概要
「気性難」とは競走馬がレースに使うのに不都合な性質を持っていること。
かかり癖、さぼり癖、ゲート嫌い、臆病、馴致を拒むなど様々な性質が挙げられる。
サラブレッドの気性が荒い理由
通常何かしらの動物を家畜化する際、気性が大人しくて人に従順な個体を繁殖させ、能力が高くても気性が荒い個体は去勢などを行って繁殖できないようにする。
しかし、競走馬のサラブレッドに求められたことは足の速さが第一で、従順さや扱い易さなどは二の次であったことに加え、気性が荒いことは裏を返せば勝負根性の強さにも繋がることから、気性が荒い馬も強いからと言う理由で掛け合わせ続けた結果とんでもなく気性が荒くなり、中には気性改善のために去勢されたり、調教を拒み続けたことで競走馬になることすら出来ずに廃用となってしまうケースもしばしある。
無論全ての競走馬が気性難な訳ではなく大人しくても強い馬もいる、馬によっては調教や競馬が原因で気性難になっている場合もあり、競走馬を引退すると大人しくなる馬も多い。
一方で、引退後種付けを始めると気性が荒くなる馬もいる(スペシャルウィークなど)。
一般的には暴れ馬が気性難と呼ばれやすいが、広義では臆病な馬(カブラヤオー・ナリタブライアン)、人間に対しては温厚だが折り合いをつけるのが難しい馬(サイレンススズカ・ディープインパクトなど)も含む場合がある。
なお、レースや調教のストレスから荒れる馬も多く、そういうタイプは引退後に穏やかな気性になることが多いようだ。
もっとも、レースで結果を残せない競走馬の辿る運命を考えれば、勝利のために厳しい調教を施すことは必要なことでもある。
ある程度の気性難は、経済動物としての競走馬の宿痾なのかもしれない。
気性難で有名な馬・日本編
シンザン
日本競馬史上二頭目の三冠馬であり、同時に日本競馬に長きにわたり多大な影響を与え続けた神馬として知られる。
シンザンの本項において語るべきエピソードとして知られるのは、本番以外は走るのを拒否するレベルの調教(練習)嫌い。
あまりにも嫌い過ぎてステップレースを調教代わりに使用せざるを得ず、陣営も能力的には充分にあり得ただろう無敗三冠を最初から捨てていたという。
このため「(シンザンは)ゼニのかかっていないところでは走らない」とまで言われた。
実際、レースが終わるとさっさと引き上げてしまうレベルで本番以外に興味がない。このため、競馬の神様と言われた大川慶次郎氏は一度もシンザンに本命を打たなかったほど。
この本番以外に走らないというシンザンのその性格をほぼ引き継いでしまっているような馬が後述のウシュバテソーロである。なお、ウシュバテソーロにはシンザンの血は一滴も入っていない。
カブラヤオー
『狂気の逃げ馬』の異名を持つ、1975年の二冠馬。
玉砕覚悟とも言える破滅的なペースでひたすら大逃げを打つ、もしくは大外を回って差し切るという荒唐無稽な戦法にも拘らず、13戦11勝という極めて安定した戦績を残した(負けたレースは逃げ戦法が確立される前のデビュー戦と、ゲート内で頭をぶつけ脳震盪を起こしたまま走ったレース)。
そのハイペースは殺人ラップとまで言われ、皐月賞では競りかけてきた馬が故障して本当に命を落としたり、ダービーではどう見てもヘロヘロにバテているのにド根性(としか言い様のない力)で再加速して逃げ切ったりと、恐ろしいレースぶりを見せた。
引退後、その逃げ戦法の理由が「馬群を極端に怖がる気性だったため、その本能のまま逃げまくるしかなかった」からだと明かされた(弱点にもなるため、カブラヤオーの気性は現役中は陣営内での機密事項だった)。
その走りは体の屈強さもあってこそだが、捕食者から逃げる野生馬のごとき必死さによって生まれたものだったと言える。
シンボリルドルフ
日本初となる無敗でのクラシック三冠達成馬にして、これまた初となるGⅠ7勝を挙げた七冠馬。
人前では堂々としていたもののプライベートではかなり気難しい性格で、ついたあだ名は「ライオン」。そのためスタッフは彼を怒らせないようにいつも気を遣い、また他の馬もルドルフを畏れたという。
さらには狡猾な面もあり、勝てる分だけ走ったら手を抜き減速する癖を持っていた。
だが裏を返せばどうすれば勝てるかを自分で分かっていたということでもあり、鞍上の岡部幸雄騎手が「ルドルフに競馬を教わった」と語るダービーでのエピソードはその能力を表す代表的なエピソードである。
タマモクロス
オグリキャップと共に芦毛伝説草創期に活躍した馬。史上初の春秋天皇賞連覇やオグリキャップとの激闘など数々の実績を上げ、当時日本競馬にあった「芦毛の馬は走らない」というジンクスを払拭する一翼を担った。
しかし、デビュー当初こそ臆病だったが勝負根性と闘争心が身に付くにつれて徐々に気が荒く凶暴な性格になっていき、馴れ馴れしく触ろうとしてきた相手の指を嚙み千切ろうとした挙句柵の中に引きずり込み殺そうとした他、タイキシャトルに喧嘩を売って勝利している。
さらには調教中に放馬し暴走しながらコースを1周した際に全身打撲を負い、そのトラウマから馬運車を見ただけで怯えるようになってしまった。
ネット掲示板などで見られる
A「俺タマモクロスに触ったことあるで」
B「おっちゃん指全部ついてるからその馬タマモクロスちゃうな。馬違いや」
というジョークも有名。
その一方、何故か子供にだけは優しかったという。また生産牧場の牧場主が引退後に逢いに行くと、嬉しそうに鳴いて甘えたため厩務員が驚いたというエピソードがある。
なお、生産牧場が彼の本格化前に破産・一家離散してしまったエピソードでも有名であり、これが心の傷になっていたのではないか?という説もあるが、本当のところはタマモクロス自身にしか分からない。
イナリワン
大井競馬場から中央へ移籍し、平成三強の一角として活躍した馬。
日常的に蹴り癖があり、馬房には畳が設置されていた。
武豊騎手が調教で初騎乗した際には彼の指示を無視して全速力を出している。だがその気性の荒さが小柄な馬体に対するパワーを生み出していた。
ちなみに武騎手は平成三強全馬に騎乗経験があり、それぞれオグリキャップは「何を考えているのかわからない」、スーパークリークは「大人しくて乗りやすい」と評しているのに対し、彼に対しては「怖い」「今まで乗った中で一番気が強くパワーがある」とコメントしている。
そもそも父ミルジョージからして気性難で、この産駒に多く騎乗した柴田政人騎手曰く「ミルジョージ産駒には天才と狂気が同居したような馬が多い」という
だが引退後は大分落ち着いていき、引退先の牧場主からも賢い馬と言われていた。
サッカーボーイ
末脚を武器にマイル戦線で活躍した馬。尾花栗毛の中でも尾花栃栗毛という珍しい毛色で、「テンポイントの再来」とも呼ばれていた。
だが父ディクタスに負けず劣らず気性が非常に荒く、幼少期から牧柵を飛び越えて脱走・二足歩行などをしており「やんちゃなエピソードに事欠かない」と評されていた。
挙句引退レースの有馬記念ではゲート内で暴れ前歯を折ってしまった。それでも3着(4位入線、スーパークリークが失格になったので繰り上がり)に来ている。
