リアルチート(日本)
りあるちーとにほん
武将
大人五人でようやく引ける「五人張りの弓」を常用する、古今無双の弓引き。そのあまりの暴れん坊ぶりに手を焼いた父親に勘当されるが、追放先の九州で現地の豪族や武将を配下にして大暴れする。保元の乱では九州武士28騎を率いて兄の源義朝率いる関東武士200騎と対戦。激戦の末敗れた為朝は二度と弓が引けないよう腕の腱を切られて伊豆大島に流されるが、間もなく弓が引けるまで回復し、伊豆七島を支配する豪族となる。
戦国時代の剣豪。剣の試合では1度も愛刀に傷を付けることはなかった。
他にも沢山の優秀な弟子を育てており、将軍・足利義輝(後述)をはじめ、上泉信綱、諸岡一羽らの剣豪、今川氏真(後述)や山本勘助、成田長泰らの戦国武将に剣術を伝授している。
石見の戦国大名で「下克上の先駆」と言われる人物。
月山富田城を鉢屋衆と旧臣100人で奪取した他、中国11カ国の大大名となり、尼子家の隆盛を築いた人物。のみならず、絵筆をとって自画像を描く、『伊勢物語』を書写する等、多くの才能を持っていた。
安芸の戦国大名。
戦術面では初陣である有田中井手の戦いではわずか800の軍勢で対する安芸武田軍3000を撃破し、吉田郡山城の戦いではわずか2400の軍勢で10倍の軍勢である尼子軍30000を撃破し、更に厳島の戦いでは4000の軍勢で大内軍25000を撃破して陶晴賢を戦死させるという戦いを見せ、戦略面では安芸国内の有力国人を傘下に取り込み、吉川家と小早川家を補佐に据える、いわゆる両川体制を取り入れた。
室町幕府の幕臣で、ミスター文武両道。
武芸に至っては主君・義輝同様に塚原卜伝から剣術を学んだ他に京都の路上で暴れていた牛を掴んで投げ飛ばしたりする、文化に至っては藤原定家の歌道を受け継ぐ二条流伝承者・三条西実枝から歌の奥義「古今伝授」を受けた当時唯一の伝承者でもあった他に息子・忠興の教育に和歌を取り入れるなどの文武両道っぷりを見せている。
三英傑の1人。知恵を巡らせた戦闘を得意とし、浅井長政討伐から軍功を立て続けた、戦国一の出世頭。本能寺の変後は、織田家を傘下に入れる形で日本史上極めて稀な日本統一を成し遂げている。日本史上唯一の、足軽出身の天下人としても名高い。
戦国最強、天下無双と呼ばれて久しき徳川家康の忠臣。生涯参加した57の戦(いくさ)において、全て無傷で生還したという伝説は有名。
『軍神』、『越後の龍』とも呼ばれる武将。武田信玄と五回にわたって戦った川中島の戦いは有名。生涯で二回しか負けていない(一説では無敗とも)。
その有能ぶりはすさまじく、「治部少(=三成)に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」という、一人の武将と城を同格に例えた詩があるほど。
「関ヶ原の鬼」と評される所以となった散り際の壮絶さは今なお語り草。
Mr.徳川キラー。第一次・第二次上田合戦や大坂の陣でなどで幾度に渡り煮え湯を飲まされた、家康にとってはまさにトラウマ的存在。
ちなみに、家康側に付いた信繁の兄・信之も、内政面ではある意味チート的存在。
鬼島津の異名で知られる古参の豪将。
関ヶ原の「捨て奸戦法」はまさに伝説。
朝鮮の役における泗川の戦いの戦いにおいて、7千の軍勢を率いて数万の敵兵を撃滅したのは冗談としか思えないほど(このため、対戦相手の明朝鮮軍の戦力は資料において差がある。だいたい5万から10万といったところ)
ちなみに、兄貴の義久は外交・政治方面に特化したチート。弟の歳久・家久は軍事方面で高い素質を誇る。
というか、この頃の島津家は得意分野の違うチートが沢山いる。
- 太田資正/太田三楽斎
マイナー武将だが、生涯79回の合戦を生き抜き、そのうち一番槍(最初に首を落とす武功)23回、組打ち(相手を素手で組み伏せて首を取る武功)34回と、凄まじい戦闘能力を有する。
また知将としての一面もあり、日本初の軍用犬の運用者ともいわれ、和歌に精通した文化人でもあった。ちなみに義理の孫に甲斐姫がいたり、娘の嫁ぎ先があの忍城だったりと、自分の周辺にも武辺に事欠かない人物でもある。
大阪夏の陣で真田信繁に並ぶほどの活躍を見せたリアル戦国無双。
信繁と共に徳川家康の陣へ突っ込んでいった他、徳川方の多くの大名級の武将を撃退し、本多忠朝と小笠原秀政を討ち死にさせている。
大阪の陣以前でも実績があり、朝鮮出兵では明・朝鮮連合軍を打ち破っている。
