概要
首都 | 東京(事実上であり、法律では明確に規定されていない。) |
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面積 | 37万7876平方キロメートル |
人口 | 1億2508万2000人(2022年8月) |
国歌 | 君が代 |
建国 | 紀元前660年2月11日(神武天皇の即位) |
通貨 | 円 |
公用語 | 日本語 |
国家元首(職) | 天皇(事実上) |
政体 | 議院内閣制 立憲君主国 |
日本国(にほんこく、英語:Japan)は、東アジアに位置する立憲君主国。一般的に先進国とされ、主要国の枠組みであるG7・G20の1国である。弥生時代から古墳時代にかけて成立したヤマト政権をその起源とする。ヤマト政権は近畿地方の大和平野南部の勢力を中心に、各地域(北九州・関東地方・山陽地方・山陰地方など)の地方政権が連合して徐々に形成されていったと思われ、古事記・日本書紀において初代天皇とされる神武天皇が即位した2月11日を建国記念の日とする。
経済
2022年11月時点での名目GDPでは世界第3位の経済力を有する国で、1967年から2010年に中国に抜かれるまでは世界第2位を維持していた。同年10月の推計では1人当たりのGDPが3万4357ドルであり、日本経済の凋落が著しい近年においても高所得国の部類である。1945年8月に敗戦した後は人口の増加もあり、国民所得はフィリピン以下という有様であった。しかし加工貿易によって繊維・金属・造船などの輸出産業が成長し、一足遅れて流通・サービス業などの内需も発展した。
1970年代から1980年代には製造業の強さから「世界の工場」・「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで言われたが、円高によって競争力が低下した。更に造船・鉄鋼などの「重厚長大産業」が衰退し、半導体・自動車など高度な技術が求められる製造業・投資・サービス業を中心にシフトした。1990年代までは自動車・素材産業・精密機械・家電・半導体を基幹としていたが、家電・半導体に関しては凋落が著しく、既にイギリス・オーストラリアなどと同様に「工業製品を輸出して稼ぐ国」から「資金を海外に投資して稼ぐ国」となっている。それでも今は中国・アメリカ・ドイツに次ぐ貿易輸出国ではある。
1991年3月にバブルが崩壊した後、「3つの過剰(雇用・設備・債務)」・「行政改革」・「構造改革」などが叫ばれて終身雇用が崩壊した。設備投資と公共投資の抑制により内需は縮小し、多くの企業や政府機関が極端に雇用を絞り込んだ結果、ベビーブーム世代の若者が路頭に迷う就職難を生み出した(就職氷河期)。これによって廉価な労働力が供給されて人材派遣業が発展した一方、かつての日本企業が大きな強みとしてきた「長期的な人材育成」が失われ、下請け企業に仕事を丸投げして儲けを出す悪習が蔓延して、日本企業の技術力に大きな打撃を与える事となった。
2010年代に入ると人件費を抑制して国際競争力を回復しようと円安政策がとられるが、製造業は復活せず、割安な物価を逆手にとって豊富な文化資源を武器に、近隣アジア諸国の観光客を呼び込む観光産業が成長した。少子高齢化によって日本経済も大きく変動しており、かつて氷河期世代を切り捨てた結果として労働者が不足する一方、高齢者層の拡大は社会保障費の増大に繋がり、自治体や政府の財源を大いに圧迫している。政府・企業は高齢者の雇用の拡大・ワーキングプアと化した氷河期世代の就業・就労支援に乗り出しているが、遅きに失した感は否めない。
国際関係
アメリカ合衆国
