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曖昧さ回避編集

  1. ジョージア州アトランタテッド・ターナーが興した放送局(Turner's Broadcast System)。日本の放送局とは関係ない。
  2. 映画、処刑人(The Boondock Saints)の略。トロイ・ダフィー監督作品。1999年アメリカ映画2009年には処刑人Ⅱも公開された。女性に人気の作品である。
  3. ターン制の戦略系シミュレーションゲーム(Turn-Based Strategy)の略称。

概要編集

TBSとは、日本の放送持株会社「株式会社東京放送ホールディングス」とその子会社である事業会社「株式会社TBSテレビ」「株式会社TBSラジオ」の総称。東京放送ホールディングス自体を指す場合は「TBSホールディングス」「TBSHD」と呼ぶ場合がある。またTBSは2009年4月以降株式会社TBSテレビの略称としても用いられている。

なお、TBSはTokyo Broadcasting Systemの頭文字を取ったもの。

コールサインはTBSテレビがJORX-DTV、TBSラジオがJOKR。ラジオ分割まではJOKR(-TV)が共通のコールサインであった。テレビチャンネルは6。

関連チャンネルとして、BS局「BS-TBS」、CS局「TBS NEWS、TBSチャンネル1及び2」が存在する。

略史編集

  • 1951年
    • 4月21日:郵政省(現・総務省)より、ラジオ放送の予備免許を受ける。
    • 5月17日:「株式会社ラジオ東京」設立。
    • 12月15日:本免許交付(JOKR,1130kc,50kW)
    • 12月25日:6:30、東京都千代田区有楽町1丁目(現在新有楽町ビルが建っている)の毎日新聞東京本社新館のスタジオから本放送開始。全国6番目、関東地方初、東日本初の民間ラジオ放送局として開局。
  • 1953年8月:ラジオ周波数を950kcに変更。
  • 1955年4月1日:NHK日本テレビに続いてアナログテレビ放送を開始。東京都港区赤坂一ツ木町(現・赤坂5丁目)にテレビスタジオ・テレビ送信塔を設ける。
  • 1960年
    • 1月17日:テレビ送信所を赤坂から東京タワーに移転。出力を増力。送信所に立っていたアンテナの頭頂部エレメントは、現在は正門前に記念碑として設置されている。
    • 12月29日:社名を「株式会社東京放送」に改称。略称もそれまでの「KRT」から「TBS」となった。「東京テレビ」「東京ラジオ」の呼称も採用したが定着ならず。
  • 1961年
    • 8月:業務用マークを制定。電波のイメージと筆記体「TBS」をアレンジ。1991年まで使用。
    • 10月12日:テレビスタジオ東隣りのテレビ送信塔跡地に「TBS本館」竣工。本社・ラジオスタジオを毎日新聞東京本社から移転
    • 12月1日:社名呼称をTBSに統一。公文書などを除き「東京放送」を使用しない。
  • 1964年10月10日:東京オリンピック開催に伴い、TBS初の放送でのカラーVTRの稼働。
  • 1967年1月15日:「東芝日曜劇場・女と味噌汁」がTBS初のカラーテレビドラマとして制作・放送。
  • 1968年9月30日:この日夕方放送の「JNNニュースコープ」からテレビニュース報道のカラー放送となる。
  • 1969年12月31日:「輝く!日本レコード大賞」がカラーで生放送。
  • 1971年11月:ラジオ出力を100kWに変更。
  • 1975年3月31日:1974年11月19日の合意通り、近畿地方のテレビ準キー局が朝日放送から毎日放送となる。これによりテレビのTBS-MBSの新ネットワークがスタート。『アップダウンクイズ』『真珠の小箱』などMBSのテレビ番組がJNNへ引継がれた。
  • 1978年11月23日、国際電気通信連合の取決めにより、ラジオ周波数が9kHzステップへ変更。これにより午前5時をもってラジオ周波数が954kHzとなる。
  • 1981年3月:横浜に緑山スタジオ・シティが完成。
  • 1991年9月30日:CI導入。シンボルマークとして「ミクロコスモスTBS」を制定。筆記体マーク廃止。
  • 1994年
    • 1月17日:テレビスタジオ西隣りにTBS放送センター「ビッグハット」が完成するのを前に、VI委員会が新しいステーションコピーとロゴを制定。「ミクロコスモス」ロゴに代わるロゴは、TBSビジョンデザイン部・小河原義一によるもので、Times New Romanの太字による。
    • 10月3日:TBS放送センター「ビッグハット」に移転。
  • 1995年10月:ワイドショースタッフが、坂本弁護士のインタビュービデオを放送直前にオウム真理教幹部へ見せていたことが発覚、翌年3月に事実と判明し、社会問題へ発展。
  • 2000年3月21日:将来の放送持株会社解禁を睨み、ラジオ部門の子会社「株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズ(現在の株式会社TBSラジオ)」を設立。また、テレビの娯楽番組制作を行う「株式会社TBSエンタテインメント」とテレビのスポーツ番組制作を行う「株式会社TBSスポーツ」(以上2社は現在の株式会社TBSテレビ)も設立し、事業を分割。
  • 2001年
    • 3月1日:テレビ情報番組・生放送番組制作を行う「株式会社TBSライブ(現・株式会社TBSテレビ)」を設立し、事業を分割。
    • 10月1日:中波ラジオ放送免許をTBSラジオ&コミュニケーションズに承継。テレビ単営局となり、コールサインもJOKR-TVからJORX-TVに変更する。
  • 2003年12月1日11時:地上デジタルテレビ放送開始。
  • 2004年10月:「株式会社TBSエンタテインメント」を存続会社とし、「株式会社TBSスポーツ」と「株式会社TBSライブ」のテレビ子会社3社が合併、「株式会社TBSテレビ」となる。放送・経理以外のテレビ放送事業を集約、業務委託する。
  • 2006年4月:ワンセグテレビ放送開始。
  • 2009年4月:テレビ放送免許を含むテレビ放送事業を株式会社TBSテレビに承継。株式会社TBSテレビの略称がTBSとなる。本社は「株式会社東京放送ホールディングス(TBSHD)」となり放送持株会社となる。
  • 2010年6月29日:2010 FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦の日本対パラグアイ戦をTBSテレビと系列テレビ局、系列局がない県の秋田放送福井放送四国放送サガテレビで放送。
  • 2011年7月24日正午:地上アナログテレビ放送終了。23時58分に通常ジャンクションを放送、その後BooBoが登場し「アナログ放送は終了します」「ありがとうございました」と一礼、24時に停波。
  • 2013年5月31日午前9時:送信所を東京タワーから東京スカイツリーに移転。東京タワーの送信所は予備用として残す。
  • 2018年
    • 6月29日:TBSHDの完全子会社として番組制作会社「株式会社TBSコンテンツ・プロダクト」と映像・文化に関連する「株式会社TBSトータル・メディア」を設立。
    • 11月15日:株式会社TBSコンテンツ・プロダクト臨時株主総会で、「株式会社TBSコンテンツ・プロダクト」が「株式会社TBSスパークル」へ商号変更することが議決。同日限りで商号変更。その後の取締役会で番組制作会社11社を吸収合併することが決定、2019年1月1日に合併が行われる。
    • 12月18日:「株式会社TBSトータル・メディア」が「株式会社TBSグロウディア」へ商号変更。
  • 2020年
    • 4月1日:テレビ開局65周年。翌年(2021年)の創立70周年に向けてグループ全体でロゴを変更。それと同時に従来のジ~ンロゴは廃止された。


