TVアニメ『SSSS.GRIDMAN』の登場キャラクターについてはアンチ(SSSS.GRIDMAN)を参照。
コンピュータウイルスと関連したものはセキュリティ対策ソフトを参照。
ファイナルファンタジー2の魔法。対象のMPを減らす。後のシリーズのラスピル。
概要
本来的な意味は「特定の何かに対して反対する立場」であり、それ以上でもそれ以下でもない。(例:アンチテーゼ、アンチヒーロー、アンチエイジング、アンチウィルスなど)
転じて「嫌悪感・反発心を抱く者orその感情」をさすこともある。その意味では「これ嫌いだな…」という感情を何かに対して抱いた瞬間、あなたはアンチになる事ができる。それを表に出さず自分の心の内に留めておく事はまさに良心の自由であり、それを批判される謂れはない。こうしたアンチは「良識あるアンチ」と言えるだろう。
が、現在ネット上で一般に使用されるアンチとは特定の人物・団体・ジャンルなどを、理屈・他人への迷惑・ファンへの配慮を一切無視し、矛盾・暴論なんでもござれ、自分の感情の赴くまま叩き続ける行為やそれを行う人の事を指すのがほとんどである。残念ながらネット上においては自分のヘイト感情を辺り構わずブチ撒けるアンチが後を絶たない。と言うか「良識あるアンチ」が「良識がある」とされる根拠はそもそも公衆の場でヘイト感情を書き込まない事に由来するためネット上では非常に視認されにくい。すなわち「ネットで目にするアンチ=非常識な連中」となるのも当然と言えば当然である。
また、言っている本人は純粋に問題点を指摘しているつもりでも知識・合理性・客観性を欠いているためアンチ意見にしかなっていないケースもある。
(例:「俺にはそんなもの必要ない」→売り込まれてもないのにこういった発言をする
「○○という要素が無いからダメ」→無くても評価されているものはあったりする)
叩く目的としては、主に「ストレス発散」と「共感ほしさ」である点があげられる。
また嫌いな対象を叩く事で、相対的に自分自身や自分の好きなものの問題点は「嫌いなあれよりマシだ」と自己正当化する事もある。
さらにこれが発展すると自演・工作・組織票といった弱点を誤魔化すだけではなく自己愛を満足させるための行動に走る事がある。
また、「悪者を叩いている自分が好き」で攻撃する場合もあり、「叩くことが正義」「他の人も叩くべきだと思っている」と考えていたりと自治厨的な要素を持っていることもある。
アンチの数についてはその対象の知名度や人気、そして動向にもよるが、それらがなんらかの理由で批判されるような事態になると「正義感」という理屈から途端にアンチが勢い付き、「あれは叩かれて当然」、「非難しない奴は信者か厨」とばかりにアンチおよびそれに近い行為を正当化しはじめるようになり、さらにはそんなアンチ行為を咎める流れに対しても言論および表現の自由を盾に居直ろうとしたりする。
そしてそんなアンチが多数派になってくるとアンチの主張する負の評価が対象の決定的な評価として扱われてそれら以外の肯定的な感想や意見は尽く封殺され、その結果さらに普通のファンが離れていくという悪循環に陥ることとなる。
形態や目的は様々だが、対象やそのファンに対する思いやりを著しく欠いているという点では共通している。
また、無意識に匿名での攻撃的な人格がリアルの人格へとフィードバックされ、言動がクズ化することもあり、最悪の場合、関係者への脅迫や物理的な傷害といった「ヘイトクライム」と呼ばれる事態に至ってしまったケースも存在する。
近頃ではアンチ行為のマイナスイメージが浸透するようになったためか、アンチ行為を働く際にはいわゆる“中立な立場”を装いつつその言い分を“大勢の人の意見”のように主張して自分がアンチであること、あるいはアンチ同然の行為を取っていることを誤魔化そうとしたり、そもそも自身でそうだと気づいていないケースも見られ、酷い部類だと「自分のようなアンチを生んだ向こうが悪い」と開き直りというか責任転嫁じみた態度に出ることもある。
アンチ一歩手前の段階だと自分が触れた人物および作品に対して何かしらの不満を感じたとしても、それがそうなったとされる背景や状況についても周りの風評に影響されたり、あるいは根拠に乏しい邪推じみた考えで批判、否定に走り、そこから完全なアンチに転向するというケースもままあったりする。
また、本来ファンが集まるべき場所が事実上アンチスレと化して攻撃・誹謗中傷・迷惑行為への拠点と化し、逆にアンチスレに本来のファンがアンチへの批判を目的に集うという逆転現象が発生しているケースすら見られる。こうなってしまえばアンチとファンの住み分けは困難となり、まともな話などできなくなってしまう。
何にせよ、嫌なものからは離れるのが精神的に楽であることは忘れない方が良いだろう。
アンチの具体的な行動
「自分の嫌いなもの」で楽しむのが許せないと言った感情を持ち、「自分の嫌いなもの」を楽しむ人間を更に嫌うため、各所(ブログや掲示板など)で批判的な書き込みをしたり荒らしを行う。
「こんなモノが好きな奴はおかしい」といった発言もしばしば。
また、自分の嫌いなものを貶めるために別のものを不必要に持ち上げる(持ち上げる「別のもの」が「自分が好きなもの」でない限り、当然「別のもの」への愛情など篭っていない)といった行動を取る。
同様のパターンとして、アンチ対象の作品に対して「こんな作品を面白いと思ってる奴は、もっと面白いものを知らない奴で哀れだ」と他の評判のいい作品を比較して皮肉を言う事が挙げられる。勿論片方を持ち上げるのが目的ではなくアンチ対象を下げる為の叩き棒でしかないので、比較対象とされた作品の評価やファンの印象すらも悪くしてしまう風評被害を与えかねない。
そもそも客観的評価と主観的評価は別物である。
酷い時には「嫌いなもの」の話題でなくても、話の流れを遮って叩き始めるといったアンチも存在する。中には本当は嫌いでないものにまで誹謗中傷を行う者もいる。
実在の人物へのアンチの場合、粗探しのために対象の行動を探ろうとする。
基本的には些細な間違いを叩くといった行動だが、更にこれが進むとマナーやルール違反に当たらないようなことでまでとてつもない迷惑行為として叩こうとする(例:なにこれ超かわいい等の賞賛タグにも延々文句を言う等)。
アンチが付いた側が「スキャンダルを起こした」「犯罪行為で逮捕・立件された」等、実際に非がある場合はもっと厄介で、アンチによる荒らし・迷惑行為に対して辟易した態度を取る等の不快感を示し、下手に擁護しようものなら「犯罪・迷惑行為の正当化」「モラルに反するあくどい手段の容認」等と受け取られて逆に擁護した側や穏健派まで攻撃対象にされ、本来する必要のない炎上まで発生してしまうというシャレにならないケースも少なくはない。
本来、犯罪であるならば然るべき法によって裁かれるべきであるし、そこまではいかないマナー違反であれば制裁を与えるのは管理者であり、何の関係もない私人が勝手な正義感だけで制裁していいはずがないのは言うまでもない。
アンチコメを咎められ「感想を言っただけなんだが」とか「これは問題是正のための批判」等「感想」や「批判」という言葉を使ってアンチ行動を正当化するが、実際はせいぜいただの「不満」か「愚痴」、極端なもので「誹謗中傷」の方が正しかったりすることも多い。
そういう輩にはレスをした後100%反論されるのでその際に「ん?俺はお前のレス(コメント)を見た感想を言ってるんだが?感想なら何言っても良いんだよね」と返してやろう。
アンチ発言をした上で、「逃げるの?」「悔しくないの?」とファンを挑発することもある。
たとえ批判という体で改善要望や是正案を出していたとしても、アンチのそれというのはだいたい対象がキャラクターなら“物語からの退場(酷いものだと死亡)だったり、作品全体なら“監督や脚本家を始めとするスタッフの入れ替え”や“全て最初から作り直し”だったりと、とても現実的ではない御客様目線での身勝手な要求(いわゆる“無茶振り”)がほとんどで、しかも実際には叩く対象に改善など求めておらず、改善したところで別の叩く口実を探すだけである。そもそも運営が要望を聞いた所で“最初からそうしとけ”や“もう遅いよ”などと嫌味を吐くのもざらである。
過去の一部の作品ではイベントに殺害予告などを送りつける(本当に実行しようとし逮捕されたケースも有る)、凶器を持ち出しイベント等へ乗り込み暴れ出演者に危害を加えるなどの過激な行動へ走る輩も残念ながら存在している。
許せないから出演者を潰せば作品がなくなるという考えが引き起こしたものだがそんなことをしても企画など潰れはしない。ただし、ごくまれに前述の予告が届いたりして企画自体が中止になることはある。
