概要
創設は1938年(昭和13年)。
イギリスのクラシック競走、セントレジャーステークスが手本となっている。
施行距離もセントレジャーステークスとほぼ同じ3000mに設定され、「京都農林省賞典4歳呼馬」という名称で創設された。
翌年に新設された「横濱農林省賞典4歳呼馬(現在の皐月賞)、以前から存在していた「東京優駿競走」(現在の日本ダービー)と共に、日本における牡馬クラシック三冠を構成している。
1948年、名称が現在の「菊花賞」に変更された。
施行時期が日本ダービーから離れている事もあり、夏場に力をつけた馬、いわゆる「上がり馬」がやってくる事も多く、皐月賞とダービーを制した二冠馬が菊花賞で敗れるケースも多い。
具体的には、クリノハナ、コダマ、タニノムーティエ、カツトップエース、ミホノブルボン、ネオユニヴァース、メイショウサムソンなどが菊花賞で敗れ3冠を逃している。
ちなみに、日本ダービーと菊花賞を制した二冠馬は過去2頭しか存在していない(クリフジ、タケホープ、奇しくもこの2頭は皐月賞に出走していない)。
皐月賞と比べるとダービーの方が距離が近く、一見皐月賞馬よりダービー馬の方が有利に見えるが、皐月賞と菊花賞を制する形での二冠馬の方が多いのである。
実際の所、ダービーの方は有力馬が多数集まってくる事もあり皐月賞を制してもダービーをとれない馬は多い。また、ダービーに比べて皐月賞はレース間隔が空いており、故障でダービーに出走できなかったが秋に復帰した二冠馬も複数いる。
また、後述するが最近はダービー馬でも菊花賞を回避する事がある。
そういった諸々の事情が重なっての結果なのかもしれないが・・・
それにしても1973年から40年近くダービーと菊の2冠馬が出てないのはある意味凄い。
トライアル競走
下記の2競走がトライアル競走となっている。
しかし、いずれも菊花賞とは距離が離れており「トライアルとして機能していない」という批判も多い。
また、1999年までは京都新聞杯がトライアル競走となっていた。他にも京都大賞典に出走・勝利して菊花賞を制した馬もいる。
最も強い馬が勝つ
菊花賞は、3冠の中でも「最も強い馬が勝つ」と言われている。
何故なら、3歳馬にとって3000mという長丁場は未知の領域であり、長距離を走り抜けるだけのスタミナが要求される。
また、このレースが行われる京都競馬場の第3コーナーには高低差3.9mという急坂、通称「淀の坂」が存在している。このレースでは、そんな急坂を2回も通過する必要がある。
そのため、このレースは単純なスピードだけではない、スタミナやパワーなど競走馬としての総合的な能力が求められるレースと言える。
しかし、それは言い換えれば「長距離を走り抜けられない馬は勝てない」という事である。
そのため現在では、施行時期が近く菊花賞に比べ距離も短く斤量も軽い上に賞金も高い天皇賞(秋)に向かったり、凱旋門賞に遠征する事も多い。(尚、ダービー馬が同年の天皇賞秋に出走したのは2008年のディープスカイ1頭だけ)
そんな背景もあってか、近年の菊花賞には条件戦を勝ち上がってきたばかりの馬が出走する事も多く、レベルの低下が懸念され始めている。
そんな中、2010年代からは菊花賞を制した馬の活躍ぶりに目を見張るものがあることから(2010年代の菊花賞馬10頭中7頭が菊花賞後に他のG1を勝利しており)、再評価の兆しが見られる。
余談
・菊花賞は逃げ切り勝ちが少なく、歴代でも3頭しかいない。
・1970年にビクトリアカップ(現在のエリザベス女王杯)が創設されるまで、牝馬3冠の最終戦は菊花賞だった。
・1944年の第7回菊花賞(この時は長距離特殊競走という名称)は、競走不成立となっている。
このレースは、前回とはコースが変わっており内回りのコースを2周するコースであった。
が、伝達不備によりすべての馬が前回と同じく内1周、外1周の3100mを走っていたのである。
