ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

5000形

ごせんがたまたはごせんけい

鉄道車両の形式の一つ。会社によっては系列の呼称でもある。
目次 [非表示]

「系」と「形」の表記は鉄道事業者ごとに異なり、「形」を用いたとしても読み仮名が「がた」ではなく「けい」となっている事業者もあり非常にややこしい。

本項では「5001形」も併せて掲載する。


内閣鉄道院 5000形編集

1872年の日本最初の鉄道開業に合わせてイギリスのシャープ・スチュアート社から2両を輸入した車軸配置0-4-2(B1)のテンダ式蒸気機関車。

0-4-2はヨーロッパでは主流の軸配置ではあったが、先輪がなく動輪の摩耗が激しいためか日本で導入された機関車では本形式が唯一であった。

同時に輸入したタンク機関車とは異なり阪神地区での運用を前提に発注され、当初はA・Bとアルファベットで命名された。その後京浜地区用タンク機関車の連番である11・12に改番されたが、1876年に京浜地区の機関車を奇数、阪神地区の機関車を偶数に改番したためそれぞれ4・2に改番。1894年にO形と形式名が与えられ、1898年の鉄道作業局形式分類ではD1形とされた。

1909年に形式称号規定が改正され5000形となる。このころは沼津駅で入換機として使用されていたが、1913年に5000号機が神戸に、5001号機が東京に移り、1921年までに全車廃車となった。

廃車の翌年に鉄道開業50周年が控えていたことから5000号機の保存が決まり、汐留駅構内に保管されていたが関東大震災で被災、その後は大井工場内の御料車庫に放置されていたが1940年頃に金属供出により解体された。


鉄道省 キハニ5000形編集

1929年に国鉄の前身である鉄道省が導入したガソリンカー。鉄道省初の内燃動車である。

閑散線区での単行運転を目的に汽車製造日本車輌東京支店、新潟鐵工所で計12両が製造された。

基本設計は同時期の31系電車やオハ31系客車に準じており、台枠構造は日本車輌が製造していた二軸式ガソリンカーと同様である。

当初はぶどう色1号に赤帯の塗装が施されたが、後に黄かっ色2号と青3号の気動車標準色に塗り替えられた。

搭載エンジンは海軍の内火艇用に開発された縦型4ストローク直列4気筒ガソリンエンジンで、変速機は4段機械式。

頑丈な設計だったがそれに対する搭載エンジンの出力が不足し、所期の目的を達成することはできなかったが、故障は少なく戦時中の燃料統制で気動車が運用を離脱するなかでもエンジンを取り外し客車に転用して運用された。

救援車ヤ5010形→エ810形に転用されたキハニ5005が苗穂工場に保存されている。


鉄道省 トラ5000形編集

国鉄の前身である鉄道省が1941年に導入した無蓋車

戦時中の輸送力増強のため車体を限界までに伸ばした「長トラ」グループに属する車両で、あおり戸と妻部が鋼板製。150両が製造されたが、以後はあおり戸と妻部も木製化されたトラ6000形に移行した。

終戦時点で147両が残存していたが、1953年までに全車両がトラ6000形に改造された。


日本国有鉄道 ワキ5000形編集

国鉄が1965年から1969年にかけて導入した有蓋車

プレス加工の鋼板を用いた近代的な30t積み有蓋車で、製造時期によって車体構造や台車などに差異が見られる。

1515両が製造され、国鉄分割民営化時点で1303両が残存し混載貨物や紙輸送に用いられていたが、コンテナ輸送やワム80000形に置換えられる形で数を減らしJR貨物では2002年に形式消滅。救援車として残されていた車両も2018年までに全車廃車となり形式消滅した。


