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読売ジャイアンツの編集履歴

2022-10-30 06:52:20 バージョン

読売ジャイアンツ

よみうりじゃいあんつ

日本のセントラル・リーグに所属するプロ野球球団の一つ。

概要

保護地域(ホームエリア)は東京都。親会社は創設時から同じ読売新聞社である。

球団会社名は読売巨人軍で、通称は『ジャイアンツ』もしくはチーム名の和訳である『巨人』(一般名詞の『巨人』とはアクセントが違う)。なおドラフト会議などでは『読売』と呼ばれる。

野球をよく知らない人は混乱しやすいが、「巨人=ジャイアンツ」なので、「巨人ジャイアンツ」というチームは存在しない

チームカラーはオレンジと黒。


2021年現在の本拠地は、1軍は文京区後楽園球場を経て現在は隣接地にある日本初の完全屋内型球場の東京ドーム

イースタン・リーグに所属する2軍と3軍は、神奈川県川崎市の東京都稲城市との境、遊園地よみうりランドに隣接する「読売ジャイアンツ球場」である。


1934年に創設という日本で初めてのプロ野球チームである。現存する最古の球団であることや、当時の球団オーナーの呼びかけで興行目的の職業野球リーグが始まったことから「球界の盟主」と呼ばれる。

大手マスコミの親会社が持つ宣伝力と資金力から、選手の様々な面での待遇は最も恵まれていると言われ、名実ともに日本一の名門チームである。

巨人戦のテレビ中継を全国で展開していたことから知名度が他球団に比べて高く、「野球はよく知らなくても巨人は知っている」という人も多数いる。フランチャイズ球団のない地域に巨人ファンが多くいるのはこういう事情による。

もっとも、近年ではスポーツの多様化や、四国を除く全地方にプロ野球チームが存在するようになったため試合成績、メディア共に巨人一強の傾向は弱まりつつあり、若い世代では「巨人=某進撃漫画」のイメージが一般化しつつある(両者公認でコラボ試合をやったことも)。それでも監督・選手・スタッフいずれも高水準を維持しているため、成績や人気は安定している。


現在47回のペナントレース優勝と22回の日本シリーズ制覇を誇り、共に12球団最多である。特に1965年から73年まで、9年連続で日本一に輝くという黄金時代V9の伝説を打ち立てた。


球団史

プロ野球の産声と共に

1934年、日本プロ野球の歴史と共に大日本東京野球倶楽部が結成。

当時人気の六大学野球に対して、「職業野球」と蔑視されながら、ノーヒットノーランを3回達成した豪腕沢村栄治、初の三冠王中島治康らを擁し、高い技術を見せ付けて次第にファンを獲得。太平洋戦争で中断されるまでの9年間で8回の優勝(36年は秋季、37年は春季、38年は秋季優勝、その後は一シーズン制)を飾り、第一期黄金時代を築いた。


じゃじゃ馬・青田と赤バット・川上

プロ野球の戦争からの復興は早く、1945年(昭和20年)11月には東西対抗戦、翌年には早くもペナントレースが再開された。

混乱期の中、ジャイアンツは快進撃を続ける。1940年代こそ優勝は一回だけだが、1950年代に入ると第二期黄金時代が幕を開ける。1951年からは日本シリーズ3連覇、一年おいて1955年にも日本一になるなど、手のつけられない強さだった。この時代で忘れてはならないのが、西鉄ライオンズとの死闘である。ジャイアンツからライオンズの監督に転身した故・三原脩は、「打倒・ジャイアンツ」を目標に新興ライオンズを育て上げ、1956年から1958年にかけては、日本シリーズで三度ジャイアンツと対決し、三度ともこれを下す。ジャイアンツにとっては屈辱となったが、いずれも日本野球史上に語り継がれる熱戦となり、ファン層の拡大に大きく寄与することになった。


ONとV9

大リーグでも例を見ないV9。日本の高度成長期と歩みを共にする快進撃が始まったのは、65年(昭和40年)、川上哲治監督就任5年目からだった。この時期のジャイアンツは、長嶋茂雄王貞治というスーパースターを軸に、堀内恒夫高橋一三を中心とした投手陣、スピードに優れる柴田勲高田繁ら脇役陣も充実し、それぞれが個性を発揮。圧倒的な強さで他チームを蹴散らした。