結果、全馬失格となり競走不成立という前代未聞の結果となった。なお、この時の1位入線馬は同年のダービー馬カイソウであり、幻の2冠馬といえる。
・2002年の第63回菊花賞は、色んな意味で波乱を巻き起こしたレースだった。
この時の1番人気は、皐月賞を制した武豊騎乗のノーリーズン。単勝オッズ2.5倍という大きな支持を受けていた。
が、スタートから1秒近くで落馬。
競馬中継において毎日放送の実況の美藤アナが「ああっ何とノーリーズン落馬あああああああああ!!!!!!!」と思わず絶叫、ラジオたんぱの中継ではスタッフとして入っていた広瀬、檜川両アナウンサーの「ノーリーズン!ノーリーズン!」という驚きの入った指摘の声が拾われ、競馬場内からは大きなどよめきが起こる。
幸い人馬共に異状はなかったものの、スタートから数秒でノーリーズンがらみの馬券およそ110億円分が吹っ飛んだのである。
この時点で充分大波乱なのだが、レース結果も1着が10番人気のヒシミラクル、2着が16番人気のファストタテヤマというとんでもない大荒れ。
最終的に、馬単馬券の払戻金が18万2580円という大波乱が巻き起こった。
・2005年の第66回菊花賞はディープインパクトの三冠なるかが最大の話題となり、そして期待通りの圧勝で三冠を達成。単勝は100円元返し(支持率79.03%で菊花賞史上第2位)。また京都競馬場には多くの観客が押し寄せ、最寄り駅となる京阪電車淀駅では通常の急行の臨時停車や臨時列車だけではレース後の帰宅客をさばききれずに、特急の臨時停車までして客を捌く羽目になった。
・2021年と2022年は京都競馬場の大規模改修のため、1979年以来42年ぶりに阪神競馬場で開催される。
歴代優勝馬
馬の太字は顕彰馬、騎手の太字は騎手もしくは調教師顕彰者。
☆は三冠達成。
★は二冠達成(「皐」は皐月賞、「優」は日本ダービー、「桜」は桜花賞との二冠を表す。)
回数 | 施行年 | 馬名 | 冠 | 騎手 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
昭和時代 | |||||
第1回 | 1938年 | テツモン | 伊藤正四朗 | 記念すべき第1回の勝ち馬 | |
第2回 | 1939年 | マルタケ | 清水茂次 | ||
第3回 | 1940年 | テツザクラ | 伊藤勝吉 | ||
第4回 | 1941年 | セントライト | ☆ | 小西喜蔵 | 史上初のクラシック三冠達成 |
第5回 | 1942年 | ハヤタケ | 佐藤勇 | ||
第6回 | 1943年 | クリフジ | ☆(変則) | 前田長吉 | 優駿牝馬、東京優駿の無敗変則三冠、鞍上の前田は国営時代の最年少優勝騎手(18歳)。 |
- | 1944年 | - | - | - | 競技不成立による全馬失格(ダービー馬カイソウが1位入線) |
- | 1945年 | - | - | - | 太平洋戦争の影響により休止 |
第7回 | 1946年 | アヅマライ | 武田文吾 | ||
第8回 | 1947年 | ブラウニー | ★(桜) | 土門健司 | 桜花賞との二冠達成 |
第9回 | 1948年 | ニユーフォード | 武田文吾 | ||
第10回 | 1949年 | トサミドリ | ★(皐) | 浅野武志 | セントライトの弟。 |
第11回 | 1950年 | ハイレコード | 浅見国一 | ||
第12回 | 1951年 | トラツクオー | 小林稔 | ||
第13回 | 1952年 | セントオー | 梅内慶蔵 | ||
第14回 | 1953年 | ハクリヨウ | 保田隆芳 | ||
第15回 | 1954年 | ダイナナホウシユウ | ★(皐) | 上田三千夫 | |
第16回 | 1955年 | メイヂヒカリ | 蛯名武五郎 | ||
第17回 | 1956年 | キタノオー | 勝尾竹男 | ||
第18回 | 1957年 | ラプソデー | 矢倉義勇 | ||
