概要
正式名称は「日本選手権シリーズ」。
セントラル・リーグとパシフィック・リーグのクライマックスシリーズの勝者同士が対戦し、日本一を決める。2003年以前は単純にそれぞれのリーグ戦の1位(優勝)チーム同士の対戦であった。また、一時期パ・リーグが前後期制をひいていた事もあり、前後期で優勝チームが分かれた場合プレーオフを行っていた。
パ・リーグでは2004年から、1シーズン制の1~3位チームによるプレーオフが行われ、これを発展させる形で2007年からセ・リーグでもパと合わせてクライマックスシリーズが開始。現行の制度となった。
ゲームは7試合で、先に4勝したチームが日本一となる。日本一が決定した時点で終了し、残りの試合は行われない。第6戦までは延長12回引き分けとなり、延長無制限となる第7戦終了時点でどちらのチームも4勝していなかった場合は8試合目以降も行われる。例えば1986年の西武対広島は第1戦が引き分けとなり、8試合目で決着した。
球団ごとの出場記録(消滅球団含む)
現行の12球団で、最も多く日本一になっているのは読売ジャイアンツ。出場回数も最多。逆に最も少ないのは阪神タイガースと東北楽天ゴールデンイーグルス。出場回数だけで言えば東北楽天ゴールデンイーグルスが最少。
東北楽天ゴールデンイーグルスが2013年に日本一になったことにより、現行の全12球団が日本一を経験したこととなった(ただし、横浜DeNAベイスターズのみ現行球団では達成していない)。なお、イーグルスは2021年末現在1回の出場にとどまっているため、現行12球団で唯一日本シリーズで敗退したことのない球団である。
球団創立から最も早く日本一になったのは千葉ロッテマリーンズ(1950年、創設初年度、当時毎日オリオンズ)、逆に最も遅く日本一になったのは阪神タイガース(1985年、創設から51年目)。
前回の日本一から次の日本一まで最も期間が空いたのは中日ドラゴンズ(1954年から2007年までの53年)、出場の期間が空いたのは横浜DeNAベイスターズ(大洋ホエールズ時代1960年から横浜ベイスターズ時代1998年までの38年)。
2022年時点で最も日本一から遠ざかっているのは広島東洋カープ(36年間達成なし)、出場から遠ざかっているのは埼玉西武ライオンズ(13年間出場なし)。
セントラル・リーグ所属の球団
※それぞれの記録には前身球団を含む
球団 | 出場回数/優勝回数 | 最終出場年度 | 最終優勝年度 |
---|---|---|---|
読売ジャイアンツ | 36/22 | 2020 | 2012 |
中日ドラゴンズ | 10/2 | 2011 | 2007 |
東京ヤクルトスワローズ | 9/6 | 2022 | 2021 |
広島東洋カープ | 8/3 | 2018 | 1984 |
阪神タイガース | 6/1 | 2014 | 1985 |
横浜DeNAベイスターズ | 3/2 | 2017 | 1998 |
松竹ロビンス(消滅球団) | 1/0 | 1950 | (優勝できず) |
西日本パイレーツ(消滅球団) | 0/0 | (出場なし) |
パシフィック・リーグ所属の球団
※それぞれの記録には前身球団を含む
球団 | 出場回数/優勝回数 | 最終出場年度 | 最終優勝年度 |
---|---|---|---|
埼玉西武ライオンズ | 21/13 | 2008 | 2008 |
福岡ソフトバンクホークス | 20/11 | 2020 | 2020 |
オリックス・バファローズ | 14/5 | 2022 | 2022(New!!) |
千葉ロッテマリーンズ | 6/4 | 2010 | 2010 |
北海道日本ハムファイターズ | 7/3 | 2016 | 2016 |
東北楽天ゴールデンイーグルス | 1/1 | 2013 | 2013 |
大阪近鉄バファローズ(消滅球団) | 4/0 | 2001 | (優勝できず) |
大映ユニオンズ(消滅球団) | 0/0 | (出場なし) | |
高橋ユニオンズ(消滅球団) | 0/0 | (出場なし) |
名称