ただし、アンチの中には単なる感情論や人格否定ではなくファンおよび信者しか知り得ない(あるいは知る必要がない)情報で理論武装し、それに基づいてアンチ行為を行う者も存在する。
というよりファンよりアンチの方が知識を蓄えているなんてケースも往々にして見られ(ファンはネガティブな情報を知る必要も見る必要も無いが、アンチはネガティブな情報とその根拠も知っていなければ叩けないため)、こういうアンチはファン側の言い分を逆に論破して見せたり、ファン側が抱いている幻想やイメージを反論しようのない現実的な理屈で否定しようとするなど感情論で動くアンチよりも別の意味で質が悪かったりする(加えてこの手のアンチは自分の主張が論理的かつ客観的だと思っていたり自分の理屈が正しいと思っている分、結果的にアンチ同然の行為に走っているという自覚も薄かったりするため対処が非常に難しいことも上げられる)。
そのアンチが提示する情報が事実であればそれらを取り巻く事情は更に複雑なものになるが、たとえいくらアンチ側の主張が真実であったとしても、だからといって過剰な非難行為が認められるというわけでもなければ、そのアンチが言うような問題がコンテンツの成否や今後を左右するほどのものであるかどうかはその時になってみなければ分からない、にもかかわらずアンチ側はその事実だけを根拠にアンチ行為を正当化しようとしたり対象の行末についてなにかと悲観的な極論に持って行こうとする傾向があり、さらにその情報の中に向こうが抱いている先入観や邪推が含まれている可能性もあるため、彼等が主張する対象の評価を鵜呑みにするのはそれはそれで危険である。
また、これらの特徴は後述する“何らかの理由でファンからアンチに転向した者”あるい“現役のファンであるがその対象の特定の要素に対してアンチ的思考を持つ者”にも見られ、この元ファンだったアンチもまたファン時代の知識や情報(当時ならさほど気にしていなかったものを含む)をそのまま対象の否定材料にしてきたりもする。
他にもいわゆる“賛否両論”と言われるものであってもアンチ側は「否の方が多数派なのだから失敗」とか「賛否が分かれていること自体それに問題があることの証拠」とばかりにとにかくネガティブな方に受け取ってことさらそれを強調する傾向があるため、そういう負の情報についても他の人間は冷静に判断する必要がある。
なお、彼らが「信者」やそれに類する蔑称を使う場合、大抵は実際にマナーの悪い人間だけではなく、普通の良識的なファンも対象に含まれている。
彼らの言う事を鵜呑みにしていたら人物ならこれまでの功績や生き様、鑑賞作品なら前提やテーマ自体が否定されてしまう事も少なくはない。
例えば『ロミオとジュリエット』なら…
「ロミオとジュリエットが悲恋に終わったのは、シェークスピアのせいだ」
「報われなかった恋を見てメシウマするなんて悪趣味だ」
といった具合である。
この作品は悲恋に終わってしまったがゆえに語り継がれた名作だが、それに対して悲恋に終わらせた事自体と、それを面白く思う事を批判しているので、当然互いの意見が噛み合うわけはない。
荒らし等の"悪意"が絡む場合もまた同様で、草花や作物を大切に育てる人間と、それを滅茶苦茶にして悲しませる事自体を悦びとするような輩では、分かり合える筈もないのである。
Pixivの場合
当然、自分の意思をイラストで表現する場であるpixivでも何らかの形で対象へのアンチ行為が行われることがある。
そのアンチが絵師系ユーザーならば自身が嫌っているor周りから不興を買っているキャラクターや人物、作品に対してプラスとなる笑いのネタではなく元よりその対象を否定、あるいは愚弄する目的でそれらを茶化したり皮肉ったりしたようなイラスト、さらにそれに登場するキャラクターなどを不幸で悲惨な状況に追い込んで貶めるかのような内容のイラストを投稿したり、それに加えてキャプションやセルフタグなどにも何かしらの批判的な文章を添付したりする。
イラストを描けないROMユーザーの場合はそういったアンチ系イラストのコメントおよびタグ欄に“いいぞもっとやれ”とか“当然の報い”などその内容に同調するタグやコメントを残したりする。
それだけならまだ良いとして、悪質なものになるとその対象(題材)を肯定的あるいは普通にかっこ良く描いた作品であったとしても、そこの投稿欄に否定的なコメントやタグを付けたりして、その描かれている対象、しいてはそれを描いた絵師さえも叩こうとしたり、たとえ明確なアンチ目的かわからないネタイラストであっても自分勝手な解釈で上記のような扇動的かつ批難的なコメ、タグを書き込んだりする(煽り以外の例としては物語のIf的展開を描いたイラストに多い“どうしてこうならなかった”や“もうこれが公式でいいよ”タグなども場合によっては遠回しな原作Disの感覚で付けられたりする)。
他にも顧客(依頼者)・開発者双方への戒めである“顧客が本当に必要だったもの”タグも「顧客(自分達)が求めていたのはあんな作品ではなくこれだ」「顧客の要望に応えられなかった公式は反省すべきだ」という、公式や原作者への皮肉を込めた称賛の意味で使われたりする。
なお、この風刺における「顧客」は消費者の事ではないので、消費者が依頼者・開発者側を皮肉る用法は誤用である。
なお、Pixivでよく見られる二次創作ものでは元からその作品の内容および前提を思いっきり捻じ曲げたり、個のキャラを崩壊させたようなネタのイラストは非常に多いが、これ自体は一概にアンチ行為と言えないものの、明らかに対象に対して否定的かつそれをさも公式のごとく繰り返し強調するかような描き方をすると他者からそう見られてしまう場合があるため、荒れそうなジャンル、ネタの扱いに関しては描く側もそれなりの注意と見る人への気配りも必要になる。
Pixiv百科事典の場合
一方、このピクシブ百科事典もあそこほどではないにせよ書き手のユーモアがある程度許容されており、Wikipediaのような厳正な編集基準もなく、とにかくログインさえしていれば誰でも編集修正が可能であることから、記事の内容が個人の主観的な視点に基づいていたり、文章もどこか感情的なものを含んでいたりする場合が多い。
しかし、それゆえその記事で扱われている対象に関して否定的な考えを持つユーザーによる荒らし行為や自身の主観に基づいた偏向的な内容への書き換えも発生しやすく、その結果記事そのものがもはや解説よりも非難と糾弾じみた記述で占められた一種のアンチ記事と化してしまうケースも少なくない。
特に何かの創作物における評価が分かれがちなキャラクターや劇中で発生した衝撃的なイベントについて扱った記事、あるいはネットや現実で物議を醸している事柄および人物を取り上げた記事なども編集者の解釈によってはそれらに対して極めて批判的、否定的な記事として編集されることもよくあったりする。
一方、編集者側はそういう記述を自分がアンチだからではなく、自分の主観および周りの評価や風評から「あくまで事実を書いているだけ」「皆がそう思っているんだからそう書いて良い」と思い込んで何の気無しに編集したり、説明しやすさからか他作品(関連性の有無は問わず)のキャラと露骨に比較するような記述をして相対的かつ結果的にそのキャラを貶していたり、というような無自覚なタイプであることも考えられる。
加えてこの事典では全ての単語、文章が記事になりうることから場合によってはイラストタグとして存在しない、あるいは付けられているイラストが極端に少ない単語であったとしてもその対象の問題とされる部分を皮肉的かつ揶揄的に形容したようなタイトルを使い、内容もその対象の負の面を強調した批判目的のネタ記事が作られたりすることもある。
最近ではこうした記事内で対象を叩こうとするアンチ系ユーザーと、あくまで記事内容の中立性を求める他のユーザーとの間で激しい編集合戦が発生するケースも問題視されている。
アンチになる原因
- 理由なし
とにかく理屈など一切抜きで嫌いというもの。
二次元のキャラのアンチになると普通ならば「漫画だから」で済ますような部分を執拗に叩いたりする。
おそらく叩く・噛み付くといった行為が三度の飯より大好きなのだろう。
- 妬み
人気作品に対して、理由を見つけては叩くというもの。
「自分は流行なんかに流されないんだ」と思いたいのかもしれない。
- 好きなものが終了した後に入ってきたから
主にアニメやドラマや番組のファン及び信者がこの理由でアンチになることがある。そのためこのようなアンチは一定の作品のファンでありながら、別の作品のアンチをしていることになる。
この手のアンチは「好きな番組が終わったのは後番組が入ってきたせいだ」と勝手に思って憎む。