日本国有鉄道 ヨ5000形編集

国鉄が1959年から1968年にかけて導入した車掌車

最高速度85km/hに対応する車掌車として、ヨ3500形を改造した車両。

100両が当初よりヨ5000形として製造されたが、ヨ3500形から改造編入された総数が不明であるため総製造数は不明。

ヨ6000形ヨ8000形の登場後も居住性が良好であったことから乗務員からは好評だった。

1986年に貨物列車の緩急車連結が廃止になったことで大部分が廃車となり、国鉄分割民営化時点でJR東日本に5両が引き継がれたが老朽化に伴い全車廃車となった。

京都鉄道博物館にヨ5008号車が保存されているほか、駅舎に転用されたものも存在する。

ヨ5000


札幌市交通局 5000形編集

札幌市営地下鉄南北線・前

1995年より導入された札幌市営地下鉄南北線向け通勤形電車。

ゴムタイヤで走行する札幌市営地下鉄は、開業当初に13.5m級車体の小型車両を導入し、さらに一部の駅ではホームの両端に階段を設置してしまった故にホームの延長も出来ず長年にわたり輸送力不足に悩まされてきた。

車両を大型化・ドアの数を増やしこの問題を一挙に解決するため、本形式は18m4ドア、ボギー車とした。開業当初の1000形2000形のほか、2012年までに3000形も置き換え、南北線は5000形に統一。ホームドアが設置可能となった。

北海道内で唯一の4ドア車でもある。

ドア数の相違から乗車位置が従来車と異なっており、3000形の引退までは本形式と従来車で乗車位置が分けられていた。


福島交通 5000形編集

福島交通では5000形を名乗る形式が2代同時に存在した。


初代は飯坂線用に1963年に導入した電車。沿線の宅地化に伴い輸送力増強が求められたことで導入された。

福井鉄道200形に似た連接車だったが、駆動方式はツリカケ駆動だった。

準同型の5100形5300形と共通で運用され、1991年の飯坂線架線電圧昇圧に伴い廃車となった。


2代目は1980年と1982年に譲受した東京急行電鉄5000系(初代)

5300形の続番として5020~5023が与えられ、1982年に導入した2両は中間車に運転台を取り付けて先頭車化している。

ベンチレーターを押込式に、前照灯をシールドビーム2灯に交換し、架線電圧を750Vに降圧した。

こちらも1991年の飯坂線架線電圧昇圧に伴い廃車となった。


関東鉄道 キハ5000形編集

[ドット絵] 関東鉄道 気動車3種

関東鉄道が2009年に導入した、単行運転用の気動車キハ5000形


小田急電鉄 5000形編集

小田急電鉄には5000形を名乗る形式が3代にわたって登場している。


小田急キハ5000形気動車編集

唯一無二のディーゼル特急

現在の特急「ふじさん」の原形ともいえる、御殿場線直通運転向けの気動車。キハ5000形


小田急5000形電車(初代)編集

小田急5200形

1969年に登場した最後の「小田急顔」の電車。小田急5000形


小田急5000形電車(2代目)編集

鉄面画 小田急5000形(2代目)

2019年度より投入する小田急の通勤形電車小田急5000形


東京都交通局 5000形編集

東京都交通局では路面電車(都電)および地下鉄電車として2代存在した。


東京市電気局5000形編集

都電5000形

都政施行前の1930年より製造が開始された半鋼製電車。東京市電では初の半鋼製車だった。

1930年に12両が製造された後、年間12両ずつ増備する計画だったが昭和恐慌や戦時体制の移行により実現せず、1943年に12両が増備され計24両にとどまっている。

1次車は製造時にはタイフォンを装備していたが、音が大きすぎたため従来車と同じフートゴングに交換された。

13m級車体の重厚なスタイルが特徴の3扉車だったが、中扉は手動だったため後に使用を停止され、1957年に2扉に改造された。

この際に2次車は車体更新を行い中扉を埋めたが、1次車は後扉を撤去し中扉を後寄りに移設したためそれぞれ改造後の扉配置が異なるほか、1次車は交通局芝浦工場と大栄車輛、2次車はナニワ工機と交通局芝浦工場とそれぞれ別々の工場で改造が行われており、改造を担当した事業者と工場ごとに細部の形態が異なっていたとされる。

