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日本面(乗り物)の編集履歴

2021-12-13 12:22:27 バージョン

日本面(乗り物)

にほんめんのてつどういがいののりものへん

日本独自の発想で生み出された様々なもの(日本面)のうち、鉄道以外の乗り物に関するもの。

ここには、日本面のうち、鉄道以外の乗り物に関するものを記載しています。

日本面についての概要と、軍事に関するものについては「日本面」を、

鉄道に関するものは「日本面(鉄道)」を、

企業や文化など、その他は「日本面(その他)」を、

企業のうち、任天堂に関するものは「任天面」をご覧ください。



自動車部門:軽自動車

  • そもそも日本の軽自動車自体が変態!

もともと軽自動車というのは第二次大戦後の一時的な不況に悩んでいた西欧諸国同様、キャビンスクーターのような簡素な自動車(メッサーシュミット KR200が代表例。リライアント・ロビンはこっち側)をつくるための規格だった。ただ、ご本家英国などとは異なって日本では当初から4輪が認められておりそれに目をつけて本格的乗用車の要素を押し込んだ変態企業がいたからさぁ大変。その会社が出したスバル360の成功後、他国で本来の目的のクラスが淘汰廃止されていく中、日本の軽自動車は独特な規格として生き残っている(国土の約70%が山岳地帯で道が狭い、税制で優遇されている、という点は大きい)。

以下には一部の代表例を上げたが、そもそも世界的に見れば

・660cc(かつては360cc)という大型オートバイぐらいしかない排気量のエンジンで、

・4人(=220kg)+荷物100kg=320kg、軽トラなら2人+350kg=460kgまでの積載に耐え、

・エアコンはもとよりオーディオ/カーナビ、リモコンキー、パワーウィンドーにデュアルエアバッグは当たり前。

・機種によってはパワースライドドアやヒルスタートアシスト、衝突被害軽減ブレーキも装備。

・ハイウェイで100km/hクルージングだって当たり前にこなす。

・それでいてハッチバックタイプならお値段は100万円切っちゃう。

……こんな仕様、海外から見ればド変態としか言いようがないだろう。結果として遠くゲルマンからやってきたミニカーのような車まで軽自動車対応のグレードを作るハメに…。

値段に関して2010年代の実例においてもっとも極端な例を挙げるとするならば、エアコン付で60万円を切ってしまった(MT車・本体価格)三菱・ミニカ(バン仕様)がある。

また2014年末にデビューしたスズキ・アルトにはおおよそいまどきの乗用車に求められる装備にレーダーブレーキサポート(RBS。衝突被害軽減ブレーキの一種)まで付けて90万円を切るグレードもある。しかもバンにもRBSを付けやがった。


  • スバル360:「てんとう虫」という愛称が有名。(当時国道ですら未舗装がほとんどだった)日本の道路で60km/hで巡航できること」「定員は大人4人」「車両本体価格35万円以下(実際の発売時は42.5万円)という、当時の日本ではワンクラス上の大きさでも難しいというシビアな条件に開発は難航したが、開発リーダーの百瀬晋六(上記の紫電改に搭載されたエンジン「誉」開発スタッフの一人)が「できネーというのはやる気がネー証拠だ!!」と一喝、数々の困難を乗り越えて(価格以外は)実現した。
  • HONDA BEAT軽自動車規格で作られた本格的ミドシップ(MR)のオープンカー。「KカースポーツABC」のB。ホンダが意地を見せたのか過給器無しで自主規制値いっぱいの64馬力を発揮するエンジンを運転席背後に搭載、キュートなデザインの車体と意外に本格的なセッティングで「S600の再来」と大人気。なにせあのジェレミーが大はしゃぎでレビューするほど。本家に認められるとは……やりおる
    • ホンダ S660:21世紀に復活した正統後継車。エンジンのターボ化、フルオープンからタルガトップへの変更など時代に対応した進化を遂げ、満を持して発売。こちらはBEATよりもメーカー側が熱く、強化パーツ、及びそのパーツ全てを組み付けたコンプリートカーまで販売している。もちろん、現在新車で買える世界最小のミッドシップスポーツカー
  • ホンダ T360:ホンダ初の市販四輪車。他メーカーが理論上出力で有利な2ストロークで20馬力程度が限度だった時代に、理論上不利な4ストロークなのに同社のスポーツカー譲りの技術をつぎ込むことで30馬力を達成した。また市販車では日本初のDOHC搭載車でもある。ここまでだと何だかすごそうな車に聞こえるが軽トラックである。
  • ダイハツ コペン:一部の高級車にしか装備されてなかった電動ハードトップを軽のサイズと価格で実現してしまった変態軽オープン。以降のオープンカーからソフトトップをほぼ駆逐した。なお駆動方式こそFFと平凡なため上記ABCと違い「なんちゃってスポーツ」に見られがちだが、CarTop誌インプレッションの定番である筑波サーキットタイムアタックではS15シルビアのケツに食いつくガチ性能を発揮(しかも重量のある電動トップ車で)。2代目は「この規格で外装を作ればはまるからお前ら勝手に好きなようにサードパーティ製品作れば?」と言わんばかりの構造。慣れた奴がやれば数十分でクルマが大変身する。
  • 三菱・3G81&3G83&4A30(DOHC/DOHCターボ)……はっきり言おう、技術面では軽自動車、下手すれば大衆車最強の変態エンジンだと。「5バルブエンジン」と言えばトヨタ・4A-GEが挙がることが多いが、所詮自然吸気1,600ccで驚いてはいけなかった。なぜなら三菱は軽で5バルブエンジンを作ってしまったのだから。しかもパジェロミニやH36Aミニカダンガン、H46AトッポBJ-R に搭載された4A30に至っては「直列4気筒5バルブDOHCインタークーラーターボエンジン」、おまけに4WDなのである。何度も言うが、三菱はこれを軽自動車でやっちゃったのである。変態性ではランエボなんか目じゃねーぞこの野郎。しかもエボと造ってる工場同じだしさ。この頃はランサー&ミラージュにテンロク(1,600cc)のV6エンジン載っけちゃうし、三菱も技術面では軽のキングこと鈴菌にも負けず劣らずの変態だったと言うことか。
  • 軽ホットハッチ戦争(アルトワークス/ミラXXターボ/ミニカダンガン/レックスVX):【自動車部門:スポーツ&レーシング編】を参照のこと。

鈴菌やらかし事件簿:軽自動車編

軽でダイハツと覇を争うスズキ。同社のバイクはそのあまりの個性から「鈴菌」などと言われている。

その一方、四輪部門は保守的とされ、おとなしい……


と、思ったら甘かった。

やっぱり四輪部門でも鈴菌は健在だったのである。



軽商用規格の「2by2乗用車」、アルト誕生

  • 初代モデルはコストダウンのため徹底的な装備の簡略化・・・だけにとどまらず「どうせ2人しか乗らないから」と後部座席をオマケ程度にし荷室を確保、貨物車として物品税を非課税にした(当時乗用車には物品税が課税されていた)。結果、他社も真似し軽ボンネットバンというカテゴリを確立した。
  • 結局初代アルトが軽ボンネットバンをあまりに流行らせたせいで税務当局に目をつけられ、商用車の税金も上がっていき、最終的には物品税が廃止され消費税に取って代わられたことでボンネットバンブームは一段落した。このため乗用モデルのフロンテの商標を廃止して、知名度が高いアルトに統合した(これはライバルのダイハツ ミラも同じで、スズキより後になったが元々は別商標だったクオーレをミラに統合している。逆にスバル三菱はレックス・コンビ、ミニカ・エコノといった商用モデルの商標が廃止されレックスミニカに統合された)。

和製ホットハッチの代表格、アルトワークス

  • ボンバンブームが一段落と思ったら、今度はアルトワークスを発売。(後述の「軽ホットハッチ戦争」も参照のこと。)軽自動車の最高出力が64psになったのはアルトのせいなのである。しかもガチ競技ベースグレードであるワークスR(CM22V)に至っては軽量ハイパワーを実現するべく、普通のワークスはセダン(乗用5ナンバー)であるところ、ワークスRはバン(商用4ナンバー)にするというとんでもない手法を用いた。実は当時の規制ではセダンとバンでは排ガス規制が異なっていたため、排ガス規制が緩くリアシートが軽いと言う点に着目したのだ。ただアルト自体の出自(初代がバンなのは緩い排ガス規制から2ストエンジンを採用できたからと言う面もある)を考えると、これも「なるべくしてなった」のかもしれない……。

しかもこんなのも作ってました。

  • 最盛期のいわゆる「C系」は3dr/5drハッチバック(バン/セダン実用系/ワークス)の他にラゲッジのみハイルーフになった「ハッスル」、スライドドア採用の「スライドスリム」までも登場。スライドスリムは乗り降りがラクになるようにシートが回転するようになっていたのだが、スライドドア+回転シートと言うことで…

