プロフィール
幼名は梵天丸。通称は藤次郎。
初代仙台藩主。政宗の名は中興の祖とされる9代目当主である大膳大夫政宗にあやかって名付けられた。大膳大夫政宗と区別する際は藤次郎政宗と呼ばれる。ちなみに藤次郎は大膳大夫の8世孫に当たる。
概要
隻眼というハンデをものともせず若くして東北を席巻した名将。豊臣政権下から江戸幕府成立後に至るまで、隙あらば天下を手に入れんと幾度と無く画策しており、もうすこし早く生まれていれば天下は伊達のものだったのではないかという主張は今なお強い。
豊臣秀吉による唐入りの為に京に上った際、自らの部隊の戦装束が、他の家とは一線を画して絢爛であったことから、派手な着飾りをする者全般が『伊達男』と呼ばれるようになった。エキセントリックな装飾の兜をはじめとする派手な鎧は実在し、映画『スターウォーズ』シリーズの名悪役・ダースベイダーのマスクのモデルにもなっている。
鮮烈な活躍と生き様、文字通りの『伊達男』っぷりや外見などから、古くから小説などの創作作品で題材にされるほど人気が高い。
だが、書籍によっては彼を「梟雄」と称しているものもあるくらいその人生は波乱に満ちていた。
幼少時(5歳)に疱瘡(天然痘)にかかり右目を失明し右目が白濁した肖像や木像がある。本人は後天的なものだからと肖像は両目をつけるよう遺言している。目を布や眼帯などで覆った当時の記録はない。江戸時代半ば以降に目がつぶれる逸話が作られ、昭和時代の映画において目を矢で射られた後の治療場面で眼帯が小道具になっていったらしい。
後世、中国後唐の太祖・隻眼の李克用の異称より「奥州の独眼竜」と称えられた。
豪放な逸話、さらに大河ドラマで政宗を演じた渡辺謙氏の影響から後世の創作物では威風堂々とした外見で描かれることが多いが、当時としては平均的な体格であった。
若き東北の雄
天正12年(1584年)、政宗は18歳で父・伊達輝宗から家督を受け継ぎ伊達家17代目当主となる。父の代までの外交方針を一新し佐竹寄りになっていた蘆名氏と手切れ。
翌天正13年(1585年)5月に蘆名領檜原を攻めるが撤退。8月には蘆名に寝返った大内定綱の小手森城へ兵を進め、近隣諸国への見せしめとして撫で斬りを行い、城中の者を皆殺しにしている。(その数、非戦闘民や牛馬、犬猫を含め1000人にのぼるという)このことに対し、最上義光に送った手紙に政宗は反省どころか「俺小出森で1000人撫で切りしたけどマジ凄くね?関東ゲットももうすぐだな(意訳)」と自慢している。
その後、これまた蘆名に寝返った二本松城の畠山義継を攻め降伏を許す代わりに苛烈な条件を出す。これに怒った義継や二本松家臣団により父・輝宗を拉致されてしまい蘆名領の境まで連れていかれてしまう。結局、政宗は身柄を奪回出来ず父親ごと義継を射殺している(粟の巣の変)。
これには諸説あるが、輝宗を奪還出来ず死なせてしまったのは当主である政宗の責任であるのは間違いない。
その後、政宗自ら二本松城を攻めるが義継の妻や子の国王丸に家臣団による決死の抵抗に手こずり、逆に政宗の本陣に斬り込まれるなど膠着してしまう。
さらに悪いことに常陸の佐竹義重らによる二本松城救援軍が到着し窮地に。この危機的状況を老臣・鬼庭左月斎の犠牲もあり脱出した。逆に佐竹勢は義重の叔父・小野崎義昌が家臣に暗殺され、常陸国内では江戸重通や小田氏治が不穏な動きを見せ、さらに北条氏とも連携していた安房の里見義頼が常陸南部を窺うなどもあり撤退。
しかし、この戦で政宗の武名はさらに高まった。
その後は大崎合戦で大崎・最上と戦うが実母・義姫による仲裁で撤退。郡山合戦を経て摺上原の合戦で遂に蘆名氏を滅ぼし会津を手中にし本拠地を米沢城から黒川城に移す。さらに宿敵・相馬を攻め立て新地城を奪い南下して小高城に追い詰め、大崎家は従属下に置いた。時に政宗24歳。