民放の雄編集

1970年代には、正力タワー計画で迷走した日本テレビ、子供番組・教養番組比率が多かったフジテレビ、放送免許自体が総合局でないNET(現・テレ朝)、東京12チャンネル(現・テレ東)を圧倒。


この頃の有力民放といえばTBSか日テレであったが、読売の影響が強い日テレに対しTBSは新聞社色が薄かったことから、地方紙系テレビ局はTBS・JNNを選び、一早く全国規模放送ネットワークを確立した。このためTBS系列局は「地元新聞資本により、その地域で最初に開局した、ラテ兼営局」という毛並みが良い局が多い。特に人口200万人前後の大きい県のラテ局は大体JNNが取っている。


テレビ部門はかつては「ドラマのTBS」「報道のTBS」といわれ、その2つ名の通り、ドラマでは「月光仮面」、「ウルトラシリーズ」、「怪奇大作戦」、「シルバー仮面」、「ナショナル劇場」(『水戸黄門』『大岡越前』他)、「水曜劇場」(『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』他)、「東芝日曜劇場」(系列局製作の単発ドラマも放送)、石井ふく子プロデュース作品(『ありがとう』『肝っ玉母さん』『渡る世間は鬼ばかり』他)、「金曜日の妻達へ」「Gメン'75」など、バラエティでは「8時だョ!全員集合」といったヒット作品を輩出。ニュースでは「JNNニュースコープ」に代表されるストレートニュース番組(事実をそのまま伝えるニュース )でNHKに対抗した。

またラジオでは「パック・イン・ミュージック」が文化放送の「セイ!ヤング」、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」と並ぶ3大深夜番組として一世を風靡した。野沢那智白石冬美はこの番組でその名を知られるようになった。


この時代はTBS筆記体ロゴ(しかし、デフォルメし過ぎてVBAに見える)時代としても有名。


苦戦する赤坂編集

ところが、1980年代頃から勢いが低下。ラジオは文化放送ニッポン放送の後塵を拝するばかりかTOKYO FMJ-WAVEにも迫られるようになり、テレビに至っては番組面で当時圧倒的に勢いのあったフジテレビに追い抜かれ、1990年代には「電波少年」などのヒットでバラエティ暗黒時代を抜けた日テレにも追い抜かれる。報道のTBSの威信をかけてテレ朝「ニュースステーション」へ一騎打ちを挑んだ「JNNニュース22プライムタイム」は1年で敗れてしまう。


この他、ボクシング協栄ジム八百長疑惑(いわゆる毒入りオレンジ事件渡嘉敷勝男具志堅用高の防衛戦の相手に毒を盛ったとされる事件。ただし事件そのものは1980年代初頭の話)に始まる数々の不祥事に見舞われ、そして1996年にはオウム真理教事件絡みの「TBSビデオ問題」が発生。「放送前のニュース素材を教団へ確認させた」ことやそれを隠していたことがオウムの暴走へ繋がったのでは批判され、信用を大きく落とした。


さらに2000年代に入ってからも楽天による株式買収騒動(結局持ち株会社への移行で法律に守られる形となり全株を買い戻した)や、プロ野球横浜ベイスターズの経営混乱と暗黒時代を招く。

2002年、本来この球団を取得するはずであったニッポン放送が規約違反のため取得できなくなり、急遽取得することとなったが、この時代球団は低迷及びスキャンダルに見舞われ、LIXILに売却しようとして失敗したり、地元財界の有力人物から「横浜から出て行け!」と怒りを買った。結局2011年シーズン終了後DeNAに売却し、DeNA球団経営が上手であったために何かと比較されてしまっている。

試合放送権を持つボクシングでも亀田に関わるスキャンダルなど色々と問題を起こしてしまった。


一方で1990年に社員・秋山豊寛をソユーズで宇宙へ送り込む快挙もあった。これは世界で最初の民間人宇宙飛行士であり、日本人で初めて宇宙に行った人物でもある。



2度の再建失敗編集

視聴率が悪かったり下がったりするとと即編成・放送時間を変え、それでも駄目なら打ち切る傾向及び上層部の指示により人気番組でも打切ろうとすることがあり、数字が取れないなら放送が10年以上続いた長寿番組であろうと切る、切る、切る。そのような悪循環が祟ってか、NHK含む在京キー局では唯一現在も続いている長寿アニメが1つもない(かつては「まんが日本昔ばなし」と「まんがはじめて物語シリーズ」があった)ほか、TBS系が持っていたウルトラマン仮面ライダーという有力コンテンツの両方を放出している。


1992年再建計画編集

1992年クイズ100人に聞きました等のこれまでの定番バラエティー番組等を一掃し、平日19時に帯バラエティー番組を導入したが、結局「東京フレンドパーク」と「上岡龍太郎がズバリ!」の二本が単独で残っただけだった(ただし「東京フレンドパーク」は一度終了してはいるが)。なお、日本テレビも2009年に似た様なことをやらかしたが、こちらも見事に失敗している(一方で、生き残ったプログラムが存在しているという点でも共通)。また、この際唯一のキー局担当のアニメ番組だった「ダイの大冒険」を打ち切った為、一部の視聴者から批判を受けたとされる。その副作用で土曜日夕方5時半アニメ・特撮枠土6が生まれたとされ、少年アシベ2電光超人グリッドマンのローカル枠放送やウルトラマンネオスのTV版断念はこの再建計画の影響と言う人もいる。


またこれに前後して導入され、すぐ捨てられた新ロゴ「ミクロコスモス」はグロいテレビ局ロゴの代表として語り継がれている。


2009年再建計画編集

2009年、今度は「東京フレンドパークⅡ」や「ぴったんこカンカン」等の優良コンテンツを押しのけ、小林麻耶をキャスターに据えた総力報道THENEWSを導入したが、プロ野球中継や期首期末特番を組むのに弊害となり、僅か1年で御破算となる。さらに言えば「ぴったんこカンカン」こそ移動先の金曜20時台で定着したものの、「東京フレンドパークⅡ」はこの時のゴタゴタが響いて“閉園”へ追い込まれた(が、結局年2回程度の特番という格好で復活)。

実はTBSは1984年10月にJNNニュースコープの平日放送分を19時20分まで延長したことがあったが、1987年10月初旬に19時台の放送をやめている。しかもここでもゲーム番組「ザ・チャンス!」が“犠牲”になった。


甦れ赤坂編集

2000年代頃より、TBSは万年視聴率3位から4位ぐらいのポジションに落ち着いている。ドラマに関しては2010年代に「3年B組金八先生」、「渡る世間は鬼ばかり(渡鬼)」、「水戸黄門」といった定番を終わらせた(ただし、「水戸黄門」に関してはテレビ時代劇衰退といった事情がある上、「渡鬼」は原作者が死んでしまったというやむを得ない事情がある)他、愛の劇場や(毎日放送・CBC割り当て分の)ドラマ30といった昼ドラ枠と「月曜名作劇場」等の2時間ドラマ枠をやめたばかりか、1時間枠の見直しも行った結果、2021年秋の改編時点では火曜22時台金曜22時台、日曜21時台(所謂「日曜劇場」)の3枠までになったものの、2013年の「半沢直樹」のように平均視聴率20%オーバー、最高視聴率40%オーバーといった化け物、2015年の「下町ロケット」や2016年の「逃げるは恥だが役に立つ」のように平均15%超えなどのドラマを輩出することがあるので「ドラマのTBS」は復活。また「報道のTBS」に関しても総力報道の悲劇を越えて、視聴率競争では厳しいが打切ることなく定着するようになった。この他、2010年代に注目された災害報道では、地方新聞社系局を抑えていることが有利に働いている。また、毎日放送がホストを務める全国ネット枠のアニメが一時期次々とヒットし、まさかの「アニメのTBS(+毎日放送)」であったことも。