第19回 | 1958年 | コマヒカリ | 浅見国一 | ||
第20回 | 1959年 | ハククラマ | 保田隆芳 | 逃げ切り勝ち。勝ちタイム3.07.7は当時芝3000mのレコードタイム。 | |
第21回 | 1960年 | キタノオーザ | 伊藤竹男 | コダマの三冠を阻んだ | |
第22回 | 1961年 | アズマテンラン | 野平好男 | ||
第23回 | 1962年 | ヒロキミ | 高松三太 | ||
第24回 | 1963年 | グレートヨルカ | 保田隆芳 | メイズイの三冠を阻んだが、同厩舎でもあるメイズイの不甲斐ない敗戦に保田がレース後メイズイ鞍上の森安重勝に激怒したことで知られる。 | |
第25回 | 1964年 | シンザン | ☆ | 栗田勝 | 史上2頭目の三冠達成 |
第26回 | 1965年 | ダイコーター | 栗田勝 | 鞍上の栗田騎手は初の菊花賞連覇。 | |
第27回 | 1966年 | ナスノコトブキ | 森安弘明 | スピードシンボリとは鼻差の接戦。 | |
第28回 | 1967年 | ニツトエイト | 伊藤竹男 | ||
第29回 | 1968年 | アサカオー | 加賀武見 | ||
第30回 | 1969年 | アカネテンリュウ | 丸目敏栄 | 初の上がり馬のよる優勝。 | |
第31回 | 1970年 | ダテテンリュウ | 宇田明彦 | タニノムーティエの三冠を阻むが、タニノムーティエは喉鳴りを起こして競走能力を失っていた。 | |
第32回 | 1971年 | ニホンピロムーテー | 福永洋一 | 名手・福永洋一の初八大競走優勝。しかも坂の上りからのロングスパートは初だった。 | |
第33回 | 1972年 | イシノヒカル | 増沢末夫 | ||
第34回 | 1973年 | タケホープ | ★(優) | 武邦彦 | 代打騎乗での制覇。ハイセイコーとは鼻差の接戦だった。 |
第35回 | 1974年 | キタノカチドキ | ★(皐) | 武邦彦 | 二人目の騎手連覇。 |
第36回 | 1975年 | コクサイプリンス | 中島啓之 | ||
第37回 | 1976年 | グリーングラス | 安田富男 | 2着テンポイント、3着トウショウボーイと、TTG三強の幕開けとなった。 | |
第38回 | 1977年 | プレストウコウ | 郷原洋行 | 勝ちタイム3.07.6で、前保持のハククラマから実に18年ぶりの菊花賞レコードタイム。 | |
第39回 | 1978年 | インターグシケン | 武邦彦 | 勝ちタイム3.06.2で、菊花賞レコードタイム。 | |
第40回 | 1979年 | ハシハーミット | 河内洋 | 阪神競馬場での開催 | |
第41回 | 1980年 | ノースガスト | 田島良保 | ||
第42回 | 1981年 | ミナガワマンナ | 菅原泰夫 | ||
第43回 | 1982年 | ホリスキー | 菅原泰夫 | 三人目の騎手連覇。勝ちタイム3.05.4は当時芝3000m世界レコード。 | |
第44回 | 1983年 | ミスターシービー | ☆ | 吉永正人 | 史上3頭目の三冠達成 |
第45回 | 1984年 | シンボリルドルフ | ☆ | 岡部幸雄 | 史上初の無敗三冠馬 |
第46回 | 1985年 | ミホシンザン | ★(皐) | 柴田政人 | シンザンの最高傑作と称された。 |
第47回 | 1986年 | メジロデュレン | 村本義之 | ||
第48回 | 1987年 | サクラスターオー | ★(皐) | 東信二 | |
第49回 | 1988年 | スーパークリーク | 武豊 | 鞍上の武はJRA発足後の最年少GⅠ勝利・父邦彦と親子二代で菊花賞初制覇。 | |
平成時代 | |||||
第50回 | 1989年 | バンブービギン | 南井克巳 | ||
