説明
どこぞの素人どもは、「イタリアってどこでもとにかくパスタ食べてるんでしょ?」などと幼稚的な考えをしているが、ライバルのフランスと並ぶ発想力がパないのである。というよりそもそもフランスに料理教えたのはイタリアだし(後述)。
何よりスピードとデザインに対する情熱はどこにも負けない。(それはもう、時に全体のバランスにまで悪影響を及ぼしてしまうくらいに)
軍事的発想
前大戦でのヘタレっぷりから、「次はイタリア抜きで……」などと、ちょいちょいネタにされてしまうが、多分に「戦略の失点は、戦術では挽回できない」というアレなので、お察しください。(海軍に至っては重油の備蓄が8ヶ月分しかない有様だったので、大型艦を全く動かせなかったり)
工業力の不足から、特に戦車などの陸戦兵器ではつらい一面もあるものの、航空戦力などは侮りがたい実力を秘める。また、技術の後れは知恵と度胸でカバーする側面も……。
あれ? オレはいったいどこの話をしている?
近年、日本においては再評価も進みつつあるが……。
陸軍部門
- ランタン・シールド:15、6世紀に夜警のために作られたもの。攻防一体且つ夜道を照らせる万能夜警道具にしようとした結果、片手で持てるサイズの盾に剣と篭手と着脱可能なランタンを搭載。そんなに詰め込んだら重くなって逆に戦いにくいと思うんですがそれは...。因みにランタン取り付け部には開閉可能なフラップがあり、突然開けて目くらましにも使えたらしい。現代の“フラッシュライト”のハシリと言えなくも、ない?
- オトマティック自走対空砲:艦砲(海上自衛隊でも採用している76mm“コンパクト”砲)を戦車に無理やり積んだ代物。高性能だが自走式対空砲としては高価だったのが関係したのか、「こんなの買うならSAMでよくね?」となり、販売は失敗した。なお、原型のオートメラーラ76mm砲シリーズは56ヶ国で採用された優秀な艦砲である。
- OTO M35型手榴弾:各国の手榴弾が安全装置が解除されてから一定時間後に爆発する時限式なのに対して、こいつは地面に落ちた衝撃で起爆する衝撃式。投げ返されるというリスクを減らすことはできるが不発率が高い上にいきなり暴発するので敵味方から恐れられた。付いたあだ名が「赤い悪魔」。
- ブレダM30軽機関銃:イタリア版「無い方がマシンガン」。突っ込みどころ満載の詳細は外部リンクを参照のこと。
- チェンタウロ戦闘偵察車:下記の如く戦車ではトホホな代物が目立つイタリアだが、ローマ帝国時代から連綿と整備された道路網に支えられて、自動車、装輪装甲車では一日の長があった。なかでもチェンタウロは、装輪装甲車としては開発当時(1980年代)破格の105mm砲を搭載し、いわゆる装輪戦車の先鞭をつけた車両である。少数ながら海外でも採用された成功作だが、それ故か、(いずれも量産には至っていないものの)120mm滑腔砲、155mm榴弾砲、果ては先述の76mm対空砲(高射砲)搭載型など、だんだんとおかしなバリエーションが増殖しつつある。
- イタリアで開発された戦車:どうもイタリアは戦車開発が苦手らしく、数自体が少ない上に失敗作が多数。
- フィアット2000:第一次世界大戦後期頃にイタリアが独自開発した最初の戦車。 開発自体初めてのくせに40t級重戦車にした結果、最高時速6km/hと超鈍足になってしまい、「重装甲・重武装は満足できるものだが、重すぎて山岳の多いイタリア本国や南ヨーロッパ地域での運用に不向き」と判断され2両の試作車だけで没に。(ついでに言うと完成間もなく一次大戦も終結)この失敗はイタリア軍が以後機甲部隊に軽量級の戦車を求める一因となったが...
