日本語の方言
創作では、特徴的な語尾と訛りだけを真似た似非方言も良く使われる。たとえば『俺ら東京さ行ぐだ』のようないわゆる「東北弁」は、創作の中にだけ存在する「役割語」の類に過ぎない。実際には同じ東北地方でも地域によって言葉が全く違う。例えばこの歌を歌った吉幾三の出身地の津軽弁では「わ、東京さ行ぐでぁ」、「おらきゃ東京さ行ぐど」などとなる。この手の「田舎言葉」のルーツは、時代劇などで「江戸に進出した北関東の農民の言葉(北関東の方言は南東北の方言に近い)を基に創作された物」とされている。
ただし、一部の方言の言葉の内容が飛び地的に共通だったりする場合もあり、これは昔開墾などで移り住んだ者達の方言がそのまま残ったというケースが多い。代表的な例に、福岡市城下町地区で用いられていた岡山弁の変種である福岡弁がある。
日本語の方言は、廃藩置県後の標準語による学校教育の普及、地域をまたいだ人口移動の増加を経ても色濃く残っていたが、昭和期のラジオ・テレビの普及により、方言話者は急速に減少した。高度経済成長期以降に生まれた世代では「意味がわかっても話せない」場合も多い。
一方で、一部の方言はマスメディアによって全国に広がることもある。特に近畿方言は吉本興業所属のお笑い芸人を中心に多く聞かれ、全国的な影響力を持っている。ただし、今日の京阪神都市圏で若い世代の話す関西弁はメディアの多大な影響力によって半ば共通語化した「関西共通語」であり、「吉本弁」と揶揄されるメディアで使われる関西弁により、日常使われる方言が変容した面もある。
Youtuber等の個人配信主は一般にテレビ業界での矯正を経ていないため、アクセントの違いなど方言の影響が出る人は多い。
各地域の方言
旧藩などの地域単位でのまとまりである事が多く、必ずしも現在の都道府県区分単位でまとまっている訳ではない。
昔は「川や山一つ隔てたらそこはもう別の国」という有様で、同一県内でも大きく異なる方言が話されている場合も少なくなかった。例えば秋田県では「山側の住民と海側の住民で方言で喋ると話が通じない」という例がある。県内での方言差が極端に大きい鹿児島県や沖縄県などでは「方言の共通語」が生まれている程である。
また方言娘など創作の方言話者に対し「自分は聞いたことが無い」「こんな言葉遣いはしない」という非難が上がる場合、大抵はその主張者が、この昔の地域区分では別な地域だった場所の方言話者であるケースが少なくない。
逆を言えば方言話者の訛りやゆすり、アクセント、語彙などで大まかに旧区分のどの地域の出身者か推測できる程地域性の高い物である。
関東
東京都島嶼部を除き、おおむね渡良瀬川と江戸川を境に南奥羽方言との共通点が多い「東関東方言」と東海東山方言との共通点が多い「西関東方言」に二分される。
東日本方言
中部
主に東海地方・中央高地(東山地方)および新潟県本土の大部分で話される「東海東山方言」と、新潟本土と福井県嶺北地方を除く北陸地方で話される「北陸方言」に二分される。
このうち北陸方言は関西弁と、東海東山方言は関東方言(特に西関東方言)との共通点が多く、北陸方言と東海東山方言の間は差異が著しい。そのため「中部弁」としてひとつにまとめてしまうのは無理がある。逆に同じグループの間であれば「方言連続体」であるので、グラデーションの様に少しずつ変化していっており、地域が近い場合は言葉が通じやすい。しかし距離が離れると同じ系統の方言であっても通じない語彙も増えてくる。
- 新潟弁(ただし県北部は庄内方言に、佐渡島は北陸方言にそれぞれ近い言葉が話される)
- ナヤシ方言
- ギア方言
西日本方言
関西
西日本方言
- 近畿北陸方言
東海東山方言
- 奥吉野方言
- 十津川弁
- 上北山弁
- 下北山弁
- 天川弁
- 洞川弁
中国・四国
西日本方言
- 中国方言
- 近畿北陸方言
- 南四国方言
九州・沖縄
西日本方言
- 肥筑方言
- 豊日方言
- 薩隅方言
- 鹿児島弁(難解な方言として有名だが、その中でも地域差が著しい)
