金色の夢を見せてあげる
概要
『TM NETWORK(ティーエム・ネットワーク)』は、小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登のメンバー3人で構成された日本の音楽ユニットである。
リーダーとプロデュースは小室哲哉。
前身となるバンド『SPEEDWAY』を経て1984年4月21日にデビュー。
当時としては画期的だったシンセサイザーやコンピューターを多用したデジタルビートを主軸としている。
デビューアルバムに収録された楽曲のほとんどは、当時在籍していたレコード会社に送ったデモテープからの楽曲。
この頃は当時流行していた洋楽のジャンルであるニューロマンティックの影響を色濃く受けていた。
デビュー当初は2年ほど鳴かず飛ばずが続いたが、1987年2月にアルバム『Self Control』がスマッシュヒットし人気に火が着き、続いて4月にはテレビアニメ『シティーハンター』のEDテーマ曲『Get Wild』のシングルが初のオリコン・シングルチャートでトップ10入りを記録して大ヒットとなり、ついにブレイクを果たした。
その後も、シンセポップやテクノポップなど様々なジャンルの楽曲を生み出し、1980年代後半のJ-POPを牽引し、その影響は1990年代以降の音楽にまでも及んでいる。
所属レーベルはEpic/Sony Records(現Epic Records)→TRUE KiSS DiSC (Sony Music Entertainment)→ROJAM ENTERTAINMENT→R & C JAPAN→avex trax→M-TRES→Sony Music Labelsの順に移籍。
TM NETWORKのファンは公式では『FANKS(ファンクス)』と呼称されている(後述)。
このため、本記事中でもTM NETWORKのファンを示す場合はFANKSと表記する。
結成~デビュー
1982年の時点で既にロックバンド『SPEEDWAY』は事実上の解散状態であった。
この時点で既にバンドを脱退してフリー作曲家として活動していた小室哲哉が『SPEEDWAY』のリーダーで音楽仲間だった木根尚登を「僕と木根の二人で曲を書いて外国人のボーカリストに歌わせるユニットをやらないか」と誘ったのが全てのきっかけとなる。
しかし…ある日突然、そのボーカリスト候補だったオーストラリア人のマイクは滞在ビザが切れて強制国外退去となり当初の計画は頓挫するが、木根が当時既に活動停止状態だった『SPEEDWAY』から宇都宮隆をメインボーカルとして引き抜く形で新ユニットを結成するのだった。
1983年3月某日、国道20号線沿いの府中と国立の境にあるファミリーレストラン『すかいらーく1号店』に3人は集まった。
ユニット名にある『TM』は小室の発案によるネーミングである。
「これからはフランチャイズがクローズアップされる時代になるから」と、アメリカのバンド『シカゴ』のように「地域性を出した方がいい」と云う小室の提案で『立川ボーイズ』だの『高円寺』だの『多摩丘陵』だの『タマ・ズー』だの『タマ・ノ・コシ』と適当にネーミング案を出していくうちに、木根尚登が当時流行っていたオーストラリアのバンド『メン・アットワーク』の語感から「ネットワークって言葉は使えないかな?」と提案したところ、小室は自身の出身地である三多摩地区に強い拘りがあったために、最初は『TaMa NETWORK』と名付けた。
が、宇都宮隆の「でも、“タマ”はカッチョ悪くない?」の一言により、小室のアイデアで「TaMa」を「TM」に略し『TM NETWORK』となった。
そして1983年の8月、3人は『TM NETWORK』としてコカ・コーラ主催の『フレッシュサウンズコンテスト』に出場し、『1974』を演奏してトップ成績で優勝したことでEpic/Sony Recordsよりメジャーデビューが決まった。
1983年11月、メジャーデビューに際しての会議でEpic/Sony Recordsの小坂洋二プロデューサーが発言した「本当にこの名前でいいのか?」との意見がきっかけとなり「この際だから全く違う名前を考えてみよう」と、ユニット名の再ネーミングが検討されることになり『スロー・ダンサー』『メロー・イエロー』『ジェニファー・ジェニファー』『ピーカーブー』等のネーミング案が次々と出されたが、結局『TM NETWORK』を覆す程の名前が出ることはなく、最終的には「TM=三多摩地区」に強い拘りがあった小室のアイデアによって「TMはTime Machineの略」だと云う設定が生まれ、「タイムマシーンで色んな時代や場所に時間を超えてネットワークを作る」と小室の説明にEpic/Sony Records側も納得したのだった。
そして1984年4月21日、『TM NETWORK』はEpic/Sony Recordsより1stアルバム『RAINBOW RAINBOW』と1stシングル『金曜日のライオン』の同時発売でメジャーデビューした。
このデビュー時のキャッチコピーが冒頭に記した「金色の夢を見せてあげる」である。
ブレイクまでの道程
メジャーデビュー後は1984年の6月18日より初のライブツアー『DEBUT CONCERT』を開催。
6月18日の渋谷LIVE INN公演と7月17日の大阪バナナホール公演が当初から予定されていたが、7月31日には追加で再び渋谷LIVE INNでの公演が行なわれたことが現在までに判明している。
ただし、諸事情によりこのデビューライブツアーは公式記録からは抹消されている。
この間の7月21日には、デビューアルバムの『RAINBOW RAINBOW』よりシングルカットとして、2ndシングルとなる『1974(16光年の訪問者)』をリリースしている。
この曲は北海道地区のみだが大人気となり、小規模ながらもヒットを記録している。
同年の9月1日にはオフィシャルファンクラブの『Timemachine Café』を発足する(TM NETWORKの公式ファンクラブは現在は消滅して存在しない)。
年末の12月5日には公式記録上初ライブとなる『ELECTRIC PROPHET』を渋谷PARCO Part3で開催。上述した『1974』の北海道地区でのヒットを受けて、12月27日にも同内容のライブを札幌教育文化会館で行っている。
1985年の5月22日には3rdシングル『アクシデント (ACCIDENT)』をリリース。このシングルのC/W曲である『FANTASTIC VISION』をインストゥルメンタル曲にアレンジしたバージョンがテレビ西日本の天気予報内で流れるBGMとして採用され、現在でも使用され続けている。
6月21日にはアーサー・C・クラークの小説『幼年期の終わり』よりタイトルを引用した2ndアルバム『CHILDHOOD'S END』をリリース。
続けて1ヶ月後の7月21日には初の12インチシングル(4thシングル)として『DRAGON THE FESTIVAL (ZOO MIX)』をリリース。
更に9月27日には公式上初の全国ライブツアーとなる『DRAGON THE FESTIVAL featuring TM NETWORK』(8都市8公演)をスタートする。
この頃に初のタイアップ作品となるOVA『吸血鬼ハンターD』の主題歌『YOUR SONG』を制作し、更に劇中音楽の制作を小室哲哉が担当した。