番組が放送終了したことが受け入れられていないため、アニメが終わった喪失感や寂しさを後番組を逆恨みして叩くことによって解消しようとしているのかもしれない。
なので、この手のアンチはほとぼりが冷めるまでの一時的なものであることが多いが、このアンチが後番組を叩くため後番組のファンと衝突することが多い。(例:アイカツおじさんと銀魂ファンの騒動)
番組終了をきっかけとしたアンチでは、地上波キー局の情報・報道番組拡充施策による再放送も含めたドラマやアニメ放送枠の縮小を嫌う者が多い。テレビ朝日系列で「スーパーJチャンネル」開始当初、不倫でイメージが悪かった石田純一が月木のキャスターだったことで、同時間帯の報道番組中最低の視聴率となった。同時期に金曜日の担当だった田代まさしが番組降板後ではあるが逮捕されたことでこの時期のテレビ朝日に対するイメージはさらに悪化し、「夕方の刑事ドラマ再放送枠潰したテレビ朝日は許せない]との恨みの声が再放送枠が復活した今も残っている。こうした報道番組に対しては好きなドラマやアニメの曲が陰惨なニュースの場面に使われるのが不愉快であるという苦情もある。石田や田代がJチャンネルに出演した時期に起きた神戸連続児童殺傷事件は、BGMの件の他これに起因する再放送打ち切りなど様々な不満を視聴者にもたらした。
現在の地上波に批判的なアンチの中にはBSや動画配信を地上波キー局再放送枠の代替とするのには抵抗があるという者も少なからずいる。格付けの不満というもので、地上波ゴールデンタイムから他の時間帯に移動したアニメや特撮番組の扱いについて個別の作品のファンが不満を漏らすことが昭和の頃から行われていた。地方ではゴールデンタイムからの移動が打ち切りにつながることがしばしば問題とされた。アニメでは休止の多いゴールデンタイムよりも平日の夕方や土日の方が番組の休止が少ないことからゴールデンタイムの放送がむしろマイナスであると捉えるファンも多い。ドラマでは新作、再放送問わずBSでの放送が主体になった時代劇の放送枠運用や刑事ドラマ再放送枠の扱いについて不満の声が上がっている。ジャンルを問わず、地上波キー局での放送枠消滅は番組の知名度低下につながり、それが番組の格を下げることになるという論理である。
- 恣意的な情報の受け売り
アンチスレやまとめサイトといった否定的な場で開示された画像、動画での恣意的な切り抜きなどの偏った情報を鵜呑みにし(ネットde真実)、誤解と偏見からその対象を非難するようになったタイプ。また、ネタキャラにありがちな「ネタだからいくらでも叩いても構わない」という思考からキャラヘイトに手を伸ばす形でアンチになる者もいる。
一応は誤解が解ければアンチ行為を止めるかもしれないが、この手のアンチは対象への負の先入観が非常に強い傾向があり、他者からの諫言や意見に対してもそれを“信者の干渉”と受け取ってさらに反発することも少なくない。
また2ちゃんねるを閲覧した事で自分は周りの人間よりも優れていると錯覚するようになった2ch脳の人間にもよく見受けられる。
- 0か100か思考
物事を0点か100点でしかで考えられないタイプ。
如何なるものにも完全無欠な成果を求める完璧主義者で、その対象に自分から見て何か欠点があったと感じるとその価値を全く無いものと見なして否定に走るようになる。早い話が二元論思考。
反面、その評価基準は決して論理的なものとは限らず、至って個人的な価値観と盲目的で極端な視点から来るものだったりすることがほとんどである。
それに加えて第三者の目で作品全体の状況や展開の動きが見えるいわゆる“神の視点”から常にキャラクターの行動に最適解を求めたり、何かと都合のいいストーリーを期待しておきながらそういう結果にはならなかった途端そのキャラクターおよび作品に対して「こんな展開ありえない」と勝手に反発を起こしてこうなる人間も少なくない。
- 当人が問題を起こした場合
現実において何かしらの騒動や事件を起こした人物を叩くというもの。
主な対象は芸能人、政治家、アーティスト、クリエイターなど元から有名人だった者、あるいは何らかの要因によりメディアやネットとかで名が知られるようになった一般人などである。
テレビ局のアンチは1995年のオウム事件以後顕在化した。TBSやテレビ朝日はビデオソフト未発売や再放送枠の縮小で反感を持つ視聴者が多かったところにTBSの不祥事の報道があり、民放の報道姿勢についてもやり過ぎという批判があった。オウム関連の報道番組自体が視聴者にとって心身の不調をもたらす不愉快なものであったことからレンタルビデオの駆け込み需要も発生した。この時期に放送されたドラマやアニメは視聴率が低下して内容の評価も低く、オウム事件以前と比べてサブカル出版物の論調も全体的に辛辣で国民全体にストレスが蔓延していた。この頃のことを蒸し返してテレビ局スタッフの悪口を書き込む輩が未だにいる。
近年ではコロナウイルスやウクライナ報道で心身の不調を訴える人々がいるので配慮が必要であろう。マスコミを過度に批判する書き込みで不安を煽る輩も後を絶たない。
具体的には生々しいニュースを見ない。コメントが荒れそうな事件については完全にスルーするつもりでいた方が良い。
- その作品やキャラクターが自分の価値観に合わない
そのキャラクターの言動や性格、作品全体の設定そして展開が自分の趣味、あるいは理想に合わず不愉快に感じたという理由からその対象を批判するというもの。
上記の二元論思考派と同じくキャラクターの行動や作品のストーリーに関してある種の願望的な期待を抱いているが、それが裏切られたり外されたりして自分の意にそぐわない展開や結果になった際に生まれ易く、おそらくアンチとしては最も多いタイプの一つであろうと思われる。
価値観や嗜好なんてものは人それぞれであり、数あるキャラおよび作品の中にはどうしても自身に合わないものが出てくるのは当然といえば当然の話ではある。
しかし、この手のはアンチは「これは個人的に好きじゃない」で済ませばいいものを「このキャラは最低だから居なくなればいい」とか「この作品の設定や展開はありえないから駄作」「この作品はつまらないから叩かれるべき」「こんな作品(キャラ)作った製作者はダメ」とばかりにその自分の感覚を絶対的基準にしてその作品とキャラクターの存在そのものを完全に否定しようとする。
- 自身が常識人だと主張
妬みが原因とは逆に、マイナーな作品やネタを叩くというもの。
具体的には「そんなの誰も知らない」「好きなのはお前だけ」といった発言をし、自分は標準的・常識的な人間であると主張する。
pivivにおいては「そんなもの描いても閲覧数伸びない」といった発言をする輩がこれに該当。
自らを「普通」であると称するが、注目しなければ攻撃することもないため好き嫌い以前に注意を向けている、つまり関心があるということになり、基本的なネットマナーを守れていない時点で非常識であることは間違いない。
- 自身が大人だと主張
子供が好みそうなもの、明確に子供向けと言われているを叩くというもの。
大人っぽいものが好きなど小学生でも言えることであり、大人だと主張したいならば好きなもの・嫌いなものが何かよりも関わり方や感想の書き方で大人であることを示してもらいたいものである。
- アンチ対象への無理解・偏見
「どうせ下らないだろう」と勝手で根拠のない妄想から叩くというもの。
要は食わず嫌いであり、漫画・アニメ・ドラマ等の場合、制作スタッフやキャストの方々に対して極めて失礼である。
pixiv内ではROM専を卑下する発言もみられるが、ROM専でも純粋に作品を楽しんでいる人はいるため、ROM専は荒らし・絵師様は偉いといった理論はいささか乱暴に思える。
一部があまりにも悪質な場合はこの限りではないが。ただし、比較的に愛好者に寝返る見込みがある原因であるだろう。
- 押し付けられた時
単純に愉快犯だったり嫌いだから反発者になる人間ばかりではない。愛好家等の執拗な趣味の押し付けを受け続けた挙句、生理的嫌悪感と過剰な精神的ストレスから新たな反発者が生まれてしまう場合もある。そういった人間が「○○は俺たちに迷惑をかけた!」などと言って他の場所で荒らしを行う場合もある。自分が好きなものを無理矢理に他人に押し付けたりしないほうがいい。
- アクセス数やフォロワー稼ぎ・アフィリエイトなどによる金儲け目的
最近爆発的な勢いでアンチを増やしている原因。
いわゆるまとめブログとかで見られるもので、2chなどの他サイトのコミュニティで出た否定的な意見だけを集めてわざとその対象の評価がいかに世間的に悪いものなのかをアピールしたり、逆に褒め殺しに近い担ぎ上げ記事を作ってアンチを煽ったりしてさらにファンとアンチを対立させ事態を泥沼化させる事で意図的にネット上を炎上させ、アクセス数などを増やし自身のフォロワー稼ぎやアフィリエイトを介した収入を得ようとすることを目的としている。