引退後は「天下の社台ファームが内国産種牡馬を育てられないようでは情けない」という関係者の声や意気込みもあり、サンデーサイレンス、ブライアンズタイム、トニービンら外国産種牡馬を相手にしながら、多くの重賞馬やG1馬を輩出する活躍を見せた。
が、何故かG1級の産駒はナリタトップロードやヒシミラクルといった大人しい馬(それも末脚のキレよりもパワーやスタミナで勝負するステイヤー)が妙に多く、気性難の活躍馬はブルーイレヴンぐらい。
下記ステイゴールドは甥(全妹の息子)。引退後に同じ牧場で種牡馬入りした彼と遭遇した際にはお互い激しく威嚇し合っていた。
ゴールデンサッシュ
上記サッカーボーイの全妹。競争成績に関しては振るわなかったものの、サッカーボーイの全妹という良血である事から繁殖入りし、JRAタイ記録となる19頭の産駒を出産。2番目の子ステイゴールドと9番目の子レクレドールがそれぞれ重賞勝ちを収めた。
普段は大人しい性格ではあるのだが、放牧から帰る際に列を乱した馬に対して怒ったり、種付け時には当て馬に噛み付くなど容赦がなく、特に彼女の定めたルールに従わない馬に対しては有無を言わさず襲い掛かっていた。いうなればかなりきつめの風紀委員長という性格をしている。このルール絶対主義を最も色濃く受け継いだのが下記ステイゴールドである。
ツインターボ
玉砕型と言われる大逃げでターフをにぎわせたエンターテイナー。G3どまりながらG1馬に勝るとも劣らない人気を博し、大惨敗を繰り返していた時期ですら常に馬券人気上位に食い込んでくるほど愛された競走馬であった。
実は、馬群が苦手なうえに調教時にも人が跨るのを嫌がるという気性であり、大逃げはツインターボが唯一採れる戦法であったというのが真相。
そのため一時主戦を務めた中舘英二騎手も「乗っていて楽しい馬ではない」「もし出足がつかず馬群に飲まれたら、馬がパニックを起こして僕は死ぬかもしれないと思った」と、意外にも厳しい評価を下している。
マヤノトップガン
サクラローレル・マーベラスサンデーと共に1997年の古馬三強として活躍した馬。
逃げ・先行・差し・追い込みなど様々な戦法を駆使してGⅠ4勝を挙げたことから、特定の脚質を持たない「自在脚質」としても知られる。
しかし、その実態は気性難のため主戦の田原成貴騎手が事前に戦法を決めず、スタート後に場当たりで彼の気分に合わせた騎乗を心掛けたため。
田原騎手曰く「成績にムラがあるのも気性難が理由」なんだとか。それをやり切って勝たせる氏の腕前も大概である。
サイレンススズカ
1997年の世代の一頭であり、「異次元の逃亡者」としてその名を知られる伝説的な快速馬。
他を圧倒する大逃げから最後には末脚を発揮し、捕まることなくゴールまで走り抜く特異な能力を有しており、今なおマイル中距離における最強馬とはどの馬か? という問いかけに必ず名前が挙がるほどの名馬である。
性格自体は人懐っこいことで知られるが同時に非常に繊細な馬としても知られており、弥生賞では大好きな厩務員がいなくなって寂しくなり、ゲートをくぐってしまった。
掛かりに掛かって暴走したことも一再ではなく、クラシック戦線では才能の片鱗は見せていたがその気性の影響でトレードオフにできないほど厄介な物だった。
ステイゴールド
おそらく、現代の競馬ファンの間で気性難として最も有名な競走馬の筆頭。
シルバーコレクターとして名を馳せたが、引退レースの香港ヴァーズで劇的な勝利を収めた競走馬。だが惜敗続きだったのは、晩生型だったとか相手が強敵揃いだったとかもあるが、一番の理由は単にサボり癖があったからではないかと言われている。
彼の調教助手を務めていた池江泰寿氏は「肉やったら食うんじゃないかと思ったほど凶暴だった」と評している。
また小柄な割にボス馬気質でプライドが高く、ドバイ遠征時は食欲がすっかり落ちてしまったのに、弱みを見せたくなかったのか餌を寝床へ隠したり、他の馬に食わせたりして元気なふりをしていた(ただしステイゴールドは馬運車に乗るとレースが直近であると判断し余計なことをしないために断食して体調を整えるルーティンであるため、移送をレースが明日明後日にあると判断して食べなかった可能性があり、そのことを知っていた厩務員は特段心配していなかった)そのせいで体調不良の発覚が遅れ、ガリガリに痩せこけてしまったという(それにも拘らずレースには勝った)。
またステイゴールドは『自身にルールを課しており、それを人間側にも要求していた』節がある。
事実、主戦を務めた熊沢重文騎手も「これは譲って、ここは譲れない、というのをはっきりとさせる馬」であるため、むしろそのルールをある程度理解できればハンパな馬よりは扱いやすかったという。
また、人間がルールを逸脱したと判断すると必ずサインを出し、そのサインを無視する、或いは気が付かなかった場合には襲い掛かってくるため、そのサインを見逃さずに対応すれば襲われることはないと当時の調教助手であった池江泰寿調教師は証言しており、少なくとも理由なく暴れまわることはなかったという。
この辺りの気性は、ルール絶対主義であった母ゴールデンサッシュの影響が非常に濃いと言われている。
その他、以下のような気性難伝説を残している。
- 人間が馬房の前を通ると突進。
- 乗ろうとした人を柔軟な体を活かし回し蹴り。
- デビュー前、鞍がズレるまで人間を乗せるのを拒否し続けた結果背中にイボができた。切除後にレーザー治療をしたところ突如立ち上がって治療器を2基とも破壊。
- 左側に斜行することで騎手が追えなくし、楽をしようとする。
- 1998年ジャパンカップではスペシャルウィークの尻尾に噛みつく。
- 2001年京都大賞典ではテイエムオペラオーにタックルしようとする。結果オペラオーと並んでいたナリタトップロードと接触して落馬させ、斜行しながら1着入線するも当然失格。
- あまりに左への斜行癖が酷く、左目だけブリンカーを付けるなどして徹底的に矯正した結果、引退レースの香港ヴァーズでは右へ斜行した(ついでに落鉄もしたが猛烈な追い上げで勝った)。
こうした気性難から、ファンの間では「ドバイで勝てたのは疲労しきって騎手に逆らう気力が無くなっていたからではないか」「香港ヴァーズでは斜行した直後武豊に修正されてブチ切れ、武を振り落とそうとして全力で走ったのではないか」などという説が実しやかに囁かれている。
しかも、これだけの能力を晩年に発揮しながら本当の競争能力的な全盛期は引退後であったとされ、武豊騎手が「これだけ走れる馬を奪われたような気持ちにさせられた」と語ったほどには引退翌年に衰えるどころか強くなると自信を持たれていた。
だが、その長い現役生活で多くのファンを得て、一口馬主たちには多額の賞金をもたらし続けた彼は「理想のクラブ馬」と呼ばれ、気が付けば誰もが愛さずにいられないほどの名馬となっていたのだから分からないものである。
種牡馬としてはまさかの大成功を収めたが、産駒にも軒並み気性難を遺伝させている(ウインブライトのような例外もいるが)ことに加えて、各々が微妙かつ絶妙に気性難の方向性が違う。詳しくは下記の彼の産駒たちの項を参照のこと。
どこまでも人間の予想や思惑を覆し、己を貫き通すかのような生き様であった。
ちなみに、種牡馬になった後も隙あらばスタッフへ襲いかかっていたというが、猫にはデレデレしていた。