- 由良妙印尼/赤井清子
甲斐姫の母方の祖母で戦国最強の女性。77歳にして忍城防衛に参加し、豊臣の大軍勢から忍城を守った。
徳川家康や豊臣秀吉に仕えた武将で、リアル花の慶次。
参加した数々の合戦での活躍ではフィクション級であり、初陣である高天神城の戦いでは信長から感状を受け取ったと同時に永楽銭の旗印を貰うほどだったり、天正壬午の乱では少ない手勢で北条と交戦した際にそれを大混乱に陥れて撃退したり、小牧長久手の戦いでは目を怪我した状態で1番槍を挙げたりするほど。
さらに75歳の時には、高齢でありながら島原の乱に参加している。
軍人
海軍
日本軍が誇る大空のサムライ。
僚機の被撃墜記録がないエースパイロットは戦史上ハルトマンとこの人だけである。
日本海軍最強の零戦パイロット。
日米パイロットの中で唯一撃墜数200機超えを記録した。
敵味方から恐れられた「菅野デストロイヤー」。
超攻撃的な戦い方と、自身の乗機紫電改に描いた黄色のストライプから、敵にイエローファイターとも呼ばれていた。
よく乗機を壊すことでも有名で、自機の主翼を敵機にぶつけて撃墜させたこともある。
日中戦争から太平洋戦争終戦までの間、一度も被弾しなかった無傷のゼロファイターゴッド。
第三次ソロモン海戦において部下と共に米艦隊に単艦で突撃し、旗艦含む多数の艦をフルボッコにするという頭のおかしい戦果を叩き出した挙句、夕立が航行不能になっても即席の帆を作ってなおも戦闘続行を試みるという前代未聞の行動に出る。
後に駆逐艦大波の艦長として再び出撃した際に戦死、駆逐艦艦長としては異例の二階級特進を遂げた。
- 以下大日本帝国海軍の航空隊エースたち
……というか、上記三名が目立つ話であってこの頃の海軍航空隊はバケモノの巣窟だった。
代表として、赤松貞明(75機ものP-51に単機突撃して無傷で一機落とした異能生存体)、江草繁隆(「艦爆の神様」と謳われた急降下爆撃の天才)、高橋赫一(江草繁隆と双璧を成す爆撃機エース)、広瀬正吾(超絶技巧の偵察機乗りで、撃墜されても31kmを泳いで空母に帰還した)、羽切松雄(9.5Gという超負荷を撥ね退ける鋼の心臓を持ったテスト飛行のヒゲ紳士)、藤田怡与蔵(一日で10機を撃墜し生涯飛行18,030時間で、のちに初代日本航空ジャンボジェット機機長)、西沢廣義(87~120機の撃墜スコアを持つ別名「ラバウルの魔王」)、白根斐夫(イケメン・高学歴・貴公子・人格者の完璧超人で、ミッドウェーの迎撃では米軍航空隊を壊滅させた)……等々
当時の日本海軍の訓練は常軌を逸したもので知られており、特に航空隊のそれは、地獄と言われた訓練をこなす戦艦乗員さえ同情を禁じえない有様だったとか。
ちなみにそんな訓練を陣頭指揮していたのが、あの山口多聞だったりする。
陸軍
日本陸軍が生んだ作戦の神様。強烈な逸話に事欠かない人物で、人を引き付ける個性や強い正義感で熱烈な信奉者を生んだが、列挙するには多すぎるのでピクシブととアンサイクロペディアの当該記事へ。戦後は国府軍の軍事アドバイザーを経て、無所属で衆議院選挙に出馬し当選、後に参議院に移籍するが、視察の名目で東南アジアに潜入し、現職議員のまま行方不明になった。戦後も政界の裏工作に余念がなかったと言われ、CIAからも「第三次世界大戦を引き起こしかねない男」と名指しされていたとか。
不死身・鬼の分隊長。驚異的な武術の才能と短期間に何度も瀕死の傷を負っても翌日には回復するなど人外レベルの新陳代謝を併せ持ち、第二次世界大戦のパラオ=マリアナ戦役最後の戦闘『アンガウルの戦い』にて米兵を200人以上殺傷したとされる。さらに戦後は、日本をアメリカのように豊かにする一心で渋谷駅前でたった一坪から始めた『大盛堂書店』をビル一つまるまる使った『本のデパート』と呼ばれる巨大書店に成長させるなどビジネスマンとしても非常に優秀である。
北清事変(義和団の乱)において目覚ましい活躍を見せ、北京市民から“神”とまで呼ばれ敬慕された日本陸軍の清国駐在武官。秘密結社『義和団』と彼らに便乗した清朝により各国の公使館が攻撃を受けた中で、見事な指揮で敵軍を撃退し自らも抜刀して敵陣に切り込む勇猛さを見せ、それだけでなく公使館に逃げ込んできた中国市民や外国人たちを手厚く看護し、戦局が優勢となり連合国側の過剰な攻撃が目立つようになってからは、犠牲者を減らすべく紫禁城に開城するよう説得し、なんとそれによって無血開城させることに成功した。更に彼の指揮する日本軍の占領地はすぐに治安が回復し、中国市民は布や紙に「大日本順民」と書いて感謝を表していた。