日米安保条約によって緊密な同盟関係にあり、日本国内にアメリカ軍が駐留している。日本は日米同盟を外交の基軸としており、日本・極東に平和と繁栄をもたらすと共に、アジア太平洋地域における安定と発展の為の基本的な枠組みとしても有効に機能している。経済関係ではかつての摩擦から建設的な対話を通じた協調へと変化し、更に世界経済の持続可能な発展の為に不可欠であるグローバルな課題への対処・世界的な景気後退・金融の諸問題・気候変動問題への対応など、経済分野における協力は大幅に拡大した。一般的に日本人のアメリカに対する好感度は極めて高く、2022年1月に日本の内閣府が実施した外交に関する世論調査によれば、アメリカに対して「親しみを感じる」・「どちらかというと親しみを感じる」と答えた日本人が88.6%に達しており、これは他の外国に対する同一の数値と比較しても群を抜いて高い。
大韓民国
アメリカを介した準同盟国であり、日韓基本条約及びGSOMIAを締結している。日米韓で協力をして、アジア太平洋地域における安定と発展に貢献している。文化的交流も盛んであり、日本では韓国のポピュラー音楽・K-POPが人気であり、韓国でも日本のアニメや漫画は人気だ。ちなみに、東アジアにおいて国際連合に加盟している自由主義国家は日本と韓国の2カ国のみだ。
中華民国(台湾)
1952年8月に日華平和条約が締結され、日本は中華民国との外交関係を回復した。しかし1972年9月の日中共同声明による日本と中華人民共和国の間の国交正常化を受け、公式的な外交関係が解消された。しかし非公式な外交関係は維持しており、1972年12月に事実上の大使館・領事館の役割を果たす民間の利益代表部(日本台湾交流協会)を設置した。
[2022年1月に台湾で行われた世論調査>https://www.koryu.or.jp/Portals/0/culture/%E4%B8%96%E8%AB%96/2021/2021_seron_kani_JP.pdf]では、日本に対して「親しみを感じる」・「どちらかというと親しみを感じる」と答えた台湾人が77%に達している。
イギリス
同じ議院内閣制の立憲君主国であり、皇室とイギリス王室の交流は1869年9月以来長きに渡っている。イギリス王室の公文書館が開示した資料では、両国の特別な友好関係が示されている。この交流は戦後に日英両国が友好的関係を築くのに役立ち、新たな日英同盟にも多大な影響を与えている。
2023年、日本とイギリスの間に日英円滑化協定が締結された。
フランス
鎖国政策を放棄してようやく国際社会に組み入れられたばかりの日本にとって、フランスは日本の近代化の良きモデルであった。1858年10月に締結された修好通商条約まで交流の歴史は遡り、それ以来様々交流によって友好関係が続いてきた。東京のお台場にある自由の女神のレプリカ像は、友好関係の記念として2000年12月に常設された。
インド
密接な経済的協力関係を結んでおり、安全保障の観点からも軍事的協力関係にある。
中華人民共和国
最大の貿易相手国であり、日系企業の海外拠点数で中国は第1位であるなど経済関係は一層緊密になっている。日中両国の首脳の間でも、双方の関心・方向性が一致している分野について、経済・実務協力を一層進める事で一致している。一方で領土問題(尖閣諸島)・歴史認識の懸案事項を抱えており、相互の否定的なイメージの要因となっている。その一方で文化的交流は盛んであり、日本では中国の文学作品(三国志演義など)が人気であり、中国でも日本のアニメや漫画は人気だ。
ロシア連邦
経済・安全保障・エネルギー分野での協力はあるが、その一方で北方領土問題・シベリア抑留・漁民に対する銃撃と拿捕・資源問題などの懸案事項を抱えている。2016年3月に「全ロシア世論研究センター」が、日本の外務省の依頼を受けて調査を実施した。同年9月にこの調査の結果が発表され、ロシア国民の多くが日本とは友好関係にあると考えて重視しており、両国の友好関係を「重要」または「どちらかと言えば重要」と答えたロシア人は97%いた。しかし、2022年にロシアがウクライナへと侵攻すると、日本はウクライナを支持してロシアに経済制裁を課した。その報復として、ロシアは日本を非友好国リストの一つに指定した。
北朝鮮
