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概要

前身バンド『SPEEDWAY』を経て1984年4月21日にデビュー。

当時としては画期的だったシンセサイザーやコンピューターを多用したデジタルビートを主軸としている。

デビューアルバムに収録された楽曲のほとんどは、当時在籍していたレコード会社に送ったデモテープからの楽曲。

この頃は当時流行していた洋楽のジャンルであるニューロマンティックの影響を色濃く受けていた。

デビュー当初は2年ほど鳴かず飛ばずが続いたが、1987年2月にアルバム『Self Control』がスマッシュヒットし人気に火が着き、続いて4月にはテレビアニメ『シティーハンター』のEDテーマ曲『Get Wild』のシングルが初のオリコン・シングルチャートでトップ10入りを記録して大ヒットとなり、ついにブレイクを果たした。

その後も、シンセポップやテクノポップなど様々なジャンルの楽曲を生み出し、1980年代後半のJ-POPを牽引し、その影響は90年代以降の音楽にも及んでいる。

所属レーベルはEpic/Sony Records(現Epic Records)→TRUE KiSS DiSC (Sony Music Entertainment)→ROJAM ENTERTAINMENT→R & C JAPANavex trax→M-TRES→Sony Music Labelsの順に移籍。


結成~デビュー

1983年の時点で既にロックバンド『SPEEDWAY』を脱退してフリー作曲家として活動していた小室哲哉が『SPEEDWAY』のリーダーで音楽仲間だった木根尚登「僕と木根の二人で曲を書いて外国人のボーカリストに歌わせるユニットをやらないか」と誘ったのが全てのきっかけとなる。

しかし…ある日突然、そのボーカリスト候補だったオーストラリア人のマイクは滞在ビザが切れて強制国外退去となり当初の計画は頓挫するが、木根が当時既に活動停止状態だった『SPEEDWAY』から宇都宮隆をメインボーカルとして引き抜く形で新ユニットを結成するのだった。


1983年3月某日、国道20号線沿いの府中と国立の境にあるファミリーレストラン『すかいらーく1号店』に3人は集まった。


ユニット名にある『TM』は小室の発案によるネーミングである。

「これからはフランチャイズがクローズアップされる時代になるから」と、アメリカのバンド『シカゴ』のように「地域性を出した方がいい」と云う小室の提案で『立川ボーイズ』だの『高円寺』だの『多摩丘陵』だの『タマ・ズー』だの『タマ・ノ・コシ』と適当にネーミング案を出していくうちに、木根尚登が当時流行っていたオーストラリアのバンド『メン・アットワーク』の語感から「ネットワークって言葉は使えないかな?」と提案したところ、小室は自身の出身地である三多摩地区に強い拘りがあったために、最初は『TaMa NETWORK』と名付けた。

が、宇都宮隆の「でも、“タマ”はカッチョ悪くない?」の一言により、小室のアイデアで「TaMa」「TM」に略し『TM NETWORK』となった。

そして3人は『TM NETWORK』としてコカ・コーラ主催のフレッシュサウンズコンテストに出場し、『1974』を演奏してトップ成績で優勝したことでEpic/Sony Recordsよりメジャーデビューが決まった。

1983年11月、メジャーデビューに際しての会議でEpic/Sony Records小坂洋二プロデューサーが発言した「本当にこの名前でいいのか?」との意見がきっかけとなり「この際だから全く違う名前を考えてみよう」と、ユニット名の再ネーミングが検討されることになり『スロー・ダンサー』『メロー・イエロー』『ジェニファー・ジェニファー』『ピーカーブー』等のネーミング案が次々と出されたが、結局『TM NETWORK』を覆す程の名前が出ることはなく、最終的には「TM=三多摩地区」に強い拘りがあった小室のアイデアによって「TMはTime Machineの略」だと云う設定が生まれ、「タイムマシーンで色んな時代や場所に時間を超えてネットワークを作る」と小室の説明にEpic/Sony Records側も納得したのだった。


そして1984年4月21日、『TM NETWORK』はEpic/Sony Recordsより1stアルバム『RAINBOW RAINBOW』と1stシングル『金曜日のライオン』の同時発売でメジャーデビューした。