ユーラシア大陸を単騎で横断し走破するという前代未聞の冒険を成し遂げた日本陸軍の情報将校。諜報員として大陸で調査を行う中でロシアの情報を収集するために、「自分個人の冒険の旅」という名目でユーラシア大陸を騎馬で横断する計画を実行。零下50度というシベリアの極寒や疫病、馬賊の襲撃など数多の困難にぶつかりながらも、苦難を乗り越えて見事1万7000kmを走破し大陸の横断に成功。この苛酷な冒険で得た情報はその後の日本の発展や日露戦争において大いに役立った。
自衛隊
航空自衛隊の戦闘機パイロットであり、エアショー・パフォーマーでもあった。通称「ロック岩崎」。
日本の航空自衛隊とアメリカの米空軍とで行われた模擬飛行戦の際に、当時最新鋭だったF-15戦闘機に乗っていた米空軍チームに、性能が劣るはずの二世代前の旧型であるF-104Jで挑み、機が小型であることを活かし囮作戦を駆使した戦法で、見事に撃墜している。
政治家
- 上杉鷹山/上杉治憲
米沢藩主。改易(取り潰し)寸前だった米沢藩の財政を救い、天明の大飢饉においては諸藩の村落から大量の死者が出る中、藩内の餓死者を1人も出さなかった。ジョン・F・ケネディが尊敬していた人物としても有名
第58・59・60代内閣総理大臣を歴任。政策として「所得倍増計画」を発表した。この政策により高度経済成長期が本格的に始まり、国民の生活水準は大きく向上する事となった。
端的に言えば僅か10年で日本を世界屈指の経済大国へと生まれ変わらせた人物なのである。
技術者・学者
一般には発明家としてエレキテルの復元で知られる平賀源内だが、その実態はいわば和製ダ・ヴィンチ。日本初のコピーライターにして人気劇作家・流行小説家・俳諧師であり、イラストレーター(日本における油絵画家のはしり)、イベントプランナー(日本初の博覧会を開催)、鉱山開発・焼き物製造・土木事業を手がける実業家としても活躍するなど、日本史上他に例がないほど多分野で才能を発揮した万能型の天才であった。ただし科学者としての能力には恵まれなかったらしく、エレキテルに関しても「原理はよくわからなかったけど復元に成功した」らしい。
「東洋のエジソン」とも呼ばれた発明家・実業家。後の東芝の創設者。今で言う人型ロボットの走りと言えるからくり人形や、万年自鳴鐘(万年時計)などを生み出した。ちなみに万年自鳴鐘は(季節によって時間の区切りが違う当時の不定時法に対応するため)自動的に文字盤の位置を変化させる特殊な装置を内蔵しており、アラーム・月齢・カレンダーなどの表示機能を備え、さらにはCVTの走りとも言える機構までも内蔵していた。一度巻けば一年動くという機械式時計としては異常な持続時間を誇っていたが、あまりにも精巧で独創的な機構のため田中の死後は修理できる人がいなくなり、何十年も壊れたまま放置されていた。そのメカニズムの秘密は1949年に国立科学博物館で修理される過程でようやく明らかになったが、現在も完璧な復元ができないほどのレベルである。
江戸時代における盲目の国学者。生まれつき体が弱く、幼少期に病で視力を完全に失いながらも、学問の道を志して江戸に上京し、苦労しながら多くの文人に師事した。目が不自由なため人に書物を読んでもらって記憶するという手法をとり、一度聞いただけで全て覚えてしまう驚異的な記憶力を身につけ、後に貴重な古書から学んだ知識が失われないようにするため、全国を回り古書を集め編集した版本『群書類従』を完成させ、盲目な人物の社会における最高位である“総検校”に選ばれた。同じく病によって視力と聴力を失ったアメリカの教育者ヘレン・ケラーは、彼を人生の目標にしていたことを自身の講演会で語っている。
日本が誇る数学者。多変数複素関数の3つの大問題を一人で解く。どのくらい凄いかというと、欧米の数学者達が彼の名前を若い数学者集団のペンネームだと思ったほど。また、公園で急に大声で歌う、窓を向いて正座で電車に乗るなど、変人でもあった。