しかし、豊臣秀吉から小田原参陣の要請が来る。要請に応じるか迷っている中、義姫による毒殺未遂が発生。このことについても諸説あるが、結果、義姫は実家の最上家へ出奔。実弟の伊達小次郎は政宗によって殺されている。(詳細は義姫と小次郎のページを参考)
梟雄政宗
政宗の周りには非常に梟雄めいた話がついて回る。
- 正室・愛姫の実家である田村家を当主を傀儡とし乗っ取った。
- その頃の当主・愛姫の従兄弟の田村宗顕はこの仕打ちに怒り、出家してしまった。
- 更に愛姫の乳母を含む侍女達を田村と内通していると短慮から決めつけ殺害した。
- ただし愛姫の母が相馬氏出身のため田村家中には相馬・蘆名・佐竹らと連携して伊達と敵対することを主張する一派も少なからずいたのも事実であり、愛姫の母との関係も悪かった。
- 前述の小野崎義昌の暗殺は政宗の策謀と言う説もある。
- 小手森城の撫で斬りも実はかなり怪しい。政宗自身が複数の手紙で書いている内容は全部バラバラであり、当の小手森城周辺には大虐殺があったという確かな伝承がない。少なくとも「牛馬に至るまで1000人皆殺し」という辺りは政宗本人が盛って書いたハッタリである可能性が高く、実は普通に城兵が自害して全滅しただけなのにさも皆殺にしてやったかのように宣伝したという説まである。
- 旧大崎・葛西領で一揆を扇動した。
- のち、証拠隠滅を狙い一揆指導者たちを謀殺した。
- 因縁ある蒲生氏郷を毒殺したという説もあった。
- 関ヶ原の戦いの時も南部領内の和賀・稗貫で一揆を扇動した。
- 最上義光・義康父子の相克について糸を引いていたという説がある。
- 大坂・夏の陣では味方の陣(神保相茂の隊)ごと敵に発砲した。
政宗時代の伊達家は出奔者を大勢出している。特に岩出山が本拠だった頃が顕著で葛西・大崎一揆のせいで土地が荒れ果ててた上に知行も減っていたため家臣団の不満も高まっていたせいもあった。もっとも1人の主君に忠誠を誓い生涯を捧げるのが美徳とされる儒教的価値観が根付いたのは江戸時代からで、当時は家臣に出奔されるのは主君のせいであり暗愚の証明といわれていた。このことから、晩年の実績や創作作品から人気武将の1人になっているにもかかわらず、歴史学者からは戦国武将としての能力に疑問視する声も上がっている。
とは言え最終的には出奔した家臣たちも帰参してからも忠勤を尽くしている上に、輝宗の死の一因にもなった大内定綱を許し家臣に加えた例もある。
優秀な外交・内政能力
彼の本領は卓越した自己プロデュース能力による外交と内政能力だった。
- 小田原参陣に遅れたことを豊臣秀吉に釈明するため白装束に金ぴかの十字架背負って登場し「私を煮るなり焼くなりお好きになさってください!」と叫んだというのは有名な話。死を覚悟した白装束であえて無駄に派手にくることで、珍しいもの好きな秀吉に許された。(だが、会津は取り上げられ米沢に押し戻された)
- 大崎一揆を扇動した罪を問われた時も、証拠となる自筆の書状が、自身の花押であるセキレイの目に穴が空いてないので偽の書状であるという訳分からん弁明をしたおかげで改易は免れた。(だが、米沢や先祖伝来の伊達郡などを没収され旧大崎・葛西領に移封された)
何度も訪れた改易の危機を、お得意の口八丁で乗り越え、江戸時代に入ってからも将軍・徳川家光の信頼を得て「伊達の親父殿」と家光から呼ばれ自称・副将軍という地位を確立したのはやはり凄いことである。(だが、関ヶ原の戦いのときに交わされた家康からの百万石のお墨付きの約束は、政宗がこそこそと裏で画策したせいで反故されてしまった。書状は後年、目前で井伊直孝(直政の次男)に燃やされた。)
内政においては岩出山でも仙台でも城下町を作り上げた政宗だが、領内の開墾を積極的に行っており、仙台藩の面高は62万石であったが、実際の収穫高は100万石を超えていたとされ全国有数の穀倉地帯に仕立てた。「子女の技芸が上達するように」として七夕の行事を推奨し、これが後の仙台七夕の原点となった。ただし、政宗でも伊達家当主への中央集権化は断念せざるを得ず後年の伊達騒動が起きる温床になっている。