これらはアルファやアフィカスと呼ばれる人種で、この手の人間のアンチ発言は極端な数字・拝金主義思想に徹している事から「いかにその作品のファンを刺激するか」を重視している。過去の炎上発言の悪い意味での功績から純粋に発生したアンチと違って数千人以上のフォロワーを持っている事が多く、その内容がアンチ発言を繰り返しているアカウントはこのアルファやアフィカスである可能性が非常に高く警戒必須である。
無論、彼らは人気作品は自分の名声や小遣いを増やすための消費コンテンツとしか考えておらず、作品そのものに対してはどうでもいいというのが本音であり、そういう意味ではブログの運営者自体は厳密にはアンチとは言えないかもしれないが、その対象のファンからすれば恣意的に対象のマイナスイメージを拡散してアンチを増やしていることからアンチと同等かそれ以上に悪質な存在に映ることもある。
さらにそのアルファやアフィカスによる意図的なアンチ行為をにわかが真似し、ファンに迷惑をかけるという二次災害まで発生することも。
ファン転向型のアンチ
アンチは必ずしも「その作品が嫌いだからなる」とは限らない。
それが好きであったが故に失望し、アンチに手のひらを反してしまうというケースも多々ある。
むしろ此方のパターンの方が「己の為に他を壊す」ようなタイプが多くみられる為タチが悪く、アンチとしては悪質というケースすらある。
こういうファンから発展したタイプはあくまで「自分はファンだからこそ言っている」とか「ファンに叩かれるようなことをした公式サイドが悪い」と自身が既にアンチ化していることに気づいていないかそれを認めようとしない傾向があり、人によってはそれを諌められたり、咎められたりすると開き直りや逆ギレみたいな反応に出ることもある。
加えてそのアンチが嫌う要素を許容しているファンとの間で対立が起こり、その対象を扱っているコミュニティが荒れてしまうことも多い。
- 作品とそのキャラクターは好きだがそれを製作、提供する側の意向が気に食わない
そのコンテンツのシリーズおよびキャラクターへの愛着は深いが、作品毎の出来、シリーズ全体の変化、一部のキャラクターの扱い、そしてその売り方に関して不満と反感を抱いているタイプのアンチで、こういうファンも兼ねた、あるいはファンから転んだアンチはだいたい作品そのものではなくそれを出した制作側、販売側に非難の矛先を向けることが多いのが特徴。
主に特撮において旧作ファンが再放送やビデオ発売打ち切りの恨みをテレビ局や制作会社に向けるケースが90年代は目立った。レンタルビデオには地域格差もあり、DVDオンラインレンタルや動画配信サービスの充実によりこれらの不満はある程度解消された。90年代は、一部のサブカル系出版物におけるスタッフに対する人格攻撃や事実誤認による批判がひどかったという指摘もある。
番組の打ち切りや放送時間の変更等の視聴者対応の失敗から放送局や制作会社が視聴者の反感を買うケースも多い。
コンテンツが続いている限りは「純粋に期待している部分もあるから」「コンテンツやシリーズへの投資のため」「ちゃんと批判したいから」などの理由でそれを今まで通り利用し続けるが、根底に製作者側への不信感があることからその製作者側がシリーズに対して新しい動きを見せたりすると「余計なことするな」「何も期待できない」とそれが実施される前から反発に出る傾向が強く、その中でもプロデューサーやディレクター、あるいは監督か脚本家など責任のある立場の人間をまるでそれらを貶めた戦犯扱いして非難するだけでなく、過激な者の中には僭越にもそんな人達の更迭や降板を求めたりと人事にまで口を出したり、さらには本気か否かはともかくその人らに対して脅迫じみた言動に及んだりもする。
ゲームの場合もシリーズを経る毎にコンセプトやシステムが変わってしまうことに加え、攻略における難易度やバランスが大きく変動してしまい、その結果よほどそのゲームをやりこんだか運の良かったプレイヤーしかクリアできない、あるいは欲しいアイテムやキャラクターの入手が困難になるといった微妙な格差が発生してライトユーザー層から不評を買うことになったり、逆に難易度が下がってヘビーユーザーから反発されることがあり、これもファン転向型のアンチを生みだす一因となっている。
- シリーズ変遷に適応できない
漫画やドラマ、アニメがシリーズ化し、長期間続いたら過去の作品とギャップはどうしても出てくるが、これに対し「前はこんなのじゃなかった」を理由に叩くもの。
こちらは「懐古厨」と呼ばれており、過去の作品のイメージ(欠点や問題点であろうと)のみを美化し、逆に最近のシリーズ作品の特徴を過去のそれらと比較して否定、拒絶する。
また、事前にそれらの変更部分あるいは追加部分の情報が公開された際、それに関して自分が気に食わないと感じる要素、あるいはこの要素のせいで失敗する可能性が生まれたというだけで「どんな判断だ」「可能性を生み出しただけでアウトなんだよ」とばかりに激しく反発したりする。
これに根拠があるかどうかはわからないし、どんな場合でもアンチだけが悪いとは限らないが、基本的にどんなものでも欠点はあるので大したことのないものや有益になりそうなものは上手く活かすべきであり、安易になくすべきではないだろう。それにゲームの場合や前作から長年空いた新作の場合などは大きな風変わりのリスクがあるものである。
例えばセガぷよとけものフレンズ2が顕著であり、いずれも、アンチから『旧作に対する冒涜』の烙印を押されている。
- 好きなシリーズの作品が期待はずれだった
自身が愛好しているシリーズの続編物や別のメディアに派生する形(主にアニメ化や実写化などが多い)で制作された公式二次作品において、その内容およびクオリティが自身の期待していたものと違った場合にそれらの作品を叩くというもの。
無論、制作サイドが結果的にファンの期待に応えられなかった場合や明らかに製作体制に問題があったなんていうケースも大きな要因だが、こうなるとそれらの作品をいわゆる「シリーズの黒歴史」呼ばわりしてその存在を完全に否定(この内、あくまで派生作のみに否定的な執着を見せる輩は原作厨と呼ばれ、その派生作を「原作レイプ」などと決めつける)しようとしたりと、元々ファンであるがゆえに「裏切られた」とする被害者意識(=被害妄想)や「こんな作品シリーズにあってはならない」とする純潔願望が強く出るのか、アンチ行為が非常に粘着質かつ苛烈になりがちである。
- 公式における特定のキャラクターの扱いに関して不満がある
「キャラクターは好きだが、作品そのものは嫌い」という上記に挙げられた者達よりもさらに極端なタイプ。いわば「作品・原作者アンチ」で、好きなのはあくまでキャラだけなので、そのキャラクター描写に何かしらの不満を感じた際にその作品全体に対して真っ向から反発するようになる。例えば公式作品で自分が好きなキャラクターが死亡したり退場したり、あるいは悲惨な扱いを受けた場合「自分の嫁(彼)を返せ」「あのキャラのいない作品に存在価値はない」「あの作品(の製作者)は最低だ」などと公式や原作者に(実際に作品内で殺害したキャラクターやそう扱ったキャラクターと同時に)怒りをぶつけるような行為などが該当する。
特にキャラゲーや日常系アニメ・漫画といったストーリーそのものよりもキャラクターが主眼となる作品だと「公式より自分の方がキャラクターを大切にできる(している)」と自負しているような人間が多い傾向にあり、このような人間は公式(原作)でのそのキャラクターの扱いがいかに作り手にとっては順当なものであろうと、それが自分の意にそぐわなければ非難されるべき過ちだと見做して反発するようになる。
- 極端な信者の他作品への敵意
好きな作品やジャンルを信仰するあまり、他の作品を否定するいわゆる「厨」と呼ばれるタイプ。
厳密な意味ではその対象のアンチではないと言えるが、自分の好きな作品こそが人気的にも評価的にも最高だとし、それ以外の作品を格下のように扱ったり、まるで互いを比較するように批判したりと、異教徒狩りのような結果的にアンチ同然の見方をしている場合が多く、これがエスカレートしていくと、その対象をよく知らないのに本当にその作品のアンチと化してしまうケースもある。
また、その卑下している作品のファンに対しても、攻撃を仕掛けてくる場合も少なくない点から、作品間およびジャンル間のファン同士の対立、宗教戦争のような騒動を招く大きな要因となっており、時に公式による他作品とのコラボにも過剰反応したりする。
もしかして→アンテ信者
また、好きなコンテンツに向けられる一切の批判を、悉くシャットアウトする輩もいる。