センシティブな作品


  • カプチーノ軽自動車規格で作られた本格的FRライトウェイトオープンスポーツカー。「KカースポーツABC」のC。スズキが持てる総力を振り絞り4輪ダブルウィッシュボーンサスペンション、軽量化のためのアルミ製三分割ハードトップとボンネット、さらに同社のホットモデルに積まれていた3気筒ターボエンジンに軽トラック・キャリイ用のミッションを組み合わせFR化、コーナリング時のトラクションを稼ぐために特注したトルクセンシング式のディファレンシャルギアもオプションで用意。マイナーチェンジで更に軽量化。そしてお値段は驚異の1,458,000円スズキに限った話ではないがなぜそこまで軽規格にこだわる。この経験でさすがに懲りたのか、他社の軽スポーツ車に対抗するための車両を再び(作れたら良いのに)と社内のネタにされる程度で、現在はケータハム社の軽規格セブンにエンジン・ミッション・リアアクスルを提供するにとどまるはずがネーだろコンチクショウ。というか「スズキがメカコンポーネンツ供給でやらかしに加担した例」は国産でもう既にあるしね。
  • ジムニー軽自動車規格で作られたガチの本格悪路用4WD。元々は泡沫オート三輪メーカー、ホープ自動車が、オート三輪の斜陽時代に生き残りをかけて開発し……間に合わなかったホープスターON 4WD(一般には未発売)を前身とする。その後ホープの自動車事業撤退に際してスズキの鈴木修社長(元々銀行マンでメカの造詣はない)が「絶対にスズキで引き取る」と社内の猛反対を押し切って製造権を取得し、スズキで全面再設計の後LJ10型ジムニーとして発売された。また2代目第1期のSJ30型は「西側先進国最後のクランクケース圧縮型2ストロークエンジン搭載市販4輪車」のタイトルを持つ。
  • キャリイ/エブリイ:現行モデルは何の変哲もない軽トラ/1BOXかと思ったらまさかの5速AMT搭載。そしてエブリイはアルトの「軽商用車初」に続いて「軽1BOX初」のASV。もうキャリイにもRBS積んで「軽トラ初」のタイトルも取っちゃえよ。さらに言えば4代目はなぜかジョルジェット・ジュジャーロ(ジウジアーロ)にデザインしてもらったのは良かったが、バンのサイドデザインが前後ほぼ対象、つまりリアもフロントと同じシャープな傾き具合だったため、ユーザーからは「物が詰めねぇ!!」とヒンシュクを買った。
  • ツイン:和製smart、しかもハイブリッドの設定あり。でも全然売れなかった。しかも生産終了直後にプリウスバカ売れという悲しいオチ。そしてこの話には続きがあった。
  • S-enecharge10年越しのツインの後日談。ダイハツともどもハイブリッドで大失敗したスズキ。ダイハツは「軽にHVは不適」としてミライースを筆頭とした「第3のエコカー(高効率内燃機関車)」に走るのだが、スズキは看板車種のワゴンRでやらかしたのだ。その直前に「減速時のエネルギーで発電し補機類の電力とする」enechargeを登場させたのだが、それから幾ばくも絶たないうちにその電力で発進時のアシストを行いだしたのである
    • 「ちょっと待て、それじゃS-enechargeってハイブリッドの亜種じゃん」と気づいたあなた、そのとおり。主要燃費向上対策の項目に「ハイブリッドシステム」と明記されているのである。ワゴンRやハスラー、スペーシアと言った人気車種に搭載していることも幸いしてか今回はコケなさそうだが、本当にスズキって懲りないヤツだな
    • ちなみにここまで来て、S-enechargeをアルト(ラパン含む)に搭載する気配はない。まぁ、アルトは軽さで燃費を伸ばすつもりなんだろうけど。
    • そして2017年。2代目スペーシア(MK53S型)・ワゴンR(MH55型/MH95型)でマイルド型とは言え、ついに名実ともにハイブリッド車化
  • MAZDA AZ-1軽自動車規格で作られた本格的MRスポーツカーにしてZOOM-ZOOMと鈴菌を交配させたらこうなるという見本。「KカースポーツABC」のA。乗用車としては疑問が残る点が幾つかあるものの、運動性能に関しては「未体験ハンドリングマシーン」のキャッチコピー通りスーパーカーに近い。スズキにも「CARA」としてOEMされていた。この車、モーターショーで発表された当時はなんとフレームはアルミ角パイプ製、車重480kgと生産モデルの6割程度の軽さで記者を大いに驚かせた。しかも生産モデルはモノコックフレームを溶接する技術でパイプフレームを組んでしまうという変t…ゲフンゲフン、驚異の技術を駆使し製品化。マツダ頑張りすぎ。そしてスズキも何故加担した。ちなみに構造上フレームだけで走行可能なので、図面が引けるなら発注先さえあれば自分でオリジナル外装を設計・制作可能、誰が呼んだか「自動車メーカーが作った1/1自動車モーターライズプラモデル」。

ちなみに

  • 軽自動車には最初から変態メーカーしかないとか言うな♪

自動車部門:バイク編

  • ホンダ スーパーカブ:世界最強の二輪車。1958年に発売されて以降、全世界で1億台以上を売り上げた。(もちろんバイクとしてだけでなく、「人が乗る乗り物」としては世界一の販売台数である。)運転方法がとても簡単、どれだけ乗っても壊れない頑丈さ、圧倒的な燃費であり、海外の某番組でも「最強のバイク」第1位に選ばれた。エンジンオイルに天ぷら油や灯油を使っても走るほどのマジキチ仕様。カブの改造車での燃費を競うレースでは3644.869km/Lという、もはやバイクとしての……いや、エンジンで動く乗り物の常識をはるかに超えた燃費を叩きだした。
  • ホンダ CX500turbo:バイクメーカーが何かにとり憑かれてしまったのは別にアメリカだけではない。4輪でターボブームが巻き起こった80年代、バイクでもその動きがあった。その結果がこれである。ちなみにこの後を追うようにヤマハSUZUKIKAWASAKIもターボバイクを出しているが、構造上アクセル開放から過給までのターボラグが消せないため市場からすぐに姿を消した。
  • ホンダ NR:ホンダの本気(?)が産んだ市販品としては世界唯一の楕円ピストンエンジン採用バイク。元々は二輪レースのレギュレーションをクリアしながら8気筒エンジンの能力を4気筒エンジンに持たせる為に2気筒を一つにまとめて8気筒を無理やり4気筒にするという斜め上な発想を実現したもの。発想自体かなりアレだが、それを実現させる技術力もある辺りが実にホンダらしい。肝心のレースではいろいろあってレギュレーションで使用禁止にされてしまった(そもそもこんな変態エンジンを実用化しようというメーカーが他に無かった上に関連特許を独占してしまったが故に他メーカーが作ろうとした場合その動向がホンダに筒抜けになる事から、著しく公平性を欠くと見做された為)。性能自体は悪くないのだが構造が特殊な為に製造費用がかさみ価格が高騰、お値段はなんとびっくりの520万円。当時売られていたスカイラインGT-R(BNR-32型)が480万円。300台限定生産にもかかわらず販売実績は振るわず後継機種も製造されなかった。