ゲーム会社の任天堂、HAL研究所の経営を立て直した名物社長として知られる人物だが、「社長をやらせておくのがもったいない」と言われるほどの不世出の天才プログラマーであった。経営者として多忙になってからもコーディングをやっており、わずかな余暇の間に頭の中で設計をまとめあげ、一気に組み上げるスタイルであったという。1980年代、ファミコンのCPUに採用された6502を日本で最も深く理解していた人物で、「ゴルフゲームのシステムを考案」「低性能なファミコンで、アーケード版より滑らかな動きを実現(バルーンファイト)」など数々の伝説を作り上げる。「経営もエンジニアリングと同じく最適化問題」であると語る技術者肌でありながら人格者として多くの人に慕われ、「いわっち」の愛称で一般のゲーマーにも広く親しまれた。
スポーツ選手
サッカー
日本のプロサッカー選手。通称「キング・カズ」。
50歳という年長者ながらも、Jリーグで精力的にプレイを続けており、Jリーグ連続得点記録18年という大記録を打ち立てる。また、最年長得点記録(50歳14日<2017年3月現在>)の持ち主で、この記録はギネス世界記録に認定された。
また、2011年の東日本大震災のチャリティーマッチでは試合前に「試合でゴールを決めてカズダンスを踊る」と宣言。結果、後半37分に宣言通り見事ゴールを決め、カズダンスを披露して観客を熱狂させるという奇跡を起こした。
日本の女子サッカー選手。
15歳で代表デビューを果たし、20年以上にわたり女子サッカーの最前線で活躍し続けた。国際Aマッチ出場数とゴール数は共に男女通じて日本人最多であり、2011年の女子ワールドカップでは得点王とMVPに輝く活躍を見せ、なでしこジャパンのワールドカップ初優勝に貢献。翌2012年には女子のバロンドールにあたるFIFA最優秀選手賞を受賞するなど女子サッカー界におけるレジェンドと呼べる存在。
2015年シーズン一杯をもって現役引退を発表。現役最後となった皇后杯決勝では今シーズン初得点がこの試合唯一のゴール(決勝点)となる、千両役者の大活躍を見せた。
女子選手としてはあらゆる能力に優れたオールラウンドプレイヤーであると同時に、男気あふれたリーダーシップでチームメイトを鼓舞することから一部のファンからは尊敬をこめて「澤兄貴」と呼ばれている。
野球・ソフトボール
1950年代から60年代にかけて活躍した「鉄腕」と称された伝説の名投手。
1961年にはプロ野球最多タイ記録となるシーズン42勝を記録。1957年に打ち立てたシーズン20連勝は2013年に田中将大が更新するまで56年間破られなかった。
特に1958年の巨人との日本シリーズでは、ほぼ一人で投げぬき西鉄の優勝に貢献し、翌日の新聞には「神様、仏様、稲尾様」の見出しが躍った。
日本プロ野球が誇る「世界のホームラン王」。
通算本塁打868本はいまだ破られていない世界最多記録。三冠王2回、本塁打王15回など数々のタイトルを手にし、長嶋茂雄と共に巨人のV9に貢献。また、スポーツ選手としては初の国民栄誉賞の受賞者である。
…つーか、王選手を称える賞がなかったから国民栄誉賞が作られたというのが本当のところ。
関西方面の諸兄には「解説がおもろいオッサン」という印象が強いが、現役時代は快足で鳴らした野球選手。
年間106盗塁、13年連続盗塁王は日本プロ野球においては今なお破られていない大記録。
また、盗塁を阻止しやすくする投法「クイックモーション」は、韋駄天っぷりを遺憾なく発揮していた頃に別球団で活躍していた野村克也氏が対福本用戦術として編み出したモノ。
ちなみに後述するイチローよりも先に国民栄誉賞を蹴った男。その理由については当該記事を参照されたし。
左足を大きく上げる独特の投球フォーム「マサカリ投法」から繰り出す150km/h超えのストレートと落差の大きなフォークボールを武器に活躍した名投手。
現役時代は奪三振に強いこだわりを持ち、当時のパ・リーグを代表するロッテのエースであった。
ここで終われば名投手ではあるがチートと呼ぶほどではない。村田の凄い所は引退後に作った数々の伝説である。プロを目指す子供達にプロの凄さを伝えるため、同年代ではとてもこなせない鉄人トレーニングを積み重ね、年齢を越えた鋼の肉体を作り上げ、50代後半で140km超えのストレートを披露し、2013年の始球式では63歳で135km(しかもストライクゾーン)を記録する超人ぶりを見せている。現役時代に顕著な活躍をした選手は数多くいれど、引退後にこれだけの伝説を多く残した選手はそうはいないだろう。
中日ドラゴンズで活躍した技巧派左腕投手。本名「山本昌広」。