国交は無い。北朝鮮の工作員が、世界各国において一般人を密かに拉致している。横田めぐみ氏などの日本人17名も拉致被害者になった事実が確認されており、実際には約1000人の日本人が拉致被害に遭遇している可能性が高い。他にも、北朝鮮は日本の領海などに向かって弾道ミサイルを頻繁に発射したり、核拡散防止条約に違反して核兵器開発を繰り返すことによって、日本に対して恐喝行為を繰り返している。これに対抗するために日本はアメリカや韓国などと共に、北朝鮮を非核化させるために経済制裁を課している。
政治
日本国憲法に基づいて議院内閣制を採用する立憲君主国である。1945年8月に敗戦して以来領土内にアメリカ軍が駐留しており、独立主権国としての地位を回復した後も時期によって程度の強弱はあるものの、一貫してアメリカの影響下にある。国家元首は憲法に明記されていないが、通説では内閣もしくはその長である内閣総理大臣とされる。政府見解では古来より日本の君主として存在してきた天皇を「日本国及び日本国民統合の象徴」として、日本国内外において国家元首に準じた存在としている。
天皇について
憲法では天皇は国政に関する権限を持たず、儀礼的な国事行為及び儀式を行う日本国及び日本国民統合の象徴と位置付けられている。行政権は内閣総理大臣を筆頭とした内閣が有し、大臣を長とする各省庁によって実際の行政が執行されている。天皇は英語ではEmperorと呼称されるが、日本の統治地域は日本列島とその周辺の小さな島だけであり、天皇には多民族・多地域を統治する英語のEmperorとしての実態は無い為、近年では英語圏でもTennouという呼称が定着しつつある。
国政
国会は衆議院と参議院との2院で構成される両院制議会で、「国権の最高機関」にして「国の唯一の立法機関」とされる。衆議院・参議院はいずれも全国民を代表する選挙された国会議員によって組織されるが、議決(法律・予算・条約)・内閣総理大臣の指名・内閣不信任決議などにおいて、衆議院に参議院よりも強い権限が与えられており、これは「衆議院は解散がある上に任期が短く、より民意を反映している為。」と説明される。内閣は首長たる内閣総理大臣と、その他の国務大臣からなる合議制の機関である。
内閣総理大臣は国会議員でなければならず、国会が指名した人物は天皇によって儀礼的・形式的に任命されて内閣総理大臣に就任する。国務大臣は内閣総理大臣が任命して天皇が認証するが、国務大臣の過半数は国会議員の中から選出されなければならない。
国会では国会議員のみが法案の提出権を持つ。国会で審議される法案の大多数は、内閣が提出する政府提出法案であり、国会議員が発議する法案が少ない。政府提出法案は、内閣の下に置かれる省庁が国会の多数を占める与党との調整を経て作成する為、省庁のキャリア官僚の国政に対する影響力が強く、官僚出身の政治家も多い。選挙活動は政治家を取り巻く後援組織の地盤固めに大いに依存する為、いわゆる世襲政治家も多い。多くの政治家・官僚がアメリカの政財界と強いパイプを持っており、アメリカ合衆国の意向を「外圧」として自らの権益拡大に利用することが多い。
歴史
よく日本の歴史は日本列島の歴史と同一視される。しかし日本は段階的に成立してきた歴史を持つ国である為、明確な建国の時期を持っていない。「国家」として厳密に定義した場合の「日本」の成立は律令国家体制を完成させた7世紀後半から8世紀初頭頃だとする意見もあるが、「律令制」とは、古代中国大陸の西晋で成立して広まった東アジア独特のものであり、何も世界における国家定義の標準という訳では無い。時代の区分は、考古学上のものと歴史学上のものとがある。考古学上は旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・歴史時代とするのが一般的である。
