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親記事「リアルチート」の項目が多岐に渡りすぎてページが重くなってしまったため、人間人類)以外の項目をこちらに移動するものとする。

人外のリアルチート族を追記したい場合はこちらにまとめてどうぞ。


生物・ウイルス

乾燥状態になれば超高温・超低温・超高圧・真空、さらには放射線にもある程度耐える驚異の生命体。

体から牛をも倒す電気を放電し、身を守る。そのため、ほぼ人間ぐらいしか敵がいない。


生身で音速を超えられる数少ない生物であり、必殺技は文字通り音速超えの弾丸パンチ

さらに、生物最高効率の視覚を持つ。


種数およそ100万動物の四分の三、全生物の半分以上を占める。4億年前で動物界最初に動力飛行を進化、しかも数億年後にそれを得たコウモリと異なり元の脚を保つまま高性能なを獲得節足動物生来の体の可塑性と翅による高い移動能力の恩恵を受けて、海以外のほぼ全ての陸上生態系で大勢に存在し、様々な生態系を支える重要なメンバーとなる


地球最初期の時代、「カンブリア紀」の生態系の頂点。海中を泳ぐものを狙うアノマロカリスから泥の中に潜むものを狙うフルディアまで、様々なニッチに進出して当時のあらゆる生物を餌とする。身体の大きさも当時ほとんどの動物が全長数cm以下な中、平均30~50cmという圧倒的巨体であり、まさに規格外の生物。カンブリア紀は「目が産まれたことで生物の生存競争が一気に激化した時代」なのだが、少なくともアノマロカリスは当時既に、レンズが1万6千個ある複眼(同じ節足動物で動体視力の高さで知られるトンボは約2万個)を持っていた。


三畳紀に小型の陸生動物としてニッチを固めたと思いきや、明けたジュラ紀に河川のニッチが空くと即座に水棲適応を遂げ、白亜紀には再び陸上にも進出して恐竜と覇権を競った。さらに中生代末の大量絶滅を水陸共に乗り越え、近いものだと3000年ほど前まで陸上捕食者として活躍していた。


毒を持つ生物の多くが、毒以外たいした武器を持たないが、コモドドラゴンは単純な格闘戦でも強い巨体と猛毒(厳密には共生している雑菌などの微生物、これを相手に感染させて衰弱死するまでストーキングし続ける)を併せ持つ。


上述したワニよりも更に古代のデボン紀に出現。中生代には海生のワニ類やモササウルス類、新生代にはバシロサウルスなどの哺乳類と覇権を争いながら、現在まで命脈を保っている。


先祖に言わずとしれた恐竜(獣脚類)を持ち、中生代のK/pg境界の大量絶滅を乗り越えて新生代になっても繁栄を続けている。なお新生代は哺乳類の時代と言われがちだが、種数では約2倍の1万種を数える。呼吸器系も生物界屈指の性能で、アネハヅルなどはヒマラヤすら生身で飛び越える。


言わずとしれた恐竜の王にして、古生物のフラッグシップ。金属すら粉砕しかねない顎の力をはじめとした身体能力に加え、実は学名が抹消される危険があったが、その知名度が物を言って学名を残された豪運/狂的な人気の持ち主である。


エボラ出血熱(エボラウイルス病)の病原体。致死率50%以上という危険性もさることながら、多くのウイルスと異なりヒトの免疫系をほぼ完全にすり抜けるという特徴も厄介である。また、体細胞の構成要素であるタンパク質を分解することで最強の毒性を発揮する。免疫系を操作して血管を攻撃させ破壊し、肝臓を始めとする全身の臓器を冒して発症者を死に至らしめる

こうした特徴を持っていることから、人類が発見したウイルスのなかで最も危険なものの1つとして現在もなお警戒されている。


狂犬病の病原体。

発症時の致死率はほぼ100%であり、一度発症したら有効な治療法は無いという非常に危険なウイルス。現在はワクチン接種により発症を予防することが可能となっているものの、未だ根絶には至っていない。


現代までの地球史上、唯一文明社会を作り上げ、さらに地球外にも進出した生物。その知能の高さは“万物の霊長”と言っても過言ではない。

仲間同士で殺し合う事もあるのが玉に瑕。

……要するに現生人類を指すので、この項目に含めていいのか疑問は残る。


国家・文明・都市

言わずもがな。

支配面積史上最大。

最盛期は世界中に植民地を持つ大帝国であった。

中国には様々な王朝が興亡を繰り返したが、中華文明は古代から近代まで脈々と続く、他に類を見ない文明として続いてきた。

18世紀において世界有数の100万人の人口を誇り、それ以降現在の東京に至るまで一貫して東洋最大の都市である。東京は1960年代以降は都市圏人口・経済規模において世界一を誇る、世界最大の都市となった。江戸時代以降幾度もの大火、直下地震(安政江戸地震など)や巨大地震(関東大震災)、さらには東京大空襲で焼け野原になるたびに、何度も復活し、そのたびに周辺を飲みこんで巨大化してきた。

建国以来125代2672年の歴史を持つ、まだ文字さえ無かった紀元前の時代から現在まで続いてきた稀有な王家。起源が文字の無かった時代であるため、戦後に史実的論争が起こっているが、確認されているだけでも約1400年は続いている世界史上最長の王家。皇室の歴史は、日本建国と共にあり続けてきたため、日本国の歴史そのものでもあり、ギネス世界記録にも認定されている。


競馬(競走馬・種牡馬)

サラブレッド三大始祖と呼ばれる偉大なる種牡馬達。現在のサラブレッドの父系の血統を辿っていくと必ずこの3頭の種牡馬のいずれかに辿り着く。

ただし最近バイアリータークが父系にいるサラブレッドが絶滅の危機に瀕している。


イギリスの元競走馬・種牡馬。同世代のGI馬や古馬を蹴散らしまくって10戦無敗を記録した怪物馬で、引退後は牡馬牝馬両方で三冠馬を輩出するなど世界的に多大なる影響を与え、「19世紀最大の種牡馬」の名を得た大種牡馬でもある。その影響力は三大始祖に匹敵するとも言われ、現在のほぼ全てのサラブレッドはセントサイモンの血を10%程度持っている。

...まではいいのだが実は彼は究極の気性難でもあり、それにまつわるとてつもない伝説を数多く残している。


カナダの元競走馬・種牡馬。現役時代はカナダの調教馬として史上初めてケンタッキーダービーを勝利し、生涯成績18戦14勝でエクリプス賞にも選出された。競走馬としても歴史に名を残す名馬である。

しかしノーザンダンサーが本領発揮したのは種牡馬になってからで、初年度で産駒18頭のうち勝ち上がり馬16頭と高成績をあげ、2年目で無敗にして現状最後の英国三冠馬・世紀の大種牡馬ニジンスキーを輩出(ニジンスキーはあのマルゼンスキーの父と言ったらわかりやすいか)。

その後も、

・11年連続カナダリーディングサイアーを獲得したヴァイスリージェント

・欧州最強馬ダンシングブレーヴの父リファール

・日本競馬の父ノーザンテースト

・日本の宿敵モンジューや21世紀を代表する大種牡馬ガリレオを輩出したサドラーズウェルズ

など一頭一頭pixiv百科事典の個別記事を立ち上げてもいいレベルの歴史的種牡馬を何頭も輩出しており、この他にも挙げようとしたらきりがない。

現在に至るまで米国欧州芝ダート短距離マイル中距離長距離問わずノーザンダンサー産駒又はその子孫たちが支配しており、僅か30年弱で世界競馬の血統図を文字通り自分自身の血で染め上げてしまった。控えめに言って20世紀最大最高の種牡馬と評して全く差し支えなく、彼の子孫たちは今後もさらに活躍していくだろう。


アメリカの元競走馬・種牡馬。競走馬としては宿命のライバルイージーゴアと対決を繰り返し、アメリカ二冠を獲得。が、超良血のイージーゴアと地味な血統のサンデーサイレンスの対比でいつも悪役にされていた。

競走馬引退後は種牡馬になるが、その地味な血統ゆえにアメリカではほとんど無視された。社台ファームが買い取って社運をかけてサンデーサイレンスに種付けを集めた所、初年度からなんと3歳(現2歳)馬のみで30勝、翌年にはリーディングサイアーに輝き、2007年までリーディングサイアーを独占し続けた。さらには最多通算GI勝利、最多年間クラシック勝利など様々な記録を樹立し最多勝利数も世界一。しかも産駒はJRAの競走ではNHKマイルカップチャンピオンズカップ(死亡当時ジャパンカップダート)以外全部制覇日本競馬史上最高の種牡馬であることは間違いなく、恐らくこの後この地位を揺るがすものはいない。


18世紀後半に活躍した競走馬。

圧倒的な力で18戦18勝という記録を残し、あまりの強さに競馬予想で馬主が「Eclips first the rest nowhere」(エクリプス1番、後は無し)と言い放ち、実際にそうなったほど(当時の競馬は一着の馬がゴールした時点で10馬身の差がついていた馬は全て失格であった。要するにエクリプス以外の馬は全員失格した)である。この言葉は「唯一抜きんでて並ぶ者無し」と意訳され、色々なところ、例えば「ウマ娘」におけるルドルフ会長の決め台詞やトレセン学園のスクールモットーにも使われている。

それ以上に種牡馬としての活躍が重要で、リーディングサイヤーにはなれなかったものの、徐々に他の血統を圧倒、エクリプス系というグループを作り上げ、現在のサラブレットの父系95%はエクリプス系だといわれている。


アメリカの元競走馬・種牡馬。愛称は“ビッグ・レッド”(この愛称は同じくアメリカの伝説的競走馬マンノウォーから受け継いだもの)で、「TIME」の表紙を飾ったこともあるスーパーホースである。

彼は1972年にデビュー、そして2歳馬ながらにも年度代表馬に輝く。彼はその後、彼と同じ重さの金より高い値段で売却される。

三歳になってからはレコードタイムを出しまくりながらアメリカ競馬の鬼門である三冠レースを全てレコードタイムで走破した。とくに、三冠最後にして多くに名馬達を跪かせたベルモントステークスでは2400mを2分24秒0で駆け抜け、2022年12月現在、破られていないスーパーレコードを打ち立てた。ちなみに2着馬は31馬身後にひっそりとゴールインしており、セクレタリアトがゴールした頃、2着馬以降は残り100mぐらいを走っていた。

2022年現在でもダート2400mを2分24秒台どころか25秒台も皆無26秒台でも両手で数えるほどである

さらに現役ラストの2戦は芝のレースにも挑戦し、マンノウォーS(GI)では芝の優駿達が立ちはだかったにもかかわらず5馬身差つけてレコードで圧勝し、ラストランも6馬身差の圧勝と、全てにおいてバランスブレイカーっぷりを披露した。

競馬ファンからは「奇跡のサラブレッド」「あいつは馬じゃない」とか言われているんだそうな。


1874年に生まれたハンガリー(正確にはオーストリア=ハンガリー帝国)の牝馬。

仔馬の頃は体格が貧相で見てくれの悪い馬だったため買い手がつかなかったが、ある時ロマの馬泥棒に盗まれる。泥棒は無事に逮捕されたが、警官から「もっと良さそうな馬がいたのに、何でわざわざあんな駄馬を盗んだ?」と尋ねられ、「確かに見た目は悪い馬だが、それを補って余りある勇気を持つ馬だ」と答えている。

その馬泥棒の目は確かだったようで、競走馬として成長したキンチェムはイギリスやフランスなどヨーロッパ中へ遠征。54戦54勝、生涯無敗という記録を打ち立てた。しかも10馬身差を超える大差勝ちが10戦以上もあり、対戦相手が勝ち目なしとみて棄権してしまい単走となったことも6回ある。さらには僅か1ヶ月で9戦もしたり、斤量76.5kgという圧倒的なハンデを背負わされても勝利するという最強ぶりだった。

一度騎手が酒に酔ったままレースに臨んだせいで同着だったことはあった(現代なら大問題だろうが、19世紀の話なので……)が、その後当時のルールに基づいて行われた勝者決定戦では、野良犬に絡まれるというアクシデントがあったにもかかわらず6馬身差で勝利している。時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世もキンチェムのファンで、レースの後よく祝電を送っていた。

その戦績だけでなく、「移動時に仲の良い猫が行方不明になった際には二時間鳴き続け、猫が無事に見つかってから列車に乗り込んだ」「厩務員が寒い中で寝ているのを見て自分の馬衣をかけてやった」など、優しさや知能の高さを示すエピソードが残っている。

5歳の時に馬同士の喧嘩で脚を怪我して引退し、繁殖牝馬となり優秀な子孫を残した。13歳の誕生日に病死。この日、ハンガリーの教会は追悼の鐘を鳴らし続けたという。

今でもハンガリーでは英雄馬として親しまれており、彼女の名に因む首都ブダペストのキンチェム競馬場には銅像が建てられている。


イギリスの元競走馬・種牡馬。別名は「踊る勇者」。末脚の代名詞的な存在であり、今なお80年代欧州最強で最高の馬としてファンの間で語り継がれている伝説の競走馬である。近年では「ウマ娘」の影響で人気沸騰中の高松宮記念キングヘイロー号の父として注目を集めている。

武器は最速で1ハロン10秒3を叩き出す、かの英雄も真っ青な“神の領域に達した”とも言われる究極の末脚。1986年の凱旋門賞ではGI馬11頭の超豪華メンバーが揃った中で、前が塞がった状態から大外ぶん回して、直線で12番手からラスト1ハロン10秒8の末脚で11頭まとめてぶち抜いてレコードを叩き出すという衝撃かつ常識外れのパフォーマンスを披露した。このレースは後に当時史上最高のレーティング141ポンド(後に138に修正)が与えられ、凱旋門賞史上最高のレースと評された。

種牡馬としては1987年にマリー病を発症してしまい、生産者はダンシングブレーヴを1991年に売却。その後JRAが購入し日本に輸入され、種付けが満足にできないながらもGI馬など活躍馬を次々と輩出した。イギリスでも残った産駒が活躍したことにより、イギリスの一般誌はダンシングブレーヴの売却を「国家的な損失」と報じた。

1999年に死去。その死に様は4本足で立ったままの、勇者の名に相応しい見事な立往生であった。


イギリスの元競走馬・種牡馬。

現代の競馬界では頭一つ抜きん出た強さを誇り、14戦無敗、GI10勝、2着馬につけた合計着差は実に76馬身1/4と暴れまくった。

ワールド・ベスト・レースホース・ランキング歴代1位、タイムフォーム・レーティング歴代1位と国際ランキングを総ナメしており、サラブレッド史上最強クラスとの呼び声高い。


オーストラリアの元競走馬・繁殖牝馬。日本ではあまり馴染みのない馬だが、彼女もオーストラリア史上最強馬と名高い。

何せGI勝利数は世界記録となる驚愕の25。獲得賞金も世界歴代3位の約21億2000万円。2018年のワールド・ベスト・レースホース・ランキングでも1位を獲得している名牝である。


アメリカの元競走馬・種牡馬。パシフィッククラシック(GI)でドバイWC勝ち馬に19馬身差で圧勝するなどデビューから異次元の強さを見せつけ、僅か6戦でつけた差は脅威の71馬身。そのあまりにも圧倒的すぎる強さから一部では「セクレタリアトの再来」とまで言われている。


日本の元競走馬・繁殖牝馬。日本競馬史上唯一の変則クラシック三冠馬東京優駿(日本ダービー)優駿牝馬(オークス)京都農商省賞典4歳呼馬(菊花賞)】であり、11戦無敗という中央競馬における生涯全勝最多記録を保持している「女傑」。さらには11戦全てで1番人気に推され内7戦が2着に10馬身差以上の大差をつけての圧勝と最早意味不明な記録を残している。


日本の元競走馬。僅か3歳の若さで破傷風のため病没という悲劇に見舞われながら、その短い生涯で出走した10回のレース全て優勝、そのうち7回はレコード優勝という戦後の日本競馬史に今もなお燦然と輝く伝説を刻み込んだ「幻の馬」。しかもこれ、脚に爆弾を抱え、実質三本脚の状態での記録である。


日本の元競走馬・種牡馬。戦後初の三冠馬であり、当時最多の五冠馬。通算19戦15勝2着4回と2着以内に入る連体率は100%であり、この連体数19という記録は現在でも中央競馬の最多記録である。この他にも色々な記録や逸話を持つことから「神馬」と称されている。

シンザンを越えろ」はシンボリルドルフが現れるまで日本のホースマンの目標であり続けた。


日本の元競走馬・種牡馬。日本競馬史上初となる無敗のクラシック三冠馬であり、その他にもこれを含めて史上初のGⅠ7勝を挙げた七冠馬。その強さたるや、現役時代は通算成績16戦13勝負けたレースも現役最後のレース(海外遠征初戦で、レース中に左前脚繋靭帯炎を発症して6着)以外掲示板入りしており、担当調教師が「競馬には絶対はない。だがシンボリルドルフには絶対がある」と言い切ったほど。

その強さや馬名(神聖ローマ帝国君主・ルドルフ1世に由来)から、「皇帝」の異名で呼ばれている。


日本の元競走馬・種牡馬。GI7勝馬で、「世紀末覇王」の異名で知られている。

2000年に年間無敗古馬中長距離GI完全制覇(天皇賞(春)宝塚記念天皇賞(秋)ジャパンカップ有馬記念という空前絶後の大偉業を達成。現在でもこの記録の達成に近づく馬すらいない(近年では古馬王道レース全てに出走する馬も少なくなってきており、達成はほぼ不可能なのではないかという見方も強い)。

また獲得賞金約18億3500万円は当時の世界記録であり、現在でもJRA歴代5位の記録となっている。


日本の元競走馬・種牡馬。日本競馬史上2頭目の無敗三冠馬、GI7勝の七冠馬。サンデーサイレンスが晩年に遺した最高傑作で、通称「英雄」「日本近代競馬の結晶」。

(ただし後者はディープインパクトの両親がどちらも外国産馬の為否定的な意見もある)

現役時代はその圧倒的な強さで社会現象を巻き起こし、競馬ファンならずとも「ディープインパクトなら聞いたことがある」との声も多い、まさに名実共に日本を代表する名馬である。

引退後は種牡馬入りし、三冠牝馬ジェンティルドンナや無敗三冠馬コントレイルなど数々の名馬を輩出。2012年から2022年まで11年連続でリーディングサイアーを獲得し、父の跡を継いで一大ブランドを築き上げた。またディープの名は海外でも知れ渡っており、その血を求めて海外の生産者が多く来日した。


日本の元競走馬・種牡馬。史上7頭目の三冠馬。GI6勝、凱旋門賞2年連続2着の成績を残している名馬だが、競馬ファンからは「金色の暴君」といわれている通り、彼はとにかく気性が荒かった。騎手を2回振り落とし、阪神大賞典で大逸走し(でも2着入線)、凱旋門賞では勝ったと思いきやゴール手前で思いっきり斜行・減速して負けるなど、やんちゃなレースやエピソードは事欠かさない。しかしその潜在能力は随一であり、爆発力はルドルフ、ディープをも凌ぐとも言われた。

ここまででも十分怪物レベルのオルフェだが、真骨頂はむしろ引退後だった。現役時代より体がデカくなったことにより、なんと「オルフェの本格化はこれからだった(つまり全盛期はこれからだった)」疑惑が浮上。さらには産駒がダートで勝ってばっかで、オルフェ自身も調教再検査の際難なくダートを走っていたことから「実はダートもいけちゃったかも」疑惑も浮上。(ちなみにオルフェは同じ厩舎のダート馬を軽く馬なりで千切ったりしている)

もしオルフェが本格化し潜在能力を全て解放して走ったら...、考えるだけでも恐ろしい馬である。


日本の元障害競走馬。一般的な競馬よりもマイナーな障害競馬において、2022年に11歳で引退するまで絶対王者として君臨。史上初の障害GⅠ9勝・JRA重賞競走勝利数歴代1位・日本調教馬として史上最高齢でのGⅠ制覇など数々の記録を打ち立て、競技の枠を超えたアイドルホースとなった。


日本の元競走馬。3歳春は皐月賞2着、東京優駿2着と、クラシック路線ではあと一歩という成績だったが、3歳秋になると完全に覚醒。秋初戦となった天皇賞は、パンサラッサが作り出した超ハイペースにも全く動じず、自身の上がり32.7というとんでもない末脚を炸裂させて勝利。その後も有馬記念ドバイシーマクラシック宝塚記念と連勝し、迎えた4歳秋初戦の天皇賞は、前年に続いての超ハイペースを3番手で追走し、1.55.2という規格外のレコードで圧勝。三冠牝馬リバティアイランドとの初対決で注目が集まったジャパンカップも全く危なげないレースで勝利し、GI6連勝のGI連続勝利タイ記録とJRA獲得賞金歴代一位を達成した。

更には同年のワールド・ベスト・レースホース・ランキングにて日本調教馬史上最高となるレーティング135ポンドの評価を受けて、日本調教馬史上2頭目となる同ランキング年間単独1位「世界一」の競走馬になった。

逃げ・先行・差し・追込全てこなせる変幻自在の脚質を持ち、あまりにも隙の無い強さを誇ることから日本競馬史上最強馬との呼び声も高い。


2024年6月現在、金沢競馬所属の現役競走馬。2020年のノトキリシマ賞で重賞初制覇を達成すると、そこから怒濤の如く重賞競走を勝ちまくり、百万石賞3連覇、中日杯4連覇など、手の付けられない強さを見せつける。2023年12月の金沢ファンセレクトカップでカツゲキキトキトの持つ平地重賞20勝の記録をついに更新。2024年も利家盃、百万石賞と順調に勝ち、平地重賞勝利記録を伸ばし続けている。その圧倒的なレースぶりから『金沢の女帝』と呼ばれている。


艦船

異能生存艦を参照。


番組

日本を代表する名作時代劇の一つ。

特に有名なのが、名優・大川橋蔵が主演を務め1966年から1984年と長期に渡り放送されたドラマ版であり、日本のドラマ史上最長記録である全888話という驚異の放送回数を誇る(次点は松平健の『暴れん坊将軍』)。

更にこの話数は、同一俳優が同一主人公を演じたドラマとして海外でも類の無い世界最高記録であり、ギネスブックにも認定されている。

昨今における日本のドラマは本作のような当時の時代劇海外ドラマに見られる複数クールの連続ドラマ自体が全く製作されなくなってしまった状況もあって、ほぼ不滅の記録となっている。


日本の国民的特撮ヒーロー番組、仮面ライダーシリーズの第二弾として制作された作品で、前作を超える派手なアクションと硬派なストーリー、主人公風見志郎を演じる宮内洋の格好良さが相まって、なんと最高視聴率38%を記録した(分かりやすく言うと、日本国民の約5人に2人が視ていた計算)。

これは『HERO』や『GOOD LUCK!!』といった木村拓哉主演の大ヒットドラマや、『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』『高校教師』といった名作ドラマを飛び越え、歴代ドラマ視聴率ランキングで見れば史上9位にランキングするという快挙である(もっと「ドラマ」としてカウントされていないためランキングには記載されていないが)。

また、番組のOPを見ればわかるように、撮影に使われた火薬の量も半端ではなく、今では絶対撮影不可能な程の爆破シーンが拝める貴重な作品でもある。よく死人が出なかったもんだ。もっとも、昭和ライダーでは死人が出そうな体を張った凄まじいスタント撮影は日常茶飯事であり、おまけに爆発の規模も話が進むにつれてエスカレートし続け、劇場作品「仮面ライダーV3対デストロン怪人」における室戸岬の爆破撮影では、使った火薬の量が桁違いに多かったため凄まじい爆発となり、海岸の地形が変わってしまった程。


乗り物

狂った時代の狂った産物

WRCのレースカー規格の一つ。

ラリーカーというのは市販車を改造したものが基本となるが、この規定は製造制限が大幅に緩められたため、もはやハッチバックの皮を被ったプロトタイプレースカーのバトルになった。その結果、1トンそこそこの車重で450から600馬力の大パワーの持つ代物と化し、性能が肥大したマシーンを人々は制御できず数々の事故を引き起こしていった。

1985年のツール・ド・コルスで、天才ヘンリ・トイヴォネンが乗ったランチア・デルタS4が崖下に転落して炎上。乗っていた二人が事故死する事態になって、グループBは廃止になった。


狂った時代の狂いすぎた産物

WSPC(世界スポーツプロトタイプカー選手権)やJSPC(全日本プロトタイプカー選手権)などで活躍していたレースカーで1980年代から1990年代初頭まで見られた。この頃は柔軟なレギュレーションで燃料制限はあるものの、量産メーカー製ならどんなエンジンも使用可能であり更に排気量無制限であった。 中には1000馬力以上出しドライバーを恐怖に陥れるものもあれば400km/h以上出るものもあり、ロータリーエンジンを搭載しエキゾーストノートが美しいものがいたりと多種多様なレースカーが見られた。

1992年のレギュレーション改変で多数のメーカーが撤退していき、グループCは衰退していった。


日本が世界に誇る世界最速の鉄道。

それだけでなく安全神話も持ち、開業から50年以上経っても事故死者を1人も出していない

発生した事故の規模としては新潟県中越地震においてとき325号が脱線したモノが最大、震度7の直撃を喰らい、通常走行中にバウンド、脱線したにもかかわらず、一人たりとも死傷者を出さなかった、新幹線安全神話の権化


一度は見たことがあるかもしれない、ホンダが誇る傑作オートバイ。

エンジンオイル代わりに天ぷら油を入れても問題なく走る」だの「走行距離による寿命は当のホンダですら『想像がつかない』と言っちゃった」だの、その頑丈さと低燃費、良コスパで数々の伝説を持つ。

累計生産台数は2017年に1億台を突破、乗り物で唯一立体商標入り(=形だけで商標にできるぐらい有名になった)を果たしている。

他にも伝説はいろいろあるのだが、あまりに多すぎるので各自検索されたい。


市販車。

JTCCにおいて、「F1の心臓を持った」とも言われた。


トヨタが海外に中心に販売しているピックアップトラック

軍隊に使われるほどの耐久性の高さが特徴で、某番組の実験では、炎で燃やしても、木にぶつけても、海に流されても、さらにはビルの破壊に巻き込まれても壊れなかった


日本を代表するスポーツカーハコスカことKPGC10型はJAFグランプリレース大会にて50連勝を記録し、BNR32型は全日本ツーリングカー選手権において29連勝を記録し、R35はニュルブルクリンク北コースのタイムアタックにおいて量産車最速記録(当時)を打ち出し、2008年度のスーパーGTのおいて全9戦中7勝を挙げて車種別勝利数最多記録を打ち出した


WRCで有名な車。WRCなどの影響で走行性能に目が行きがちだが、実はそれ以外もスゴイ。4WDの高い駆動力から来る牽引力に関しては普通乗用車でありながら大型トラックを引っ張れる力を持ち、さらに安全性に関しては2012年に起きた笹子トンネル天井板落下事故ではNHK記者を乗せたGC8型インプレッサが事故に巻き込まれたものの、ボディの安全性と車の加速力のおかげでドライバーの命を救った。


イギリスのレーシングチーム・マクラーレンが、ホンダのエンジンを得て開発した1988年のF1マシン。規則でターボエンジンがいったん禁止になる最後の年に、シリーズ16戦すべてでポールポジション(予選1位)・16戦中15勝、もちろんドライバー・チームともチャンピオンという圧倒的な成績を残した。マシンの勝率では未だに破られていない大記録である。


  • つちや・MR2

全日本GT選手権GT300に参戦していたマシン。1996年度から参加していたものの、1998年度においては無敵を誇り、開幕戦鈴鹿での優勝を皮切りに連戦連勝。シーズン中に最大80kgのウエイトハンデの影響もほとんど感じさせず、全6戦中5勝を挙げるという圧倒的な強さでシリーズチャンピオンを獲得し、シーズン終了後のオールスター戦も制した。唯一勝てなかった第5戦もてぎでさえ、セーフティーカー導入のタイミングの影響を受けていなければ勝てたと言われ、ほぼ全勝という記録だった。この勝率の高さはSUPERGTになった今でも未だ破られていない翌年も前年のような圧倒的な強さを見せていなかったものの4度の表彰台に上がって2年連続のチャンピオンを獲得した。


建物

400年以上焼き討ちに遭うことがなく、欧化政策も切り抜け、(姫路には大型の軍事拠点が作られたこともあり)戦時中激しい爆撃を受け姫路市街地の約70%を焼失した中で天守閣はほぼ無事で立派に聳え立ち、さらに天守閣の敷地内に焼夷弾が落ちたが奇跡的に不発弾だった。その他、幾多の地震、雨、風、台風、神戸の町並みを一瞬で焼け野原に変えた阪神淡路大震災にすら耐え、ユネスコ世界遺産に登録を果たした。


戦国最強と謳われた上杉謙信武田信玄らの侵攻を耐え(上杉謙信の場合は城下が燃やされたが)、天下人・豊臣秀吉の小田原征伐では水攻めに耐え抜き、小田原城落城まで持ちこたえた。


固有名詞

食用として買われ首を切られるも血管が固まった血で塞がるなどの幸運が重なり、そのままの状態で生き続けた奇跡の鶏。スポイトで喉から水や餌を入れてもらうなどして亡くなるまでの18ヶ月の間、興行で見せ物になるなどして人々を驚かせた。


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