「生きた化石」「シーラカンス」と称され、投手の持つ「○○最年長記録」を度々更新。
現役晩年は「投げるだけで記録が成立する」という状況にすらなっており、それでいてチームの戦力として一軍で投げ続けるという離れ業をやってのけていた。
2015年にはプロ野球史上初の50歳登板を果たし、32年の現役生活に幕を下ろした。
なお、田中将大は、彼がプロ入り3年目の時に生誕しており、さらにそれより若い世代の大谷翔平、藤浪晋太郎らの台頭もあって「父と子」と言われることも多く、実際彼には娘がいるが、その娘は彼らと近い世代である。
ノーヒットノーラン最年長記録・沢村賞・名球会入りと数々の功績を持つ。
誰が言ったか、「プロ野球の歴史80年、山本昌の歴史30年」。
今や誰もが知る野球界随一の安打製造機。
オリックス時代に7年連続首位打者、メジャー10年連続200安打、単一シーズン最多262安打というアンタッチャブルレコードの持ち主。現代のサムライ。
現役時代は世界記録にストイックに挑戦し続け、2016年には日米通算ながらピート・ローズが保持するメジャー通算4256安打を超え、日本人選手初メジャー通算3000安打(ついでにメジャー通算500盗塁)を達成した。
バットの根本から先端まで使ってヒットを打つバットコントロール、神速の盗塁と内野安打を生み出す脚力及び走塁技術、「エリア51」と称される広大な守備範囲に高精度高速遠距離送球「レーザービーム」と、走攻守全てにおいて世界最高峰の武器を持っている。器用万能の言葉がこの上なく似合う。
27歳でメジャーデビューしてこれだけの記録を積み重ね、42歳にして3000安打目を三塁打で決める野球界の仙人。
ちなみに国民栄誉賞の授与を三度にわたり辞退しており、本人曰く「人生の幕を下ろしたときにいただけるよう励みます」とのこと。
「みちのくダルビッシュ」とも呼ばれる、北海道日本ハムファイターズの至宝。
高校時代から速球豪打で鳴らしていたが、(多少のトラブルがあったにせよ)日ハム入団後は投打共にさらに磨きがかかった。
投手としては日本人最速の165km/hを記録し、打者としても2桁ホームランを記録するなど長いプロ野球の歴史の中でも非常に珍しい二刀流選手。
2018年からはMLBのロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムに移籍し、新人王に日本人初のサイクルヒット達成など今なお信じられないような活躍を残す「生きる伝説」。
その群を抜いた活躍ぶりから「リアル茂野吾郎」、「現代のベーブ・ルース」などと様々な場所で騒がれている。
日本のソフトボール選手。
体感速度160-170km/hに匹敵するとされる豪腕投手で、驚異的なスタミナ・メンタルも併せ持つ。
20代前半の頃から日本代表のエースとして活躍し、2008年の北京オリンピックでは準決勝から決勝までの3試合全てに完投し、2日間3試合413球を投げ抜きソフトボール初の金メダルの立役者となった。この活躍は「上野の413球」と呼ばれている。
北京オリンピックを最後にソフトボールは正式競技から外れてしまうも復活を信じ現役を続行。13年ぶりの復活となった2021年の東京オリンピックでは、39歳のベテラン投手とは思えない圧巻のピッチングで、13年越しのオリンピック連覇を成し遂げた。
相撲
角界史上最強とされる江戸時代の力士。「鉄砲」「張り手」「閂」「鯖折り」の四つの技を禁じられながらも、254勝10敗2分14預5無41休という記録を打ち立てた。
第35代横綱
69連勝の記録は未だに破られていない記録である。白鵬でさえも超えることができなかった。
第48代横綱。
優勝32回・45連勝などを記録したことから「昭和の大横綱」と称され、「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語が生まれるなど戦後の日本を象徴する存在であった。
第58代横綱。
端正な顔立ちと筋肉質な体格から「ウルフ」の愛称で呼ばれた名力士。「昭和最後の大横綱」と称され、歴代最強と評価する声も多い。
第69代横綱。
モンゴル出身の大力士。幕内最高優勝回数は歴代最多、史上初の通算1000勝達成など数々の記録を打ち立てている。
レスリング
2015年9月のレスリング世界選手権女子53kg級で優勝し、五輪3連覇と世界選手権13連覇の世界大会計16連覇を成し遂げた選手。