11月1日、2枚目の12インチシングル(5thシングル)『YOUR SONG (“D” Mix)』をリリース。
11月28日には1stミニアルバムとなる『Twinkle Night』をリリース。これに併せて翌月の12月21日には、上述したOVA作品『吸血鬼ハンターD』用に制作した劇中音楽を纏めた『吸血鬼ハンター“D” オリジナル・アニメーション・サウンド・トラック』を小室のソロ名義でリリースした。
こうして「SFテイストなアイドルバンド路線」で2年ほど地道な活動を続けるも、全く大ヒット曲には恵まれなかったのだが、1986年1月に小室が渡辺美里に楽曲提供した『My Revolution』が大ヒットし、ブレイクへの糸口を掴むことになる。
同年4月21日に発売した3枚目の12インチシングル(6thシングル)『Come on Let's Dance (This is the FANKS DYNA-MIX)』ではニューヨークで初の海外レコーディングを経験し、現在も続く『FANKS(ファンクス)』というキーワードを提唱した。
『FANKS』とは「FUNK+PUNK+FANS」を語源としている造語であり、もともとは「TM NETWORK(TMN)のファン」及び「TM NETWORKの音楽のジャンル」を指す名称であったのだが、現在では「TM NETWORKのファンを指す名称」としてのみ使われている。
続く6月4日発売の3rdアルバム『GORILLA』ではオリコンで20位以内にランク入りし、大きく売り上げを伸ばすことになる。
このアルバムのタイトル『GORILLA』はTM NETWORKのメンバー3人による命名ではなく、小坂洋二プロデューサーによる発案(所謂テコ入れ)であり、初期案は『Tarzan』であったが、同名の雑誌があったために近いイメージの『GORILLA』に変更になったと云う逸話がある。
『GORILLA』は動物のゴリラではなく、心優しく力強いキングコングのイメージであり、ライナーノートに記載された『The FANKS!』のロゴの下にある“Powerful and Tenderness”というメッセージが込められている。
このアルバムジャケットに写るTM NETWORK3人のビジュアルは強烈なものがあり、デビューから2年間の「SFチックなカワイイ系」のイメージを全て吹き飛ばすには充分すぎるほどの破壊力があった(後に小室がTKブームの頃に「自費でGORILLAのジャケットを全て回収したい」と自虐的ギャグを言っていた程)。
6月10日からは全国ライブツアー『TM NETWORK TOUR '86 FANKS DYNA☆MIX』をスタートし、7月18日まで14都市で14公演を行う。
8月23日には野外ライブ『FANKS “FANTASY” DYNA-MIX』をよみうりランドEASTで開催。
11月21日、上記のよみうりランドEASTでオープニングナンバーとして披露した新曲の『All-Right All-Night (No Tears No Blood)』の完成版を8thシングルとしてリリース。
こうして、TM NETWORKはブレイクに向けて着実に人気を獲得していくのだった。
ブレイク~全盛期
1987年2月1日には9thシングル『Self Control(方舟に曳かれて)』を、同月に発売するニューアルバムに先行してリリース。この曲でテレビ番組『夜のヒットスタジオ(フジテレビ系列)』に初出演し、ブレイクのきっかけを作る。
続けて2月26日に発売した4thアルバム『Self Control』がアルバム作品では初のランキングベスト10入りをし、オリコンのアルバムトップチャートでは最高3位とスマッシュヒットする。
3月10日からはライブツアー『TM NETWORK TOUR '87 FANKS! BANG THE GONG』を5月20日までの26都市28公演と、これまでよりも会場数と日程数を大幅に増やして開始する。
続く4月8日発売の10thシングル『Get Wild』がTVアニメ『シティーハンター』のEDテーマ曲として採用されると、シングルとして初めてオリコンベスト10入りを果たす大ヒットとなり、2ヶ月後の6月24日に開催する初の日本武道館公演となる『TM NETWORK FANKS CRY-MAX』のライブチケットは即日ソールドアウトする程の大人気になる。
デビューから3年、ついにTM NETWORKはブレイクした。
7月1日には初のベストアルバムとなる『Gift for Fanks』をリリース。
当時の音楽メディアはまだまだアナログレコード盤が主流だったが、このアルバムはなんとCDのみのリリースであった。しかしオリコンアルバムランキングでは最高1位を記録する程の好セールスとなった。
なお、同日には1stアルバムである『RAINBOW RAINBOW』のCD版を3500円から3200円に値下げて一部仕様を変更した廉価版として再発し、アナログレコード版の封入ピンナップとカセットテープ版の帯を小室哲哉と宇都宮隆の2人しか写っていない物から木根尚登も含めた3人の写真を使った物に差し替えて再発している。
これは、デビュー当初はレコード会社側の都合で木根の存在が伏せられていた為であり、ブレイク後に流入して来るであろう新規ファン層に対して「TM NETWORKのメンバーは3人」だと強調するための処置である(CD版はジャケットやライナーノートに最初からメンバーの写真が一切使われていない為に値下げのみ)。
続いて11月11日には東京とロサンゼルスで当時最新の機材を用いてデジタルレコーディングを行い制作した5thアルバム『humansystem』をリリースする。
12月8日にはフジテレビ系の年末大型音楽番組『FNS歌謡祭』に初出演し、『Get Wild』と『Self Control(方舟に曳かれて)』を披露した。
1988年になると益々人気はうなぎ登りで、3月5日に劇場版アニメ映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の主題歌となる13thシングル『BEYOND THE TIME(メビウスの宇宙を越えて)』をリリース。
続けて7月21日には角川映画『ぼくらの七日間戦争』の主題歌『SEVEN DAYS WAR』を14thシングルとしてリリース。
この『ぼくらの七日間戦争』の劇中音楽は全て小室哲哉が制作を担当しており、8月5日にはサウンドトラック『SEVEN DAYS WAR ~MUSIC FROM THE ORIGINAL MOTION PICTURE SOUNDTRACK~』をリリースした。
8月25日には単独ライブ『T-MUE-NEEDS STARCAMP TOKYO Produced by TM NETWORK』を東京ドームで開催。
この時期のTM NETWORKは『FANKS』に代わり、『T-MUE-NEEDS(ティー・ミュー・ニーズ)』という新たなキーワードをコンセプトに掲げた。
『T-MUE-NEEDS』は「進化し続けるTM NETWORKを必要とする人々」を意味し、「T(TM NETWORK)+MUE(突然変異、または脱皮、変化を意味するmutation)+NEEDS(必要、または欲求)」を組み合わせた造語である。