1950年、2リーグ制がスタートした際に始まり、当時はMLBのワールドシリーズにならって「日本ワールドシリーズ」という名称だった。2011年から2013年まで、ゲームメーカーのコナミがスポンサーとなり、「コナミ日本シリーズ」の名称で開催。2014年以降は三井住友銀行がスポンサーを務め、「SMBC日本シリーズ」として開催されている。
歴史
ここからは、10年毎に区切って過去の日本シリーズの結果を紹介する。
2022年終了時点で73回開催されており、シリーズ全体の勝敗で見た場合、2022年終了時点でパ・リーグが37勝36敗と勝ち越している。
回次にリンク先があるものには、個別記事がある。
プレーオフおよびクライマックスシリーズが導入されていた年(1973年~1982年および2004年以降)は、レギュラーシーズンの順位を【】で表す。
1950年代
年(回次) | 勝利チーム(監督) | 星取り(左から順) | 敗退チーム(監督) | MVP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1950年(第1回) | 毎日(湯浅禎夫) | 〇〇●●〇〇 | 松竹(小西得郎) | 別当薫 | ミサイル打線VS水爆打線 |
1951年(第2回) | 巨人(水原茂) | 〇〇〇●〇 | 南海(山本一人) | 南村不可止 | 日米野球開催のため、日程が繰り上がった |
1952年(第3回) | 巨人(水原茂) | 〇〇●〇●〇 | 南海(山本一人) | 別所毅彦 | 別所が3勝を挙げる |
1953年(第4回) | 巨人(水原茂) | ●〇△〇〇●〇 | 南海(山本一人) | 別所毅彦 | この年から敢闘賞が導入、日米野球の影響で移動日はなかった |
1954年(第5回) | 中日(天知俊一) | 〇〇●●〇●〇 | 西鉄(三原脩) | 杉下茂 | 杉下が7試合中5試合登板、うち4試合完投し3勝1敗 |
1955年(第6回) | 巨人(水原円裕) | 〇●●●〇〇〇 | 南海(山本一人) | 別所毅彦 | 別所が第4戦から4連投 |
1956年(第7回) | 西鉄(三原脩) | ●〇〇〇●〇 | 巨人(水原円裕) | 豊田泰光 | 「巌流島の戦い」、稲尾は6試合全てに登板 |
1957年(第8回) | 西鉄(三原脩) | 〇〇〇△〇 | 巨人(水原円裕) | 大下弘 | 引き分けを挟んで4連勝、すべて1点差ゲーム |
1958年(第9回) | 西鉄(三原脩) | ●●●〇〇〇〇 | 巨人(水原円裕) | 稲尾和久 | 「神様・仏様・稲尾様」 |
1959年(第10回) | 南海(鶴岡一人) | 〇〇〇〇 | 巨人(水原円裕) | 杉浦忠 | 史上初の引き分けを挟まない4連勝 |
1960年代
年(回次) | 勝利チーム(監督) | 星取り(左から順) | 敗退チーム(監督) | MVP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1960年(第11回) | 大洋(三原脩) | 〇〇〇〇 | 大毎(西本幸雄) | 近藤昭仁 | 4試合すべて1点差ゲーム |
1961年(第12回) | 巨人(川上哲治) | ●〇〇〇●〇 | 南海(鶴岡一人) | 宮本敏雄 | 雨天中止が4度もあった |
1962年(第13回) | 東映(水原茂) | ●●△〇〇〇〇 | 阪神(藤本定義) | 土橋正幸、種茂雅之 | この年のみMVPが2人出た(バッテリー同士での受賞) |
1963年(第14回) | 巨人(川上哲治) | ●〇〇●〇●〇 | 西鉄(中西太) | 長嶋茂雄 | 長嶋が初のMVPを受賞 |
1964年(第15回) | 南海(鶴岡一人) | 〇●●〇●〇〇 | 阪神(藤本定義) | ジョー・スタンカ | 東京オリンピックの年は御堂筋決戦 |
1965年(第16回) | 巨人(川上哲治) | 〇〇〇●〇 | 南海(鶴岡一人) | 長嶋茂雄 | V9の始まり |
1966年(第17回) | 巨人(川上哲治) | 〇●〇〇●〇 | 南海(鶴岡一人) | 柴田勲 | 鶴岡監督はこれが最後の出場 |