大型車だったことから後の5500形同様運用可能な線区が限られ、1967年から1968年にかけて全車廃車となった。

西東京市内に5011号車が保存されたほか、新宿歴史博物館に実物大レプリカが展示されている。

かつては5001号車および5017号車も都内で保存されていたが現存しない。


都営地下鉄5000形編集

【HD都営03】パンタのついた地下鉄電車【浅草線5000形】

1960年の浅草線開業に合わせて製造された地下鉄用通勤形電車京急京成との乗り入れ協定に合わせ、車体は18m級3扉鋼製車体としたが、側扉は両開き式であった。

高速性能が悪く京急線内で急行運転を行った際にはほとんど力行状態で走行していたとされる。

1962年に製造された2次車までは2両編成、1963年に製造された3次車以降は4両編成が組まれた。

当初はクリームとオレンジのツートンカラーに銀帯を配した塗装だったが、1981年に車体更新を行った際にクリーム色に赤帯の塗装に変更された。

1995年に運行を終了。引退するまで非冷房のままであった。

なお、これとは別に1976年に製造され2006年に運行を終了した5200形は、当初「5000形6次車」として営業入りしたものである。


東京消防庁消防学校において訓練用機材として5069号車の一部のみが残されているが原則非公開である。

このほか5089号車と5092号車が馬込車両工場内に保管されていたが後に解体され現存しない。


都営地下鉄E5000形編集

東京都交通局において現在「5000形」を名乗る形式であり、日本の地下鉄においては唯一の電気機関車。⇒E5000形


流鉄 5000形編集

短時間挑戦 3267

定期列車の全列車2両編成・ワンマン運転化のため、西武鉄道新101系電車を流鉄が譲受したもの。製造は西武所沢工場東急車輛製造

2両編成5本が在籍し、編成ごとに愛称を設定している。


編成愛称塗装備考
クモハ5101+クモハ5001流馬(3代目)水色+白帯2017年7月30日まで
さくら薄桃色+濃桃帯2018年8月23日から
クモハ5102+クモハ5002流星(3代目)橙色+白帯2019年夏まで
橙色+青帯2020年1月21日から
クモハ5103+クモハ5003あかぎ(2代目)臙脂色+白帯
クモハ5104+クモハ5003若葉(3代目)黄緑色+白帯2021年秋まで
翡翠色+濃緑帯2022年12月1日から
クモハ5105+クモハ5005なの花(3代目)黄色+黄緑帯

2021年から2024年にかけて、5003編成「あかぎ」の全般検査と5005編成「なの花」の不具合の関係で先に検査を終えたクモハ5003と異常がなかったクモハ5105による黄色と臙脂色の混色編成が組まれ「オムライス電車」と称された。


北陸鉄道 5000形編集

北陸鉄道が1951年に導入した車両。製造は大阪府堺市に存在した広瀬車両。

元々は大聖寺駅・動橋駅から山代・山中温泉、粟津駅から粟津温泉を結ぶ加南線に投入されたもので、同時期に石川総線系統に導入された準同型車5100形は普通屋根・ロングシートであったのに対し、観光需要を考慮し張り上げ屋根に向かい合わせクロスシート(扉付近はロングシート)を装備していた。

従来運用されていた1800形が15m級車体の直接制御車だったのに対し、17m級車体に間接制御を採用した車両であり加南線の代表的存在となった。


加南線のエースとして活躍したものの、1964年にさらにデラックスな電車が投入されたが故に加南線を追われ石川総線(石川線、能美線、金名線)に転属。

1965年から1966年にかけて走行性能の向上と機器類の仕様統一を目的に、親会社となった名古屋鉄道から譲り受けたAL車の廃車発生品のモーターや制御機器に交換。内装も5100形に合わせオールロングシートに改造され形式名を3750形に改めた。