- アンサルド マグリニ-マンジャパネ:105mm砲を搭載した70t級重戦車の計画。フィアット2000の失敗を受け開発中止に。
- アンサルド GL-4:1929年に開発されたらしい謎の戦車。4つの履帯で装輪車両のように車体を支えて走る戦車と装甲車のハイブリッド車両ようだが、画像を見る限りどう考えても上記フィアット2000以上に重い。お前はフィアット2000から何を学んだんだ。足回りの構造が複雑すぎて没になった。
- C.V.33とその派生型:で、ちゃんと軽量級戦車を開発した結果がコレ。イギリスで生まれたタンテッケ(豆戦車)がイタリアで進化した姿で、二次大戦の開戦当時イタリア軍戦車の75%を占めた。しかし、そもそも豆戦車自体が予算の関係などで普及したようなものでもあり、固定砲塔に連装機関銃という武装は偵察や歩兵の援護などを想定したものとされる。戦場ではイギリスの巡航戦車と戦闘することもあり、苦戦する羽目に。イタリア降伏後はドイツがイタリア周辺地域で警察組織が警備に運用。イタリア軍戦車の中ではもっとも多かったことから数の上では主力戦車と言われることもある。母体となったイギリスのカーデン・ロイド豆戦車には遠く及ばないが、「戦車が欲しいけど懐事情が……」という国に多数が輸出されているため、工業製品としてはあながち失敗作でもないかもしれない。
- P40:大戦期のイタリア陸軍最強の重戦車。しかし他国から見たスペックはどう考えても中戦車。重量などは4号戦車やM4中戦車などとそれほど変わらない。それまでのM13中戦車などと比較して重戦車に分類されたと言われる。
- セモヴェンテ da 105/25:イタリア陸軍の突撃砲。前面75mmの装甲に105mm砲搭載で待ち伏せなどではどう考えてもP40より強い。
- OF-40:オートメラーラとフィアットが合作した輸出向け戦車。車体を流用した自走砲はある程度売れたし開発経験は下記アリエテに生かされたが、これ自体はほとんど売れなかった。
- C-1 アリエテ:イタリアの第三世代主力戦車。二次大戦で戦車が散々な結果だったリベンジか、国の威信をかけてイタリア中の軍需企業が集結して作り上げたので、まともな性能になって軍にも採用された。デザインにこだわったのか砲塔形状は傾斜したカッコイイもので、一時期Wikipediaには「イタリアらしいスポーティーなシルエットが特徴的な戦車である」と書かれていた。戦車らしくない説明なんですがそれは。実戦経験こそないものの、イタリアには珍しく(失礼)性能的には世界水準を満たした戦車だったが、冷戦終結と財政難により200両の少数生産に留まり、発展型Mk.2もキャンセルに。やっぱりイタリア戦車は報われない……
- アンサルド GL-1:はい、独・ソときてイタリアにも存在しました、陸上巡洋艦の計画。全長40m、重量700t級なのでこれでもまだ独ソに比べればマシな方。当然ながらアイデア以上にはならなかった。
海軍部門
- イタリア海軍の速力に対する執着:速力にこだわるあまり、船体を長くして浮力を増大させたり、戦艦にプリエーゼ式防御という船体に二重円筒をつけ、その内部は空に、外部は重油で満たして魚雷の衝撃を弱めるという複雑な防御装置を施している。なおこのプリエーゼ式防御は一時期「防御効果が無かった」という俗説が流布されていたが、ヴィットリオ・ヴェネト級に装着されたものは実戦での被雷の際に有効に機能している。
- コンテ・ディ・カブール級戦艦:その最たる例と言えるのが、このコンテ・ディ・カブール級戦艦である。第一次大戦期に建造された旧式弩級戦艦だが、フランスのダンケルク級戦艦の登場に危機感を募らせ、主砲をボーリングして口径を拡大する、主砲塔5基の内艦中部の1基を撤去して機関を増設する、喫水増加対策として艦首を約10m延長する、艦橋構造物を一新するなど一世一代の魔改造を敢行。結果、劇的ビフォーアフターといえる元艦が分からなくなるレベルまで改修し、カタログスペック上ではダンケルク級と比肩して遜色ないまでになった。しかし、タラント沖にて夜闇から飛んできた英国面の象徴フェアリー・ソードフィッシュに雷撃され大破着底。(コンテ・ディ・カブールに命中した魚雷はプリエーゼ式の範囲外である艦底で炸裂し、衝撃波が浅い海底で乱反射したせいで外洋での被雷以上のダメージになった。)結局まともな活躍が出来ないまま、1948年に洋上解体されてその生涯を閉じた。
- カイオ・ドゥイリオ級戦艦:上記コンテ・ディ・カブール級をベースに各種不具合を修正して建造された弩級戦艦。カブール級同様第一次大戦期に建造された旧式戦艦なのだが、例のごとくダンケルク級に危機感を覚えたイタリア海軍によってカブール級に範を取った魔改造を施され、近代的な高速戦艦に生まれ変わった。前級同様第二次大戦中はあまり活躍したとは言えなかったものの、こちらは建造された2隻とも生き残り、戦後はイタリア海軍旗艦や練習艦として1956年まで運用された。