シルクジャスティス
知名度ではステイゴールドに譲るが同世代では彼以上の気性難とされる。
どれほど気性難かと言えば、
- 人間を背中に乗せることを拒否する。
- 調教は基本サボる。気に食わなければ走りだすこともしない。
- ようやく走り出した途端に横にすっ飛んでいき調教助手を振り落とす。
- そもそも競馬を覚えないし覚える気もない。
という有様。ステイゴールドはちゃんと教えてやればしっかり覚えてくれたことを考えると、良くこれで去勢されなかったものである。
そんな有様のシルクジャスティスだったが、同厩舎に所属していたエリモダンディーが彼の精神に変化をもたらす。エリモダンディーはシルクジャスティス同様ブライアンズタイム産駒で厩舎でも期待されていたが、身体が小さく(ドリームジャーニー程度)大人しいため他馬からのいじめにあっていた。その度にシルクジャスティスはいじめっ子を恫喝して追い払い、エリモダンディーはシルクジャスティスを慕って付いて歩くようになる。エリモダンディーと併せ馬をすると舎弟に良いところを見せたいのかシルクジャスティスも真面目に走った。
そのためか4歳になって初勝利を挙げ、同年の有馬記念にも勝利し、古馬になっての活躍が期待されたが、翌年エリモダンディーが急死するとシルクジャスティスはやる気をなくし勝てなくなってしまう。同厩舎にシルクジャスティスの調教パートナーが務まる馬がエリモダンディーしかいなかったという事情もあった。
エリモダンディーさえ無事であればどれほどの結果を残せていたであろうか。その意味では非常に惜しい馬であった。
キングヘイロー
「黄金世代」と称された強豪98世代の一角にして、何度も敗北を喫したたものの高松宮記念で唯一のGⅠ勝利を掴んだ良血馬。
だが実馬はJRAのCMやウマ娘での不屈のイメージとは真逆で、実際は超ワガママお坊ちゃまだった。
具体的には雨や砂を嫌い(実際にフェブラリーステークスに出走したが惨敗している)、揉まれるのも嫌がるため必然的に後方からの競馬になった。もちろんメンコと分厚い緑のシャドーロールを装着しており、気分が乗らないとレースをやめようとする癖まで持っていた。
そのわがままぶりには、神戸新聞杯で騎乗した岡部幸雄騎手に「調教済みとは思えないほど気性が幼い」と苦言を呈されたほど。
GI勝ち鞍は1200mの高松宮記念だけだが、2000mの皐月賞でも2着、3000mの菊花賞でも5着と、かなりのオールラウンダーっぷりを発揮している。
気性がもう少し良ければ、もしくはせめて勝負根性に繋がる気性難であれば、どれだけの能力を発揮できただろうか……。
エアシャカール
メイン画像左は彼のウマ娘の姿。
2000年の二冠馬。ダービーで7cm差の惜敗を喫したため「準三冠馬」と呼ばれた。
しかし主戦の武豊騎手に「サンデーサイレンス産駒の悪い部分を全部集めたような馬」「何を考えているのか頭の中を見てみたい」と言われるレベルでの気性難でもあり、右ヨレ癖(それも何度矯正しようとしても再発してしまうという代物)までも持っていた。
その気性の悪さたるや、彼が所属していた森秀行厩舎では誰も調教で乗りたがらず、追い切りの乗り役をくじ引きで無理やり決めた、本来なら各厩務員が一頭ずつ世話する所を彼の場合は厩舎スタッフ全員で世話をしていたという逸話が残っている。
デュランダル
追い込み馬でありながら、追い込み戦法が絶対不利とされる短距離レースで活躍した稀有な存在。
だがその実態はゲート内で落ち着けず出遅れることが多かったため、必然的に追い込み戦法を取らざるを得ないというものだった。
また顔に芝の破片が飛んでくるのを極度に嫌ったため、毎回大外へ持ち出さねばならなかった。
普段も馬房の中で大暴れするため、専用の馬房が用意されていたという。
主戦を務めた池添謙一騎手にとっては追い込み戦法を得意とするその騎乗スタイルが彼により確立されたといってもいいほどの相棒であり、池添騎手は携帯の待ち受け画像に採用するほど思い入れが深いという。
また、気性難で知られる本馬を『扱いきってしまった』ことから、「気性難?じゃあ池添乗せとけ」的な風潮を生んだとも言われ、名前に因んで「池添の心に突き刺さった(呪いの)聖剣」と呼ばれることも。
スイープトウショウ
メイン画像中央は彼女のウマ娘の姿。
「ディープを差せる」と言われた強力な末脚を武器に、牝馬として39年ぶりに宝塚記念を制した。
気は荒くなかったが非常に頑固な性質で、調教時やレース前に立ち止まり動かなくなることが多く、全然調教を積めないヒョロい体のまま出走していた。あまりに調教ができないので京都大賞典を回避という事態まで起こしている。
ゴネれば騎手が降りると覚えてしまっても困るので、主戦の池添謙一騎手は可能なかぎり下馬しないようにしていたが、よりにもよって天覧競馬だった2005年の天皇賞・秋で動くのを拒否し、係員がゲートまで牽いて池添が走ってついていく羽目に。
ディープインパクトの引退レースである2006年有馬記念でも数分間ゲートインを拒否し、無事ゲートインできると観客から拍手が沸き起こった。
他にも、池添が調教で乗ったところ吹雪の中を30分棒立ちし続けた、引退後に彼が会いに来た際には餌の人参を拒否し、やっと食べたときにも耳を絞って威嚇していたという逸話も。
池添が彼女の特集番組にて「彼女にしたい?」と尋ねられたところ「いやー、キツいでしょ」と食い気味に返答したのも納得。ただ、池添以外の人間は背に乗せることすら拒否していたという話もあり、単純に嫌っていたとも言い難い。
一方、担当の鎌田修一厩務員のことは好いており、パドックを周回する時はいつもベタベタに甘えていた。
それでも確かな実力を持つのは確か(池添曰く「走り出してしまえば素直で乗りやすかった」)で、わがまま・ツンデレなネタ馬として愛され続けた存在だった。
2015年にはオルフェーヴルとの間に子供が生まれたが、この子供も両者の気性難をばっちり受け継いでおり、気性難すぎて競走馬デビューすらできなかった(調教担当者曰く「『バカな犬』みたいな性格」)ようである。
ハーツクライ
善戦マンポジションからディープインパクトに大金星を挙げ、ドバイシーマクラシックでも逃げ切り勝ちを収めた馬。
元々神経質で蹴り癖や噛みつき癖があり、イレ込みやすい性格だった。しかしどんな相手にも物怖じしない上、気性の荒い繁殖牝馬相手にも上手に種付けをこなし、顔もイケメンだったため牝馬からはモテモテだったらしい(人間目線でも、主戦のクリストフ・ルメール騎手から「ハンサム」と評されるほどのグッドルッキングホース)。
だが、引退後も当時10歳の坂井瑠星騎手に噛みつき、そのまま馬房に引きずり込もうとするなど、気性の荒さは健在だったという。
ディープインパクト
サンデーサイレンス最高傑作と名高い無敗三冠馬にして大種牡馬。その血脈は日本のみならず全世界に広がっており、日本競馬を世界最高水準にまで押し上げた。
「猛獣」と評された全兄ブラックタイドとまるで異なり、社交的で人懐こく、大人しくマイペース。腰痛の厩務員を気遣ってゆっくり歩く……等々、関係者からは「お坊っちゃま」と呼ばれた。