さらに1983年から1984年にかけ、外板の取り換えや前面の行先表示器設置などの延命工事を施している。


東京急行電鉄から7000系を導入してからも扉部分のステップ撤去などの改造を施し、区間運転やイベント列車などで活躍を続けたものの、京王電鉄から電車を購入することになったため、それに入れ替わる形で2006年と2007年に廃車となった。

3751は石川県加賀市内に、3752は千葉県いすみ市ポッポの丘にそれぞれ保存されている。


京福電気鉄道 5001形編集

えちぜん鉄道MC5001形

京福電気鉄道福井鉄道部(現:えちぜん鉄道)が1999年に導入した電車。

経営難に陥り新車の導入もおぼつかなくなった福井鉄道部が沿線自治体からの補助を受け、阪神電気鉄道傘下の武庫川車両工業(現:阪神車両メンテナンス)で2両を製造した福井鉄道部最後の自社発注車である。

車体こそ新造しているが冷房装置と台車とモーターは豊橋鉄道1900系、制御装置とブレーキは阪神5261形から流用している。豊橋鉄道1900系の台車とモーターはそれぞれ国鉄101系111系の流用であり、再流用した形になる。

5001号車がフクイサウルスをあしらった「ダイナソートレイン」、5002号車がクリーム色をベースに青帯と黄色いストライプを配したデザインになったが、運行開始からわずか1年半後の2001年6月24日に保田駅発坂駅間で発生した正面衝突事故で大破した5002号車が廃車。福井鉄道部では2000年12月17日に発生した事故からわずか半年後の正面衝突事故であり、福井鉄道部は路線を全廃、第三セクターえちぜん鉄道に移管することとなった。

残った5001号車はえちぜん鉄道MC5001形として引き続き運用に就いている。


松本電気鉄道 5000形編集

松本電気鉄道(現:アルピコ交通)が1986年に架線電圧を1500Vに昇圧するのに合わせて東京急行電鉄5000系(初代)を譲受した車両。

2両編成4本が導入され、3本は松本駅側の車両を電装解除し固定編成、残る1本は連結面側に前面貫通型の運転台を増設した両運転台車を背中合わせに連結した編成であった。

上高地線の主力形式となったが、非冷房であったことと車体・機器の老朽化から1999年から2000年にかけて京王電鉄から譲渡された3000形に置換えられ全車廃車となった。

5005+5006編成が長らく新村駅隣接の新村車庫内に保存されていた。2011年に東急時代のグリーン単色塗装に変更された後、2020年に群馬県前橋市富士見町赤城高原に陸送され、デハ3450形と共に保存されている。


富士急行 5000形編集

【HD富士急01】富士急初の冷房車【5000形】

富士急行(現:富士山麓電気鉄道)が1975年に導入した電車。事故廃車になった3100形の補充と将来の増備車の先行試作を兼ねて2両編成1本が導入された。

衝突対策として高運転台を採用、車体の裾を絞ったスタイルなど「東海形」と呼ばれる国鉄近郊型電車に似た車体形状を採用しているが、前面は前照灯を上部に配置した独自のスタイルを採用している。

2扉セミクロスシートで富士急行の車両としては初めて冷房を装備した。

地方私鉄としては意欲的な設計が評価され1976年に鉄道友の会ローレル賞を受賞したが、富士急行の自社発注車は本形式が最後となった。

富士急ハイランドのイベントに合わせてキャラクターをあしらった車体塗装に変更されることが多く、2007年に内装も『きかんしゃトーマス』のキャラクターをあしらったものに変更し、以後は「トーマスランド号」として運用に就いた。

