読売ジャイアンツ
よみうりじゃいあんつ
概要
保護地域(ホームエリア)は東京都。親会社は創設時から同じ読売新聞社である。
球団会社名は読売巨人軍で、通称は『ジャイアンツ』もしくはチーム名の和訳である『巨人』(一般名詞の『巨人』とはアクセントが違う)。なおドラフト会議などでは『読売』と呼ばれる。
野球をよく知らない人は混乱しやすいが、「巨人=ジャイアンツ」なので、「巨人ジャイアンツ」というチームは存在しないので注意するように。
チームカラーはオレンジと黒。
現在の本拠地は、1軍は文京区にある日本初の完全屋内型球場の東京ドーム。
1987年まで1軍は東京ドームに隣接していた後楽園球場を本拠地としていた。
イースタン・リーグに所属する2軍と3軍はよみうりランドに隣接する「読売ジャイアンツ球場」を本拠地としている。
2軍は1998年まで大田区にあった「多摩川グラウンド」を本拠地としていた。
また、2022年に女子野球のクラブチーム「読売ジャイアンツ女子チーム」を立ち上げ、2023年から地域リーグのヴィーナスリーグに参加している。
1934年に創設した日本初のプロ野球チームである。現存する日本最古の球団である事や、当時の球団オーナーであった正力松太郎の呼びかけで興行目的の職業野球リーグが始まったことから「球界の盟主」と呼ばれている。
大手マスコミの親会社が持つ宣伝力と資金力から、かつては選手の様々な面での待遇は最も恵まれ、名実ともに日本一の名門チームだった。
かつては日本テレビを筆頭にテレビ中継を全国で展開していた事から知名度が他球団に比べて高く、「野球はよく知らなくても巨人は知っている」という人も多数いた。フランチャイズ球団のない地域(特に高齢者層)に巨人ファンが多くいるのはこういう事情による。
もっとも、近年ではスポーツの多様化や、四国を除く全地方にプロ野球チームが存在するようになったため一強の傾向は弱まりつつある。それでも監督・選手・スタッフいずれも高水準を維持しているため、成績は安定している。
一方、前述のように人気を支えていた地上波のテレビ中継は現在20試合、このうちナイターに至っては5試合前後と大幅に削減され、延長も当然ながら行われなくなった。
2007年には本拠地である東京ドームでリーグ優勝が決定したにもかかわらず地上波は「踊る!さんま御殿」を優先し、その合間に15分程度の優勝特番を放送して終わりというあまりにも軽い扱いとなってしまい、読売新聞のライバル誌である中日新聞がこの扱いに苦言を呈する社説を掲載したほど。
日本テレビでは「若年層がサッカーやバラエティにシフトしてしまい野球を見る習慣が身に付かなかった」「野球好きの多い団塊世代はBSで見ている」との見解を示しており、実際、BS日テレではほとんどの主催カードが放送されている。
こうした知名度の低下からか、最近では「巨人=某進撃漫画」のイメージが一般化しつつある(両者公認でコラボ試合をやったことも)。
現在47回のペナントレース優勝と22回の日本シリーズ制覇を誇り、共に12球団最多である。特に1965年から73年まで、9年連続で日本一に輝くという黄金時代V9の伝説を打ち立てた。
球団史
プロ野球の産声と共に
1934年、日本プロ野球の歴史と共に巨人の前身である大日本東京野球倶楽部が結成。
当時人気だった東京六大学野球に対して、「職業野球」と蔑視されながらも、ノーヒットノーランを3回達成した、「豪腕」沢村栄治、プロ野球初の三冠王を獲得した中島治康らを擁し、高い実力を見せ付けて次第にファンを獲得。太平洋戦争で一時中断されるまでの9年間で8回の優勝(36年は秋季、37年は春季、38年は秋季優勝、その後は一シーズン制)を飾り、第一次黄金時代を築いた。
じゃじゃ馬・青田と赤バット・川上
プロ野球の戦争からの復興は早く、1945年(昭和20年)11月には東西対抗戦(後のオールスターゲーム)、翌年には早くもペナントレースが再開された。