歴史学上は古代(飛鳥時代・奈良時代・平安時代中期以前)、中世(平安時代の院政期と平氏政権期・鎌倉時代・室町時代)、近世(安土桃山時代・江戸時代)、近代(幕末・明治・大正・昭和初期)現代(昭和の戦後・平成・令和)の五分法が通説である。欧州史では1989年の東欧革命を境にして「近代」と「現代」を分ける見方が多いが、日本史(を含む東アジア史)では1945年8月の日本の降伏を境に以降を「現代」として分けている。
通史
日本列島における人類の歴史は、次第に人が住み始めた約10万年前以前又は約3万年前に始まったとされる。当時の日本列島北部は、樺太を通じて北アジア(シベリア)と陸続きで、北方から古モンゴロイドが入り、日本人の祖先となった。ただし約1万2000年前まで続いた最終氷期では、中国大陸及び朝鮮半島とは陸続きにはならず、朝鮮海峡は狭い水道となっていた。
最終氷期が終わる以前に大陸から分離し、日本列島の人々はユーラシアの新石器文化とは異質な要素の多い縄文文化を築く。ただこの後も大陸との間で通交・交流が行われ、巨視的には日本列島も中国を中心とする東アジア文化圏の影響下にあった。しかし東アジアの最東方に所在する島国という地理的条件により、他の東アジア地域と異質な要素を持つ独自の文化・社会・政治体制を発達させた。
紀元前8世紀頃以降中国南部から稲作を中心とする文化様式が伝わると、各地に「ムラ」「クニ」と呼ばれる政治組織が徐々に形成され、紀元前後に各クニの連合による倭国と呼ばれる大規模な政治組織が出現した。クニ・ムラ連合的政治組織は、4世紀までに統一王権(大和王権)へと発展する。この頃、中国や朝鮮半島から渡来人が日本に入り、同時に様々な技術や物品も日本に入ってきた(馬や仏教など)。
大和王権は朝鮮半島の百済や新羅に対して度重なる出兵を行い、半島に影響力を持っていた。663年3月に百済の復興の為に援軍を派遣するが、同年8月の白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に敗北して半島への影響力を失う。7世紀後半に中国(隋・唐)の法体系・社会制度を急速に摂取し、8世紀初頭に古代国(律令国)としての完成を見た。当時の日本は隋との通交以来中国と対等な外交関係を結ぼうとする姿勢を見せ、中国を中心とする冊封体制からの独立を志向した。これは他の東アジア諸国と異質な外交姿勢であり、その後の日本にも多かれ少なかれ引き継がれた。
その後は東アジアの中でも国際的な地位を保持し続け、7世紀に中華王朝に対して独自の「天子」を称し、13世紀の元寇、16世紀のヨーロッパのアジア進出、19世紀の欧米列強の進出など、様々な事態にも対応して独立を維持してきた。成立当時の日本の支配地域は日本列島の全域に及ぶものでなく、九州南部以南および東北中部以北は、まだ領域外だった。九州南部は8世紀末に組み込まれたが、抵抗の強かった東北地方の全域が完全に領域に組み込まれたのは、鎌倉時代に入ってからである。
特に8・9世紀は蝦夷の征服活動が活発化すると共に、新羅遠征も計画されるなど帝国としての対外志向が強まった時期だが、10世紀に入ってこうした動きも沈静化した。ただし北東北及び北海道ではこの時期の関東以南で作られた工芸品が多く出土しており、蝦夷と本州中央部の人々は交易などを通じて密接な関係を保ち続けた。
10世紀から12世紀に掛け、旧来の天皇を中心とする古代の律令国家体制が大きく変質し、社会各階層への分権化が進んだ王朝国体制・更に中世国(武家政権と朝廷の二重政権)へと移行した。12世紀頃から起請文などの私的な文書に「日本」や「日本国」の表記がしばしば見られ、社会に「日本」や「日本人」の意識が浸透した事の表れと考えられる。特に13世紀後半の元寇は、「日本」・「日本人」の意識が社会各層に広く浸透する契機となった。
室町時代には「日本」の領域が北海道の南部まで及んだ。14世紀から15世紀までの時期には、社会の中世的な分権化が一層進展したが、15世紀後半頃から戦国大名勢力による地域国の形成が急速に進んだ。この地域国家の形成は中世社会の再統合へと繋がり、1590年7月に日本の統一政権が樹立されるに至って近世へと移行した。社会の安定化に伴って日本の人口は近世初期に大幅に増加し、日本の多くの地域が目覚ましい経済発展を遂げた。