- マルコ・ポーロ:装甲巡洋艦。元々舷側装甲を持たない防護巡洋艦だったのを建造途中に改装したものであったため、艦舷こそ装甲を追加したが主砲の方は全周を覆わない防盾を被せただけで防御力が不足。おまけに小型の船体に武装を詰め込みすぎたため改装時に兵装を一部撤去し火力も低下、最終的に実戦経験のないまま全武装撤去され兵員輸送船に...(泣)
- ジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦:竣工時は攻撃力・防御力・速力共によくバランスが取られた、小柄ながら優れた装甲巡洋艦。が、イタリア海軍は民間造船所の育成のために海外からの発注を先に受け入れ、より出来の良い物を代艦として同じ条件で発注するという仕組みを採用していたため、10隻も建造したのにアルゼンチン・スペインに優先的に引き渡されイタリア海軍が取得したのは3隻だけだった。そのうえ晴れてイタリア海軍が本級を手に入れたのはネームシップのジュゼッペ・ガリバルディの建造開始から8年後であり、その艦は他国に引き渡される前に命名されていた為か(本級での)四代目ジュゼッペ・ガリバルディとなっていた。
- ちなみに、海外に渡った同型艦のうち二隻はアルゼンチンを経由して日本に転売され、春日型装甲巡洋艦「春日」「日進」として就役している。
- ラム級仮装巡洋艦:民間のバナナ貨物船を接収して改装した仮装巡洋艦。ちなみに3番艦「ラム三世」は紆余曲折を経てモンテネグロに現存している。
- イタリア海軍の巡洋艦における水上機カタパルトと格納庫の位置:他の海軍の巡洋艦は大体は艦の中央辺りにカタパルトや格納庫があったが、そこは奇抜さを好む(?)だけあってイタリア海軍はトレント級重巡洋艦、ザラ級重巡洋艦、ジュッサーノ級軽巡洋艦の艦首に固定式カタパルトと格納庫を設置。確かに風を受けて飛びやすいのは分かるが、そこは波をきる場所に近いので少し海が荒れても波を被って飛行困難に。どうして造る前に気が付かなかった。
- イタリア級戦艦:イタリア海軍の草創期の戦艦。マストを中心に煙突が六本も並んでおり、横から見ると上部構造物がほぼ左右対称。煙突の間のマストはさすがに配置としてまずかったのか、ボイラー換装の際に配置変更された。
- ルッジェーロ・ディ・ラウリア級戦艦:イタリア級と同世代の戦艦。これもマストが中心に立っており横からの艦影がほぼ左右対称。なお、マストの中央配置はこの後もエマニュエレ・フィリベルト級前弩級戦艦まで引き継がれていく。
- ダンテ・アリギエーリ:イタリア初の弩級戦艦。世界で初めて三連装砲塔(30.5cm砲)を菱形配置でなく艦中心軸にすっきり搭載し、舷側方向には最大12門もの猛火力を発揮。が、砲塔の配置がマズく艦首方向には3門しか撃てない(もっとも、類似した砲塔配置は当時の戦艦としては珍しいものではないが)。さらに、竣工時は前後のマストがそれぞれ二本の煙突に挟まれており、見張り員が「ここは地獄か!?」状態。だからどうして造る前に(ry。これらが災いしたか、イタリア戦艦には珍しい、同型艦なしの“ぼっち艦”となってしまった。さらに、大した活躍もないまま艦齢15年でスクラップに……(泣)。なお、近代戦艦には珍しく衝角(ラム)を装備している。
- ライモンド・モンテクッコリ級軽巡洋艦:今までの速いだけで紙装甲のイタリア軽巡洋艦から艦を大型化して機関を強化し速力は速いまま装甲も各段に強化した以後のイタリア大型軽巡洋艦の原型とも言うべき艦。名造船官ウンベルト・プリエーゼ造船中将考案の円筒型艦橋もイタリア軽巡洋艦としては初めて採用され現場でも好評であったが、艦橋窓があまり無い為か、プッチンプリンみたいでキモイ。(個人差あり)
- マイアーレ:イタリア版人間魚雷。マイアーレは“豚”の意味でニックネーム。正式名称は“S.L.C.200”で、S.L.C.とは“Siluro a Lenta Corsa(低速走行魚雷)”の略。人間魚雷と言っても、日本のアレと異なり、自爆前提ではない。言わば“水中スクーター”的な小型潜水艇で、敵艦に隠密裏に接近し、船底に爆雷を仕掛けて爆破する。それでも相当に危険な任務だが、イギリス海軍の戦艦ヴァリアントとクイーン・エリザベスを大破、行動不能に追い込むなど、大きな戦果を挙げている。誰が言ったか、「イタリア海軍は排水量と搭乗人員に反比例して、士気と戦力が増加する」。その有効性にはやられた側のイギリス海軍も注目し、潜水艇“センチュリオン”としてパク……完コピ。さらに本格的なミゼット・サブマリン“X艇”へと進化し、ティルピッツや高雄の撃破に一役買ったとは、ちょっとした歴史の皮肉。
- バルキーノ:イタリア海軍の突撃ボート。正式名称はM.T.M.(水上艦搭載型)、およびM.T.R.(潜水艦搭載型)。地中海に面し、プレジャーボートが比較的普及していたイタリアなればこその体当たり自爆ボート。ただし、これも“突撃”であって“特攻”ではない所がミソ。船体後部に脱出用の“折り畳み式筏”が用意されており、本体の起爆装置も、乗員の脱出・離脱の時間を稼ぐため時間差が設けられている。もっとも、この信管の調整が面倒だった模様で、自分が巻き添えになるリスクが上がるにもかかわらず、突入→即爆発に改造した乗員も少なくなかったとか。無茶しやがって…。これもイギリス重巡洋艦ヨークを大破(後に放棄)、フランス駆逐艦トロンブを大破させる金星を挙げた。イタリア海軍は排水量に反比例し(ry。