  • ヤマハ SR400:1978年の発売以来、排ガス規制適応のための販売中断を除き連綿とヤマハの屋台骨を支え続けるクラシカルバイク。バランサーなしの399cc空冷単気筒エンジンは基本的に発売当初のまま、すさまじい振動がヘッドライトやウインカーやストップランプの電球のフィラメントをねじ切ってもナンバープレートを割り脱落させてもあえて無視、流石に排ガス規制はインジェクション化により適応させたもののことここに至ってセルモーター非搭載のキックスタートのみ。「コツつかめば一発でエンジンかかるしへーきへーき」ってそういう問題なのか(実はエンジンの基本設計があまりに古すぎてセルモーターをつけられない)。そもそもこのバイク、スタートがとあるバイク雑誌のエイプリルフール記事。「オフロードマシンXT500のエンジンを使ったスポーツバイク『ロードボンバー』発売か」とやったところヤマハに問い合わせが殺到、ヤマハはここに鉱脈があることを発見し開発・発売に至った。さらにこの『ロードボンバー』、あろうことか本当に鈴鹿8時間耐久オートバイレースに出走、8位入賞を果たしている。ちなみに、2017年9月から全車種に適用される新排ガス規制に対応させるため一旦生産終了、2018年11月、満を持して復活
  • スズキ チョイノリ:原付の平均運用距離が約2kmであることを調査の上知ったスズキが「原付をどこまで安く作れるか」に果敢に挑戦した怪作。エンジンは小規模発電・送風などに使われる汎用機の物を流用、リヤサス・CVTを思い切って省略し発進は遠心クラッチでなんとかする(本体には「40km/h以上で長時間走行しないでください」という注意書きがあった)、ネジ留め点数を従来品の半数に削減、ヘッドライトはロービームに固定、などなど全身これ割り切りの塊。こうして最安値59,980円のチョイノリは完成したが、販売店では「チョイノリを見に来たお客が別の原付を買って帰る」という珍現象が発生。なお、割り切り過ぎて排ガス規制には対応できず、国内では2007年8月を持って生産終了。
  • カワサキカワサキか…で済ませてしまうのもアレなので1例を。500SS:直列6気筒並みのスムーズさをねらって採用された空冷2st3気筒エンジンは好評を博したが、フレームや足回りが貧弱で「止まらない・曲がらない・まっすぐ走らない」という悪評も。しかしなぜか一部で「このじゃじゃ馬を乗りこなしてこそ真の漢」という通説が成立してしまう。とはいえさすがに改良が図られたがカワサキがとった方法は「エンジンを大きくする(500cc→750cc)」という常識の斜め上を行くものだった。大きくしたエンジンとフレームをしっかり剛結することでエンジンにもフレームの役割を担ってもらうこの方式は、以後「鋼管スペースモノコックフレーム」として代々のNinjaに受け継がれることに。
  • 日本の二輪メーカー:上記のホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキでそのまま世界四大二輪メーカー。そしてどこか変態企業の香りが漂っている(cf.鈴菌カワサキか…)。二輪レースの世界GPで活躍する日本人はあまりいないが、世界GPでタイトルを獲っている選手が使用したマシンは選手の国籍に関わらず大抵日本の二輪メーカー産。ワークス部門はホンダVSヤマハの2強構図が常態化していたりする。
    • 4st250ccレーサーレプリカ群:空前のバブル景気と2輪ブームに沸いた1980年代後半に作られた時代のあだ花。そんな国際レース規格なんかないのに、1:250ccDOHC4バルブ4気筒のエンジン(国内向けは自主規制値の45馬力、輸出用は50馬力オーバー)2:アルミ合金製のツインチューブ式ダイヤモンドフレーム 3:整備性度外視のフルカウリングに2つ目のヘッドライト 4:普通に走っても寿命が1万キロを切るハイグリップタイヤ……と、誰か止めろよといわんばかりのプチモンスターバイク(ガチで200km/h出せた)を、最終的に国内全メーカーが開発・販売。またそれがバカ売れで毎年フルモデルチェンジ出来たという……。ちなみに50cc(いわゆる原付)規格でも一時期似たような事をやらかしていたりする。結局、バブル崩壊とともにブームはあっさり終息……
      • スズキ COBRA250:「レーサーレプリカだけがバイクじゃねぇ!」とばかりに、スズキが出した250cc並列4気筒のネイキッドスーパースポーツ。当時の若者の答えは「いや、要らないっす」
    • 4st4パラ250ccネイキッド群:バブル崩壊後、各メーカーとも残された4気筒エンジンの減価償却に奔走することになった結果出てきたネイキッド群。バブル期のレーサーレプリカ(及びCOBRA250)と異なり、4気筒並列エンジンをマイルドチューンにして、実用性重視で登場した。……が、おとなしいのはホンダのジェイドぐらいで、他は6,000rpmを境に性格が変わるトンデモバイクと化した。もともとの目的が4パラエンジンの減価償却だったため、あまり息は長くなかったが、ジェイドも含め、生産終了後には惜しまれることに。
      • ジェイドCBR250RRホーネット:別にホンダだから優等生を気取ったわけではない。レーサーレプリカブームが終焉した後もホンダのCBR250RRだけはそこそこ売れたのだ。これは初心者に扱いやすく本格派も満足させられるというホンダならではの商品性と「4気筒ならホンダ」というイメージゆえだったが、そのために4パラクォーターネイキッドを出しても商品性が丸かぶりしてしまい売れない。この為ジェイドは女性でも取り回しやすいマイルドチューンと脚付きを売りにするしかなかったのである。のちに前後にCBR1100XXと同サイズのタイヤを履きスタイリング方向にはっちゃけたホーネットへとモデルチェンジ、こちらはそこそこ人気となった。ただし、買った客はタイヤ交換費用の高さに頭を抱えるというオマケがついた。
      • スズキ バンディット250V:あろうことかモデル後期に400cc版共々レプリカ時代にも無かった可変バルブ機構搭載モデルを導入。
    • 4st250cc新スーパースポーツ群:二輪車にも排ガス規制が適用され二輪車生産が圧迫されつつあった2008年、カワサキから発売されたNinja250Rが本格的なフルカウルのスタイリングと排ガス規制をクリアした2気筒エンジンからくる思いの外軽快な操縦性、良好な燃費などから大ヒット。遅れて2014年、ヤマハが満を持してYZF-R25を発売。一般道ばかりかサーキットでも好評で、改造度が大きく制限されたプロダクションクラスでヤマハ・カワサキ戦争が勃発した。日本でもMFJの正式なレース規格としてJP(ジャパンプロダクション)250クラスが創設されている。ここにホンダが本格的なクラス制覇を狙い完全新開発のCBR250RRを2017年に投入、予想通り同クラスを席捲。当然ヤマハ・カワサキが黙っているはずもなく2018年モデルを大きく手直し(YZF-R25はエンジンパワーを下げてでも耐久性向上させると同時にシャシーを強化、Ninja250はフルモデルチェンジでメーカーの意地にかけてエンジンパワーでCBRを超えてきた)。歴史は繰り返す。こうなってくるとスズキの静観ぶりが逆に不気味
      • …と、思っていたらカワサキがやらkゲフンゲフン、やってくれた。2019年東京モーターショウにおいて、まさかの250cc4気筒スーパースポーツ、ZX-25Rを発表、2020年秋発売を高らかに宣言した。東南アジア市場でかつての250cc4気筒エンジンスーパースポーツ群がブームなのを受けての復活となる。
    • 富士重工と三菱自動車:どちらも1960年代までに撤退しているが、4輪車参入以前から参入以降しばらくまでは2輪もつくっていた。といえば、その後のトンチキぶりも理解できようというもの。そもそもスバル360のエンジンってラビットスクーターのエンジンの2気筒版だし