2012年には世界選手権と五輪の計13連覇でギネス世界記録に認定され、女性アスリートとしては2人目となる国民栄誉賞を受賞。さらに、霊長類最強の男と呼ばれた上記のアレクサンドル・カレリンにちなみ霊長類最強女子という称号まで手に入れた。
2001年全日本女子選手権56kg級準決勝で山本聖子に敗れて以来、2008年W杯団体戦で敗れるまで公式戦119連勝を記録。また個人戦に限れば以降負け知らずで、上記の'15年世界選手権優勝で個人戦200連勝に到達した。
リオ五輪では4連覇を期待されたものの、決勝でヘレン・マル―リスに敗れ銀メダルとなり、連勝はストップしてしまったが、その連勝記録である206という数字は記録より記憶に残る記録だろう。 また、そのヘレン・マルーリスは、吉田をヒーローと言うほど強く憧れており、コーチも、「彼女は2年間、吉田選手に勝つために練習してきた。彼女のトレーニングは全て吉田対策だ。」と語っていたことも付け加えておきたい。
なお、『女に生まれて良かった。もし男に生まれていたら、試合で相手を殺していただろうから』という迷言を残しているが、彼女がどれだけ強いかがすぐにわかる事であろう。
フリースタイル女子58㎏級の日本代表。
上記の吉田沙保里の陰に隠れがちだが、彼女も相当な実力者であり、アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロの4大会連続で金メダルに輝き、前人未踏の女子個人種目四連覇を成し遂げるという快挙を達成している(日本選手のみならず、全競技通じ女子では世界初の快挙。さらに、五輪四連覇は、あのカレリンですらとうとう成し遂げることができなかった大記録でもある)。この偉業で、吉田に次ぐレスリング選手2人目の国民栄誉賞受賞者となった。
また、2015年の全日本選抜選手権の58kg級では、伊調との対戦を避けるために階級変更をする選手が続出し、エントリー選手が伊調を含めて3人しかいないという異常事態となった。
柔道
昭和を代表する伝説の柔道家。
常人では考えられない過酷な修行で得た超人的な身体能力と精神力で、全日本選手権13年間保持や15年間無敗を誇った。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられるなど、史上最強の柔道家と称されることが多い。
1970年代から80年代にかけて活躍した柔道家。
引退から逆算して203連勝、外国人相手に生涯無敗(116勝無敗3引き分け)をという大記録を打ち立てた伝説の柔道家で、国民栄誉賞を受賞した。
陸上競技
ハンマー投げの世界的選手。
オリンピック・世界陸上の両方で金メダルを獲得するなど日本を代表するトップアスリート。
日本人離れした筋力に目がいきがちだが、実は持久力勝負以外はほぼ何でもこなせる万能選手。
「スポーツマンNo.1決定戦」では他競技のアスリート相手に圧倒的な強さを見せつけた。
スタッフも「あれは実質的に「No.2」決定戦。No.1はどうやっても室伏なんです」と語ったほど。
詳しくは当該記事も参照の事。
体操
日本が生んだ体操界の至宝。
体操の6種目全てにおいて安定した演技を見せるオールラウンダーであり、高難易度の技を連続で成功させる技術に加え、見る者を魅了する美しい芸術性を兼ね備えている。
世界選手権の個人総合では史上最多となる6連覇、オリンピックでも個人総合で2連覇を達成するなど、体操界の絶対王者として君臨する存在であり、海外からも「キング・コウヘイ」と賞賛されている。
競馬・競輪
日本中央競馬会に所属する騎手で競馬界の生ける伝説。通算勝利数は2位の岡部幸雄の2943勝を大きく引き離し4200勝を超え、今もなお勝利を積み重ね続けている。年間最多勝利18回、G1レースは地方・海外を含め100勝以上と、もはや更新は不可能と思えるレベルの記録を複数持っている。海外でもその名は知られており、国際的に活躍した競馬関係者を表彰するロンジンIFHA国際功労賞を日本人として初めて受賞した。
日本の競輪選手。
世界選手権個人スプリント10連覇、賞金王6回など数々の伝説を打ち立てた名選手。1980年には日本のプロスポーツ選手初の年間獲得賞金1億円を達成し、通算獲得賞金は13億円を超えている。自転車競技が盛んなヨーロッパでは日本以上の人気と評価を得ている。
ウィンタースポーツ