- M.A.S魚雷艇:最高速力40ノットを超す高速魚雷艇。性能もなかなかだが、特筆すべきは戦歴。第一次世界大戦ではMAS-15が戦艦セント・イシュトヴァーンを撃沈。第二次世界大戦では改良された500型が同盟国支援のため、陸路をはるばる移動し、黒海やフィンランド・ラドガ湖まで遠征、ソ連海軍と対決した。同類多しといえど、アルプス一万尺を越えた魚雷艇はこれくらいだろう。ちなみに、ラドガ湖に進出した部隊の(陸路での)移動距離は3,000kmを超したという。下手をすると水上より、陸上にいたほうが長かったかも……(なお、乗員が帰国する際に艇はフィンランドが買い取った)。こいつも、黒海では巡洋艦モロトフを大破、ラドガ湖でも砲艦1隻撃沈など、注目すべき戦果を記録。イタリア海軍は排水量に反比例し(ry。なお、この一代前のM.A.S.451型は日本に輸出され、国産魚雷艇開発の参考にされたという、意外な縁もある。
- M.S魚雷艇:伊国面と独国面の悪魔合体。上記のM.A.S艇は優秀な魚雷艇だったが、凌波性、航洋性が低いという難点があった。そこでドイツ海軍のSボート(Schnellboot)を元に新たに建造したのがこちら。とはいえドイツからの供与ではなく、ユーゴスラビアからの鹵獲品を元にイタリア流のアレンジを加えた代物。つまりはデッドコピーで、船体や基本構成以外はオリジナルと相違点も多いのだが、性能は申し分なく、ペデスタル作戦(マルタ島への大規模補給作戦)参加中の英軽巡マンチェスターを撃沈。これは第二次世界大戦で魚雷艇が沈めた最大の軍艦である。もう少し伊・独、あるいは海・空の連携が良ければ、マルタは陥落していたかもしれない。イタリア海軍は排水量に反比例し(ry
- 軽空母スパルヴィエロ:客船改造空母。艦載機が翼をたたむのではなくエレベーターの方が艦載機に合わせて十字架型をしている。また飛行甲板長は180mあるのだが、艦首側の45mは横幅が5mしかない。スキージャンプでもさせる気か。結局完成前にドイツ軍に接収され、ジェノヴァ港の閉塞船として自沈した。
- スパルヴィエロ級ミサイル艇:水中翼船型ミサイル艇。海面状態が良ければ50ノットもの速力でかっ飛ばせるとか。さらにはミサイルだけでなく、前述の自走対空砲よろしく、船体に不釣り合いな76mm“コンパクト”砲まで積み込んでいる重武装。ちなみに、こちらも〇十年前と同じくユーラシア大陸の向こう側に技術・設計が輸出され、“1号型ミサイル艇”として建造・配備された。が、波の荒い日本海の運用に適さず、3隻で建造打ち切りに……
- 軽巡洋艦ジュゼッぺ・ガリバルディ:ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッチ級軽巡洋艦の2番艦。1936年に建造され、第二次世界大戦を生き延びた後になんとポラリスSLBM発射筒を搭載。地中海からソ連本土を核攻撃できる軽巡洋艦というわけのわからない個性を手に入れた。お前のような軽巡がいるか。なお主犯はポラリスSLBMの持ち主であるアメリカである。ただし、キューバ危機後の緊張緩和の流れもあって、結局ポラリスは搭載されず、イタリア独自の弾道ミサイル開発も断念された。“主犯”のアメリカも、原潜搭載のほうが有利とみて、水上艦へのポラリス搭載を中止している。
- ヘリコプター巡洋艦「ヴィットリオ・ヴェネト」:イタリア海軍最後の巡洋艦。この艦自体は特に問題はなかったのだが、1997年にアルバニアの暴動に派遣された多国籍軍の旗艦を務めた際、ヴロラ港沖の砂洲で座礁事故を起こした。旗艦なんだからしっかりしてくれ...。
- エンリコ・トーチ級潜水艦:第二次大戦後に初めて建造した潜水艦。艦首に妙な形のでっぱりがある。
- パオロ・タオン・ディ・レヴェル級フリゲート:21世紀に旧式フリゲートを置き換えるために建造されたフリゲート艦。公式の艦種は「多目的哨戒艦」なのだが、バージョンによって武装が変わり、フルプラス状態だと複数のミサイルを搭載するフリゲート艦となる。お前のような哨戒艦がいるか。また艦首形状もクリッパー・バウを二段重ねした様な形状をしており、艦橋に至っては航空機よろしく操舵員が直接外を見ながら舵輪を握る(基本的に船舶は操舵員は直接目視で操舵せず、艦橋周辺に展開する当直からの指示を受けながら針路を買変える)。
空軍部門
- ピアッジョ P.7:当時最高峰の水上機レース「シュナイダー杯」のために開発された競技用水上機。空気抵抗を減らすためにフロートはなく、静止状態ではプロペラが水に浸かっている。離水時は機体下部のスクリューで加速して、水中翼で機首を持ち上げ、動力をプロペラに繋ぎ変えて離水する。しかしクラッチに問題が発生し、肝心のレースには間に合わなかった。
- サヴォイア・マルケッティ S.65:同じくシュナイダー杯のために開発された、操縦席の前後にエンジンを配置する双発串型水上機。 胴体を可能な限り細く短くし、尾翼は胴体後部...ではなく翼から伸ばされた2本のブームの先。 しかしこれもレースには間に合わず、野心的な設計にし過ぎた結果その後の試験飛行中に強度不足で尾翼が変形し墜落してしまった。