このキーワードはファンクラブのグッズ販売等を手掛ける会社『株式会社ティミュニーズ』のブランド名として様々な用途に使用されたが、『FANKS』の様には定着しなかった。
同年12月9日には6thアルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』をリリース。
オリコンアルバムランキングでは最高1位で、『TM NETWORK』史上最大の66万枚(オリコン調べ)の売上枚数(SonyMusicの総合出荷記録では既にミリオンを突破)を記録した。
更に、この年の大晦日には第39回NHK紅白歌合戦に『COME ON EVERYBODY '88 FINAL MEGAMIX』で出場した。
1989年には小室哲哉が『FANKS!! '89』という新たなコンセプトを再び提示し、5月12日には「リプロダクション」と銘打って既存楽曲のリミックス作品を集めたアルバム『DRESS』を発売。
1989年当時は「リミックス」という手法の概念がまだ世の中はおろか音楽業界にすら浸透しておらず、この当時で「リミックス作品」と言えば、せいぜい原曲のボーカルにエフェクトをかけたりギターの音量を上げたりドラムを追加したり等と云った程度であったのだが、「既存楽曲のボーカルトラックだけをそのまま残し、その他の音を数多の海外エンジニア達に委託して作り替える」という斬新な手法は話題を呼び、これは邦楽界で「リミックス作品の革命」と呼べるものとなった。
7月21日には『DRESS』の延長線とも言える20thシングル『DIVE INTO YOUR BODY』をリリース。この楽曲では『DRESS』に収録された『GET WILD '89』でリミックスとアレンジを担当したPWLのピート・ハモンドがミックスを行った。
8月25日からはライブツアー『TM NETWORK CAROL TOUR FINAL CAMP FANKS!! '89』を2ヵ所4公演でスタート。
8月25日、26日には東京ベイNKホールで、8月29日、30日には横浜アリーナで二部構成となる大規模なライブを開催した。
8月30日はライブ公演と同時に『クローズド・サーキット・コンサート』を開催しており、『TM NETWORK CAROL TOUR FINAL CAMP FANKS!! '89』の最終公演の全内容を全国10箇所において衛星放送で生中継した。
9月1日、TM NETWORKとしての活動を一旦休止。メンバー3人は各々ソロワークに突入する。
TMNリニューアル宣言~TMN終了宣言
翌年の1990年7月7日、沈黙を破りmaxellのカセットテープのCMソングとしてオンエアしていた楽曲を21stシングル『THE POINT OF LOVERS' NIGHT』として『TM NETWORK』名義でリリース。
以前とは全く異なる、ハードな曲調が話題となる。
8月28日、「TMNリニューアル宣言」をマスコミ各社を集めた記者会見により執り行い、ユニット名を『TMN』に改名。
9月28日、22ndシングル『TIME TO COUNT DOWN』をリリース。
続けて10月25日には7thアルバム『RHYTHM RED』をリリースし、プログレッシブ・ロック、ハードロック路線を打ち出し、これまでとは全く異なる荒々しいイメージを展開した。
1991年5月22日、50万枚以上を売り上げて『TM NETWORK』~『TMN』のシングル史上最大のセールス記録を誇る25thシングル『Love Train / We love the EARTH』をリリースする。
9月5日には「音の万国博覧会」をテーマに様々なジャンルの音楽を詰め込んだ8thアルバム『EXPO』を発売した。
11月15日には『EXPO』のアウトテイクとなっていた曲『WILD HEAVEN』を再レコーディングして26thシングルとしてリリース。シングル化に際してTVドラマ『ララバイ刑事'91』のOPテーマとして採用された。
1992年になり、前年秋より続いたライブツアー『TOUR TMN EXPO FINAL CRAZY 4 YOU』の4月18日の公演を終えると一旦活動を停止。
3人はそれぞれソロワークへ突入する。
8月21日には初のライブベストアルバム『COLOSSEUM Ⅰ』『COLOSSEUM Ⅱ』を同時リリース。
1993年、8月21日に『TMN』として1年間の沈黙を破り「次へのウォーミングアップ」と謳い小室が全曲のセレクトとリミックスを担当したリミックスベストアルバム『CLASSIX 1』『CLASSIX 2』を同時リリース。
続けざまに9月29日には685日ぶりの新曲となる27thシングル『一途な恋』をリリース。
翌年のデビュー10周年に向けての活動が期待された。
そして…デビューから10年となる1994年4月21日、28thシングル『Nights of The Knife』の発売と同時に発表されたのは「TMNプロジェクト終了宣言」と題した解散表明だった。
同日の夜には特別ラジオ番組『TMNのオールナイトニッポン』に3人が生出演し、3人それぞれの思いを語った。
同年5月18日と19日に東京ドームで開催された終了ライブ『TMN 4001 DAYS GROOVE』は、予約開始早々に電話回線がパンクする程のチケット争奪戦になった。
TM NETWORKとして復活、しかし…
1996年12月12日に発売したベストアルバム『TIME CAPSULE -all the singles-』のボーナストラック曲『Detour』を3人の連名で制作。
1997年には小室が出演したラジオ番組等で「TMN復活」を示唆する発言をする。
1999年7月21日に「全ての環境が整った」として、小室が古巣のSony Music Entertainmentにてプライベートレーベルとして発足したTRUE KiSS DiSCより5年ぶりに『TM NETWORK』の名で再始動する。
しかし、SonyMusic側と小室との間にビジネス上の亀裂が生じてしまい、TM NETWORKは再始動から僅か1年後の2000年7月には小室が香港を拠点に起業した音楽エンタテイメント総合商社の『ROJAM ENTERTAINMENT』に籍を移しインディーズとして活動をすることになる。
だが、これがいけなかった。
2000年の後半にはROJAMからTM NETWORKとして三枚のシングルと、再始動後の初のオリジナルアルバム作品となる9thアルバム『Major Turn-Round』を当時まだまだメジャーではなかったインターネット通販によりリリースし、12月から全国ライブツアーも敢行するが、ROJAMは様々な商業的失敗により経営難に陥り、吉本興業に買収されることになった。
所謂「吉本暗黒期」の始まりである。
2002年にTM NETWORKは小室のビジネス失敗のゴタゴタに巻き添えになる様な形で吉本興業のR & C JAPAN(現・よしもとミュージック)に移籍する。
吉本興業に移籍後最初の作品として同年10月30日にリリースされた35thシングル『CASTLE IN THE CLOUDS』は日本テレビ開局50周年・吉本興業創業90周年プロジェクト『LAUGH&PEACE 笑いはニッポンを救う。』のキャンペーンソングとして起用され、当初はTV番組『進ぬ!電波少年』に出演していた吉本興業のお笑い芸人である矢部太郎の番組中応援歌という設定で制作された。
『CASTLE IN THE CLOUDS』のデモ状態の曲を聴いた『日テレ番組編成部長の黒幕T』こと土屋敏男から「歌詞が大げさ過ぎて番組の内容に合わない」と指摘されたため、作詞を担当した小室みつ子は歌詞を何度も修正させられる羽目になった。なお、歌詞を修正する前のデモトラック『CASTLE IN THE CLOUDS (YABE VERSION)』が翌2003年2月5日に発売した蔵出し音源集アルバム『キヲクトキロク ~Major Turn-Round』に収録されている。
2004年にはデビュー20周年記念として大々的な活動が期待されていたが、小室が当時傾倒していたトランスミュージックとFANKSがTM NETWORKへ求める音楽の剥離が激しく、3月24日にリリースしたデビュー20周年記念作品である10thアルバム『NETWORK™ -Easy Listening-』は過去曲のトランスアレンジの寄せ集めに新曲が少し足されただけ(しかも小室のトランス趣味全開のインスト曲ばかり)と云う有り様であった。
更に20周年記念として4月21日の横浜アリーナ公演を皮切りにスタートし、6月25日の日本武道館公演2日目まで続いた『TM NETWORK DOUBLE-DECADE TOUR』でのステージ上の小室の格好は、何と驚くべきことに「Tシャツ一枚にジーンズ姿」という、かつての作り込まれた煌びやかなステージ衣装に身を包んでいた全盛期の頃の姿に比べ、普段着同然の余りにもみすぼらしいラフな格好であり、演奏もキーボードは殆んど弾かずに機材のツマミを弄ってばかりの所謂『DJスタイル』だったこともあり、古参のFANKS達を大いに落胆させたのだった。
こうして『TM NETWORK』の20周年は僅か2ヶ月程度と呆気なく短期間で終わり、小室は同年の秋から始まる『globe』の10周年記念ライブツアーに向けて全力を注ぐのであった。
それから3年のブランクを挟む形で、2007年10月31日に37thシングル『Welcome Back 2』をリリースし、続いて12月5日には11thアルバム『SPEEDWAY』をリリースし、パシフィコ横浜での公演を皮切りに渋谷公会堂と日本武道館で『TM NETWORK ─REMASTER─』と題したライブを行い、続く2008年春には3月27日より5月25日まで、8都市17公演で『TM NETWORK PLAY SPEEDWAY and TK HITS !!』と題した全国ライブツアーを開催する。
この頃の小室は原点回帰を謳い、前身バンドである『SPEEDWAY』をアルバムタイトルにしたり、ライブのサポートメンバーとしてTM NETWORKとしては異色のビジュアルであるドラマーのそうる透を迎える等、様々な変化が見られた。
こうして、FANKS達からは2009年のデビュー25周年に向けての活動が期待されていた。
…しかし2008年11月4日、小室哲哉が5億円詐欺容疑で逮捕されてしまう。
これにより『TM NETWORK』の25周年に向けた予定は全て白紙になり無期限活動休止を余儀なくされる。
吉本興業からは2007年の年末で既に契約を打ち切られており、宇都宮隆と木根尚登はCDをリリースする際には個人事務所のインディーズレーベルから発売するか任意のレコード会社と短期間限定契約を結ぶといった、所謂フリー状態になる。
これが原因で『TM NETWORK PLAY SPEEDWAY and TK HITS !!』の模様を収めたライブDVDは制式なパッケージとしては発売されず、2012年の日本武道館公演『Incubation Period』の限定パンフレットのオマケとして封入される事になったのである。
30周年に向け再始動
2009年5月に大阪地方裁判所より小室は懲役3年、執行猶5年の有罪判決が言い渡され、これに小室の弁護側と検察側は控訴せず刑が確定。
この一件で、1997年のビジネス上の衝突により小室と長期間絶縁していたはずのエイベックス代表取締役社長の松浦勝人が「小室さんは何も知らない自分に音楽業界のことを教えてくれた恩師で、今のエイベックスがあるのも小室さんのおかげなのだと思い出した」として「お世話になった小室さんへの恩返し」だと、ポケットマネーから詐欺事件の被害者へ解決金を含めた6億5000万円を支払い示談を申し込んでいた。
これにより精神的にも経済的にも小室は救われる形となるのだった。
更に仲違いしていたままだったエイベックス副社長の千葉龍平とも和解し、小室はエイベックス所属のミュージシャンとして正式に復帰する。
2012年2月に『TM NETWORK』はテレビ番組『SMAP×SMAP』へゲスト出演。3月には幕張メッセでのイベントに参加。そして4月24日に『TM NETWORK』は正式にavex traxへ移籍し、38thシングル『I am』をリリースと同時に『Incubation Period』と題した武道館2Daysライブを行い、デビュー30周年に向け本格的に活動再開。
2013年には宇都宮隆が膵臓の病気が見つかり手術をするという災難があったものの、さいたまスーパーアリーナで7月20日と21日に『FINAL MISSION -START investigation-』と題した2Daysライブを行い成功させる。
30周年メモリアルイヤーとなる2014年になると、30年目のデビュー記念日の翌日4月22日にセルフ・リプロダクションアルバムである『DRESS2』をリリースする。
続いて半年後の10月29日には30周年記念作品となる待望の12thアルバム『QUIT30』を「2枚組・全22曲」という大ボリュームな内容でリリースした。
30周年記念ライブツアーも春と秋の2シーズンに渡って敢行するという力の入れようだった。
こうして『TM NETWORK』の30周年を記念した活動は2015年の3月21日と22日に横浜アリーナで開催された『30th FINAL』の2Daysライブまで続き、20周年の時以降ずっと辛酸を舐め続け肩身の狭い思いをしてきたFANKS達の鬱憤と雪辱を晴らしたのだった。
そしてデビュー30周年の活動が一段落した後、3人は各々自身のソロ活動を重視したペースで活動していた。
2017年には『Get Wild発売30周年記念』と題して、CD4枚組で36曲全てが『Get Wild』という「数の暴力」を謳った『GET WILD SONG MAFIA』というトンデモ商品を発売した。
小室哲哉の引退騒動~復帰
…しかし翌2018年、小室は美人看護師との不倫スキャンダルを週刊文春によって報じられてしまう。
この『文春砲』によって小室は自棄を起こし、エイベックス代表取締役の松浦勝人の制止も聞かずに記者会見を開き、その場で芸能界と音楽業界からの引退を発表。
これにより、またもや『TM NETWORK』は無期限活動停止になるのだった。
2019年には宇都宮隆がソロで『TM NETWORK』の楽曲ばかりを歌う『Dragon The Carnival』と題したライブツアーを敢行。『TM NETWORK』の35周年を祝いたかったFANKS達の気持ちに応えた。