- 諸県弁(宮崎県都城市・小林市などで用いられる方言。「どげんかせんといかん」は日向弁ではなくこちら)
方言と言語
日本語や中国語、アラビア語などは、同じ言語の話者であっても、居住地が違えば互いに意思疎通が困難なほどの多様な方言を有する言語であるが、世界的にはポルトガル語やオランダ語のように地域差がほとんど見られない言語も存在する。このような方言が少ない言語においては、近隣の外国で話される別の言語と、互いに意思疎通が可能なほど似通っていることが多々見受けられる。
例えば、日本語においては同じ西日本方言の近畿北陸方言に分類される富山弁と大阪弁の差異は、インドネシア語とマレー語の差異を遥かに上回り、またスウェーデン語とデンマーク語の差異は東京弁と博多弁程度の差異しかないとも言われる。ヒンディー語とウルドゥー語は話者の準拠する宗教の違いを反映して表記する文字体系と不足する語彙を借用する外来語がそれぞれ主にサンスクリット語かアラビア語であるかという違いはあるが、それ以外では全くの同一言語である。
一般に言語学的に「近い」「遠い」ということを客観的に示す指標には、相互理解性という概念が用いられる。これは、相互に母国語で話をしたときに、互いに何%程度文意を理解できるかによって表される(無論、個人差があるので相当数の母集団を用いて統計的処理を行う必要がある)。これによると、例えばスペイン語とイタリア語の相互理解性は、東京弁と博多弁よりは小さく、東京弁と鹿児島弁よりは大きい。これは、スペイン語はイタリア語に対して、東京弁に対する鹿児島弁よりは近しい関係にあるものの、博多弁よりは遠い関係にある言語であることを意味する。
このように、方言であるか言語であるかという点については明確な基準はなく、あくまで政治や文化、宗教などが複雑に絡み合って派生している概念という見方もできる。このため、ユネスコでは全ての方言を固有の言語であるとみなしており、これに従って 沖縄県と東京都の複数の方言を消滅危機言語としてデータベースに登録している。しかし、だからと言って問題を全て解決できるわけではなく、実際、ドイツのバイエルン州の方言であるバイエルン語と、オーストリアの事実上の公用語であるオーストリア語はいずれもドイツ語の方言であるが、これらは文法や語彙に語彙に全く違いが無く(同じ大阪弁である河内弁と摂津弁ほどの差異さえ存在しない)、明らかに同一の言語であるが、これらをまとめてオーストリア語と呼んでもバイエルン語と呼んでも政治的に正しくないとの認識から名目上別言語として扱われている。
ヨーロッパにはマルチリンガルが大勢いるので驚かれることもあるが、なんのことはない日本の方言程度の差しかない近隣諸国の言語をいっぱい知っているということである。このような事情から転勤族などで国内の複数の方言を自在に操れるようになった日本人は彼ら彼女らと全く同レベルに達しているとも言える。
特に近畿地方東部においては京都弁、越前弁、美濃弁、伊勢弁、尾張弁などの文法、語彙、アクセントのいずれの視点で見ても極めて多様な多数の方言がひしめき合っており、日常的に様々な方言の話者に触れ合う機会があるために、逆に自身の話す言葉までちゃんぽんになってしまい、単一の方言だけを話すことが難しい人間も多い。
方言の習得
よく、方言の特徴と称して「〇〇」のことを■■弁では「●●」というもしくは〇〇弁では語尾に▲をつけるなどといった言説が見られるが、これらは誤解である。
前述のように、方言は一種の孤立言語であり、独自の文法と表現体系を有しているので、単純に単語や語尾を置き換えただけでは成立しない。況や、「ロボットだロボ」「猫だにゃん」「ウサギだぴょん」のような、アニメのキャラクターの喋りのようなノリで、標準語に「〜だっちゃ」「〜だがね」「〜やで」「〜じゃきん」「〜ばいね」などの語尾をつけたところで、どだいエセ方言にしかならない。