この間、セ・リーグでは村山実江夏豊を擁する阪神タイガース星野仙一板東英二高木守道らを抱える中日ドラゴンズ、パ・リーグでは闘将・西本幸雄監督率いる阪急ブレーブスが立ちはだかったが、いずれも巨人に屈し、V独走を止めることは出来なかった。


挫折と80年代

しかしドラフト制の導入による各チームの戦力均等化が進み、さしもの巨人といえども、圧倒的な強さを発揮できた時代は終わった。

長嶋茂雄監督の初年は、屈辱のリーグ最下位。翌年は巻き返して優勝するなど、浮き沈みの激しいチーム状態が続く。川上哲治監督の後釜は、長嶋→藤田元司→王貞治→藤田(第二次)と続くが、2年連続リーグ優勝は1976~77年、1989~90年の2回だけ。各チームの力がいかに拮抗していたかが分かる。

この時期最大の話題は、王貞治の本塁打世界記録。1976年10月11日、ベーブ・ルースを超える715号本塁打、77年9月にはハンク・アーロンの大リーグ記録を破る756号本塁打を放つ。80年にバットを置くまで、積み重ねた本塁打は868本と、まさに前人未到の記録を打ち立てた。

この時期に育てた若手には、小林繁西本聖角三男鹿取義隆中畑清河埜和正松本匡史篠塚和典原辰徳等がいたが、小林に関しては江川事件がきっかけとなりライバル球団、阪神タイガースにトレードされるという悲劇に見舞われた。

やがて1988年、本拠地が日本初のドーム球場、東京ドームに変わる。


ミスター復権

Jリーグ人気に押され、プロ野球の危機が叫ばれていた1993年、長嶋茂雄監督が復帰。プロ野球人気は一気に盛り返した。

1994年は、史上初の同率首位チーム同士の最終試合直接対決(10.8決戦)で、中日を下し優勝。1996年にはセ・リーグ史上初の広島との最大11.5ゲーム差をはねかえして優勝。この大逆転優勝は長嶋が「メークドラマ」と命名、流行語にもなった。劇的な試合展開、スリリングなペナントレースは、ファンの心をがっちりつかんだ。

この頃の選手には松井秀喜仁志敏久二岡智宏桑田真澄斎藤雅樹槙原寛己高橋由伸などがいる。

だが球団の上層部が日本球界に対し、強引に自球団に有利な制度(ドラフトの逆指名制度やFA制度など)の導入を押しつけ、他球団の大物選手を次々に獲得する行為を(現在に至るまで)大々的に行ったために、他球団(とそのファン)からはこれまで以上に憎しみを買い、また従来のファンが離れていったのも事実である。

同時にチーム内の戦力バランスも大きく損ない、時間をかけた若手の育成が年を追うごとに困難になり、結果として(これも現在に至るまで)毎年のように対症療法的な補強を繰り返す負の遺産を抱え込むことになる。特に、西武ライオンズのスター選手で長嶋巨人に憧れていた清原和博は巨人入団という10年越しの夢が叶うもケガ等で成績は徐々に低迷し、漫画でもネタにされるなど戦力補強としては大きく失敗となった。

長嶋監督は21世紀最初の2001年シーズンを最後に勇退(終身名誉監督に就任)し、原辰徳新監督の元で、2002年シーズンからの戦いが始まった。


育成と補強の狭間で

原監督初年度は優勝、そして日本一で飾ったが、翌年2003年にライバルである阪神タイガースに優勝されると原監督は退任する。それから堀内恒夫が監督に就任したが、暫く優勝できないシーズンが続き、暗黒時代へと突入する。

この時期からほぼ毎日放送されていた日テレの巨人戦が視聴率低迷から大幅に削減され、放送は週末のデーゲームが中心になる。

また、プロ野球再編問題が起こり、オーナーであった渡邊会長が選手軽視の発言をしたり、巨人(と阪神、横浜)がアマチュアの選手を獲得するために金銭を受け渡していたことが発覚(一場事件)。渡辺は球団社長の座を降りつつも会長職に就いて影響力は保ったが、巨人の独断や独走を監視する姿勢は強まった。