政宗はっちゃけ伝説
若年、晩年を問わずかなりはっちゃけた逸話が数多く残している。以下は晩年の逸話だが幕府成立後圧倒的な権威を持っていた徳川将軍にさえその姿勢を貫き通したことなどは、政宗の豪放ぷりを象徴している。
- 鷹狩に興じすぎている3代将軍家光を「そういえば俺、鷹狩中を狙って徳川家康をブッ殺そうと何度も企んだなあ。今も同じこと考えてる奴がいるかもなあ(同)」と諌めた。
- 二代目将軍徳川秀忠にお得意の料理を振る舞う際、家来が毒味を要求したところ激怒「(幕府がそこまで安定していない)十年前なら謀反も考えたが、それでも毒殺などという小細工に頼らず一戦交えようとしたぞ。」と叫んだ。
- 江戸城にて、徳川家家臣の酒井忠勝と廊下でかちあったさい、道を譲るのが嫌だった政宗は、いきなり相撲を取り始めた。この時政宗六十歳。結局酒井忠勝に負けてしまった。無茶しやがって…………
- 浅野長政に対し、囲碁の対局中に口げんか。後に浅野長政に自分と仲の悪い蒲生氏郷と木村吉清と仲良くしているという理由を主に絶縁状をたたきつける。勿論、絶縁状に至った理由は他にも色々とある上、絶縁状を秀吉に見せても構わないとまで書かれているあたり、相当腹に据えかねていたようである。その後、仙台伊達家と広島浅野家は1994年に至るまで約400年近く絶縁状態であった。)
- 三代目将軍徳川家光の前で酔って爆睡。さらに「俺昔家康暗殺しようと思ってたんだよね」ととんでも発言。
- 能を見に行ったらもう終わっていたので、刀取り出して「もう一回やってよ!」と駄々をこねる。
- ネズミ入りの味噌汁飲んで死にかける。何やってるんすか殿。
うつけを演じて警戒を深められないようにしたという説もあるが、友人の細川忠興は彼が色々やらかしたのをみて「稲荷殿の知音かと申す事に候(狐でも憑いてるんじゃないか?)」と手紙に残してるあたり、はっちゃけてたのは演技でもなんでもなく素だった可能性もかなり高い。
趣味人政宗
武将としての一線を退いてからも、あれやこれやとで興味を抱き、能や和歌、茶道などにも秀でていた。
とりわけ料理が趣味であったことが有名。仙台味噌が政宗の命によって開発されたことからも仙台の食文化の礎を築いたのは彼の料理好きであるといわれている。有名な『馳走とは旬の品をさりげなく出し、主人自ら調理して、もてなす事である』という一文は、政宗の言である。単なる馳走に限らず、戦闘において重要な保存食などの研究にも熱心であった。仙台名物の一つずんだ餅も政宗の考案によるとされる(異論もある)。
とはいえ実は、別に政宗だけが当世異端の料理好き男だったというわけでもない。当時、「腹が減っては戦はできぬ」ということからか、あるいは毒殺を警戒してのことか、料理の技能は武将の教養として重んじられており、一国の大名ともなればそれなりの料理は出来て当然であった。例えば政宗と不仲だった蒲生氏郷も、時に自らの手料理を家臣たちに振る舞い談話するのを習慣にしていた。ルイス・フロイスの日欧文化比較では、「ヨーロッパでは女性が料理を作る。日本では男性が料理することが多い。そして貴人たちは料理を作る事を立派な事だと思っている」という記述もあるほどで、下手したら現代よりも料理に関する性差が小さかったかもしれない時代である。
一方、酒には弱かったという。(そのせいで上述のように家光の前で眠りこけたり、秀忠に会う約束を二日酔いですっぽかしたりも………)ただ好きでもあったようで、醸造所を仙台に作らせ、現在もその流れをくむ醸造所は伊達家御用達であるという。
書状に関する逸話