例えばの話、京都弁における「ぶぶ漬けでもどうどす?」に相当する大阪弁は、これをそのまま文字通り置換した「お茶漬けでもどうや?」ではなく、「いつまで居る気やねんワレ、もうええ加減早よ帰れや」である。
また、肥筑方言においては、断定の終助詞に「〜ばい」「〜たい」の二種類が存在する。これらはそれぞれ、その断定が経験則などによる主観的な判断により、客観的な証拠はないものの自信を持ってそう言い切れる場合であるか、考えるまでもなく客観的な観測事実により確認された普遍的事実である場合かによって区別される。こういった区別は標準語には存在しない。
したがって方言を習得するには、単語や語尾だけではなく、その方言特有の文法や慣用表現なども身につける必要がある。
しかしながら、一般に同一言語の方言間の文法差は日本語と英語のように語順までもが全く異なるレベルにはならないため、正しい方言を習得するのではなく、あくまで現地の人間と話が通じる程度に習得するのであれば、このような単語や語尾の言い換えだけを意識するだけで、それなりに話を合わせられるレベルには達する場合がある。特に同一系統に属する方言間でこのような傾向が強く、例えば長崎弁の「どがん」「こがん」などを全て「どげん」「こげん」に、助動詞「〜ゅう」を「〜ょう」に置き換えた上で、イントネーションを二型アクセントから外輪東京式アクセントに置換すれば8割がた完全な博多弁が仕上がることが知られている。
ただしこれには例外もあり、例えばいずれもフランス語の方言であるオック語をオイル語(=標準語)に変換する場合には同じような芸当は通用しない。一方、オック語をイタリア語やスペイン語に変換する場合は単語の置換だけでほぼ事足りる。これはフランス語という言語が単一の言語群ではなく、あくまでフランス共和国という一つの国家において話されている言語の総称であり、言語学的にオック語はオイル語以上にイタリア語やスペイン語に近しいためである。これはオック語がオイル語の母体となったラテン語ガリア方言ではなく、イタリア語やスペイン語などとともにロマンス語の末裔であるためである。
前述の通り、欧州などでは日本語における方言間、もしくはそれ以下の差異しかない程度の近隣諸国の言語をたくさん操れるマルチリンガルが相当な数存在する。しかしながら、このようなマルチリンガルの中には、上述のような母国語との「置換」で外国語を習得している人間も多い。そのため、母語がスウェーデン語のようなゲルマン系言語である場合をのぞき、語学の習得そのものを単語の置換に頼る癖がついているために、マルチリンガルであるにもかかわらず、母語と大きく文法の異なる英語が全く習得できない人間も多数存在する。特にラテン諸国や南アジアでこの傾向が強く、イタリア語、ロマンシュ語、オック語、スペイン語、カタルーニャ語、ポルトガル語、シチリア語の全てが自在に操れるにもかかわらず、英語が全く身に入らない人や、本来の正書法においてラテン文字を使用しない言語を全てラテン文字表記して、一部の名詞だけを英語のものに置き換えただけの「ルー語もどき」を英語だと思い込み、言い張って聞かないような人間もいないわけではない(当然通じない)。ある意味、Engrishもこのお仲間かもしれない。
方言の弊害
日本語のように地域差が諸外国における別言語レベルに達している言語の場合、方言はコミュニケーション不全の原因となる。
これにより人間関係のトラブルやパワハラ、いじめなどの元凶となったり、最悪のケースになると福田村事件や山形マット死事件のような犯罪のきっかけに繋がることもある。
例
- 岐阜県飛騨地域の人間が赤ん坊の意味で「ぼぼ」と発言したところ、同席していた肥筑弁話者の女性からセクハラで申し立てられた。肥筑弁では「ぼぼ」は女性器もしくは性行為を意味する。
- 長崎出身の従業員が熊本県に配属され、電話口で顧客の来店日時を訪ねる際に「いつ来よらすとですか?」と発言したために、顧客から苦情があった。長崎では「〜よらす」は最上級の敬語表現だが、熊本では目上の人間が目下の人間に愛情を込めて言及する際に用いるため、顧客に用いるのは著しく失礼にあたる。ちなみに似た意味が真逆になるのは長崎弁にもあり、関西圏の「オレ」に相当する「ワイ」は長崎弁では「お前」となり、しかもこれは同輩もしくは目下に対して使う意味である為、うっかり目上に使うと喧嘩腰に使ってきたと誤解されるのでこちらも注意。