エアプを疑うような支離滅裂な批判ならまだしも、劇中描写からなる明確な違和感や不備、出典が明確になっている批判情報さえもシャットアウトした挙げ句、それを記載したユーザーを「荒らしだ!!」と声高に糾弾するのは、却ってコンテンツを正当に評価していない行為である。
更に、そのような強権的な言動を他者に押し付けた結果、元々いたファンを離れさせるに留まらず、新規ファンまで遠ざける事態を起こし兼ねない。
- 好きなコンテンツが不評を買っている
これも上記の「厨」と同じタイプで、自分が擁する作品が何らかの理由で不評に晒された際、それを払拭するためなのか他の作品をひたすら叩く。
その不評意見に対して「あの作品の信者(ファン)が難癖をつけている」「これよりもあの作品の方が酷い」と批判を矛先を無関係な他の作品に向けようとして、これまた間接的なアンチ行為を働く輩も多いが、他を卑下した所で自分が推すものの評価が上がるはずはない。
- 作者が別のジャンルに浮気した挙げ句、自分の好きな作品をエタらせた
作品は好きだが、作者自身が好きなわけではないファンが陥りがちな思考。
エタらせる行為自体は商業作品では滅多に見られない(そもそも商業作品でそれをやったら、確実に仕事を干される)が、アマチュアの作者はちゃんとした区切りを設けずに連載中の作品をぶん投げる・他のジャンルに浮気すると行為に走るものが少なくない。
そして結果的に取り残されてしまったファンが、作者は自分を裏切ったと認識してアンチへと変貌してしまうパターン。
中途半端に正当性がある上に、根底にある愛憎と未練は尋常ではなく、人によっては年単位で粘着し続けもする。
……等々。
実際にはこれらの要因が複数絡んでいるようだ。
アンチのアンチ
中にはアンチによる迷惑行為・破壊行為に嫌気が射し、アンチ意見に対する批判を繰り返すあるいはアンチに対して必要以上に過激な言動を取るようになった人間も存在する。
「対象の評価とは一切無関係」な点で、信者とは一線を画する。
アンチ(つまり批判されている側)による批判者へのレッテル貼りとして使われる事も多いが、そうでなければ問題提起している側が無自覚な荒らしとして、アンチと同様に煙たがられるケースが多い。
まさにミイラ取りがミイラである。
尤も、迷惑行為に対して嫌悪感を抱くのは至って普通の反応であり、一概に咎められるものではない。
学術的な研究
イギリスのリチャード・シェリー博士が行った調査によると、ソーシャルメディアを利用する人は、他人との「共感」や「思いやり」を感じにくくなるそうだ。また、怒りに駆られて冷静な判断ができず、攻撃的な対応に出ることもあるという。
心理学では、社会での仮面的な人格を「ペルソナ」と呼ぶ。
「ある人に電気ショックを与えてください」と被験者に頼んだ実験がある。
その際、
A「仮面をつけ、かつ匿名で参加した場合」
B「顔と名前を出して参加した場合」
の2パターンで実験すると、明らかにAの方が、電気ショックの量が多くなったという。人間は、「誰だか分からない」状態にすると、理性のカバーがゆるみ、本能的なものや攻撃的な面が、強く出てしまう…というわけ。これを「仮面効果」という。
心理学用語では「没個性化」というものがある。集団・群集状況では個人状況と異なり、平生は抑制されていた行動、特に非合理的、刹那的、攻撃的、反社会的な行動が起きやすくなるという現象を扱った概念である。
ロイ・F・バウマイスター教授は、『Bad is Stronger Than Good(悪いものは良いものより強い)』という論文の中で、この話題を扱っている。彼は、一般的に、悪い感情、悪い印象、悪い反応は、良いものよりも速く形成され、反証しづらいことを発見した。
批判者の中には本質的に有害な人たちがいる。『Journal of Personality and Social Psychology』で発表された研究で、研究者たちは、被験者が未知のトピックに対してどんな反応を示すかを調べた。
その結果、被験者の一部に明らかにある傾向が認められた。被験者の中に特徴的なグループが見つかった。全く予備知識がなくても、「何でも嫌う人たち」は、本能的に理由なく欠点ばかりに目を向けるのだそうだ。
アンチになるまでの心境
熱狂的なファン(厨)がアンチになるまでの心境の変化を、サム・サイクスは6段階に分けて説明している。
(以下意訳)
〇〇厨(がアンチになるまで)の段階(Stages of a Toxic Fandom:)
1.私は〇〇が大好き (I love this)
2.私の全ては〇〇 (I own this)
3.〇〇は私の思い通りになってくれる(と思い込む) (I control this)
4.〇〇が私の思い通りになってくれない(と思い始める) (I can't control this)
5.私は〇〇が大嫌い (I hate this)
6.私が〇〇を滅ぼさなければならない (I must destroy this)
「荒らし」の定義との違い
荒らしとはネット上において他人が不快に思うような書き込み全般を指す物であり、信者も含めたもっと広汎な意味がある。
したがって「荒らし=アンチ」と断定はできない。
良心的な批判も「アンチ」とレッテル貼りをされることもなくはない。
とは言え、先述のようにネットで目にするアンチは大抵良識がない物言いをするため、必然的に荒らしになってしまっていることが多い。
ネット上では仮に理不尽な叩きであっても2ちゃんねるのアンチスレや自身のブログ等で行う分には荒らしには当たらないとする見方も強いが、ネットは常に不特定多数がみているので人によっては「荒らしだ」と感じるかもしれない。
ファンがいると分かっているところで叩くのがアンチによる荒らしであるが、どこにファンがいるかはわからないので、ネットだけではなくリアルでも言動には注意した方が良いだろう。
何事も住み分けが肝心である。
厨との関係
その対象を徹底的に否定するアンチとその対象の価値を盲信する信者型の厨とは対極的の位置にあるという印象を受けるが、一方では時にアンチと厨は紙一重、あるいは表裏一体と言えるほど密接な関係にあったりする。
前述の通り特定の作品に固執する厨が他の作品を勝手にライバル視して攻撃してくる例もあれば、厨になるほど入れ込んでる作品が自分の意にそぐわない展開を見せると途端にアンチ傾向に転向したりすることもあり、中には厨の存在によってその厨が擁する作品やジャンルに悪い印象を抱いてそれらのアンチに回る者や、逆にアンチから好きなものを守ることに固執して厨同然に行為に走る者も出てきたりする。
また、特定の作品に限らず何かの属性や記号に拘る人間がそれを含まない作品およびキャラクターを否定しようとすることも珍しくはない(例えば百合厨ならば普通の男女恋愛作品に対して反発したり、硬派厨なら萌えアニメといった女子が主体の作品を低俗と見下したりするなど)。
どちらにせよ良識を弁えた普通のファンや無関係の人間にとっては両方とも迷惑な存在である。
アンチによる迷惑行為
2ちゃんねるやニコニコ動画のコメントでの誹謗中傷はもちろんその叩く対象のファンや作者に対してのバッシングも少なくはない。
それだけに留まらずコミュニティサイト・ブログで荒らし行為をされたTwitterで非難する発言をされるといった被害が該当し、酷い場合になると炎上にまで発展してしまうケースもある。
リアルの世界では学校や職場でファンをファンであることを理由でいじめを行う者もいる。
口論で済めばいいものの、敵対する相手の個人情報を晒し上げて荒らしを突撃させたり、イベント会場で刃傷沙汰に発展してしまったりしては笑い事では済まされない。
数は少ないものの、実際にアンチ対象の中枢への凸・攻撃・破壊に及ぶ事もある。
pixivなどではコミュニティや記事の乗っ取りと言った事例も迷惑行為の1つとして挙げられる。
アンチ的なユーザーが徒党を組んで荒らしてきた場合、善良なユーザーや良識的なユーザーを逆に荒らしとして排斥・排除、本来開かれたファンコミュニティであるべき場所を「拠点記事」「愚痴スレ」「アンチスレ」化させてしまう事もある。
「擁護する方が無自覚な荒らし」など、読む空気そのものを変えてしまうのである。
二次創作内におけるアンチ行為
特定の作品やキャラクターに対して強いアンチ的思考を持つ者が創作能力および意欲を持っていた場合、それらに対する極めて否定的な内容の二次創作を作り、かつそれを純粋なファンの目につく所で公開したりして直接的あるいは間接的に対象とその周りを誹謗したりするようになる。