- サヴォイア・マルケッティ S.55:双胴飛行艇。操縦席は機体中央線上、つまり主翼に埋め込まれている。紅の豚の終盤で編隊を組んで飛んできたのが実はコレだったりする。
- カプロニ:イタリア版フェアリーアビエーションorブローム・ウント・フォスというべき変態機メーカー。以下に挙げるような奇怪な機体を世に送り出す。この斜め上の発想は飛行機大好き某アニメ監督を虜にしたらしく、回り回って日本のアニメーションにも影響を及ぼしている。
- Ca.60:脅威の9枚翼(三葉の主翼を3つ備えるタンデム機)飛行艇。100人の乗客を乗せて太平洋を横断するという、当時としては桁違いに壮大な計画のため作られた。試験飛行で18m上昇しただけで墜落。
- スティパ:空飛ぶダクテッドファン。後世のジェットエンジンの源流の一つになった……かもしれない機体だが、外見はどう見ても翼の付いた蚊取り豚。無事に飛んだが、騒音が小さいこと以外にメリットはないと判明した。
- カンピニN.1:上記の機体と比べると、割とマトモ(スマート)なジェット機に見えるが、実は“モータージェット”機。圧縮機をレシプロエンジンで回して、エンジン後方でガソリンを燃やして飛ぶという……。何を言ってるのかわからねーと思うが、前述の“スティパ”を前後に長く伸ばして、アフターバーナーを追加した、と言えば当たらずとも遠からずか。初飛行は第二次大戦初期の1940年。後の本格的ターボジェットエンジン機のテストモデルを目指したものの、結果を遺せなかった異端の機体。当時のイタリアは「世界で初めて飛行したジェット機だ!」と大々的に宣伝したが、実はその一年前にドイツで極秘裏にHe178ターボジェット実験機が飛んでいた。どうでもいい話ではあるが、本機のテストパイロットを務めたのは「マリオ・デ・ベルナルディ」という人物であり、また上記スティパの開発の中心人物は「ルイージ・スティパ」という人物だそうで…。あれ?それなんてあの人気シリーズの主人公兄弟???
- Ca.90:1929年に初飛行した、当時世界最大の6発複葉重爆撃機。なんと爆装量は驚異の8t、B-29並みだった。しかしイタリアには早すぎたのか、一機しか生産されなかった。
- アエリタリア G.222/C-27:イタリアの動けるデブ。輸送機でありながらバレルロールやエルロンロール、宙返りが可能というC-1もビックリの機動性を有している。
- ロッキード・アエリタリア F-104S:米国面と伊国面の悪魔合体。原型のF-104も米国面丸出しの機体だったが、加えてイタリア・アエリタリア社がライセンス生産という名の魔改造を実施。エンジンをチューンアップし、最高速度をマッハ2.4に向上。機関砲を外す代わりに、レーダーを換装してAIM-7などのセミアクティブレーダーホーミング・ミサイルを装備可能とし、ハードポイントも9ヶ所に増加。誰がここまでやれと言った(まあ、もともとの強化プランはロッキード社からの提案だったが)。さらに恐ろしいことに、アップデートを繰り返しつつ、2005年にタイフーンに更新されるまで現役だった。日本で言えばF-4もF-15もすっ飛ばして、いきなりF-35に更新するような話である。
- サヴォイア・マルケッティ SM.75:三発の旅客機で、軍用輸送機や爆撃機型も作られた。いささか野暮ったい見た目だが性能は悪くなく、第二次大戦中アントニオ・モスカテッリ中佐の操縦でローマ〜東京間の連絡飛行も成功させている。しかしソ連上空を強行突破してきたため、日ソ中立条約を結んでいた日本からすればソ連を刺激しかねない迷惑行為でもあった。モスカテッリ中佐は「頼むから違うコースで帰ってくれ」という日本側の要請を断り、もう一度ソ連上空を強行突破して帰還した(もっともドイツも日本の事情を考えずに独ソ戦を始めたので、足並みが揃っていなかったのはイタリアだけではない)。このような事情から日本ではあまり知られていないが、イタリアではポスターも作られて宣伝された。ちなみにそのポスターは着物を着て髷を結った日本人が飛来したSM.75に手を振っているという構図である(当時の欧州人の日本への認識などこんなもの)。
民生的発想
工業力、技術力で後れを取っていたのも、今は昔。今やEU域内でも有数の工業国であり、ファッション関連は言わずもがな、自動車、航空関連も、世界規模の主要産業である。その割に、以下のごとき“冒険”(きれいな言い方)も忘れちゃいないが。
加えて農業国の側面も強く、食材から料理に至るまで、“イタリア”そのものがブランド化していると言っても過言ではない。
一人あたりGDPでは日本を抜いてた時期もあったんだぜ(2007~2008年)。
食品部門
- パスタに対する執着:イギリス人の紅茶に対する情熱と同様、イタリア人のパスタに対する情熱も他国では考えられない物がある。何しろイタリア軍が水不足の中、砂漠でパスタを作ったという都市伝説が生まれたくらい。(実際は「パスタを戦場に持っていったが、茹でるためのお湯が手に入らないため断念した」らしい)
