韓国
かんこく
概要
首都 | ソウル特別市 |
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面積 | 10万363平方キロメートル |
人口 | 5143万9038人(2022年12月) |
建国 | 1948年8月15日(第一共和国の確立) |
公用語 | 朝鮮語 |
国花 | ムクゲ |
通貨 | ウォン |
国家元首(職) | 大統領 |
政体 | 大統領制 共和国 |
大韓民国(だいかんみんこく、朝鮮語:대한민국、英語:Republic of Korea、通称:韓国)は、東アジアの朝鮮半島(韓半島)に位置する共和国。日本での正式名称は大韓民国。憲法上は半島全域を領土としているが、軍事境界線で北朝鮮と分断されており、実効支配領域は半島南部に限られている。人口は2022年12月の時点では5143万9038人である。
日本国と並ぶ東アジアの先進国として位置付けられている(台湾、香港、マカオは政治的な問題から先進国に含まないこともある)。
歴史
大韓民国建国前
1945年9月に太平洋戦争が集結し、日本がポツダム宣言を受託した事で朝鮮は日本の統治から離脱したが、同年2月のヤルタ協定で連合国首脳は戦後の朝鮮をアメリカ合衆国(アメリカ)・イギリス・中華民国・ソビエト連邦(ソ連)の4か国による信託統治下に置く事を決定していた。しかし冷戦によるアメリカとソ連の対立が深まり、38度線を境に朝鮮半島は2つに分断される。
第一共和国
1948年8月15日、大韓民国がそれまで朝鮮半島の38度線以南を占領していた在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁(USAMGIK)の統治を引き継いで成立した。この時期はアメリカの支持を背景に李承晩(イ・スンマン)大統領が独裁的に振る舞った。
1950年6月、韓国と北朝鮮の間で朝鮮戦争が勃発する。1953年7月の休戦までの間に国土は荒廃し、日本統治時代に築かれたインフラは釜山周辺を除いて破壊され、経済はアジアの最貧国にまで後退した。
1952年1月、李大統領は、日本の領海を韓国側に組み込んだと一方的に宣言した。その際に韓国の民兵組織が竹島を占拠し、現在に至る領土問題がもたらされた。
李承晩による権力の私物化により、第一共和国では腐敗が蔓延し、暴力団が横行した。1960年4月19日に行われた学生によるデモを契機に政変が発生し、李はハワイに亡命して憲法改正を実施した(四月革命)。
第二共和国
四月革命後、1960年7月29日に新しい議会選挙が実施され、韓国は第二共和制に移行する。第二共和制が歴代の韓国の政権と違うのは、議院内閣制で国務総理(首相)に権力があった点である。この時の大統領は尹潽善であるが、張勉(チャン・ミョン)が国務総理を務め実質的な権力を握っていた。独裁打倒の余勢を駆って朝鮮の統一を求める学生運動が台頭し、政治的に不安定な状況が続いた。
第三共和国
1961年5月に朴正煕(パク・チョンヒ)のクーデターにより、国家再建最高会議による軍政が敷かれる。これがそのまま朴が大統領を務める形の民政に移行することで成立したのが第三共和国である。
1965年6月に日本と日韓基本条約を締結して外交関係を樹立し、この際に日本が支払った賠償金(名目は経済援助金)を原資に経済発展に邁進してアジア有数の工業国となった(漢江の奇跡)。ベトナム戦争では韓国軍を派遣してアメリカから経済援助を引き出した。
第四共和国
1971年の大統領選挙で朴正煕大統領は3選を果たしたものの、野党・新民党の大統領候補として出馬した金大中候補に95万票余りの差にまで攻め寄られた。これに危機感を覚えた朴大統領はソウル市一円に衛戍令を発令、12月には全土に国家非常事態を宣言し反政府勢力への締め付けを強める。
1972年10月、朴大統領は非常戒厳令下で国民投票を実施し、憲法改正を断行する。大統領の多選禁止規定を撤廃し、大統領の直接選挙を撤廃して間接選挙制に改めるなど、朴の終身独裁を可能としたものだった。