総合的にも、制作の世代交代により有能な若手が次々と台頭したこと、金曜ゴールデンの視聴率戦略(爆報!THEフライデーぴったんこカン・カン金スマのコンボで中年層を狙う)が成功したこともあり、2015年以降はテレビ朝日と2位争いをするまでに回復してはいるが、フジテレビの視聴率低迷からの、いわば漁夫の利という側面もあり(フジ以外の他局とてその一面もある)、かつて程ではないが視聴率偏重的な編成戦略は相変わらずである。特に月曜日のゴールデンタイムは番組の推移が結構激しかったりする(しかも、19時台は一時期ローカルセールス枠に格下げとなっていた)。かつてはこの時間帯がTBSのドル箱であっただけに何とも皮肉。さらにいえば、かつての「地球発19時」と、古舘伊知朗司会のバラエティーを除き(といっても古舘バラエティーも水曜19時の低迷に巻き込まれ特番休止が多かった)、何をやっても玉砕続きだった水曜ゴールデン(05年春より半年間レギュラー放送なし)も2010年代以降は全国ネット放送を断念し、19 - 21時台全てローカルセールス枠となり(日曜20時台では当たったとはいえなかった「東大王」が水曜19時に移動したら当たったのは何とも皮肉)、金曜ゴールデンに関しても、「ザワつく!金曜日」と「マツコ&有吉かりそめ天国」(いずれもテレビ朝日系列局、ただし一部系列局除く)、「チコちゃんに叱られる!」(NHK総合)、「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」(テレビ東京系列局)、「坂上どうぶつ王国」(フジテレビ、東海テレビ秋田テレビ鹿児島テレビ他)、金曜ロードショー日本テレビ系列局ほか)等の競争に晒された結果視聴率が下がった上「爆報!THEフライデー」と「ぴったんこカン・カン」は終了に追い込まれた。そればかりかバラエティ番組方面はネット上である種の話題には上がるもののほぼ壊滅状態といって良く、唯一安定して2桁稼いでいる「プレバト!!」は毎日放送制作ホスト・・・・・・・全国ネットアニメ枠ではないんだから。その全国ネットアニメ枠ですらアニメファン相手にしすぎたためいざキッズ向けに転換してもコケてばかり深夜に移行する有様(であったが、 結局日曜夕方の枠は復活した)。最早ドラマしか取り柄がない、という有様である(ちなみに手が届きそうにないライバルの日テレは、ここ最近はバラエティは上手いがドラマが若者を意識し過ぎた結果壊滅的で2桁取れれば万々歳という惨状)。

なお、ベイスターズの方はDeNAの改革虚しく遂に2010年代にはリーグ優勝も出来ず(ただし、クライマックスシリーズの恩恵を受け日本シリーズ進出には成功)、こっちの傷は深い模様。


ラジオでは、それまで若者向けの時間帯とされる平日夜21 - 24時台に報道番組「アクセス」を投入して成功を納めるなど、再建の兆候を見せてはいたものの、2018年にラジオ局の恒例行事だったスペシャルウィークの廃止とナイター中継の完全撤退に踏み切り、さらにJ-WAVE読売広告社出身の人物が社長に就任して以降、パーソナリティの世代交代の名のもとに、それまで続いて長寿番組を次々に終わらせるという事態に見舞われ、新たに始まった新番組もほとんどが特定のジャンルに偏るなど迷走に次ぐ迷走状態となってしまい、遂には長期にわたって在京局トップだった聴取率調査でもその座から陥落してしまうという事態に。この影響からか「歌うヘッドライト」以降同時間帯でTBSラジオをネットしていた全国ラジオ局が次々とニッポン放送や文化放送からのネットへ切替えるという現状が起きている。

現在ではラジオとテレビは別会社となっている。


テレビ朝日が六本木の変貌を、フジテレビがお台場の変貌を目撃して来たように、TBSも赤坂の歴史証人となっている。元々近衛第3連隊があった場所で、1961年に建てられた局舎「TBS本館」は、オフィスや高級飲食店が立ち並ぶ赤坂において、未だ庶民的な一面を残す一ツ木通り商店街に面していた。TBS本館、テレビスタジオ、テナントビル「TBS会館」を含め広大であった旧局舎一帯は現在「赤坂サカス」として再開発され、現局舎「ビッグハット」は旧テレビスタジオ跡地に立っている。TBSは現在この不動産の方で放送事業の5倍近く稼いでいる。


2020年には66.6度を意識した新ロゴを制定した。悪魔崇拝・・・ではなく6chと90-23.4(地球傾斜角度)に因む。


キー局として編集

キー局としては、JNN系列としてニュースを提供しているが、この系列の掟として、JNNと番組名に付くものは全加盟局が同時間に放送することや、他ニュースネットワークへJNNニュース素材を提供してはならない加盟局は他系列局ニュースをネットしないなどの排他協定が存在する。

またこの協定が拡大解釈され、番組に関しても適用されることもあり、このためローカル局で野球等の中継を行った場合番組振替がない、という事態も発生することとなった。

この件もありJNN系列の場合、クロスネット局が存在しないとされる。


アニメについて編集

TBS系は最初から総合局で大人相手であったためかテレ朝・テレ東やフジと異なり子供番組は少なく、このため20世紀のアニメ史ではTBSが登場するのはせいぜい1960年代後半の「エイトマン」、「オバケのQ太郎」、「パーマン」、「怪物くん」、(一部地域放送ではあったが)「まんがはじめて物語」、ミニアニメ(かつ番組内プログラム)の「笑ゥせぇるすまん」と、毎日放送製作の「まんが日本昔ばなし」「超時空要塞マクロス」ぐらいで、歴史からするとかなり少ない。TBS(系)のテレビアニメが本格化するのは21世紀になってからである。


既述のように長寿アニメ・シリーズ及び放送枠を抱えていない(コナンの日本テレビ・ドラクレしんのテレビ朝日・ワンピDBのフジテレビなどのように、毎年恒例の劇場版などメディアミックスでの収入が見込めない)ため、基本的に深夜アニメに力を入れている。

これは先述の通り1992年に19時台枠を1時間枠とし、19時台の自社制作(または系列局制作)のアニメ枠を終了させたことや、土日朝枠を報道系のバラエティ番組としたことも大きい。


2016年4月から2017年3月まで、久々のTBS発全国28局ネットの『カミワザ・ワンダ』が放送された。これを引き継ぐ形で翌4月から毎日放送との合同アニメコンプレックス枠「アニメサタデー630」が設定されたものの、2019年6月で終了。毎日放送枠は深夜アニメスーパーアニメイズム枠に移動、TBS枠は廃枠となった。

このため、キー局で唯一系列局制作を含めて全日枠の全国ネットアニメが放送されていない、という、極めて珍しい事態となっていたのであるが、2022年4月から全日枠での全国ネットアニメを復活させた。なお、実は日本テレビも1994年4月から9月まで系列局制作を含めて全日枠の全国ネットアニメが放送されていなかった。


