の人的には合っていると言えなくもない)。刹那の過去を理解していなければむしろ混乱は深まるかもしれない。
ガンダムマイスターへの道
本作の独自要素として「ガンダムマイスター」という造語がある。直訳すれば「ガンダム職人」「ガンダム親方」、作中の内容からすれば「ガンダム担当」「ガンダム係」みたいな使われ方をしているが、刹那の生き方からすれば「ガンダムに就職した」と考える事が出来る。ソラン・イブラヒムの憧れの存在、ガンダムの操縦担当に就職すれば自分の夢が叶うんだよ!
…と思ってたら現実の職業は思ってたような立派な存在じゃないし、結局みんなオシゴトで動いてるだけだった。
あんなのガンダムじゃないと言いたくなる連中も出てくるし、自分の運命を変えた宿敵も盗んだガンダムに乗っちゃったし、ガンダムのマニアが果てしなく追いかけてくるし、ガンダムのせいで悲惨な目に遭った人の恨みを背負わなきゃいけないし、実はラスボスだってガンダムそのものだったし、理想と現実のギャップは酷いもんだ。幼い頃に抱いてた理想の職業への憧れがボロボロと崩壊したっていうのは、社会人一年生なら誰でも体験している出来事であろう…それでも、ガンダムになった責任を背負って生きていかねばならない。
お前も「俺がガンダムだ」だ
セリフでも「俺がガンダムだ」だ
『機動戦士ガンダムUC』からマリーダ・クルスの発言。
刹那とは対照的にガンダムを憎んでいた人物の台詞なのだが、幸か不幸か会話が成立してしまうため、今後のクロスオーバー作品に良くも悪くも大きな期待がかかっていた。
そして、後述のとおり実現してしまった。
- 「僕がニュータイプだ」
『機動新世紀ガンダムX』のカリス・ノーティラスの発言。
先述の台詞についても、作中におけるニュータイプに含まれたメタフィクションを加味すると、カリスもまた自らがガンダムであると定義していることになる。
- 「えーっ、そりゃおかしいや女王陛下、ガンダム、いますこれがガンダム、ねえそうでしょ?」
ディアナ・ソレル女王陛下の「ガンダムにはお髭がありますか?ありません!」と続く。
- 「僕は救世主になる」
『機動戦士ガンダムAGE』からフリット・アスノの発言。
小説版では特に深く掘り下げられている。
- 「あれはガンダムだ、私がそう判断した」
『機動戦士ガンダム水星の魔女』からデリング・レンブランの発言。
この世界でのガンダムは使用が禁じられている禁忌の兵器であり、この発言が出た経緯はいたってまっとうなのだが、やはりというかネタにされてしまった。
- 「僕はガンダムになる」
ガンダムエースに掲載された藤岡建機氏の読み切り作品『OVER THE MIND』にて、主人公の少年の発言。
…しかし当該機体の成立過程を知ってからだとまったく笑えない台詞である。
- 「俺はただのジムさ」
ガンダムエースに掲載されたコミック作品『機動戦士ガンダムカタナ』からユージ・アルカナの発言。
自分の非力さを自虐するための発言だろうか。対照的(?)な表現といえる。
ガンダム本編ではないが記載。映画『レディ・プレイヤー1』にてダイトウが言った名言。
彼は変身して本当にガンダムになってしまった。
設定でも「俺がガンダムだ」だ
俺がガンダムだ(物理)を地で行くモビルトレースシステムがガンダムに採用されている。
さらに今川泰宏監督お家芸の過剰演出で、ガンダムの顔部分がパイロットの顔になったりする。
また本作にはパイロットも含めたありとあらゆるものを吸収し、際限無く進化する(ある意味ELSとは似て非なる)デビルガンダムも登場している。
ともすれば世界から戦争を人類もろとも根絶し得る、文字通りの『悪魔のマシン』。刹那もクロスオーバー作品で相対する事はあるが、当然ながら完全否定している。