これだけならばどこが気性難?となるところなのだが、レースが近いと悟ると興奮して次第にうるさくなり、ゲート内で暴れるので出遅れ癖があり、スタート直後に極端にヨレることが多く、追い込み戦法を選択せざるを得ないのに前に前に行きたがる、おまけに生まれつき蹄が薄いため故障のリスクが大きい……等々、騎手に特段の技量を要求する超絶ピーキーな競走馬だったのである。
このため、ディープインパクトに騎乗してその実力を発揮させるには武豊騎手以外の人間では不可能と言われており、逆に言えば武豊騎手がいなかったらその才能を発揮することなく埋没していたかもしれない。
種牡馬としても大成功を収めたのだが、どうやら種付けを仕事と割り切ってやっていたらしく、後年に至っては種牡馬業に嫌気が差していた。そのため、種付けするために好みの牝馬の尿の臭いを嗅がせたり、投薬によって強引に発情させる等の処置が取られていたという。
なお、走ることそのものが大好きな気質だったようで、引退後に会いに来た武豊氏を嬉々として迎えに来たものの、走るために来たのではないと分かると拗ねてしまったというエピソードがある。
ドリームジャーニー
下記オルフェーヴルの全兄。ステイゴールド産駒。
小さな馬だったが父・ステイゴールド以上に凶暴。引退後もそれは変わらず、命の危険があるという理由で主戦を務めた池添騎手ですら近づけなかった(対面できた時期もあったようで、動画が残っている)。池添騎手曰く、他の馬は戯れているようなことでもドリームジャーニーは本気で殺しにくる、とのこと。
あまりの気性難から、オルフェーヴルが来たときは「ドリームジャーニーの弟」ということで厩舎スタッフを恐れさせ(オルフェーヴルは普段おとなしいのでドリームジャーニーほどヤバくはなかった)、ファンにさえも「(オルフェーヴルやゴールドシップも)ドリームジャーニーよりはマシ」とまで言わせたとか…
そもそも父ステイゴールド、母父メジロマックイーンは本来であれば制御不能の気性難が誕生する可能性の高い『禁じ手』とされた配合であり、池江厩舎開設祝いとして配合されていなければステマ配合は行われていなかった可能性は高いという。
そんな暴れ馬であるが、実はそんな彼も慌てて謝罪した案件がある。それはドリームジャーニーが池添騎手の身体(しかも頸動脈の辺り)を噛み、その直後に血塗れの池添騎手が力なく彼に寄り掛かったというもの。これには流石のドリームジャーニーも慌てたらしく、申し訳なさそうに噛んだ部分を舐めて謝っていた。そんなこともあり、ドリームジャーニーは池添騎手に対してはその凶暴な性質が一時的にではあるが鳴りを潜め、彼に従うようになった。
彼が会えないほどに荒んだのは種牡馬生活に嫌気が差し、それを発散する場を得られなかったためと考えられている(体もモノも小さく種付けが苦手であるため)。
なお、何だかんだで池添騎手のことは気に入っているようで、関係者曰く「(池添騎手が会いに来た)その日はずっとゴキゲンだった」とのこと。歓迎する気マンマンすぎて前足立ちするなどして荒れ狂っていたという証言もあるようだが。
ちなみに、素行についてはご覧の有様だが、実は戦績にムラはあってもレース中の放馬や逸走といったやらかしは無かったりする。そういう点でも全弟オルフェーヴル(後述)とは気性難の方向性が異なるようだ。
ナカヤマフェスタ
気性難のエリート、お約束ステイゴールド産駒であり、それどころか「ステイゴールド産駒でも随一の気性難」とまで言われた。
3歳時には気性改善のために厳しく調教をしたところ逆に気性が悪化、そこで「やりたいことをやらせてやる」という方針に切り替えたためある程度マシになった。
調教が嫌だったらしく、それに伴い産駒にも気性難が多く、素質はあってもまともに走らせられない馬も出ている。
なお、引退後種牡馬入りしてからは懸念事項であった気性難は落ち着き、オヤジと違って攻撃性がなくなった(ただし、それを聞き付けた蛯名正義と対面すると威嚇し出した)。
ちなみに本馬も父ステイゴールドと同じく猫大好きであり、そりが合った父の隣の馬房で一緒に猫を愛でていた(ステイゴールド産駒は総じてボス馬気質であるため、たいていの場合産駒同士の仲がかなり悪い)。
オルフェーヴル
日本史上7頭目の三冠馬にしてステイゴールド産駒。通称「金色の暴君」「激情の三冠馬」。
デビュー前は大人しかった(関係者は「あのドリームジャーニーの全弟」ということで身構えていたが拍子抜けしたという)が新馬戦で豹変、散々暴れまわった挙句主戦騎手の池添謙一騎手を振り落とした。その後は菊花賞でもレース勝利後に彼を振り落とし、実況を担当した岡安譲アナウンサーから「こんな三冠馬は見たことがありません」と苦笑交じりに言われてしまった。
さらには阪神大賞典で掛かりまくった挙句コーナーを曲がろうとせず逸走、その後物凄い勢いで戻ってくるという滅茶苦茶な競馬をして「阪神大笑典」と呼ばれ、史上初且つ唯一の平地調教再審査を食らった三冠馬という自慢にならない実績も得てしまった。
しかしその強烈な個性と圧倒的な強さから、歴代の三冠馬でも人気は随一である。また普段は非常に大人しく、現役時代は競馬場でスイッチが入るだけなようで、余命僅かなファンの少年に対して好きなだけ自分の顔を撫でさせ、天国に旅立った彼に勝利を報告するかのように引退レースで圧勝したなど、暴れん坊な一面とは真逆なエピソードも伝えられている(種牡馬生活に入ると段々父親に似てきたらしいが)。
また、これでも主戦の池添騎手には懐いている。池添騎手が自分から視線を切ってカメラに向くとこっち向けといわんばかりに前脚で殴ろうとしてくるが。
ちなみに本来であればオルフェーヴルは産まれてくるはずがなかった馬で、母であるオリエンタルアートにはディープインパクトが種付けして、ディープインパクト産駒を誕生させる計画だったのだが、3度種付けして3度とも受胎せず、急遽ステイゴールドに駆け込んだら1発で受胎するという、産まれる前からエピソードに事欠かない三冠馬である。
一方、産駒は逆に穏やかで人懐っこい馬が多く、2022年9月時点で最も成功したラッキーライラックや、BCディスタフを勝利したマルシュロレーヌ。そしてとても小さくて可愛いメロディーレーンは父のような凶暴性をまるで見せないことで知られている(ただしディクタスアイは見せる)。
オルフェーヴル自身は幼駒時代に苛められていた事で気性が悪くなった説もある事などから、彼の場合は後天的な気性難で、本質的には穏やかな性格なのではないかとも言われている。
もっともシルヴァーソニックやウシュバテソーロなど、凶暴というわけではないが個性的すぎる産駒もいるが。
因みにオルフェーヴルが三冠を獲得して以降、ステイゴールドと母オリエンタルアートの仔は人間側が大事に育てるようになったため、人間によく懐く様になり、気性は比較的おとなしくなっている。そのために逆に強めの調教ができずに結果を残すことができなかったともいわれているのだが(しかしながらこれは好成績を収めた馬の全兄弟にはよく発生することである)。
牧場でもイタズラが行き過ぎて他馬から距離を置かれることがあるらしく、池添騎手とのエピソードといい、暴れん坊と言うより、他者との距離感や力加減が理解っていないコミュ障なだけでは?という声もチラホラ……