戦争による混乱期の中、ジャイアンツは快進撃を続ける。1940年代こそ優勝は一回だけに終わったが、1950年代に入ると第二期黄金時代が幕を開ける。1951年からは日本シリーズ3連覇、一年置いて1955年にも再び日本一になるなど、この時期は手のつけられない強さを誇っていた。そして忘れてはならないのが、西鉄ライオンズ(現.埼玉西武ライオンズ)との死闘である。ジャイアンツからライオンズの監督に転身した三原脩監督は、「打倒・ジャイアンツ」を目標にライオンズを育て上げ、1956年から1958年にかけては、日本シリーズで三度ジャイアンツと対決し、三度ともこれを下す。ジャイアンツにとっては屈辱の結果となったが、いずれも日本プロ野球史に語り継がれる名勝負となり、ファン層の拡大に大きく寄与することになった。
ONとV9
メジャーリーグでも例を見ない日本シリーズ9連覇(通称V9)。日本の高度成長期と歩みを共にする快進撃が始まったのは、65年(昭和40年)、川上哲治監督就任5年目からの事だった。この時期のジャイアンツは、長嶋茂雄・王貞治というスーパースターを軸に、堀内恒夫、高橋一三を中心とした投手陣、スピードに優れる柴田勲、高田繁ら脇役陣も充実し、それぞれが個性を発揮。圧倒的な強さで他チームを蹴散らした。
この間、セ・リーグでは村山実・江夏豊を擁する阪神タイガース、星野仙一・板東英二・高木守道らを抱える中日ドラゴンズ、パ・リーグでは闘将・西本幸雄監督率いる阪急ブレーブスが立ちはだかったが、いずれも巨人に屈し、独走を止めることは出来なかった。
挫折と80年代
しかしドラフト制の導入による各チームの戦力均等化が進み、さしもの巨人といえども、圧倒的な強さを発揮できた時代は永遠には続かなかった。
1974年に長嶋茂雄が引退し翌年に即監督に就任、その初年は屈辱のリーグ最下位(2024年現在でも唯一)に終わる。翌年は巻き返して優勝するなど、浮き沈みの激しいチーム状態が続く。川上哲治監督の後釜は、長嶋→藤田元司→王貞治→藤田(第二次)と続くが、2年連続リーグ優勝は1976~77年、1989~90年の2回だけ。それだけ各チームの力が拮抗していたのかが分かる。
特に70年代は球界全体で八百長行為が行われた黒い霧事件が起こり、プロ野球人気の低迷が不可避な状況下で湯口敏彦投手が急死したのにもかかわらず、その原因が球団フロントのパワハラ行為によることやまるで他人事であるかのような発言したことで批判が集まった「湯口事件」と江川卓(法政大学)を当時のドラフトに選ばれた選手のルールの盲点を突き、巨人に入団させたことで正々堂々さを欠けた行動として日本プロ野球機構から無かったことにされ、巨人がその年のドラフトをボイコットし、新リーグを立ち上げてセ・リーグから脱退する事態にまで発展しそうになった「江川事件」など紳士たれと呼ばれたジャイアンツの化けの皮が剥がれるほどの嫌われ球団と化した。
この時期の最大の話題は、王貞治の本塁打世界記録の更新。1976年10月11日、ベーブ・ルースを超える715号本塁打、77年9月にはハンク・アーロンの大リーグ記録を破る756号本塁打を放つ。80年に引退するまで、積み重ねた本塁打は868本と、まさに前人未到の記録を打ち立てた。
この時期に活躍した若手には、小林繁や西本聖、角盈男、鹿取義隆、中畑清、河埜和正、松本匡史、篠塚和典、原辰徳等がいたが、小林に関しては江川事件の落とし所として、当時の江川の交渉権を持っていた巨人のライバル球団である阪神タイガースへとトレードされる事態に至り、両者が博報堂製作による黄桜のCMでの共演で和解するまで、江川と小林は犬猿の仲であった。
1988年には本拠地が日本初のドーム球場、東京ドームに移転した。
ミスター復権
Jリーグ人気に押され、プロ野球人気の低下が叫ばれていた1993年、長嶋茂雄監督が復帰。これでプロ野球人気は一気に盛り返した。