第51回 | 1990年 | メジロマックイーン | 内田浩一 | 「メジロでもマックイーンの方だ」の実況はよく知られる。 | |
第52回 | 1991年 | レオダーバン | 岡部幸雄 | ||
第53回 | 1992年 | ライスシャワー | 的場均 | ミホノブルボンの無敗三冠を阻止。勝ちタイム3.05.0は当時の芝3000m日本レコード | |
第54回 | 1993年 | ビワハヤヒデ | 岡部幸雄 | 勝ちタイム3.04.7はレコードタイム。 | |
第55回 | 1994年 | ナリタブライアン | ☆ | 南井克巳 | 史上5頭目の三冠達成、京都競馬場のスタンド改修後、最初のGⅠ競走だった。また、勝ちタイム3.04.6のレコードタイム。 |
第56回 | 1995年 | マヤノトップガン | 田原成貴 | 勝ちタイム3.04.4は菊花賞レコードタイムで、4年連続でレコードタイムを更新。 | |
第57回 | 1996年 | ダンスインザダーク | 武豊 | ||
第58回 | 1997年 | マチカネフクキタル | 南井克巳 | ||
第59回 | 1998年 | セイウンスカイ | ★(皐) | 横山典弘 | 逃げ切り勝ち。勝ちタイム3.03.2は当時の芝3000m世界レコード。 |
第60回 | 1999年 | ナリタトップロード | 渡辺篤彦 | ||
第61回 | 2000年 | エアシャカール | ★(皐) | 武豊 | |
第62回 | 2001年 | マンハッタンカフェ | 蛯名正義 | ||
第63回 | 2002年 | ヒシミラクル | 角田晃一 | 10番人気での勝利 | |
第64回 | 2003年 | ザッツザプレンディ | 安藤勝己 | ネオユニヴァースの三冠を阻む。 | |
第65回 | 2004年 | デルタブルース | 岩田康誠 | 鞍上の岩田は当時は地方園田所属だった。 | |
第66回 | 2005年 | ディープインパクト | ☆ | 武豊 | 史上2頭目の無敗三冠馬 |
第67回 | 2006年 | ソングオブウィンド | 武幸四郎 | 勝ちタイム3.02.7は菊花賞レースレコードを更新 | |
第68回 | 2007年 | アサクサキングス | 四位洋文 | 鞍上の四位は同年ダービーをウオッカで制し、別々の馬でクラシック二冠を制した。 | |
第69回 | 2008年 | オウケンブルースリ | 内田博幸 | ||
第70回 | 2009年 | スリーロールス | 浜中俊 | ||
第71回 | 2010年 | ビッグウィーク | 川田将雅 | ||
第72回 | 2011年 | オルフェーヴル | ☆ | 池添謙一 | 史上7頭目の三冠達成 |
第73回 | 2012年 | ゴールドシップ | ★(皐) | 内田博幸 | |
第74回 | 2013年 | エピファネイア | 福永祐一 | 父・洋一と二組目の騎手父子制覇。 | |
第75回 | 2014年 | トーホウジャッカル | 酒井学 | 勝ちタイム3.01.0は現在の芝3000m世界レコード | |
第76回 | 2015年 | キタサンブラック | 北村宏司 | ||
第77回 | 2016年 | サトノダイヤモンド | クリストフ・ルメール | ||
第78回 | 2017年 | キセキ | ミルコ・デムーロ | ||
第79回 | 2018年 | フィエールマン | クリストフ・ルメール | ||
令和時代 | |||||
第80回 | 2019年 | ワールドプレミア | 武豊 | ||
第81回 | 2020年 | コントレイル | ☆ | 福永祐一 | 史上3頭目の無敗三冠馬。また史上初の父子2代による三冠達成。また、改修前最後のG1競走だった。 |
第82回 | 2021年 | タイトルホルダー | 横山武史 | 逃げ切り勝ち。42年ぶりに阪神競馬場で開催された。父・典弘と三組目の父子制覇。 |