ゴールドシップ
メイン画像右は彼のウマ娘の姿。
2012年のクラシック二冠馬にして、宝塚記念2連覇、阪神大賞典3連覇、GⅠ通算6勝、4年連続GI勝利を成し遂げた実力の持ち主。
こちらもオルフェーヴル同様、ステイゴールド産駒でステマ配合の馬。
ただしこちらは意図してステマ配合とした訳ではなく、昭和初期に海外から持ち込まれた基礎牝馬「星旗」の血を遺そうとしてこうなったタイプ。
「大柄でスタミナに優れるが脚部不安を抱えがち」な母ポイントフラッグ(芦毛)と「小柄で頑丈(かつ当時は種付け料金がお手軽)」な父ステイゴールドを交配したところ、「雄大な馬体に無類のタフネスと無尽蔵のスタミナ、そして一筋縄ではいかない賢さと気性難を兼ね備えた芦毛の競走馬」(要は、父と母と母父の長所・気性難・知能全て2で割らず乗っけてしまった産物)として生を受けたのが本馬であった。
勝つ時は大抵圧倒的な勝利。だが同時に気分がノらない等して信じがたい惨敗も喫し、いつ何時も我が道を貫き、常識外れな逸話を残した名馬にして迷馬。そして競馬史に残るネタ馬。その戦績の浮き沈みの激しさや、気性の激しさゆえに引き起こしたユニークなエピソードの数々に加え、芦毛馬に特有のルックスの愛らしさも含めて人気を集めた。
特に2015年天皇賞(春)におけるゲート入りを嫌がった挙句目隠し+バックでゲートイン(+掟破りの戦法で勝利)からの、次走宝塚記念(3連覇がかかっていた)でゲート内で盛大に立ち上がり15着惨敗の流れはもはや伝説。
気が強くプライドの高いボス馬気質なのはステイゴールドと同様だが、岡田繁幸氏は自己中心的な父と比べると逆にゴールドシップは「深く物事を考えている」と称している。
むしろその頭の良さが素行に多分に影響しており、横山典弘騎手曰く「(奇行は)分かってやっていた」とも。繊細で感性が鋭いためやる気のある時とない時の差が激しく、不平不満をガッツリ表に出すタイプ。気分が乗らない時は調教を断固拒否(ただし盟友ジャスタウェイと組んだ時は例外)し、レースを途中でやめてしまったりもするほど。
そして一度ブチギレると今浪厩務員ですら制御が効かず、厩舎関係者を6人も病院送りにして「ホワイトライオン」と恐れられ、須貝師をして「クスリをやってるロックスター」と形容する始末である。
と言うか、もはやゴルシのネタ馬としての伝説を語り始めるとキリがないので、詳細は個別項目参照のこと。
引退後は岡田繁幸氏の策略で社台ではなくビッグレッドファームに種牡馬入り。気性難とは真逆の、見学客に愛想を振りまく種付け大好きおじさんと化した。
心配された産駒の気性難は少なく、寧ろユーバーレーベンをはじめ穏やかな馬が多い。
が、普段穏やかというだけで、レースになると気性面の難しさから苦労している産駒も多く、加えてユーバーレーベンが引退後に繁殖牝馬のリーダーになったあたり、父親のボス気質も受け継いでいる産駒も多数いる模様。
オジュウチョウサン
2013年のデビュー以降、2022年末まで長きに渡って現役を続けた「障害競走の絶対王者」。11歳にして障害GⅠを勝利し、それを含めて障害GⅠ9勝・史上最多となる5回のJRA賞最優秀障害馬受賞など数々の記録の持ち主であり、その強さと人気で一時代を築いた。
やはりというべきか彼もステイゴールド産駒だが、母シャドウシルエットもかなりの気性難で、そのあまりの気性難ぶりにレース未出走のまま繁殖に回されたほど。
スタッフに襲い掛かる彼女を見て学習したのか一緒に人間へ襲い掛かっていた。
実は血統を考慮した場合『ステイゴールド産駒随一の気性難』はこのオジュウチョウサンとも言われており、その証左として彼の全妹は無事産まれて馬名登録されていたのだが出走経験はあるが引退後に繁殖牝馬として繋養されていない。つまりそれだけ気性に問題があるという事である。因みにこの組み合わせは血統論的にはステマ配合とほぼ同じ考えに基づく。寧ろ必ず成功するという確信をもって配合されたうえ母父シンボリクリスエスの配合は成績からしてステマ配合に匹敵するニックスである。
(実際、血統表を眺めれば父ステイゴールド(その父サンデーサイレンス、母父ディクタス)、母母父ミルジョージと、まさに日本競馬史における気性難の結晶とでも言うべきやべーやつらのオンパレードである。何なら下記のナスルーラすらこの中に含まれる)
他にも厩務員を蹴飛ばし肋骨を折る、調教をサボろうとするなどし、8歳時にはいい年こいて調教中に放馬し勝手に障害を飛び越え、ダートに溜まった水で泥遊びしていた。
なお、ステイゴールドとシャドウシルエットの産駒は数多くが同じ調教師に預けられたのだが、オジュウチョウサンの主戦騎手である石神深一騎手は「そろいもそろって人間に対して悪だくみをしている顔をする」と語っている。
だが父とは異なりレースには非常に前向き。ベスト体重(510kg)を把握し食事量を調整、ステップレースでは力を温存、飛越フォームを編み出し故障しそうな時は限界に達する前にブレーキをかける、「自分が勝てば皆が喜び褒めてくれる」と理解し負けた際には不甲斐ない自分に怒り暴れる、というように父の賢さを良い方面に向けて活用している。その強さは石神騎手曰く「全盛期は乗っているだけで何もせずとも勝手に勝てる」という領域にいたほど。
その一方で非常に飽きやすいため、毎回違う調教メニューを用意する必要があったという。平地レースではなく、障害に適性があったのもこういった性格が理由だったのかもしれない。
なお、彼が引退した後の新たな障害王者として期待がかかるマイネルグロンは、よりによって上述のゴールドシップ産駒。ホントにこの一族はもう……
エピファネイア
シンボリクリスエスの代表産駒であり、現在の日本を代表する種牡馬として君臨している。
母のシーザリオに似た激しい気性で、とにかく前に行きたがるので折り合いをつけるのが難しかったが、菊花賞の頃にはどうにか折り合いがつくようになった。
が、その後2度目のGⅠ制覇となったジャパンカップでは、パドック周回時から汗だくでスタートからずっと掛かり通しの状態のまま最後は4馬身突き放して勝つという物凄く荒すぎる勝ち方をしている。
レース後に騎乗したスミヨン騎手は「エピファネイアは1600mの馬だ」「僕が乗った日本馬で一番強い」と語っていたところからも、その気性の荒さと爆発力が伝わることだろう。
種牡馬となってからは寂しがり屋でかまってもらいたがりな性格に落ち着いたらしく、繋養されている社台スタリオンステーションでは鷹揚なコントレイルと仲良くやっている姿がよく目撃されているとか。
ドゥラメンテ
2015年のクラシック二冠馬で、曾祖母ダイナカールから代々続く超良血馬。
イタリア語で「荒々しくはっきりと」という名前の通りのような性格で、未勝利戦ではゲート内で暴れたが勝利(ただし再審査も喰らった)、共同通信杯では道中掛かって2着と若い頃からの気性難だった。
皐月賞ではミルコ・デムーロ騎手の指示に過剰反応しドリフトもかくやの大斜行(デムーロ騎手曰く「スゴイ怖かった」)をかまし、思い切りロスしたのに見事勝利。挙句ドバイ遠征ではパドックで堀宣行調教師にヘディングをかまし、彼の掛けていた眼鏡を吹っ飛ばした。