また、大変な筆まめであり、当時大名家は右筆(主人に代わって書状を代筆する人)が書状を書き、主人は署名と花押を担当するのが一般的だったのだが、政宗は自筆の手紙が山ほど残っている。(仙台博物館に貯蔵されているだけでも1000通もある)その手紙の内容もかなりはっちゃけており、「戦いが膠着状態だからこちらに遊びに来ない?(意訳)」「こないだ詠んだ歌がいまいちだったから書き直してみたよ(意訳)」「花押上手くかけたよ!(意訳)」「酔っぱらって書いているから乱筆乱文でも許してね(意訳)」などすごくどうでもいいものまであり、なかには50代のとき小姓に浮気弁明するもの(しかも無駄に長文)や佐沼亘理家に出した愛妾・香の前との間にできた隠し子に当てた書状が見つかっている。
「即火中(読んだら燃やしてね)」と書かれているにもかかわらず、家臣達は殿からの書状を燃やすなど出来るはずがなく、後世までしっかり残っているという………。本人にとっては黒歴史を発掘されているようで生きていたら悶絶しそうだが、これが当時の歴史を知るための貴重な資料になっているのだから政宗にとっては喜ばしいのやら何なのやら………。
そして2020年、とうとうこれらの政宗の書状が国の重要文化財に認定された。
関連人物
<父母・兄弟>
<室(配偶者)>
<子>
- 伊達秀宗:長男。母は側室・猫御前。宇和島藩祖として10万石を与えられる。
- 五郎八姫:長女。母は正室・愛姫。
- 伊達忠宗:次男。母は正室・愛姫。後の伊達家18代目当主。
- 亘理宗根:落胤。母は香の前。鬼庭綱元の息子・茂庭又四郎として育てられ、佐沼亘理家初代当主となる。
- 伊達宗清:三男。母は側室・新造の方。
- 伊達宗実:九男。母は阿茶の局。成実の養子となり、一門亘理伊達家2代目当主となる。
<その他の親族>
- 留守政景(伊達政景):伊達晴宗の三男。輝宗の弟で、政宗の叔父。留守家18代目にして一門水沢伊達家初代当主。
- 石川昭光:伊達晴宗の四男。輝宗の弟で、政宗の叔父。一門角田石川家初代当主。政宗に敵対したが降伏。一門衆筆頭として迎えられる。
- 最上義光:最上家11代目当主であり、義姫の兄。政宗の伯父。
<家臣>
- 伊達成実:伊達三傑の一人「武の成実」。政宗とは従兄弟で、一門亘理伊達家初代当主である。
- 片倉小十郎(片倉景綱):伊達三傑の一人「智の景綱」。政宗の近侍・養育係でもある。
- 鬼庭綱元(茂庭綱元):左月斎の子。伊達三傑の一人「吏の綱元」。
- 原田宗時:血気盛んな勇将。京では大太刀を背負った悠然とした姿で話題となった。原田甲斐の祖父(血の繋がりはない)
- 後藤信康:通称「黄の後藤」で知られる知勇兼備の将。宗時刎頚の友でもある。檜原城の守備役。
- 屋代景頼:執政に優れたが、留守居役での圧政が咎められ後に改易された。
- 支倉常長:遣欧使節団正使。太平洋を渡りローマで通商交渉を行った。
- 大内定綱:元奥州小浜城主。先述の通り政宗と敵対したが、最終的に伊達家臣となる。戦上手で十文字槍の達人。
- 猪苗代盛国:元蘆名家一門衆。伊達家に鞍替えし、摺上原の戦いでは伊達軍先鋒として戦う。
- 白河義親:白河結城家当主にして一門仙台白河家初代当主。小田原征伐不参陣によって改易され、流浪生活を経て1602年政宗に召し抱えられ、厚遇された。
- 保土原行藤:元二階堂家一門衆。須賀川城の戦いでは伊達家の案内役を担う。政宗が賞賛するほどの風流人。
<その他>
創作での伊達政宗
戦国武将の中でも人気が高く、彼を扱った小説・映画・ドラマなどは数多い。
政宗がはじめて眼帯姿となったのは映画『獨眼龍政宗』(1942年)。片岡千恵蔵氏が演じる政宗は右目に矢が刺さるシーンのあとで目玉を切り落とし、傷が治るまでに白い包帯巻き、当て布の上から刀鍔風の眼帯、布を巻く3種類の眼帯を見せた。これ以降の作品で、史実にはない眼帯がしだいに使われるようになっていった。その中でも、わけても有名なのは、山岡荘八による長編小説『伊達政宗』(1970年)と、それを原作としたNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)であろう。