1593年1月に蠣崎氏が北海道の南部に本拠を置き、北海道・千島・樺太を含む蝦夷地の支配権を得た。蝦夷地は、日本の領域とされることもあれば、領域外とされることもある、言わば「境界」とも言うべき地域だったが、1669年6月のシャクシャインの戦いなどによって北方への関心が強まると、アイヌ・ロシアへの他者意識が「日本」・「日本人」観となって庶民層にまで定着し、日本の領域も「蝦夷が島」(北海道)以南と意識されるようになった。南方に目を向けると、中世を通じて鬼界島・硫黄島までが西の境界と意識された。1609年3月に薩摩島津氏が琉球王国へ侵攻して支配下に収めたが、その後も琉球王国は日本・中国への両属を続けた。
1853年6月にマシュー・カルブレイス・ペリーによる黒船来航などによって欧米列強との接触が飛躍的に増えると、列強各国に対する他者意識の裏返しとしての「日本」・「日本人」意識が更に強まり、ほぼ現代の「日本」・「日本人」意識と一致するまでに至った。アジア各国が欧米列強の植民地とされる中で日本が独立を長く維持した事は国民国家意識の醸成をもたらし、結果として明治維新以降の近代国建設の基礎となった。
1868年1月の戊辰戦争によって旧幕府勢力を排除し、近代的な国民国家の建設を急速に進め、1871年8月の廃藩置県によって半ば強引に大名領(藩)を返上させて中央集権体制を確立した。同時に近隣国と国境を確定させ、1875年5月に樺太を放棄する代わりに占守島以南の千島列島全域を日本領とし(樺太・千島交換条約)、同年11月に明治丸を小笠原諸島に派遣して日本による統治を各国に通告した。1879年3月に琉球藩にも廃藩置県を実施(琉球処分)して南西諸島方面にも直接支配を及ぼす事に成功し、ここに一旦近代国としての日本の領域が確定した。
1874年1月の自由民権運動を経て、1885年12月に内閣制度を確立した。1889年2月に大日本帝国憲法・衆議院議員選挙法を制定し、1890年7月に第1回衆議院議員総選挙を実施して帝国議会を設置した。こうしてアジアで初めて憲法と議会とを持つ近代国となったが、ただし近代憲法だけなら1876年12月に施行されたオスマン帝国のミドハト憲法の方が早い。
19世紀後半から20世紀初頭の帝国主義的な国際情勢の中で、東アジアに一定の勢力圏を築く思惑から、1894年7月に日清戦争・1904年2月に日露戦争を引き起こし、満洲・太平洋地域に勢力圏を築く事を目指した。両戦争を通じて台湾・澎湖諸島・南樺太を領土に収め、関東州の租借権を獲得した。日本が日露戦争で勝利した事は、アジア各国で民族運動が盛んになる契機にもなった。満洲への経路として1910年8月に韓国併合を実施し、1920年1月に発足した国際連盟からの委任を受けて南洋群島を統治する事となり、1925年3月に男子普通選挙が実現した。
1932年7月に満洲国を建国して一定の支配権を得るに至り、こうした対外志向は特にアメリカ合衆国を始めとする欧米諸国の権益と真っ向から衝突し、最終的に1945年8月の太平洋戦争(大東亜戦争)の敗北によって破局に至った。日本はアメリカ合衆国を中心とする連合国によって史上初めて外国の占領下に置かれ、日清戦争以降に獲得した領有権・統治権の総てを、それ以前からの領土の一部である南西諸島・千島列島・小笠原諸島と共に失った。
1946年11月に日本国憲法が公布され、1947年5月にこれが施行された。1952年4月のサンフランシスコ平和条約によって主権を回復し、1956年12月に国際連合に加盟したが、戦前のような独自の勢力圏獲得は目指さず、冷戦下の世界において西側諸国の1国として経済力を伸長させる道を選ぶ。以来1973年10月までに目覚しい経済発展を遂げ、やがてアメリカに次ぐ経済力を有する国となった。