1979年10月26日に朴大統領の古い友人であった金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部部長によって、酒宴の席において朴正煕大統領が暗殺される。その後崔圭夏(チェ・ギュハ)が暫定的に大統領に就任するが、その政治的基盤の脆弱さから朴政権下で子飼いの実力者として保安司令官の座にあった、全斗煥(チョン・ドゥファン)率いる新軍部(ハナフェ)と呼ばれるグループの台頭を許した。軍部の掌握を目的とした12・12粛軍クーデターと、それに反対するデモに参加した民衆が虐殺された光州事件が発生するが、「北朝鮮の扇動による暴動」とされた。
第五共和国
1980年9月に全斗煥が大統領に就任し、同時に憲法改正が実施されて第五共和国へ移行する。朴大統領の路線を継承し経済優先の政策が進められ、国民の関心をスポーツや娯楽に逸らそうとオリンピック招致・野球とサッカーなどのプロスポーツリーグの設立などがなされた(3S政策)。
しかし、国民の民主化への期待はかつてないほど高まり、光州事件における虐殺的鎮圧の実相も明らかにされ、1987年6月には「6・10デモ」という全国規模の大規模なデモも発生、大統領直接選挙制改憲実現などの一連の民主化措置を約束する「6・29宣言」を全斗煥政権から引き出した。
第六共和国
1987年12月に大統領直接選挙が実現し、韓国は第六共和国に移行する。
1988年2月に金大中陣営と金泳三陣営の分裂に助けられる形で大統領に就任したのは、軍人出身で新軍部のメンバーであった盧泰愚(ノ・テウ)であった。しかし民主化を求める声に抗しきれず、院政を目論んだ全斗煥の政界追放などを行わざるを得なくなり、1987年10月の第六共和国憲法制定を経て、ソウルオリンピック・国際連合加盟を果たした。
1993年2月に金泳三(キム・ヨンサム)大統領が就任し、韓国は文民政権に移行した。朴正煕政権以来32年間続いていた軍事政権はようやく消滅したが、金泳三は在任中にアジア通貨危機を引き起こしたので評価は低い。この当時日本から単独金融支援を引き出そうとするも、拒絶されて通貨危機に巻き込まれた。拒絶されたのは金泳三自身の反日発言が原因だとも言われている。
1998年2月に軍事政権に長らく抑圧を受けてきた金大中(キム・デジュン)が大統領に就任し、韓国史上初めて進歩主義の大統領が誕生する。金大中は北朝鮮や日本に対して融和姿勢をとり、南北会談や日韓サッカーワールドカップを実現させた(太陽政策)。
また、日本の大衆文化を開放した事で、韓国の若者が日本に抱く嫌悪感を薄れさせるのに大いに尽力し、韓国軍の自国民虐殺である済州島四・三事件に対して「済州四・三真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」を打ち出したり、ベトナム戦争での残虐行為に対し謝罪する意思を明らかにしたり、北朝鮮との南北首脳会談を実現させる(6.15南北共同宣言)など、外交・人権の面で大きな前進を実現しノーベル平和賞を受賞した。しかし内政においては経済危機下で国際通貨基金の介入を招き、新自由主義改革により貧富の格差が大きく拡大した。
2003年2月に進歩主義から金政権の後継として擁立された盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権では、金政権の北朝鮮への融和姿勢を引き継ぐと共に「左派新自由主義」路線を継承した。しかし北朝鮮への経済援助は核実験の実施により裏切られ、行き詰まった盧政権は保守化した。一方で日本に対しては文民政権の正当性を確立するために、対日強硬政策へと舵を大きく切り直した。最終的には不正資金疑惑やイラク派兵の実施から支持者も離反し、選挙では保守派の李明博(イ・ミョンバク)に惨敗した。
2008年2月に発足した李明博政権でも、盧政権に引き続き新自由主義経済改革路線を走った。ちなみにこの時に経済政策のアドバイザーを務めたのが竹中平蔵である。その為韓国は後述のような激しい競争社会と化した。アメリカとの自由貿易協定に代表されるグローバル資本主義推進・財閥企業偏重政策の為、韓国の地場産業は衰退の一途をたどった。貧困と失業は拡大を続け、広がる社会不安を取り繕う為に政府は国民に海外出稼ぎを奨励し、用日姿勢を強める事となった。その為日本においては韓流の急激な浸透・嫌韓感情の拡大を同時に招く事になる。