ブレイク~TMN終了

メジャーデビュー後はSFテイストなアイドルバンド路線」で2年ほど地道な活動を続けるも、全くヒット曲には恵まれなかったが、1986年1月に小室が渡辺美里に楽曲提供した『My Revolution』が大ヒットし、ブレイクへの糸口を掴むことになる。

同年4月21日に発売した12インチシングル『Come on Let's Dance (This is the FANKS DYNA-MIX)』ではニューヨークで初の海外レコーディングを経験し、現在も続く『FANKS(ファンクス)』というキーワードを提唱した。

『FANKS』とは「FUNK+PUNK+FANS」を語源としている造語であり、もともとは「TM NETWORK(TMN)のファン」及び「TM NETWORKの音楽のジャンル」を指す名称であったのだが、現在では「TM NETWORKのファンを指す名称」としてのみ使われている。

続く6月4日発売の3rdアルバム『GORILLA』ではオリコンで20位以内にランク入りし、大きく売り上げを伸ばすことになる。

このアルバムのタイトル『GORILLA』はTM NETWORKのメンバー3人による命名ではなく、小坂洋二プロデューサーによる発案(所謂テコ入れ)であり、初期案は『Tarzan』であったが、同名の雑誌があったために近いイメージの『GORILLA』に変更になったと云う逸話がある。

『GORILLA』は動物のゴリラではなく、心優しく力強いキングコングのイメージであり、ライナーノートに記載された『The FANKS!』のロゴの下にある“Powerful and Tenderness”というメッセージが込められている。

このアルバムジャケットに写るTM NETWORK3人のビジュアルは強烈なものがあり、デビューから2年間の「SFチックなカワイイ系」のイメージを全て吹き飛ばすには充分すぎるほどの破壊力があった(後に小室がTKブームの頃に「自費でGORILLAのジャケットを全て回収したい」と自虐的ギャグを言っていた程)。


翌1987年、2月26日に発売した4thアルバム『Self Control』がアルバム作品では初のランキングベスト10入りをし、オリコンでは最高3位とスマッシュヒットする。

続く4月8日発売の10thシングル『Get Wild』がTVアニメ『シティーハンター』のEDテーマ曲として採用されると、シングルとして初めてオリコンベスト10入りを果たす大ヒットとなり、2ヶ月後の6月24日に開催する初の武道館公演『TM NETWORK FANKS CRY-MAX』のライブチケットは即日ソールドアウトする程の大人気になる。

7月1日には初のベストアルバムとなる『Gift for Fanks』をリリース。当時の音楽メディアはまだまだアナログレコード盤が主流だったが、このアルバムはなんとCDのみのリリースであった。しかしオリコンアルバムランキングでは最高1位を記録する程の好セールスとなった。なお、同日には1stアルバム『RAINBOW RAINBOW』のCD版を廉価仕様で再発している。

続いて11月11日には東京とロサンゼルスで当時最新の機材を用いてデジタルレコーディングを行い制作した5thアルバム『humansystem』をリリースする。

12月8日にはフジテレビ系の年末大型音楽番組『FNS歌謡祭』に初出演し、『Get Wild』『Self Control(方舟に曳かれて)』を披露した。


1988年になると益々人気はうなぎ登りで、8月25日には単独ライブ『T-MUE-NEEDS STARCAMP TOKYO Produced by TM NETWORK』を東京ドームで開催。

12月9日には6thアルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』をリリース。

オリコンアルバムランキングでは最高1位で、『TM NETWORK』史上最大の66万枚(オリコン調べ)の売上枚数(SonyMusicの総合出荷記録では既にミリオンを突破)を記録した。