翌2020年の3月18日、ファン投票によるベストアルバム『Gift from Fanks T』と『Gift from Fanks M』をそれぞれSonyMusicとエイベックスよりダブルリリースする。
1stアルバム『RAINBOW RAINBOW』のアウトテイクだった幻の曲『グリニッジの光を離れて』がボーナストラックとして初収録され、同じくボーナストラックとして1989年のリプロダクションアルバム『DRESS』制作時に作られ未発表テイクになっていた『GET WILD '89 (7inch Version)』も初収録された。
同年に、小室は秋元康と松浦勝人の依頼に応える形で限定的に乃木坂46と浜崎あゆみに楽曲提供を行って現場復帰するものの、『TM NETWORK』としての活動に関しては明言しなかった。
しかし、翌2021年になると小室は「今しばらく音楽をやらせてください。働かせてください。」と云うコメントを世間に向けて発信し、自身の本格的な音楽業界への現役復帰を報告するとともに『TM NETWORK』として3人での音楽活動も再開する事を発表した。
40周年へ向けて活動再開~現在
2022年になると2月23日にファン投票によるライブベストアルバム『LIVE HISTORIA T』と『LIVE HISTORIA M』をリリース。初期のライブでのみ公開され、ファンの間でその存在が知られていた幻の曲『17 to 19』が初収録された。
4月21日、デビュー38周年となるこの日、前年にニコニコ動画のネット生配信でのみ公開していた無観客ライブ映像をBlu-rayパッケージ化した『How Do You Crash It?』をリリース。初回限定盤のみ新曲『How Crash?』のスタジオ音源版を収録したCDが同梱された。
4月28日には夏から開催するライブツアー『FANKS intelligence Days』のオープニング曲『Please Heal The World』をLINE NFTでリリースした。
7月29日、2015年の『30th FINAL』より7年ぶりとなるライブツアー『TM NETWORK TOUR 2022 “FANKS intelligence Days”』をスタート。当初は『TM NETWORK』のメンバー3人のみでライブを行い、サポートメンバーを入れない構成だったが、9月3日と4日のツアーファイナルのみ阿部薫と小野かほりの2名がドラムでサポートメンバーとして参加した。
2023年4月21日、デビュー39周年となるこの日、およそ2ヶ月後の6月14日に『QUIT30』から約9年振りとなるオリジナルアルバム『DEVOTION』がリリースされること、そして秋から全国ライブツアーを行うことも発表した。
6月13日、3ヶ月後の9月8日から公開されるアニメ映画『劇場版シティーハンター 天使の涙(エンジェルダスト)』のOPテーマとして新曲『Whatever Comes (Opening Edit)』を配信リリースすると発表し、翌日6月14日 に13thアルバム『DEVOTION』と配信限定シングル『Whatever Comes (Opening Edit)』を同時リリースした。
9月6日には45thシングルとして『Whatever Comes』のフルバージョンをCDとして発売する。
12月6日になると45thシングル『Whatever Comes』のアナログ盤12インチシングルEPと『劇場版シティーハンター 天使の涙(エンジェルダスト)』の劇中挿入歌として発表されていた『Angie』を配信限定シングルとして同時リリースした。
デビュー40周年の記念日となる2024年4月21日、完全生産限定2枚組CD『40+ 〜Thanks to CITY HUNTER〜』をリリース。
鈴木亮平が主演のNetflix実写映画『シティーハンター』の主題歌『Get Wild Continual』が収録される。
同日に、ライブツアー『TM NETWORK 40th FANKS intelligence Days 〜DEVOTION〜』の2023年11月に東京・国際フォーラムのホールAで行われた千秋楽公演の模様を収録したBlu-rayをリリースした。
5月15日には40周年を記念しB'zや松任谷由実に西川貴教といった様々な豪華メンバーが参加するトリビュートアルバム『TM NETWORK TRIBUTE ALBUM -40th CELEBRATION-』をリリース。
5月18日と19日には2022年夏から続いたライブツアーシリーズの総決算となる『TM NETWORK 40th FANKS intelligence Days 〜YONMARU〜』の千秋楽をKアリーナ横浜で開催。
続いて5月22日には『Get Wild Continual』を47thシングルとして数量限定生産のアナログ盤7インチEPとしてリリースする。
8月21日、7thアルバム『RHYTHM RED』が不透明の赤盤と黒盤のカラーヴァイナル2枚組仕様で、8thアルバム『EXPO』が不透明白盤のカラーヴァイナル2枚組仕様のLP盤として、2作とも初のアナログレコード化として再リリース。
9月25日にはKアリーナ横浜で開催した『TM NETWORK 40th FANKS intelligence Days ~YONMARU~』の千秋楽公演の模様を収録したLIVE Blu-rayをリリース。このBlu-rayの発売アナウンスと併せて2024年末の12月31日大晦日にLIVEを開催する事が発表された。
楽曲
最も有名な代表曲としてはテレビアニメ『シティーハンター』のED曲となった『Get Wild』と『STILL LOVE HER(失われた風景)※』が挙げられる。
他にも、劇場版アニメーション映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のEDテーマ曲である『BEYOND THE TIME(メビウスの宇宙を越えて)』はガンダムファンならば馴染み深いだろう。
※『シティーハンター2』後期ED曲。「ハーモニカ撫でておくれ」のぎなた読みでも知られる。
福岡県民ならばテレビ西日本の天気予報のBGMである『Fantastic Vision』が昔馴染みの曲として有名だろう。(かつては同局の放送開始映像に使われていた)
鈴木あみのカバーで有名な『Be Together』や、後藤久美子と沢口靖子のW主演ドラマの主題歌になった『Resistance』、宮沢りえ主演の映画『ぼくらの七日間戦争』の主題歌『SEVEN DAYS WAR』と挿入歌『GIRLFRIEND』等の有名なタイアップ曲も数多くある。
TMN時代にはmaxellのカセットテープの『THE POINT OF LOVERS' NIGHT』と『TIME TO COUNT DOWN』、ハウス食品オー・ザックの『RHYTHM RED BEAT BLACK』やカメリアダイヤモンドの『LOVE TRAIN』等のCMタイアップ曲が多くなった。
pixivでは本人たちの似顔絵などの他、4枚目のアルバム『Self Control』のジャケットのパロディイラストが散見される。
正規メンバー
1984年の結成から一度もメンバー変更が行われていない。
- 小室哲哉
- シンセ、ピアノ、キーボード、ボーカルetc.