老朽化と部品確保の問題で2019年に廃車となり、モハ5001が下吉田駅の「下吉田ブルートレインテラス」に保存されている。


名古屋鉄道 ワム5000形編集

大元は名古屋鉄道常滑線名古屋本線西尾線の一部の前身である愛知電気鉄道が1924年から1925年にかけて53両を導入した15t積み木造有蓋車

同時期に準同型の通風車ツム5500形が製造されている。

名鉄合併後も形式名はそのまま引き継がれ、常滑線から常滑焼を輸送し国鉄線内にも乗り入れていた。

6両が渥美線に転属し、1954年に渥美線が豊橋鉄道に譲渡されるとそのまま豊橋鉄道に譲渡された。

ヨンサントオダイヤ改正に伴い国鉄の貨物列車が75km/hに引き上げられた際、老朽化していたことで速度向上改造が出来なかったことで1968年までに全車廃車となった。

豊橋鉄道の車両はワム20形に改称され、1984年まで運用された。

ワム21が伊良湖フラワーパークに保存されたが、2005年の閉鎖に伴い撤去された。


名古屋市交通局 5000形編集

「銀電」

名古屋市営地下鉄東山線用の通勤形電車。

1980年(昭和55年)、東山線初の冷房車として登場した。製造当初は打子式ATSを搭載していたが、後にCS-ATCへ取り替えられている。後期に製造された車両には、車内案内表示装置もついていた。

老朽化の進行とホームドアに対応する機器の搭載スペースが無かったことからN1000形に置き換えられ、2015年(平成27年)8月に引退した。


引退後、一部の車両がアルゼンチンに譲渡されている。

名古屋市交通局5000形


阪神電気鉄道 5001形編集

阪神5001形

阪神電気鉄道が各駅停車用に導入した「ジェットカー」の1形式。

1958年に製造された初代と1977年から1981年にかけて製造された2代目が存在する。

阪神5001形


神戸市交通局 5000形編集

神戸市営地下鉄海岸線(Pixivの車窓から風)

神戸市営地下鉄海岸線用の通勤形電車。

2001年(平成13年)7月7日の海岸線開業とともに営業運転を開始している。主回路はVVVFインバーター制御で電動機は鉄輪式リニアモーターリニア地下鉄)である。

6両編成を想定して設計されているものの、現状においては4両編成で運行されている。

車両番号標記の書体は神戸市電のものを踏襲した西神・山手線用車両とは異なり独自のものを採用している。

映画『交渉人真下正義』では東京都内を運行する架空の地下鉄東京トランスポーテーションレールウェイ東陽線(東京地下鉄東西線に相当する路線)の車両として撮影に使用されている。


広島電鉄 5000形編集

【HD広電03】ドイツ生まれの超低床車【5000形】

広島電鉄が1999年に導入した車両で、5車体3台車形式の路面電車。愛称は『Green mover』(グリーンムーバー)。

ドイツ・シーメンス社(導入当初はデュワグ社。ただし電装品はシーメンス製)の超低床電車「コンビーノ」をベースとして国内向けに仕様変更したもの。日本国内を走る唯一のコンビーノである。全長が軌道法の規定である30m以内に収まりきらなかったために特認扱いとなっている。

5001号車はロシアの航空会社の輸送機・アントノフAn-124に積み込まれて空輸され、「ドイツから空を飛んできた電車」として話題になった。

なお残りの11編成は船で海上輸送されている。

2004年にリコール修繕により実家(製造国)のオーストリアに一時的に出戻りしたこともある。広島電鉄5000形


伊予鉄道 5000形編集

伊予鉄道新型車両 5000形

伊予鉄道2100形に続く低床型路面電車車両。2017年運行開始。

先代の低床車両が小型化が過ぎて積み残しを出すなど問題が多発したため、その改良型として登場した。

客室の拡張や外吊りドアの採用などの結果、定員は60人となり2100形の定員・47人よりも収容力が増加した。

今後は旧型車両の置き換えとして当形式を増備する方針。


西日本鉄道 5000形編集

西鉄天神大牟田線5000形

西日本鉄道西鉄)の通勤形電車。

1975年に西鉄大牟田線に登場した車両で、西鉄で最も数の多い車両(136両)である。編成単位では1988年まで、中間車は1991年まで増備された。4両編成と3両編成で組成されて最大7両編成(過去は8両編成)まで組成可能である。