更に、この年の大晦日には第39回NHK紅白歌合戦に『COME ON EVERYBODY '88 FINAL MEGAMIX』で出場した。


1989年5月12日には「リプロダクションアルバム」と銘打ったリミックスアルバム『DRESS』を発売。

1989年当時は「リミックス」という手法の概念がまだ世の中はおろか音楽業界にすら浸透しておらず、この当時で「リミックス」と言えばせいぜい原曲のボーカルにエフェクトをかけたりギターの音量を上げたりドラムを追加したり等と云った程度であったのだが、「既存楽曲のボーカルトラックだけをそのまま残し、その他の音を数多の海外エンジニア達に委託して作り替える」という斬新な手法は話題を呼び、これは邦楽界で「リミックス作品の革命」と呼べるものとなった。


1990年8月28日、「TMNリニューアル宣言」によりユニット名をTMNに改名。

同年9月28日22ndシングル『TIME TO COUNT DOWN』を、10月25日には7thアルバム『RHYTHM RED』をリリースしプログレッシブ・ロックハードロック路線を打ち出し、これまでとは異なるイメージを展開した。


1991年5月22日、50万枚以上を売り上げて『TM NETWORK』~『TMN』のシングル史上最大のセールス記録を誇る25thシングル『Love Train / We love the EARTH』をリリースする。

9月5日には「音の万国博覧会」をテーマに様々なジャンルの音楽を詰め込んだ8thアルバム『EXPO』を発売した。

11月15日には『EXPO』のアウトテイクとなっていた曲『WILD HEAVEN』を再レコーディングして26thシングルとしてリリース。シングル化に際してTVドラマ『ララバイ刑事'91』のOPテーマとして採用された。


1992年になり、前年秋より続いたライブツアー『TOUR TMN EXPO FINAL CRAZY 4 YOU』の4月18日の公演を終えると一旦活動を停止。

3人はそれぞれソロワークへ突入する。

8月21日には初のライブベストアルバム『COLOSSEUM Ⅰ』『COLOSSEUM Ⅱ』を同時リリース。


1993年、8月21日に『TMN』として1年間の沈黙を破り「次へのウォーミングアップ」と謳い小室が全曲のセレクトとリミックスを担当したリミックスベストアルバム『CLASSIX 1』『CLASSIX 2』を同時リリース。

続けざまに9月29日には685日ぶりの新曲となる27thシングル『一途な恋』をリリース。

翌年のデビュー10周年に向けての活動が期待された。


そして…デビューから10年となる1994年4月21日、28thシングル『Nights of The Knife』の発売と同時に発表されたのは「TMNプロジェクト終了宣言」と題した解散表明だった。

同日の夜には特別ラジオ番組『TMNのオールナイトニッポン』に3人が生出演し、3人それぞれの思いを語った。

同年5月18日と19日に東京ドームで開催された終了ライブ『TMN 4001 DAYS GROOVE』は予約開始早々に電話回線がパンクする程のチケット争奪戦になった。



TM NETWORKとして復活、しかし…

1996年12月12日に発売したベストアルバム『TIME CAPSULE -all the singles-』のボーナストラック曲『Detour』を3人の連名で制作。


1997年には小室が出演したラジオ番組等でTMN復活」を示唆する発言をする。


1999年7月21日に「全ての環境が整った」として、小室が古巣のSony Music Entertainmentにてプライベートレーベルとして発足したTRUE KiSS DiSCより5年ぶりに『TM NETWORK』の名で再始動する。


しかし、SonyMusic側と小室との間にビジネス上の亀裂が生じてしまい、TM NETWORKは再始動から僅か1年後の2000年7月には小室が香港を拠点に起業した音楽エンタテイメント総合商社の『ROJAM ENTERTAINMENT』に籍を移しインディーズとして活動をすることになる。


だが、これがいけなかった。


2000年にはROJAMから『TM NETWORK』として三枚のシングルと、再始動後の初のオリジナルアルバム作品となる9thアルバム『Major Turn-Round』を当時まだまだメジャーではなかったインターネット通販によりリリースし、12月から全国ライブツアーも敢行するが、ROJAMは様々な商業的失敗により経営難に陥り、吉本興業に買収されることになった。


所謂「吉本暗黒期」の始まりである。


2002年に『TM NETWORK』は小室のビジネス失敗のゴタゴタに巻き添えになる様な形で吉本興業のR & C JAPAN(現・よしもとミュージック)に移籍する。