- 宇都宮隆
- メインボーカル、アコースティックギター、ベース
- 木根尚登
- コーラス、ピアノ、ボーカル、アコースティックギター、エレクトリックギター(※)
(※)木根はTM NETWORK初期の頃はアコースティックギターは弾けたがエレキギターが弾けず、LIVEでの演奏はサポートメンバーの松本孝弘らに任せて本人はエアギター状態だった。その後、「猛練習して克服した」とTV番組等でカミングアウトしている。エレキギターが弾けるようになった後も、木根はライブでの演奏はソロパートがないカッティングとオクターブ奏法がメインであり、音が目立たない為に一部のFANKS達からは「木根が弾いてない」「木根のギターから音がしてない」と誤解されていたこともあった。TV番組ではエアギターの部分ばかりが強調され、「現在は弾いている」部分を過小扱いされてしまい「TMの2人、そしてファン達からも『自分で自分の評判を下げるような行為をするな』と怒られました。」と語って反省していた。
サポートメンバー
小泉洋
1983年のデビュー前から1985年のミニアルバム『Twinkle Night』及び『吸血鬼ハンターD』のサウンドトラックまでマニピュレーターとして参加。
ライブでもマニピュレーターとして裏方を務めていた。
1983年、早稲田実業学校高等部商業科時代より親交のあった小室哲哉が結成したTM NETWORKにマニピュレーターとして誘われて楽曲制作に参加しプロミュージシャンとしてデビューする。
TM NETWORKの1stアルバム『RAINBOW RAINBOW』のレコーディングに使われたサウンド・プラグラミング用の機材の多くは彼が借金をしてまで自腹で買い揃えた物だった。
当時のコンピューター・サウンドのシステムは制御が上手く行かないことばかりで、システムトラブルに見舞われ続けた小泉氏はストレスで円形脱毛症にまでなったという。
初期TM NETWORK楽曲のコンピューター・サウンドは彼の「血と汗と涙の結晶」と言っても過言ではない。
このためTM NETWORKの3人からの信頼は厚く、「4人目のメンバー」とも言われていた。
しかし、1985年にLOOKのシングル『シャイニン・オン 君が哀しい』のシンセサイザー・プログラミングを手掛け、同作が大ヒットしたことによって巨額の収入を得て急に羽振りが良くなった小泉氏に嫉妬したTM NETWORKのメンバー3人との間に軋轢(特に小室)が生じて袂を別つ事になり、1986年からはTM NETWORKの楽曲制作には一切参加していない(これに関しては、小泉氏に一切の非はない)。
この辺りの経緯はミツカワヒロシ氏による小泉氏本人へのインタビュー記事に詳細が書かれている。
松本孝弘
言わずと知れたB'zのTAK MATSUMOTOその人である。
TM NETWORKのメンバー3人とFANKS達は、彼を旧来の愛称である『まっちゃん』と呼ぶ。
1985年~1989年のライブツアーやレコーディングにエレクトリックギターで参加。
最初はスタジオミュージシャンとして多忙だった北島健二から紹介された代打のギタリストだった。
1988年~1989年頃は宇都宮隆とTM NETWORKの三代目マネージャーである井上哲生(奥さんは作詞家の井上秋緒)とヘアスタイルが全く同じであり、この時期は3人が並ぶと後ろ姿では完全に判別不能であった(宇都宮隆は1990年の「TMNリニューアル宣言」に伴いヘアスタイルを変えたが、松本孝弘は1992年まで同じヘアスタイルを貫き通した)。
1988年リリースの『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』のロンドンでのレコーディングの際には自身のギタープレイに行き詰まり、感極まってしまい涙を流したと云う逸話がある。
1990年発売の3rdアルバム『BREAK THROUGH』で文字通りブレイクし、以後B'zはシングル、アルバム共にオリコンランキング1位常連の不動の地位を築き上げ、名実ともに「日本一のモンスターバンド」となる。
B'zはデビューから僅か3年の1991年の時点で売り上げも人気も当時のTMNを大きく上回ってしまい、この「後輩にあっさり抜かれた」現実が小室哲哉を苦しめた結果、彼を良くも悪くも「音楽プロデューサー」の道へと走らせ、1994年の「TMN終了」を招いてしまう。
しかし、松本孝弘は義理堅い性格であり、1994年5月19日に開催したTMN終了ライブ『TMN 4001 DAYS GROOVE』の東京ドーム公演2日目にスペシャルゲストとして2曲のみ参加。
2004年6月25日開催の20周年ライブツアー『TM NETWORK DOUBLE-DECADE TOUR FINAL “NETWORK” in NIPPON BUDOKAN』の日本武道館公演2日目にもアンコールでスペシャルゲストとして登場している。
更に、邦楽界のレジェンドとなった現在でも松本はTM NETWORKのメンバーとは交流があり、宇都宮隆と木根尚登のソロアルバムにエレキギター演奏で参加したりしている。
2024年5月リリースの『TM NETWORK TRIBUTE ALBUM -40th CELEBRATION-』では満を持してB'zがGet Wildをカバー。
同年5月18日、19日にKアリーナ横浜で開催された40周年ライブツアー『TM NETWORK 40th FANKS intelligence Days 〜YONMARU〜』の千秋楽に2日間ともスペシャルゲストとして登場し、FANKS達の度肝を抜いた(奇しくも丁度30年前の1994年5月19日に東京ドームで開催された『TMN 4001 DAYS GROOVE』へのゲスト出演の再現となった)。
浅倉大介
通称『大ちゃん』。
元はYAMAHAの社員。
小室哲哉を“師”と仰ぐ。
YAMAHA時代からシンセサイザーの商品開発で小室哲哉と交流があり、1987年~1989年にはマニピュレーターとしてTM NETWORKのライブにサポートで参加し、TMN期である1990年~1992年のライブツアーではサポートメンバーとしてキーボードとシンセベースの演奏で参加。
1991年の『TMN EXPO TOUR』ではライブ用の楽曲アレンジも担当した。
1994年5月19日に開催したTMN終了ライブ『TMN 4001 DAYS GROOVE』の東京ドーム公演2日目には松本孝弘と同様にスペシャルゲストとしてCAROL組曲のみショルダーキーボードを引っ提げて参加。
2004年6月24日、25日開催の20周年ライブツアー『TM NETWORK DOUBLE-DECADE TOUR FINAL “NETWORK” in NIPPON BUDOKAN』の日本武道館公演には2日間とも久々にサポートメンバーとして参加した。