2013年2月に朴正煕の娘である朴槿恵(パク・クネ)が大統領に就任した。しかしながら汚職の事実などが明らかとなって2016年12月に罷免され、2017年3月に逮捕された。ここからしばらく大統領は空席の期間が生じる。
2017年5月にようやく実施された選挙によって文在寅が大統領となる。文在寅は前政権の腐敗を弾劾して政権についた関係上、前政権が日本と締結した従軍慰安婦問題に関する合意に疑義を呈している一方、それが日本との交流を阻害する事があってはならないと公言するなど、玉虫色の対応を取っている。しかし結果的には国交正常化後の歴代政権において最も対日関係を悪化させた大統領であり、日本では否定的意見が目立った。
2022年5月に尹錫悦が対立候補の李在明との僅差によって勝利し、大統領に就任する。
彼の名前の読み方についてであるが、歴代大統領の中でも最も難読の名前であり、少なくとも大統領就任直後においては報道機関によって揺れがあり、ソギョル、ソンヨル、ソクヨル、ソンニョルなど、現在は各報道機関にて読み方にバラツキがある。この記事ではピクシブ百科事典の記事名であるるソンニョル読みを採用する。
宗教
主な宗教はキリスト教・仏教である。総人口のうち約2割が仏教・約3割がキリスト教である。その他朝鮮伝統のシャーマニズムや宗教としての儒教が存在する。世論調査専門機関のWIN-ギャラップ・インターナショナルの調査によると、2015年4月時点で韓国における無宗教人口は49パーセントで、中でも無神論者は6パーセントであり、世界の国々で12位である。2016年12月19日に韓国のテレビ局MBCは自国の無宗教率が50パーセントを超えたと報道した。
キリスト教はプロテスタント諸派が最も多く、次点でカトリックである。日本同様正教会の信徒は少ない。キリスト教、特にプロテスタント3割、という宗教人口は急速に形成されたものである。日本同様朝鮮でもキリスト教はかつて迫害の対象だった。韓国における、信徒数の急速な増大は「リバイバル」と呼ばれることもある。また統一教会などのような他国でも活動している大規模な新興宗教団体も存在する。
政治
政体は大統領制の共和国で、大統領は任期が5年で再選は不可能である。これは軍事独裁政権の反省からであり、これに加えて大統領の権限についての改正は現職には適用されない。詳しくは韓国大統領を参照して欲しい。地域閥意識が強い文化を持ち、選挙の際には激しい地域対立が顔を出すが、最近はソウル一極集中の為地域対立の影響は薄れつつある。国会では激しい乱闘が名物になっており、ハンマー・チェーンソーなどの武器が持ち出され、負傷者が出るほどである。
社会と経済
韓国経済を特徴づけるのが、政権と結びついた財閥支配と、国外に依存した(外需主導の)経済である。韓国の社会問題としてしばしば語られる極端な学歴社会、格差社会、少子高齢化は、いずれもこういった韓国の経済構造から派生している。
もっとも、財閥偏重・外需主導の経済はサムスン電子に代表されるグローバル企業の強さとして肯定的に語られることもあり、内需に頼り「ガラパゴス化」した近年の日本企業の衰退と対照的として、引き合いに出されることもある。
財閥支配
韓国には俗に10大財閥と呼ばれる有力財閥が存在し、それぞれ特定のオーナー一族が支配している。しかし中小企業や中堅企業が十分に育っておらず、財閥の系列に属さない会社に入ると生活できないとまで言われ、これがソウル大学を頂点とした学歴社会と教育熱を生んでいる。また財閥に入った後も一族に成り上がりを巻き込んだ激烈な権力闘争が待ち構えており、財閥の後継者争い、現金の飛び交う買収合戦、財閥一族のスキャンダルは韓流ドラマや経済雑誌でも(虚実取り混ぜて)しばしば取り上げられ、日本でもよく知られている。
これまでの韓国の大統領には財閥改革に乗り出す者もいたが、財閥支配に手をつけることが経済混乱に繋がることが多く、結局は成功できずにいる。かつては、財閥のオーナー一族が財閥の権力を傘に着た暴行などの不埒な行為に及んでも不問に付され、経済犯罪で検挙されても執行猶予が付きうやむやにされることが常態化していたと言われ、これが韓国人の司法不信の原因ともなっている。2014年の「ナッツリターン事件」は韓国人の財閥支配への反発と司法不信が爆発した騒動であった。