日本のスキージャンプ選手。通称「レジェンド葛西」。
40歳を超えた現在でもスキージャンプの第一線で活躍し続けており、2018年までにワールドカップで17勝、冬季オリンピックにも日本人最多の8大会連続出場するという大記録の持ち主。長い間オリンピックでの成績には恵まれていなかったが、7大会目の出場となるソチオリンピックにて41歳8ヶ月にして遂に初の個人メダル(銀メダル)を獲得し、冬季オリンピックの日本人最年長メダリストとなった。
日本のフィギュアスケート選手。
東日本大震災後に17歳で世界選手権メダリストとなり、初出場となったソチオリンピックで史上初となるショートプログラム100点超えを達成し、19歳で金メダリストに。
続く世界選手権も制覇し、史上2人目の三冠王者となった。
同年末の中国の大会では、流血事故により頭を7針縫う怪我を負いながらも、頭に包帯を巻いたまま滑りきるという少年ジャンプっぷりを見せつけた挙句、満身創痍のまま年末のGPファイナルを連覇するという主人公属性ぶりで「宇宙人か」と世界を戦かせた。2015年には史上初のフリー200点超え、トータルスコア300点超えを成し遂げ、元祖宇宙人プルシェンコに「違う惑星から来た人間だからね」と仲間認定を受けた。また、2017年の世界選手権ではショート、フリー、トータルあわせて11度目の世界記録更新(2017年4月現在)を達成。国際スケート連盟(ISU)の公式カウントが「Mr Record Breaker」とツイート(外部リンク)した。なお、その後も記録は更新されている。
2018年の平昌オリンピックでは男子シングル史上4人目66年ぶりとなる五輪連覇を達成した。なお、日本人の冬季個人種目での五輪連覇はこれが初となる。この偉業で史上最年少で国民栄誉賞を受賞した。
日本のスピードスケート選手。
スピードスケート選手としてはかなり遅咲きとなる30歳近くから覚醒した選手であり、
500mで2016/17年シーズンから公式戦(W杯や世界選手権含む)負け無しと言うとてつもない記録を打ち立て続け、比較的苦手(安定して優勝出来ないと言う意味で)な1000mで世界新記録を叩き出す事までやってのけた。
平昌オリンピックでは1000mで銀メダル、500mでは五輪最高かつ低地リンク(スピードスケートではスケート場の標高で大きくタイムが違い、500mで0.5秒は軽くタイムが違う)史上初となる36秒台を叩き出して金メダルを獲得した。
日本のスピードスケート選手。
平昌で金銀銅、北京で金銀を獲得。一番得意としているのは1500mだが、500m、1000m、果ては団体競技であるパシュートでもメダルを獲得する等、ありとあらゆる競技で活躍できる高スペック・適応力の持ち主である。このうち、北京での1000mの金はオリンピックレコードを叩き出しての堂々の優勝。
ちなみに、上記の小平奈緒とは多くの大会で鎬を削ってきたライバル同士でもある。また、姉の高木菜那もスピードスケート選手であり、こちらも団体パシュートやマススタートでメダルを獲得している。
日本のスノーボード選手。
2022年の北京オリンピックで人類史上最高難易度の大技トリプルコーク1440をオリンピックで初めて成功させる等の圧巻のパフォーマンスを見せ、見事金メダルを獲得。海外メディアからは、ショーン・ホワイトの後継者と称賛された。
なお、ソチや平昌でも銀メダルを獲得しており、この頃から既に超人的なパフォーマンスの片りんを見せていた。特に平昌でのショーン・ホワイトとの熾烈な金メダル争いは今なお語り草となっている。
モータースポーツ
D1ドライバー。史上最強のD1ドライバーであり、1000馬力超えのエンジンを搭載したマークIIをはじめとする重量級マシンを下手な軽量級マシンより速いコーナーの新入速度を武器としており、上位の常連である。2008年と2016年にはシリーズチャンピオンを決め、2012年には海外版D1であるフォーミュラ・ドリフトとフォーミュラ・ドリフト・アジアのシリーズチャンピオンを決め、特に2016年シーズンは開幕戦から3連勝を果たしてシーズン6戦中4戦優勝という圧倒的な成績を残して最終戦前にシリーズチャンピオンとなった。
日本を代表する自動車チューニングの雑誌・OPTIONの創設者で、それだけでなく日本を代表する自動車イベントである東京オートサロン、熱走!! Exciting Car Showdown、D1グランプリ、ドリフトマッスルを創設した人物。