例えば本編では別にそんなことにはならないキャラクターがその物語の中では悲惨な目に遭わせたり、本編での行動や成果を適当な理由で完全に否定したり、意味もなく性格や言動を悪く描いてそのイメージを貶めるような設定の作品を作って対象のキャラクターないしその原作全体の元々のストーリーやコンセプトを遠回しに非難する(※)。
仮にその対象キャラが本編内でも否定されているような悪役・敵役だったとしても、その二次創作物の中では本編以上に過剰に制裁を加えて破滅させたりといったものも含まれている。
それ以外にも本編で悲劇的な境遇にあったキャラを救済をするという名目であったとしても、純粋な救済的展開の二次創作を描くのではなく「キャラを救済して味方につけ、原作者(あるいはそれをモデルにした人物)やその取り巻きを敵に据えて天誅を加える」という内容の二次創作を制作しているなんてケースもある。
最悪の場合、(そのキャラクターにとっての)敵側キャラクターが味方になり、味方側キャラクターが作者が気に入らないかそもそも嫌い、あるいは原作者のお気に入りという、物語と無関係な理由で敵や悪役にされるという、傍らから見れば単なる裏切り・寝取られ(作品アンチにとっては原作者やファンへの嫌がらせを込めた自分の理想のドリームチームというのもポイントである)にしか見えない、バッドエンドよりも後味の悪い悲惨な光景が繰り広げられる。
いわゆるカプ厨のさらに過激派の作るカップリング関係の二次創作物においては2人コンビの片方が好きなキャラクターで、片方が嫌いなキャラクターであった場合、それがたとえ公式のカップリングであったとしてもその繋がりを全面的に否定し(最悪なものになると片方を敵として殺害・退場させるなんて事も)、自身の創作・捏造カップリング(大体が原作にはない)を「自分の理想」「至高のカップリング」として大々的に宣伝したりするのも此方に該当すると言える。
これらはヘイト創作に該当し、本来は検索避けなどの然るべき措置が必要だが、そもそもファンや信者への嫌がらせが目的なのでそのような親切な事はしない。原作者による謙遜や自虐ではなく、消費者目線での加虐を衆目に晒すという点でも悪質である。
ファンに地雷を踏ませて不快感を与え、発狂させたり抗議させたりし、後は玩具やコピペ大喜利にして遊んだりするのが目的なので、「作品アンチが目的のヘイト創作のタグが付いていない地雷」の存在には十分注意しなければならない。
SNSにおいては「キャラクターのなりきり」と称し、キャラクターのアイコンで公式にそのキャラの扱いへの苦言を呈したり、ファン・信者への暴言や中傷を繰り返したりする等の悪質な行為も行われている。勿論そのキャラクターを汚しているのは自分自身だとは気づいていない。
当然、そのような行為や創作に原作へのリスペクトなどはなく、むしろ自分の方が正しいと思っているのでそのような行為を平然と行う事に何の罪悪感も持たない。
イラストレーターや声優といった原作者ではない関係者への謝罪の言葉を口にすることもあるが、この謝罪の多くは「悪いのは原作者なのだから、謝罪くらいしておこう」「こんな作品に必死になってくれた人に申し訳ない」という独善から来るものであり、原作を故意に汚し、貶す事への罪悪感から来るものではない。
なお、アンチ(あるいは歪んだファン)の間で期待はずれに終わった作品がクソコラやMADの素材として重宝されている事もあるが、それは大抵作品を愛しているから作られたものではなく、単に上っ面が“素材”や"みんなのおもちゃ"としてウケただけに過ぎず、中身に対する評価は一切していない事が多い。
特に『廃材アート』として評価・称賛されている場合、評価されているのはあくまで廃材アートとして作られた二次創作作品であって決して原作や元の作品ではない。そもそも悪意の有無問わず、プロの作品を廃材呼ばわりする時点で頭のネジが飛んでいるのは言うまでもない。
無論、そのような権利者に無断で自分の都合の良いように改変されたコラージュ作品を「自身の作品」と称してpixivに投稿するのは同一性保持権の侵害にあたる可能性が高く、規約違反である。
それでもあくまで二次創作の範疇として個人の自己満で済ませればまだいい方だが、拗らせた人間はその自分の妄想展開をさも理想的な物語であるかのように周りに主張して原作叩きに走ったりすることも少なくはなかったりする。
※ 明らかなギャグやコメディとして描かれているもの、あるいは純粋なR-18的なものは流石に違うかも知れないが、それでも限度というものはあり、そういうコンセプトで作る上でも相応の注意は必要と思われる。
アンチによる影響
アンチによるこれらの行為は時にその対象の展開具合にも影響が現れるとされ、具体的にはそういったマイナスの風評から来る人気の低迷、しいてはその対象の関連商品の売上が落ちたりといった事態が発生したり、酷いケースになるとそんなアンチの直接攻撃に対象本人や関係者が晒されてその人らの心身および名誉を著しく傷つけて活動のモチベーションを下げたりするなど、上記のものを含めた現実的な被害が出ることもあり、例えば『スター・ウォーズ』シリーズの「ファントム・メナス」でジャー・ジャー・ビンクス役だったアーメッド・ベストが作品公開時のバッシングを苦に自殺を考えていたことを告白(https://theriver.jp/sw-jar-jar-backlash/)し、その後の「最後のジェダイ」でローズ役のケリー・マリー・トランが嫌がらせによりSNSアカウントを削除に追い込まれたりしている。
とは言え、実際に何らかの理由で発生、増加したとしてそれがシリーズ停滞および変遷の直接的な原因とは限らず(と、いうか実際にはアンチの主張など創作者は気にしていないとされることがほとんど)商業的な理由から来る変更や決定であることの方が多いのだが、アンチ側はそれを自分達の主張が通ったと受け取り、さらにその対象への非難と否定を加速させる結果にもなりやすかったりする。
アンチへの対策
上記のようにアンチとは結局のところ自分の為に他人を叩いているので、他人が何を言おうと考えを変えることはない。
要するに構うだけ時間のムダ、逆にアンチを喜ばせることになる。
構う時間があるなら他に趣味の合う人を探すなり、アンチ以外に自分が好きなものの良さを伝える努力をした方がよほど有意義である。
何より最も一番良いのはアンチが集まりやすいサイトを見ない方が一番である。
自分にアンチが付いてしまったら
イラストを投稿した際に現れるが、こちらの場合も個人的な趣味の押し付け等の場合、下手に構わずスルーが一番である。どうしても我慢出来ない時、悪質と感じた時はNGIDにするか運営に通報するのが良い。
ただ、pixivにおいては対応が遅くなったりするケースもあり、通報してもアンチ側は別のアカウントを使用する場合があるので、耐えられない場合はTINAMIといった別のサイトを利用するのが良いかもしれない。
ただし「線が歪んでいる」といった指摘は絵を見直した方が良いかもしれない(それでも直すか否かの決定権が作者に委ねられているのは揺るがないが)。
また、アンチがいたとしても、それはたいていの場合一部の極端な否定派である。
残りの大半はよほど反社会的な発言やその場と無関係な投稿をしない限り許容してくれるし、したとしても漠然とし過ぎた情報や批判は誰でも理解出来はしないとも解っている。
自分がアンチにならないために
荒らしや誹謗中傷を目的としたアンチはともかく、無自覚なアンチになる可能性は誰もが持っている。
「あんなブスと付き合いたがる奴いないよな」「…俺の彼女なんだけど」という流れである。
自分が嫌い・価値が無いと思っていたとしても対象のファン以外全員がそう思っている保証はどこにもないのだ。また、ファンにはファンなりのこだわりがあるものである。
このファンの気持ちを無視した場合、結局荒らしや中傷が目的のアンチと同じになってしまう。そして目的にかかわらず迷惑度は変わらない。
こうならないためには当たり前だが相手の立場に立って考えるということが大切である
対象を好む人の気持ちが解らないならば、自分の好きなものに置き換えてみよう。
例えば「そんなのマイナー」と言いたくなったなら、
- ガンダムが好き→「ガンダムなんてガキかオタクしか見ない」
- ギャルゲーが好き→「ギャルゲなんてキモヲタしかやらない」
- 究極超人あ~るが好き→「究極超人あ~るなんてオタクかぶれしか見ない」
- スラムダンクが好き→「スラムダンクなんてヤンキーしか読まない」
- ラブひなが好き→「ラブひななんてキモヲタしか読まない」
と、こんなふうに考えればよい。
そうすればそれを見れば傷つくような物でも一時的に耐え切ることさえ出来るはずである。
そして、それを言われたからといって自分を変えようと思うだろうか?