堀内監督辞任後は再び原監督が復帰、フロントもそこから意識を変え、坂本勇人亀井義行といった無名の若手が台頭するようになると、2007年から2009年までにセ・リーグとしては久々の3連覇を達成、2009年には7年ぶりの日本一を達成。

2010年、2011年はともに3位に終わるが、2012年から2014年と再び3連覇を達成。2012年には3年ぶりの対決となった北海道日本ハムファイターズを再び破って日本一に輝いたが、2013年は東北楽天ゴールデンイーグルスに初の日本一を許し、2014年はクライマックスシリーズで阪神に4連敗を喫し、日本シリーズ出場を逃した。2015年は序盤から打撃陣の不振が続いたが、菅野智之マイルズ・マイコラス、クローザー転向の澤村拓一ら投手陣の奮闘とチーム力で東京ヤクルトスワローズ、阪神、広島東洋カープとの大混戦の優勝争いを演じる。最後はヤクルトに優勝を明け渡す形となり、V逸の責任を取って原監督が退任。野球賭博による一連の問題が明るみに出たこともあり後任人事が危ぶまれたが、高橋由伸の引退と監督就任という形に落ち着いた。


高橋監督時代の低迷

2016年は辛うじて2位を死守したが、若手の伸び悩みによる層の薄さがたたって広島東洋カープに独走を許したあげく、クライマックスシリーズ(以下、CS)第1ステージで3位・横浜DeNAベイスターズに敗退。オフに交換トレードで日本ハムから吉川光夫石川慎吾東北楽天から柿沢貴裕、FAで福岡ソフトバンクホークスから森福允彦、横浜DeNAから山口俊、日本ハムから陽岱鋼を獲得するなど、30億円もの大補強で大胆な血の入れ替えを行った。東北楽天ゴールデンイーグルスでプレー経験のあったケーシー・マギーも加入。

しかし2017年、オフの大補強組は石川を除いて故障者と不調者ばかりでまるで戦力にならなかったばかりか、交流戦前の広島戦では全く歯が立たず1勝11敗という大ブレーキとなり、ペナントレースから脱落。不調のまま突入した交流戦では13連敗を喫し、1975年以来42年ぶりにワースト記録を更新してしまった。シーズンは4位で終わり、初めてCS出場を逃した。


2018年は菅野智之が15勝8敗で沢村賞を受賞、岡本和真が22歳にして打率3割・30本塁打・100打点を達成。さらには若手左腕の今村信貴、育成選手から支配下に登録されたC.C.メルセデスがローテーション入り、サムエル・アダメスがセットアッパーとして活躍するが、彼ら以外の選手に目立った活躍がなく3位。CS第2ステージでは、広島に3連敗を喫する屈辱を味わった。高橋監督は今季限りでの辞任を表明、後任は原が3度目の登板。


原監督第3期。大規模補強と血の入れ替えを行うも……

古くからの首脳陣を一新し、新たなコーチとして宮本和知元木大介などを起用。また長らくベテランとして活躍していた長野久義内海哲也をFAの人的補償として放出するなど大胆な血の入れ替えを行った。また、それと同時に大規模な補強も行い、西武からFA宣言した炭谷銀仁朗、オリックスを自由契約となった中島宏之MLBパドレスからはクリスチャン・ビヤヌエバマリナーズからライアン・クック岩隈久志らを獲得した。

2019年は一時期2位DeNAに0.5ゲーム差まで詰め寄られたが、5年ぶりにリーグ優勝を達成。平成元年に続いて令和元年もリーグ優勝を決めた。CS第2ステージでは3位阪神を下して日本シリーズに進出するが、2000年シーズン以来の対戦となったソフトバンク戦では、相手の勢いを止められないまま1勝もなく屈辱の4連敗を味わった。


阿部慎之助が現役を引退し2020年シーズンよりチームの2軍監督。また、古巣・日ハムに復帰して兼任育成コーチに就任していた實松一成や、独立リーグの監督を務めていた二岡、昨シーズンを以て引退した山口鉄也、元ヤクルトの加藤健らを2軍・3軍の首脳陣として起用した。オフでのFA選手補強は無かったが、2020年シーズン突入後高梨雄平ゼラス・ウィーラーなどをトレードで獲得することになる。