- ピザの自動販売機:パスタ同様ピザに対しての情熱もなみなみならぬものがあり、ついにはピザの自動販売機なんてものを作ってしまうほどである。それも販売機内で生地から作るという、自販機大国の日本すら越えた逸品である。
- カース・マルツゥ:サルデーニャ島で作られている“虫”入りチーズ。詳細は各自検索いただきたいが、ダメな人には本当にダメと思われるので閲覧注意。純粋に食品として見ても危険な代物であり、製造が法律で禁止されている(ただし、取り締まりはあまり厳しくないようで現地サルデーニャでは普通に路頭で売られている)。
陸運部門(鉄道、自動車)
- ディレティッシマ:フィレンツェ-ローマを1時間20分で結ぶイタリア版新幹線。直流3,000Vで電化したが、300km/h営業にあたり給電能力が足りないことが発覚し、前後のローマ-ナポリ高速線とボローニャ-フィレンツェ高速線は交流25,000Vで電化という経歴を持つ。
- ETR500:ディレッティシマ300km/h営業のために投入された…のだが、上記の事情により同区間だけは250km/hに制限された上、動力車を2電源仕様に取り替えるハメに。その後は何事もなく運行している…と見せかけて、「茹でたてのパスタを提供するために大量の水を積載する」食堂車を連結した、食と速さを追求する良くも悪くもイタリアらしい名(迷)列車。
- ETR450:ディレティッシマはもとより、在来線曲線区間の高速化も兼ねて投入された車体傾斜式(振り子式)高速車両。開発に時間がかかりすぎて営業運転にデビューした時はすでに時代遅れに。しかも車体が狭くて2等車(座席4列配置)に改造できなかったというオチまで。
- イタロ(.Italo):2012年に開業した高速列車運行会社NTVの車両。ベースはフランスのAGV(TGVの動力分散型)だが、フェラーリがNTVに出資している関係か、デザインは名匠ジョルジェット・ジウジアーロのイタルデザインが担当。フェラーリ同様の深紅の車体を持ち、営業速度300km/hでローマ-ヴェネツィアを3時間43分で結ぶ(将来は360km/hを予定)。スピードとデザインに血道を上げるイタリアの権化のような高速列車である。なにこれかっこいい。
- トリエステのオピチナ・トラム:トリエステ都心と、数キロ離れたオピチナ村を結ぶ路面電車…のはずだが、標高差約160m、最急勾配260パーミルの区間を走破するため、途中で何とケーブルカーを連結する。かつては台車が斜めになった凸型電気機関車風のケーブルカーが電車を押し上げ(登り)/支える(下り)形で急勾配を上下していたが、現在は竹を斜めに切ったような外観の無人ケーブルカーに代っている。
- ウェーバーDCOE型キャブレター:これ自体は特にイカれたものではなく、スポーツタイプキャブレターの名器だが、とある日本の新興自動車メーカーが「今度ウチから出すスポーツセダンのエンジンにおたくのキャブレターを3個(直列6気筒なのでキャブ1個あたり2気筒)乗っけるから売ってくれや」と狂った注文をしてきたからたまらない。しかもその車がレースでポルシェと接戦を演じたからなお酷い。以来日本のアマチュアレーサーからは神扱いに。
- イソ・イセッタ:イソ自動車のとんでもなく独特なスタイルの小型車。ドアは前面にある(冷蔵庫?)。ちなみにBMWでもライセンス生産されていた。あんまり馬鹿にするなよ。これでも敗戦2国の交通と産業復興の担い手だったんだからな。
- フィアット ムルティプラ2代目前期型:フィアットの作ったミニバン。「世界一醜い車」や「乗ればこの醜いデザインを見ないで済む」などと評される強烈なエクステリアを持つ。ちなみに内装も少々独特。
- ランボルギーニ カウンタック:ご存じスーパーカーの大御所。空気を切り裂くが如きクサビ型の車体、ミッドシップエンジン、最高速度(自称)300km/hなど、日本における“スーパーカー”の定義をほとんどこれ一代で確立してしまった。冷却系の弱点が発覚してインテークをそこら中に追加したり、タイヤハウジングが小さすぎて15インチ以上のタイヤが履けない→パワーを吸収するためにやたらに幅が広いなどなど、ネタの塊のような車だが、そんなちぐはぐなところも不思議な魅力。あまりのインパクトに危機感を覚えたライバル・フェラーリが、最高速度302km/hを謳って365GT4BB(ベルリネッタ・ボクサー)をデビューさせたのも有名な逸話。
- マセラティ ビトゥルボ:スポーツカーメーカーだったマセラティが、デ・トマソ傘下で生み出した“スポーティな乗用車”。当初は2ドアクーペのみだったが、1983年にセダン“ビトゥルボ425”も追加。4ドアセダンにツインターボをぶち込んだのはこいつが世界初である。いかにも伊国面な豪奢な内装とイカレタ走行性能でバカ売れ。品質がアレだったため、後にいろいろと問題を引き起こしたが、マセラティの経営再建と、現在に至るラインナップの基礎を築いた中興の祖である。ちなみに、奢られたターボチャージャーは石川島播磨重工製、車名の「ビトゥルボ」は「ツインターボ」のドイツ語読み。三国同盟……っ!