1967年(第18回) | 巨人(川上哲治) | 〇〇〇●●〇 | 阪急(西本幸雄) | 森昌彦 | 阪急はこれが初出場 |
1968年(第19回) | 巨人(川上哲治) | ●〇〇〇●〇 | 阪急(西本幸雄) | 高田繁 | 高田が近藤昭仁以来の新人でMVP受賞 |
1969年(第20回) | 巨人(川上哲治) | 〇●〇〇●〇 | 阪急(西本幸雄) | 長嶋茂雄 | 第4戦でシリーズ初の退場事件が起こる |
1970年代
年(回次) | 勝利チーム(監督) | 星取り(左から順) | 敗退チーム(監督) | MVP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1970年(第21回) | 巨人(川上哲治) | 〇〇〇●〇 | ロッテ(濃人渉) | 長嶋茂雄 | どちらも東京が本拠地だった |
1971年(第22回) | 巨人(川上哲治) | 〇●〇〇〇 | 阪急(西本幸雄) | 末次民夫 | 王のサヨナラ本塁打 |
1972年(第23回) | 巨人(川上哲治) | 〇〇●〇〇 | 阪急(西本幸雄) | 堀内恒夫 | 前年と同じ勝敗で決着 |
1973年(第24回) | 巨人(川上哲治) | ●〇〇〇〇 | 南海【前期1位】(野村克也) | 堀内恒夫 | 巨人9連覇達成、南海最後の出場 |
1974年(第25回) | ロッテ【後期1位】(金田正一) | ●〇●〇〇〇 | 中日(与那嶺要) | 弘田澄男 | 当時ロッテは宮城球場を暫定本拠地としていたが、後楽園球場で開催 |
1975年(第26回) | 阪急【前期1位】(上田利治) | △〇〇△〇〇 | 広島(古葉竹識) | 山口高志 | 広島初出場、両監督とも広島OB |
1976年(第27回) | 阪急【前後期共に1位】(上田利治) | 〇〇〇●●●〇 | 巨人(長嶋茂雄) | 福本豊 | 阪急は6度目の挑戦で巨人に初勝利 |
1977年(第28回) | 阪急【前期1位】(上田利治) | 〇〇●〇〇 | 巨人(長嶋茂雄) | 山田久志 | 阪急として最後の日本一 |
1978年(第29回) | ヤクルト(広岡達朗) | ●〇●〇〇●〇 | 阪急【前後期共に1位】(上田利治) | 大杉勝男 | 1時間19分に及ぶ抗議 |
1979年(第30回) | 広島(古葉竹識) | ●●〇〇〇●〇 | 近鉄【前期1位】(西本幸雄) | 高橋慶彦 | 江夏の21球で広島初の日本一 |
1980年代
年(回次) | 勝利チーム(監督) | 星取り(左から順) | 敗退チーム(監督) | MVP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1980年(第31回) | 広島(古葉竹識) | ●●〇〇●〇〇 | 近鉄【後期1位】(西本幸雄) | ジム・ライトル | 近鉄主催試合は日生球場や藤井寺球場ではなく大阪球場 |
1981年(第32回) | 巨人(藤田元司) | ●〇●〇〇〇 | 日本ハム【後期1位】(大沢啓二) | 西本聖 | 全試合後楽園球場で開催された「後楽園決戦」 |
1982年(第33回) | 西武【前期1位】(広岡達朗) | 〇〇●●〇〇 | 中日(近藤貞雄) | 東尾修 | 流れを変えた「石ころ事件」 |
1983年(第34回) | 西武(広岡達朗) | 〇●●〇●〇〇 | 巨人(藤田元司) | 太田卓司 | 終盤逆転4度、サヨナラ勝ち3度の大激闘 |
1984年(第35回) | 広島(古葉竹識) | 〇●〇〇●●〇 | 阪急(上田利治) | 長嶋清幸 | 9年越しの雪辱、阪急最後の出場 |
1985年(第36回) | 阪神(吉田義男) | 〇〇●●〇〇 | 西武(広岡達朗) | ランディ・バース | 阪神が初の日本一 |
1986年(第37回) | 西武(森祇晶) | △●●●〇〇〇〇 | 広島(阿南準郎) | 工藤公康 | 史上唯一第8戦まで縺れた |
1987年(第38回) | 西武(森祇晶) | ●〇〇●〇〇 | 巨人(王貞治) | 工藤公康 | KK対決、清原の涙 |