隻眼の暴れん坊という印象を広めたのはまさにこれらの作品であると思われる。特に『独眼竜政宗』は、若き日の渡辺謙が政宗を熱演した大河ドラマ史上に残る傑作で、鮮烈な演出のオープニングをはじめとして今なお人気が高く、近年の人気アンケートでさえも1位をとるほど。その平均視聴率は約39パーセントで、これも今なお大河ドラマ史上最高記録である。もっとも、失明に関するコンプレックスやマザコンであることなども強く描写されている。政宗を完璧な伊達男として描かず、暗部もはっきりと描いたことが人気の要因である。
近年では『戦国BASARAシリーズ』の主人公として、若い層(特に女性)から新たな形での人気を得ており、作品内人気も非常に高く、シリーズ初作発売以降5年間に行われた全ての公式人気投票で1位を獲得している。この他にも様々な媒体で登場しておりそれぞれで人気を博している。
また、これは上記の作品群と比べてかなりニッチになるが、シグルイでの老政宗の迫力は必見である。
伊達政宗(創作)
個別記事有り
- 『戦国無双シリーズ』のキャラクター。→伊達政宗(戦国無双)
- 『戦国BASARAシリーズ』のキャラクター。→伊達政宗(戦国BASARA)
- 『ポップンミュージック』のキャラクター。→マサムネ(ポップン)
- 『戦国乙女』のキャラクター。→伊達マサムネ
- 『織田信奈の野望』のキャラクター。→伊達政宗(織田信奈の野望)
- 『境界線上のホライゾン』のキャラクター。→伊達・政宗
- 『戦国コレクション』のキャラクター。→独眼竜姫・伊達政宗
- 『SAMURAI DEEPER KYO』のキャラクター。→梵天丸(KYO)
- 『モンスターストライク』のキャラクター。→真・伊達政宗
- 『戦国 A LIVE』のキャラクター。→伊達政宗(戦国ALIVE)
独眼竜政宗
演:渡辺謙
1987年に放映されたNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』の主人公。実母に疎んじられたり、家督を譲られて直ぐに実父と死別する等の哀しい出来事を乗り越え、秀吉や家康といった「天下人」達と接する事となる。彼らの器の大きさに感心し、己の器量などを自覚していくと共に、劇中では子が産まれ政宗自身が親となった事で、彼の心境が変化していく様子も描かれる。
劇中の台詞『梵天丸はかくありたい』は当時の流行語にもなった。
同ドラマは放映当時「政宗ブーム」を巻き起こし、所縁の地である仙台市には多くの観光客が訪れた。政宗を演じた渡辺謙氏は当時まだ無名に近い俳優だったが、本作の名演で一気に著名度が上昇した。一方で伯父である最上義光を原田芳雄氏が演じたが、これまたツボにはまりすぎな悪役を見事に演じきったため、地元である山形からは仙台の盛況ぶりを横目に少なくないクレームが入ったという。
同じく政宗の本拠であった米沢もドラマの恩恵はあまり受けなかった(米沢市は上杉氏の城下町戦略もあるためと、当時は山形新幹線および山形自動車道が開業前でアクセスがよくなかった。)因みに歴史上の偉人を描くイラストレーター諏訪原寛幸氏はこの作品のファンであり、伊達政宗のイラストを描く時は必ず渡辺謙氏に似せて描くという拘りがある。
因みに遺骨として御本人が生出演した。いだてんで生前のビデオテープでの登場の事例はあったが、生出演は大河史上唯一の記録であり未だに破られていない。
天地人
演:松田龍平
2009年に放映されたNHK大河ドラマ『天地人』の登場人物。本作の主役である直江兼続とは当初は険悪な関係であったが、最終回では一緒に茶を飲むなど友好的な関係が見られた。
殿といっしょ
CV:鈴木達央