2023年10月からTBS発の全国ネットアニメ枠が復活した。しかも日5の前座枠というおまけまでついた。そして2024年1月からは、もう一枠増えた。別途後述。


自社制作深夜アニメ枠編集

TBS制作の深夜アニメは木曜深夜放送が多い。TBS木曜深夜アニメ枠も参照。

2018年4月 - 2021年9月までは「アニメリコ」の枠名称が与えられていた。

またTBSが製作委員会に参加している作品でも関東では独立局で放送されるケースがある。


以前は関東広域・関西広域・中京広域で放送されることが多かった自社制作枠も、2010年代後半からは地上波では関東ローカルのアニメが増えている。


  • 関西:MBS・サンテレビ・KBS京都
    • MBSでは長らく『アニメシャワー』枠で放送されていたが、2008年10月より木曜深夜にTBS制作のアニメを放送されるようになった。
    • 2011年4月以降、放送される場合は木曜 → 金曜深夜、『アニメ特区』枠で放送されるようになった(ただし『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は『アニメシャワー』枠で放送)。
    • サンテレビ・KBS京都は、TBS制作アニメのうちUHFアニメ形態の作品を中心に放送しているが、TBS放送作品もKBS京都は2006年10月期から、サンテレビは2009年1月期からネットしており、2010年代以降はサンテレビで放送されることも多い。
    • クールによっては放送されても2作共にサンテレビでの放送となることもしばしば。その一方でアニメシャワー・アニメ特区枠では同時期に別作品の再放送が優先されていることも。
    • さらに関西地方での放送自体がない場合も珍しくない。
  • 中京:CBC・テレビ愛知
    • CBCでは『あにせん』という中京ローカル枠があるため1週遅れだった。2015年1月からTBS制作アニメを木曜深夜に集約したことで例外を除きTBSと同日放送となった。
    • 2018年1月期よりMBS制作「アニメイズム」枠と共にレギュラーネットから外れ、アニメリコ枠については不定期ネットとなっている。以降は水曜日に6日遅れでの放送が多い。
    • テレビ愛知はTBS制作アニメのうちUHFアニメ形態作品が放送された。
  • その他の局
  • BS-TBS・BS11
    • BS-TBSはBS-i時代から一部を除き遅れ放送。もともとは大幅な遅れネットだったが、その後TBS制作のアニメは2日遅れ放送のとなった。2020年12月限りでアニメリコが30分枠に整理されたため2021年1月期以降は放送されない場合がある。
    • BS11はTBS制作アニメのうちUHFアニメ形態の作品を放送していたが、2020年以降はUHFアニメ形態でないものも放送する事がある。

CSに関しては、長らくごくごく一部例外(例えば『ひだまりスケッチ』シリーズのうちの初期2作に関してはキッズステーションで放送された)を除けばBS-TBSでの放送終了後にAT-Xで放送されていたが、TBSチャンネル増設に伴いAT-Xより先にTBSチャンネル1で放送されるようになってしまった。しかも中々AT-Xへ回そうとしなくなっている。

もっとも、AT-Xの放映枠逼迫という現状も背景にはある。また、かつてはインターネット配信に関してはほとんど実施していなかった(恐らくBS-TBSが放送権を握っていたため)が、最近では次々と配信されつつある。


2024年1月からはTBS発の全国ネットアニメ枠を木曜news23の後座枠にも設定されているが、枠自体は毎日放送制作ホスト全国ネット枠という格好で2023年7月から設定されてはいた。しかも2024年4月からは、毎日放送制作ホスト全国ネット枠を件の枠の後に設定したため、結果TBS系列局の木曜深夜0時台には事実上のアニメコンプレックス枠が形成されたことになる。


TBSアニメフェスタ編集

自局以外(ただし、毎日放送など自局系列局がほとんどではある)のアニメまで特集するTBSアニメフェスタ2001年から2015年までと2018年に開催していた。

TBSショップで『けいおん!』のイベントを充実させたり、独立局作品を複数取入れているのは恐らくこのため。

ちなみに、毎日放送が担当した「日5」も、『ガンダムシリーズ』と『宇宙戦艦ヤマト2199』以外はほぼ同じ傾向にあったばかりか、スーパーアニメイズムに至っては独立局作品の続編を放送する有様である。


アニメ特撮ファン扱い及び現状編集

夕方枠におけるアニメ枠復活があったとはいえ、幾度のアニメ枠消滅及び放送しているアニメ、特撮シリーズ撤退が続いたためにアニメ特撮ファンからは「アニメを冷遇する放送局」という目で見られがちである。


ただし、厳しくなりつつある夕方枠放送を受け入れキャスト面でもコネの役割を持った「ウルトラマンティガ」、ニュース番組内で番組及び枠消滅後の劇場版を継続して宣伝し続けた「新幹線変形ロボ_シンカリオン_THE_ANIMATION」、朝や夕方枠での再放送や劇場版を放送した「呪術廻戦」など冷遇している訳でなく寧ろ積極的に力を入れている。

上記の通り長寿アニメ・シリーズ及び放送枠を抱えていないことに加え、枠を消す判断が早いことが誤解を生みやすい要素といえる。


実際明らかに前番組から明確に視聴率が大幅な下落かつ、夕方枠放送という無茶な要望を出しながら多額の製作費用の負担が伸し掛かっていた「ウルトラシリーズ」及び製作元の円谷プロ、玩具の売り上げ以上に視聴率を意識した枠のアニメサタデー630でありながら他番組と比べ低視聴率状態が続いた「シンカリオン」など番組側にも要因が大きい。

ゾイドシリーズ」「ダイの大冒険」「僕のヒーローアカデミア」などTBS系列から他局に移った、あるいは改めて放送開始をしたシリーズは「シリーズ及び作品自体は人気であるが低視聴率」「再度休止状態へ入る」というパターンも多く、一概に「TBSがアニメを冷遇している」とは言い難い。

こうした意味では多くのアニメを抱えながらも、その番組の宣伝や製作に力を入れないテレビ東京とは真逆の状態といえる。



オフィス編集

  • TBS放送センター:東京都港区赤坂5-3-6
    • TBSHD、TBS、TBSラジオ、BS-TBS、C-TBSなどの本社がある。
  • TBSHD、TBS、TBSラジオ関西支社:大阪市北区梅田2-5-25 ハービスOSAKAオフィスタワー11階
  • TBSHD、TBS、TBSラジオ名古屋支局:名古屋市中区錦3-24-17 日本生命栄町ビル

スタジオ編集

TBS放送センター編集

1994年4月完成。地上20階地下2階建て。愛称「ビッグハット」。これは建物の上にある2層のパラボラデッキに由来する。土地と建物はかつてのTBSであるTBSHDが所有する。

1Fは総合受付・ロビー、中央管理室、防災センター、2 - 6FまでTBSテレビのスタジオ、8・9FがTBSラジオスタジオ、最上階がTBSHD役員室、12Fはコンビニ「セブンイレブンTBS放送センター店」、三井住友銀行企業内ATMとセブン銀行ATM、それ以外に社員食堂・医務室・理髪室・TBSグループ企業オフィスがある。地下1階は駐車場、地下2階は中継車駐車場と冷暖房・エネルギー管理設備がある。北側にはAスタジオの大道具搬入口へ通じる高低差12mの心臓破りの坂があり、「オールスター感謝祭」の「赤坂5丁目ミニマラソン」ではコースとなっている。坂途中にはA - Cスタジオへ通じる北玄関がある。南側には赤坂通りから入れる南公園がある。