1994年は、史上初の同率首位同士の最終試合直接対決(10.8決戦)で、中日を下し優勝。1996年にはセ・リーグ史上初となる、首位を走っていた広島との最大11.5ゲーム差をひっくり返しリーグ優勝。この大逆転優勝は長嶋が「メークドラマ」と命名、この年の流行語大賞にもなった。劇的な試合展開、そしてスリリングなペナントレースは、ファンの心をがっちり掴んだ。2000年にはかつて巨人の監督も務めていた王貞治率いる福岡ダイエーホークスとの「ON対決」が日本シリーズで実現。これに見事勝利し、20世紀の最後を華々しく飾った。
この頃の選手には松井秀喜、仁志敏久、二岡智宏、桑田真澄、斎藤雅樹、槙原寛己、高橋由伸などがいる。
だが球団の上層部が球界に対し、強引に自球団に有利な制度(ドラフトの逆指名制度やFA制度など)の導入を押しつけ、他球団の大物選手を次々に獲得する行為を(現在に至るまで)大々的に行ったために、他球団(とそのファン)からはこれまで以上の憎しみを買い、また従来のファンが離れていったのも事実である。
同時にチーム内の戦力バランスも大きく損ない、時間を掛けた若手の育成が年々困難になり、結果として(これも現在に至るまで)毎年のように対症療法的な補強を繰り返す負の遺産を抱え込むことになる。特に、西武ライオンズのスター選手で長嶋巨人に憧れていた清原和博は巨人入団という10年越しの夢が叶うもケガ等で成績は徐々に低迷し、漫画でもネタにされるなど戦力補強としては大失敗に終わった。
長嶋監督は21世紀最初の2001年シーズンを最後に勇退(終身名誉監督に就任)し、原辰徳新監督の元で、2002年シーズンからの戦いが始まった。
選手もフロントも経営陣もバラバラだった暗黒時代
原監督初年度は優勝、そして日本一で飾ったが、翌年2003年にライバルである阪神タイガースに優勝を攫われると原監督はその責任を当時のGMに命令口調で指摘されたことで「聖域を犯された」と悔しさを噛み締め、監督を辞任した。
翌年は堀内恒夫が監督に就任したが、堀内が監督を務めた2年間は優勝できなかったどころか、経営陣側からの要請とはいえ他球団から移籍してきた個性的な選手を纏められず、タフィ・ローズや清原和博を中心としたベテラン陣との確執を起こしたことで負け続け、この時代は巨人ファンにとって、暗黒時代と呼ばれることになった。
更に2004年にはプロ野球再編問題が起こり、オーナーであった渡邊会長が選手軽視の発言をしたり、巨人(と阪神、横浜、広島)がアマチュアの選手を獲得するために金銭を受け渡していたことが発覚(一場事件。ちなみに広島だけは受け渡しの金銭があまりにも少額だったためオーナー辞任は免れている)。渡辺は球団社長の座を降りつつも会長職に就いて影響力は保ったが、巨人の独断や独走を監視する姿勢はより強まった。
この問題以降、テレビ中継の視聴率が低下。以降は地上波中継の大幅な削減および衛星放送への移管が開始されている。
若手の台頭と有言実行の強さ
堀内監督辞任後は再び原監督が復帰。フロントもそこから意識を変え、血の入れ替えによるベテラン陣を切ったことによって、坂本勇人や亀井義行といった無名の若手が台頭するようになると、2007年から2009年までにセ・リーグとしては久々の3連覇を達成、2009年には7年ぶりの日本一を達成。
2010年、2011年はともに3位に終わるが、2012年から2014年と再び3連覇を達成。2012年には3年ぶりの対決となった日本ハムを再び破って日本一に輝いたが、2013年は楽天に創設後初の日本一を許し、2014年はクライマックスシリーズで阪神に4連敗を喫し、日本シリーズ出場を逃した。
2015年は序盤から野手陣の不振が続いたが、菅野智之やマイルズ・マイコラス、クローザー転向の澤村拓一ら投手陣の奮闘と高いチーム力で東京ヤクルト、阪神、広島東洋カープとの大混戦の優勝争いを演じる。最後は東京ヤクルトに優勝を明け渡す形となり、V逸の責任を取って原監督が退任。野球賭博による一連の問題が明るみに出たこともあり後任人事が危ぶまれたが、最終的には高橋由伸の引退と監督就任という形に落ち着いた。