アンチ発言とはそういうものである。
どうしてもファンの前でマイナスの発言がしたいなら個人的な意見でなく冷静に対処するべきとされている。
さらにこの世に完璧なものなど存在しない。探せば何かしら問題点はあるものである。むしろファンである場合、問題点を受け入れた上で好きという人も多いのである(マイナー作品のファンほど誰よりもマイナーさを知っていたりする)。
誰でも自分の趣味には干渉されたくないもの。余程反社会的な趣味でない限り相手の趣味に口出しすることは賢明でない。それよりも共通で楽しめる話題や趣味の合う人を探すか、自分の趣味に合う作品を新たに作り出した方が有意義といえるだろう。
ただし、趣味を主張するためには周囲に迷惑をかけないことが大前提である。
もし迷惑をかけていて注意されたなら漠然とした情報しか入っていない状況でも出来る限りは棲み分けタグの付加や検索妨害のタグの削除等といった簡単なことを含めきちんと改善しよう。
趣味の為に周囲をないがしろにしていては文句を言われても最悪通報されてもその趣味を諦めさせようとされても仕方がない。もちろん、文句を言う側も何がどう悪いかを明確かつ正確に明言・言及するようにした方が良い。漠然とした情報だけでは到底理解されないだろう。
よくアンチの中には「賞賛意見だけなんてありえない」とか「個人の感想で何を言おうが自由」、「事実だから受け入れろ」と主張する者は多いが、その意見をあくまで自分だけの感想に留めておくのと、その時の感情で対象の存在や内容、関係者に対して否定的な態度に出るのは全く別の話である。
そこまで行かずとも人の“愚痴”や“ぼやき”のようなものを聞かされるのは他の誰かにとっては決して良い気のするものではないので、自分でよく言いたい意見の内容を精査する必要があるのは間違いない。
たとえ本当にその対象の評価が低いものだったとしても、だからといってアンチ行為やそれに近いような過剰な批判、ネガキャン同然の言動が正当化されるわけではないことを念頭に置くべきである。
アンチになるまえにできること
まず、あなたがその作品を愛していた気持ちは本物だ。だからこそ、抱えている不満がありながらも、嫌いになり切れないのはよくわかる。
そんなあなたが好きな作品のためにできることがある。
それは、嫌いな自分や好きになれない自分を認めてあげた上で、そっとその作品から距離を置き、場合によっては再び出会わない様に気を付ける事だ。
受け手には好きになる権利と同じく、離れる権利もある。
「素直に楽しいと思えない」「運営や作り手の方針と合わない」「最近の〇〇はどうかと思う」「受け手に改善案を伝えたけど、直らない」「〇〇ファンだけど騒ぐ〇〇厨は迷惑」などと思ったならなおさらだ。
ここまで来ても「まだ好きだから」、「また好きになれるかも」と無理して視聴やプレイ、追っかけなどを続けているとやがて本格的に嫌いになってくる。
もうこの時点で「〇〇が私の思い通りになってくれない (I can't control this)」と思っているから、続けたところで遅かれ早かれ「私は〇〇が大嫌い (I hate this)」になる。
そもそも発信者は楽しめない人より、楽しんでいる人向けにコンテンツを発信している。
ピンとこないならこう考えればいい。
ライブでおどおどとアンチの顔色を窺い、集まったファンそっちのけで「私を好きじゃない皆様ごめんなさい、あなたたちの望み通りになんでもします」と言うアイドルがいるだろうか。
まだ好きなら、入れこみすぎないことが重要になる。
お金や時間をつぎ込めばつぎ込むほど、「自分はこれだけ投資したし、これだけ愛している。」「だからきっと自分の期待通りになってくれるだろう」という思い込みは強くなる。
そうなってしまったら、その次は「あれだけ投資したのに、自分の期待通りになってくれない」→「自分を裏切った〇〇が大嫌い」になる。
- 面倒くさい、と思ったら旧作や新作、イベントなどを無理して追わない。
- グッズやコンテンツにお金をかけすぎない。
- 制作陣や有名二次創作者を片っ端からフォローしない。
- 好きな時に楽しみ、飽きたらやめる。
もしもアンチになってしまったら・・・
残念ながら細心の注意を払いながらそれでも自分自身がアンチとなってしまった場合、まずはアンチ対象から速やかに距離を置き、離れることが対処法として薦められる。
自身をクールダウンさせ、冷静な思考力や判断力を取り戻すことが重要である。
外の空気を吸ったり、だれかとしゃべったり、新しい趣味をはじめたり、昔ハマっていたことを趣味として再燃させるのもいいかもしれない。
世界はアンチ対象だけじゃないし、趣味は一つではないのだから。
最後に
何かに対して肯定的な感情や好意を持つことが自然なことなら否定的な見解や感情を持つことそれ自体も決して悪ではなく自然なことであり、なんら咎められるべきことではない。
『アンチ』と言えば『対象を100%こき下ろし肯定派までをも蔑まねば気が済まぬもの』というマイナスイメージが先行しているのが現状であるが、概要にも書かれているように本来的な意味はそうではなかった。
アンチの存在そのものを一切許容せず「マイナスな意見は絶対に許さない」などという強固な姿勢も決して肯定され得る態度ではない。
往々にして世間一般的に「善」と論じられるもの、もしくは自分自身がよいと感じているもの・そう信じている事柄を盲目的なまでに賞賛し、それに敵対するものを「悪」とみなして排除しようとする風潮はバランスを大きく欠いたものであり、行き過ぎれば批判勢力の封じ込めや言論弾圧にも通じかねないからである。
もちろん、これは否定派の側にも当てはまることであり、自分の嫌いなものを手段を問わずに弾圧しようとする姿勢も決して許容され得るものではない。
人によって多様な価値観や感性が存在する以上、その正しさや優劣を論じ合うことは全く無意味である。そればかりか、不毛な論争に終始するだけであり、全くもって非建設的なことである。
そもそもまずインターネットとは現実同様、そういった不特定多数の人間が集まる場所であり、価値観の合わない人が存在することは大前提として頭に入れておくべきことで、それが互いに顔の見えないネット上でなら尚更のことである。
そのことをアンチもファンも冷静に考えて欲しい。
つまり大切なのは、どちらの考えが、どの考えが、誰が正しいのかという「正しさを追求する」のではなく、偏った考え方に凝り固まって排他的なものの考え方に陥らないよう気をつけることなのである。
それを踏まえた上で、以下のことを心掛けてほしい。
アンチに対して反感を持つ人へ
『自分が好きなものを嫌う人もいるのだ』という事実を受け入れつつ、『どんなに嫌いな人がいようと、オレはこれが好きなんだから批判とか悪口なんて関係ないさ!』と、意に介さずスルーできるだけの度量の広さと心の余裕を持とう。
どんなに相手への批判が許せないものだとしても、相手に殴りこんで論争に持ち込んだり、相手に対する膨大な量の批判を送り込んでブログやサイトを炎上させるなどの行為も決して許容されるものではない。
アンチに批判されている人をかばったり助けたりしてあげたいなどの正義感からそういう行為に及んだ場合、却って事を拗らせ、状況を悪化させてしまう場合もあり、既に一部ではアンチを排除しようと向こうに対して過激な言動を取る人間を「アンチのアンチ」と呼んでもはやアンチ同然の存在として論うという本末転倒な事態も起こっている。
特定の作品や人物への度を越した悪質な誹謗中傷や犯罪行為など、あまりに悪意的で悪質な内容を含んでいた場合は、相手方に殴りこむのではなく然るべき機関への通報をおススメする。
ただ、そうした対処をいくらした所でネット上から醜悪なアンチ感情が消える気配を見せないのも事実で、非常に難しい問題ではあるが、だからこそ不用意なトラブルを避けるためにも上記の配慮は必要になる。
特定の事柄にアンチ感情を持つ人へ
周囲への配慮を欠く批判はたとえ正論であっても反感を買いやすく敵を作りやすいため、「この作品はここがこうでこうだから、好きになれないのだ」という、理論的かつきちんと筋の通った批判を展開し、なおかつ感情の思うままに流されることなく、批判の対象を好む人々に対する思いやりを持った言動でもってそれを表に現す姿勢を持った方が良い。
大事なのは正論を言う事ではなく、相手の逃げ道、つまり他にも選択肢があることを示す事である。
自分がいくら正しいと思っていても、態度が正しくなければ正論にはならない。
逃げ道を失った人間ほど塞ぎこんでしまい、余計に反発してしまうこともすくなくない。
だからある程度の許容が必要である。大事なのは相手の意見や趣味性癖嗜好の存在そのものを否定しないことである。相手の「対象が好き」という好意や嫌悪、そしてその表現の場そのものを否定してしまうと相手はアイデンティティを発散させる場所を失い、その穴埋めとして暴言に走ってしまう恐れもある。
「漫画が好きなだけなら、漫画を描くな」と言われたらどう思うだろうか?表現の場を奪うということは、存在そのものを否定しているのと一緒である。親切心で言ったつもりでも相手からすれば迷惑極まりないのは当然である。
特にインターネットというツールが発達した現代では特定の批判に対して反感を抱く層が不特定多数の広範囲に渡ることが多くなり、批判に対する批判が膨大に流れ込むことによる炎上の勃発や報復的な個人攻撃などが発生し、大きなトラブルに発展する可能性も大いにある。
有名人、個人問わずネットで批判を行った結果、大多数の人間からの反感を買って炎上する事件が日常茶飯事で起こっていることからもわかるように、批判という行為には必ず反論や反感がつきものであることは自覚せねばならない。つまり、何かを批判をしたいのであれば、批判に対するカウンターパンチを食らう可能性への自覚と覚悟が必要なのである。余計なトラブルを引き起こして自分自身も余計な心労を追うだけなので、反撃を受け止めるだけの心の余裕や覚悟がないのであれば、安易な批判や非難的な言動は慎むようにしよう。