物語終盤、サイコ・フィールドをフル稼動させたユニコーンガンダムに精神を取り込まれ、「可能性と言う名の神」になってしまった。
- 機動戦士ガンダムUC 星月の欠片(エンデ・アベニール)
ガンダムユニコーンエースに掲載されたコミック作品。かつてガンダムに助けられ、その姿に憧れてパイロットになるもガンダムに乗る事は叶わず燻っていた青年が、頭部をガンダムヘッドに換装したジムⅡで子供達を守るために戦ったその瞬間、まぎれもないガンダムとなった。
阿頼耶識システムと呼ばれる生体デバイスを介して「物理的にMSをリンクする」。こと主人公機であるガンダム・バルバトスが性能を引き上げていく度にパイロットの身体機能に悪影響を及ぼしていくのと引き換えに、まさしく「悪魔」の名に相応しき大立ち回りを披露した。
「わたしがガンダムだ」とでも言うべき状況(本人は発言していないが)。
ファイターとガンプラが心身共に一体化するほどのシンクロ現象「アシムレイト」が登場。
文字通り俺がガンダムな皆さん。
『SDガンダムフルカラー劇場』では案の定00編が始まった途端にネタにされていた。
『鎧闘神戦記』ではヒイロとゼクスが、『新世聖誕伝説』ではミカヅキ、アキヒロ、シノ、ガエリオ、マクギリスがそれぞれの乗機に変身する(ヒイロとゼクスに至っては巨大化までしている)。
そしてついに我等がセツナさん(本作における戦士セツナさんは勇者ガンダムことエクシアの転生体であらせられる)も『創世超竜譚』にて騎士00クアンタに変身なされたのである!!
なお同作におけるロックオン、アレルヤ、ティエリアの3人は、劇場版における乗機を元とした騎士ガンダムたちが力をシャッフル騎士団に託し、人間に変身した姿である。つまり「俺がガンダムだ」ではなく「俺(僕)たちは元ガンダムだった」ってわけ。
色白の会社員、木戸銭寺淡泊がモビルスーツ似の同僚たちと一年戦争を始めてしまう。
ゲームでも「俺がガンダムだ」だ
スパロボでも「俺がガンダムだ」だ
- 第2次スーパーロボット大戦Z 破界篇(ヒイロ・ユイ→刹那、刹那→ランカ・リー)
スパロボに機動戦士ガンダム00が初参戦となった作品。
「お前はガンダムではない」「お前はガンダムになれ」→「俺はガンダムになる!」と続き「お前もガンダムだ」に続く流れはネタとしてもシリアスとしても秀逸であり、ツイッター上で水島監督からもコメントを頂いた。その後も二人は「お前はガンダムだった」「お前はガンダムを超えた」(刹那的には至上の褒め言葉らしい)などの哲学的会話を繰り広げる。
更にはランカ・リーの歌う『星間飛行』に対して「この歌もガンダムなのか」と発言している。彼のガンダムの定義を考えれば正しい……。そう、正しいのである。一方で100万Gの男は原作通りの台詞で「貴様はガンダムではない」とバッサリ切り捨てられた。
ちなみに漫画家の冬凪れく氏はこの台詞の登場を予見していた…事はさすがにないだろうが、コミックボンボンに掲載されたスーパーロボット大戦Fのパロディ漫画においてヒイロ・ユイに「俺がガンタンクだし」と言わせている。
- 第3次スーパーロボット大戦Z 天獄篇(刹那本人→マリーダ・クルス)
暴走するプルトゥエルブことマリーダ・クルスの「お前もガンダムか!」との叫びを受け止め「そうだ。俺が・・・ガンダムだ!」と返してプレイヤーたちの期待に見事応えた。
……だけならば良かったが「俺だけじゃない!俺達が…そして、お前もガンダムだ!」と畳み掛け、マリーダを「私が…ガンダム…」と愕然とさせ、遂には「俺達はガンダムを越えなければならないんだ!」と告げてマリーダを絶叫させた。例によって意味が通じてしまうから本当に困る。