2020年はシーズン中盤から独走状態で、最終的には2位・阪神と7・5ゲーム差をつけて連覇を達成。ホーム最終戦では、序盤から不調ながら持ち直した坂本勇人が31歳の若さで通算2000本安打に到達した。日本シリーズでは前年と同じソフトバンク戦が組まれたが、(かつての阪神対ロッテ戦の「33-4」を連想させる)4戦合計「26-4とほぼ一方的な試合展開により、この年も屈辱の4連敗を味わった。


桑田真澄を投手チーフコーチ補佐に召集して臨んだ2021年。FAで横浜DeNAから梶谷隆幸井納翔一を獲得。また廣岡大志中田翔をトレードで獲得、MLBから山口俊が途中復帰。そしてエリック・テームズジャスティン・スモークスコット・ハイネマンが新外国人野手として入団したが、これら補強は(先発ローテーションに入った山口を除いて)大失敗。後半戦は先発ローテーションを中4・5日で回したりマシンガン継投を展開したりで大失速し、Bクラス入りは免れたものの3位で終了。ちなみに「伝統の一戦」阪神戦は14年ぶりに負け越した。クライマックスシリーズでは阪神に2勝1敗とやり返してファイナルステージ進出もヤクルトに2(+アドバンテージの1)敗1分けで終了。

2022年。原監督は多数の支配下登録選手を育成落ちさせて、現有戦力のシャッフルを敢行した。シーズン序盤に両リーグ最速20勝に到達したものの、若手選手のスタミナ不足により徐々に失速。チーム防御率はリーグ最下位を記録し、(CS進出をかけた)阪神・広島との3位争いに敗れBクラス・4位で終了。新人の翁田大勢が抑えとして好投した。


フィクション作品における読売ジャイアンツ

ジャイアンツに所属する選手が主人公となる作品として、巨人の星侍ジャイアンツミラクルジャイアンツ童夢くんリトル巨人くんなどがある。

主人公以外では、ドカベン微笑三太郎が所属していた。

60年~80年代は選手の肖像権の概念が薄いため作品の中で実名で登場する選手も多かった。少年たちの間で「巨人のプロ野球選手になる」ことは将来の夢の中でも人気のあるものの一つであった。


河合じゅんじ作の漫画「かっとばせ!キヨハラくん」「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」ではジャイアンツを元ネタとした球団「東京カイアンツ」が登場しており、「マツイくん」ではそれがメインに描かれている。


パワプロシリーズでは、サクセスモードでのライバルの一人猪狩守がプロ入り後に何度か所属している。


選手・スタッフ一覧

2022年8月5日現在

監督・コーチ

一軍

背番号名前役職
83原辰徳監督
77元木大介ヘッド兼オフェンスチーフコーチ
80阿部慎之助作戦兼ディフェンスチーフコーチ
88金杞泰打撃コーチ
78横川史学打撃コーチ
75村田修一打撃兼内野守備コーチ
79亀井善行外野守備走塁コーチ
73桑田真澄投手チーフコーチ
71山口鉄也投手コーチ
82實松一成バッテリーコーチ
74村田善則ブルペンコーチ
なし穴吹育大トレーニングコーチ

二軍

背番号名前役職
76二岡智宏監督
72小笠原道大打撃コーチ
85三澤興一投手コーチ
81青木高広投手コーチ
86古城茂幸内野守備走塁コーチ
84松本哲也外野守備走塁コーチ
89加藤健バッテリーコーチ
なし石森卓トレーニングコーチ

三軍

背番号名前役職
70駒田徳広監督
105後藤孝志打撃コーチ
101杉内俊哉投手コーチ
107矢貫俊之投手コーチ
103金城龍彦守備走塁コーチ
102市川友也バッテリーコーチ
100安藤強総合コーチ
なしジョン・ターニートレーニングコーチ