  • アライヘルメット:ヘルメット屋(書類上は「作業用保護帽」)であり、バイクそのもののメーカーではないが、2輪レーサーの必需品なのでここに掲載。旗揚げの頃こそ大して注目されていなかったが、トップレーサーがフルスピード走行中に転倒してもヘルメットが思い切り削れただけでレーサーは無傷だったことからその性能が評価され、一躍プロのレーシングでトップシェアに。その勇名はあのThe Stigも日本車のレビュー時限定ながら着用するほど。近年もイタリアのブランドが中国で委託生産したヘルメットとアライ製ヘルメットを個人が破壊実験した映像がYouTubeにアップされてしまい、「命が惜しければ10倍の金を払ってアリィのヘルメットを買え」と言われてしまう(海外進出の際ARAIではなくARYとスペリングしたため、海外では「アリィ」と呼ばれる)。……あと、風通しが配慮されててたいそう快適にツーリング可能。ちなみにバイク用だけでなく自動車用、4大公営競技用、郵便配達員用、消防用のヘルメットも製造。

自動車部門:トラック・バス編

  • くろがね ノーバ:日本車初の4灯ヘッドライトを採用したほか、小型車で初めて(そして2014年秋時点で唯一)エアサスペンションを採用したピックアップトラック。ゆえに同じクラスの日産ジュニアやトヨタスタウトと比べると約10万円高かった(なお、この車が発売されていた頃の大学卒業者の初任給は12190円)。しかもくろがねの販売力がものすごく弱かったこともあり、全く売れなかった。
  • トヨタ ハイラックス:4代目(50/60/70系)はTopGearの悪ふざけに全て耐えてギブアップ勝ち。堅牢さが3バカに評価され、極地探検の時にジェレミーとメイが7代目を一台発注してしまった(元々トヨタ協賛の特別企画だったこともあるが)。日本車の例に漏れず世界中に中古車が流れており、チャド内戦では荷台に対戦車ミサイルや対空ミサイルを積んだハイラックスが大活躍。挙句の果てにはISISでも御用達になり、「なんでテロ組織はみんなトヨタの車に乗ってんだ!?説明しろ!!」とアメリカに難癖を付けられる始末(ただしロシアに「(現地で中古再流通したもの以外は)大半がアメリカ経由してるんだけど」とツッこまれた為ウヤムヤに)。
  • トヨタ ランドクルーザー:まず発売時、トヨタ ジープと名乗りウィリス社を激怒させる。ウィリス→AMC(→クライスラー)の商標権管理強化により「ランドクルーザー」に改名するも、まさか数十年で本家を乗り越えパジェロと共に「オフロードの王者」と呼ばれるまでになるとは……
  • 日野 レンジャーダカールラリーにワークス体制(チームスガワラ)でマジ参戦していたトラック。実はこのクラスは他のSUV級クラス用のサポートの「ついで」で参加しているチームがほとんどで、日野のようにそれそのもので(しかも排気量10L以上の重量級モンスタートラックがうようよいる中で排気量8L・総重量7tと小柄な車両で)マジに挑んでいたところは数少ない。しかも初優勝時には一位から三位まで表彰台を独占した。現在でも同車をベースにしたレーシングレンジャー(改造無制限クラス)と市販車部門(最低限の改造のみ)の2台体制で参戦している。
  • 日野RA900P/三菱B906R/日産ディーゼルV8RA120/いすゞBH50P東名名神両高速道路の開業を背景に「ハイウェイバス」という新サービスをブチ上げた国鉄に対してメーカーが出した答。国鉄の無茶ぶりとは・・・
    • ターボチャージャーなしでも出力は320馬力以上(ただし例外として、過給機必須のユニフロー2ストロークエンジンを採用していた日産ディーゼルのみはスーパーチャージャー付)
    • 巡航速度100km/hは当たり前。最高速度は140km/h
    • 3速ギヤで80km/hまで加速可能。ゼロ発進状態から400m先に到達する時間(つまりゼロヨンのタイム)は29秒以内、4速ギヤでの80km/hから100km/hへの加速は15秒以内
    • フェード・ヒートトラック・タイヤスキッドを防止する高性能ブレーキ。排気ブレーキ基準で4速で100km/hから60km/hまでの減速が22秒以内
    • サブエンジン式冷房装置を搭載
    • チューブレスタイヤ
    • 便所の設置
    • 30万kmノンオーバーホール
  • これを1960年代の日本の自動車技術で実現させよと言われたもんだから各メーカーはたまったもんじゃない。でもそれを実現させちゃったんだから恐ろしい。
  • 西日本車体工業:2010年まで存在した、西日本鉄道の子会社であるコーチビルダー(バスの車体を制作する会社)。 通称「西工」またはNSK。 事実上、バス会社自らがバスを作っているに等しい状態だったため、西鉄の要望(という名の無茶振り)に応える形で魔改造を含めて色々なバスを作ってきた。西日本(京都以西)ではよく見かけたバスボディ。
    • 日産ディーゼル・スペースランナーJP系:西工の魔改造がメーカー正式モデルになってしまった例その1。もともと、北九州線の廃止にともなって代替バスを運行するに当たり、調達コストを抑えてワンステップバスを大量導入したいという西鉄の要望に応える形で制作。9mクラスの中型バスのシャーシを中央で切断して継ぎ接ぎする形で10.5mに伸ばし、大型バスクラスの車体を載せたというバス。中型以上のバスのシャーシはRR駆動方式だから出来た話ではある。中型バスベースゆえのパワー不足はターボ付きエンジンでカバーして、結果としてシャーシメーカー標準仕様大型ワンステップよりも安い価格で大型ワンステップの導入に成功。他のバス会社も注目(その手があったか)した結果、2年後に日産ディーゼル自らがベースシャーシを再設計して正式モデルとなった。さらにこれの商業的成功を受けて他メーカーも追従。中型ロングというカテゴリーが誕生するきっかけになったバス。
    • いすゞ・ジャーニー:西工の魔改造がメーカー正式モデルになってしまった例その2。 西工がマイクロバスサイズの低床化を模索していたときに、目をつけたのがなんと2トンクラストラックシャーシのいすゞ・エルフ。特に運転席から後ろの荷台部分が低く出来たタイプのシャーシを利用して、運転台部分から後ろにワンステップ構造の客室をつけた形でバスに仕立ててしまった。トラックとバスの合いの子のような形態でプレビスという愛称をつけて売り込みを図り、後にいすゞが自社のマイクロバスブランドジャーニーシリーズのひとつとして市販化。
    • パジェロバス:更に小型のバスの低床化を模索している時に試作された小型ノンステップバス。なんと三菱パジェロを利用してバスに仕立てたもの。4WD構造のシャーシの運転席部分だけを切り落としてFF駆動にし、後ろにノンステップの客室を取り付け。流石に改造の手間がかかりすぎたために1台限りに終わったが、実際に営業運転にも使用された。
  • ビスタコーチ近畿日本鉄道バス部門(現在の近鉄バス)が日野自動車近畿車輛の協力で製造した国産初の2階建てバス。後に登場する2階建てバスと異なり、2階建て部分はホイールベース間のみで、タイヤの前後は普通のバスと同じ構造である。そのため乗降口は車両中央部分のみに設置されていたので車掌乗務が必須であった。更に、乗降口にステップがないことを活かし、2階席を取っ払ったノンステップバスにもなった。しかしワンマン運転に対応できないことから1970年ごろ近鉄から姿を消した。
  • 京急型ワンステップバス京浜急行日野自動車が共同で開発したワンステップバス。初期のワンステップバスは車両価格が高く、普及の障害となっていた。そこで偏平タイヤを採用した都市型低床車をベースに、前ドアから中ドアまでの床面高さを65cmに抑え、中ドアから後ろは1段嵩上げすることで従来のツーステップバスと共通の部品を使用できるようにした車両。現在日本で製造されているワンステップバスはほぼ全てがこの京急型に準ずるもので、日野以外のメーカーも京急型に準ずるワンステップバスを製造している。