1960年代後半以降先進国の1国として数々の国際的役割を果たし、アジアを中心とする多くの発展途上国で成長モデルとして目標にされた。しかし21世紀に至り、少子化と高齢化社会に伴う人口減少・経済成長の停滞など、数多くの課題に直面している。
社会
日本の社会の最大の特徴として、人口1人当たりの殺人事件の発生率が世界でも最小クラスの治安の良さが挙げられ、人口が数千万以上の国でここまで凶悪犯罪が少ない国は珍しい。ただし時折凶悪なテロ事件が発生する事はある。連合赤軍に代表される1970年代の新左翼のテロ・1994年6月以降のオウム真理教による化学薬品を使ったテロなどは海外の組織が真似て広まった事もあり、日本はテロまで輸出すると揶揄された事もあった。
日本は社会的に均質で比較的平等な社会というイメージがあり、一時期は1億総中流社会と言われたが、実は日本において貧困(ここでは生活に最低限必要なものは手に入るが可処分所得が中央値の半分(貧困線)に届かない相対的貧困を指す。)が無くなった事は、バブル期も含めて歴史上一度も無い。1988年11月に朝日新聞は「『格差社会』でいいのか」という社説を掲載しており、当時の地価や株価の高騰と「自己責任」を基調とする新自由主義の風潮の高まりにより、既に(相対的)貧困が広まりつあった事がうかがえる。
1991年3月のバブル崩壊と就職氷河期を経て日本社会の貧困は爆発的に広まり、「格差社会」が流行語になった2006年11月には誰の目で見ても明らかなほどになった。今でも福祉や所得の再分配は高齢層に偏っており、若い層では生活保護が必要な人間の2割ほどしか生活保護が受けられない。
日本に限らず先進国に共通の傾向ではあるが、出生数の減少に政府は頭を抱えている。現在の日本の合計特殊出生率は東アジア諸国の中ではまだマシな方ではあるものの、1.4という危機的水準であり、少子化があまりにも長く続いた事から子育て世代の若者の数も減ってしまっている。低賃金と不安定雇用に喘ぐ氷河期世代は子育ての時期を過ぎつつあり、将来の大幅な人口減少と社会保障費の増大は避けられない見通しである。
人口
2022年8月時点で1億2508万2000人である。
言語
公用語は法律には特に明記されていないが、事実上は孤立した言語である日本語(同系の言語が他に無い。)である。漢字文化圏に属し、日本語表記には漢字とそれから派生した仮名(ひらがな・カタカナ)を用いる。
民族
古来から日本列島で暮らしてきた人々の大半は、日本民族(大和民族)と呼ばれ、日本に住む者のほとんど(約98.5パーセント)を占める。また日本列島にルーツを持つ他の民族として、アイヌ・ニヴフ・ウィルタがいる。アイヌは北海道の先住民族として政府から認定されているが、樺太にルーツを持つニヴフとウィルタは政府による公式な認定を受けていない。
蝦夷地と総称された現在の北海道・千島列島・樺太南部に居住したアイヌや、琉球王国を樹立した南西諸島の人々は弥生時代以降本土と交流を持ち続けつつも、江戸時代まで政治的には本土の政権の支配下には入らずに異なる歴史を歩んだ経緯がある。沖縄諸島又は琉球諸島の住民を琉球民族として大和民族と分ける考えもある。ヤマト王権の側から書かれた古代史には、九州地方に熊襲・東日本に蝦夷など、文化を異にする部族がいたという記録がある。彼らは徐々に大和朝廷に臣従しながら大和民族と同化していったとされる。
アイヌ語と日本語との比較言語学的な関連が見出せない事から、アイヌと大和民族との関連について様々な議論があるが、遺伝学や考古学的証拠から大和民族との関係を重視する学説が有力になり、大和民族に同化しきらなかった蝦夷がオホーツク文化などの影響を受けつつ、徐々に中世頃から分化したものと考えられている。アイヌを含む日本人の起源は北方系古モンゴロイドの縄文人を基層にしたものとの説が近年有力だが、弥生時代前後のユーラシア大陸からの移住者の影響を重視する見解もある。自称として「和人」あるいは近代的な民族意識の下で、「大和民族」・「日本民族」とも言う。