現在も宇都宮隆のソロアルバムに楽曲を提供したりライブツアーのサポートメンバーを務めたりとTM NETWORKとは親密な交流が続いている。
2018年、小室と師弟ユニットPANDORAを結成し、シングル『Be The One』(『仮面ライダービルド』主題歌)をリリース。
葛城哲哉
通称『葛G(かつじー)』。
1990年のTMN期よりエレキギターとコーラスでライブとレコーディングに参加。
国内でも貴重な『トーキング・モジュレーター』の奏者でもある。
特徴であるワイルドなハスキーボイスはコーラスワークでは最大限の威力を発揮する。
1993年、BMGビクター(RCAレーベル)よりソロシングル『Bird In The Rain』でメジャーデビュー。
キャッチコピーは『TMファミリー最後の大物』。
1994年発売のシングル『SEARCHIN'』では小室哲哉が作詞、作曲、編曲とプロデュースを行っている。
幼い頃にバイオリンを習っていたため、宇都宮隆のソロライブツアーでバイオリンを演奏することがある。
その存在感は「TMN4人目のメンバー」とも言われた。
その後もTM NETWORKのレコーディングやライブでのサポートメンバーでは常連となり、現在もメンバー3人と交流は続いている。
小室哲哉と浅倉大介がプロデュースした他アーティストの作品でもエレキギターを頻繁に演奏している。
阿部薫
通称『ベーあん』。
メジャーデビュー前の1983年8月に中野サンプラザで開催されたコカ・コーラ主催の『フレッシュサウンズコンテスト』でTM NETWORKがグランプリを獲得した時にドラム演奏を担当。
その後、1984年4月21日に発売となるデビューアルバム『RAINBOW RAINBOW』のレコーディングに参加して以降はTM NETWORKのライブやレコーディングには暫く関わっていなかった。
それから4年後、1988年の『CAROL TOUR』にて多忙で参加出来ない山田亘の代わりのドラマーが必要になり、小室が阿部を思い出してロンドンから国際電話を阿部の自宅にかけた。
時差のせいで日本は真夜中であり、突然の小室からの「今度のツアーでドラム叩いてよ」という真夜中の電話に対して、阿部は寝ぼけた状態で「ああ…」と返事をしてしまったという逸話がある。
ドラムを本気で叩けば叩くほど「ひょっとこ顔」になることをTM NETWORKの3人から揶揄されてしまい、ファンからは「トコヒョツ顔のベーあん」と弄られることがある。
カメラが趣味で、TM NETWORKのライブでドラマーとして不参加のときは写真撮影に興じる彼の姿が会場でしばしば見られる。
1997年には、東芝EMI(東芝スイートスプエスト)からシングル『Night Eyes 〜タフィの瞳〜』とアルバム『心に太陽』をリリースして歌手としてソロデビューしている。
このアルバムのキャッチコピーは、『TMファミリー最後の小物』であり、これは葛城哲哉がソロデビューした際のキャッチコピー『TMファミリー最後の大物』を捩ったものである。
藤井徹貫にマーク・パンサーといった小室ファミリー、そして鈴木蘭々がゲストとして作詞で参加したこのアルバムは1万枚を売り上げ、聴覚障害者施設『たましろの里』に売り上げ金を寄付している。
日詰昭一郎
通称『ヒズ』。
またの名を『ドクトル日詰』。
1987年の『FANKS CRY-MAX』の頃は髭を生やしていた。
ベーシストとしてライブ時のサポート演奏に止まらず、小室哲哉のラジオ番組に『ドクトル日詰』としてレギュラー出演していた。
またTM NETWORKの3人と東海ラジオの『TM NETWORK SF Rock Station』の番組内企画で変名音楽ユニット『ハンバーグ&カニクリームコロッケ』を結成してボーカルを担当するなど大活躍した。
この時に制作した楽曲『神社でB(B面:恋のながら族)』のアナログ盤が東海ラジオ局から通販限定で販売されている。
1988年10月5日、B'zとほぼ同時期にBMGビクターよりシングル『ああ異常』でソロ歌詞としてデビュー。
続けて10月19日にリリースされた彼の1stアルバム『ロマン 神経衰弱』はTM NETWORKのアルバム『CAROL』と同時期にロンドンでレコーディングが行われ、小室哲哉がサウンドプロデュースで作曲と編曲をサポートしている。また、エレキギターで松本孝弘も二曲参加した。
自身のデビューと同時に『BOLAN(後のT-BOLAN)』のプロデュースも行っている。
2001年10月15日、脳出血のため43歳の若さで惜しまれつつも逝去。
久保こーじ
通称『こーじ』。
英語表記は『COZY』、または『Cozy Kubo』であり、作曲家としての名義はこちらの英語表記が多い。
1983年頃に小室哲哉が渋谷LIVE INNの楽屋で「今度新しいバンドやるんだけど、手伝ってよ」と久保に声をかけたのが切っ掛けで小室と行動を共にするようになる。
以来、小室と共にスタジオワークや流行音楽の情報収集を行うようになり、マニピュレーター作業から始まり、徐々に編曲から作曲へと段階を踏んで、最終的にはプロデューサーが担当する作業にまで手を付けるようになった。
その関係は久保が「小室先生の一番弟子」と名乗る程であり、TKブームの頃の楽曲の殆どは小室と久保の二人で作っており、そのプロデュース能力は小室が「僕の影武者」だと太鼓判を捺すほどであった。
TM NETWORKの作品には1985年発売の2ndアルバム『CHILDHOOD'S END』にシーケンサーのプログラマーとして参加し、以降はライブでもマニピュレーターやサポートキーボーディストとして裏方で参加する。
小室と出会った頃は主にギターとベースを弾いており、キーボードは経験がなく、小室からシンセサイザーのプログラミングを基礎から学んだ。
それ故に、ライブでは主にキーボード関係の機材のセッティングとトラブル処理を担当していた。
TMNの1991年のアルバム『EXPO』においては、小室と共に『月はピアノに誘われて』等、数曲の編曲を担当。
1994年のTMN終了ライブ『TMN 4001 DAYS GROOVE』では2日間とも久保がシンセベースを演奏していた。
現在はファンコミュニティサービスアプリ『Fanicon』の有料会員向けコンテンツで小室哲哉の配信放送『TK FRIDAY』の司会進行を2023年に死去した作家の藤井徹貫に代わって担当している。
関連人物・グループ等
川内康範
1980年の『SPEEDWAY』時代に、2ndアルバム『BASE AREA』を制作する交換条件として、『武田食品プラッシー』のCMソングとなる「『月光仮面は誰でしょう』のカバーソングを作れ」と、当時所属していたレコード会社である東芝EMIから命じられる。