A・BスタジオはTBS本社で最大の面積を誇る。

  • Aスタジオ(4F、260坪):4K対応スタジオ。『新・情報7days ニュースキャスター』『アッコにおまかせ!』『有吉ジャポン』『モニタリング!』『オールスター感謝祭』(休憩タイム)などに使用。かつては『ブロードキャスター』『うたばん』『さんまのSUPERからくりTV』などに使われた。
  • Bスタジオ(4F、260坪):『中居正広の金曜日のスマイル達へ』『COUNT DOWN TV』『オールスター感謝祭』『キングオブコント』『音楽の日』『水曜日のダウンタウン』『ぴったんこカン・カン』『マツコの知らない世界』『炎の体育会TV』『ジョブチューン』などで使用。
  • Cスタジオ(4F、約180坪):バーチャル対応。『ビビット』『サンデーモーニング』『王様のブランチ』『クレイジージャーニー』などで使用。
  • Dスタジオ(2F、約180坪):情報生番組専用。『あさチャン!』(2019年3月まで)『ひるおび』『報道特集』『サンデージャポン』など
  • Eスタジオ(3F、約24坪):BS-TBSスタジオ。中継番組送出サブ。
  • Fスタジオ(3F、約24坪):BS-TBSスタジオ。中継番組送出サブ。
  • Nスタジオ(2F、約24坪):報道局に隣接するニュース専用スタジオ。『JNNニュース』『Nスタ』『NEWS23』『あさチャン!』(2019年4月以降)『S☆1』など
  • Sスタジオ(2F報道局内オープンスタジオ):『TBS NEWS』(CS放送チャンネル)
  • 報道カメラ(2F):報道局内顔出しブース。『JNNフラッシュニュース』『TBSニュース』など
  • Pスタジオ(6F、約25坪):外が見えるガラス張りのパノラマスタジオ。スポーツ局と同じフロアにあり、中継番組の送出サブなどスポーのメインスタジオともなる。

A・Bスタジオは美術搬入口が一体化されており、搬入口を用いて連結が可能。


緑山スタジオ編集

神奈川県横浜市青葉区緑山2100

1975年11月4日に土地造成起工式を行い、1981年3月16日に竣工した。

元々TBS社屋を移転するために土地を取得したが、完成当初から「東京23区から遠い」「他作品との掛け持ちがしにくい」などから出演者やスタッフから評判が良くなく、ここで全番組制作が出来ないとし、パッケージ番組収録に特化した施設及び制作拠点としてオープンした。

1981年5月7日にドラマ制作開始。第1号は『ぼくらの時代』。

1982年7月28日に運営会社「株式会社緑山スタジオ・シティ」が設立。

現在はTBSHDが土地と建物を保有する。

スタジオは貸しスタジオで、TBS番組だけでなく、TBS以外の在京キー局・在阪準キー局・東海テレビ・NHKが制作・放送するドラマなどの収録、映画、CM撮影に使われる。

  • M1スタジオ(180坪)
  • M2スタジオ(180坪)
  • M3スタジオ(180坪)
  • M4スタジオ(240坪)
  • M5スタジオ(240坪)
  • オープロケ地(20,000坪、2,000坪):『ぼくらの時代』、ローソンのCM、『SASUKE』『KUNOICHI』など。

砧スタジオ(東京メディアシティ)編集

東京都世田谷区砧5-7-1

株式会社緑山スタジオ・シティが運営する。TBSの他、MBS、ABCテレビ、読売テレビも使用する。

  • K1スタジオ(200坪)
  • K2スタジオ(200坪)

かつてのスタジオ編集

赤坂メディアビル(かつてのTBS本館)隣にあったテレビ局舎には8つのスタジオがあり、中でも1961年10月に完成したGスタジオは265坪もあり、「東洋一のマンモススタジオ」と呼ばれた。バラエティ番組の他、緑山スタジオ稼働まではここで『3年B組金八先生』などのドラマの一部が収録されるなど、TBSを代表するスタジオであった。