- 新潟出身の児童が転校先の東京で知り合った友人に、「すごく頭がいいね」と褒めようとして「おめさん、しかもバカはつめらね」と言ったところ、友人は「鹿のように頭が悪い」と言われたと勘違いし、児童はいじめの容疑をかけられるに至った。
- 岡山出身の夫が大阪出身の妻をデートに誘った際、化粧に手こずる彼女を見てバスの時間に遅れるのではと不安になり「はよしね」(はやくしなさい)と急かしたところ、妻は「はよ死ね」と言われたと勘違い。夫婦喧嘩に発展した。
- 静岡県出身の彼女が試験に落第してご傷心の彼氏(石川県出身)を慰めようと「そうだらー」(そうだよね)と相槌を打ったところ、彼氏には「そう、ダラ」(うん、バカ)と責められたように聞こえ、さらに落ち込んでしまった。
- 鹿児島県に就職した首都圏出身の新入社員が、上司らと打ち解けようと思い、「いい天気ですね」と挨拶した。上司は「だから!」(だよな)と元気よく相槌を打ったが、新入社員は余計な発言をして怒られたと勘違いし、早期退職してしまった。
- 富山県出身の男性上司が、首都圏出身の新人女性の教育係になった。男性は親睦を兼ねて女性を夕食に誘い、会計前になって費用は自分が全額おごるというつもりで「今晩は自分がだいてやる」と発言した。女性は「抱いてやる」と言われたと勘違いし、社内コンプライアンス窓口に相談。男性は懲戒処分を受けるに至った。
- 首都圏に居住する長野県松本市出身の女性が、自身の孫の担任教師の家庭訪問に対応することとなった。担任教師から休日の孫の様子を聞かれた女性は、ハイキング途中で足を挫いて父親におぶってもらって下山した様子を思い出し、「山で足痛めただで、まんこしてもろただよ」と発言。担任教師は孫が実父から性的虐待を受けていると判断し、すぐさま児童相談所に通報、孫の父親は警察に身柄を拘束されてしまった。
- 英国出身の人間が消しゴムを忘れたことに気づき、同僚の米国人女性に「Do you have a rubber?」と尋ねたところ、セクハラで訴えられた。英国で単に「rubber」といえば一般に「消しゴム」を意味するが、米国では「コンドーム」を意味する。ちなみに米国では消しゴムは「eraser」といい、これは英国では「黒板消し」を意味する。
- アイルランド人の少女が米国人の知人に肉体関係を求められた。少女はその気でなかったため「I won't」(ダメ)と拒絶したが、知人には「I want」(あなたが欲しい)と言っているように聞こえた。結果、少女はレイプされてしまった(アイルランド方言では英語としては珍しく"yes"と"no"の概念が存在せず、相手の質問に対してはその内容を繰り返すことでやんわりと婉曲的に意思を伝える文化がある)。
- オーストラリア人の男性が秘境探検に赴くことになった。米国人の知人が出発日を尋ねたところ、彼は「トゥダーイ」(today)と答えた。米国人には彼が「to die」(自殺しに行く)と言っているように聞こえたため、彼は直ちに身柄を保護された。
- インドネシアのヌサトゥンガラ出身のカトリック教徒が、旅行先のマレーシアにおいて自身の信奉する神を「アッラー」であると発言したため、宗教冒涜の容疑で拘束されてしまった。インドネシア語とマレー語の間には博多弁と熊本弁程度の差しかないため、相互に話が通じるが、インドネシアでは一神教徒はキリスト教徒であれイスラム教徒であれ唯一神を「アッラー」と呼ぶのが普通であるのに対し、マレーシアでは「アッラー」はムスリムのみに許された呼称であり、キリスト教徒などその他の信徒は「tuhan」と呼称しなければならないとされる(非ムスリムが「アッラー」の名を口にするのはイスラム教に対する侮辱とみなされる)。