なおあちらが正気を失っているのに対し、こちらは素面かつ極めて真面目にこの対応だということには留意していただきたい。
また、この次の話でバナージがマリーダを救う決意を表明した際には「あいつは今、ガンダムになった」と発言している。
- スーパーロボット大戦UX(刹那→劉備ガンダム)
まさかのガンダム本人との対面が実現。実際のガンダムがしゃべって何らかのリアクションが出るだろうとプレイヤーは予想するも、初対面ではロックオン・ストラトスによって注意されたせいかリアクションはおとなしめであった。
しかし劉備ガンダムの覚醒イベントでは「ヤツもまた、ガンダムか」と劉備ガンダムを刹那が認めノルマを達成するのだった。
- スーパーロボット大戦BX(刹那→剣士ゼータ、刹那→騎士ガンダム)
暴走したユニコーンガンダムを止める際、相手の一撃目を受け止める役目を買って出た剣士ゼータに対して「お前を信じよう、ガンダムッ!」と発言。
また、悩む騎士ガンダムに対して「光になれ、騎士ガンダム! 全ての守るべきものを照らす光に!」と声をかけるシーンがある。付け加えるなら騎士ガンダムの正体はガチで本物の神様(の一部)である。
- スーパーロボット大戦V(刹那→如月千歳)
チトセの「どこの世界でも人は一生懸命生きている。だから、私達はその人達を救うために戦っている」の言葉に対して「そうか…。あなたもガンダムなんだな」と賛辞(?)を送った。
VS.シリーズでも「俺がガンダムだ」だ
PS3版に参戦したジオングで刹那と組んだ際、シャアが「貴様がガンダムだと!?えぇい、それはどういう意味だ!」と困惑する台詞がある。
ちなみにシャアが刹那に勝利すると「お前は決して、ガンダムではないよ」という1期第12話の「俺はガンダムになれない」を彷彿とさせる皮肉な台詞を言う。
MBに参戦したガンダムAGE-1で刹那(エクシア)と組むと、フリット「行こう、ガンダム!」刹那「俺が…ガンダムだ!」という掛け合いが見れる。
ガンダム・バルバトスで刹那(エクシア)と組むと、三日月が「ガンダム?あんた…ガンダムって言うのか。随分変わった名前だな」と発言する。
どうやら「俺がガンダムだ」という台詞を自己紹介と認識しているようだ。
敵機にすると「お前はガンダムではない」と断言されてしまう。原作だと刹那がこれを言う側であったのが笑いを誘う。
一方で僚機の場合だと真逆のセリフになる。
他ゲームでも「俺がガンダムだ」だ
主人公に名前が設定されていないため、それを指してガンダムと呼ぶシーンがある。
リボーンズガンダムが「自分こそ人類を導くガンダム」と主張した。
ティエリアと中の人が同じジャンボットに対してガンダム認定。
でも本人からはガンダムではない認定。
この他にもウルトラマンゼロとのクロスオーバースキル「GNウルティメイトゼロソード」を使用するとこのセリフのパロディが聞けたり、ゴッドガンダムとダブルオークアンタが仲良く語らうなど該当セリフを知っていればニヤリとするネタの宝庫である。
プラモでも「お前もガンダムだ」
「Figure-rise Standard」から『機動戦士ガンダム 水星の魔女』の主人公、スレッタ・マーキュリーのプラモデルが発売された折には、昨今の転売目的の買い占め対策として、量販店から”ガンプラ”としての扱いを受け、購入制限が設けられた。
お前もガンダムだ。
演出的な面での「俺がガンダムだ」
作中での扱いもあり、ゲーム等の作品では刹那の決め台詞、勝利ゼリフ等で採用されている。
「俺達がガンダムだ」「これが俺のガンダムだ」といった実際に本編で使用されたバリエーションも使われることも。