このカバー楽曲『ROCKING ON THE 月光仮面』の発売に関して『月光仮面は誰でしょう』の歌詞の使用許可を貰いに、小室哲哉がバンド代表として『月光仮面』の原作者であり作詞家である川内康範の自宅まで赴いた際に、川内は自身が作詞作曲をした『ジーパンはいた赤トンボ』か『山あり谷あり』の「どちらかの曲をB面にするように」との条件を出す。
曲名を聞かされた小室は目眩がしたという。
そして、川内の秘書である若い男性がピアノを弾きながら歌い出したのを聴いて、小室はもっと目眩がしたらしい。
結局、五十歩百歩だったが『山あり谷あり』の方が少しはマシだと小室が判断して選択された。
小室が木根尚登の部屋に帰ってきた際に、発した第一声は「最低!」だった。
その後、『山あり谷あり』は小室と木根に徹底的に弄くりまわされた。
コードを変えてメロディーを書き直し、イントロと間奏しか印象に残らない様にして、更にボーカルにエフェクターを強めにかけて何を歌っているのか判らない様に改変したうえで、最終的には『ダンシング・ライダー』と曲名を変更してリリースした。
結局、サビのメロディーを全部変えたりもしたのだが、出来上がった曲を聴いた川内康範は文句を言うどころか終始御機嫌だったという。
歌詞を全く弄らなかった事、川内本人に出来上がった曲を聴かせて、きちんと最終許可を取った事が功を奏したらしい。
同様に川内康範が作詞した『おふくろさん』の歌詞を無断で改変して歌っているのが後に発覚し、川内を激怒させて、同曲を含め川内が作詞した作品全曲の歌唱を禁止されたうえに絶縁宣言までされた森進一とは対応に凄まじいまでの差がある。
小室みつ子
通称『みっこさん』『みっちゃん』。
またの名を『西門加里(さいもん・かり)』という。
シンガーソングライター、そして作詞家である。
TM NETWORKの作詞担当と言えばこの人。
TM NETWORKの初期は『西門加里』名義で、もう一人の作詞家である麻生香太郎と共に歌詞を提供していた。
ペンネームの由来はアメリカのシンガーソングライター『カーリー・サイモン』から名付けたもの。
1986年11月21日発売のTM NETWORKの8thシングル『All-Right All-Night (No Tears No Blood)』より本名の『小室みつ子』に名義を変えた。
小室哲哉と同姓であったこともあり、音楽専科社の音楽雑誌『ARENA 37℃』1987年1月号のインタビューにおいて、小室哲哉が「西門加里、改め、小室みつ子さんになりましたけど。」と発言し、これに対しインタビュアーが「小室みつ子さんだったんですか!!」と驚き、更に小室哲哉は「そーなんですよ。小室きょーだいと呼んでください。(笑)」と答えていた。
TM NETWORKのラジオ番組『Come on FANKS!!』に小室みつ子がゲストに出た時、彼女に対して小室哲哉が「お姉さん」や「みっこちゃん」と呼んだりしていたので、事情をよく知らない一部のFANKS達からは「小室哲哉と小室みつ子は姉弟か夫婦なのではないか」と本気で誤解されてしまうケースが頻繁にあったが、偶然にも姓が同じ「小室」であるというだけであり、2人の間に血縁関係や婚姻の事実はない。
TM NETWORKをはじめ、1980年代に多くのアーティストを担当していたEpic/Sony Recordsの小坂洋二プロデューサーと結婚するが、後に離婚している。
映画やドラマの脚本を読むのが苦手で『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のEDテーマ曲である『BEYOND THE TIME(メビウスの宇宙を越えて)』の作詞の際には悪戦苦闘し、過去のガンダムシリーズを録画したビデオを借りて何回も観たという。
近年でも『劇場版シティーハンター 天使の涙(エンジェルダスト)』のOPテーマ『Whatever Comes』の作詞を手掛ける際に、「脚本の内容をニュアンスまで詳細に、てっちゃん(小室哲哉)から電話で説明してもらった」と語っている。
FENCE OF DEFENSE
北島健二(G)、西村麻聡(B)、山田わたる(D)によるスリーピースバンド。
古参のFANKS達からは『健ちゃん』『マットシ』『わたる』でお馴染みの3人である。
1987年6月21日にTM NETWORKと同じEpic/Sony Recordsからアルバム『FENCE OF DEFENSE』とシングル『フェイシア』のダブルリリースでメジャーデビュー。
メンバーが個別、または全員でTM NETWORKのライブや宇都宮隆のソロライブのサポートを務めたことがある。
宇都宮隆が「一番大好きな邦楽バンド」だと公言している。
1988年発売のシングル『SARA』はアニメ『シティーハンター2』のOP曲に起用され、同時期のED曲であったTM NETWORKの『STILL LOVE HER(失われた風景)』と共に番組主題歌を飾った。
1991年にはアニメ版『横山光輝 三国志』主題歌の『時の河』『DON'T LOOK BACK』をスマッシュヒットさせている。
藤井徹貫
通称『てっかん』。
フリーの音楽ライターであり、主にソニー・マガジンズの音楽雑誌である『GB』や『PATi PATi』、音楽専科社の『ARENA 37℃』に寄稿していた。
TM NETWORKとメンバー3人のソロに関する記事や著書を多数手掛け、2023年までに発表されたTM NETWORKのライブツアーのパンフレットやCDアルバム付属のライナーノートに「よく解るようで、いまいち解らない内容の長文」が掲載されていたら、それはほぼ間違いなく彼が執筆した文章である。
TM NETWORKと小室哲哉を盲目的に称賛し過ぎてしまうきらいがあり、こじつけや個人的な妄想が多々見られる内容の記事が公私混同と見なされて一部のFANKS達からは「徹貫の作文」だと揶揄されていた。
放送作家としては、『ビデオ・ジャム(テレビ朝日)』や『オールナイトニッポン(ニッポン放送)』、宇都宮隆のラジオ番組『Buddy-Buddy(JFN系列)』に関わった経験があり、2015年~2016年には木根尚登の通販番組『木根テレ(BSフジ)』にも出演していた。
木根尚登のソロアルバムやプロデュース作品では何曲か作詞で参加している。
2021年の小室哲哉の復帰を全力で支援し、ファンコミュニティアプリの『Fanicon』での有料会員向けコンテンツでは小室の生配信放送の構成を担当して司会進行を務めた。
2023年5月27日、脳幹梗塞のため惜しまれつつも63歳で逝去。
誰より楽しみにしていたであろうTM NETWORKの40周年には立ち会えずに亡くなったが、アルバム『DEVOTION』のライナーノートに収載された小室へのインタビュー記事が彼の遺作となった。