南西諸島の人々は平安時代以前に九州から南下した人々が中心となっているとされ、言語的にも本土の住民とルーツを同じくしている事は明らかである。アイヌ民族も血統的には和人同様縄文時代人の直系子孫との見解が、ここ最近の人類学会ではほぼ定着している。しかし歴史学や考古学の立場からは、和人との異質性や中世のオホーツク文化の影響を強く主張し、北方民族との接触を経てアイヌ文化が成立するという見解を取る研究者が多い。
列島主要部ではヤマト王権の成立に伴い、中国大陸や朝鮮半島から渡ってきた渡来系を含め、和人としての文化的な一体性が形成される。その後蝦夷など朝廷の支配下に入るのが遅れた人々を同化しながら文化圏の拡大を続け、平安時代までに本州・四国・九州の全域が和人の生活範囲となった。江戸時代には薩摩藩による琉球への侵攻・松前藩のアイヌ支配の確立により、北海道・南西諸島を含む日本列島の全域が和人の勢力圏に置かれた。現在アイヌ語を第一母語とする人々は既に絶えているが、アイヌ文化振興法が制定されて郷土文化の保存・再興が図られている。なおアイヌと共に南樺太にいたウィルタやニヴフの多くは、1945年8月のソ連の侵攻・占領の後、北海道や本州へ移住した。
小笠原諸島には19世紀初頭にハワイから植民団が入植し、ヨーロッパ系アメリカ人やハワイ人による小規模なコロニーが形成された。明治維新の後に日本による領有が確定すると、順次彼らも日本国籍を取得して日本人の社会に溶け込んだ。
宗教
主な宗教は神道と大乗仏教である。隣国の韓国と異なり、信教の自由が認められて以降もキリスト教の信徒数は伸びなかった。ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教の信徒もごく少なく、在日外国人を除けば数えられるほどわずかである。しかし教派神道系を除けば意識的に神道を信仰している日本人はそれほど多くはない。仏教についても3宝(仏・法・僧)に帰依する事を誓い、受戒して仏教徒になった在家信者は限られているが、冠婚葬祭や折々の習俗を通じて、神道や仏教のしきたりは生活に根付いている。
明治以降の日本仏教の特徴として、葬式仏教と揶揄されるように葬儀や法事以外に人々の生活に密接な関わりを持たなくなっている・仏僧の妻帯が常態化している事が挙げられる。多くの寺院は住職の世襲が常態化し、檀家を顧客とする自営業のようになっている。元々こうだった訳では無く、開祖が結婚した浄土真宗を除く仏教各宗派の開祖・伝統は仏僧の女犯・妻帯を認めておらず、江戸幕府はこれを取り締まっていたが、当時から浄土真宗以外の宗派でも隠れて妻帯していた僧は多数存在したと言われる。
領土と領海
国土は約37万7876平方キロメートルであり、世界の中では61位・世界の島国の中では4番目に大きい。オホーツク海・日本海・東シナ海・太平洋に囲まれた、日本列島と称する弓状列島(北海道、本州、四国、九州)と、その周辺列島である南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などを領土とする。現在は海外領土は領有しない。
領海は43万平方キロメートルである。領海内には大小多数の離島を擁し、その数は海岸線の長さが100メートル以上のもので6852島存在する事が確認されている。領海と排他的経済水域の面積の合計は国土の約12倍の447万平方キロメートルあり、世界第6位の広がりを持つ。
領土問題
日本も諸外国と同様に領土問題を抱えており、西方の竹島(韓国では独島と呼称)、北東の北方領土(歯舞、色丹、国後、択捉など)はそれぞれ韓国、ロシアに不法占領された状態(日本側の認識上)にあり、南方の日本国の実行支配下にある尖閣諸島に関しては、中華人民共和国及び中華民国(台湾)が領有を主張する。
中国及び韓国との領土問題については、日本国内の全ての政党が共通の認識に立つが、ロシアとの領土問題に関しては、第二次世界大戦後、ソ連の不法な侵略により占領されたという認識から、千島列島全域の領有権を主張する政党もある。
気候