1988年(第39回) | 西武(森祇晶) | 〇●〇〇〇 | 中日(星野仙一) | 石毛宏典 | 昭和最後の日本シリーズ、台湾人対決 |
1989年(第40回) | 巨人(藤田元司) | ●●●〇〇〇〇 | 近鉄(仰木彬) | 駒田徳広 | 平成最初の日本シリーズ、「巨人はロッテより弱い」 |
1990年代
年(回次) | 勝利チーム(監督) | 星取り(左から順) | 敗退チーム(監督) | MVP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1990年(第41回) | 西武(森祇晶) | 〇〇〇〇 | 巨人(藤田元司) | オレステス・デストラーデ | 「監督がヘボだから負けた」 |
1991年(第42回) | 西武(森祇晶) | 〇●〇●●〇〇 | 広島(山本浩二) | 秋山幸二 | 広島はここから25年間遠ざかる |
1992年(第43回) | 西武(森祇晶) | ●〇〇〇●●〇 | ヤクルト(野村克也) | 石井丈裕 | 7試合中4試合が延長戦の死闘 |
1993年(第44回) | ヤクルト(野村克也) | 〇〇●〇●●〇 | 西武(森祇晶) | 川崎憲次郎 | 前年の雪辱、森監督の不敗神話途切れる |
1994年(第45回) | 巨人(長嶋茂雄) | ●〇〇●〇〇 | 西武(森祇晶) | 槙原寛己 | 長嶋が監督として初の日本一 |
1995年(第46回) | ヤクルト(野村克也) | 〇〇〇●〇 | オリックス(仰木彬) | トーマス・オマリー | 小林・オマリーの14球 |
1996年(第47回) | オリックス(仰木彬) | 〇〇〇●〇 | 巨人(長嶋茂雄) | トロイ・ニール | 星取りが前年と同じ、最初で最後のイチローVS松井 |
1997年(第48回) | ヤクルト(野村克也) | 〇●〇〇〇 | 西武(東尾修) | 古田敦也 | ホージーのグリップエンド打法 |
1998年(第49回) | 横浜(権藤博) | 〇〇●●〇〇 | 西武(東尾修) | 鈴木尚典 | マシンガン打線で38年ぶりの日本一 |
1999年(第50回) | ダイエー(王貞治) | 〇●〇〇〇 | 中日(星野仙一) | 秋山幸二 | 35年ぶり福岡移転後初の日本一 |
2000年代
年(回次) | 勝利チーム(監督) | 星取り(左から順) | 敗退チーム(監督) | MVP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
2000年(第51回) | 巨人(長嶋茂雄) | ●●〇〇〇〇 | ダイエー(王貞治) | 松井秀喜 | 20世紀最後の日本シリーズ、最初で最後のON対決 |
2001年(第52回) | ヤクルト(若松勉) | 〇●〇〇〇 | 近鉄(梨田昌孝) | 古田敦也 | 21世紀最初の日本シリーズ、近鉄最後の日本シリーズ |
2002年(第53回) | 巨人(原辰徳) | 〇〇〇〇 | 西武(伊原春樹) | 二岡智宏 | ゴジラ松井VSリトル松井 |
2003年(第54回) | ダイエー(王貞治) | 〇〇●●●〇〇 | 阪神(星野仙一) | 杉内俊哉 | 内弁慶シリーズ |
2004年(第55回) | 西武【2位】(伊東勤) | 〇●〇●●〇〇 | 中日(落合博満) | 石井貴 | 2位からの日本一 |
2005年(第56回) | ロッテ【2位】(ボビー・バレンタイン) | 〇〇〇〇 | 阪神(岡田彰布) | 今江敏晃 | 両軍の総得点は33-4 |
2006年(第57回) | 日本ハム【1位】(トレイ・ヒルマン) | ●〇〇〇〇 | 中日(落合博満) | 稲葉篤紀 | 「シンジラレナーイ!」44年ぶりの日本一 |
2007年(第58回) | 中日【2位】(落合博満) | ●〇〇〇〇 | 日本ハム【1位】(トレイ・ヒルマン) | 中村紀洋 | 前年の雪辱、山井大介の準完全試合 |
2008年(第59回) | 西武【1位】(渡辺久信) | 〇●●〇●〇〇 | 巨人【1位】(原辰徳) | 岸孝之 | 岸のカーブが巨人を封じた |