- ランチア:忘れてはならないイタリア製自動車の名門。古くはムッソリーニ体制から現代まで続く公用車の老舗であり、モノコックボディ・独立式サスペンション・V型エンジン・5速トランスミッション・風洞実験に基づくボディデザインと量産車世界初の技術投入をしているが、フィアット資本が入るまで技術に偏重しすぎて経営の危機に瀕したことが何度もある。第三帝国ってのはこれだから・・・。
- ピアジオ MP3:2006年にリリースされたトライク(3輪スクーター)。特徴は、一般のトライクとは逆の、前2輪、後1輪のレイアウト。3輪ゆえの安定性を持ちながら(スタンドなしでも、自律で直立できる)、バイクのようにバンクさせた「攻めた走り」もできる、良いとこ取りの変態スポーツ・スクーターである。 日本にも導入され、当初は普通自動車免許でも乗れたので小さなブームを呼んだが、走行特性が2輪に近く、転倒事故が相次いだため、「側車付き二輪車」の扱いで二輪免許が必要となり、大きくは伸びなかった(なお、上位車種のジレラ・フォコ(Fuoco)は、現在もトライク扱いである )。 そのため、後続は現れないかと思われたが、そこはアジアの変態工業国が見過ごすわけはなく、2014年にヤマハ・トリシティがデビュー。125cc(原付二種)に続いて、155cc版、さらには845ccのNIKEN(ナイケン)と、こちらも独自の進化・変態化を進めている。
航空部門
- カント Z.511:レシプロ4発水上旅客機。レシプロ旅客機にデカいフロートをつけただけのような設計だが独自開発らしい。上記マイアーレなどを搭載する軍用機型の計画もあったが二機しか制作されなかった。
- ピアジオ P.180 アヴァンティ:ターボプロップエンジンの小型ビジネス機……、と書くとありふれているが、さすがはイタリア、スタイルがかなりファッショナブル。T字尾翼に、極端に後方にシフトした主翼、さらに前翼(カナード)を備え、プロペラはプッシャー式。尾翼があるので「エンテ翼」ではないが、どこかの国の試作局地戦闘機にも通じるスタイルである。見た目の通り、並みのプロペラ機よりも遥かに高速で、ジェットよりも燃費がいい。レーシング・チーム“スクーデリア・フェラーリ”のオフィシャル機に採用されるなど、販売実績も上々。ただ、騒音が玉にきず。ちなみにアメリカでも似たような構成の「ビーチクラフト2000 スターシップ」というビジネス機が生まれているが、こっちはさっぱり売れなかったそうで…。
- アグスタ・ウェストランドAW609:ヘリコプター製造の老舗・米ベル社から買い取り鋭意開発中のティルトローター式SVTOLビジネス機(ぶっちゃけると民生版オスプレイ)。半島といくつかの島から構成される国・イタリアには必須の民間機となりそうである。
銃火器部門(民間向け)
- マキナ・テルモ・バレスティック社:マテバの名のほうが有名な競技用銃メーカー。射撃競技向けのリボルバーを主に製造していたが、反動制御をしやすくするためにアンダーバレルリボルバー(2006M、6 Unica)、アンダーシリンダーリボルバー(MTR6)などの特異な外見を持つ銃を開発・製造していた。その設計理念(設計者及びデザイナー)はキアッパ・ファイアアームズ社に受け継がれている。ちなみにマテバ社として2014年に復活。MTR-8や6-Unicaに加え、AR-15やハンドガン用カービンコンバージョンキットなども製造している。
- キアッパ・ファイアアームズ社:マテバ社からその理念を受け継いだ会社で、より実用的な護身用向けのアンダーバレルリボルバー(Rhino)や三銃身の中折れ式ショットガン(Triple Threat)などを製造している。
- AF2011-A1 Double Barrel Pistol:ロシアのアーセナル・ファイアアームズ(活動拠点はイタリアである)が販売したダブルバレルガバメント。過去に作られたような二艇を溶接でくっつけた話題性確保のためのネタ銃ではなく専用に新規製造された部品で作られており、高級銃メーカーらしく仕上げも良く、専用アクセサリーを多数用意するなど、全力投球である。左右で使用弾を変え、初速の違う二種類の弾で時間差攻撃が可能となるDBDC Tacticalも製造。