  • アンヒビアンバス:1962年に国鉄が製造した鉄道線上も運行可能な道路-鉄道直通バス、つまり後年JR北海道が開発を推し進めた(そして開発中止した)デュアル・モード・ビークル(通称 DMV)の元祖とも言えるバスで正式名称は043形特殊自動車と言う。専用に強化改造したシャーシ(R480改)、DB31A-62ディーゼルエンジン、中央出入り台式の富士重工業製モノコックボディを組み合わせたバスを基本とする。その見た目は2つの台車にバスが乗っかった恰好であり、動力はバス本体のエンジンからプロペラシャフトで一旦車体中央に導かれ、その先にある補助変速機(鉄道・バスの何方かの駆動系への動力伝達経路を選択する機構)経由し、ユニバーサルジョイントとスプライン軸付きプロペラシャフトで進行方向前側の台車の第2軸、つまり内寄りの車軸を駆動する設計…、っととにかく超めんどくさい機構だった。その為道路←→鉄道の転換作業も台車自体の着脱に加え、駆動用プロペラシャフトのはめ込み・抜き取りブレーキ管の連結・解放っととにかく複雑過ぎて実際に鉄道線上で営業運転されることは無く、試験終了後は通常のバスとして使用されたという。
    • もっとも、後年のDMVといい貨物のフレキシバンシステムと言い、なぜ日本では同一車体の鉄道・道路一貫輸送システムがうまくいかないのかというと、お約束の「なかなか変えられないお役所の体質」が原因である。戦後運輸省として一体化し現在の国土交通省に至る道路と鉄道の管理だが、戦前は道路は内務省の管轄であったため両者の間に深い溝があり、結果としてどちらも譲らないため、これらの車両は鉄道車両と自動車両方の登録(当然そのための検査も受けなければならない)が必要であり、さらに税金も両方の分を課税される、そのためコストに見合わない結果になる
      • この辺り問題は現在運行されている名古屋ガイドウェイバスでも現れており、運行されている車両はどう見てもバスそのものにも係わらず、自動車としての形式鉄道車両としての形式がついており、更に専用道部分は鉄道として建設されたため、運転手は自動車としての「大型二種」鉄道の「乙種内燃動力車免許」の免許両方を所持する必要がある。
    • では同じく戦前内務省の管轄であり、つい最近まで別の省(建設省管轄)だった軽軌道(路面電車、一部の地下鉄など)は鉄道との相互乗り入れのハードルが低いのかというと、在京・在阪私鉄の悪行の数々が原因だいたい説明がつく

自動車部門:バス・タクシー事業者編

  • こちらの項目は、バスやタクシー事業を行っている会社のお話、車両メーカーなどに関しての話は上記参照

  • 西日本鉄道大手私鉄の一角を占める会社ではあるが、むしろ大手バス会社としてのイメージが、特に地元では強い。分社化で単純に台数だけでは、神奈川県の神奈川中央交通に抜かれたが、グループ全体で見れば3000台弱を抱える、日本最大のバス事業者である。自前でコーチビルダーを抱えていたのもこのため。
    • ムーンライト号現在、全国に運転されている夜行高速バスの雛形を作り上げた路線。両起点のバス会社による共同運行、収入のプール精算、乗務員2名乗務で交代しながらの運行など現在の夜行高速バスで一般的になっている運行システムの殆どがこのムーンライト号がルーツ。その後も、独立三列シート床下乗務員仮眠室という新機軸も初めて採用している。だが、後発の高速バスとフェリー(後述)との競合には勝てずに2017年に運行休止になってしまった。
    • 福岡~北九州間高速バス及びひのくに号(福岡~熊本):新幹線に真っ向勝負を挑んでいる都市間高速バス。所要時間では勝負にならないが、低価格運賃高頻度運行で新幹線を向こうに回して大健闘している。特に高頻度運行に関しては、福岡~北九州は5~15分間隔、ひのくに号は10~20分間隔という、都市部の路線バスレベルの頻発運行。ひのくに号に至っては、九州新幹線開業に合わせて、更に増発して引くつもりは一切ないという意志を示し、これが功を奏している。
      • ここまで行かなくても、九州内の高速バスは運行本数が多く、JR九州がいろいろとやらかしているのも高速バスのせいといっても過言ではない。
      • 一方、本拠地である福岡市内では福岡市営地下鉄福岡空港まで延伸されたため、ドル箱路線であった市内からの空港連絡バスが廃止されたり、さらに七隈線開業により並行路線の減便が行われたが、都市高速経由の都心直通バス運行や、エコルカード(学生専用のフリーパス)やグランドパス65(65歳以上の高齢者が使用できるフリーパス)を発売して善戦している。また、都心部でも市内100円バス&100円フリー定期を打ち出し、福岡空港についても地下鉄では直接アクセスできない国際線ターミナルへの直行バスを天神や博多駅から運行してこちらも善戦している。
      • と、ここまで書くと「西鉄ってバスが主体で鉄道が副業じゃねぇの?」と思われがちだが、なんと鉄道事業は1000億円単位の黒字でバス事業は逆に同じぐらいの赤字どうしてこうなったのかというと、西鉄は昔、福岡市内に軌道線(路面電車)網を持っていたのだが、福岡市が発症した周回遅れの市営モンロー主義により無理矢理廃止に追い込まれたため、その反撃としてバスを大量投入したのが始まりだかららしい。福岡の市内がバスだらけなのは西鉄のウラミツラミの結果で、実際地下鉄を赤字に叩き落としたのだから博多商人恐るべしである。ちなみに西鉄の最大の収益源は不動産事業

  • 弘南バス新幹線やツアーバスに真正面から喧嘩を売る青森のイカレた(褒め言葉)バス会社
    • パンダ号・スカイ号:安さが売りのツアーバスに文字通り真正面から勝負を挑む長距離高速バス。路線バスであるにも関わらず4列シート・トイレはPAでの休憩時のみ(車両には非搭載)と割り切りツアーバス張り……というより下手なツアーバスよりも安価な料金を実現。

  • 長崎県交通局(長崎県営バス):日本で唯一の県営バス。ではなく普通公営バスは自らの行政区域内で路線を完結させるのが普通なのだが、長崎県内だけでなく、九州各県にも高速バスの路線を展開。それだけに留まらず、福岡県貸切バス営業所を設置している。

  • 京都市交通局:系統番号と南北通りのカラー表示に対応できないという理由で、現在に至るまで原則としてLED方向幕を採用していない(他社からのリース車と仕様として幕式に対応していない車種を除く)。実は2010年度新車から一時期LED方向幕を導入したことがあったのだが、結局カラー表示の問題がクリアできない上に、2014年春から南北通りラインカラーを新規導入することもあって、2013年度新車から幕式に戻したというこだわり。2019年新車から、満を持してフルカラーLEDを採用するに至っている。