2009年(第60回) | 巨人【1位】(原辰徳) | 〇●〇●〇〇 | 日本ハム【1位】(梨田昌孝) | 阿部慎之助 | 巨人7年ぶりの日本一 |
2010年代
年(回次) | 勝利チーム(監督) | 星取り(左から順) | 敗退チーム(監督) | MVP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
2010年(第61回) | ロッテ【3位】(西村徳文) | 〇●〇●〇△〇 | 中日【1位】(落合博満) | 今江敏晃 | 3位からの下剋上 |
2011年(第62回) | ソフトバンク【1位】(秋山幸二) | ●●〇〇〇●〇 | 中日【1位】(落合博満) | 小久保裕紀 | ソフトバンクになってから初の日本一 |
2012年(第63回) | 巨人【1位】(原辰徳) | 〇〇●●〇〇 | 日本ハム【1位】(栗山英樹) | 内海哲也 | 多田野数人VS加藤健 |
2013年(第64回) | 楽天【1位】(星野仙一) | ●〇〇●〇●〇 | 巨人【1位】(原辰徳) | 美馬学 | 楽天初の日本一 |
2014年(第65回) | ソフトバンク【1位】(秋山幸二) | ●〇〇〇〇 | 阪神【2位】(和田豊) | 内川聖一 | 守備妨害で日本一決定 |
2015年(第66回) | ソフトバンク【1位】(工藤公康) | 〇〇●〇〇 | ヤクルト【1位】(真中満) | 李大浩 | トリプルスリー対決 |
2016年(第67回) | 日本ハム【1位】(栗山英樹) | ●●〇〇〇〇 | 広島【1位】(緒方孝市) | ブランドン・レアード | 札幌VS広島の遠距離シリーズ |
2017年(第68回) | ソフトバンク【1位】(工藤公康) | 〇〇〇●●〇 | DeNA【3位】(アレックス・ラミレス) | デニス・サファテ | 3年連続で外国人がMVP |
2018年(第69回) | ソフトバンク【2位】(工藤公康) | △●〇〇〇〇 | 広島【1位】(緒方孝市) | 甲斐拓也 | 甲斐キャノンが炸裂した平成最後の日本シリーズ |
2019年(第70回) | ソフトバンク【2位】(工藤公康) | 〇〇〇〇 | 巨人【1位】(原辰徳) | ジュリスベル・グラシアル | 令和最初の日本シリーズ、ソフトバンク史上初の3連覇および2010年代内における日本シリーズでのセ・リーグ全6球団撃破達成 |
2020年代
年(回次) | 勝利チーム(監督) | 星取り(左から順) | 敗退チーム(監督) | MVP | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
2020年(第71回) | ソフトバンク【1位】(工藤公康) | 〇〇〇〇 | 巨人(原辰徳) | 栗原陵矢 | 60年ぶりとなる2年連続の4タテ |
2021年(第72回) | ヤクルト【1位】(高津臣吾) | ●〇〇〇●〇 | オリックス【1位】(中嶋聡) | 中村悠平 | 直近2年最下位同士の対決、59年ぶり3球場開催、セ・リーグ球団9年ぶりの日本一 |
2022年(第73回) | オリックス【1位】(中嶋聡) | ●△●〇〇〇〇 | ヤクルト【1位】(高津臣吾) | 杉本裕太郎 | 前年の雪辱、球団合併後初の日本一 |
巨人のV9などがあったため昭和末期時点ではセ・リーグの日本一が多かったが、現行12球団が成立した平成中期以降はパ・リーグ優位が続いている。近年の成績からパ・リーグが勝ち続けていると思われがちだが、パ・リーグが勝ち越したのは1950年、2020年、2022年の通算3年間だけしかない。
余談
現行制度ではリーグ優勝チーム同士の対決とは限らず、勝率2位以下からでも出場できる可能性がある。ただし、日本シリーズに出場できなくてもリーグ優勝が剥奪されることはない。
勝率2位以下でも日本一になることができる分、「リーグ優勝と日本一を同時に達成する」ことがより価値のあるものと見なされており、この同時達成は俗に「完全制覇」と呼ばれている。
この考え方に基づけば、例えば中日ドラゴンズは1954年以降68年間(2022年時点)完全制覇を達成できていないことになる。