戦国ギャグ4コマ漫画に登場する、主人公格である眼帯マニア。おかしな眼帯を次々に作って披露したり、変なパクリロボット漫画を書いたりして、片倉小十郎と伊達成実ら家臣達からいつもツッコミを入れられている。
BRAVE10
CV:子安武人
銀髪を長く伸ばした男。乱れた世を武力でひっくり返すことに躍起になっており、伊佐那海の奇魂を狙い刺客を差し向ける、本作の悪役ポジション。ハデ好きで、知勇に長け、徳川家康に対しても面従腹背の姿勢を保っていた。続編『BRAVE10S』では幸村を倒すため、彼の兄・真田信之を捕え処刑寸前にまで追い込んだが、すんでの所で阻止される。
戦国ARMORS
25歳だが童顔。そこまでチビではない(当時としては平均ちょい下くらい)なのだが、小十郎が長身のためコンプレックスを抱いており、蘇を愛飲している。「頭が高い」が口癖だが、上記の性格故にほぼギャグである。滝川一益から重臣級甦土無「夜叉」を賜り、空中を自在に駆動し鎌鼬で相手を切り刻むのを得意とする。その威力たるや松本城の櫓が刃物で切ったかのように両断されるほど。人取橋での戦いでは5000の兵を一人で撃滅した。
肥前名護屋への出兵(たぶん朝鮮出兵)を命じられ松本城に停泊していた時に天海/明智光秀の奇襲を受け、「いずれ秀吉をも倒し日本全ての民も武将も平伏させる」と稚拙な野望を吐いたために光秀の逆鱗に触れ、敗北。己の小ささを改めて知らされることになる。
その後は秀吉に「夜叉」を召し上げることを厭い、天海に夜叉を贈与。その力は石川五右衛門に受け継がれることになった。最終回で天海が秀吉から逃げる際には伊達軍の旗を隠して匿名で増援を送り、彼らの逃走に協力している。
へうげもの
CV:中井和哉
天下取りの野心を持つ奥州の大名で千利休の弟子。好きな色はスカーレット。「D」の刺繍の入った眼帯を付け、歌舞伎役者のような見得を切り、江戸っ子口調で喋る。小田原参陣の時に古田織部と知り合い、度々アイディアをもらい、利休死後は織部に弟子入りした。蒲生氏郷や佐竹義宣とは殴り合いをするほどの宿敵。
婆裟羅(ばさら、VASARA)
CV:堀川仁
年齢:28歳。2000年に稼働開始したシューティングゲーム婆裟羅の敵キャラで三日月の前立ての付いた戦車で襲い掛かってくる。独眼竜の異名を持つ奥州の名将。派手好みで、明るく快活な武人。実力ある者が天下を治めるという考えのもと、徳川の東軍に与した。いずれは自分が天下をとる事を夢見ている。
姫武将政宗伝ぼんたん!!
阿部川キネコによる漫画作品の主人公。幼名は「美萩」。女性であり、幼少期は女児として育ったが、片目を失い女性としての容色を損なった事や、武人に向いた素質があった事から、途中から「梵天丸」の名を与えられ男児として育てられるようになった。
エキセントリックな面が目立ち、性別の事を知らずに嫁いできた妻の愛姫を愛しんだりとレズっ気がある。一方で幼少からの付き合いである片倉小十郎には特別な感情を抱いているふしもある。今のところ、「実は女性である」といった事以外は史実に沿った道を歩んでいる。
三日月竜異聞
堤芳貞による漫画作品の主人公。父・輝宗の跡を継いだ伊達家の当主。奥州の他の大名を次々と屠る政宗を「人の所業ではない」と評する一部の家臣とは折り合いが悪く、古株からは未だに「殿」ではなく「若」と呼ばれており、当主扱いされていない。そのこともあってか輝宗に対しコンプレックスを抱えている。
1話のみ腰までの長髪を後ろで結わえ(もしくは留め上げ)ていたが、2話以降は断髪し肩に掛かる程度の長さとなった。ちなみに作者は講談社Box文庫公式ノベライズ『戦国BASARA3』全四作の挿絵を担当している。
戦国大戦
Ver2.0X「日輪、本能寺より出ずる」より、伊達家と新規兵種「竜騎馬隊」率いての参戦。サブタイトルの年代1582年時点で考えてもまだ15歳であり、台詞周りも「独眼竜、乱世の舞台に今、参上だ」(開幕時)や、「奥州の独眼竜、今天下に飛翔せん!」(計略発動時・SJK/SR共通)などと、新進気鋭の若武者を思わせるものが多い。