日本全土が海洋性の季節風(モンスーン)の影響を受け、湿潤で春夏秋冬の四季がはっきりしている。黒潮などの暖流と親潮などの寒流に洗われ、大陸性のシベリア気団・揚子江気団と、海洋性のオホーツク海気団・小笠原気団の影響を受ける。
気候帯は北海道及び本州北部の一部は冷帯(亜寒帯)が広がり、このうち日本海に面する地域は世界有数の豪雪地帯である。本州南部と九州・四国の大半は暖帯(暖温帯)で、一年を通じて農業が営まれる。沖縄諸島や小笠原群島などは亜熱帯、先島諸島は熱帯に属し、やや四季が不明瞭である。
複数の気候帯に跨り温暖湿潤であるため、国土面積の割には植生は多様性に富んでいる。また一部の熱帯作物を除くほとんどの地域の農産物が栽培可能であり、実際に多くの商品作物が栽培され流通している。冬には主要地域で雪が観測でき、夏には全ての地域で海水浴が可能である。
余談
国名
国号の由来は日本列島が東の果て、つまり「日の本」に位置することが由来とされており、命名当時に朝鮮半島を支配していた新羅に対する優位も意識されたという。日本という国名が使われるようになったのは新羅本紀によれば670年12月で、それまでは「倭」と呼ばれていた。「倭」の表記は古く、1世紀に成立した漢書に見える。また3世紀末に成立した魏志倭人伝によれば邪馬台国など多くの国が当時、倭人の国として存在していたとされる。「日本」は当初は呉音で「にっぽん」もしくは漢音で「じっぽん」と音読みされた。「にほん」読みの起源は不明だが室町時代には確認できる。
日本文化を特徴的に示す概念として、「和」という言葉がしばしば用いられる。「和」は古くから日本を示す言葉で、漢(中国)や洋(西欧・欧米)など外国からの事物に対比して使われる。また「大和(やまと)」という言葉が使われる場合もある。「やまと」は本来、奈良県の大和平野南部を指すが、古くから日本全体を指すために使われてきた言葉でもある。
日本国の別名としては、大八洲国、大八島国、葦原中国、豊葦原之水穂国、豊葦原千五百秋之瑞穂国、秋津洲、秋津島、豊秋津洲、蜻蛉洲、浦安国などの称があり、海外の日本に対する称号としては扶桑、君子国、汗国、阿毎卿などがある。英語での呼称はJapan。これはマルコ・ポーロが東方見聞録にて日本の中国語読みの「ジーべングオ」を「Zipangu」と翻訳したことに由来する。しかし対外的にはNipponとも書かれる。
総合的なデータ
これまでのデータを総合すると、以下の姿が見えてくる。
データ | 世界ランキング(197カ国中) | 備考 |
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人口 | 11位 | G7と呼ばれる国々の中では、アメリカ合衆国に次いで多い。 |
面積 | 61位 | 日本のすぐ下がドイツ。 |
経済力 | 3位 | 世界2位であった期間は約42年。 |
科学力 | 4位 | ここで言う科学力とは、発表された論文の数。 |
軍事力 | 5位 | 専門家による評価だが、あくまでも所持する兵器の数などで判断した場合。 |
これをインド以東のアジア地域に限定すると以下の通りになる。
データ | ランキング | 備考 |
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人口 | アジア6位 | 人口の多いアジア地域の中でも、億を超えた人口は7カ国である。 |
面積 | アジア8位 | 島として見た場合、日本はアジアの中でも最大である。 |
経済力 | アジア2位 | 中国に抜かれるまでは1位。 |
科学力 | アジア2位 | 世界ランキング同様。 |
軍事力 | アジア5位 | 世界ランキング同様。 |
総じて言うと人口・経済力・軍事力・科学力ともに世界トップクラスで、面積に関してもアジアでは十指に入り、21世紀初頭における大国の1国と言える。
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