一方で現役時代は故障に悩まされ、ラストランとなった2016年宝塚記念で故障して競走能力喪失、引退に追い込まれた。
引退後は種牡馬入りし、初年度産駒は初の重賞勝利を飾るなどしてこれからという2021年、病のため9歳の若さで死亡。
競走馬としても種牡馬としても、華々しい戦績を引っ提げつつキタサンブラック、サトノクラウン、シュヴァルグランら、ライバルとの激闘を期待されながら早々に舞台を去るという結末を迎えることになってしまった。
産駒は5世代のみだが、初年度産駒デビューから4年でGⅠ級競走優勝馬を6頭輩出・GⅠ勝利馬のうち3頭がJRA賞受賞と、その成績は極めて良好で、その早すぎる死を嘆く声はファン・関係者を問わず非常に多い。
ブチコ
兎に角ゲートが大嫌いで、ゲートを破壊する、脱走してラチに激突し負傷、ゲートを潜り抜けようとしてクリストフ・ルメール騎手を負傷させるなどの事件を起こしている。
あまりのゲート嫌いから、名前の由来(※本来は体の模様から)は「ゲートをぶち壊す」からではないかと言われていたこともある。
結局「再調教するのは彼女にとって負担でしかない」という理由で引退している。
娘のソダシは白毛馬初のGⅠ制覇を成し遂げたが、気性難も受け継いだのかかなり気難しい性格らしい。須貝尚介調教師や今浪隆利厩務員曰く「ゴルシよりはマシ」と思いながら扱っているのだとか。
ラニ
初めてUAEダービーを制覇し、アメリカ三冠の全レースに挑戦した日本馬。
上記ゴールドシップとは「芦毛」「大柄な馬体」「追い込み馬」以外の大きな共通点が気性難で、「砂のゴールドシップ」と呼ばれていた。
具体的には他馬に威嚇したり蹴ったりする、調教中に喧嘩を売って来た馬に我慢の限界が来て後ろ蹴り2発喰らわせる、牝馬に興奮して尻っぱねした際にラチを跨いでしまい蹴って破壊、米二冠馬カリフォルニアクロームに喧嘩を売り引き下がらせる、など。
挙句海外では「ゴジラ」「クレイジーホース」というあだ名がつけられ、ゴジラやキングギドラと戦ったり、目からビームやゲロビを発射したり、キックでビルをへし折ったりしているクソコラが作られてしまった。現地新聞の挿絵もキングコングさながらビルに登っているというもの。最早ただの怪獣扱いである。
なお引退後は幾分か大人しくなり、何故かカリフォルニアクロームとも僚馬にもなっている。
ウシュバテソーロ
2022年現役のオルフェーヴル産駒の一頭。ダートでは不利と言われる最後方からの追い込みを得意とし、ダートにおいて常に上がり最速で駆け抜けていく暴力的な末脚によってドバイワールドカップを勝利し、レーティングにおいてダート世界最強を誇る名馬。
しかしながらこの馬はレース以外では全くと言って良いほど走らない、言うなればサボり魔ならぬサボり馬。
- レース前の追切では条件馬(G1どころか一般の重賞にすら出走できないレベル)や未勝利馬にすら馬なりで置いて行かれ、ついでに残りの練習をブッチして一緒に帰ろうとする。
- パドックではこの世の終わりのように首を下げて歩く。
- スターターに向かう時ですら全て舐め腐ったような蟹股歩き。
- スタートからしばらく画面外に見切れるトボトボ追走。
- 最終局面で繰り出される上がり3ハロン国内史上最速記録を誇る末脚。
- そしてゴール板を過ぎたら真っ先に減速。
- 主戦騎手である川田将雅氏にネタ抜きで「サボっちゃだめだよ」と言われる。
- 出入口の位置を認識しているらしく、傍を通るたびに帰ろうとする。
このため国内では「逆追切詐欺」「クソ追い切り芸人」「月曜日のサラリーマン」などと呼ばれ、国外ですら「怠惰な労働者」などなかなかに不名誉な呼び名を与えられてしまっている。
……が、関係者曰く「パドックでダラダラ歩いているように見えるが、実は気合が乗って一触即発の状態」らしい。
メイケイエール
2024年現在現役のスプリント路線を走っている牝馬。綽名は「真面目過ぎる天才少女」。
額の流星とつぶらな瞳、スラリとした肢体のグッドルッキングホースで、武英智調教師曰く「顔は本当に別嬪さんで、厩舎でも本当に品が良い。なのにレースでは品が無い」。
調教やパドックでは真面目で大人しいのだが、レース本番となると掛かりまくって暴れる。馬主の法人が名古屋市にあるので「暴走名古屋走りお嬢様」と呼ばれることも。
どうやら彼女は真面目過ぎて「何が何でも先頭に立たなけらばならない」と考えているらしい。だが1回先頭に立つと満足してしまうこともしばしばある癖馬。
ついでに他の馬に寄って行きたがる悪癖もあり、武豊騎手、横山典弘騎手、池添謙一騎手といった日本を代表するジョッキー三人に揃って戒告処分を受けさせている。
2021年桜花賞では出遅れた挙句制御不能レベルの掛かりを起こし、途中でスタミナを使い切って逆噴射、最下位になってしまった。
この結果を前に「もう池添を乗せろ」と言われていたところ本当に池添騎手に乗り替わり。彼と共に数戦を経験し、2022年シルクロードステークスで見事我慢を覚え勝利した。
2024年の高松宮記念をラストランとして引退する予定。果たして最後の挑戦でG1に手は届くのか。
気性難で有名な馬・海外編
セントサイモン
サラブレッド創成期のイギリスの競走馬で、ある意味全ての元凶。
10戦10勝という圧倒的なまでの強さを誇ったが…
- 気性改善策として馬房に入れられた猫を天井に投げつけて叩き殺す
- 厩務員に殺す気で襲い掛かってくる
- 常に掛かりを起こして発汗
- 主戦騎手は暴走しようとする彼を制御しようと必死。一度乗り替わった際、レース途中から暴走し2着の馬に20馬身つけた後も止まろうとせず、1マイルも余計に走った
- 喧嘩を売ってきたマッチレースの相手を完膚なきまでに叩きのめして(20馬身以上ぶっちぎった上で止まって待つという舐めプ)、相手の馬主は失意のどん底に陥って馬を去勢してしまった。なおこのレースでは調教師、騎手、セントサイモン揃って相手にキレており(相手側がセントサイモンを駄馬扱いするような発言を行ったため)、珍しくセントサイモンがちゃんという事を聞いて走ったレースでもある。普段いう事を聞かない気性難でもみんなで同じ方向を向けばいう事を聞くらしい。
- 主戦騎手が拍車を使ったところ激怒し厩舎を脱走、街外れまですっ飛んでいった
- ついたあだ名は「煮えたぎる蒸気機関車」
等々すさまじいまでの気性難伝説を残す。
その強さからセントサイモン系と呼ばれる一大系統を作った。繁栄しすぎた反動で父系としては衰退してしまったものの、その血は世界中に広まっており、今やこの世にセントサイモンの血を引かないサラブレッドは存在しないと言われている。まさに気性難なサラブレッドのすべての元凶と言えるだろう。
ちなみに弱点は傘。スタッフの言うことを聞かない時は杖に帽子をかぶせ、傘に見立てて怯えさせていた。
ダイヤモンドジュビリー
セントサイモンの産駒。セントサイモンの気性難をバッチリ受け継いだ一頭。
英国三冠を含め13戦6勝と素晴らしい成績を残したが、最早ロデオで使った方がいいとまで言われるほどの気性難であり、ついたあだ名は「悪魔の気性」。
厩務員の指を食いちぎったこともある。
こういう牡馬は去勢されることが多いが、睾丸の位置に異常があり、当時の技術では摘出できなかったようだ。