主なアナウンサー編集

  • 上松康郎
    • TBSアナウンサー最初の経験者採用(放送局アナウンサー未経験者が対象の1期生と同時に実施)の一人でNHK第1期生を経て移籍。TBS開局初のラジオニュース番組「朝日毎日読売・三社合同ニュース」ニュースキャスター、初代アナウンサー室長を歴任後、1952年2月に退社。
  • 平野貞一
    • TBSアナウンサー最初の経験者採用の1人でNHKから移籍。開局前日の1951年12月24日に東京駅八重洲口で行った第1回街頭録音のインタビュアー、TBS開局時の時報アナウンスを担当した。
  • 吉村光夫
    • TBSアナウンサー最初の経験者採用の1人でNHK鹿児島放送局から移籍。178cmという(1950年代前半にしては)長身であったため「ロングおじさん」という渾名が付いた。1978年のアニメ・実写併用「まんがはじめて物語」のナレーター。鉄道ファンとしても知られ、1981年2月にTBSを定年退職後は鉄道関係の記述家に転職している。
  • 芥川隆行
    • TBSアナウンサー1期生(放送局アナウンサー未経験者が対象)。慶應義塾大学経済学部を卒業後、神戸の「川西機械」での勤務、大分県高校教員を経て32歳にしてアナウンサーとなった人。ただTBSではテレビ開局記念番組「グランドテレビパレード」司会、ラジオドラマの語り手などそれ程活躍した訳ではなかった。1959年12月TBSを退職してフリーアナウンサーナレーターに転職すると、才能が花開き「兼高かおる世界の旅」の聞き手や大映ドラマナレーターとして広く知られるようになる。妻は本田節子
  • 池谷三郎
    • TBSアナウンサー1期生。ラジオ視聴者参加型番組「浪曲天狗道場」玄関番(司会)。1954年の映画「ゴジラ」アナウンサー役で出演、その後も東宝特撮映画に何度も出演するもノンクレジットが多く、特撮映画ファンの間では「いつものアナウンサー」の呼称が付けられた。1978年8月にTBSを定年退職後は東京アナウンス学院校長を務めるなど後進育成にも力を尽くした。
  • 財前和夫
  • 楢木昭子竹山昭子
    • 日本女子大学卒業後、特別調達庁勤務を経てTBSアナウンサー1期生。1961年5月にTBSを退職後はフリーアナウンサーを経て、放送史研究者に転身。日本の放送黎明期、太平洋戦争下におけるラジオ番組の実態解明を研究する。夫は竹山恭二。
  • 本田節子
    • TBSアナウンサー1期生。ラジオ「婦人新聞」、「ポルテニア音楽」を担当。夫は芥川隆行。
  • 武藤和子
  • 小坂秀二
    • 1952年3月経験者採用でNHK大阪放送局から移籍。愛称はオジサン。スポーツアナ。栃若時代の名付け親とされる。1973年3月にTBSを定年退職後は放送界を引退。歯科医師に復帰し、その傍ら相撲、囲碁に関する執筆活動を行っている。妻は高橋昭夸
  • 近江正俊
  • 杉山真太郎
  • 竹山恭二
    • TBSアナウンサー2期生。叔父は『ビルマの竪琴』で知られる評論家・ドイツ文学者・小説家の竹山道雄1986年3月にTBSを定年退職後は映像作家・文筆家として活動。妻は竹山昭子。
  • 吉川久夫
    • TBSアナウンサー2期生。1952年4月に入社当初は報道部。1953年2月にアナウンサーとなり、主にスポーツ実況中継を担当。1959年6月25日、日本プロ野球初の天覧試合ラジオ実況を担当。1963年11月9日、ボクシング中継終了後から帰宅途中の電車内で鶴見事故に遭遇し現場近くのクリーニング店に駆け込みTBSに第一報を入れ、中継リポートを行う。1986年3月にTBSを定年退職。
  • 渡辺謙太郎
    • TBSアナウンサー2期生。プロ野球中継を中心としたスポーツ実況中継で活躍した、元祖スポーツアナ。
  • 高橋昭夸
    • TBSアナウンサー2期生。ラジオ「花のゆくえ」、「花ふたゝび」などを担当。1955年3月小坂秀二と結婚のためTBSを退職、それに伴い放送界を引退。
  • 中島道中島みち
    • TBSアナウンサー2期生。ラジオ「こども音楽コンクール」司会などを担当。1958年12月にTBSを退職。フリーアナウンサーを経てノンフィクション作家として活動している。
  • 榎本勝起
    • TBSアナウンサー3期生。愛称は「榎さん」。1952年11月入社当初は編成局考査部で、その後制作一課、調査部を経て1954年4月にアナウンサーとなる。1984年のアニメ・実写併用「まんがどうして物語」のナレーター。同年10月にTBSを定年退職後はラジオ、講演会で活動。
  • 鈴木治彦
    • TBSアナウンサー4期生。愛称は「治さん」。
    • 朝のワイドショー番組「モーニングジャンボ」総合司会者。
  • 松野道男
  • 大沢嘉子
    • TBSアナウンサー4期生。ラジオ「ミュージック・ハイウェイ」、「ダイヤモンドハイウェイ」パーソナリティー。
  • 松浦園子
    • TBSアナウンサー4期生。ラジオ「ラジオ日曜演芸館」、テレビ「東宝スクリーントピックス」などを担当。夫は財前和夫
  • 山本文郎
    • TBSアナウンサー5期生。愛称は文さん(またはブンさん)。「TBSテレポート6」の司会進行(ニュース読みは毎日新聞記者にお任せ)や「モーニングeye」の司会でお茶の間に親しまれた。
    • 1994年9月、定年3ヶ月前にTBSを退職。
  • 麻生雅子
    • TBSアナウンサー5期生。瞳と髪型から「TBSのローレン・バコール」と呼ばれた。ラジオ「パック・イン・ミュージック」パーソナリティー、「オーナー」アシスタントなどを経て後に制作職に転じる。1994年7月にTBSを定年退職。
  • 佐藤美智子宇井美智子
    • TBSアナウンサー5期生。1960年7月にTBSを退職後は行動心理研究家、地域振興コンサルタント、評論家、占星術師として活動している。
  • 町田教子木元教子
    • 1956年5月に立教大学在学中に嘱託採用され編成局嘱託アナウンサーを経て、1957年4月にTBS社員採用されTBSアナウンサー5期生となりTBSに正式に入社。
    • 結婚後は事実上フジテレビと専属契約を結び、「小川宏ショー」アシスタントや「3時のあなた」の司会を務めた後、フリージャーナリストへ転向した。主に原子力問題に切り込んでいる。
  • 池田孝一郎
    • TBSアナウンサー6期生。スポーツアナ。ラジオ「走れホリデー」「日曜競馬メモリー」、テレビ「JNNニュースデスク」等を担当。1995年6月にTBSを定年退職。
  • 石井智
    • 大学卒業後、製薬会社に1年間の勤務を経てTBSアナウンサー6期生。スポーツアナ。
    • 1995年7月にTBSを定年退職しフリーアナウンサーへ転向したが2か月後に急死。
  • 新堀俊明
    • TBSアナウンサー6期生。ナレーション、ラジオ「ダイヤモンドハイウェイ」パーソナリティー等を担当。1963年に実質記者に転身、テレビ「JNNニュースデスク」「JNNニュースコープ」キャスター、「サンデーモーニング」初代コメンテーターなどを務める。
    • 1992年3月にTBSを退職後は評論家として活動する他、日本大学教授を務めた。
  • 料治直矢
    • TBSアナウンサー6期生。スポーツアナ、ラジオ「飛び出すスタジオ」「ダイヤモンドハイウェイ」パーソナリティーを務めたあと1966年に記者に転身。その後もテレビ「TBSテレポート6」初代キャスター、「報道特集」キャスターなどを務める。強面で有名。妻は元フジテレビアナウンサーでママとあそぼう!ピンポンパンの初代お姉さん役で知られる渡辺直子
  • 今井登茂子
    • TBSアナウンサー6期生。女性アナウンサー初の水泳実況中継を担当。
  • 山田二郎
    • NHKから1960年経験者採用により移籍。スポーツ、歌謡番組を担当。
  • 川戸貞吉
    • TBSアナウンサー7期生。1965年12月にテレビ編成局第1演出部へ移動に伴い制作職に転じる。1993年3月に退職後は演芸評論家として主に落語関係で活動。妻は川戸惠子。
  • 坂元良江
  • 結城田鶴子
  • 鈴木史朗
  • 大沢悠里
    • TBSアナウンサー9期生。「大沢悠里のゆうゆうワイド」などラジオでの活躍がほとんどであり、テレビに出る際もほとんどがナレーションであるが、どこでどう間違えたのか日曜お昼のバラエティ番組(しかも全国ネット)「ゆうYOUサンデー!」の司会をしたことがある。
  • 桝井論平
    • TBSアナウンサー9期生。愛称はロンペー。ラジオ「パック・イン・ミュージック」パーソナリティー、アニメ・実写併用「まんがはじめて面白塾」ナレーター。
  • 宇野淑子
    • TBSアナウンサー9期生。2002年にTBS女性アナウンサー初の定年退職。