そして、これらのどちらにも属さない場を引っ掻き回して煽ることを目的にしている悪質なアンチに乗せられないよう正常なアンチもファンもお互いに十分に冷静になろう。
そして最後はシンプルに。
自分が好きなものを嫌っている人にわざわざ近づかない
これがファンもアンチもお互いに穏やかに共生できる有効な方法であることを覚えておこう。
ストレスを貯めたくないなら自分からストレス源に突っ込むなということである。
自己対処の方法
- 好きなAを見たいがAのアンチ意見を除外したい場合
A -B
Bの単語に「嫌、苦手、地雷、いらない、クズ、氏ね、ビッチ、悪、ヘイト、消、認めない、殺、胃がキリキリする、批判、暴言、夜、晒、怖、なら、抜、黒、流、受、なんて、なし、眼中、だから、死、ヘイト、棲み分けタグ」などを入れると、Aのアンチにヒットしない確率が高くなる。
アンチがよく使う「批判したくないけど 、よっぽどの暴言じゃなければ 、夜だから言うけど 、晒しが怖くて、今なら誰もいない、抜きにして、黒歴史、消え、受け流す、好きな人なんているの、眼中なし、好きだから言ってる」なども除外される可能性がある。
- Cを検索したいが、嫌いなDを除外したい場合
C -Dで検索をするとDが除外されCのみヒットするようになる。
pixivプレミアムのミュート機能
pixivプレミアムのミュート機能を利用すると、自分とは違う嗜好や解釈やタグの作品やユーザーIDの作品を非表示に出来る。
pixivのマイピクのみに公開する
どうしてもアンチを意図した作品を公開したい場合は、アンチ対象のものが好きな人の閲覧を防ぐためにマイピク限定にする手段もある。
Twitterの「ブロック」「ミュート」機能を利用する
- 自分とは違う嗜好や解釈のユーザーをブロックやミュートすると、タイムライン上にそのユーザーのツイートが非表示になる。
自分のアンチの対象を発言する時にそれを好きな人の閲覧を防ぐための方法
- 伏字
例えばカレーライスに反感がある場合、「か○ーら△すが嫌い」「咖喱飯が嫌い」などと記述すると検索に引っかからずカレーライス好きの閲覧を防ぐことができる。
- 実名を出さない
例えばチョコレートに反感がある場合、実名を出さずに「砂糖が入った茶色いお菓子が嫌い」と言葉を言い換えると、検索に引っかからずチョコレート好きの閲覧をある程度防げる。
検索を一切しない
どうしても検索で自分とは違う嗜好や解釈のものばかりで不快に思う事ばかりな場合、一切検索を辞めるのも手段である。
検索を辞めてpixivに作品の投稿や発言をする事のみに集中する方が楽しめることもある。
作品で反感を抱いている要素がある場合
- キャラクター
嫌悪を抱いているキャラクターがいる場合は前もって漫画雑誌やアニメの次回予告やアニメ雑誌の今後放送されるアニメの日程が記されたアニメの内容の紹介文を確認すると、自分の反感を抱くキャラクターが登場する話を見るのを防ぐことができる。ただし、そもそもそのキャラクターが主人公を含むレギュラーのメインキャラクターであるならばもう“その作品そのものが自分に合わないもの”と割り切ってその作品から離れた方が良いかもしれない。
- 監督・脚本家
作り方や描く展開の傾向に対して反感を抱いている監督および脚本家が参加している作品ならばそれが始まる前からその出来について批判するような真似はせず、たとえそれが始まっても見もせずに否定的に走ったり、逆に否定するためだけに無理に作品を鑑賞してあれこれ口を出したりするのも不毛であるため黙ってスルーすることを推奨する。
1番いいのは反感を抱いている監督や脚本家(特にシリーズ構成)が参加している作品を全く見ずに、更に該当する監督や脚本家のTwitterなどのSNSをブロックやミュートをして(嫌いな監督や脚本家の参加する作品の公式アカウントもブロックするとより効果がある)、目に入らないような努力をする事である。
脚本家の場合、その人があくまで一部の話のみに参加するサブ役ならば前もってテレビ情報誌やアニメ雑誌で今後放送されるアニメの日程が記されたアニメの内容の紹介文を確認すると、その脚本家が担当した話を回避でき、不快な思いをすることはなくなる。
また、その嫌悪を抱いているクリエイターにもその作り方が好き、あるいは気にしていないというファンの前がいることも考え、その関連作品を語る場においてはみだりにそのクリエイターについて言及するのを避け、そのクリエイター自体を扱っている場所であってもそこがファンコミュかアンチコミュかを考えて可能な限り棲み分けする事も大切である。
ちなみにアニメや映画などの作品のストーリーというものは脚本家や監督一人だけで決めるのではなく、時にプロデューサーといったさらに上役の意向や演出や作劇の都合によって話の流れを変える事も少なくない。話を全て受け入れるか受け入れないかは本人の自由でそれをとやかく他人が言及するのは避けるべきだが、物語というのは多くの人間が共同で作っているものであるという事を忘れてはならない。
- 昔の作品Aは好きだが、今のAの話の流れが好みに合わない場合
今のAのストーリーは苦手で昔のAの話しか受け入れない場合、今のAのストーリーを読むのをやめて昔のAの話だけ楽しむという手もある。ただし、これはもうその作品を追うことを完全に放棄するという意味でもあり、今の状態の作品やそのファンに対してとやかくいうのもご法度である。昔の作品の良さのみ発言するのが望ましい。
逆に今のストーリーの流れが好きなファンは、良識ある懐古的なファンを中傷しない事もお互い気持ちよく作品を楽しめる秘訣である。
- 好きな作品のアニメ化や実写化に反感を抱く場合
好きな作品のアニメ化や実写化に反感を抱く場合、その作品の実写やアニメを見ずに原作だけ楽しもうとすれば不快な思いをしなくてすむ。
気になる場合は二番目に好きなことに没頭すると吉。
- 好きな作品の二次創作が不快な場合
マイナス検索を利用すると二次創作を読むのを防ぐことができる(除外したい言葉に、「二次、同人、コミケ、オンリー、カップリング、カプ、CP、NL、BL、GL、百合、腐、pic、妄想、捏造」、などを入れるとヒットしない確率が高くなる。)
もしくは検索を一切せず、原作だけに触れるように注意すると原作の魅力だけで楽しむ事が出来る。漫画やアニメの評価サイトのレビューだけ読むのを心がけるのも手である。
またはTwitterでは作品の公式アカウントや作品の作者監督脚本家プロデューサーのアカウントのみ閲覧するのを心掛けるのもいいかもしれない。
作品の公式サイトのみを見るのもおすすめする。
関連タグ
憤怒 / 怒り / いじめ / ネットリンチ/エナジーバンパイア
荒らし / 自治厨 / 厨 / 1点 / 無自覚な荒らし / 削除荒らし / ならず者 / 狂人 / 犯罪者予備軍 / 犯罪者 / ネット弁慶 / 粗探し
得意技及び代名詞とも言える行為や特徴など。
いずれもあまり付けることを勧められないタグである。
中傷 / 非難 / 暴言 / 侮辱 / 愚痴 / 皮肉 / 文句 / ヤジ(悪口 / 陰口 / 喧嘩腰 / 文句) / 口だけ / 上から目線 / (笑)
アンチが使いがち、あるいは陥りがちな語調の傾向。
黒歴史 / オワコン(終わったコンテンツ) / 爆死
アンチがその対象を貶す際によく使うスラング。
アンチはこの話題に関して盛り上がることが多い。
読んで字の如く、誰が最も人気がない(嫌われている)かを決める投票という『アンチを喜ばせるために開催する』と言っても過言ではない企画。
いちユーザーがこの言い回しを使うようになったらファン転向型アンチに転ずる前触れとも言える。
過去に行われていたマナーを改めるよう呼びかけたキャンペーン。
こちらにも目を向けることをお勧めする。
一度目にすることをお勧めする項目。
アンチが使う言い訳および屁理屈の一つ。
この場合はどちらかと言うと“あくまで感想だから”という理屈で対象を否定する時に使われる。
逆にただの感情から来る主張を論理的な意味での批判と混同あるいは偽装しているケースもある。
気に入らないからといって製作陣や運営などに謝罪の要求、執拗な追及、
誹謗中傷などをすればコレに該当すると言えるだろう。
アンチの得意技もとい屁理屈の一つ。
自分以外の者にとっては特に問題ないが自分にとって嫌いだったり気に食わない対象を『(悪い意味での)マナー講師感覚ででっち挙げた俺ルール(もとい詭弁)に当てはめて「それに違反しているから」という口実で非難する』という手口を行う。
自分の好み(嗜好)や感性に合わない作品や記事等に出合った時に、自分がそれに対しての悪質なアンチか否かを決める分岐点とも言える言葉。
ブロックやミュートなどの方法を経て今後一切の関りや干渉しないよう努めるなら何も問題ないが、前述の手段や特徴を持って作者(や作品・記事、そしてそれらを好む人達)に対して妨害や嫌がらせ、侮辱などの手段に出るのならそれは弁明の余地もない完全なる悪質なアンチである。
アンチが対象を攻撃する際によく使うロジック。
ただし、本当の意味での批判とは対象を完全に否定するためのものではない。
加えて糾弾という行為もまた至って冷静かつ論理的に行う必要がある。
英語圏でアンチを指す単語。Hate(憎悪)+Fandom(ファン)のかばん語。
アンチのコミュニティ以外にもみられるが、アンチのコミュニティに多い。
似たような意見の者同士で会話のやり取りが行われると「客観的に正しいかどうか」より「自分が共感できるかどうか」が重視される。
そのうち"聞きたくない"情報や意見がシャットアウトされ、自分たちの意見こそが世の中の正義と思い込んでしまう。
「反~」・「対~」・「抗~」を意味する接頭辞として
漫画ポプテピピックの台詞。
キャラクター名として
アンチ「但し…
アンチ「但し、この記事に挙げたようなアンチに対して、『厨』呼ばわりするのは、ネットモラルやマナーに反するため、決して面と向かって言ってはいけない。 相手を厨呼ばわりすることは、相手と同じ土俵に立つことである。」