吉本興業に移籍後最初の作品として同年10月30日にリリースされた35thシングル『CASTLE IN THE CLOUDS』は日本テレビ開局50周年・吉本興業創業90周年プロジェクト『LAUGH&PEACE 笑いはニッポンを救う。』のキャンペーンソングとして起用され、当初はTV番組『進ぬ!電波少年』に出演していた吉本興業のお笑い芸人である矢部太郎の番組中応援歌という設定で制作された。

『CASTLE IN THE CLOUDS』のデモ状態の曲を聴いた『日テレ番組編成部長の黒幕T』こと土屋敏男から「歌詞が大げさ過ぎて番組の内容に合わない」と指摘されたため、作詞を担当した小室みつ子は歌詞を何度も修正させられる羽目になった。なお、歌詞を修正する前のデモトラック『CASTLE IN THE CLOUDS (YABE VERSION)』が翌2003年2月5日に発売した蔵出し音源集アルバム『キヲクトキロク ~Major Turn-Round』に収録されている。


2004年にはデビュー20周年記念として大々的な活動が期待されていたが、小室が当時傾倒していたトランスミュージックとファンが『TM NETWORK』へ求める音楽の剥離が激しく、3月24日にリリースしたデビュー20周年記念作品である10thアルバム『NETWORK™ -Easy Listening-』は過去曲のトランスアレンジの寄せ集めに新曲が少し足されただけ(しかも小室のトランス趣味全開のインスト曲ばかり)と云う有り様だった。

更に20周年記念ライブツアーでのステージ上の小室の格好はと云えばTシャツ一枚にジーンズ姿と云う、かつての作り込まれたステージ衣装に身を包んでいた全盛期の頃の姿に比べ、あまりにもみすぼらしいラフな格好であり、演奏もキーボードは殆んど弾かずに機材のツマミを弄ってばかりの所謂『DJスタイル』で、古参のファン達を大いに落胆させた

こうして『TM NETWORK』の20周年は僅か2ヶ月程度と呆気なく短期間で終わり、小室は同年の秋から始まる『globe』の10周年記念ライブツアーに向けて注力するのであった。


それから3年のブランクを挟む形で2007年10月31日に37thシングル『Welcome Back 2』をリリースし、続いて12月5日には11thアルバム『SPEEDWAY』をリリースし、パシフィコ横浜でのライブを皮切りに渋谷公会堂と武道館でライブを行い、続く2008年春には全国ライブツアーを行う。

こうして、ファンからは2009年のデビュー25周年に向けての活動が期待されていた。


…しかし2008年11月4日、小室哲哉が5億円詐欺容疑で逮捕されてしまう。

これにより『TM NETWORK』の25周年に向けた予定は全て白紙になり無期限活動休止を余儀なくされる。

吉本興業からも契約を打ち切られ、宇都宮隆と木根尚登はCDをリリースする際には個人事務所のインディーズレーベルから発売するか任意のレコード会社と短期間限定契約を結ぶといった、所謂フリー状態になる。



30周年に向け再始動

2009年5月に大阪地方裁判所より小室は懲役3年、執行猶5年の有罪判決が言い渡され、これに小室の弁護側と検察側は控訴せず刑が確定。

この一件で、過去にビジネス上の衝突により小室と長期間絶縁していたはずのエイベックス代表取締役社長の松浦勝人「小室さんは何も知らない自分に音楽業界のことを教えてくれた恩師で、今のエイベックスがあるのも小室さんのおかげなのだと思い出した」として「お世話になった小室さんへの恩返し」だと、ポケットマネーから詐欺事件の被害者へ解決金を含めた6億5000万円を支払い示談を申し込んでいた。

これにより精神的にも経済的にも小室は救われる形となるのだった。

更に仲違いしていたままだったエイベックス副社長の千葉龍平とも和解し、小室はエイベックス所属のミュージシャンとして正式に復帰する。


2012年2月に『TM NETWORK』はテレビ番組『SMAP×SMAP』へゲスト出演。3月には幕張メッセでのイベントに参加。そして4月24日に『TM NETWORK』は正式にavex traxへ移籍し、38thシングル『I am』をリリースと同時に『Incubation Period』と題した武道館2Daysライブを行い、デビュー30周年に向け本格的に活動再開。