  • 二村義子
    • TBSアナウンサー9期生。愛称は「ギコさん」。ラジオ「パック・イン・ミュージック」パーソナリティー。
  • 小川哲哉
    • TBSアナウンサー10期生。ラジオ「ダイヤモンドハイウェイ」、「パック・イン・ミュージック」パーソナリティー。TBSを1972年9月に退職後も「ザ・チャンス!」のナレーション(進行・説明役)を担当している。
  • 奈良陽
    • TBSアナウンサー10期生。ニュース、報道番組を担当。テレビ「JNNニュースデスク」、「JNNおはようニュース&スポーツ」、「TBSテレポート6」、「JNNニュース1130」キャスター、「スーパーワイド」ニュースコーナー担当などを歴任したTBS報道の顔でもあった。兄はモーニングショーの3代目司会者で知られるテレビ朝日アナウンサーであった奈良和2002年1月にTBSを定年退職。
  • 五味陸仁
    • TBSアナウンサー10期生。アナウンサーとしてのキャリア当初はラジオ番組での活動が主であったが、後にテレビのニュース番組司会やリポーターなどで活躍した。また、「朝のホットライン」初代司会を務めたが、何故か半年で降ろされてしまった。
    • ごみ みちひと」と読む。
  • 遠藤泰子
    • TBSアナウンサー11期生。「永六輔の誰かとどこかで」のアシスタントを番組開始 - 終了まで務めた。1972年4月にTBSを退職後は、1975年4月 - 1978年9月にかけて、「3時にあいましょう」のアシスタントを務めている他、長年に渡りラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」のアシスタントを務めている。
  • 藤田恒美
    • TBSアナウンサー11期生。ラジオ「パック・イン・ミュージック」パーソナリティー、「全国こども電話相談室」2代目お姉さん。
  • 堀川恵子(川戸惠子
    • TBSアナウンサー11期生。1983年4月にJNNニュースデスクのアシスタントに就任したことで、TBS史上初の女性ニュースキャスターとなった。しかもそのJNNニュースデスク週末版メインキャスターも務めている。夫は川戸貞吉。
  • 小口勝彦
    • TBSアナウンサー12期生。ニュース、報道を担当。後に制作職に転じ、「お天気クジラ」、「JNNニュースの森」等のディレクター、プロデューサーを歴任。妻はフジテレビアナウンサーを経て「TBSテレポート6」キャスターを務めた岩崎真純
  • 久米宏
    • TBSアナウンサー12期生。「ザ・ベストテン」初代アシスタントで一躍TBSの顔に。その他在籍中は「ぴったしカン・カン」の初代司会を務めている。フリー転身後は「ニュースステーション」でさらに有名となったのはご存知の通りで、後輩・渡辺真理と組んだこともある。
  • 林美雄
    • TBSアナウンサー12期生。ラジオ「パック・イン・ミュージック」パーソナリティー。2002年、在職中に死去。
  • 宮内鎮雄
    • TBSアナウンサー12期生。ラジオ「パック・イン・ミュージック」パーソナリティーやテレビ「風雲!たけし城」のナレーションを務めた。ヒッピーの風貌が特徴。
  • 松永邦久
    • TBSアナウンサー13期生。報道を担当。ラジオ「パック・イン・ミュージック」パーソナリティー、テレビ「JNNおはようニュース&スポーツ」「JNNニュース1130」キャスター。
  • 小島一慶
    • TBSアナウンサー13期生。ラジオ「パック・イン・ミュージック」パーソナリティー、アニメ・実写併用「新まんがなるほど物語」ナレーター。玉置宏の後を受けて「ロッテ歌のアルバム」の2代目司会者を務めた。退職後も自身の不祥事て降板するまで「どうぶつ奇想天外!」のナレーションを務めた。妻は池田園子。
    • あるラジオ番組の替え歌で弄られるほどの麻雀好きで、赤坂近辺の雀荘ではよく見掛けられたという。
  • 池田園子
    • TBSアナウンサー13期生。ラジオ「おかずのヒント」を担当後、1970年2月にTBSを退職。夫は小島一慶。
  • 見城美枝子
    • TBSアナウンサー13期生。ストライキの度に労働組合から「お前休め」といわれてばかりいたのでそれに嫌気が指してTBSを辞めてしまった人。フリー転身後に「おはよう720→おはよう700」のアシスタントを務めた。愛称はケンケン
  • 郷司淑子
    • TBSアナウンサー13期生。ラジオ「こども音楽コンクール」司会、「パック・イン・ミュージック」パーソナリティー、テレビ「ベルトクイズQ&Q」アシスタント等を担当。1974年12月にTBSを退職。
  • 菅原牧子
    • TBSアナウンサー13期生。ラジオ「歌のない歌謡曲」を1975 - 1995年の約20年間務める。
  • 石原俊爾
    • TBSアナウンサー14期生(一般職として採用後、アナウンサー職に配属)。ニュース・報道担当。後にTBS社長を歴任。
  • 稲生二平
  • 田中良紹
    • TBSアナウンサー14期生。ニュース・報道担当。テレビ「JNNニュース22プライムタイム」リポーター。1991年3月にTBSを退職。
  • 山田修爾
    • TBSアナウンサー14期生。アナウンサーとしては総合系であり、ナレーション等を担当。後に制作者として「日本レコード大賞」「ザ・ベストテン」等のプロデューサー、山口百恵引退コンサート等の総合演出を歴任し、しつこさと粘り強さからマムシの異名を持った。
    • 2005年9月にTBSを定年退職後はキャスト・プラス代表取締役社長等を歴任し後進育成・人材発掘にも力を尽くした。
  • 松下賢次
    • TBSアナウンサー15期生。スポーツの他、「ザ・ベストテン」3代目アシスタントも務める。
    • 「ニュースコープ」スポーツコーナーでダジャレを披露し、帰宅間もない視聴者や夕飯中の視聴者を脱力させた。また2006年WBC準決勝日本対キューバ戦での「生き返れ、福留!」の実況も良く知られる。
  • 生島博(生島ヒロシ
    • TBSアナウンサー16期生。在籍中からラジオ・テレビ両方で活躍。「ザ・ベストテン」追っ掛けマンでもあり、久米宏降板後の輪番体制で代理司会者も務めた。退職後も長らくラジオの方で番組を持ち続けている。
  • 松宮一彦
    • TBSアナウンサー16期生。鉄道、スキー(松宮自身もアルペンスキー選手でもあった)ヲタ。「SURF&SNOW」のパーソナリティを務めた。また、「ザ・ベストテン」追っ掛けマンとしても知られ、久米宏降板後の輪番体制で代理司会者も務めた。なお、追っ掛けマンとなったことで木曜夜のラジオを担当出来なくなった松宮が立てられた代役から始まった番組が「コサキン」である。
    • 1998年6月にTBSを退職。その後1999年9月27日に私生活のトラブルが元で自殺へ追込まれた。その死は久米と渡辺真理が司会の「ニュースステーション」で取上げられ、さらに同期であった生島は自らのラジオ番組でこのことに触れ、怒りを顕わにしながら号泣した。
  • 三雲孝江
    • TBSアナウンサー17期生。テレビ「ザ・ベストテン」追っかけウーマン、「3時にあいましょう」アシスタント等を経て、同期の吉川美代子の後を受けて「JNNニュースコープ」のアシスタントを務めた。1990年10月にTBSを退職後も「ブロードキャスター」や「JNNイブニング・ニュース」のメインキャスターを務め、2020年末時点では「(恵俊彰)ひるおび!」の月曜ご意見番を務める。
    • NHKアナウンサーで「ニュースウォッチ9」のリポーターを務める星麻琴は娘。
  • 吉川美代子
    • TBSアナウンサー17期生。入社当初はその美貌から「TBSの松坂慶子」の異名を取った。1980年代半 - 1990年代前半まで夕方の顔として親しまれた(JNNニュースコープアシスタント→JNNニュースコープ週末版メインキャスター→ニュースの森週末版メインキャスター)。
    • 年を経てからは後輩アナウンサーの鬼軍曹教官としても知られるようになり、独自のアナウンサー論を述べることも。
  • 林正浩
    • TBSアナウンサー18期生。スポーツアナ。ラジオ「ザ・ヒットパレード」、テレビ「JNNおはようニュース&スポーツ」等も担当。2016年3月、TBSを定年退職。
  • 牧嶋博子
    • TBSアナウンサー20期生。テレビ「ザ・ベストテン」追っかけウーマン、「分かるかなワールドジェスチャー」、「新伍のお待ちどうさま」、ラジオ「武田鉄矢の金八ラジオ」等を担当後、1987年に報道局に異動し報道記者に転身。
  • 柄沢晃弘
    • TBSアナウンサー21期生。テレビ「ザ・ベストテン」サポート司会(渡辺正行4代目アシスタント時代)、「JNNおはようニュース&スポーツ」、「相模湾オープン・ヨット・レース」(1987年6月TBS初のヨットレース実況中継)等を担当。