そんな馬には誰も乗りたがらないため、やむなく多少なりとも信頼関係を築けていた厩務員を乗せたところ、厩務員が三冠ジョッキーとなるという珍記録を生み出した(一応ちゃんと騎手経験もある人で、後に王室の専属ジョッキーにまでなっている)。
引退後はアルゼンチンで種牡馬となったが気性は全く改善せず、「体調不良になっても凶暴すぎて薬を飲ませられなかったため、薬を塗った棒で挑発して噛み付かせることで投薬した」「馬房に迷い込んだ浮浪者の腕を食いちぎろうとした」などのエピソードを残している。
ちなみにこのダイヤモンドジュビリーの全兄の英二冠馬で、後にサイアーランキングでオヤジを超えたパーシモンは、頑固で神経質な面はあっても、オヤジやコイツほどの危険なエピソードは存在しなかった。
ヴァンパイア
1889年生まれの繁殖牝馬で、セントサイモンの父ガロピンの仔として現役時代2勝ながら繁殖牝馬となった。その仔としてイギリス三冠馬となったフライングフォックスがおり、その子孫であるテディが成功を収め、父系として一大勢力を築くテディ系の祖として血統表に残る程の名牝である。
…のだが、この馬はあのセントサイモンの父ガロピンの娘。その例に漏れず極度の気性難であり、なんと癇癪を起して我が子を噛み殺した挙句、周囲の人にも怪我を負わせると言う暴れぶりを発揮してしまった事でも知られる。
故に他の種牡馬の下へ輸送が出来ず、ウェストミンスター侯爵は苦渋の決断の末、所有しているオーム(母父がガロピンなので3x2の強烈なクロスが発生する)の種を付けざるを得ず、そこで生まれたのがフライングフォックスと言うなんともなエピソードの持ち主。
エクリプス
18世紀イギリスの馬で、現役時代の戦績は完全無敗、「Eclipse first, the rest nowhere」(直訳すると「エクリプス一着、他はどこにもいない」。240ヤード以上の差をつけられた馬は失格になるという当時のルールから)という名言を生み出し、種牡馬としては現在存在する全世界のサラブレッドの95%がこの馬の直系という偉大すぎる名馬である。
しかし気性は凄まじかったらしく、5歳まで調教してやっと競馬に出せるようになった(ただしこの時代のヒート競争は若い馬には過酷なもので、5歳でデビューすること自体は珍しくなかった)。レースの後は特に興奮していたため鞍を外すことができず、鞍を着けたまま数日間ほったらかしにするしかなかったという。
上記のセントサイモンにもエクリプスの血は入っているので、本当の元凶はこっちかもしれない。
最初の馬主のウィリアム・ワイルドマンは騎乗できる人間がいないので去勢も検討していたが、後にワイルドマンからエクリプスを買い取ったデニス・オケリーが乗れる人(悪名高い密猟者のジョン・オークレー)を見つけてきた。危うく競走馬の歴史が変わってしまうところだった。
ちなみにワイルドマンがオケリーにエクリプスを売却したのは気性難からではなく、強すぎて疎まれたためらしい。
騎手のオークレーは前述の通り密猟者、オケリーはギャンブルや非合法ビジネスでのし上がったアウトローで、その愛人は違法娼館の経営者(出会ったのは流刑船の中)、……馬・騎手・馬主・愛人そろって最凶カルテットである。
さらに生産者のカンバーランド公爵(エクリプスが1歳のとき死去)に至っては、スコットランドの反乱を鎮圧した際に大虐殺をやっている。
代表産駒には元祖珍名馬Potoooooooo(ポテイトーズ)がおり、こちらは大人しい馬だったという。
ナスルーラ
第二次世界大戦中に活躍したイギリスの馬。引退後は種牡馬としても大活躍したが、かなりの気性難だった。
パドックからコースに向かう途中で進むのを拒否する、先頭に立った瞬間失速するなどしてなかなか勝てないレースもあった。ついたあだ名は「Rogue(ならず者)」。
古くからのダビスタファンからは「スピード強化と引き換えに気性難が付いてくるインブリード」かつ「多重インブリードによる『危険な配合』」でも有名。
ヘイルトゥリーズン
怪我により2歳で引退したものの戦績は圧倒的で、後継種牡馬にロベルトやヘイローらがいるという大種牡馬。
仔馬の頃から体が大きくて気が荒く、所かまわず他馬にケンカを売ってボス馬に成り上がっていった。馬の肖像画などを数多く手がけた画家リチャード・ストーン・リーヴス氏曰く「ヘイロー(後述)もヘイルトゥリーズンに比べれば並の馬に見える程度だった」とのこと。
ヘイローよりもヤバいと言われている時点でどれだけの気性難であるかはお察しください。
その一方で非常に頭も良く、落ちていた蹄鉄を踏んで前脚の種子骨を骨折という馬にとって致命傷に等しい怪我を負ったものの、ひたすら痛みに耐えて馬房の中で動かず、命を長らえることができた。
なお、ヘイロー産駒のサンデーサイレンスを筆頭に、同じくヘイロー産駒のデヴィルズバッグ(タイキシャトルの父)、ロベルト系ではリアルシャダイやブライアンズタイム、シルヴァーホーク(グラスワンダーの父)にクリスエス(シンボリクリスエスの父)等々、多くの産駒を通じて現代日本競馬において非常に大きな位置を占めている。
そのため、現代日本競馬における気性難の真の元凶はコイツなのでは?との声も……
ヘイロー
現代日本競馬の気性難全ての元凶その1。ヘイルトゥリーズン産駒。
厩務員から虐待を受けた結果、平然と動物を殺したり、厩務員を押し倒して踏みつけようとするとんでもない気性難になってしまった。彼の写真には口籠が嵌められているものが多いが、これは近づく人間をガチで噛み殺しに来るから。
海外の気性難をまとめたサイトに堂々と「Psychotic(キチガイ)」「人獣問わず彼に近づく者は死を意味する」と書かれるほどで、担当していたマッケンジー・ミラー調教師にも「なぜ彼が去勢されなかったのか不思議だ」と言われている。本当に去勢されていたら競馬史が変わっていただろう。
ただし、レースにおける放馬や逸走、競走中止などのエピソードは無く、レースに対しては真面目だったようだ。
自身の競争成績よりも、産駒から多数の優秀な種牡馬を輩出したことで有名。特に後述のサンデーサイレンスが日本で大きな成果(色んな意味で)を出したことから、日本の気性難の原因とも言われる。
サンデーサイレンス
ヘイロー産駒。現代日本競馬の気性難全ての元凶その2。
幼少期より不遇で不運続き。見た目が悪くセールで売れ残り、腸疾患を患って生死の境を彷徨い、挙句の果てには馬運車が事故を起こし自分だけが生き残るというとんでもない不運に見まわれた。
気性難も酷く、騎手の指示に従わずに暴れるのは当たり前で、調教助手や騎手に騎乗拒否されたことも。人間に噛みつくのも普通で、柵に噛みついている写真も残っている。どうも元々の気性の激しさに加え、度重なる不運でひねくれてしまったらしい。
しかし売れ残った結果生産者の所有馬としてデビューすると、その後は輝かしい戦績を上げてのし上がり、その下克上ストーリーは多くのアメリカ人の胸を打った。
種牡馬となった後に日本に渡り、文字通り日本競馬の血統を塗り替えるような活躍をしたが、気性難も遺伝させてしまったため日本の気性難の原因の一つとも言われている(ここに掲載されているだけでも、サイレンススズカ、ステイゴールド、エアシャカール、デュランダル、ハーツクライ、ディープインパクトが産駒)。