外見上の特徴は、前面運転席側のみ曲面ガラスを用いた左右非対称前面である。

2014年に3両編成1本が事業用車に改造されたが、その車体色は末期色もとい、まっ黄色である。

なお、西鉄の鉄道線車両では「形」を「けい」と呼ぶ。

長年にわたり西鉄電車の通勤型として主力を務めてきたが、後継車両の登場により徐々に廃車が出始めている。


筑豊電気鉄道 5000形編集

筑豊電気鉄道初のカルダン駆動車・初のVVVF制御車両であり、初のバリアフリー対応低床車である。2015年運転開始。車体色は第一編成はピンク、第二編成(タイトル画像)はライトグリーンである。

国と福岡県、沿線自治体である北九州市・中間市・直方市からの財政支援により、2018年度までに計4編成が導入された。

同一設計の兄弟車両として阪堺電気軌道1001形電車がある。なおこちらも筑鉄と同じく沿線自治体からの財政支援により導入された。


長崎電気軌道 5000形編集

紅白巫女×紅白電車

長崎電気軌道2011年に導入を開始した車両で、3車体2台車形式の路面電車。同社としては3000形に次いで2形式目となる超低床車である。

アルナ車両製の「リトルダンサーUa」に属する車両で、2012年に第2編成が増備され、7年後の2019年に第3編成が増備された。


熊本電気鉄道 5000形編集

熊本電鉄5000形5101A号車/青ガエル

熊本電気鉄道が1981年と1985年に導入した電車。

老朽化した従来車の置換えのため東京急行電鉄5000系(初代)を譲り受けたもので、1981年に片運転台の2両編成1本、1985年に連結面側に運転台を増設した5両を譲受した。

片運転台車は東急時代のグリーンのまま運用されたが、両運転台車はワンマン運転対応工事を施工され黄色とオレンジ色の帯を配している。

1986年に片運転台車のうち5043が両運転台化されたが5044はそのまま休車となった。

1991年に200形と同じ水色と青の新塗装に塗り替えられたが、冷房化が困難であることと老朽化に伴い6000形に置換えられる形で廃車が進められた。

末期は5101・5102の2両がライトグリーン単色に戻され、上熊本駅北熊本駅間の区間運用に使用されていた。

01系の導入に伴い定期運用を離脱、5102は2015年に廃車となった。5101は2016年に引退したが、その後も北熊本駅構内で動態保存されている。


熊本市交通局 5000形編集

ツロくま2019

熊本市交通局が1976年と1979年に導入した路面電車車両。製造は川崎車輛

元々は西日本鉄道が導入した1000形で、西鉄福岡市内線の規模が縮小され余剰となったところを、逆に全面廃止が撤回されたことで輸送力増強が求められた熊本市交通局に4編成8両が譲渡された。形式名は昭和50年代に導入したことから命名された。

車両番号は1000番台をそのまま5000番台に振り替えただけのため、5012・5013は欠番となっている。

ラッシュ時やイベントで運用されたが、9700形0800形などの低床車の導入に伴い廃車が進み、2002年に西鉄時代の塗装に復刻された5014編成を除き2009年までに全車廃車となり、5014編成も長らく休車状態となったが、2016年に西鉄筑紫車両基地で修理を実施、ICカードリーダー、ドライブレコーダー、降車ボタンの設置などを行い2017年に運用に復帰した。


関連タグ編集

5000系 鉄道 電車 鉄道車両の形式の一覧

4900形 5100形

関連記事

親記事

鉄道車両の形式の一覧 てつどうしゃりょうのけいしきのいちらん

子記事

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 69186

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました