プロフィール
名前 | 大谷翔平 |
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英字表記 | SHOUHEI OHTANI |
読み方 | おおたに しょうへい |
所属 | ロサンゼルス・ドジャース |
出身 | 岩手県奥州市 |
最終学歴 | 花巻東高等学校 |
生年月日 | 1994年7月5日 |
家族構成 | 父・徹、母・加代子、兄、姉、末子・翔平、妻・真美子(旧姓・田中) |
身長・体重 | 193cm、95kg(2024年時点) |
投球・打撃 | 右投左打 |
ポジション | 投手、外野手、指名打者 |
プレイスタイル | 二刀流 |
プロ入り | 2012年ドラフト1位・日ハム入団 |
NPB最高年俸 | 2億7000万円(2017年) |
MLB入り | 2017年ポスティング行使・エンジェルス入団 |
MLB最高年俸 | 550万$ |
概要
かつては北海道日本ハムファイターズ(2013~2017)、ロサンゼルス・エンゼルス(2018~2023)に所属していた。
野手としては指名打者(DH)での出場がメインだが、投手として登板する試合に限って、投手とDHを兼任する二刀流選手である。
野球界における史上初の記録や常識を破る記録を数多く残しており、その輝かしい功績により多くの野球関係者から史上最高の野球選手の1人と評される事も多い選手である。
2024年に記録したMLBにおけるシーズン54本塁打は、アジア人メジャーリーガーのシーズン最多本塁打記録である。 さらにMLBにおけるアジア人通算最多本塁打記録の保持者でもある。
日米両球界を通じてアジア人選手初のシーズン40本塁打40盗塁「40-40CLUB」達成者。
さらに世界野球史上初のシーズン50本塁打50盗塁「50-50CLUB」達成者(最終成績は54本59盗塁)。MLBで日本人及びアジア人選手初のトリプルスリー達成者。
投手としては、日本人投手としては数少ない100マイル(160㎞/h)ボーラーでありながら(魔球と呼ばれる)スプリットや異様に曲がるスライダーやツーシームなど、球質が抜群な側面も持ち、奪三振率に関しても平均して高い傾向にある。
NPB時代や、メジャーデビューを果たした直後は(試合によっては)制球難に苦しむケースも多く、調子を掴め切れずに打ち込まれる展開になってしまうことも多かったが、制球力は年々向上している。
獲得したタイトルは、NPB時代の2015年に獲得した最多勝・最優秀防御率・最高勝率がそれぞれ1度と、エンジェルス時代の2023年とドジャース時代の2024年に獲得した2年連続本塁打王、2024年の打点王。
獲得した賞は2016年の最優秀選手賞・投手と指名打者でのベストナイン、2018年のメジャー新人王、2021年・2023年・2024年のMLB満票MVP、2021年から2024年の4年連続のエドガー・マルティネス賞、2021年・2023年・2024年のシルバースラッガー賞、2023年・2024年のア・ナ両リーグのハンク・アーロン賞など。
プロ野球入団経緯
岩手県水沢(現:奥州)市出身。
父は元JABA選手、母はバドミントンの選手というアスリート一家の末っ子として生まれる。
小学校時代は地元の水沢リトルリトルリーグで活躍。
この頃から強打者としての片鱗はあったようで、打球を場外ホームランにしていた時もあったという。
ただ、大谷選手が当時使用していた球場の右翼側には川が流れており、もしボールが水に浸かってしまうと使い物にならなくなるため、(大谷選手の在籍当時に監督を務めていた)浅利昭治氏からは「右翼側にボールを打つな」という“引っ張り禁止令”が出され、流し打ちの方法も伝授したという(結果的に、大谷選手が左翼側(逆方向)へも強い打球を飛ばせるだけの打撃センスを身に付けることにも繋がった)。
その後、高校野球で活躍した同郷の菊池雄星選手(現アストロズ)に憧れ、彼の出身校である花巻東高校へ進学。3年春の選抜で大阪桐蔭高校の藤浪晋太郎(現メッツ傘下MiLB 3A)からホームランを打ったことがあり、3年夏の岩手県大会準決勝・一関学院戦ではアマチュア野球史上初となる160㎞/hを記録し、国内だけでなくメジャーリーグからも注目を浴びる。
しかし、決勝戦で盛岡大付高校に敗れてしまい、夏の甲子園への出場は果たせなかった。
余談だが、2012年に盛岡大付高校が出場した夏の甲子園の閉会式でスピーチが行われた際、当時の高野連会長が(大谷選手を擁する)花巻東高校が出場していない事を残念がるスピーチを行い、物議を醸したことがある。
その後、NPBを経由せずにメジャーへ挑戦する意思を表明。後に所属することになるロサンゼルス・ドジャースも含め、複数のMLB球団も獲得に動き始めていた。それを聞いたNPBの球団はドラフト会議での1位指名を諦めていたが、日本ハムだけは彼をドラフトで指名することを表明し、ドラフト会議の当日に大谷選手を1位で強行指名した。
当時の大谷選手は((プロ野球を経ずに)メジャーに挑戦する意志がかなり強かったため、日本ハムとの入団交渉に難色を示していた。やはり彼のプロ野球入りは実現しないと思われたが、NPBでの挑戦を望んだ父や、日本ハムの山田正雄GMや栗山英樹監督の粘り強い交渉に加えて、球団側が提示した「大谷翔平君 夢への道しるべ~ジャパンスポーツにおける若年期海外進出の考察~」と題された資料と二刀流育成プロジェクト、前年までダルビッシュ有が付けていた背番号11、そして「誰も歩いたことがない道を、君には是非歩いてもらいたい」という(栗山監督直々の)口説き文句に心を大きく動かされる形で日本ハムへの入団を決意した。
この時、「(投手として)10勝以上(打者として)打率3割以上」という目標を掲げた。
プロ入り後の活躍
2013年
オープン戦(ヤクルト戦)で初登板した際、初投球のボールを捕手の鶴岡慎也が受けた後にファールグラウンドに転がしている様子が当時の映像から確認出来るが、これは野球殿堂博物館の展示品としていずれ必要になることが見込まれたため。それほどまでに大谷に対する期待の程が窺える。
開幕戦で、初スタメン・初ヒット・初打点・初決勝打・初ヒーローインタビューを達成。
7月10日楽天戦クリネックススタジアムで初本塁打(2ラン)。
2014年
5月13日に行われた西武戦では、プロ入り最速の158km/hを記録したにとどまらず、プロ入り初完投・初完封もマーク。
6月4日の広島戦にて、高校時代でも記録した自己最速タイの160km/hを(プロ入りしてからは初めて)マークした。
7月5日、20歳の誕生日に(プロ入り後では初の)1試合2本塁打を達成。
9月7日、遂に金字塔を打ち立てる。
2015年
プロ3年目にして、開幕投手に初めて指名される。この影響もあってか、チケットは即日完売&入場者数も4万人を超えた。
その後は脚の痙攣などによる降板が多発するも、登板した試合は全て勝利している。
結果的に、最多勝や最優秀防御率、それに最高勝率の投手三冠を達成。一方で、打率がほぼ2割、5本塁打の成績に終わるなど、将来に向けての課題が浮き彫りになった年でもあった。
2016年
2016年、後年まで語り継がれるであろう、快刀乱麻な活躍を見せている。
まずは6月5日、セ・パ交流戦での巨人戦に「5番・ピッチャー」として先発出場。
4回裏、6番・クルーズへ対する4球目でNPB史上最速となる163km/hをマーク。
投げては10奪三振の完投、打っては1安打1打点と、リアル二刀流の完成を期待させる内容となった。
続いて7月3日、対ソフトバンク戦にて、「1番・ピッチャー」として出場。
これだけでもびっくりだが、初回にいきなり先頭打者・初球ホームランを放ち、8回まで投げて勝利投手となった。大谷選手の八面六臂の大活躍は、日本ハムがソフトバンクを猛追する大きな要因となった。
だが、これだけでは終わらないのが大谷翔平というプロ野球選手である。
直前の試合でマメを潰したために投手としての登板はなかったものの、特例措置を受けて出場したこの年のオールスターでは(主に打者として)獅子奮迅の活躍を見せた。
第一戦では、前年にトリプルスリーを達成した山田哲人・柳田悠岐の両名を抑え、ホームランダービーで優勝。
そして第二戦、逆転の口火となるソロアーチを披露したのをはじめ、4打席3安打1HR2打点2得点と、この試合パ・リーグが挙げた5得点のうちの3得点に絡み、第2戦のMVPに選出された。
なお、ピッチャー登録の選手がオールスターでホームランを撃つのは、1962年のオールスターでホームランを放った江夏豊氏以来、54年ぶりである。
8月26日の西武戦には代打として出場し、節目の20本塁打を達成。
9月13日、オリックス戦にて糸井嘉男への投球で自身の最速記録を塗り替える164km/hをマークした。
9月28日、日本ハムのリーグ優勝がかかった西武戦に先発出場。15奪三振、被安打1の完封勝利を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献した。大谷選手にとってはこれが初の優勝となる。
この試合で10勝目を挙げたことによって、NPBどころか(MLBも含めた)世界野球史上初となる「10勝、100安打、20本塁打」を達成した。
そして、ソフトバンクとのクライマックスシリーズのファイナルステージ初戦で先発投手を任されるとともに、全試合に打者としても出場。7回無失点の好投やタイムリーを打つなど大暴れした挙句、第五戦では指名打者として出場した後、最終回にDHを解除して救援登板し、最速記録を塗り替える165km/hを複数回記録したり、最速151km/hのフォークボールを投じるなどして三者凡退に打ち取り、ペナントレースに引き続き胴上げ投手となった。
10月25日、札幌ドームで行われた広島東洋カープとの日本シリーズ第3戦で3番DHとして出場、日ハム2連敗中で負けるとカープに王手がかかる大事なゲームで、黒田博樹から二塁打を2本放つと、延長10回裏では2アウト2塁の場面で大瀬良大地から1・2塁間を破るライト前への逆転サヨナラタイムリーを放つ大活躍で日ハムに流れを一気に引き寄せ、2連敗から4連勝へと導き、チームの10年ぶり3回目の日本一に大きく貢献した。
投げては113球、6イニング、奪三振11、与四死球4、失点3、自責点3、防御率4.50を残し、打っては16打数6安打で打率.375、打点1となり、日ハム・広島全選手を通じて2位の打率を残した(ちなみに1位は広島のエルドレッド)。
そして迎えた2016年のNPB表彰式でも史上初の快挙を果たす。
なんとパ・リーグベストナイン部門の投手部門と指名打者部門の同時受賞である(本来、投手部門と野手部門の同時受賞は出来ないが、大谷選手の活躍を考慮して規則が変更された)。さらにはパ・リーグMVPまで受賞。2位のブランドン・レアードとは5倍弱の差を付けてのぶっちぎりであった。
2017年
足首の怪我の影響でこの年は不本意なシーズンを送ることになり、投手としての出場は自己ワーストとなる僅か5試合(3勝2敗)に留まった。
しかしながら、9月下旬にはメジャー挑戦の意思を固め、札幌ドーム最終戦となる10月4日のオリックス戦では、大阪タイガース(現.阪神タイガース)の藤村富美男氏以来66年ぶり、パでは史上初となる「4番・投手」として先発出場。投げてはオリックス打線を2安打に抑え、10個の三振を奪う好投で完封勝利。打っては1安打1得点で自身の勝利に花を添え、国内最終登板を有終の美で飾った。また、この起用を決断した栗山監督も多くのファンから称賛された。
11月には球団からも大谷がポスティングシステムを利用してメジャーに挑戦することが正式に発表され、移籍先の球団はもとより、メジャーでも彼の二刀流が実現するのかどうかということについても注目が集まった。
12月、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへのポスティング移籍が決定。背番号は17番。
この時、エンゼルスから「SHO TIME」というキャッチコピーと共に大々的な宣伝を行い、以降彼の活躍を同球団がこの言葉で表現するようになった(が、そのキャッチコピーが元々大将に使われていた物であったことを知っているのは、ファイターズファンのみであった)。
メジャー移籍後の活躍
エンジェルス時代
2018年
MLBオープン戦
鳴り物入りでMLB入りを果たした大谷選手だが、打者では日本で全くといっていいほどの執拗な内角攻めに遭ったり、彼元で微妙に変化するツーシームに大苦戦して、32打数4安打で打率.125という散々な結果に終わってしまった。
また投手でも、傾斜がきつく硬いマウンドと滑りやすいメジャー公式球に苦しみ、ボールが思ったコースにコントロールができず四死球を連発するだけでなく、160キロ近い速球を投げても回転数(スピンレート)が少ないために、キレとノビがないボールを痛打されるなど、4試合を投げて8回・1/3、19被安打、17失点、6四死球、奪三振19、防御率17.28と大乱調に陥ってしまった。
MLBデビュー
MLB初先発が4/1日(日本時間2日)のアウェイでのアスレチックス戦で、6回・球数92で被弾1を含む被安打3・奪三振6・四球1・失点3(自責3)で、メジャー初登板・初勝利*を挙げた。
MLBにおける初白星から2日後の4月3日(日本時間4日)のインディアンズ戦で「8番DH」でスタメン出場。第1打席にいきなり3ランホームランを放ち、チームメイトから祝福された。このときに実況が放った「Big fly, Ohtani-san!」(ビッグフライ、オオタニサン!)はその後の代名詞となっていく。
その後3試合連続ホームラン、7回1アウトまで完全試合など恐るべき強さを見せつけ、MLBを騒然とさせた。「ベーブ・ルースの再来」という声が早くもこの時から出ている。
だが肘を故障してしまった影響により、6月以降は投手としての出場ができなくなってしまう。この年のシーズンオフにトミー・ジョン手術を受けることが決定し、((最低でも)1年間は打者に専念することになった。
しかし、肘の怪我を感じさせないほどにホームランを量産し、松井秀喜氏以来のシーズン20本塁打越えを達成。
シーズン終了時には、投手としては4勝2敗、防御率3.31、打者としては打率.285、22本塁打、61打点という成績を残し、この年の新人王に輝いた。
メジャーリーグの新人王に日本人選手が選ばれるのは、2001年のイチロー(シアトル・マリナーズ)選手以来、17年ぶりである。
なお、この年のオープン戦で思うように結果が出なかった時期にイチロー氏の元を訪れ、バッティングに関連する手ほどきをしてもらったことを後に明かしている。
2019年
トミー・ジョン手術からようやく復帰した大谷選手は(投手をやる上では生命線となる)肘の回復に専念するため、守備には付かないが打席には立つポジション・DHに専念する決意を固めた。
そんな中、6/13日(日本時間14日)、相手の本拠地で行われたレイズ戦で、「3番・指名打者」として出場し、彼は日本人メジャーリーガー初となるサイクルヒットを達成した。初回に先制点となる8号3ランを放つと、三回は左中間を破る二塁打。36分の停電による中断を経て試合が再開された後の五回の打席で右翼線を破るスリーベースヒット。偉業まで残り1つとした7回に中前打を放ち、偉業を見事に達成した。
しかし、その後は左膝の手術を行うために残りの試合を欠場することを発表した。
この負傷並びに手術が翌年のシーズンに大きな影響を及ぼすことになる。
2020年
投手として再び試合に出場するようになるも、このシーズンはコロナ禍の影響で試合数が激減していた。加えて、大谷選手自身も(主に怪我の影響で)全く調子が上がらず、投げては2試合で0勝1敗、防御率37.80、打っては66試合中44試合出場で打率.190、7本塁打、24打点と散々な成績に終わった。
二刀流どころか、成績次第では他チームへの放出も有り得る状況だった。
2021年
肘の怪我から癒えた2021年、二刀流選手としての大谷選手が本格的にブレークすることになる。
2021年シーズンはシーズンを通してフル稼働を果たし、投打同時出場を本シーズン20回も記録。打ってはホームランを量産し、投げては多くの試合でQSを達成。投打ともハイレベルな成績を残した。
本塁打は松井秀喜氏の日本人シーズン最多本塁打記録31本を前半戦のうちに上回るという驚異的なハイペースで、最終的にホームラン王には届かなかったものの、日本人最多のシーズン46本塁打を達成した。
投手としては9勝2敗(エンジェルスの勝ち頭)、防御率は3.18を記録。立ち上がりに不安が残る試合が多かったものの、シーズン100投球回100奪三振を達成した。中でも8月18日に登板した試合では、追加点となる本塁打を自らが放ち、勝ち投手となった。
この年のオールスターにも初出場を果たす。
前夜祭となるホームランダービーに日本人として初めて出場し、フアン・ソト選手(当時はナショナルズに所属していた。現在はニューヨーク・ヤンキース所属)相手に(2度にわたっての)延長戦を繰り広げると、翌日のオールスターでは二刀流で出場した事で、「先発として登板し、降板後にはDHとして引き続き出場する事が可能」という特例まで作られる程だった。結局、打者としては無安打に終わったが、投手としては1回を3者凡退に抑え、(オールスターでの特別ルールにより)勝ち投手となった。
さらに月間MVPを2度も受賞しており、こちらも日本人としては初となった。
だが、ホームランダービーへの出場の影響もあってか、前半戦での無双ぶりに比べると後半戦では調子が今一つ上がらず、前半戦では33本放っていた本塁打も13本に減少。さらにシーズン終盤に入ると、トラウト選手を筆頭とした主力打者達が軒並み故障でチームを離脱したことで大谷選手に対するマークが一層厳しくなったこともあり、思うような活躍が出来なかった。
投手としては5勝をマークしたものの、ベーブ・ルース氏以来となる103年ぶりの「2桁本塁打&2桁勝利」はお預けとなった。
それでも「投球回数130.1、奪三振156、安打138、得点103、打点100」の投打5部門でクウィンタプル100超えを達成。当然ながら史上初となる快挙である。
更に史上5人目となる、150塁打150奪三振を達成。地味な扱いをされがちだが、れっきとした大記録である。
シーズン終了後、12冠を受賞したことでも話題を読んだ。
主なものだけでも以下がある。
- ア・リーグMVP(満票での受賞)
- プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(両リーグ年間最優秀選手賞)
- エンジェルスMVP
- シルバースラッガー賞
- コミッショナー・ヒストリック・アティーヴメント・アワード
- エドガー・マルティネス賞
こうした目覚ましい功績を受けて、日本政府も22日に国民栄誉賞の授与を打診したが、「貰うにはまだ早すぎる」という理由で受賞を辞退している。
また、2021年のユーキャン新語・流⾏語⼤賞の年間大賞には、「リアル二刀流/ショウタイム」が選ばれた。
このシーズンの活躍により、二刀流選手としての大谷選手の立場は揺るぎないものとなったが、後に本人が語った事によれば、「もし二刀流として活躍出来なかったら、どちらか一つに絞らざるを得ない」という悲壮な覚悟を持っていたらしい。
2022年
このシーズンのエンジェルスは(序盤は)絶好調で、一時はア・リーグ西地区1位をアストロズと争う程の健闘を見せたが、5月以降は突然失速し、球団ワースト記録となる14連敗を喫したため、(その責任を取る形で)ジョー・マッドン監督が辞任した。
対して、大谷は投打共に序盤はやや不調気味であったものの、チームが不調に陥った5月ごろからギアが次第に上がりはじめ、前半戦で本塁打19本、投手としても9勝5敗を挙げるなど奮闘した。
また、オールスターゲームにも2年連続で選ばれている。が、後半戦以降も見据えてなのか、投手としての登板は見送られた。さらにホームランダービーへの出場さえもなかった。
第1打席にドジャースのクレイトン・カーショウ投手からオールスター初ヒットを放っている。
そして日本時間8月10日、遂に念願の10勝目をマーク。昨年度はあと一歩のところで惜しくも手が届かなったが、その雪辱を見事に果たすことになった。
これにより、ベーブ・ルース氏以来となる104年ぶりの「2桁勝利、2桁本塁打」が達成された。この試合では自ら25号ホームランを放ち、偉業に花を添えた。
そして、同年の最終戦で規定投球回と規定打席数の両方をクリアするという快挙を達成した。(現代のMLBでは史上初)
これについて、プロ野球OBにして大谷選手が二刀流に挑戦する事を容認していた落合博満氏は、「プロにおいて、投打同時にダブルで達成できれば、それはもう大奇跡。本塁打を何本打とうが、投手で何勝しようが、数字なんかはもうどうでもいい」とまで豪語するほど、大谷選手の偉業を湛えている。
打者としては、本塁打数34本、95打点に終わったものの、打率は.273と前年より上昇し、投手としては15勝9敗、防御率2.33、奪三振219、奪三振率11.9を記録し、本塁打・打点・盗塁以外は前年を上回る成績を軒並みに収めた。
シーズン終了後、エンジェルスは大谷選手との契約を1年延長する事を発表。
年俸は推定43.5億と一気に跳ね上がった。
2023年
WBCが行われた後のシーズンでは、(国内外を問わずに)代表として召集された選手の中にはスランプに陥る選手も少ないが、大谷選手は大きく調子を崩す事もなく、チームの大黒柱として投打共に奮闘。
あわやノーノー未遂&メジャー初完投初完封&2本塁打
7/27、ダブルヘッダー第1試合では、あわやノーノー寸前となる9回8奪三振1被安打無失点でメジャー初完投初完封。シーズン9勝目を挙げた。
その45分後に始まったダブルヘッダー第2試合に「2番・指名打者」として先発出場した。2回の第2打席で3試合ぶりとなる37号2ランを放つと、続く4回の第3打席では2打席連発となる38号ソロ。111球の完封劇からわずか80分後の衝撃弾だった。
史上初の2年連続2桁本塁打&2桁勝利を達成した投手
7月末頃から身体の一部が痙攣を起こして交代したり、大谷選手らしくないプレイが続いたりしていたが、8月9日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で自身の被安打3、1失点の好投に味方の援護が重なり、シーズン10勝に到達。2年連続の2桁勝利2桁本塁打の達成。また、この時点で既に前年の記録を超えており、さらなる更新が期待された。
突然のシーズン終了
シーズン途中からは(上記のように)好投を見せた試合があった一方で、これまで決め球としていたスイーパーを打たれて失点することが多くなるなど、コンディションが安定しない試合も多くなった。
8月23日、第一打席でホームランを放つも、先発としても登板していた大谷選手のストレートは140km代と明らかな異常が見られ、僅か2回で緊急降板となった。
それでも、この日のダブルヘッダーには打者として出場するが、試合後の検査結果で、右肘の内側側副靱帯を損傷していたことが判明した。
にもかかわらず、以後の試合にも打者として出場してチームに貢献しようとした。だが今度は右脇腹も痛めてしまい、打者としての出場も困難に。
16日、シーズンを終了する事が発表され、19日に右肘の手術が行われた。
アジア人初の本塁打王&OPS王
2023年シーズンの最終成績は、打者としては打率.304(リーグ4位)、本塁打44本(リーグ1位)、打点95打点、OPS1.066(メジャー1位)、出塁率.412(リーグ1位)、長打率.654(メジャー1位)、盗塁20、投手としては10勝5敗、防御率3.14、奪三振167、奪三振率11.39、WHIP1.06となった。
メジャー史上初・2回目の満票MVP
大谷選手は16日(日本時間17日)、2年ぶり2度目となるア・リーグMVPに輝いた。日本人選手の2度目のMVP受賞は初の快挙となり、2度目の満票MVPに至ってはメジャー史上初の偉業となった。その影響が起因して、大谷選手のFA移籍に絡む総額年俸が最大で7億ドル(1050億円)以上にも跳ね上がるのではないのかとも報じられた。
ドジャースへ移籍
シーズンオフ後にフリーエージェントとなり、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。
2日後に、ドジャース広報公式から正式に入団が発表され、同時に背番号は引き続き17番を使用することも併せて発表された。それまではジョー・ケリー投手が17番を使用していたが、大谷選手の加入に伴って背番号を変更することとなった。ちなみに、ケリー選手の背番号を譲ってくれたお礼として、大谷選手からポルシェが贈られた事が大きな話題となったが、実は(大谷選手が契約している)ニューバランス社のシューズをケリー選手に贈ったらしい。
この時の大谷選手とドジャースの契約内容は10年(2024–2033年)総額7億ドル(約1015億円)で、プロスポーツ史上最高額を更新している。
総額は、野球界における最高額であったマイク・トラウト選手の12年(2019–2030年)4億2650万ドル(約640億円)を大きく上回ったばかりでなく、それまでプロスポーツ史上の最高額であったリオネル・メッシ(インテル・マイアミCF所属・サッカー選手)の4年(2017–2021年)5億5500万ユーロ(約6億7400万ドル、約860億円)をも上回ることとなった。それに伴い、多くの日本企業がドジャースとのスポンサー契約を結んだ。
これにより、スポーツ選手としての総年俸額も世界ランキング13位となったことが判明した。当然、日本人アスリートおよび野球選手としては断トツである。
ドジャースへの移籍、そして歴史的シーズンの始まり
2024年
2月29日に、自身のInstagramで結婚したことを報告。
後日、そのお相手が田中真美子氏(元バスケットボール選手)であることが明らかとなった。
3月20日に韓国のソウルの高尺スカイドームで行われた開幕戦に出場。同国のファンからも熱狂的な歓迎をもって迎えられた大谷選手、韓国シリーズでの2試合で3安打&2打点&1盗塁を挙げるなど、幸先の良いスタートを切った。
しかし、自身の専属通訳として大谷選手を支えてきた水原一平氏が、違法賭博を行ったことによってドジャースを解雇されるというスキャンダルが発生。
メディアの取材に対して「大谷選手が自らの借金を肩代わりしてくれた」と水原氏が証言した(翌日には撤回)ため、大谷選手自身も何らかの形で関与をしたのではないのかと、ファンやFBIをはじめとする捜査当局からも疑われる事態となってしまった(捜査の結果、大谷選手の関与は明確に否定された)。
スキャンダルとは無縁なキャリアを送って来た大谷選手にとっては、今後の野球人生が心配されるような大きな騒動となってしまった。(詳細はこちらを参照)
開幕9試合目・41打席目のジャイアンツ戦で待望のシーズン初本塁打を放つ。これで重荷が下りたのか、以降は一気に復調する姿を見せた
4月22日(現地時間4月21日)、メッツとの第3戦に「2番・DH」でスタメン出場し、3回に8試合ぶりの1発となる2ラン(シーズン第5号)を放った。
これは松井秀喜氏のMLB通算175本塁打を超える「176号」のメモリアルアーチでもあり、日本人選手の歴代単独トップに浮上した。これにより、MLB通算200号、日米通算250号、チュ・シンス選手が持つアジア出身選手のMLB最多本塁打記録218号を超えることも現実味を帯びてきた。
その後は現地6月25日に先頭打者ホームラン(シーズン第24号)を放ち、9試合連続の打点を記録した。ドジャース所属の選手が9試合連続で打点を記録したのは球団史上5人目で、1955年のロイ・キャンパネラ氏(当時のドジャースはブルックリンを本拠地としていた)以来、実に69年ぶりの快挙となった。
そして、翌6月26日にも先頭打者ホームラン(シーズン第25号)を放ち、10試合連続の打点をマークした。10試合連続で打点を記録するのは、1920年に打点が公式記録として認定されるようになってからは初の快挙となった。しかも、右腕のリハビリ中というオマケ付きである。
大谷選手は現地7月13日のタイガース戦でもホームラン(シーズン29号)を放ち、MLB通算200号を達成した。メジャー通算200号を達成した日本人選手は大谷選手だけで、アジア人選手としてはチュ・シンス選手に次いで2人目であり、同時に2018年のメジャーデビューから809試合目でのメモリアル弾となる。
大谷選手はDH部門の1位でオールスターに選出され、2021年の初選出から4年連続の選出となった。レンジャーズの本拠地・アーリントンでの球宴前のレッドカーペットリセプションでは、真美子夫人と夫婦初共演を果たし「恋人つなぎ」を披露した。
現地7月16日に行われたオールスター戦では「2番DH」でスタメン出場し、3回表には自身初となる、オールスターでの本塁打(3ラン)を放った。日本人選手がオールスターでホームランを放ったのはイチロー氏(2007年)に次いで2人目であるが、柵越えでの本塁打は初である。(イチロー氏の場合はランニングホームランだった)
オールスターで初めてホームランを打ったことで、大谷選手は(2021年の)先発投手としての勝利と(2024年の)初ホームランを同時に達成した、MLB史上初の二刀流選手となった。
現地7月21日に本拠地で行われたレッドソックス戦でホームラン(シーズン30号)を放ち、4年連続30本塁打を達成した(大谷選手以外で30本塁打をマークした日本人選手は松井秀喜氏のみ)。この本塁打は『DAISO』の看板を通過しての場外ホームランであった。
50-50(50本塁打・50盗塁)への軌跡(奇跡)
本塁打記録に加え、この年は盗塁でも存在感を見せており、
現地8月3日に敵地で行われたアスレティックス戦で1試合2盗塁をマークしたことで、シーズン30盗塁に到達。1シーズンに30本塁打以上と30盗塁以上の「30-30」を達成した。MLBで過去に「30-30」をマークした選手は複数いるものの、DH専門としては史上初の快挙となった。
現地8月17日にセントルイスで行われたカーディナル戦でソロホームラン(シーズン38号)を放ったことで.MLBに所属する30球団からホームランを放った事になった。これは日本人メジャーリーガーとしては史上初であり、2018年のメジャーデビューから7年目での快挙となった。
なお、メジャー全30球団からホームランを放ったのは、現役選手のなかでは19人目、MLB史上63人目の快挙となる。
8月23日に本拠地で行われたレイズ戦では、4回裏にショートへの内野安打で出塁し、すかさず盗塁に成功したことで自身初の40盗塁をマークした。さらに9回裏でツーアウト満塁の場面で打席に立ち、自身初のサヨナラグランドスラムで試合を決めた。さらに、日米通じて自身初の「40HR-40SBCLUB(フォーティフォーティクラブ)」も達成した。
これは(MLB史上最速となる)シーズン126試合目での達成であり、同一日に達成したのは史上初である(因みに、この時点での「41-41」達成者はソリアーノ氏とアクーニャ選手の2名。「42-42」達成者はアレックス・ロドリゲス氏だけ)。
こうなると、(MLB史上初の)「50-50」もいよいよ現実味を帯びてくる。
現地24日の本拠地でのレイズ戦で「41-41」達成(ソリアーノ氏とアクーニャ選手に次ぐ史上3人目)。
現地28日の本拠地・オリオールズ戦で「42-42」達成(A・ロッド氏に次ぐ史上2人目の快挙)。
現地8月30日の敵地フェニックスのダイヤモンドバックス戦で「43-43」に到達(MLBでは史上初)。
現地8月31日に敵地で行われたダイヤモンドバックス戦では、1回表にセンターへ先頭打者ソロホームラン(シーズン44号)を放ち、最終的に「44-43」まで記録を伸ばした。
現地9月6日に本拠地行われたガーディアンズ戦では、6回裏にツーアウト・ランナーなしの場面で4ソロホームラン(シーズン45号)を放ち、2021年以来となる100打点も達成。
現地9月8日に行われた本拠地でのガーディアンズ戦では、2試合ぶりにライトへソロ本塁打(シーズン46号)を放った。これで、2021年に記録した自己最多の本塁打数に並び、打点も101打点とキャリアハイへ到達。
現地9月11日のカブス戦では、1回裏にソロホームラン(シーズン47号)を放ち、2回裏にノーアウト・ランナーなしの場面でフォアボールを選ぶと、すかさずに盗塁を成功させ「47-48」、打点も104打点をマークし、ナ・リーグ単独トップに躍り出た。
現地9月17日に敵地マイアミで行われたマーリンズ戦では、3回表に2ランホームラン(シーズン48号)を放ち、打点もキャリアハイとなる110打点に更新した事で「48-48」と記録を伸ばした。また、MLBにおける通算本塁打でも219号をマークし、チュ・シンス選手の218号を抜き去って、MLBにおけるアジア人選手通算最多本塁打記録を更新した。
現地9月18日にマイアミで行われたマーリンズ戦では、1回表のノーアウト・ランナーなしの場面で左前打を放ち、直後のベッツ選手への初球ですかさず盗塁を行い、キャリアハイの49盗塁をマークした。これで「48-49」とし、シーズン50盗塁まであと1個とリーチをかけた。
49盗塁を決めたことで、ロバーツ監督が2006年のパドレス在籍時にマークした記録にも並んだ。
その時、大谷翔平・ドジャース・MLBの歴史が動いてしまった
現地9月19日に行われたマーリンズ戦では、6打数6安打3本塁打10打点2盗塁4得点17塁打の大暴れで、チームの4-20の圧勝劇に大きく貢献した。
1回表の第1打席でツーベースヒット、スミス選手の打席で50個目の盗塁をマークした。2回表の第2打席では(ライト方向への)シングルヒットを放ち、ベッツ選手の打席で51個目の盗塁をマーク。3回表の第3打席でセンターオーバーの特大ヒットを放ち、一気に三塁をも陥れたがアウトとなってしまい、記録はツーベースとなった。6回表の第4打席で2ランホームラン(シーズン49号)。さらに、7回表の第5打席でツーランホームラン(シーズン50号)を放った。そして、9回表の第6打席で3ランホームラン(シーズン51号)と大爆発した。この試合に勝利したドジャースは、12年連続となるプレーオフ進出が決まり(この時点で地区優勝へのマジックナンバーは6だった為、地区優勝に関してはまだ未決定である)、2018年のメジャーデビューから866試合目にして、念願だったプレーオフに挑むことになり、同時に通算865試合という(自身にとっては)不名誉な記録であり、エンジェルス時代から続いた屈辱かつ悪夢でもあった黒歴史に終止符を打った。
チームの勝利を最優先に考え、個人記録やタイトルについては二の次である大谷選手ではあるものの……
- キャリアハイのシーズン51盗塁をマークして、ドジャースにおけるシーズン最多盗塁記録を樹立した。さらにデイヴ・ロバーツ氏(現.ロサンゼルス・ドジャース監督)が持っていた、1シーズン49盗塁(2006年のパドレス所属時に記録)を更新。
- シーズン50盗塁の日本人選手はイチロー氏に次ぐ2人目。
- それぞれ自己最多の1試合で6安打3打席連続本塁打10打点。
- 10打点はドジャース球団1試合最多打点新記録樹立。
- キャリアハイとなるシーズン51本塁打をマーク。エイドリアン・ベルトレ氏の48本塁打とショーン・グリーン氏の49本塁打を一気にごぼう抜きして、ドジャースのシーズン最多本塁打記録を更新。
- キャリアハイのシーズン120打点をマーク。松井秀喜氏が持っていたシーズン116打点を更新し、日本人選手シーズン最多打点記録の更新。
- MLB通算222本塁打をマークし、語呂良く「ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)」と猫の日と見事に被り、ユーモアとシャレに溢れている記録となった
- 日米通算270本塁打をマーク
- 本塁打と盗塁を同時にマークしたのがシーズン最多の13回目。MLBにおける通算盗塁記録保持者のリッキー・ヘンダーソン氏以来、2人目の最多タイ記録。
- MLB史上初の「50-50」を通り越して、「51-51」も更新
といった具合で、MLB・ドジャース・大谷選手自身にとっても記録づくめな一日となり、文字通りのユニコーンとなってしまった。
とは言え、神懸かったパフォーマンスを披露してくれた大谷選手が非常に素晴らしいのはもちろんの事だが、(松井氏がかつて経験した甲子園5打席連続敬遠事件のように申告敬遠をしても決して責められないのに)その大谷選手を相手に真っ向勝負を挑む采配をしてくれたスキップ・シューメイカー監督(当時のマーリンズ監督)や選手達には感謝しなければならないし、称賛もしなければならないだろう(実際、ロバーツ監督は大谷選手との勝負を演出してくれたシューメイカー監督に感謝の気持ちを伝えている)。
侍ジャパンでの活躍
第1回プレミア12
2015年の第1回プレミア12で初めて侍ジャパンに選出され、グループリーグ初戦および準決勝の韓国戦に投手として出場。チームは準決勝で敗れて3位で大会を終えるも、大谷選手自身は最優秀防御率を記録し、ベストナインにも選ばれている。
第4回WBC
2017年開催の同大会においても活躍が期待され、本人も「絶好調です。稲葉さんを手ぶらで返すわけにはいかない」などの大会への意欲を見せていた。
しかし、突如として10月に痛めた右足首の状態が悪化し、痛みが続けば手術も考えているとして、WBCへの出場辞退を発表した。
上記の理由でWBC出場を辞退したにもかかわらず、翌日には元気にトレーニングをする姿が目撃され、さらには1か月前の1月にダルビッシュ有とキックボクシングをしていた動画が物議を醸した。
第5回WBC
かつての恩師である栗山英樹監督からの召集を受け、アメリカ代表のキャプテンに就任したトラウト選手と並んで、早くからWBCへの参加を希望していた。
大谷選手の正式なチーム参加は本番開始直前の3月6日と大きく遅れることになったが、3月5日から試合前練習に参加する形でファンの前に姿を現す。
初陣となった阪神との試合では、2打席連続ホームラン。しかも、そのうちの一打席は片膝を突きながらの打球をホームランにしてしまったため、会場は一時騒然となった。
WBC本戦が開幕してもその勢いが衰えることはなく、近藤健介、吉田正尚、岡本和真といった日本を代表する強打者と共に打線を牽引する活躍を見せ、自身もオーストラリア戦にて(WBCでは自身初となる)ホームランを打った。
ただ、チェコ戦で先発のオンドジェイ・サトリア選手に三振を取られてしまい、サトリア選手を有名人にさせてしまう事もあった。
投手としても、初戦の中国戦と準々決勝のイタリア戦で先発として登板。初戦は4回を投げて無失点、準々決勝は2失点。打撃では守備をかき乱す策としてセーフティーバントを敢行し、相手のミスを誘った。
その後、プールBのMVPを獲得した。
準決勝のメキシコ戦では、最終回に4-5と敗退の危機に先頭打者としてツーベースヒットを放ち、ヘルメットを脱ぎ捨てて辿り着いた二塁ベース上で雄叫びを挙げるなど、飽くなき闘志を見せた。
大谷選手の活躍は侍ジャパンの奮起を促し、続く吉田選手がフォアボールを選んで出塁し(出塁後に周東佑京選手に交代)、最後は村上宗隆選手がサヨナラタイムリーを放って逆転するという劇的な展開で、アメリカとの決勝戦へと駒を進めた。
「僕からは1個だけ。憧れるのをやめましょう。ファーストにゴールドシュミットがいたり、センターを見ればマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたり、野球をやっていれば誰しもが聞いた事のあるような選手たちが、やっぱりいると思うんですけど、今日一日だけは憧れてしまったら越えられないんで。僕らは今日越えるために、トップになるために来たので。今日一日だけは、彼らへの憧れを捨てて、勝つ事だけを考えていきましょう。さぁ、行こう!」
翌日2023年3月22日。
日本対アメリカの決勝戦。
この試合は片方がホームランを打てば打ち返し、両者が一歩も譲らないという、息詰まる投手戦となった。
9回表、クローザーとして登板した大谷はマクニール選手に四球を与えランナーを出すもベッツ選手を併殺に打ち取り、2アウトでトラウト選手との初対決にして大勝負に臨む。
熾烈な一打席はフルカウントまでもつれ込み、第6球目。
外のスライダーをトラウトは捉えきれず空振り三振。日本は14年ぶりの優勝(大谷選手が出場したWBCでは初)を7戦全勝で決めた。
大谷選手自身はMVPにも選ばれ、最高な形で大会を終えた。
人物像
他選手と乖離するプロ意識
実力のみならず、野球に取り組む姿勢も至って謙虚かつ真面目であり、プロ意識も非常に高い努力家でもある。チームメイトからも、こうした彼の野球に対するストイックな姿勢や、野球のためにあらゆる努力をつぎ込むことを惜しまない姿勢が報道されている。
通常は、生きるためやお金を得るために野球をするのが(通常の)プロ野球選手である。その一方で、誰も挑戦しない・真似できない事をやるためにプロ野球選手になり、「野球を愛し、愛されている」のが、大谷翔平という選手である。
そして、試合に対する取り組み方でも普通の選手とは全く異なる。本人曰く、「僕はチームの勝利や優勝のためにプレイしている。『個人成績の更新』『個人タイトルの獲得』『MVPや表彰の受賞』はあくまで勝利や優勝するための手段であって、それらを目的としてプレイしているわけではない」と言い切っているらしい。
メジャーリーグに所属する日本人選手の中ではトップクラスの年俸を稼いでおり、(MVPを筆頭とする)数多くの賞を受賞しているが、彼は「お金は飯を食っていけるだけの経済力のみで充分」と発言しており、金銭に対する執着が非常に低い。その一例として、2023年にエンゼルスからFAになった後の交渉では、有力選手の獲得やトレーニング設備の強化費として、無利子の後払い契約で余ったお金を充ててほしいと大谷選手本人から申し出があったらしく、連日のように話題となった。
2023年シーズン終了後の11月8日(日本時間9日)、日本国内にある約2万校の全小学校(特別支援学校も含む)にジュニア用グラブ約6億円以上に相当する約6万個のグラブを寄付することを発表した(各小学校に3つ(右利き用が2つと左利き用が1つ)ずつ寄付される)。
インスタグラムには、大谷選手本人のサインとともに「野球しようぜ!」と書かれた画像と、“大谷モデル”のグラブが段ボールに詰められた写真が投稿された。
その際、「この度、日本国内にある約2万校の全小学校に各3つのジュニア用グローブ約6万個を寄贈いたします。野球を通じて元気に楽しく日々を過ごしてもらえたら嬉しいです」
「このグローブを使っていた子どもたちと将来一緒に野球ができることを楽しみにしています」
と報告した。
フィールド内外での人間性
球場で落ちているゴミを拾ったり、ファールフライを打ってしまった際にダグアウトに呼び掛けて注意を促すなど、周囲への気配りができる人物でもあり、こういった点でも選手やマスコミから好印象を抱かれている。
しかし、彼の野球に関するストイックぶりは生まれながらのものでなく、花巻東高時代での厳しい寮生活や、日本ハムへの入団当時に監督を務めていた栗山英樹氏による管理の賜物でもある。特に、栗山氏はプロ入り直後の大谷選手に対して、外出制限や事前報告の義務化を行う事を決めていた。これによって、仮にOBや関係者が誘っても球団に報告が必ず入るため、大谷選手をそう簡単に誘えなくなった。
実際、プロ2年目の2013年に中田選手に誘われて無断外出した際、球団からの報告でこの事を知った栗山氏は中田選手と大谷選手を厳しく叱責している。結局、大谷選手がエンゼルスへ移籍するまで、栗山氏による外出制限が解除されることは最後までなかった。
人物像
その一方で、あまのじゃくなところも結構あるらしく、栗山氏曰く「『やってくれ』と頼むとやってくれないので、向こうから『やります』と言い出すのを待つ時もあった」とのこと。途中でマウンドを降りることになっても、試合中は謝るような姿勢を見せることは滅多にないことから、WBC準々決勝のイタリア戦で降板した際に大谷選手が「すみません」と謝った姿には、さすがの栗山氏も驚いたという。
また、「彼とはいつも野球の話しかしない。むしろ野球以外の話をするところを見たことがない」とも述べており、良くも悪くも野球のことを第一に考え続けている(酷評すれば、野球の事しか眼中にない)人物であることが窺える。
上記のように(野球の為であれば多額の出費も惜しまない)独特の価値観や、「普段は主食として塩だけで味付けしたパスタを食べている」というエピソードがそれを物語っていると言えるだろう。また非常に負けず嫌いの部分もあり、子どもの頃から負けん気が強いエピソードも多い。
上記の二刀流への挑戦も、OB達への反発でより傾いたとされている。
歴史関連が好きらしく、特に幕末時代が好み。自ら世界を開く「開拓者精神」に強い憧れを持っている。
(先輩・後輩関係なく)チームメイトを揶揄ったり、弄り倒したりすることがあるなどイタズラ好きな一面もあり、それ故に中田翔選手、近藤健介選手、上沢直之選手、杉谷拳士氏などからは、(冗談混じりに)“クソガキ”と呼ばれていたこともあるらしい。
こうした傾向はメジャー入りしてからも全く変わっておらず、ベンチではチームメイトとじゃれ合ったり揶揄ったりしたりしている様子が映されることも。
評価・人気
国内での知名度および人気ぶりは、テレビのニュース枠のほとんどを埋まるほどで、彼個人で国民的タレントやアイドルユニットすらも遥かに上回っているようにも感じられる(実際、そんなタレント達にも彼のファンは多い)。CMへの出演数やその単価は、下手な選手やタレント・芸能人よりも遥かに高額である。
芸能界屈指の野球好きで知られる、ナイツの塙宣之氏ととんねるずの石橋貴明氏が「野球の名選手はお笑い界の誰に相当するか」という議論をしたところによれば、「コントと漫才両方でトップクラスの活躍ができる二刀流、東北では好感度も高い」という共通点から、サンドウィッチマンの二人で大谷選手に相当すると結論付けている。
「世界で影響力が最もある100人」にも(メジャーは元より)世界中の数多くいるプロ野球選手の中から唯一選出されたり、「世界アスリート人気ランキング」でも野球選手として唯一ベスト10入りを果たすほどの人気選手となっている。
観客だけでなく、現役メジャーリーガーたちの間でも人気者となっており、相手チームの選手と大谷選手が試合前やプレイの合間に笑顔で話すようなやりとりも数多く散見されている。バーランダー投手のように、ベテランの域に既に達している選手ですら大谷のファンであることを公言している者までいる(余談だが、バーランダー投手の実弟であるベンさんも「大の大谷翔平マニア」を公言している)。アメリカ以外の野球選手達からもファンは多く、WBCでは試合中ですら生の大谷を見て感激している選手までいたりした。
トロッコ問題に代表される答えのない・出しづらい問題を授業の題材として扱うハーバード大学のマイケル・サンデル教授も大谷選手のファンであると公言しているらしく、彼が理想としている「成功しても謙虚な姿勢」における絶好な見本と絶賛している。
ネット上では、その大谷選手に加え、藤井聡太竜王名人や羽生結弦氏らが「なろう系主人公」と度々評されることもある。
二刀流誕生&復活秘話とその影響力
※ 詳細は「二刀流(野球)」の記事も参照の事
勘違いされやすいが、実は本人が二刀流を志願したものではなく、ドラフト交渉の際に日本ハムから提案されたもの。つまり、「積極的に二刀流を目指そう」というよりは「検討段階で投打のどちらかに絞ることができなかったので、とりあえず両方をやらせてみよう」というのが(実態としては)正しい。
しかし、これまでに投打にわたって大成できた選手は誰一人として存在しなかったため、大谷選手が二刀流への挑戦を表明した際には(主にファンやプロ野球OBから)否定的な意見が圧倒的に多かった。
しかし、その後の目覚ましい活躍によって、大谷選手および二刀流というプレイスタイルへの評価は一変することとなる。
かつてはヤクルトや楽天で監督を務めた経験を持つ野村克也氏でさえ、「プロ野球を舐めんな」「二兎を追うものは一兎も得ず」と反対していた。しかし、その後の覚醒ぶりを見て考えを改めたのか、「あれを見れば、(野村氏自身はキャッチャー専門だった)俺でも(二刀流)やらせたくなる」「将来、大谷がどうなるのかが分かる頃にはワシはもう居ないだろう。だから終わった人間のことなんかどうでも良い。常識外?結構な事や。不滅の記録を打ち立てれば良い、挑戦は若さの特権だ」という大谷選手への激励を遺し、2020年に84歳で亡くなった。
2022年シーズンからは、ナ・リーグにもDH枠が可能となることで両リーグのユニバーサルDHが採用されただけでなく、投手として登板した選手を降板させる場合、DH枠に入れ替えて出場を続けられるというルールが導入された。このルールは第5回WBCから国際大会にも適用され、日本でも独立リーグなどで導入が検討されているという。
ゲームにおいて
野球ゲームのパワプロシリーズでは入団翌年のパワプロ2014より収録。OPにもファイターズの代表選手として登場しており、二刀流を表現する為にピッチングとスイングをする大谷が同時に登場するという演出がなされた。パワプロ2018以降はOB選手として収録されている。他にも試合中にDHを解除する機能や大谷ルールが採用されるなどゲームのシステム、サクセスモードで二刀流選手が作れる可能性をより広げる等、ゲームの方向性にも大きな影響を与えている。
プロ野球スピリッツAではWBC決勝から数時間後に開催された侍ジャパンガチャにて他のメンバーたちと共に実装され、盛り上がりの効果もありあっという間にセールスランキング1位を達成した。
2024年1月にパワプロが30周年、プロスピが20周年の節目を迎えるとして大谷翔平が公式アンバサダーに就任することが発表された(これが発表されたニンテンドーダイレクトでは冒頭からいきなり大谷選手が登場したため、視聴していたファンを驚かせた)。パワプロ2024では早期購入特典として大谷とパワプロくん、ガンダーが共に写ったパッケージスリーブが用意された。パワプロ2024の起動画面のイラストではパワプロくん達とゲームを楽しむ大谷が描かれており、OPでは(歴代OB選手が集結した中で)大トリとして登場。
日本ハム時代の2016年版と侍ジャパンとして活躍した2023年版の2種類が収録されており、それぞれ「対決!レジェンドバトル」というモードで(1打席だけの)勝負を行い、勝利すると使用できるようになる(ゲームで貯めたポイントを消費して解放することも可能)。2023年版はスイーパーがオリジナル変化球として実装されている。
MLBを取り扱ったアメリカ製ゲーム「MLB THE SHOW」の22年版ではパッケージを飾る大抜擢となり、更にはMVP Editionとして漫画風イラストの特別パッケージ版も販売されている。
2024年にコナミからリリースされた「MLB PRO SPIRIT」(通称・メジャスピ)もタイトル画面及びアプリのアイコンに大谷選手を採用している。
余談
中学・高校時代の体力テストでは、全種目で満点を獲得して全国1位に輝いたことがある。
授業も真面目に受けていたのだが、余りにも足が長すぎた為に一般的な学校用机では収まらず、常に足を外に出していた。学校で悪い生徒と思われないように、当時の担任の先生が近所の町工場に机を生徒達に運ばせ、机の足の部分を長くして専用に改造させたという逸話がある。
渡米前と渡米後では体重が20kg近く増量しており、タレントやOBが大谷選手と会う度に「身体がまたデカくなっている」と驚くことが多い。
多摩動物公園生まれで、現在は神戸市立王子動物園に飼育されているアムールトラの雄、「ショウヘイ」は彼の名から取られている。(多摩動物公園で生まれたトラは、基本的に有名アスリートから取るのが通例であるため)
大谷選手が小学1年生の頃に書いたものと見られるノート(参照ツイート)には、(将来の夢として)「野球選手」と書かれていた。しかし、まさかここまで活躍するとは(大谷選手本人さえも)思わなかっただろう。それ故に「普通の(大人の)人」になれなかったようだ。また、とあるキャラクターの絵も書かれており、かの原作者も反応していた(参照ツイート)。
メジャーリーグでプレーする現役選手の中で、「アメリカ野球殿堂入りの筆頭候補者」として(主にメジャー関係者各位から)既に注目されている。それどころか、問題は殿堂入りそのものではなく、マリアーノ・リヴェラ氏以来となる、「得票率100%での殿堂入り」となるのかに当てられており、世界中のMLBファンから日増しに期待されている。
2024年にロサンゼルス市は、5月17日を「大谷翔平の日」とすることを決定、大谷選手がドジャースに在籍している間のみに適用されるという。これは、5月がアジア・太平洋諸島にルーツを持つアメリカ人の文化遺産継承月間であること、ドジャースでの大谷選手の背番号が17であることに因んだもの。
大谷選手自身もロサンゼルス市議会場にサプライズとして登場し、記念日を制定してくれたことへの感謝を示した。
因みに、アメリカ時間の5月17日は日本時間の5月18日に当たるため、その日は(大谷選手の実父である)大谷徹氏の誕生日でもある。つまり、5月17日は「大谷翔平の日」と同時に「大谷選手の父の誕生日」でもあるのだ。
オオタニが選手のあだ名として使うには「そもそも二刀流の活躍ができる」ことが前提となる為、プロやトップレベルのアマチュアでも滅多にないが、アメリカの大学ではジャック・カグリオーン選手という本格派のピッチャーかつ主砲として米大学野球の本塁打記録を塗り替えた、まるで大谷選手のような活躍を見せている選手がおり、「ジャックタニ」の愛称が付けられている。
大谷翔平の人生設定シート
大谷選手のエピソードを語る上でのひとつに「人生設定シート」がある。これは大谷選手が花巻東高校の1年生時(満15歳時)に書いたものであり、こんな目標を立てていた。
西暦 | 年齢 | 人生設定シート | 実際の史実 |
---|---|---|---|
2012 | 18 | ドジャース傘下のマイナーチームに入団 | ドラフト1位で日本ハムに入団 |
2013 | 19 | 3A昇格、イングリッシュマスター | 史上初の二刀流選手になる |
2014 | 20 | ドジャースでのメジャー昇格、年俸15億円 | 11勝10本塁打でNPB初の2桁勝利&2桁本塁打 |
2015 | 21 | ローテーション入り、16勝 | 最多勝、最優秀防御率、最高勝率の投手3冠 |
2016 | 22 | サイ・ヤング賞を受賞 | パ・リーグ優勝、日本一、MVP&ベストナイン |
2017 | 23 | WBC侍ジャパン | オフにポスティングでエンジェルスに移籍 |
2018 | 24 | ノーヒットノーラン、25勝達成 | 新人王獲得(日本人選手では4人目) |
2019 | 25 | 世界最速175キロ | 2年連続2桁本塁打、日本人選手初のサイクルヒット |
2020 | 26 | ワールドシリーズ制覇、結婚 | ハーフシーズン、右屈曲回内筋群損傷、キャリアワーストの更新 |
2021 | 27 | WBC侍ジャパンMVP | 9勝46本塁打でア・リーグMVPを満票で獲得、エドガー・マルティネス賞獲得、シルバースラッガー賞獲得 |
2022 | 28 | 男の子が誕生 | ベーブ・ルース氏以来となる、シーズン2桁勝利&2桁本塁打達成(15勝34本塁打)、投打のダブル規定到達(166回・666打席)、エドガー・マルティネス賞獲得(2年連続) |
2023 | 29 | ノーヒットノーラン2回目達成 | WBCで優勝・MVP獲得、2回目の2桁勝利&2桁本塁打達成(10勝44本塁打)、本塁打王獲得(アジア人では初)、2回目の満票MVP(史上初)、エドガー・マルティネス賞獲得(3年連続)、シルバースラッガー賞獲得(2回目)、ハンク・アーロン賞獲得(アジア人では初) |
2024 | 30 | 日本人選手最多勝利 | FAでドジャースに移籍、真美子夫人と結婚、「40・40」「50・50」達成(最終的に「54・59」に更新)、ドジャースの地区優勝・ナリーグ優勝・ワールドチャンピオンの獲得に大きく貢献、DH専門の選手によるシーズンMVP獲得(史上初)、3回目の満票MVP(史上初)、両リーグMVP(フランク・ロビンソン氏以来、史上2人目)、両リーグを跨いでの2年連続MVP(史上初)、エドガー・マルティネス賞獲得(4年連続)、シルバースラッガー賞獲得(3回目)、ハンク・アーロン賞獲得(2年連続、両リーグを跨いでの獲得は史上初)、本塁打王獲得(2年連続)、打点王獲得 |
総括
高校時代の大谷選手はプロで二刀流ができるとは全く想像すらしていなかったらしい。そのため、「人生設定シート」の目標と項目には投手としての事ばかりが記載されており、打者については具体的な目標や計画は全く立てていなかったことがうかがえる内容となっている。
皮肉なことに、MLBにおいては投手よりも先に打者としての個人タイトル(NPBでは投手タイトルを獲得し、打者タイトルは取っていない)を獲得するという結果となっている。
したがって大谷選手の投打は超一流ではあるものの、能力的に投手<打者であることが実証されており、怪物投手と呼称されていた江川卓氏や松坂大輔氏からは「我々は投手主体の打者。しかし、大谷翔平選手は打者主体の投手」と評価していた。
大谷翔平の目標設定シート(マンダラーチャート)
大谷選手のエピソードを語る上でのひとつに「目標設定シート(マンダラーチャート)」がある。上記の「人生設定シート」同様、これも大谷選手が花巻東高校の1年生時(満15歳時)に書いたものであり、こんな目標を立てていた。
01 | 02 | 03 | 10 | 11 | 12 | 19 | 20 | 21 |
04 | 05 | 06 | 13 | 14 | 15 | 22 | 23 | 24 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
07 | 08 | 09 | 16 | 17 | 18 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 | 37 | 38 | 39 | 46 | 47 | 48 |
31 | 32 | 33 | 40 | 41 | 42 | 49 | 50 | 51 |
34 | 35 | 36 | 43 | 44 | 45 | 52 | 53 | 54 |
55 | 56 | 57 | 64 | 65 | 66 | 73 | 74 | 75 |
58 | 59 | 60 | 67 | 68 | 69 | 76 | 77 | 78 |
61 | 62 | 63 | 70 | 71 | 72 | 79 | 80 | 81 |
番号 | 項目 | 番号 | 項目 | 番号 | 項目 |
---|---|---|---|---|---|
01 | 身体のケア | 02 | サプリメントを飲む | 03 | FSQ90KG |
04 | 柔軟性 | 05 | 身体づくり | 06 | RSQ130KG |
07 | スタミナ | 08 | 可動域 | 09 | 食事夜7杯朝3杯 |
10 | インステップ改善 | 11 | 体幹強化 | 12 | 軸をぶらさない |
13 | リリースポイントの安定 | 14 | コントロール | 15 | 不安をなくす |
16 | 下肢の強化 | 17 | 身体を開かない | 18 | メンタルコントロールをする |
19 | 角度をつける | 20 | 球を上から叩く | 21 | リストの強化 |
22 | 力まない | 23 | キレ | 24 | 下半身主導 |
25 | 球を前でリリース | 26 | 回転数アップ | 27 | 可動域 |
28 | はっきりとした目標・目的を持つ | 29 | 一喜一憂しない | 30 | 頭は冷たく、心は熱く |
31 | ピンチに強い | 32 | メンタル | 33 | 雰囲気に流されない |
34 | 波をつくらない | 35 | 勝利への執念 | 36 | 仲間を思いやる心 |
37 | 身体づくり | 38 | コントロール | 39 | キレ |
40 | メンタル | 41 | ドラフト1位、8球団指名 | 42 | 速球160キロ |
43 | 人間性 | 44 | 運 | 45 | 変化球 |
46 | 軸でまわる | 47 | 下肢の強化 | 48 | 体重増加 |
49 | 体幹強化 | 50 | 速球160キロ | 51 | 肩周りの強化 |
52 | 可動域 | 53 | ライナーキャッチボール | 54 | 投球を増やす |
55 | 感性 | 56 | 愛される人間 | 57 | 計画性・継続力 |
58 | 思いやり | 59 | 人間性 | 60 | 感謝 |