2013年には宇都宮隆の膵臓の病気が見つかり手術をするという災難があったものの、さいたまスーパーアリーナで7月20日と21日に『FINAL MISSION -START investigation-』と題した2Daysライブを行い成功させる。


30周年メモリアルイヤーとなる2014年になると、30年目のデビュー記念日の翌日4月22日にセルフ・リプロダクションアルバムである『DRESS2』をリリースする。

続いて半年後の10月29日には30周年記念作品となる待望の12thアルバム『QUIT30』を「2枚組・全22曲」という大ボリュームな内容でリリースした。

30周年記念ライブツアーも春と秋の2シーズンに渡って敢行するという力の入れようだった。

こうして『TM NETWORK』の30周年を記念した活動は2015年の3月21日と22日に横浜アリーナで開催された『30th FINAL』の2Daysライブまで続き、20周年の時以降ずっと辛酸を舐め続け肩身の狭い思いをしてきたファン達の鬱憤と雪辱を晴らしたのだった。


そしてデビュー30周年の活動が一段落した後、3人は各々自身のソロ活動を重視したペースで活動していた。


2017年には『Get Wild発売30周年記念』と題して、CD4枚組で36曲全てが『Get Wildという「数の暴力」を謳った『GET WILD SONG MAFIA』というトンデモ商品を発売した。


小室哲哉の引退騒動~復帰

…しかし翌2018年、小室は美人看護師との不倫スキャンダル週刊文春によって報じられてしまう。

この文春砲によって小室は自棄を起こし、エイベックス代表取締役の松浦勝人の制止も聞かずに記者会見を開き、その場で芸能界と音楽業界からの引退を発表。

これにより、またもや『TM NETWORK』は無期限活動停止になるのだった。


2019年には宇都宮隆がソロで『TM NETWORK』の楽曲ばかりを歌う『Dragon The Carnival』と題したライブツアーを敢行。『TM NETWORK』の35周年を祝いたかったファン達の気持ちに応えた。


翌2020年の3月18日、ファン投票によるベストアルバム『Gift from Fanks T』と『Gift from Fanks M』をそれぞれSonyMusicエイベックスよりダブルリリースする。1stアルバムのアウトテイクだった幻の曲『グリニッジの光を離れて』がボーナストラックとして初収録され、同じくボーナストラックとして1989年のリプロダクションアルバム『DRESS』制作時に作られ未発表テイクになっていた『GET WILD '89 (7inch Version)』も初収録された。

同年に、小室は秋元康松浦勝人の依頼に応える形で限定的に乃木坂46浜崎あゆみに楽曲提供を行って現場復帰するものの、『TM NETWORK』としての活動に関しては明言しなかった。


しかし、翌2021年になると小室は「今しばらく音楽をやらせてください。働かせてください。」と云うコメントを世間に向けて発信し、自身の本格的な音楽業界への現役復帰を報告するとともに『TM NETWORK』として3人での音楽活動も再開する事を発表した。


40周年へ向けて活動再開~現在

2022年になると2月23日にファン投票によるライブベストアルバム『LIVE HISTORIA T』と『LIVE HISTORIA M』をリリース。初期のライブでのみ公開され、ファンの間でその存在が知られていた幻の曲『17 to 19』が初収録された。

4月21日、デビュー38周年となるこの日、前年にニコニコ動画のネット生配信でのみ公開していた無観客ライブ映像をBlu-rayパッケージ化した『How Do You Crash It?』をリリース。初回限定盤のみ新曲『How Crash?』のスタジオ音源版を収録したCDが同梱された。

4月28日には夏から開催するライブツアー『FANKS intelligence Days』のオープニング曲『Please Heal The World』をLINE NFTでリリースした。

7月29日、2015年の『30th FINAL』より7年ぶりとなるライブツアー『TM NETWORK TOUR 2022 “FANKS intelligence Days”』をスタート。当初は『TM NETWORK』のメンバー3人のみでライブを行い、サポートメンバーを入れない構成だったが、9月3日と4日のツアーファイナルのみ阿部薫と小野かほりの2名がドラムでサポートメンバーとして参加した。


2023年4月21日、デビュー39周年となるこの日、6月14日に『QUIT30』から約9年振りとなるオリジナルアルバム『DEVOTION』がリリースされること、そして秋から全国ライブツアーを行うことも発表した。

6月13日、同年9月8日から公開されるアニメ映画『劇場版シティーハンター 天使の涙(エンジェルダスト)』のOPテーマとして新曲『Whatever Comes (Opening Edit)』を配信リリースすると発表し、翌日6月14日 に13thアルバム『DEVOTION』と配信限定シングル『Whatever Comes (Opening Edit)』を同時リリースした。

9月6日には45thシングルとして『Whatever Comes』のフルバージョンをCDとして発売する。

12月6日 になると45thシングル『Whatever Comes』のアナログ盤12インチシングルEPと『劇場版シティーハンター 天使の涙(エンジェルダスト)』の劇中挿入歌として発表されていた『Angie』を配信限定シングルとして同時リリースした。


デビュー40周年の記念日となる2024年4月21日、完全生産限定2枚組CD『40+ 〜Thanks to CITY HUNTER〜』をリリース。

鈴木亮平が主演のNetflix実写映画『シティーハンター』の主題歌『Get Wild Continual』が収録される。

同日にライブツアー『TM NETWORK 40th FANKS intelligence Days 〜DEVOTION〜』の2023年11月に東京・国際フォーラム ホールAで行われた千秋楽公演の模様を収録したBlu-rayもリリースする。



楽曲

アニオタには『シティーハンター』ED曲の『Get Wild』と『STILL LOVE HER※』の他にも、劇場版アニメ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のEDテーマ曲である『BEYOND THE TIME』でもなじみ深い。

※『シティーハンター2』後期ED曲。「ハーモニカ撫でておくれ」のぎなた読みでも知られる。


福岡県民にはテレビ西日本の天気予報のBGM『Fantastic Vision』が有名。(かつては同局の放送開始映像に使われていた)


鈴木亜美のカバーで有名な『Be Together』や、後藤久美子沢口靖子のW主演ドラマの主題歌になった『Resistance』、宮沢りえ主演の映画『ぼくらの七日間戦争』の主題歌『SEVEN DAYS WAR』と挿入歌『GIRLFRIEND』等の有名なタイアップ曲も数多くある。

TMN時代にはmaxellのカセットテープの『THE POINT OF LOVERS' NIGHT』と『TIME TO COUNT DOWN』、ハウス食品オー・ザックの『RHYTHM RED BEAT BLACK』、カメリアダイヤモンドの『LOVE TRAIN』等のCMタイアップ曲が多くなった。



pixivでは本人たちの似顔絵などの他、4枚目のアルバム『Self Control』のジャケットのパロディイラストが散見される。


正規メンバー

1984年の結成から一度もメンバー変更が行われていない。

  • 小室哲哉
    • シンセ、ピアノ、キーボード、ボーカルetc.

  • 宇都宮隆
    • メインボーカル、アコースティックギター、ベース

  • 木根尚登
    • コーラス、ピアノ、ボーカル、アコースティックギター、エレクトリックギター(※)

(※)木根はTM NETWORK初期の頃はアコースティックギターは弾けたがエレキギターが弾けず、LIVEでの演奏はサポートメンバーの松本孝弘らに任せて本人はエアギター状態だった。その後、「猛練習して克服した」とTV番組等でカミングアウトしている。エレキギターが弾けるようになった後も本人はソロパートがないカッティングとオクターブ奏法がメインでLIVEでは音が目立たない為にファンから「木根が弾いてない」「木根のギターから音がしてない」と揶揄されていたこともあった。TV番組ではエアギターの部分ばかりが強調され、「現在は弾いている」部分を過小扱いされてしまい「ファン達から自分の評判を下げるような行為をするなと怒られた」と語って反省していた。