高橋監督時代の低迷
2016年は辛うじて2位を死守したが、若手の伸び悩みによる選手層の薄さが祟って広島に独走を許した挙げ句、クライマックスシリーズ(以下、CS)第1ステージで3位・DeNAに敗退。オフに交換トレードで日本ハムから吉川光夫、石川慎吾、東北楽天から柿沢貴裕、FAで福岡ソフトバンクホークスから森福允彦、横浜DeNAから山口俊、日本ハムから陽岱鋼を獲得するなど、30億円もの大金を使った大補強で大胆な血の入れ替えを行った。また楽天でプレー経験のあったケーシー・マギーも加入した。
しかし翌2017年、オフの大補強組は石川を除いて故障者と不調者ばかりでまるで戦力にならなかったばかりか、交流戦前の広島戦では全く歯が立たず1勝11敗という大ブレーキとなり、優勝争いから脱落。不調のまま突入した交流戦では13連敗を喫し、1975年以来42年ぶりにワースト記録を更新してしまった。シーズンは4位で終わり、初めてCS出場を逃した。
2018年は菅野智之が15勝8敗で沢村賞を受賞、岡本和真が22歳にして打率3割・30本塁打・100打点を達成。さらには若手左腕の今村信貴、育成選手から支配下に登録されたC.C.メルセデスがローテーション入り、サムエル・アダメスがセットアッパーとして活躍するが、彼ら以外の選手に目立った活躍がなく3位。CS第2ステージでは、広島に3連敗を喫する屈辱を味わった。高橋監督はこの年限りでの退任を表明。
さらに、巨人のOB選手が世間を騒がせる事件を次々と起こしていたことで、球団歌「闘魂込めて」をベースとして、巨人の良くないところを集めた替え歌「商魂込めて」が続々と他球団のファンで歌われることになった(特に阪神ファンは嬉々としながらやっていることに他球団ファンはドン引きしている)。
原監督第3期。大規模補強と血の入れ替えを行うも……
後任は原が3度目の登板。選手の編成を引き受けるGM(ゼネラルマネージャー)も事実上の兼任、「全権監督」の立ち位置になった。
古くからの首脳陣を一新し、新たなコーチとして宮本和知、元木大介などを起用。西武からFA宣言した炭谷銀仁朗、オリックスを自由契約となった中島宏之、MLBのパドレスからはクリスチャン・ビヤヌエバ、マリナーズからライアン・クック、岩隈久志らを獲得した。2019年は一時期2位DeNAに0.5ゲーム差まで詰め寄られたが、5年ぶりにリーグ優勝を達成。平成元年に続いて令和元年もリーグ優勝を決めた。CSでは3位ながら2位のDeNAを下してファイナルステージ進出を果たした阪神を下して日本シリーズに進出するが、2000年シーズン以来となったソフトバンクとの対戦では、相手の勢いを止められないまま1勝もなく屈辱の4連敗を味わった。
2020年はシーズン中盤から独走状態で、シーズン突入後高梨雄平やゼラス・ウィーラーなどをトレードで獲得することになる。最終的には2位・阪神と7・5ゲーム差をつけてリーグ連覇を達成し、ホーム最終戦では、序盤から不調ながら持ち直した坂本勇人が31歳の若さで通算2000本安打に到達した。日本シリーズでは前年と同じくソフトバンクとの対戦となったが、(かつての阪神対ロッテ戦の「33-4」を連想させる)4戦合計「26-4」とほぼ一方的な試合展開に終わり、この年も屈辱の4連敗を味わった。
桑田真澄を投手チーフコーチ補佐に抜擢して臨んだ2021年。FAで横浜DeNAから梶谷隆幸・井納翔一を獲得。また廣岡大志・中田翔をトレードで獲得、MLBから山口俊が途中復帰…と補強を行ったが、投手陣はシーズン前半からマシンガン継投に駆り出され、後半戦から先発ローテーションを中4・5日で回したことで10連敗をするなど大失速し、Bクラス入りは免れたものの3位で終了。CSはファイナルステージで敗退している。