61 | 礼儀 | 62 | 信頼される人間 | 63 | 謙虚 |
64 | 挨拶 | 65 | ゴミ拾い | 66 | 部屋掃除 |
67 | 道具を大切に扱う | 68 | 運 | 69 | 審判さんへの態度 |
70 | プラス思考 | 71 | 応援される人間になる | 72 | 本を読む |
73 | カウント球を増やす | 74 | スプリット完成 | 75 | スライダーのキレ |
76 | 落差があるカーヴ | 77 | 変化球 | 78 | 左打者への決め球 |
79 | ストレートと同じフォームで投げる | 80 | ストライクからボールへ投げるコントロール | 81 | 奥行きをイメージ |
マンダラーチャートの活用
マンダラチャートとは目標達成のための思考ツールであり、叶えたい夢をド真ん中(41)に置き、その周囲に目標達成のための要素を8個(41以外の37~45)配置して、さらに細分化してその8個の要素に必要な思考や行動を64個(05以外の01~09、14以外の10~18、23以外の19~27、32以外の28~36、50以外の46~54、59以外の55~63、68以外の64~72、77以外の73~81)明確化する方法である。大谷選手はこのチャートを使って、自分自身の成長と成功への道筋を描いたのである。
大谷選手が高校時代に書いたマンダラチャート。当時の彼の夢は、プロ8球団からドラフト1位で指名されることだった。この夢を実現するために大谷選手はマンダラチャートを用いて、自身の目標と行動計画を具体化したのである。
彼がマンダラーチャートを活用するのに当たって、以下の事項を心掛けている。
- 超一流のプロ野球選手になるためには技術だけでなく、精神面や人間性も重要と悟った大谷選手はこれらの要素を自身のマンダラチャートに取り入れ、具体的な行動目標を設定した。例えばメンタルの強化、チームプレイの重視、礼儀正しさ、継続的な努力などが挙げられる。これらの要素は、彼が日々のトレイニングや試合で実践し、結果として大きな成功を収めることに繋がったのである。
- 彼が特に重視したのはメンタルの強化である。彼は一喜一憂せず、冷静な頭脳と熱い心を持つことを常に心掛けていた。また、ピンチの状況でも動じない強さや周囲の雰囲気に流されない自己信頼を育てることが重要だと考えていた。これらのメンタル面での強化は彼が数々の困難を乗り越え、大舞台で活躍する力の源泉となったのである。
- 彼は技術を単に磨くだけでなく、人間性を高めることも重要視していた。この成果はグラウンドでごみを拾ったり、学校にグラブを送ったりなど感謝の心を持ち、礼儀正しく振る舞うこと、信頼される人間であることを目指している。また、他者への思いやりや愛される人間であることも彼の人間性を形成する重要な要素である。これらの要素は彼がチームメイトやファンから愛され、尊敬される理由の一つとなっている。彼のマンダラチャートには彼の野球選手としての成功だけでなく、人間としての成長を目指す姿勢が反映されている。彼のこのような取り組みは多くの人々にとって大きな刺激となり、目標達成のためのヒントを提供しているのである。
- 彼が実践している運を掴むための日常の行動は、一般人にとっても大きなヒントとなっている。彼は、日々の小さな行動が積み重なって運を引き寄せると考えている。例えば挨拶を大切にすること、ゴミ拾いや部屋の掃除を行うこと、使用する道具を大切に扱うことなど、日常生活の中で実践できる行動が多く含まれている。これらの行動は、他者への敬意を示し、ポジティヴな環境を作り出すことに繋がっている。また審判や周囲の人々への態度、本を読むことで知識を深めることも彼が重視する運を掴むための要素となっている。
- マンダラチャートを活用することで、目標達成へのアプローチがより明確になっている。彼は中心に大きな目標を置き、その周囲に達成のための具体的な要素を配置している。この方法により目標に向かって進むための道筋がはっきりとし、何をすべきなのかが明確になる。またマンダラチャートは自己の強みや弱みを理解し、それに基づいた行動計画を立てるのにも役立っている。目標達成のためには客観的な自己分析と具体的な行動が絶対不可欠であり、マンダラチャートはその両方をサポートするツールとなり得ているのである。
総括
上記の「人生設定シート」同様、高校時代の大谷選手はプロで二刀流ができるとは全く想像すらしていなかったらしい。そのため、「マンダラーチャート」の目標と項目には投手としての事ばかりが記載されており、打者については具体的な目標や計画は全く立てていなかったことがうかがえる内容となっている。しかしプロでの実績も、投手部門よりも打者部門の方が皮肉にも勝っているという結果となっている。したがって大谷選手の投打は超一流ではあるものの、能力的に投手<打者であることが実証されている。(大谷選手の二刀流を尊重しつつも)MLB三冠王に限りなく近い打者記録を叩き出した大谷選手には「外野手か指名打者に専念して、野球人生を一日でも長く全うしてもらいたい」と高橋由伸氏などの野手専門家達(大谷選手が二刀流選手として日ハムに入団した頃、二刀流の賛否両論が過熱された際、由伸氏は「中6日の投手よりも試合に毎日出場できる野手一本に専念して欲しい」とコメントを求められた経緯がある)が懇願するぐらいの2024年シーズンの打者成績である。
それでも投手一本で勝負するつもりで即高卒メジャー挑戦を躊躇なく試みたぐらいに、先発投手としてのこだわりが人一倍強いので、現役引退するまで彼は投手を早々に諦めるつもりは絶対にないだろう。
関連項目
関連人物
- ベーブ・ルース:投手と打者のどちらの分野でも傑出した成績を残した偉大な選手。通称「野球の神様」。かつては大谷選手も「令和のベーブ・ルース」として紹介された事がある。
- 栗山英樹:日本球界時代の恩師で、二刀流・大谷のベースを作り上げた。もし大谷選手が栗山氏と出会ってなければ、今日のような活躍は出来ていなかったのかもしれない。
- 菊池雄星:花巻東高校の先輩。上述したように、彼に憧れて花巻東に進学した。
- 藤浪晋太郎:同世代のプロ野球選手で、日本球界時代はライバルとして扱われていたこともあった。
- ダルビッシュ有:共にメジャーで活躍している日本人選手。高校生時の大谷選手は「みちのくのダルビッシュ」とも呼ばれており、ダルビッシュ選手とも交流がある。第5回WBC大会ではチームメイトとなった。
- 近藤健介:大谷選手の一つ上の先輩にして、日本ハム時代のチームメイト。現在は外野や指名打者としての出場がメインであるが、若手時代のポジションはキャッチャーで、バッテリーを組んだこともある。第5回WBC大会では2番を務めた。
- 山本由伸:第5回WBC大会では侍ジャパンのチームメイトとなり、後にドジャースでもチームメイトとなった。公私の両面で「翔平さん」「由伸」と呼称し合うほどの間柄となっている。
- 田中真美子:日本代表への招集歴もある元女子バスケットボール選手。ポジションはセンター。大谷選手の妻。
- デコピン(大谷翔平):大谷選手の2番目の愛犬(1番目のそれはすでに他界)。犬種はオランダ産のコーイケルホンディエ(人物ではないが、一応、ここに記載)。
その他
- 不可能を可能にする男:元々はとある機動戦士ロボの男子キャラクターの異名・口癖ではあるものの、MLBの常識をことごとく塗り替えてしまう大谷選手に最も相応しい代名詞となっている。
- ユニコーン:メジャーでも唯一無二な存在として、アメリカ人が彼に呼称する創造的な一角獣。
- ガブリアス:身長と体重が一緒。物理寄りだが戦法次第で二刀流も視野に入る。
- 藤井聡太:大谷選手と同じ時代に活躍しているプロ棋士で、こちらもリアルチートとの呼び声が高い。
- 羽生結弦:大谷選手と同世代のプロフィギュアスケーター。こちらも幼少期からスケートに打ち込み、様々な大会やオリンピック等で無類の強さを誇った。また、その謙虚な姿勢とスマートな外見から、老若男女問わず好かれていた。
- 茂野吾郎:漫画に登場するキャラクターだが、よく比較対象にされる。ただし、プロでは専業投手で二刀流は全くやらない(20歳前後の頃は2021年以前のナ・リーグのように登板する試合のみバッティングも熟したが、20代後半はクローザーに専念していたため、バッティングは全くやらなかった。しかし、MLBを離れてNPBに出戻った際は投手を完全に断念し、野手に転向して現在に至る)。
- 球神転生:2024年1月から連載されている野球漫画。球極の野球人(アルティメット・ボーラー)/九刀流(クトゥルー)と呼ばれた王谷翔兵衛という人物が、現役引退後は世界連合初代総裁となり、野球至上主義(ヤキュウコソガパワー)の80億人総野球人時代を作り上げたという壮大な世界観になっている。