なお、サンデーサイレンスが威嚇しまくっても大人の対応をしていたメジロマックイーンのことは気に入っていたようで、マックイーンが隣にいると大人しかった。また、人にかみつく癖があったが、赤ん坊には優しく、噛みつくこともなかったそう。
ディクタス
フランス生まれの競走馬・種牡馬。現代日本競馬の気性難の陰の元凶。主な産駒はサッカーボーイ、イクノディクタスなど。
血統的には長距離向きなのに、気性の激しさから主にマイル路線で活躍し、ジャック・ル・マロワ賞を勝利……と、どこかで聞いたようなタイプ。
ルールに拘る頑固者タイプだったようで、似たような傾向を持つ産駒が多い一方、孫世代以降は先祖返りしたのか、しぶとく粘るステイヤー型が多い。
ノーザンテーストとともに1980年代の日本競馬を支えた功労者であり、「横綱ではないが名大関」と称えられた。
独特な感情表現であるディクタスアイでも有名で、何故かやたらと子孫への遺伝性が高い。
なお、サッカーボーイの全妹ゴールデンサッシュにサンデーサイレンスを交配して生まれたのがご存じステイゴールド。なるべくしてなった気性難とでも言うべきか。
トール
フランス生まれの競走馬・種牡馬。主な勝ち鞍は1933年のジョッケクルブ賞と1934年のカドラン賞。
非常に短気で気性が悪く、北欧神話における雷神「トール」の名に恥じない凶暴さだった。
引退後フランスで種牡馬入りしたが、第二次世界大戦が勃発しフランスはナチスドイツに占領されてしまう。その際にドイツ軍から軍馬として徴用されることになったのだが、牧場で捕まえようとした兵士たちに抵抗しドイツ兵2名を殺害。結局徴用は諦められ、終戦まで生き延びて戦後イギリスに売却されたのだが、今度はあろうことか牝馬に重傷を負わせ、危険過ぎるため安楽死処分されてしまった。
ちなみに血統に上記のセントサイモンは入ってないが、その父のガロピンのクロスは2つ持っている。
番外・気性が良いと言われることの多い競走馬
グラスワンダー
朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)においてレコードタイムを叩き出し、「マルゼンスキーの再来」「二代目怪物」と呼ばれた。
荒々しく前脚を掻き込み、もうもうと土煙をあげながら芝コースを驀進するレースぶりとは裏腹に、関係者が「大人しい」「頭が良い」「落ち着いている」と口を揃えるほど穏やかな性格。普段は全く動かない。
スペシャルウィーク
武豊氏に初のダービー勝利をプレゼントした優駿。
上記のサンデーサイレンス産駒の中で、珍しく「人懐っこくて素直」と評されることが多かった。生後すぐ母を失い人の手で育てられたせいか、馬よりも人間に親しみを感じていたとも言われる。
引退後は種牡馬としての生活にストレスを溜め込んで荒んでしまった。
ミホノブルボン
「精密機械」「サイボーグ」の異名を持つ二冠馬。
関係者からは「象みたい」と言われるほどマイペース。引退後にド素人の女優を、馬具も無しに背に乗せても平然としていた。
現役中は戸山為夫師の超スパルタ調教に耐えるため大量の餌を与えられており、食事中に人が近づくのを嫌った。担当厩務員の安永司も食事中のミホノブルボンに接近することは恐怖だったという。
アグネスデジタル
芝・ダート両方のGIを勝利しており、さらに地方・中央・海外のGⅠ全てに勝利経験がある、まさに戦場を選ばぬ勇者。
レース以外ではのんびりもっさりしており、厩務員も「特に困らされた経験はない」と語る。
メイショウドトウ
テイエムオペラオーの最大のライバルとしてしのぎを削り合い、オペラオー以外の馬はことごとくねじ伏せてきた不屈の挑戦者。
人間や馬のみならず他の動物とも交友関係を築こうとする社交的な性格で知られており、放牧中に足下をヤギがうろついていても追い払おうとはしない(流石に若干困惑気味ではあったが)。
他にも馬房に野生のタヌキが迷い込んできた時も追い払わず一夜の宿を貸したなど、ほっこりエピソードには事欠かない。ただしオペラオー、テメーはダメだ。
タニノギムレット
2002年日本ダービー馬にして歴史的牝馬ウオッカの父。
威圧感のある馬体と面構えに破壊神の異名を賜る程の柵破壊癖から気性難のイメージを持たれがちだが、実の所柵以外に対しては大人しい部類で、非常に人懐っこい性格。
コントレイル
令和初の三冠馬にして、ディープインパクトの最高傑作。
一癖も二癖もある三冠馬たちの中でも「真面目で素直」「大人しい」「かわいい」と評されることが多い。
種牡馬生活に入るとさらにマイペースに磨きがかかり、かまってちゃんのエピファネイアや壁ドン常習犯のキズナに囲まれても、特にストレスを感じずに暮らしているという。
その図太さは、関係者から「草食動物の自覚がない」と言われるほど。
ダンシングブレーヴ
1980年代の欧州競馬における、欧州の不良馬場を1F10秒台で駆け抜けることが出来たただ1頭の伝説的名馬にして、同時代最強の競走馬の筆頭、そして「怪物的な末脚」の代名詞とされる。
しかし、担当厩務員曰く「とても穏やかで落ち着いており、最も従順な部類の馬でした」とのこと。
種牡馬になった年の秋にマリー病に感染。初年度産駒がイマイチだったこともあり、安楽死も検討される中、日本に輸出され日本軽種馬協会所属の種牡馬となった。病気のことが無ければこれほどの馬が日本に来ることも無かった。
闘病生活のため産駒の数は少ないが、キングヘイローやキョウエイマーチ等を輩出し、サンデーサイレンス全盛期の日本競馬に確かな足跡を遺していった。
欧州に遺した産駒からもコマンダーインチーフ、ホワイトマズルらGⅠ勝利馬が出ており、欧州競馬ファンからは「早すぎた輸出」「早計な判断から起きた国家的損失」と嘆く声が上がったという。
マリー病は鳥類の結核の一種であり、滅多にないことだが哺乳類に感染すると不治の病となる。症状は発熱、骨の肥大化や関節の腫れ、全身のむくみや激痛など。
通常であればのたうち回ってもおかしくない激痛を大人しく耐え続け、最期は四本脚で立ったままこの世を去った。
キンチェム
19世紀に欧州七ヶ国を渡り歩いて54戦54勝という不滅の大記録を打ち立てた、史上最強の競走馬との呼び声も高いハンガリーの国民的英雄。
競馬場や公園を始めとしてその名を冠する施設が数多く存在し、2007年にハンガリーで発見された小惑星161975番にも本馬の名が付けられており、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝も大ファンだったという。
オーナーや厩務員、猫との微笑ましいエピソードがてんこ盛りである。
関連タグ
ゲート難:ゲート入りやゲート内を嫌がる馬。大体気性難を兼ね揃えていることが多い。
池添謙一:気性難の馬に乗ることが多い騎手。彼のお手馬をウマ娘化したイラストには「チーム池添」のタグがつけられることが多い。
似て非なる言葉
起床難…要するに寝坊グセ。ゴールドシチーは早起きできないことで知られていた(とはいえ、本来の意味での「気性難」も兼ね揃えていた)。