プロフィール
身長は167cmで血液型はO型。
愛称は「てっちゃん」「TK」「先生」「テツ」などがある。
概要
音楽プロデューサーとしては20作品ものミリオンセラーソングを世に出し、内4作品はダブルミリオンという驚異の功績を持つ、1990年代の音楽シーンを語る上では欠かせない存在。
また、彼が残した功績は数字だけにとどまらず、現在社会人の世代なら一度は聴いた事があるだろう名曲も沢山生み出している。
代表作としては自身がリーダーとして所属するTM NETWORKの『Get Wild』で、1987年にTVアニメ『シティーハンター』のEDテーマとして起用された事で一躍有名となった曲である。
TKブームの到来
小室は大学生だった1970年代後期から既にプロのミュージシャンとして作曲やバックバンドでの演奏といった様々な活動をしていたが、1984年にTM NETWORKのキーボーディストとしてのメジャーデビュー後、平行して作曲家としての活動を本格的に開始する。
1985年には岡田有希子のアルバム『十月の人魚』に作曲で2曲参加し、この時に編曲を担当した松任谷正隆氏から、その才能を高く評価されている。
音楽プロデューサーとしての才能が開花したのは、1986年に渡辺美里へ楽曲提供し大ヒット作となった『My Revolution』である。
この楽曲の制作時に編曲を担当した作曲家の大村雅朗氏との出会いにより「ヒット曲の方程式」を学んだという。
その後は松田聖子、中山美穂、小泉今日子、中森明菜といった強力な有名アイドルを筆頭に岩崎良美、荻野目洋子、沢口靖子、といった数多の歌手やアイドル、そしてCoCoや東京パフォーマンスドールといった有名アイドルグループへも次々と楽曲提供を行う。
1990年代初頭、所謂『3M』と呼ばれた三大アイドルである宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂の3人全員に楽曲提供を含むプロデュースをした作曲家は小室のみであり、この事は現在でも語り草となっている。
1989年10月28日にはTVアニメ『シティーハンター3』のOPテーマ『RUNNING TO HORIZON』で歌手としてソロデビュー。
3ヶ月連続で3枚のシングルをリリースし、同年12月9日には1stアルバム『Digitalian is eating breakfast』をリリースする。
シングルはオリコン週間チャートで最高1位、アルバムは最高4位と好成績を残している。
また、この期間には角川映画の『ぼくらの七日間戦争』や『天と地と』といった劇場用映画作品を始め、ミュージカル作品の『Mademoiselle Mozart』やテレビドラマの『二十歳の約束』の劇中音楽を担当し、それぞれサウンドトラックをソロ名義の作品として制作している。
中には当時「超魔術」と「ハンドパワー」で大人気だったMr.マリックとコラボしたインストゥルメンタル・アルバム『Psychic Entertainment Sound』といった変わり種もあった(6曲目にはMr.マリックによるナレーションが入っている)。
さらに1993年にはtrfをデビューさせ、2枚目のシングル『EZ DO DANCE』で早々にブレイクした事により、後述する『小室ファミリー』による『TKブーム』を確立させる兆しとなった。
1994年には東京パフォーマンスドールのメンバーだった篠原涼子を見出だしてプロデュースし、シングル『恋しさとせつなさと心強さと』が200万枚以上も売り上げる大成功となる。
この頃にフジテレビ系列の音楽番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』に小室が『篠原涼子 with t.komuro』として出演した際、番組司会のダウンタウン浜田雅功がトーク中のリップサービスで「小室さん!俺にもヒット曲をプロデュースして下さいよ!」と無茶振りをした事がきっかけで意気投合し、1995年に浜田と小室の2人による伝説のユニット『H Jungle with t』を結成した。
ユニット名は、浜田のイニシャルである「H」と「スケベ、性行為、変態(HENTAI)」の隠語である「エッチ」、そして小室が当時傾倒していた音楽ジャンルであるジャングルが掛けられている。