自動車部門:スポーツ&レーシング編

  • プリンス スカイライン GT-B(S54B):1963年に行われた第1回日本グランプリで惨敗を喫し、会長の石橋正二郎(ブリヂストンの社長でもあった)から叱責された技術部門の総責任者・中川良一(「スバル360」の項で触れた中島飛行機のレシプロエンジン「」の主任設計者)の指揮の下、翌1964年のグランプリ制覇を目標に誕生した和製BX4TC(つかこっちの方が先)。直列4気筒OHVのスカイライン1500でのパワー不足を克服すべく、何とボンネットを20cm伸ばして、ワンランク上の高級車グロリアの2000cc直列6気筒OHCエンジンをブチ込み、しかもイタリア・ウェーバー製DCOE型スポーツタイプ・キャブレター3基を搭載した。このためロングノーズという(当時としては)異様な見た目となり、性能でも直線での伸びは良くなったがコーナリングが厳しくなるなどスカイライン1500とは逆の結果になった。迎えた第2回日本グランプリの結果は…ここで語るまでもないだろう。
  • プリンス R380:プリンス自動車最後の意地。第二回日本グランプリにおいてポルシェ904に敗北したプリンス自動車。直後、日産との吸収合併が決定し、次の第三回ががプリンス自動車として出場できる最後の日本グランプリとなった。そして「最後にポルシェに勝って終わりたい」という思いを込めて完成したのが本車である。第三回日本グランプリで追加された「特殊ツーリングカー部門」いわゆるプロトタイプレーシングカーのカテゴリで制作され、元飛行機屋として航空機に使われた様々な技術(スカベンジング・ポンプやアルミボディ)を投入した。本番では、R380より軽量・大パワーのポルシェ906が投入され、大激戦を演じた。性能面で不利なプリンスはスピード給油装置の投入など、ピットワークで差を詰めた。結果はポルシェのリタイヤによりR380の圧勝に終わった。のちにポルシェとは再び90年代にニュルブルクリンクのタイムで争い、R35の世代にも続く因縁のライバルとなる。
  • 日産 スカイラインGT-R(PGC10-BNR34):その2000GT-Bがツーリングカーレースでトヨタ1600GTなどライバル相手に苦戦し始めたため、日本初のプロトタイプレーシングカー・R380の2000cc直列6気筒DOHCエンジンをディチューンしてぶち込んだキ○ガイスポーツセダン/クーペとして誕生(PGC/KPGC10型)。輝かしい戦歴によってその名は不動のものとなるが、同時に排ガス規制との苦しい戦いの歴史ともなり、わずか197台で散ったケンメリことKPGC110型から16年間中断。ターボ時代のBNR32型で派手に復活するも、スカイラインがインフィニティG(→Q60/50/40)ベースのV35型に移行し、R35型は「日産GT-R」(次項)として単独車種化した事もあり、完成形であるBNR34型は(スカイラインGT-Rとしての)後継に恵まれることなく2002年に生産終了となった。ちなみにGT-BやGT-R、あるいはBX4TCの発想は英トライアンフ社のビテス6(直4車のヘラルド13/60のボンネットを伸ばして直6エンジンを搭載)を先駆けとする。なるほどな。
  • 日産 GT-R(R35):…性能については今更言うまでもない訳だが…信じられるか?あれでもライン生産の量産工業製品なんだぜ…? しかもこれでメーカー希望小売価格が1,000万円切っちゃってるよオイ。ちなみに開発コンセプトは「やれるとこまでやろう」、あるいは「みんなで時速300キロで快適にドライブするための車(意訳)」だとか…。
  • 日産 スカイラインRS(DR30):6代目スカイライン・R30型のホットモデルにして「スカイラインの父」桜井眞一郎、怒りのデス・ロード。排ガス規制対策に専念するため、スカイラインGT-RやフェアレディZ432などのDOHCエンジン搭載モデルの生産を中止していた日産に対し、トヨタは1.6Lの2T-G/2Lの18R-Gを搭載した2代目セリカ後期・A50型のCMで「名ばかりのGTは、道を開ける」と挑発してきた。これへの報復として叩きつけたのがスカイラインRSと、その心臓部であるFJ20エンジンだった。18R-Gと同じ直列4気筒・2Lながら、1気筒あたり2バルブの18R-Gに対し、R380→GT-Rの血統を引き継ぐ4バルブ/気筒+ペントルーフ型燃焼室という当時としてはガチのスポーツタイプ。出力も、同じ自然吸気・電子制御燃料噴射モデルで比較すると、FJ20Eは18R-GEUの135ps/5,800rpmとは比べ物にならない150ps/6000rpm。最終的にはシングルターボ+インタークーラー搭載の「ターボC」で205ps/6400rpmまで向上し、これで80年代のサーキットを荒らし回った。「あの頃、日産を本気で怒らせるとこうなった」という見本。なお6代目スカイラインは上記にある通りGT-Rの空白期で、「GT-Rの再来」とまで言われたがエンジンが4気筒だったために(ケンメリまでのファンの抵抗もあって)GT-Rを名乗れなかった。しかしその声はBNR32 スカイラインGT-Rの登場に繋がっていく。
  • トヨタ スープラだが日産に顔に泥を塗られて引き下がるようでは王者トヨタの名が廃る。DR30スカイラインのおかげでセリカを「セリカのノーズに強引にソアラのエンジン載っけてアメリカ人ダマして売ろうと考えたインチキでっち上げスポーツカーもどき」とまで酷評されてしまったトヨタ執念の反撃。前年1985年にフルモデルチェンジしたR31スカイラインにぶつけて、1986年、それまでの「セリカ・XX」の国内名称から、“The Japanese SuperCar”の代名詞にのし上がった北米モデルと同じ「SUPRA」の名称で発売。国内での実用性を考えた2lモデルにはツインターボの1G-GTEU(210ps)搭載グレード、さらに北米の道を制した3lターボの7M-GTEU(270ps)というバケモノエンジン搭載車をついに国内でも発売。これは後の所謂“280ps規制”の一因になったとされている。R31スカイラインは逆にイメージチェンジを図ろうとしていたがスープラの前に惨敗、今度は「史上最低のスカイライン」と言われてしまう羽目に。そしてそれに直面した日産が投入してくるのが“16年ぶりのGT-R”BNR32というわけである。
  • 日産 R381:1967年の日本グランプリでポルシェ906(カレラ6)に敗れた日産がリベンジのために投入したグループ7カー。アメリカのシャパラル2C/2Fにヒントを得た可動式リアウィング(エアロスタビライザー)が特徴。しかしシャパラルが一枚羽でかつドライバー席のペダル操作だったのに対し、R381は中央で二分割した上、車が外側にロールするとセンサー役の油圧シリンダーがそれを検出して内側のウィングを立たせ車体を安定させるという全自動操作。これでポルシェ910やシェルビー・デイトナ、トヨタ7などを下して1968年の日本グランプリで1-2フィニッシュ。慌てたFIAが「可動式エアロパーツを禁ず」とのお達しを出した(可動式エアロパーツには事故も多かった事も原因だったが)。
  • 日産 GT-R LM NISMO:その日産が「地雷を踏む時は思い切り踏み抜く」を示した一例。2015年ル・マン24時間耐久レース及びFIA世界耐久選手権(WEC。LMP1-Hybridクラス)のために開発したプロトタイプレーシングカー。駆動方式はミッドシップ+後輪駆動が当たり前のこのカテゴリでは前代未聞のFF(フロントエンジン+前輪駆動)を採用。名前こそGT-Rだが、エアインテイク以外外見に面影はない。WECで序盤から欠場が相次ぎ日産ファンを不安がらせ、ル・マン本戦ではハイブリッドシステムの機能不全やフロントタイヤ切断などのトラブルを起こし3台中2台がリタイア。テレビで解説を務めた日産ワークスOBの長谷見昌弘をキレさせるなど散々な結果で終わった。
  • マツダ787B:1970年のシェブロン・マツダから連綿と続くロータリーレーシングカーの集大成。1991年のル・マン24時間耐久レース総合優勝により名車の称号を獲得したが、レシプロエンジン以外のガソリンエンジン車、及びカーボンブレーキ搭載車として初のル・マン制覇という記録は変態車としての資格充分。正攻法では勝てないなどということはない…よね?
  • 三菱ランサーエボリューションスバルインプレッサWRX:もう多くは語らない。GT-Rの時にも言ったが、なんであの性能を300万円台(ランエボVIIに至ってはGSRですら税抜きとは言えまさかの300万円切り、RSに至っては何と250万円ちょい!!)で量産できるのやら。Cセグファミリーセダンがベースだから実用性もバッチリだし。…ある意味、フェラーリやランボルギーニよりも恐ろしい存在かも知れない。ちなみにラリーでは両方とも、他のワークスがコースの下見に使用している(というのも欧米メーカーは2WDを4WDにして参戦しているため参戦車輌の4WDモデルがないことが多く、ラリーにも使われている市販車で4WD+ターボというとこいつらくらいしかないため)。だが、この程度で驚いていてはまだ甘い
  • スズキアルトワークスダイハツミラ TR-XX そう、甘すぎだ。上記の軽自動車版、というよりこっちが元祖。まずはスズキがDOHC・ターボ・フルタイム4WDモデルのアルトワークスで全日本ラリー選手権の頂点に君臨したかと思えば、ダイハツがその座をかけてミラの最上位グレードTR-XXから贅肉をそぎ落とした競技用車TR-XX X4、さらにそれを市販車ラリー用にフルチューン状態で市販化したX4Rで逆襲。ミラTR-XXは本来乗用モデルのクオーレ→ミラ・セダンの最上位車種として豪華装備を持ち本体価格は200万弱したが、競技用のX4、X4Rは120万前後で買えてしまった。一方のアルトワークスもRSはオーディオすら標準装備しないという徹底ぶりでやはり価格は120万前後(豪華仕様のesはエンジンがSOHCだった)。タコメーターのゲージが標準で10,000rpmまで刻んである市販車レース用ベース車がこんな値段で売られていたのである。
  • ↑に乱入する残りの軽メーカー:だが、アルトワークスとミラTR-XXの戦いは、残りの軽メーカーがブランドイメージに「技術志向」を持っていたため、当時F1技術開発の関係でターボを封印していたホンダを除く残り2社が介入する大混戦に発展した。三菱が空前の軽5バルブDOHCターボ+4WDを搭載したミニカ ダンガンで度肝を抜いたかと思えば、スバルロングストローク4気筒エンジンと高ブーストスーパーチャージャーを採用してSOHCで肩を並べた「お前のような『その場しのぎ』があるか」レックス VXDOHC+FFだけでもニュルブルクリンク北コース9分54秒台をマークした後継車ヴィヴィオ RXを投入…と空前のスポーツ軽ブームを起こした。実は上記のABCはこちら2ボックス軽セダン/バンのホットモデルからの余禄に過ぎないのである。あまりに過激なパワー争いに危機感が抱かれたため有名な64ps自主規制枠が設けられるが(この数字は元々アルトワークスのそれである)、マフラー交換しただけでシャシダイ80psを超えている個体がゴロゴロついでに海外の国際ラリーにもスポット参戦して荒らしまわった。バブル崩壊後は急速に熱が冷めたかのように各車軽自動車は経済優先のスタイルに戻ったが、水面下では軽の生産を終了したスバルにかわりターボを解禁したホンダが加わりグツグツと煮えたぎっている様子。そしてスズキは2015年、アルトターボRSで軽ホットハッチ市場に復帰。ついでRSのAT(厳密には自動変速機能付きAMT)のみの設定に対するブーイングに応えたのかMT仕様のワークスを東京モーターショーで発表。そして2015年12月24日、スズキは世の走り好きにアルトワークス発売という、まさにクリスマスプレゼントを届けることとなったのである。
  • 2巨頭の復活:アルトワークスが国内でのクルマ離れをどこ吹く風とばかりに走り屋達に絶賛される中、これで黙っているようでは流石にかつての「宿敵(とも)」としての立場がないと感じたのか、ついにダイハツも2022年を目処にTR-XXの復活を掲げた。ついに熱い時代が帰ってくるのか……!?
  • マツダ・ロードスター:小型軽量で安価なスポーツカーの将来が絶望視されていた1989年、発売と同時に世界中で大ヒット、他社からもオープンスポーツカー発売の発表をさせるなどフォロワーを出させた奇跡の車。2011年2月までの生産台数が90万台と「世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカー」としてギネス記録にも認定された。「量産車のエンジンを使い車体を軽くすることでレスポンスを研ぎ澄ましスポーツカーとする」というのが元々英国流のやり方でありマツダもそれに従ったのだが、日本車らしい安さと信頼性、マツダのこだわりである「重量配分前後50:50」というのが他社の真似出来ない部分。そのバランスはパワー厨のおじさんも唸らせる。更に現行モデルではSKYACTIV-G1,500ccエンジンを搭載。実はこれも英国流スポーツカーの文法通り(さすがに圧縮比は高回転まで回せるように落とされているがそれでも異例の13:1)。
  • スズキ・スイフトスポーツ (ZC33型):バブル崩壊以降、トヨタや日産はもちろんスバルやホンダさえ尖ったクルマを作りたがらなくなった昨今において、スカGスピリットを引き継いだのはまさかのスズキだった。何をトチ狂ったのか本来リッターカーのスイフトのボンネットに、2.0lNAエンジンと同等とされエスクードなどにも搭載される1.4l直噴ターボエンジンをブチ込む。そりゃサイズ的には大して無理ないけどさぁ……また先代では姿を消していたMTも復活した。