オフに原監督は多数の支配下登録選手を育成落ちさせて、現有戦力のシャッフルを敢行した。2022年はシーズン序盤に両リーグ最速20勝に到達したものの、若手選手のスタミナ不足やキャプテンである坂本勇人の負傷によるシーズン大半の離脱が原因で徐々に失速。チーム防御率はリーグ最下位を記録し、(CS進出をかけた)阪神・広島との3位争いに敗れBクラス・4位で終了。新人の大勢が抑えとして好投した。
2023年は桑田が投手チーフコーチから配置転換となり、代わりに阿波野秀幸を起用。ここ数年の投手陣のマシンガン継投&防御率悪化問題はこの年も改善されず、試合展開では8回になると特に炎上・逆転される試合が際立った。この年は4位で終了し「同一監督で2年連続Bクラス」は球団初の事態となったほか、「伝統の一戦」である阪神戦のカードは6勝18敗1分けで阪神戦でのシーズン最低勝率を記録。さらにこの年は阪神が38年ぶりの日本一になった事により、その責任を取る形で原辰徳監督は任期途中で辞任した。
阿部監督の……
後任は阿部慎之助ヘッドコーチが昇格。トレードや現役ドラフトで実績のある投手を獲得したことで、課題となっていた中継ぎ投手陣の大補強を行った。
フィクション作品における読売ジャイアンツ
ジャイアンツに所属する選手が主人公となる作品として、巨人の星、侍ジャイアンツ、ミラクルジャイアンツ童夢くん、リトル巨人くんなどがある。1960年~80年代は選手の肖像権の概念が薄いため作品の中で実名で登場する選手も多かった。昭和期の少年たちの間で「巨人のプロ野球選手になる」ことは将来の夢の中でも人気のあるものの一つであった。
- 主人公以外では、ドカベンで微笑三太郎が所属していた。
- 河合じゅんじ作の漫画「かっとばせ!キヨハラくん」「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」ではジャイアンツを元ネタとした球団「東京カイアンツ」が登場しており、「マツイくん」ではそれがメインに描かれている。
- パワプロシリーズでは、サクセスモードでのライバルの一人猪狩守がプロ入り後に何度か所属している。
選手・スタッフ一覧
2024年7月24日現在
所属選手
投手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
15 | 大勢 | 右 | 右 | |
17 | 西舘勇陽 | 右 | 右 | 2023年ドラフト1位 |
18 | 菅野智之 | 右 | 右 | |
19 | 山﨑伊織 | 右 | 左 | |
20 | 戸郷翔征 | 右 | 右 | 副会長、投手キャプテン |
26 | 今村信貴 | 左 | 左 | |
28 | 高橋礼 | 右 | 右 | ソフトバンクからトレード移籍 |
29 | フォスター・グリフィン | 左 | 左 | |
30 | 近藤大亮 | 右 | 右 | オリックスからトレード移籍 |
31 | 赤星優志 | 右 | 右 | |
32 | 鈴木康平 | 右 | 右 | |
33 | カイル・ケラー | 右 | 右 | 阪神から移籍 |
36 | 馬場皐輔 | 右 | 右 | 阪神から現役ドラフトで移籍 |
41 | 中川皓太 | 左 | 左 | |
45 | 畠世周 | 右 | 左 | |
46 | 又木鉄平 | 左 | 左 | 2023年ドラフト5位 |
47 | 森田駿哉 | 左 | 左 | 2023年ドラフト2位 |
48 | 田中千晴 | 右 | 右 | |
49 | アルベルト・バルドナード | 左 | 左 | |
52 | 伊藤優輔 | 右 | 右 | 育成から支配下登録 |
53 | 高梨雄平 | 左 | 左 | |
54 | 直江大輔 | 右 | 右 | |
56 | 石田隼都 | 左 | 左 | |