巡回

背番号名前役職
106会田有志巡回トレーニング総括
108大竹寛トレーニング統括補佐

所属選手

投手

背番号名前備考
11平内龍太
12ルビー・デラロサ
15大勢2021年ドラフト1位
17山口俊99から背番号変更
18菅野智之選手会長
19山崎伊織
20戸郷翔征
21井納翔一
26今村信貴
28山田龍聖2021年ドラフト2位
29マット・アンドリース新外国人
30鍵谷陽平
31赤星優志2021年ドラフト3位
33太田龍
35桜井俊貴
41中川皓太
42C.C.メルセデス
45畠世周
46鍬原拓也育成から支配下登録
47髙橋優貴
49チアゴ・ビエイラ
50戸根千明
53高梨雄平
54直江大輔
56石田隼都2021年ドラフト4位
57高木京介
58山本一輝
62横川凱育成から支配下登録
63花田侑樹2021年ドラフト7位
64大江竜聖
65イアン・クロール新外国人
68代木大和2021年ドラフト6位
90戸田懐生
91堀田賢慎育成から支配下登録
96菊地大稀育成から支配下登録・2021年育成ドラフト6位
97井上温大育成から支配下登録
99マット・シューメーカー新外国人
002ダニエル・ミサキ育成選手
011笠島尚樹育成選手
014京本眞育成選手・2021年育成ドラフト7位
015川嵜陽仁育成選手・2021年育成ドラフト9位
016高田竜聖育成選手・2021年育成ドラフト2位
017奈良木陸育成選手
018木下幹也育成選手
028富田龍育成選手・2021年育成ドラフト8位
030山﨑友輔育成選手
040谷岡竜平育成選手
046與那原大剛育成選手
047鴨打瑛二育成選手・2021年育成ドラフト5位
051阿部剣友育成選手
056伊藤優輔育成選手
059田中豊樹育成選手
068鈴木優育成選手・オリックスから移籍
092沼田翔平育成選手
095堀岡隼人育成選手

捕手

背番号名前備考
22小林誠司副キャプテン
24大城卓三
27岸田行倫38から背番号変更
67山瀬慎之助
69萩原哲
94喜多隆介
006坂本勇人育成選手
010大津綾也育成選手・2021年育成ドラフト10位
022亀田啓太育成選手・2021年育成ドラフト3位
024前田研輝育成選手

内野手

背番号名前備考
00湯浅大
0増田大輝
2吉川尚輝29から背番号変更
5中島宏之
6坂本勇人キャプテン
10中田翔
25岡本和真
32廣岡大志
37若林晃弘
40中川礼都
48ゼラス・ウィーラー
52北村拓己
55秋広優人68から背番号変更
60菊田拡和
61増田陸育成から支配下登録
66香月一也育成から支配下登録
92勝俣翔貴育成から支配下登録・オリックスから移籍
001加藤廉育成選手
007ホセ・デラクルーズ育成選手
021黒田響生育成選手
025岡本大翔育成選手
093平間隼人育成選手
098エスタミー・ウレーニャ育成選手

外野手

背番号名前備考
8丸佳浩
9松原聖弥31から背番号変更
13梶谷隆幸
23グレゴリー・ポランコ新外国人
36石川慎吾
38岡田悠希2021年ドラフト5位
39立岡宗一郎
43重信慎之介
44アダム・ウォーカー新外国人
51八百板卓丸
003鈴木大和育成選手・2021年育成ドラフト1位
009笹原操希育成選手・2021年育成ドラフト4位
013フリアン・ティマ育成選手
055保科広一育成選手
097伊藤海斗育成選手


過去に所属した選手

相川亮二

会田有志

青木高広

青田昇

朝井秀樹

浅野啓司

阿部慎之助

有田修三

淡口憲治

阿波野秀幸

池田駿

石井浩郎

石井義人

石毛博史

一岡竜司

市川友也

井上真二

井端弘和

入来智

入来祐作

岩隈久志

上田和明

上原浩治

宇佐見真吾

内海五十雄

内海哲也

江川卓

江藤智

王貞治

大久保博元

大西崇之

大田泰示

大竹寛

大西崇之

大野倫

大村三郎

岡崎郁

小笠原道大

岡島秀樹

緒方耕一

岡本光

小関竜也

小田幸平

越智大祐

落合博満

柿澤貴裕

笠原将生

柏田貴史

片岡治大

香月良太

加藤健

加藤英司

門倉健

鹿取義隆

金田正一

金刃憲人

亀井義行(善行)