自動車部門:その他編

  • スズキ X-90エスクードカプチーノを足して割ったようなSUV+2シーター+オープン(Tバー)カー。見方によっては作画崩壊したようにも見える。ほとんど売れず。
  • いすゞ ユニキャブジープのような角ばったゴツイ見た目のオフロードカー。と思いきや中身は後輪駆動で都会でオフロードカーの雰囲気だけ味わうという現在のSUVを先取りしすぎた車。結局、その試みは理解されなかった。
  • いすゞ ビークロス:エクステリアがほとんどコンセプトカーそのままな特異なデザイン。
  • トヨタ パブリカ日本版フォード ピント、というかこっちが元祖。致命的な欠陥とされた部分はないものの、水平対向空冷2気筒の800ccエンジンを搭載した車両はいろいろ割り切りすぎてなんにもついてない状態。その装備内容は同時期の軽自動車に劣ったそれでいて軽ほど経済的ではないという本末転倒なものに仕上がる。このエンジンを軽量なクーペ/オープントップボディに搭載したトヨタスポーツ800(ヨタハチ)は現在にまで通じる名車としてヒットしたが、パブリカはコアなヨタハチマニアの間に「ヨタハチの原型ね」程度に記憶されるだけの代物となってしまった。そこで今度は水冷4気筒エンジンを搭載した2代目に移行するも、今度は1個格上のカローラの当時のモデルと差別化できなくなり、結局鳴かず飛ばずで初代以上に忘れ去られた存在となってしまった。結局トヨタの主力商品は「カローラ」となり、このクラスは後に排ガス規制諸々によるカローラの肥大化に伴いスターレットとして復活する。
    • トヨタ ミニエース:パブリカとシャシーを共有するワンボックスカー/トラック。こちらもいろいろ割り切りすぎてうまく行かず、当初ハイエース-ライトエース-ミニエース、というクラス分けを想定していたトヨタの販売戦略は転換を迫られ、ミニエースが切り捨てられ、ライトエースとハイエースの間にタウンエースが挿入された。……が、ミニエース販売終了からさほど間を置かずして、スバルサンバーベースに拡大したドミンゴを発売、爆発的とは言わないまでもそこそこ成功した。 スバルとトヨタの因縁の一幕である。
  • ダイハツ ストーリア / トヨタ デュエット:車好きの間ではモータースポーツ用にミラの4気筒ターボをボアアップして積んだX4が有名だが、元々は年々没個性化していったシャレードの後継車で、ダイハツ伝統の1000cc3気筒エンジンを積んでいた。ミラ用のシャシー設計をかなり流用しているので、タイヤは細い13インチだし、最小回転半径は軽トラ並みの4.3mと、狭い街中での使いやすさを意識した設計になっている。…が、最初のマイナーチェンジでダイハツがやらかす。上位グレード用に1300ccエンジンを新設計したが、どういうわけか可変バルタイを搭載しホンダ1300並みの高出力高回転スペックを発揮、しかもそれを量販グレードにまで積みやがった。更に同じことをOEM先のトヨタもやらかす始末。そのうえこんなものを積んでいながら足周りはサスペンションが小改良されたぐらい。なんだこの宝の持ち腐れ。そもそも1000ccグレードに圧され製造数が多くないところへきて、X4の陰に隠れて中古市場での需要も低く、下取り価値がつかなくなるとボディはX4の部品取り、エンジンはミラやコペンのエンジン換装用にどんどん解体されていき、今やすっかり希少車の仲間入りである。一応名誉のために追記しておくと、FIAのホモロゲーションを取得して国際ラリーに出走できたのは実はX4ではなく1300ccFF車だった。
  • ホンダ 1300:ホンダ初の登録車。「他のメーカーがやらないことをやる」という本田宗一郎の技術的信念(というか暴走)から、空前絶後の極めて凝った空冷メカニズムを搭載していた。そのため「操縦特性が神経質」「フロントヘビー」「大きい最小回転半径」「高コスト」などの問題を多々抱えた欠陥車となり、結果として本車は本田宗一郎引退のきっかけを作ることになった。
  • トヨタ カリーナED&コロナEXiV:このクルマのパッケージングを一言で言えば「バブルが生み出した純正チョップドトップファミリーカー」。名称こそカリーナ・コロナを名乗っているが、その実体はぶっちゃけセリカ4ドアハードトップ」で、全モデル通して全高が1.3mちょっと(ST180系EDで1315mm)と2010年代どころか当時(1985~1995年前後)のセダンと比較しても全高が異常に低かった。ちなみに参考までに、BRZ/86の全高が1300mmと言えば、どれだけ低いかおわかりいただけるだろう。グランツーリスモでの説明では「セダンが欲しい熟年層とクーペが欲しい若年層の希望をニコイチしたクルマ(意訳)」と言われており事実ファミリー層に売れた車種ではあるが、座高の高い奴にとってこいつのリアシートは地獄である。(天井、下手すればリアガラスに頭が当たる。)冒頭で触れた通り、まさにバブル時代の申し子といえるパッケージングであろう。(後年登場したメルセデス・ベンツCLSが車格も価格もまったく違うのに同コンセプトの車種とされることがあるが、そのCLSでさえ全高は1.4m前後である。おまけにCLSは4シーターだが、ED/EXiVはそれより狭い室内空間に5人を詰め込んだ。)ちなみにセリカの兄弟車と言うことで3S-GEエンジン搭載グレードを搭載してみたりJTCCに参戦してみたりといったエピソードもある。
  • トヨタ メガクルーザーアメリカのHUMMERを見た一部の連中が日本版ハマーを出せとか抜かした結果発売された、陸上自衛隊の高機動車のシャシーをもとにした高級SUV。バカは真似しなくていいっつうに
  • トヨタ プリウス:ご存知21世紀に間に合った世界初の市販ハイブリッド車(HV)。当時欧州勢は電気自動車(EV)や燃料電池車(FCV)を次世代自動車の本命と見ておりHVは単なる繋ぎと軽視していた。自動車会社の取締役クラスがプリウスを指して「1台の車に複数のパワープラントがあるのは異常」という旨の発言をしたほどである。しかし市販化が遅々として進まないEV、FCVを尻目に順調に売り上げを伸ばすHVを見て前言撤回してトヨタの後追いをする羽目に。返す刀でトヨタもFCV「ミライ」が影響を受けているのはご愛嬌。
  • 日産 A型エンジン:1966年にサニー用として開発され、2008年まで製造された日本の自動車用OHVエンジン。まあ最後の方は流石にサニートラックや2代目バネットなど実用車だけだったのだが、問題はサニーのGTカーレース。カーボン式プッシャーロッドを使うなどして13,000rpmとかいう、普通のOHVエンジンなら確実にぶっ壊れる回転数の更に倍くらいまでキッチリ回しちゃった。それ以外でもこのエンジン、オーソドックスな直列4気筒エンジンであって、V型エンジンや水平対向エンジンのようにカムシャフトが1本で済むとかサイズ上有利とかそんなことはない
  • トヨタ Y型エンジン:日産のA型と対になるエンジンがこれ。水平対向エンジンの全幅の問題でOHC化に乗り遅れていたスバルですらいよいよOHVでは戦えないと焦り始めた1982年になって、トヨタが新規開発したOHVエンジン。確かに耐久性の点では消耗品であるタイミングベルトがないのは有利なのだが、この頃の日本製エンジンのタイミングベルトはエンジン自体の分解整備が必須とされる走行10万kmまでは保つとされていて……しかもこっちはこっちで、マークIIバンで平成5年度排出ガス規制を突破してみたりとか、わけのわからんことになっている。そして何より恐るべきは、フォークリフト用とは言え2021年現在まだ生産中。言っとくが直列4気筒である。だから言っただろ、アメリカをおちょくると大概ブーメランしてくると
  • マツダ SKYACTIVシリーズ:そのプリウスに真っ向から勝負を挑んだのがマツダ。ガソリンエンジン側は超高圧縮比により熱効率を高め、ディーゼル側は逆に圧縮比を落とし各パーツの軽量化・摩擦抵抗低減によりさらなる効率をアップ(奇しくも圧縮比は同じ14:1)。その上2015年9月、フォルクスワーゲンがアメリカ向け輸出車にディーゼルエンジンの排ガス規制をごまかす不正ソフトを搭載していたことが発覚。ライバル自滅とも言えるこの状況をマツダはどう活かせるか。
  • 三菱 4N1x系エンジン:一方、パジェロデリカといったRVで鳴らした三菱もまた早期からクリーンディーゼルに挑んでいた。その考え方はマツダのSKYACTIVE-Dとは真逆で、高圧縮高過給のシリンダー内にコモンレール噴射して高速燃焼させPMの発生量を減らす。ガソリンエンジン同様後処理装置(触媒)を使用してNOx(窒素酸化物)を除去することを前提にした考え方で、より効率的にそれが機能するようにしたものである(SKYACTIVE-Dは後処理装置を極力追加しないということを前提にしている)。ちなみに近々、トヨタも同じ手法のエンジンで乗用ディーゼルに復帰する予定ではあるが、2015年11月現在ランクルプラドに搭載されているディーゼルエンジンはNOxを分解する尿素水溶液を必要としており、使いやすさの面ではSKYACTIV-Dや4N1xに劣っている。
  • 光岡自動車:最初は自動車販売が主な事業だったが、50ccミニカーや市販車を改造したレプリカの製造に手を出し、しまいには運輸省(当時)から認定を受け日本で10番目の自動車メーカーとなった。製品は日産・マーチ(→ビュート)など主に国内メーカーの一般車をベースに改造したもののだが、ベース車と完成品を比べるともはや劇的ビフォーアフターレベルの見た目の変わりよう。特にラ・セードヒミコは面影がほとんどない。
  • 「音楽企業のほうの」ヤマハ(旧日本楽器製造):楽器と自動車・バイクのまさかのコラボ。何をしているのかというと、YAMAHA(ヤマハ発動機)製エンジンの排気音の調律を行っているのである。上はレクサスLFAから下はクラシカルバイクSRV250まで。普通良い音になるはずのないクロスプレーン型4気筒のYZF-R1の排気音も聴けるレベルにしてしまう技術を変態と呼ばずしてなんと呼べというのか。ちなみに車に関わらない部分としてのヤマハは変態という言葉すら足りないレベル。
  • 日本車メーカーの4WDに対するこだわり:もはや説明すら不要。日本の中でも特に三菱とスバルから4WD車を無くそうものならラインアップは悲惨なことになるだろう。そも三菱の四駆は戦後の三分割で生まれた旧中日本重工業が本家アメリカのウィリス・ジープCJ(ラングラーの前身モデル)のノックダウン生産を始めたのが始まりで、パジェロはその後継として生まれた経緯がある。そしてサーキットで活躍していたスタリオンのラリー仕様として開発されたスタリオン4WDラリーこそがランエボやダンガンの源流である。スバルは世界初の量産4WD乗用車レオーネ4ドアセダン4WDに始まり、アルシオーネ以降は基本4WDで2WDの方が異端と言っても過言でないラインアップだったりする(実際アルシオーネや3代目以降のレガシィレヴォーグに2WD車はない)。一方でトヨタや日産はかつて軍の依頼で4輪駆動車を研究・試作していたことに自負を抱いており、ランドクルーザーやかつてのサファリ、セリカやスカイラインGT-Rなどこだわりの4WDがあったり、スズキは前述のジムニーを製造し続ける、ダイハツはハイゼットアトレーにRVとしての性格を持たせるために4WDターボを設定するなど例を挙げればキリがない。そしてWRCなどでちゃんと実績を残しているのだから恐ろしい。
  • 4シーターへのとにもかくにも異常なこだわり:海外なら2シーターで当然のスポーツカーの分野でも、ちょっとでも余裕ができれば後部座席を突っ込んでしまう悪い癖。後から設計変更して乗員を増やそうとするとえらい手間がかかる国内制度がそれを助長していたり。
  • スズキ自動車の燃費測定偽装問題:カタログ表示値の燃費が法律で指定された手段で計測されたものではなかった。この直前に三菱も同じことをやらかしていたため国土交通省では量産車の中から抜き打ちで、正規の手順で燃費計測を行ったらカタログスペックより低燃費だった件。だからといって不正をしたことへのお咎めが無くなるはずもなく、結果論で言えば不正をするだけ損だった、というオチ……かと思いきや、再計測の結果幾つかの車種の燃費がプリウスより優れていたとされトヨタにきっちりとばっちりを食らわせる鈴菌恐るべし。
  • スバルの水平対向エンジンへのこだわり:水平対向エンジンは現在、世界の四輪車メーカーの中でスバルとポルシェしか製造していない。ポルシェでも911やボクスターといった限定的なスポーツモデルにしか搭載されていないが、スバルはOEMを除いて全て水平対向エンジンである。スポーツモデルのWRXBRZはさることながら、フラグシップセダンのレガシィB4、SUVのフォレスター、ミニバンのエクシーガ、コンパクトカーのインプレッサまで全て水平対向エンジンである。
    • EJ系に対するこだわり:1989年に登場した本エンジンは2017年現在も生産されている。基本設計は変わらないものの、初期と現在のエンジンはまるで別物と言われる。約30年に渡り性格が全く異なる様々な車両に搭載されてきたために、一系統とは思えない程の多様な仕様を持っている。え、EN07? ああうん忘れてました。
  • エンジニアがテストドライバーになるスバル:中島飛行機からの伝統。エンジニアが自らハンドルを握り、評価を行う。エンジニア自ら車を走らせることで、「安心と愉しさ」を物理化しようというものである。エンジニアが自らテストする文化から、社内でテストコースライセンスは存在したが、より積極的に評価技術の向上を推進しようというのがスバルドライビングアカデミーである。ここでは走行技術の向上のほか、車両整備を学んだり、耐久レースの出場などを行っている。
  • 放課後のプレアデス:スバルとガイナックスの共同プロジェクトで作られたアニメ。もともとはアイサイトの宣伝として企画され、スバルがガイナックスに制作依頼をだしたのが始まり。Youtube版のほか、なんとTVアニメ化までされた。会社の信念をアニメ化した自動車会社は世界でもスバルぐらいであろう。主要登場人物はスバル車がモデルになっており、後述のなんでも萌え化する文化にも通じている。

つまり、そもそも日本車自体が変態!?