なお、別に韓国の大企業の全てが同族経営というわけではなく、ポスコや韓国電力公社のように財閥に属さない(政府系)有力企業もある。
人口減少
韓国では2000年代を境に合計特殊出生率(出生率については少子化を参照)が急激に下降しており、特に2018年以降は先進国の中でも歴史上初の1.0を下回る0.98を記録し、2022年には遂に0.78まで低下してしまった。これは日本と比べるまでも無く、世界的にも例のない低水準である。加えて韓国の総人口は元々日本の半分にも満たない為、日本以上に急激な人口減少及び少子高齢化が進行している。
脱北者
韓国には北朝鮮から抜け出した脱北者を受け入れる義務と用意がある。亡命の意思がある場合、大統領ら韓国政府の介入などが無ければ強制送還される事はまず無いものの例外がある。韓国に亡命した脱北者は公的な支援施設で様々な支援を受けて韓国社会で経済基盤を築き、馴染む為の取り組みを実施する。しかし長年に渡って影響を受けた北朝鮮の価値観と韓国社会との乖離・脱北者に対する偏見(現在の進歩系から水差す存在感と称されたりも)などもあってうまくいかない事が多く、社会問題の1つとなっている。
国際関係
アメリカ合衆国
1882年5月に外交関係を樹立し、この時に平和友好通商航海条約を締結した。1949年1月にアメリカは大韓民国を韓国の唯一の合法政府として正式に承認し、同年3月に新たに外交関係を樹立した。1953年10月に米韓相互防衛条約が締結され、韓国はアメリカと同盟関係になった。
大韓民国の建国にも深く関わっており、韓国の生みの親とも言える。
日本
1965年12月に外交関係を樹立し、この時に同年6月に締結された日韓基本条約発効を機に、政治・経済・文化などの交流が密接になった。かつては日本から韓国への一方通行に近く、現在の韓国文化にもあらゆる側面で日本の影響が色濃い。
一方で韓国政府も力を入れている韓流ブームによって日本でもファッション・メイクなどの韓国文化の流入が強まっており、特にその影響は若者で著しい。現状では日本人の韓国への興味は政治・芸能方面が中心で、その他ではオンラインゲーム・食文化に対する関心が特に高い。
広報やブームの影響で韓国がどんな所なのか詳しく知りたいと思うようになり、歴史や社会といったその国そのものに触れる部分に関心を持つ人もいるが、海外のニュース(中央日報やCNNなど)やネット百科(ウィキペディアなど)で韓国について調べて見ると、他の国(特に日本)からすると刺激の強い事実(一例)を偶然知る事もある為、調べる際には注意が必要。
また、韓国を好む人々やまとめサイト等によって発信されている情報もあるが、それらの中には韓国を賛美する(2015年末にあった前述の朴槿恵発言で従順する保守系の為に其れ以降、2大政党とした意見分断を招き発言に対抗する現在の進歩系を中心とする)為に韓国にとって不都合な事実を「下世話」「差別」などと称し真偽問わず韓国にとって都合の良い情報のみを広めようとする者や、ネタに振り切りすぎるあまり情報を拡大解釈して発信する者など、個人や団体の思想や意図を盛り込んだ虚偽や誇張が混ざったものが存在する場合もあり、元となる情報や根拠を調べて真偽や詳細を確かめる必要がある。
欠陥をネタにされているK9自走榴弾砲も調べてみれば各国に評価されていたり、世界的に人気と報じられる事があるK-POPも、調べてみればファンによるランキング操作があったりと、発信されている情報を調べたら印象が変わるというのはよくある話である。
中国
歴史的な繋がりも深い上に文化的にも地理的にも近い為、アメリカとは別の意味で韓国の生みの親と言える。
貿易面では中国に依存している事が多く、ネットニュース等でよく報じられている。
また、その時の韓国政権によって対中政策のやり方が異なる。
限韓令を解除してもらおうと三不一限という約束をした政権もあれば、前政権が行った約束を無視してTHAAD基地の正常化を発表し、韓中首脳会談での話し合いをした政権もある。