57 | 髙橋優貴 | 左 | 左 | 47から背番号変更 |
58 | 船迫大雅 | 右 | 左 | |
62 | 横川凱 | 左 | 左 | |
63 | 泉圭輔 | 右 | 右 | ソフトバンクからトレード移籍 |
64 | 大江竜聖 | 左 | 左 | |
65 | ヨアンデル・メンデス | 左 | 左 | |
66 | 平内龍太 | 右 | 右 | 11から背番号変更 |
68 | 代木大和 | 左 | 左 | |
90 | 山田龍聖 | 左 | 左 | 28から背番号変更 |
91 | 堀田賢慎 | 右 | 右 | |
93 | 松井颯 | 右 | 右 | |
96 | 菊地大稀 | 右 | 左 | |
97 | 井上温大 | 左 | 左 | |
99 | 京本眞 | 右 | 右 | 育成から支配下登録 |
011 | 笠島尚樹 | 右 | 右 | 育成選手 |
012 | 三浦克也 | 左 | 左 | 育成選手・2023年育成ドラフト1位 |
015 | 川嵜陽仁 | 右 | 右 | 育成選手 |
016 | 千葉隆広 | 左 | 左 | 育成選手・2023年育成ドラフト6位 |
018 | 木下幹也 | 右 | 右 | 育成選手 |
019 | 園田純規 | 右 | 右 | 育成選手・2023年育成ドラフト5位 |
020 | 戸田懐生 | 右 | 右 | 育成選手 |
021 | 小沼健太 | 右 | 右 | 育成選手・92から背番号変更 |
023 | 田村朋輝 | 右 | 右 | 育成選手 |
026 | 吉村優聖歩 | 左 | 左 | 育成選手 |
028 | 富田龍 | 左 | 左 | 育成選手 |
030 | 山﨑友輔 | 右 | 右 | 育成選手 |
034 | 森本哲星 | 左 | 左 | 育成選手 |
035 | エルビス・ルシアーノ | 右 | 右 | 育成選手 |
041 | 黃錦豪 | 左 | 左 | 新外国人・育成選手 |
047 | 鴨打瑛二 | 左 | 左 | 育成選手 |
063 | 花田侑樹 | 右 | 左 | 育成選手 |
捕手
内野手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
00 | 湯浅大 | 右 | 右 | |
0 | 増田大輝 | 右 | 右 | |
2 | 吉川尚輝 | 右 | 左 | 副キャプテン |
5 | 門脇誠 | 右 | 左 | 35から背番号変更 |
6 | 坂本勇人 | 右 | 右 | |
25 | 岡本和真 | 右 | 右 | キャプテン |
35 | 泉口友汰 | 右 | 左 | 2023年ドラフト4位 |
39 | ココ・モンテス | 右 | 右 | 新外国人 |
40 | 中川礼都 | 右 | 左 | |
55 | 秋広優人 | 右 | 左 | |
60 | 菊田拡和 | 右 | 右 | |
61 | 増田陸 | 右 | 右 | |
95 | 中田歩夢 | 右 | 右 | 育成から支配下登録 |
98 | エスタミー・ウレーニャ | 右 | 右 | 楽天から移籍・育成から支配下登録 |
001 | 加藤廉 | 右 | 左 | 育成選手 |
004 | 村山源 | 右 | 右 | 育成選手・2023年育成ドラフト2位 |
005 | 田上優弥 | 右 | 右 | 育成選手・2023年育成ドラフト4位 |
007 | 宇都宮葵星 | 右 | 左 | 育成選手・2023年育成ドラフト3位 |
008 | 相澤白虎 | 右 | 右 | 育成選手 |
025 | 岡本大翔 | 右 | 右 | 育成選手 |
027 | 北村流音 | 右 | 右 | 育成選手 |
永久欠番
1・王貞治
3・長嶋茂雄
4・黒沢俊夫
14・沢村栄治
16・川上哲治
34・金田正一
球団歌
現在の公式球団歌は『闘魂こめて』。(ただし正式名称は『巨人軍の歌』で闘魂込めては愛称。)