  • 総括すると、性能燃費耐久性排ガス浄化安全性手ごろな価格全部が同時に成立すると考えている(そして実現させている)日本の自動車産業そのものがおかしい。そしてそれが当たり前だと思っている日本国民自体も大分おかしい……
    • 日本車の変態仕様をアメリカの消費者側が知ってしまったおかげで「値段に対して求められる性能の水準」がやたらと上がってしまい、その結果アメリカの自動車産業が一時期大打撃を食らっていたりもする。何が脅威かというと性能そのものではなく、アメリカの自動車産業から見れば性能に対して採算度外視に思えるような価格設定でもちゃんと採算が取れるような事業体系を構築していた点である。
    • だが、この裏には常態化する壮絶なデスマーチという、日本社会の病とも言うべき状況があるのでこの評価を手放しで喜ぶのは危険である。現在のような評価は決して満足とは言えない低賃金、人件費削減の為に人員をギリギリまで削られた影響による人手不足が招く労働者一人頭への負荷、長時間の労働時間が招く心身への悪影響や過労死リスク等、文字通り「現場にいる末端労働者の命を削る」ことによってなんとか成立しているのである。(特に大手自動車メーカーに対して立場の弱い、下請けの部品製造メーカーにその傾向が多く見られる)
    • SKYACTIVの項で触れたフォルクスワーゲンの不正も、日本車には大して影響がないと言われている。何せ問題の不正はアメリカに車検制度がないために可能だったズルであり、1~3年ごとにすべての自動車を法令遵守しているか検査する日本では無理。そして日本の排ガス規制(皮肉にもビッグ3が「不可能」と決めつけたマスキー法そのもの。にも関わらずクリア出来る代物を開発・販売しているのが日本のメーカー)は1978年以降常に世界一厳しい。他国の大手企業がどんなインチキしようが「日本の自動車技術はガチ」は変わらないようである。更には「この不正が発覚した切っ掛け」こそ日本の計測技術が深く関与している。
    • そして予想通り欧州でマツダ・三菱のクリーンディーゼルバカ売れ。さらにはこの事件によって「やっぱ日本の自動車技術は最高じゃなイカ!?と国民が国産ディーゼル車に再注目した結果、国内でもバカ売れ

  • 他国(特にアメリカや韓国)が「日本の自動車市場は閉鎖的」と非難する事があるが、日本は外国車に対して特別な関税を課したりはしていない(むしろ文句を言ってくる国ほど日本車に重い関税を課している)。ぶっちゃけ外車が売れないのは日本市場向けの車種や仕様を開発しようとしないのが主因である。そもそも国際市場でも高いシェアを勝ち取っている日本企業同士がニーズや風土を熟知した上でしのぎを削っている地元市場に、何の対策もせずに他国仕様車を持ち込んで勝てるわけがないのは自明であろう。(なにしろ軽自動車にまで「新車には宝石の輝きを求める」のが日本という市場である)とある米メーカーが軽自動車を徹底分析した結果、「我々にはとても無理だ」と白旗を上げたとか。諦めんなよ!一方日本の企業は国内では一切販売していないピックアップトラック等の車種を海外市場向けに開発製造している。

  • 日本車最大の強みは圧倒的な耐久性である。「高温多湿」「塩害のある海岸部が多い」「冬季には積雪や零下の温度になる地域もある」という金属や機械製品にとって劣悪な環境全てで「同等の性能を保障する」という、頭のおかしい条件をクリアしてきたのが日本の自動車産業である。日本の法制上では廃車扱いの中古品ですら他国では上質な稼働品として重宝されている例は多数ある。

  • ちなみに鉄道や海軍ほど知られていないが、自動車も英国の弟子筋。日本の対面通行が“車両左・歩行者右”なのはそのため(これは英連邦を除けばほぼ日本だけといっても過言ではない。圧倒的多数はアメリカ・ドイツ発祥の“車両右・歩行者左”)。また、かつては皇室の御用達もトヨタが初代クラウンを発売するまではロールスロイスだった。つまるところ、自動車もなるべくしてこうなった

航空・宇宙部門

  • NAMC YS-11:戦後初の国産旅客機。ただし基礎設計が軍用機の設計しかしたことのない連中ばかりだったためか良くも悪くも旅客機としてはおかしい機体に仕上がっている。民間機としては常識外れの安全率を確保しており、疲労強度試験を26か月にわたり続けてもどこも損傷しない(最終的に試験装置の方が損傷し、終了した)という異常な頑丈さを持っていた。この頑丈さゆえ多くの機体が40年以上の長きにわたり運用され(普通の旅客機の寿命は20年、貨物機で30年である)、並みの旅客機ならスクラップ確定の事故からですら修理して復帰を果たした機体がいくつも存在する。しかしこの機体、ボディが頑丈すぎるために重量がかさみパワーが不足気味。おまけに操縦系統が油圧式ではなく人力式なうえオートパイロットが無いので操縦が大変で、民間機のパイロットからの評判はすこぶる悪かった模様。
    • 土井武夫技師:川崎航空機→川崎重工の技師でYS-11開発にも参加している。ちなみに強度に関しては前科がある
  • イプシロンロケットを始めとした固体燃料ロケット:世界最大級にして97%超という脅威の成功率を持つH-2Aの陰に隠れがちな、中型の固体燃料式ロケット。戦後日本初の実用ロケットであるペンシルロケットも固体燃料式であり、ある意味こっちが日本ロケットの本家。日本初の人工衛星「おおすみ」を打ちあげたL-4Sロケット(後述)は、世界初の全段固体燃料の多段式ロケットでもあった。最新型のイプシロンロケットはICBMに出来そうなほど小型軽量化。今後はさらに小型軽量化を進めるとか……
    • L-4Sロケット縛りをかけられると本気を出す日本技術陣の真骨頂。前述のとおり世界初の全段固体燃料多段式ロケットであると同時に、史上おそらく唯一となる誘導制御装置を持たない、無誘導衛星打ち上げロケットなのである。といってもただ真っ直ぐロケットを打ち上げたところで軌道には乗らない。そこで当時の東大の変態技術者たちが何をしたかというと、「第一段・第二段は尾翼による空力効果で、第二段と第三段では機体自体のスピンで安定を保ち、第四段は逆方向にスピンをかけて回転を停止したのち姿勢制御を行ってロケットを水平にし、再度スピンをかけて放物線の頂点で再び燃焼を開始」という複雑なプロセスを、一旦点火したらもう止まらない固体ロケットで実現しようとしたのである。つまりはやたらと手の込んだただのロケット花火で衛星を打ち上げてしまったと言えばその狂気をご理解いただけるだろうか。このイカレた機構を開発陣が採用せざるを得なかったのには理由がある。当時の日本は敗戦の記憶も色濃く、技術の軍事転用に対して強いアレルギーがあった。そのため「誘導装置は軍事技術に転用可能ではないか!」と時の野党に反対されては、大手を振って開発できるものでもなかったのである。要するにだいたい社会党のせいなのだが、彼らもまさか技術者たちが本当に誘導装置無しでロケットを飛ばしてしまうとは思わなかっただろう……
    • J-Iロケット黒歴史。なかったことに。
  • 小惑星探査機はやぶさ:子機のミネルバともども、独創的な設計である。ちなみにカメラはノートパソコンのVAIO Note C1のものが元である。
  • HondaJetホンダの造ったビジネス機。胴体よりの主翼上面にパイロンを介してエンジンを配置する独特の設計。ただしこの配置は従来のビジネスジェット機のエンジン配置に比べ高速域での造波抵抗が小さくなる絶妙な配置であり、これと新開発した自社製エンジンによって従来機より燃費が約40%も向上。2017年上半期にはとうとうセスナを抜き去り販売機数世界一位に躍り出た。カワサキスズ菌もびっくり(ただし、航空機ビジネスへの参入は創業者の長年の夢ではあった)。
    • ちなみに上述のエンジン配置はホンダが初めて発見し、そのまま特許を獲得した上に米国航空宇宙学会(AIAA)より「エアクラフトデザインアワード(航空機設計賞)」を受賞している。過去の受賞者が設計した機体がB747F-16と言えばそのすごさがわかるだろう。

海事部門

  • ヤマト-1:世界初の電磁推進船。
  • 新愛徳丸:帆装タンカー。もう一度言う。帆装タンカーである。…いつの時代の船だ。2度のオイルショックを経た1980年代ですが何か? 基本はディーゼルエンジン動力だが、帆を用いる事で、10%程度の動力減で速度は20%程度稼げ、燃料は50%近く節約できた。くぐれる橋に限りがあり、また建造コスト高もあって定着せず。それにしても80年代に貨物帆船ってどういう発想だ。現在でも日本などで省エネルギーなどを目的に帆を併用した商船の研究は行われている。中には帆と太陽光のみを動力にした実質航続距離無限の「NYK 2030」なんてやつもいる。

  • 新日本海フェリー:日本海の暴走族。20ノット・片道30時間・3隻体制で動かしていた航路の船を置き換えるとき、これ30ノットにすれば船減らせるんじゃね?という発想で実際にその速力を出す16,000トン級の巨大船、はまなす級を2隻新造、所要時間を片道10時間短縮した。クソでかい船体のおかげで波風の耐性も強く、冬場の荒れ狂う日本海を30ノットで爆走する。ついでに夏場も台風が来ようと強風域程度なら30ノットで爆走する。

  • 津軽海峡フェリー:北海道新幹線の函館開業に伴い、対策として最新鋭のブルーマーメイド級を2隻新造、古い船を置き換えた。その結果、見事に徒歩客が3割近く増加し、また前身の会社が倒産した理由であるスピードアップを再び行うなど、速度差の大きくある新幹線と殴り合いをしている。また、それ以外にも36ノットも出る超高速船ナッチャンWorldを保有しており、東日本フェリー時代は現在の新幹線とほぼ同じ所要時間で青函間を結んでいた。しかしながら、新幹線開業以前の青函航路じゃどう考えても役不足であったため、防衛省に貸し出しているので、営業運行はしていない。

  • 阪九フェリーいずみ級:内装コンセプトは「わのこころ」だが機器関連は「うわぁのこころ」にあふれている。その最たる例として、発電機を推進用エンジン軸に接続し、不要な出力を発電に回すことでエンジンを常に燃焼効率の良い高出力で回すという変態制御を行っている。にもかかわらず、船特有の振動や音はほとんどしないというまさに「渡るホテル」。また、船底から小さな気泡を大量に出すことで水の抵抗を減らし、燃費を2割改善している。これはさらに遅延時の高速運航にも役立っており、過去に妹の方の「ひびき」が大幅に遅れた際には、小豆島沖で航路のインコーナーをせめて競合他社の船を追い抜き、25ノットオーバーに増速して明石海峡コーナーで差をつけ、最終的に大阪湾で28ノットを出して泉大津に入るというどう考えても200m近い巨体で行うべきではない挙動をした。そんなことをしている割には運賃も非常に安く、前述のムーンライト号を壊滅させる一因にもなった。
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