サポートメンバー

小泉洋

1983年のデビュー前から1985年のミニアルバム『Twinkle Night』及び『吸血鬼ハンターD』のサウンドトラックまでマニピュレーターとして参加。

ライブでもマニピュレーターとして裏方を務めていた。

1983年、早稲田実業学校高等部商業科時代より親交のあった小室哲哉が結成したTM NETWORKにマニピュレーターとして誘われて楽曲制作に参加しプロミュージシャンとしてデビューする。

当時のコンピューター・サウンドのシステムは制御が上手く行かないことばかりで、システムトラブルに見舞われ続けた小泉氏はストレスで円形脱毛症にまでなったという。

初期TM NETWORK楽曲のコンピューター・サウンドは彼の汗と涙の結晶と言っても過言ではない。

このためTM NETWORKの3人からの信頼は厚く、「4人目のメンバー」とも言われていた。

しかし、1985年にLOOKのシングル『シャイニン・オン 君が哀しい』のシンセサイザー・プログラミングを手掛け、同作が大ヒットしたことによって巨額の収入を得て急に羽振りが良くなった小泉氏に嫉妬したTM NETWORKのメンバー3人との間に確執(特に小室)が生じてしまい、1986年からはTM NETWORKの楽曲制作には一切参加していない(これに関しては、小泉氏に一切の非はない)。


松本孝弘

通称『まっちゃん』。

TAK?誰だそれは。

1985年~1989年のライブツアーやレコーディングにエレクトリックギターで参加。

最初はスタジオミュージシャンとして多忙だった北島健二から紹介された代打のギタリストだった。

1988年リリースの『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』のロンドンでのレコーディングの際には自身のギタープレイに行き詰まり、感極まり涙を流したと云う逸話がある。

同年には稲葉浩志をボーカルにしてB'zを結成。

1990年発売の3rdアルバム『BREAK THROUGH』で文字通りブレイクし、以後B'zはシングル、アルバム共にオリコンランキング1位常連の不動の地位を築き上げ、名実ともに「日本一のモンスターバンド」となる。

B'zはデビューから僅か3年の1991年の時点で売り上げも人気も当時のTMNを大きく上回ってしまい、この「後輩にあっさり抜かれた」現実が小室哲哉を苦しめた結果、彼を良くも悪くも「音楽プロデューサー」の道へと走らせ、1994年のTMN終了」を招いてしまう。

邦楽界のレジェンドとなった現在でも松本はTM NETWORKのメンバーとは交流があり、宇都宮隆と木根尚登のソロアルバムにエレキギター演奏で参加したりしている。


浅倉大介

通称『大ちゃん』。

元はYAMAHAの社員。

小室哲哉を“師”と仰ぐ。

YAMAHA時代からシンセサイザーの商品開発で小室哲哉と交流があり、1987~1989年にはマニピュレーターとしてTM NETWORKのライブにサポートで参加し、TMN期である1990年~1992年のライブツアーではサポートメンバーとしてキーボードとシンセベースの演奏で参加。

1991年の『TMN EXPO TOUR』ではライブ用の楽曲アレンジも担当した。

1992年からは貴水博之をボーカルにaccessを結成。

現在も宇都宮隆のソロアルバムに楽曲を提供したりライブツアーのサポートメンバーを務めたりとTM NETWORKとは親密な交流が続いている。


葛城哲哉

通称『葛G(かつじー)』。

1990年のTMN期よりエレキギターとコーラスでライブとレコーディングに参加。

国内でも貴重な『トーキング・モジュレーター』の奏者でもある。

特徴であるワイルドなハスキーボイスはコーラスワークでは最大限の威力を発揮する。

幼い頃にバイオリンを習っていたため、宇都宮隆のソロライブツアーでバイオリンを演奏することがある。

その存在感は「TMN4人目のメンバー」とも言われた。

その後もTM NETWORKのレコーディングやライブでのサポートメンバーでは常連となり、現在もメンバー3人と交流は続いている。

小室哲哉と浅倉大介がプロデュースした他アーティストの作品でもエレキギターを頻繁に演奏している。



阿部薫

通称『ベーあん』。

1984年のデビューアルバム『RAINBOW RAINBOW』のレコーディングに参加してからはTM NETWORKのライブやレコーディングには暫く参加していなかったが、1988年の『CAROL TOUR』にて多忙で参加出来ない山田亘の代わりのドラマーが必要になり、小室が阿部を思い出してロンドンから国際電話を阿部の自宅にかけた。