その他
- イタレリ F-19:偶然にも「19」がアメリカの戦闘機の形式番号で13に次ぐ欠番となり、ちょっとした騒ぎに。こいつは、イタリアの名門模型メーカーであるイタレリが件の騒ぎに便乗して出した迷キット兼名キットである。発売当時、マスコミの報道とクリスマス商戦の相乗効果で売れに売れ、イタレリの財政を盛大に潤している。当時は「19」が欠番になった理由をアメリカ軍が答えなかったため様々な推測が飛び交い、このキットの存在が火に注がれた油(というかナパーム弾用の混合燃焼材)となり、アメリカ航空業界は冗談抜きで地獄絵図となった。実際、当時F-117を開発中だったロッキード及び開発チーム(スカンクワークス)は機密保持の面で思いっきりあらぬ疑いをかけられ、社長と開発チーム責任者が公聴会に呼び出しを食らい、社長が出席する羽目に。出席を免れた開発チーム責任者が引退後に「会社の内紛とこのインチキ模型のせいで公聴会に出席させられるところだった!」と述懐すると同時に本キットを罵倒していたことから、ロッキードでは蛇蝎の如く嫌われていたことが窺える。ただし、妙に真に迫っていたためにフィクションの世界では一大ネタ元となり、『ゴルゴ13』、トム・クランシーの『レッド・ストーム・ライジング』などではあたかも実機であるかのように描写された。ちなみにF-19にはモノグラム社が出した別デザインの物も存在する。
伊国面が世界を変えた例
……と、散々な事を言ってきたが、そこはかつて地中海をぐるりと囲む超大国を築いたローマ人の末裔たち、帝国の崩壊から1500年近くを経ても、本気を出せば世界を変えることなど造作もないのである。
- 軍用機:世界で初めて航空機を戦争に持ち込んだのは、実はイタリアだったりする。第一次世界大戦……の少し前に起こった伊土戦争にて、2隻の飛行船と25機の飛行機をイタリア陸軍が使用。エトリッヒ・タウベ(オーストリア製の航空機。ライセンス関係のゴタゴタが原因で世界中で作られた)による世界初の航空爆撃も行っている。
- ジュリオ・ドゥーエ:「制空権」「独立空軍」「戦略爆撃」の理論をいち早く提唱したのも、イタリアのジュリオ・ドゥーエ退役少将である。もっとも、先見の明がありすぎて、イタリアには早すぎた感も……
- 反跳爆撃(スキップボミング):後にダンピール海峡の悲劇をもたらした新爆撃法だが、実戦で初めて成功させたのも、実はイタリア空軍だったりする。考えた人の一人は、後に某パンツじゃないから恥ずかしくないアニメの外伝小説にて登場人物の一人のモデルに。同作では反跳爆撃も行われている。
- 無線通信:グリエルモ・マルコーニが実用化。それまでもトーマス・エジソンやニコラ・テスラたちによる機器開発の試みや実験はあったが、マルコーニの無線電信はこれらの成果を総括・再構成し、実用化に不可欠なキロメートル単位での長距離通信を実現した。かのタイタニックの沈没事故も、マルコーニのシステムを通じて最初の救難信号が伝えられた。ただ、このタイタニックの一件で名を上げたがために、遠くイギリスで「マルコーニ・スキャンダル」なんてとばっちりも食らったり……。
- ガブリエーレ・ダンヌンツィオ :より正確には日本、さらに詳しく言えば三島由紀夫に影響を与えた。エヤ、エヤ、アララ!
- 未来派 :詩人フィリッポ・マリネッティの提唱により、旧来の価値観を破壊し、「機械」と「スピード」に象徴される「運動の美」を訴え、その後の前衛芸術に重大な影響を与えた。
- フランス料理:実はイタリア料理が原型。それまではゆで野菜や丸焼の肉を手掴みで食らう野性的なフランス宮廷の食事を、16世紀初頭にメディチ家から輿入れしたカトリーヌ・ド・メディチが専属のイタリア出身の料理人を呼び寄せて改良。結果フランスの宮廷は見違えるように華やかな食事がもたらされ、これが現在のフランス料理の原型となったという。またフォークとナイフによるテーブルマナーも同時に持ち込まれた。食への妥協なきイタリア魂が、欧州の食文化を席巻した結果といえよう。