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菊花賞の編集履歴

2022-10-23 15:49:13 バージョン

菊花賞

きっかしょう

京都競馬場芝3000mで施行されるGⅠ競走。牡馬クラシック最後の1冠である。「きくかしょう」とも読む。

概要

創設は1938年(昭和13年)。

イギリスのクラシック競走、セントレジャーステークスが手本となっている。

施行距離もセントレジャーステークスとほぼ同じ3000mに設定され、「京都農林省賞典4歳呼馬」という名称で創設された。

翌年に新設された「横濱農林省賞典4歳呼馬(現在の皐月賞)、以前から存在していた「東京優駿競走」(現在の日本ダービー)と共に、日本における牡馬クラシック三冠を構成している。

1948年、名称が現在の「菊花賞」に変更された。


施行時期が日本ダービーから離れている事もあり、夏場に力をつけた馬、いわゆる「上がり馬」がやってくる事も多く、皐月賞とダービーを制した二冠馬が菊花賞で敗れるケースも多い。

具体的には、クリノハナ、コダマ、メイズイ、タニノムーティエ、カツトップエース、ミホノブルボンネオユニヴァースメイショウサムソンなどが菊花賞で敗れ3冠を逃している。

ちなみに、日本ダービーと菊花賞を制した二冠馬は過去2頭しか存在していない(クリフジタケホープ奇しくもこの2頭は皐月賞に出走していない)。

皐月賞と比べるとダービーの方が距離が近く、一見皐月賞馬よりダービー馬の方が有利に見えるが、皐月賞と菊花賞を制する形での二冠馬の方が多いのである。

実際の所、ダービーの方は有力馬が多数集まってくる事もあり皐月賞を制してもダービーをとれない馬は多い。また、ダービーに比べて皐月賞はレース間隔が空いており、故障でダービーに出走できなかったが秋に復帰した二冠馬も複数いる。

また、後述するが最近はダービー馬でも菊花賞を回避する事がある。

そういった諸々の事情が重なっての結果なのかもしれないが・・・

それにしても1973年のタケホープから40年近くダービーと菊の二冠馬が出てないのはある意味凄い。


トライアル競走

下記の2競走がトライアル競走となっている。

しかし、いずれも菊花賞とは距離が離れており「トライアルとして機能していない」という批判も多い。


レース名グレード施行馬場競馬場出走権が与えられる着順
セントライト記念GⅡ芝・外回り2200m中山競馬場3着以内
神戸新聞杯GⅡ芝・外回り2400m阪神競馬場3着以内

また、1999年までは京都新聞杯がトライアル競走となっていた。他にも菊花賞が現在の10月中旬に移動する以前は京都大賞典に出走・勝利して菊花賞を制した馬もいる。


最も強い馬が勝つ

菊花賞は、3冠の中でも「最も強い馬が勝つ」と言われている。

何故なら、3歳馬にとって3000mという長丁場は未知の領域であり、長距離を走り抜けるだけのスタミナが要求される。

また、このレースが行われる京都競馬場の第3コーナーには高低差3.9mという急坂、通称「淀の坂」が存在している。このレースでは、そんな急坂を2回も通過する必要がある。

そのため、このレースは単純なスピードだけではない、スタミナやパワーなど競走馬としての総合的な能力が求められるレースと言える。

しかし、それは言い換えれば「長距離を走り抜けられない馬は勝てない」という事である。

そのため現在では、施行時期が近く菊花賞に比べ距離も短く斤量も軽い上に賞金も高い天皇賞(秋)に向かったり、凱旋門賞に遠征する事も多い。(尚、ダービー馬が同年の天皇賞秋に出走したのは2008年のディープスカイ1頭だけ)

そんな背景もあってか、近年の菊花賞には条件戦を勝ち上がってきたばかりの馬が出走する事も多く、レベルの低下が懸念され始めている。

そんな中、2010年代からは菊花賞を制した馬の活躍ぶりに目を見張るものがあることから(2010年代の菊花賞馬10頭中7頭が菊花賞後に他のG1を勝利しており)、再評価の兆しが見られる。

余談

・菊花賞は逃げ切り勝ちが少なく、歴代でも3頭しかいない。

・1970年にビクトリアカップ(現在のエリザベス女王杯)が創設されるまで、牝馬3冠の最終戦は菊花賞だった。

・1944年の第7回菊花賞(この時は長距離特殊競走という名称)は、競走不成立となっている。

このレースは、前回とはコースが変わっており内回りのコースを2周するコースであった。

が、伝達不備によりすべての馬が前回と同じく内1周、外1周の3100mを走っていたのである。

結果、全馬失格となり競走不成立という前代未聞の結果となった。なお、この時の1位入線馬は同年のダービー馬カイソウであり、幻の2冠馬といえる。


・2002年の第63回菊花賞は、色んな意味で波乱を巻き起こしたレースだった。

この時の1番人気は、皐月賞を制した武豊騎乗のノーリーズン。単勝オッズ2.5倍という大きな支持を受けていた。

が、スタートから1秒近くで落馬。

競馬中継において毎日放送の実況の美藤アナが「ああっ何とノーリーズン落馬あああああああああ!!!!!!!」と思わず絶叫、ラジオたんぱの中継ではスタッフとして入っていた広瀬、檜川両アナウンサーの「ノーリーズン!ノーリーズン!」という驚きの入った指摘の声が拾われ、競馬場内からは大きなどよめきが起こる。

幸い人馬共に異状はなかったものの、スタートから数秒でノーリーズンがらみの馬券およそ110億円分が吹っ飛んだのである。

この時点で充分大波乱なのだが、レース結果も1着が10番人気のヒシミラクル、2着が16番人気のファストタテヤマというとんでもない大荒れ。

最終的に、馬単馬券の払戻金が18万2580円という大波乱が巻き起こった。


・2005年の第66回菊花賞はディープインパクトの三冠なるかが最大の話題となり、そして期待通りの圧勝で三冠を達成。単勝は100円元返し(支持率79.03%で菊花賞史上第2位)。また京都競馬場には多くの観客が押し寄せ、最寄り駅となる京阪電車淀駅では通常の急行の臨時停車や臨時列車だけではレース後の帰宅客をさばききれずに、特急の臨時停車までして客を捌く羽目になった。


・2021年と2022年は京都競馬場の大規模改修のため、1979年以来42年ぶりに阪神競馬場で開催される。


歴代優勝馬

馬の太字顕彰馬、騎手の太字は騎手もしくは調教師顕彰者。

☆は三冠達成

★は二冠達成(「皐」は皐月賞、「優」は日本ダービー、「桜」は桜花賞との二冠を表す。)

回数施行年馬名  騎手備考
昭和時代
第1回1938年テツモン伊藤正四朗記念すべき第1回の勝ち馬
第2回1939年マルタケ清水茂次
第3回1940年テツザクラ伊藤勝吉
第4回1941年セントライト小西喜蔵史上初のクラシック三冠達成
第5回1942年ハヤタケ佐藤勇
第6回1943年クリフジ☆(変則)前田長吉優駿牝馬、東京優駿の無敗変則三冠、鞍上の前田は国営時代の最年少優勝騎手(18歳)。
1944年競技不成立による全馬失格(ダービー馬カイソウが1位入線)
1945年太平洋戦争の影響により休止
第7回1946年アヅマライ武田文吾
第8回1947年ブラウニー★(桜)土門健司桜花賞との二冠達成
第9回1948年ニユーフォード武田文吾
第10回1949年トサミドリ★(皐)浅野武志セントライトの弟。
第11回1950年ハイレコード浅見国一
第12回1951年トラツクオー小林稔
第13回1952年セントオー梅内慶蔵
第14回1953年ハクリヨウ保田隆芳
第15回1954年ダイナナホウシユウ★(皐)上田三千夫
第16回1955年メイヂヒカリ蛯名武五郎
第17回1956年キタノオー勝尾竹男
第18回1957年ラプソデー矢倉義勇
第19回1958年コマヒカリ浅見国一
第20回1959年ハククラマ保田隆芳逃げ切り勝ち。勝ちタイム3.07.7は当時芝3000mのレコードタイム。
第21回1960年キタノオーザ伊藤竹男コダマの三冠を阻んだ
第22回1961年アズマテンラン野平好男
第23回1962年ヒロキミ高松三太
第24回1963年グレートヨルカ保田隆芳メイズイの三冠を阻んだが、同厩舎でもあるメイズイの不甲斐ない敗戦に保田がレース後メイズイ鞍上の森安重勝に激怒したことで知られる。
第25回1964年シンザン栗田勝史上2頭目の三冠達成
第26回1965年ダイコーター栗田勝鞍上の栗田は初の菊花賞連覇。
第27回1966年ナスノコトブキ森安弘明スピードシンボリとは鼻差の接戦。
第28回1967年ニツトエイト伊藤竹男
第29回1968年アサカオー加賀武見
第30回1969年アカネテンリュウ丸目敏栄初の上がり馬のよる優勝。
第31回1970年ダテテンリュウ宇田明彦タニノムーティエの三冠を阻むが、タニノムーティエは喉鳴りを起こして競走能力を失っていた。
第32回1971年ニホンピロムーテー福永洋一名手・福永洋一の八大競走初優勝。しかも坂の上りからのロングスパートは初だった。
第33回1972年イシノヒカル増沢末夫
第34回1973年タケホープ★(優)武邦彦代打騎乗での制覇。ハイセイコーとは鼻差の接戦だった。
第35回1974年キタノカチドキ★(皐)武邦彦二人目の騎手連覇。
第36回1975年コクサイプリンス中島啓之
第37回1976年グリーングラス安田富男2着テンポイント、3着トウショウボーイと、TTG三強の幕開けとなった。
第38回1977年プレストウコウ郷原洋行勝ちタイム3.07.6で、前保持のハククラマから実に18年ぶりの菊花賞レコードタイム。
第39回1978年インターグシケン武邦彦勝ちタイム3.06.2で、菊花賞レコードタイム。
第40回1979年ハシハーミット河内洋阪神競馬場での開催
第41回1980年ノースガスト田島良保
第42回1981年ミナガワマンナ菅原泰夫
第43回1982年ホリスキー菅原泰夫三人目の騎手連覇。勝ちタイム3.05.4は当時芝3000m世界レコード。
第44回1983年ミスターシービー吉永正人史上3頭目の三冠達成
第45回1984年シンボリルドルフ岡部幸雄史上初の無敗三冠馬
第46回1985年ミホシンザン★(皐)柴田政人シンザンの最高傑作と称された。
第47回1986年メジロデュレン村本義之
第48回1987年サクラスターオー★(皐)東信二菊の季節に桜が満開」の実況は有名。
第49回1988年スーパークリーク武豊鞍上の武はJRA発足後の最年少GⅠ勝利、父・邦彦と騎手で初の父子制覇。
平成時代
第50回1989年バンブービギン南井克巳
第51回1990年メジロマックイーン内田浩一メジロでもマックイーンの方だ」の実況はよく知られる。
第52回1991年レオダーバン岡部幸雄
第53回1992年ライスシャワー的場均ミホノブルボンの無敗三冠を阻止。勝ちタイム3.05.0は当時の芝3000m日本レコード
第54回1993年ビワハヤヒデ岡部幸雄勝ちタイム3.04.7はレコードタイム。
第55回1994年ナリタブライアン南井克巳史上5頭目の三冠達成、京都競馬場のスタンド改修後、最初のGⅠ競走だった。また、勝ちタイム3.04.6のレコードタイム。
第56回1995年マヤノトップガン田原成貴勝ちタイム3.04.4は菊花賞レコードタイムで、4年連続でレコードタイムを更新。
第57回1996年ダンスインザダーク武豊前がふさがる不利の中、馬群を縫うようにして最後の直線上がり33.3の驚異的な末脚で勝利するが、この代償で屈腱炎発症・引退となる。
第58回1997年マチカネフクキタル南井克巳神戸新聞杯、京都新聞杯のトライアル2戦を勝利して菊花賞を勝ったのは現在まで本馬が最後。
第59回1998年セイウンスカイ★(皐)横山典弘逃げ切り勝ち。勝ちタイム3.03.2は当時の芝3000m世界レコード。
第60回1999年ナリタトップロード渡辺篤彦
第61回2000年エアシャカール★(皐)武豊
第62回2001年マンハッタンカフェ蛯名正義
第63回2002年ヒシミラクル角田晃一10番人気での勝利
第64回2003年ザッツザプレンディ安藤勝己ネオユニヴァースの三冠を阻む。
第65回2004年デルタブルース岩田康誠鞍上の岩田は当時は地方園田所属だった。
第66回2005年ディープインパクト武豊史上2頭目の無敗三冠馬、また鞍上の武は騎手として菊花賞勝利騎手単独最多となる4勝目。
第67回2006年ソングオブウィンド武幸四郎勝ちタイム3.02.7は菊花賞レースレコードを更新、メイショウサムソンの三冠を阻んだ。
第68回2007年アサクサキングス四位洋文鞍上の四位は同年ダービーをウオッカで制し、別々の馬でクラシック二冠を制した。
第69回2008年オウケンブルースリ内田博幸
第70回2009年スリーロールス浜中俊
第71回2010年ビッグウィーク川田将雅
第72回2011年オルフェーヴル池添謙一史上7頭目の三冠達成
第73回2012年ゴールドシップ★(皐)内田博幸
第74回2013年エピファネイア福永祐一父・洋一と二組目の騎手父子制覇。
第75回2014年トーホウジャッカル酒井学勝ちタイム3.01.0現在の芝3000m世界レコード
第76回2015年キタサンブラック北村宏司
第77回2016年サトノダイヤモンドクリストフ・ルメール
第78回2017年キセキミルコ・デムーロ
第79回2018年フィエールマンクリストフ・ルメール
令和時代
第80回2019年ワールドプレミア武豊
第81回2020年コントレイル福永祐一史上3頭目の無敗三冠馬。また史上初の子2代による三冠達成。また、改修前最後のG1競走だった。
第82回2021年タイトルホルダー横山武史逃げ切り勝ち。42年ぶりに阪神競馬場で開催された。父・典弘と三組目の父子制覇。
第83回2022年アスクビクターモア

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