『H Jungle with t』のデビューシングルとなる『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント~』は楽曲制作にTRFのDJ KOO、後にglobeのメンバーとなるマーク・パンサー、そして小室の一番弟子であり影武者でもある久保こーじといった錚々たるメンバーが参加し、ボーカルパートのレコーディングの際には浜田雅功の相方であるダウンタウン松本人志がゲストボーカルとして飛び入り参加し、奇妙なラップと浜田との思い出を語るナレーションを担当した。
マスコミを集めた『H Jungle with t』結成の記者会見で小室は「セールスは軽くミリオン(100万枚)は行くと思います」と自信満々の発言をし、シングルA面曲(所謂1曲目の「RADIO EDIT」)を「願掛け」の意味も込めて『2 Million Mix(直訳すると「200万ミックス」)』とネーミングしたのだが、なんと予告通りに1995年3月15日にリリースした『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント~』のシングルは200万枚を越える大ヒットを記録した。
最終的に『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント~』は1995年のオリコン年間シングルチャートでは2位を記録、レンタルCDチャートでも1位を記録し、この曲で『H Jungle with t』は年末のNHK紅白歌合戦にDJ KOOとマーク・パンサーを加えた4人で出場した。
その後も『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント~』は小室と浜田の2人の代表作として今なお語り継がれ、多くの人々から末永く愛され続ける名曲となった。
こうして、音楽プロデューサーとして全盛期を迎えた1995年には自らがリーダー兼キーボードとして参加したglobeを始め、安室奈美恵や華原朋美にhitomiと云った女性歌手を次々とプロデュースし、翌1996年になると彼女達に提供した曲が飛ぶように売れてミリオンセールスを連発したこともあり、彼からプロデュースを受けたアーティストは皆一概に『小室ファミリー』と呼ばれ、このアーティスト達によって巻き起こった一大音楽ブームをメディアは小室のイニシャル「TK(Tetsuya Komuro)」から名付けた『TKブーム』と呼んだ。
TKブームの終焉
小室は1990年代にミリオンセラーを連発したことにより、オリコンチャートでの通算売上は、作曲家として筒美京平に次ぐ歴代2位、作詞家として阿久悠、秋元康、松本隆に続く歴代4位となっている。
一方で金銭感覚が一般人と比べかなりズレておりルーズなこと、女性に対しては飽きやすくだらしがないことで有名で、実際に彼と結婚し僅か10ヶ月でスピード離婚(実子あり)した2人目の嫁である吉田麻美からは養育費と慰謝料の支払い滞りにより賠償請求までされた事例すらある。
1999年1月には華原朋美との破局トラブル騒動があり、2001年には人気絶頂期だった鈴木あみが当時の所属事務所とSonyMusicへの不信感から彼女の父親が訴訟を起こして独立を企てるが失敗して活動不能になるといったトラブルも報じられた。
次々と新しいミュージシャンが台頭する中、1997年にはビジネス上のトラブルからエイベックスの取締役だった松浦勝人と副取締役の千葉龍平と関係が破綻し、エイベックスと断絶。
自身がメンバーのglobeと産休で休業中だった安室奈美恵を残し、TRFやhitomiといったデビューからプロデュースを手掛けてきたエイベックス関連の『小室ファミリー』の契約更新を次々と切られてしまう。
それどころか、小室から「ヒット楽曲の方法論」を学んだ松浦勝人からはELTや浜崎あゆみといった強力な対抗馬を次々とぶつけられ、その反発故に小室の楽曲は次第に大衆的なJ-POPの枠を外れ、当時の「世間の流行りの音楽」とは全く異なる、所謂「マニアックなジャンル」であったヒップホップやトランスへと傾倒して行く事になる。
やがて、小室の作る音楽は大衆から「古くさくて難解なもの」だと認識されてしまい、更には音楽の流行が目まぐるしく入れ換わる中で小室が得意としたダンス・ミュージックが世間から完全に飽きられてしまったことに加え、1998年に香港を拠点に起業した音楽エンターテイメントプロダクション『ROJAM ENTERTAINMENT』の商業的失敗などの相次ぐトラブルも重なり、2001年頃には既にプロデューサーとしての『TKブランド』は完全に崩壊していた。
むしろ安室奈美恵やhitomiのように、彼の元を完全に離れた『元・小室ファミリー』の方が結果的に大きな成功を収めているのも皮肉な話である。
楽曲発売の主なレーベルはSony Music Entertainment(TM NETWORKデビュー~終了までの初期10年間はEpic/Sony Recordsから、1999年からはTRUE KiSS DiSC)とavex trax(globeはavex globe)からが多かったが、2001年に『ROJAM』が経営破綻し吉本興業に買収される騒動があってからはソニーグループとはほぼ縁切り状態となっていた。
TM NETWORKのデビュー当初から何かと小室を可愛がり、世話を焼いていたEpic/Sony Recordsの創始者である丸山茂雄氏は「彼に権限を持たせて増長させたのが間違いだった。ビジネスとマネジメントには優秀なブレーンを付けて、あくまでも一人の天才音楽家としてのアーティスト活動を徹底させるべきだった。」と後に述懐している。
しかし、2023年にTM NETWORKがSony Music Labelsに移籍する等、近年は関係が修復された模様。
2001年5月、『ROJAM』の株を買収した吉本興業の音楽部門である『R & C JAPAN(現・よしもとミュージック)』にプライベートレーベルである『gaball screen』を設立して移籍し、小室哲哉本人が吉本興業ビルの巨大広告になったりバラエティー番組のコントに出演したりもした。
この頃に『Kiss Destination』としてコンビでユニットを組んで活動していた2人目の嫁である吉田麻美と破局し、スピード離婚している。
一部の古参ファンからはこの吉本興業在籍期間を『吉本暗黒期』や『黒歴史』等と揶揄され呆れられる始末。
作曲家としてはバブル青田の『ジーザス』や、TVアニメ『ケロロ軍曹』の主題歌を吉本興業所属の芸人を起用して何曲か提供したのだが、後述の逮捕劇により2008年には契約打ち切りとなる。
2002年11月22日、俗に言う「いい夫婦の日」にglobeのKEIKOと結婚。小室はこれが三度目の結婚となった。
逮捕
2008年11月4日、楽曲の著作権を譲渡する際に5億円を騙し取ったとして詐欺容疑で逮捕され、音楽業界に衝撃を与えた。
この時、捜査員に連行された際の小室の所持金は僅か数千円だったという。
世間では、絶頂期の総資産は100億円を超えていたという小室の「転落劇」が話題になった。
11月21日に起訴され、同日にエイベックスと妻のKEIKOが保釈金3000万円を支払い釈放される。
2009年1月21日に大阪地方裁判所で初公判。3月12日には第二回公判が行われる。
この第二回公判直前の3月10日に、小室と過去に絶縁していた筈のエイベックス代表取締役の松浦勝人が「小室さんにはかつて世話になった恩義がある」とポケットマネーから解決金を含めた6億5000万円を支払い、詐欺事件の被害者に完済していた。
これにより小室は経済的にも精神的にも救われることになるのだった。
2009年5月11日、大阪地方裁判所より「懲役3年、執行猶予5年の有罪判決」が言い渡される。
弁護側、検察側共に控訴せず、同年5月25日午前0時をもって刑が確定。
その後はエイベックス・グループ代表である松浦勝人の協力の下、正式にエイベックスにミュージシャンとして移籍。
長期間仲違いしたままだった副社長の千葉龍平とも和解した。
2010年にAAAのシングル『逢いたい理由 / Dream After Dream ~夢から醒めた夢~』で再び作曲家として復帰。
オリコンシングルチャートで1位を獲得し、まだまだ全盛期ほどではないにせよ作曲家としての「勢い」を取り戻した。
しかし、2011年10月24日に妻のKEIKOが自宅で倒れて都内の病院に緊急搬送される事態に。
幸いにも傍に小室が居たことで迅速に対応ができたが、医師から『くも膜下出血』と診断され緊急手術を行う。手術は無事に成功するが、KEIKOは高次脳機能障害を患ってしまい、歌手としては無期限活動休止となるのだった。
2015年12月、パチンコ業界に参入し、2016年2月から自身の提供楽曲を使用したパチンコ台『CR PROJECT TK』を販売することを発表し、色々な意味でファンを不安にさせた。
突然の引退騒動
2018年1月19日、看護師である女性との不倫疑惑記事が前日発売の『週刊文春』に掲載されたことを受け、突如音楽活動からの引退を表明した。
小室は会見では女性との不倫関係を否定した上で、「妻のKEIKOの介護をする中で、C型肝炎や左耳の突発性難聴により左耳がほとんど聞こえなくなったことで、自身の創作能力の限界を感じていた」ことを明かしている。
所謂『文春砲』に対抗した引退劇だったが、小室が「KEIKOの介護をしていなかった」「引退会見から一年以上もKEIKOが住むマンションには全く帰って来ず、生活費すら1円も入れていない」と追加の『文春砲』を喰らう羽目になるだけだった。
もっとも、KEIKOの母親や姉ですら知らないプライベートな事を何故かアレコレと知っている「自称・KEIKOの親族」やら、松浦勝人社長本人か「エイベックスに潜り込んでいる産業スパイ」だとしか思えないほど異様に内部事情に詳しい「小室をよく知る音楽業界関係者」が記事に頻繁に出てくる辺りで色々と胡散臭い話ではあるのだが…。
1990年代は安室奈美恵、氷室京介とともに「平成の三室」とも呼ばれていたが、氷室は2016年5月の最後のライブですでに歌手業を引退、安室も小室が引退する以前の40歳の誕生日に翌年の9月16日に引退する事を予告しており、奇遇にも平成の元号が終わる直前に「三室全員が挙って表舞台から引退」する結末となってしまった。
そして復帰~現在
引退会見から2年半ほど経過した2020年7月16日、乃木坂46の配信限定シングル『Route246』の作曲を担当していたことが明かされ、音楽界に復帰を果たす。
小室と35年来の付き合いである総合プロデューサーの秋元康は「曲を書いてよ」と何度もラブコールを送っていたと明かしており、小室本人も「悩みに悩んだ結果」楽譜を書き上げた。
秋元康からのオファーは「小室哲哉の王道っぽい、懐かしい感じの曲を」と云う内容だったのだが、無意識の反発から「自分らしくない斬新な曲」を作ろうとしてしまい悪戦苦闘し、後に「結果的に秋元ちゃんからはリテイクも7回も喰らってた」と明かしている。
2021年2月26日、離婚調停中だったKEIKOとの離婚が成立。これでバツ3となった。
同年10月1日に小室は「今しばらく音楽をやらせてください。働かせてください。」と云うコメントを世間に向けて発信し、自身の本格的な音楽業界への現役復帰を報告するとともに『TM NETWORK』として宇都宮隆と木根尚登と共にメンバー3人での音楽活動も再開する事を発表した。
2022年大晦日の紅白歌合戦には篠原涼子の『恋しさとせつなさと心強さと2023』の伴奏として登場し、視聴者を驚かせた。
独特のマーケティング戦略
小室は現在どんなジャンルの音楽が流行っているか、またはどんな音楽がこれから流行るか、自分のファン層の傾向や推移などを研究し、それに合わせたジャンルの音楽を研究・制作するというマーケティング戦略を得意とする。
その先見性は異常なほどに正確で、音楽センスと共に彼に与えられし先天的才能だといえる。
落ち目になっていた2000年前後ですら「2000年代はR&Bが一世を風靡する」と言い当てていた。
小室が「自分を完全に終わらせた歌手」として宇多田ヒカルの名前をよく挙げていたが、1990年代の終わりに彗星のごとく突如現れ、CD歴代売上ランキングをあっさりと塗り替えてしまった宇多田ヒカルがデビュー時に得意としたジャンルもまたR&Bであった。
また、その宇多田ヒカルが「私の最も好きな邦楽」だと公言している楽曲がTM NETWORKの『Get Wild』であるというのは、なんとも皮肉な話である。
また、例外として、globeの売り上げが落ち込み始めた1998年頃にブレイクしたL'Arc~en~cielだけは小室は自分の計算外の売れ方をしていたと語っており「時代の中心はラルク」「globeのファン層はラルクに流れた」とすら主張し特別視していた。
globeの『wanna Be A Dreammaker』はラルクの曲(おそらく『浸食 lose control』)を意識して作られ、この曲から始まるシングル4枚連続リリースも、ラルクのシングル3枚同時リリースを意識して行われたというのは有名な話である。
小室にとってラルクとはそれだけ特別な存在であり、2015年にはglobeの20周年を記念して発売されたカバーアルバムに収録されている『DEPARTURES』をカバーするアーティストに小室自らボーカルのHYDEを指名し、曲のアレンジも全て自分が徹底的に行うほどの力の入れようである。
また、X JAPANのYOSHIKI同様マスコミを集めて派手な記者会見を開いたり、TV番組出演もアーティストによくありがちな新譜発売前後ではなく4月や10月などの番組編成期や特番の多い夏休みや年末年始に集中させる事で「ユニットの特別感」を出すなどマスコミ受けの良い演出も得意としていた。
しかしいくら先見の明があっても「時代の波」には逆らえず、次第に小室の音楽は世間から飽きられ、売り上げも落ち込んでいってしまった。
1990年代に社会現象を起こすほどのミリオンヒットを量産したものの、彼がプロデュースをした所謂『小室ファミリー』の中に2000年代に入っても音楽シーンの頂点に君臨し続けた歌手が安室奈美恵を除いてほぼ皆無であるのが小室最大の悲劇と言える。
その安室奈美恵の根強い人気も、小室を離れセルフプロデュース転向後の彼女個人の努力の比の方が圧倒的に大きく、小室の力であるとは言えない。
1999年7月に、5年ぶりに復活したTM NETWORKだったが、1994年4月21日の『TMN終了宣言』での解散劇からたったの5年間で既に栄光は遠い過去のものとなっており、TM NETWORK復活後の主なファン層は「僕が売った物ならば例え消しゴムでも15万個は買ってくれるファンがいるんだ」と小室がかつて自虐的に語っていた、通称『消しゴム信者』と呼ばれるマニアックなマイナー層ばかりで、残りは目立った動きがある時だけ懐かしさに釣られて来る出戻りファンという不安定な有り様であり、かつて大量に居た筈の『TKブーム』から入ってきた新規ファン層の獲得はできなかった。
一方のglobeは2003年にYOSHIKIを新メンバーに加えて約6年ぶりに東京ドーム公演を開催する筈だったのだが、予想に反して全くチケットが売れず、表向きは「SARS風邪蔓延対策による公演中止」と云うことにして計画は完全に白紙になった。
TRFですら最近注目を浴びているのはDJ KOOの奇抜なキャラクター性と懐メロ需要による一時的な再評価と云う傾向が強い。
小室は表舞台への復活こそ実現できたが、結局それはエイベックス・グループ代表の松浦勝人の尽力が大きく、「1990年代後半のたった数年間だけ社会現象を起こした過去の人」のイメージを払拭することはできず、「音楽シーンを常にリードし続ける現役アーティスト」に返り咲くことは出来なかった。
一方、彼が嫉妬したL'Arc~en~cielも、親友のYOSHIKIが率いるX JAPANも、後輩の松本孝弘のB'zも依然大量のフォロワーを抱え、音楽シーンのトップの座に君臨し続けているのが何とも皮肉である。
近年では過去の小室ファミリーにCDの売上枚数では敵わないが、5~10年近いブランクがあっても根強いファンに支えられ、東京ドーム級の会場であっても余裕で満員にするアーティストも珍しくない。
彼が「自分には絶対に勝てないだろう」と高を括っていた後輩たちに続々と追い抜かれ、その差が全く埋まらないどころか遠く引き離され続けることになってしまったのである。
小室が詐欺に手を染めざるを得なくなるほど音楽面で追い詰められたのはこういった理由からなのかもしれない。
余談
魚嫌い
かなりの偏食家であり、大の魚嫌い。
魚嫌いの原因は幼い頃、目の前に鯉のぼりが突然落ちてきて恐怖したのがトラウマになったからというもの。
ファミレス大好き
ファミレスのメニューが大好きで、TM NETWORKのEpic/Sony Records時代に東海ラジオの番組企画内で組んだ変名バンドの名前が『ハンバーグ&カニクリームコロッケ』だった。
由来は『すかいらーく』でお気に入りだったメニューだから。
『神社でB/恋のながら族』というシングルレコードが番組の通販で売られていた。
スーパーウェーブ小室の担当はギターである。
多摩ネットワーク
TM NETWORKの「TM」は小室の希望によるネーミング。
地域性を出そうと『立川ボーイズ』だの『多摩丘陵』だの『タマ・ズー』だのとネーミング案を出していくうちに、木根尚登が当時流行っていたメン・アットワークの語感から「ネットワークって単語は使えない?」と提案し、小室は地元「三多摩地区」に強いこだわりがあったために、最初は『TaMa NETWORK』と名付けた。
だが、宇都宮隆の「でもタマはカッチョ悪くない?」の一言により略して『TM NETWORK』となった。
後に所属レコード会社であるEpic/Sony Recordsの意向により再ネーミングを提案されたが、小室のアイデアで「TMはTime Machineの略」と云うことになり、漸くEpic/Sony Records側を納得させられた。
吉本暗黒期
あるTV番組で漫画の『ケロロ軍曹』にハマっていると述べていたことがあった。
この縁か、アニメ版『ケロロ軍曹』でOPとEDの曲を提供していたことがある。
所謂「吉本興業からのゴリ押し企画」である、『ガチコラ』のプロモーションを兼ねたものである。
お笑いバラエティー番組の『笑う犬の冒険』では内村光良が演じていたコント『ハンサム侍』で『超ハンサム侍』としてゲスト出演していた頃があった。
演じた本人は緊張していたためか、ウッチャンとのセリフが揃わず噛みまくりだった。
これらは、所謂『吉本暗黒期』の『黒歴史』エピソードのほんの一角である。
小室みつ子
TM NETWORKや自身のソロ楽曲では、シンガーソングライターであり、作詞家でもある『小室みつ子』に歌詞を依頼する事が多いが、苗字が同じなのはただの偶然であり縁戚関係はない。
小室哲哉がラジオ番組等で小室みつ子に「お姉さん」と呼びかけたりするのは完全にネタである。
盟友YOSHIKIの真逆な金銭感覚
全盛期はミリオンヒットを連発し100億稼いだと言われる小室だが、実は同時期ミリオンヒットをほとんど持っていないはずの親友のYOSHIKI(X JAPAN)も小室とほぼ同額を稼いでいたと知って驚いたという。
その理由はXのデビュー前後から著作権や印税について徹底的に勉強しており、エクスタシーレコード時代から自作曲のほとんどの原盤権を握っていたため(普通にレコード会社と契約した場合、印税の取り分の大半はレコード会社に取られ原盤権も握られることが多い)。
原盤権や印税の重要性を物語るエピソードである。
怪盤
『TKブーム』時代に名曲や名盤を大量に生み出した一方で、「駄作」「怪作」と言われても仕方がないレベルの作品も少なからず発表している。
特に破局寸前の時期に出された華原朋美の『nine cubes』と、SonyMusicとの亀裂が生じていた頃に出された鈴木亜美の『INFINITY EIGHTEEN Vol.2』は、ボーカルの精神状態の不安定さと小室の覇気のなさからくるディレクションの適当さも相まって、ボーカルテイクの音程が外れ気味で病的だったり、曲調と歌唱のテンションが全く噛み合ってなかったりと様々な理由で2大怪盤とも揶揄されている。
B級アイドルマニア
有名な話かもしれないが、1980年代はB級アイドルマニアとしても知られている。
メジャーなアイドルにも多数の楽曲提供をしているが、本人がファン過ぎて楽曲提供を申し出た相手は当時のB級アイドルで現在はレポーターである八木さおりだったり、最初の結婚相手は元アイドルコンビの『キララとウララ』の大谷香奈子だったりする。
その素養が1990年代のブームに生かされているのかもしれない。
内田裕也ファミリー
TM NETWORKでのデビュー以前に、安岡力也の『ホタテのロックンロール』の編曲や白竜のバックバンドなど、内田裕也関連の活動がある。
一時期は年末の『ニューイヤーロックフェス』にプレイヤーとして参加している。
2002年に行われた前妻KEIKOとの結婚式に内田裕也・安岡力也・白竜という、どこからどう見てもVシネマかヤクザかという取り合わせで参加していたのは、そのためだと思われる。
アニメ・ゲーム・特撮関係の仕事
小室は活動の節々でアニメ主題歌を手がけている。
1987年に『ザ・ベストテン』と『ミュージックステーション』に初出演したときの楽曲である、TVアニメ『シティハンター』のEDテーマである『Get Wild』が最も有名であろう。
その1年後の1988年には劇場版アニメ映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の主題歌『BEYOND THE TIME (メビウスの宇宙を越えて)』をTM NETWORKとしてリリースしている。
さらに1994年4月21日の『TMN終了宣言』によってTMNが解散した3ヶ月後の7月21日には、劇場版アニメ映画『ストリートファイターⅡ』の主題歌『恋しさとせつなさと心強さと』(『篠原涼子 with t.komuro』名義)をリリースして大ヒットさせている。
この曲は日本国内で過去に発売されたアニメ主題歌では最多の約220万枚という売上枚数を誇る。
この3曲はいずれも後付けタイアップなどではなく、作品ありきの楽曲として作られているという共通点があり、とくに『恋しさとせつなさと心強さと』では当初提出した楽曲に対し監督からNGが出され、その際に「trfの『寒い夜だから…』みたいな、イントロで爆発する感じで」というリクエストに応じた結果が、あのイントロのドラムである。
なお、本人のソロデビュー作は、アルバムが1985年のOVA『吸血鬼ハンターD』のサウンドトラックで、シングルが1989年のTVアニメ『シティーハンター3』のOPテーマ曲『RUNNING TO HORIZON』である。
ということは「アルバムもシングルもデビュー作がアニメに関する楽曲の歌手」とも言えなくはない。
ちなみに、『RUNNING TO HORIZON』はオリコンの週間シングルチャートで1位を獲得。そして続く2枚目のシングル『GRAVITY OF LOVE』でも1位を獲得し、こちらはなんと松田聖子の持っていた「シングル25作品連続1位の記録」を止めたシングルになるといった快挙をも成し遂げている。
ただし、音楽プロデューサーとしての全盛期には小室から声優へのオリジナル楽曲の提供は全くない。
1995年に小室が作曲した『ナースエンジェルりりかSOS』のOPテーマ『恋をするたびに傷つきやすく…』を主演の麻生かほ里がサウンドトラックでカバーした程度である。
2008年に詐欺容疑で逮捕され、翌年の裁判で有罪確定となった執行猶予中に作曲家として復帰した2010年以降は声優にもオリジナル楽曲を積極的に提供するようになり、日笠陽子にアルバム曲を提供したり南條愛乃属するfripSideの楽曲を共作したりしている。
2015年にはフジテレビ系ノイタミナ枠で4月期に放送されたアニメ『パンチライン』の劇中音楽制作を担当。
劇中BGMを纏めたオリジナル・サウンドトラックの制作と同時に、アニメ劇中で使用された下記のキャラクター用のテーマソングを多数作曲している。
(CV:雨宮天)
これらのキャラクターが歌う劇中歌は『パンチライン』の特装限定版Blu-ray/DVDに特典CDとして封入された。
また、上記の特装限定版を特定の条件を満たして全巻予約購入すると、アニメの最終話で流れた雨宮天の楽曲『約束の彼方』のCDがプレゼントされた。
2017年、スマートフォンアプリゲーム『アイドリッシュセブン』のユニット『TRIGGER』に楽曲提供したことで話題となる。1stフルアルバム『REGALITY』の収録曲『DAYBREAK INTERLUDE』と九条天のソロ楽曲『U COMPLETE ME』の作曲を担当。これは本人自身がTV番組の企画やよほど自分と気が合う人物で無い限り、男性アーティストには楽曲を書かない為、なおさら話題となったようだ…。
さらに同年には仮面ライダービルドの主題歌『Be The One』(浅倉大介と共作)を提供。日曜朝が「スーパー小室タイム」となった。
2022年、何と東方Projectにも関わり、東方界隈における大ヒットアレンジ曲『Bad Apple!! feat. nomico』をREMIXしたバージョンを、アプリゲームの『東方ダンマクカグラ』でプレイできる曲として手掛けたことで、東方界隈から大きな話題となった。
元々のバージョンのアレンジ曲を手掛けたMasayoshi Minoshimaは、小室哲哉に影響を受けたことが語られており、その縁がこの特別なREMIX曲を実現したといっても過言ではない。
そして、1988年の『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』から36年が経った2024年、T.M.Revolutionの西川貴教と「TMコンビ」を組み、劇場版アニメ『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』の主題歌である『FREEDOM』を『西川貴教 with t.komuro』名義でリリースすることが決定し、小室はプロデュースと作詞作曲を手がける。
1月24日にCDを【オリジナルガンプラ付き完全生産限定盤】と【通常盤】の2形態で発売、同時にダウンロード配信も開始。
初週DL数1.8万DL(17,532DL)を記録し、翌週1月31日発表の最新「オリコン週間デジタルシングル(単曲)ランキング」で初登場1位となった。
これには小室が自身の公式X(旧Twitter)にて「いつ以来かわからない、一位」「この年齢で、まさかのです!」と喜びを覗かせていた。
その他の関連人物
秋元康
上述したように、2021年の音楽業界への二度目の現場復帰に大きく関わった人物。
「作詞・秋元×作曲・小室」のタッグはやしきたかじんの生涯最後のシングルとなった2010年の『その時の空』以来であるが、実は1980年代後半から既に原田知世や堀ちえみに提供した楽曲等で数々の共同制作を行っている。
松本孝弘
TM NETWORKの全盛期である1985年~1989年までライブにサポートギタリストで参加。
スタジオでのレコーディングにも参加している。
小室曰く「TMの時の松っちゃんは優等生のギター」だそうな。
浅倉大介
1990年の「TMNリニューアル宣言」後から2年ほどシンセベース等のサポート演奏で参加。
小室を師と仰ぎ、心から敬愛している。
後に小室と2人で音楽ユニット『PANDORA』を組む。
久保こーじ
TM NETWORKのデビュー前から小室の下で作曲家と音楽プロデューサーとしての実力を磨いてきた、浅倉大介と並んで「小室先生の一番弟子」を自称する程の人物。
『小室ファミリー』と『TKブーム』は、彼のサポート無くしては語れないほどの重要人物である。
その実力は、小室がテレビ東京系列で放送していたバラエティ番組『ASAYAN』の名物コーナーである『コムロギャルソン』に多忙で出演できなくなった際に、彼をピンチヒッターとして「僕の影武者」「僕よりも僕らしい曲を作れる唯一無二の存在」だと推薦した程である。
YOSHIKI
X名義時代からの旧友。
小室と2人で伝説の音楽ユニット『V2』を組んでいたこともある。
globe
軟式globe
テレビ番組『学校へ行こう!』に出ていたパーク・マンサーとKOIKEによるglobeのパロディーコンビ。
番組の企画でKEIKOとの結婚式に乱入されて共演。
柴田亜美
自身をモデルとした漫画作品『TKman』を黙認。
NAOKI
ゲーム『pop'n music』では彼にリミックスされた『GET WILD』がプレイ可能。
L'Arc~en~ciel
上述したように小室がかなり影響を受けたバンド。
宇多田ヒカル
ラルクと並んで小室が特別視している存在。
「自身を作曲家として完全に終わらせたのは彼女だった」とメディアで度々発言している。
浜崎あゆみ
KEIKOが病気療養中のため、逮捕後はエイベックス社長の松浦勝人への恩返しも兼ねて、専ら彼女に楽曲を提供し、ひところは専属ボーカリストのような扱いを受けていた。
彼女に最初に楽曲提供したのは2001年の浜崎あゆみ&KEIKO名義の『A song is born』である。
日笠陽子
オリジナルアルバム『Glamorous Songs』の収録曲『Through the Looking-Glass』の作曲を担当。
日笠自身が安室奈美恵の熱烈なファンということもあり、以前からコラボを切望されていたものを小室側が受け入れて実現したもの。
宮迫博之
転落の仕方がそっくりな芸能人。
上述通り小室も吉本興業に在籍していたため、天方直美と組んだ『2AM』名義で『enemy of life』を提供している。