EXVSシリーズではガンダムエクシアの覚醒技(バーストアタック)を使用した際に、連撃に合わせて「俺が!俺達が!ガンダムだ!」と再現セリフとして言い放つ。
Gジェネレーションシリーズではシャイニングフィンガーやゴッドフィンガーを刹那が使用する際の決め台詞として採用されている。
前者は原作再現や格好いい決め台詞として映え、後者はネタ的な意味でおいしい演出となる。
ただし精神的に成長して「ガンダム」という概念が刹那の中で変化した後の設定(劇場版基準など)で登場する際は、原作に合わせてこのセリフの使われる頻度は下がる傾向にある。
ライブでも「俺がガンダムだ」
2015年にさいたまスーパーアリーナで開催された『KING SUPERLIVE 2015』にて、キングレコード所属の保志総一朗氏と宮野真守氏の2人で『翔べ!ガンダム』を熱唱。
保志氏と宮野氏という事で奇しくもキラと刹那の共演となったが、其の際「僕がガンダムだ!」「俺がガンダムだ!」と互いに張り合うやり取りを見せ大いに会場を沸かせた。一方で太鼓打ちで参加していたKATSU(angela)氏も「俺がガンダムだ!」と主張した際は宮野氏に「あなたは違う」と突っ込みを受けている。
猶、ガンダムシリーズは長くキングレコードが曲を担当していたが、ガンダムSEEDからは変更されている。
其の為、ガンダムSEEDとガンダム00の主人公が『翔べ!ガンダム』を熱唱すると言う熱くも貴重なコラボだったと言える。
別ジャンルも…「俺がガンダムだ」なのか…
目指す先に本来の言葉以上の意味を持ち、時には悪意に満ちた現実が待っていたとしても自分の信じる何かを目指す主人公は多い。鋼鉄の巨人に乗らなくても、場合によって少女だって荒野を目指しその決意を口にするのである。
恐らく中の人繋がり。台詞の「俺は、ウルトラマンだ!!」の部分が大体似ている。
- 「新世界の神となる」
ゼロに隠れがちだがこちらも忘れてはいけない中の人が同じキャラネタ。
この時は完全な善意による発言だったが…
説明不要の大名言。彼にとっての海賊王は世間一般のそれとは間違いなく異なるだろう。
光の国に生身で降り立てる肉体となっても彼は彼のままであった。
過去のトラウマと向き合い、闇の力さえ受け入れて、光の戦士は再び立ち上がる。
記憶を奪われてなお消えない愛の誓い。
『群衆の主(ガネーシャ)』を自負する愛すべき馬鹿のキメ台詞。
変化球。憧れの人に釣り合う漢という意味が大前提である。…おい誰だ、「”なろう”とした時点で失格」なんて言ったの。
誰もが認める己の証を求め続けるバカの信念。
クリスマスの狂気に当てられた名無しの英霊の末路。
聖杯探索のクリスマスイベントでも彼は"サンタム"を名乗る。
最強の魔法騎士を目指す少年の野望。
己を取り巻く環境への怒りが頂点に達した中間管理職の叫び。
メタ的に見てもキャラ説明とカッコよさを両立できるので、序盤や終盤でよく使われる演出でもある。
社会現象となった事もあり、別作品でも早速パロディにされた。
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モビルトレースシステム:俺がガンダムだ(物理)
デビルガンダム:お前もガンダムだ(強制)
劉備ガンダム:真のガンダム(物理)
スペリオルドラゴン:真のガンダム(神話)
緑川光:自分のガンダム大好き仲間
神谷浩史:夢が『ガンダムのパイロット』だったのに、SDガンダムフォースで『ガンダム』そのものになってしまった。つまり、全マイスターの中で唯一、『俺がガンダムだ』を中の人が本気で言える人。
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