こちらではスターターパックで出る「戦国鬼札」(戦国ジョーカー)仕様(SJK)と、筐体から排出されるSR仕様について解説する。
SJK仕様解説
鬼札仕様の織田信長、羽柴秀吉、浅井長政らと一緒に入手できる仕様。イラストはSR仕様のアップを使用している。
スペックは、コスト2、武力7/統率7の槍足軽。特技を持たないのは仕方ないが、スターターのカードでありながらも伊達の槍足軽では留守政景と同等の武力7を持っており、これに魅力でもあったら本気で通常排出カードの立場を奪っていた可能性もある。
持ち計略は汎用的な強化陣形を展開する「方陣」。上で上げた留守政景は「不屈の構え」(自身の武力強化・兵力若干回復)なのを比べると十分棲み分けが可能。
SR仕様解説
筐体の排出で入手できる通常仕様。
スペックは、コスト2.5、武力8/統率7の竜騎馬隊で、特技は「気合」と「魅力」。新規兵種「竜騎馬隊」は、タッチ突撃は出来ないが、通常の突撃の他に、タッチアクションで盤上のカードの向きに合わせた狭い扇状に5発一斉に散弾を発射できる。いうなれば、既存の騎馬隊と鉄砲隊を組み合わせたタイプの兵種といえる。
こちらの持ち計略は「独眼竜の覇道」。采配タイプの計略で、専用のカットイン「竜」と、専用の発動時ムービーがある。隻眼だったことを考えてか、「軸が左寄りにずれた、回転の出来る円形」の範囲が特徴。効果は対象の武力を5加算すると言うスタンダードなものだが、癖が無く扱いやすい。
スペックの事も相まって伊達単一の編成では非常に重宝するが、「統一名称が同じ武将は、同じデッキに登録できない」こともあり、SJK仕様が使えなくなるのが弱点と言える。
「独眼竜、乱世の舞台に参上だ!」
SD戦国伝 武神降臨編
伊達家の当主。派手で目立つことを好む。転生が遅れたため南奥州を統一した頃には既に豊臣家が西の一大勢力となっていたが、それでもなお世界制覇を目指す。
武装/鞍切影秀(くらきりかげひで)
ラヴヘブン
乙女パズルゲームの攻略キャラクター。初期レアリティはR。異世界の危機を救うため、主人公により召喚される。暗めの金髪に、月の模様の入ったフードを着用している。
他作品
- エミルクロニクルオンライン
- 東北エリアの公認ネットカフェ限定で、伊達政宗をかたどった鎧が登場した。兜以外は季節イベントの五月鎧の色違い。現在入手困難。
- 機甲戦記ドラグナー
- 伊達政宗をモチーフとした、大型メタルアーマーギルガザムネが登場している。(誤解されることが多いがあくまで外見のモチーフであり、名前は清酒「菊正宗」のもじりである)パイロットはハイデルネッケン。最終話ではケーンのD1カスタムと戦っていた。
- 鎧伝サムライトルーパー
- 烈!!!伊達先パイ
- 伊達政宗ファンの男子高校生「伊達まさし」が主人公。政宗と同じデザインの甲冑を身につけている。
- ジュウドウズ
- 週刊少年ジャンプ本誌連載終了後、少年ジャンプ+に描き下ろされた「ジュウドウズ外伝 柔も轟に」に伊達政宗が登場。キャラクターデザインは同作者の前作「烈!!!伊達先パイ」の伊達まさしとほぼ同一。
関連イラスト
関連タグ
真田幸村:本名真田信繁。大阪夏の陣にて戦った相手。創作物においてライバル的な相手として描かれることが多い。
ちなみに、永禄10年生まれという説もあり、同い年というのも、話題になっている。
土井利位:江戸幕府老中。仙台藩主伊達宗村の男系の孫なので、政宗の子孫。
伊達みきお(サンドウィッチマン):伊達尚宗(藤次郎政宗の高祖父)の孫・大條宗家の男系子孫である。また藤次郎政宗は女系の祖先に当たる。また、みきおの生年月日は1974年(昭和49年)9月5日であり、西暦換算では政宗と誕生日が同じである。
ダース・ベイダー:伊達政宗の甲冑がモチーフになっていると有名である。