川相昌弘

川上哲治

川口和久

川中基嗣

河原純一

河本育之

木佐貫洋

岸川勝也

北篤

木田優夫

木村拓也

木村正太

木村龍治

清原和博

金城龍彦

工藤公康

工藤隆人

久保裕也

公文克彦

黒江透修

黒沢俊夫

桑田真澄

香田勲男

河埜和正

河野博文

小久保裕紀

小坂誠

後藤孝志

小林繁

小林雅英

駒田徳広

小山雄輝

斎藤雅樹

酒井順也

栄村忠広

定岡正二

真田裕貴

實松一成

沢村栄治

澤村拓一

篠塚和典

柴田勲

清水隆行

城之内邦雄

條辺剛

末次利光

杉内俊哉

勝呂壽統

鈴木尚広

須藤豊

角三男

炭谷銀仁朗

関本四十四

平良拳太郎

高木勇人

高木康成

高田繁

高田誠

高橋一三

高橋信夫

高橋尚成

高橋由伸

田口麗斗

田中俊太

田中貴也

谷佳知

田畑一也

田原誠次

千葉茂

長野久義

辻内崇伸

円谷英俊

鶴岡一成

寺内崇幸

土井正三

東野峻

堂上剛裕

豊田清

中井大介

中尾孝義

中島治康

中畑清

長嶋一茂

長嶋茂雄

二岡智宏

仁志敏久

仁村薫

西村健太朗

西本聖

野上亮磨

野口茂樹

野村克則

橋本到

橋本清

馬場正平

林昌範

原辰徳

張本勲

広岡達朗

広澤克実

廣田浩章

福井敬治

福王昭仁

福田聡志

藤井秀悟

藤田宗一

藤田浩雅

藤田元司

藤村大介

藤本英雄

古城茂幸

別所毅彦

堀内恒夫

星孝典

マイケル中村

前田幸長

槙原寛己

松井秀喜

松本匡史

松本哲也

松本竜也

三沢興一

水野雄仁

水原茂

宮國椋丞

宮本和知

村田修一

村田真一

村田透

村田善則

元木大介

森昌彦

森福允彦

屋鋪要

柳沢裕一

矢貫俊之

矢野謙次

山倉和博

山口鉄也

山本功児

山本泰寛

湯口敏彦

陽岱鋼

横川史学

吉岡雄二

吉川大幾

吉川光夫

吉田孝司

吉武真太郎

吉原孝介

吉村禎章

四條稔

与那嶺要

脇谷亮太

渡辺秀武

外国人

ジョン・シピン

ビル・ガリクソン

ウォーレン・クロマティ

呂明賜

シェーン・マック

ヘンリー・コトー

ジャック・ハウエル

バルビーノ・ガルベス

ドミンゴ・マルティネス

趙成珉

ダレル・メイ

ロベルト・ペタジーニ

タフィ・ローズ

ダン・ミセリ

ブライアン・シコースキー

ジェレミー・パウエル

李承燁

アレックス・ラミレス

セス・グライシンガー

マーク・クルーン

ディッキー・ゴンザレス

レビ・ロメロ

デニス・ホールトン

ホセ・ロペス

ジョン・ボウカー

ホアン・フランシスコ

フレデリク・セペダ

レスリー・アンダーソン

ルイス・クルーズ

マイルズ・マイコラス

ギャレット・ジョーンズ

アルキメデス・カミネロ

ケーシー・マギー

スコット・マシソン

ライアン・クック

テイラー・ヤングマン

クリスチャン・ビヤヌエバ

アレックス・ゲレーロ

ジェラルド・パーラ

ジャスティン・スモーク

エリック・テームズ

エンジェル・サンチェス



永久欠番

1・王貞治

3・長嶋茂雄

4・黒沢俊夫

14・沢村栄治

16・川上哲治

34・金田正一


マスコット

333・ジャビィ

555・ジャバ

777・ビッキー


その他ファミリーが数名存在する。


球団歌

現在の公式球団歌は『闘魂こめて』。

ただし現在のリリース名とは別の正式名称は『巨人軍の歌(闘魂こめて)』であるとされる。


関連サイト

公式ページ


関連項目

野球 プロ野球 NPB セントラル・リーグセ・リーグ

東京ドーム 後楽園球場 よみうりランド 読売新聞

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