    • 1991年9月にTBSを退職。アメリカ留学を経て1992年WOWOW社員アナウンサーとして入社。
  • 椎野茂
    • TBSアナウンサー21期生。スポーツアナ。テレビ「JNNおはようニュース&スポーツ」、「ニュースコープ」、「JNNニュースデスク」等を担当。2019年1月にTBSを定年退職。野球での「毒舌実況」がよく知られている。
  • 岡田泰典
    • TBSアナウンサー22期生。「朝のホットライン」3代目気象情報担当者だが、天気を伝える前にしばしば一発ギャグを披露し、通勤通学前の視聴者や司会の草野仁を脱力させた。
  • 長峰由紀
    • TBSアナウンサー23期生。「わいわいスポーツ塾」のアシスタントで名を売ったが、本人はニュース番組をやりたがっていた。フリーアナウンサー対象面接を強引に受けて定時ニュース担当をもぎ取って以後、主にニュースキャスターとして活動しているが、ちょっと派手目な顔立ち故に、TBSラジオ番組で「ニュースも読めるお水の人」などと弄られてしまったことがある。
  • 向井政生
    • TBSアナウンサー24期生。餃子とアニメをこよなく愛する男。アニメ好きが高じてTBSアニメフェスタの司会を務めた。
    • 2019年11月に顎下腺(がくかせん)ガンが発見されて以降、治療を受けつつ仕事をこなすも、2022年7月以降担当番組降板を余儀なくされた。2023年1月21日にTBS定年4ヶ月前に死去。
  • 小林豊
    • TBSアナウンサー25期生。別名「小林少年」。
  • 渡辺真理
  • 安東弘樹
    • TBSアナウンサー27期生。愛称はアンディ。「アッコにおまかせ!」のセカンドアシスタントで有名に。
  • 雨宮塔子
  • 進藤晶子
    • TBSアナウンサー29期生。実家が医院であったので医者となりたかったが挫折、アナウンサーとなっちゃった人。
    • 「ランク王国」の司会でコスプレ姿を披露するハメとなったり「筑紫哲也NEWS23」のアシスタントを務めたあと、「JNNニュースの森」のメインキャスターを務めた。TBSをやめてからも「がっちりマンデー」のアシスタントを務めている。
    • 「実はTBSにいた頃いじめられてました」と文藝春秋(月刊誌で芥川賞・直木賞が発表される方。週刊文春ではないので念のため)にぶっちゃけたり、TBSの「兄弟分」であるスポーツニッポンに嘘書かれたりと結構大変な目に遭っている人。婿殿はプロゴルファー・深堀圭一郎。
  • 小島慶子
    • TBSアナウンサー30期生。ラジオ「小島慶子 キラ☆キラ」でラジオの女王に。テレビ「ニュースフロント」、BS-TBS「NEWS サンデー・スコープ」等を担当後、2010年6月にTBSを退職後はタレント、エッセイストとして活動。
  • 堀井美香
    • TBSアナウンサー30期生。2022年3月にTBSを退職後はフリーアナウンサーの他、朗読、「天才てれびくん(第2期)」などナレーターとしても活動。
  • 安住紳一郎
    • TBSアナウンサー32期生。長年TBSの看板を背負う。
  • 小倉弘子
    • TBSアナウンサー32期生。「JNNニュースの森」最後のメインキャスター。
    • 大学生時代に「恋のから騒ぎ」(日本テレビ)に出演したことがあるが、ラストコーナー「愛の説教部屋」に最初に送られてしまう、という屈辱を味わっている。
    • 婿殿は元サッカー選手・水内猛
  • 駒田健吾
    • TBSアナウンサー33期生。テレビ・ラジオ双方こなしているが、それ故に、生放送ラジオ番組に出ているのに事前収録されていたテレビ番組放送がそれとぶつかってしまった、という珍現象に見舞われたことがあった。
  • 海保知里
    • TBSアナウンサー34期生。「はなまるマーケット」セカンドアシスタントを務めた。
    • ニックネームは「ガチャピン」。何でも顔が似ているかららしい。
  • 山内あゆ
    • TBSアナウンサー35期生。実はベトナム人で、本名は「スミトモ・グエン・リュー・タイフォン」。ちなみにスミトモは御主人の名字で彼もまたTBS勤務。そして山内は母親の旧姓から頂いたものであるとか。
    • 回文の達人。
  • 有馬隼人
    • TBSアナウンサー36期生。スポーツアナ。学生時代は将来を嘱望されたアメリカンフットボール選手であり、一度はアナウンサーの道に進みそちらでも期待されるようになっていたが、アメフトの夢を捨て切れず専念するため2004年3月にTBSを退職。以降もラジオの他アメフト関連の活動が多い。
  • 川田亜子
  • 小林麻耶國光真耶
    • TBSアナウンサー38期生。TBS在職中もフリーとなってからも何かとお騒がせな人。
    • 妹はフリーアナウンサーであった小林麻央で、その旦那(=麻耶の義弟)は13代市川團十郎(妹の存命当時は11代市川海老蔵)。
  • 赤荻歩
    • TBSアナウンサー39期生。
    • 2019年6月から「Nスタ」日曜版のメインキャスターを務める傍ら、「ラヴィット!」の各種対決の実況要員として有名に。
  • 井上貴博
    • TBSアナウンサー42期生。身内の不祥事などが元で「朝ズバッ!」を降板するハメとなったみのもんたの後釜を任されたことで名前を売った。2024年11月時点ではホラン千秋と組んで「Nスタ」のメインキャスターを務める(ただし金曜日除く)。
  • 杉山真也
    • TBSアナウンサー42期生。スポーツ実況の他『SASUKE』のメイン実況、さらには『東大王』の実況、『THE TIME』シリーズの仕切り役を務めている。
  • 枡田絵理奈
  • 江藤愛
    • TBSアナウンサー44期生。テレビ「(恵俊彰)ひるおび!」アシスタントや「CDTVライブ!ライブ!」の司会を務める、TBS女子アナのエース的存在。
  • 田中みな実
    • TBSアナウンサー44期生。小林麻耶同様中々お騒がせな人。
  • 小林悠
    • TBSアナウンサー45期生。TBS入社前は「小林はるか」名義で芸能活動を行っている。
  • 佐藤渚
    • TBSアナウンサー45期生。TBS入社前は芸能活動を行っている。
  • 吉田明世
    • TBSアナウンサー46期生。「サンデージャポン」のアシスタントを務めたが、本番中に2度、体調を崩して退席してしまったことがある。
  • 林みなほ
    • TBSアナウンサー47期生。ラジオ「プレシャスサンデー」、テレビ「いっぷく!」等を担当後、2019年9月にTBSを退職後はフリーアナウンサーの他、美容関係も行う。
  • 国山ハセン
  • 笹川友里
    • TBSアナウンサー49期生。2013年4月に一般職でTBSテレビに入社。アシスタントディレクターを経て2014年4月よりアナウンサー。
  • 宇垣美里
    • TBSアナウンサー49期生。アニヲタ。
  • 日比麻音子
    • TBSアナウンサー52期生。入社からしばらくは『報道特集』などでスポーツニュースを読むことが多かった。2024年11月の時点では『Nスタ』金曜メインキャスターを務める。
    • かなりの好きであり、それを買われてBS-TBSの「おんな酒場放浪記」のリポーターも務めている。
    • ひび まおこ」と読む。
  • 田村真子
  • 野村彩也子
    • TBSアナウンサー56期生。狂言方和泉流の能楽師・俳優・演出家の2世・野村萬斎の娘。ファッション誌『CanCam』の専属読者モデル「CanCam it girl」、オックスフォード大学とウィリアム・アンド・メアリー大学へ留学の経験を持つ。
  • 南波雅俊
    • 2012年にNHKに入局、スポーツ実況したいがために2020年10月1日付でTBSへ移籍(NHK広島放送局時代には広島東洋カープ戦のラジオ中継で実況を担当していたが全国向けはほとんどなかった)。現在はスポーツ中継の傍ら、朝のバラエティ「ラヴィット!」で稲葉浩志B'z)のモノマネで歌い出すことも。


番組一覧編集

ドラマ編集


バラエティ編集


音楽編集


アニメ編集

製作委員会に参加しているがTBSでは放送していない作品編集


報道編集


スポーツ編集


ドキュメンタリー編集




特徴編集

在京局の中でも特にコンプライアンス意識が希薄の傾向が強く、幾多の問題や不祥事が起きる頻度も他局より高い。

これはテレビもラジオも同様。

また近年ではネット受けを重視したような番組作りが顕著であり、ヤフコメでは事あるごとに記事になっては評判を得ている。



関連タグ編集

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