時差のせいで日本は真夜中であり、突然の小室からの「今度のツアーでドラム叩いてよ」という真夜中の電話に対して、阿部は寝ぼけた状態で「ああ…」と返事をしてしまったという逸話がある。

ドラムを本気で叩けば叩くほど「ひょっとこ顔」になることをTM NETWORKの3人から揶揄されてしまい、ファンからは「トコヒョツ顔のベーあん」と弄られることがある。

カメラが趣味で、TM NETWORKのライブでドラマーとして不参加のときは写真撮影に興じる彼の姿が会場でしばしば見られる。


日詰昭一郎

通称『ヒズ』。

またの名を『ドクトル日詰』。

1987年の『FANKS CRY-MAX』の頃は髭を生やしていた。

ベーシストとしてライブ時のサポート演奏に止まらず、小室哲哉のラジオ番組に『ドクトル日詰』としてレギュラー出演していた。

またTM NETWORKの3人と東海ラジオの『TM NETWORK SF Rock Station』の番組内企画で変名音楽ユニット『ハンバーグ&カニクリームコロッケ』を結成してボーカルを担当するなど大活躍した。

この時に制作した楽曲『神社でB(B面:恋のながら族)』のアナログ盤が東海ラジオ局から通販限定で販売されている。

彼のデビューアルバム『ロマン ~神経衰弱~』には小室哲哉がサウンドプロデュースで参加している。

2001年に43歳の若さで惜しまれつつも死去。


関連人物・グループ等

川内康範

『SPEEDWAY』時代に2ndアルバム『BASE AREA』を制作する交換条件として、『武田食品プラッシー』のCMソングとなる「『月光仮面は誰でしょう』のカバーソングを作れ」と、当時所属していたレコード会社である東芝EMIから命じられる。

このカバー楽曲『Rockin' on the 月光仮面の発売に関して『月光仮面は誰でしょう』の歌詞の使用許可を貰いに、小室哲哉がバンド代表として『月光仮面』の原作者であり作詞家である川内康範の自宅まで赴いた際に、川内は自身が作詞作曲をした『ジーパンはいた赤トンボ』か『山あり谷あり』の「どちらかの曲をB面にするように」との条件を出す。

曲名を聞かされた小室は目眩がしたという。

そして、川内の秘書である若い男性がピアノを弾きながら歌い出したのを聴いて、小室はもっと目眩がしたらしい。

結局、五十歩百歩だったが『山あり谷あり』の方が少しはマシだと小室が判断して選択された。

小室が木根尚登の部屋に帰ってきた際に、発した第一声は「最低!」だった。

その後、『山あり谷あり』は小室と木根に徹底的に弄くりまわされた。

コードを変えてメロディーを書き直し、イントロと間奏しか印象に残らない様にして、更にボーカルにエフェクターを強めにかけて何を歌っているのか判らない様に改変したうえで、最終的には『ダンシング・ライダー』と曲名を変更してリリースした。

結局、サビのメロディーを全部変えたりもしたのだが、出来上がった曲を聴いた川内康範は文句を言うどころか終始御機嫌だったという。

歌詞を全く弄らなかった事、川内本人に出来上がった曲を聴かせて、きちんと最終許可を取った事が功を奏したらしい。

同様に川内康範が作詞した『おふくろさん』の歌詞を無断で改変して歌っているのが後に発覚し、川内を激怒させて、同曲を含め川内が作詞した作品全曲の歌唱を禁止されたうえに絶縁宣言までされた森進一とは対応に凄まじいまでの差がある。



FENCE OF DEFENSE

北島健二(G)、西村麻聡(B)、山田わたる(D)によるスリーピースバンド。

メンバーが個別、または全員でサポートを務めたことがある。

宇都宮隆が「一番大好きな邦楽バンド」だと公言している。

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