それらを創設した実績だけでなく「不死身の男」と呼ばれるほど死んでもおかしくないエピソードが多く、「300km/hでガードレールに接触した後も走行」、「300km/hで走行中ぶ鳥が正面グリルへ突き刺さってもそのまま走行」「乗っていたマシンが出火しても走行」の他、中でも2003年にストリームZでシルバーステイツにて最高速チャレンジを行った際、時速344km/hでの大事故で左リアタイヤが破裂し、240km/hまで減速するものの、スピンしながら10回転も横転したにも関わらず生還したというエピソードはテレビで紹介されたほどの伝説となっている。
将棋・囲碁
稀代の天才棋士。1996年に将棋界初の7タイトル(竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王・王将)を総ナメにするという前人未到のあり得ないような偉業を成し遂げ、果ては永世7冠まで達成。過去10年間における延べ70人のタイトルホルダーのうち半分の35人が彼であるという、将棋界のレジェンドというかもう神である。
ちなみに趣味のチェスでも日本ランキング1位という鬼スペックぶり。
2018年に国民栄誉賞を受賞。
21世紀生まれ初の、史上最年少でプロデビューした将棋棋士。史上5人目の中学生棋士。2017年4月、王将戦1次予選で小林裕士に勝ち、プロデビューからの連勝記録を更新した(11連勝)。その後も連勝は続き、同年6月に行われた竜王戦本戦1回戦で5組優勝の増田康宏に勝ち、神谷広志が30年近く保持していた28連勝の記録を抜き、デビューから無敗のまま歴代最多連勝記録を更新した。
また2020年には棋聖のタイトル挑戦権を獲得したことにより史上最年少タイトル挑戦の記録を更新、同年には当時の棋聖渡辺明に3勝1敗で勝利したことにより史上最年少タイトル獲得の記録も更新した。
現囲碁界の頂点に立つ若き棋士。中1でプロ入りし史上最年少の20歳で名人のタイトルを獲得。その後も七大タイトルを総なめにし史上初の2度の七冠と年間グランドスラムを達成している。
2018年に国民栄誉賞を受賞。
芸能
声優
変幻自在の声質と高い演技力を兼ね備え、「困った時の山ちゃん」とまで称される声優界の最終兵器。
『アンパンマン』ではチーズを始めとする数多くのキャラを演じ、劇場版『ポケットモンスター』では毎年の様にゲストキャラを手がけ、リメイク版『ヤッターマン』では一人十六役という前代未聞の兼役をこなし、夢の国からはドナルドダックの公認声優として認められる実力者である。
山寺宏一と並ぶ日本を代表する声優の1人で業界の大御所。
『ドラゴンボール』の孫一家の演技に関しては、兼任の場合は別撮りするのが普通だが、野沢の場合は瞬時に切り替えながら演技している。
70歳を超えた現在でも声優業界の第一線で活躍しており、「100歳位まで生きて、ギネスブックに載れたらなぁ」と答えている。
生前、収録の際にセリフを決して間違えないほどの高い演技力を持っていたとされ、呑み仲間の若本規夫から「精密機械」と評された。アニメでは、名探偵コナンのジェイムズ・ブラック、鋼の錬金術師のお父様などがある。
アニメ『ポケットモンスター』のピカチュウをはじめとするマスコットキャラを演じることの多い声優。
ピカチュウの演技に関して全てアドリブで「ピカチュウ」「ピカ」というセリフだけで感情表現できる他、その声は世界共通で採用され、原作にも逆輸入された。
また原作者の考えを変える事が多く、『ONEPIECE』のトニートニー・チョッパーの演技に関してはマスコット嫌いだった作者・尾田栄一郎が「反則もの」と評価し、キャラを変えてマスコットと認めさせ、『名探偵コナン』の円谷光彦の演技に関しては作者の青山剛昌に「本来はもう少し嫌な性格の奴にするつもりだったけど、担当した大谷さんの声が可愛かったから変えた」とコメントしている。
デビューから30年以上たった今も最前線で活躍し続けている声優。灰原哀、綾波レイなどのクールビューティー系のキャラに定評がある。
しかし何よりも特筆すべきなのが初めて歌手として本格的に活動した声優であったこと。現在では一般的になっている「声優であり、アーティスト」という立ち位置を確立させた。
あくまで‘‘裏方として‘‘声を当てる仕事をしているという自負を持ち、メディア露出が少ないことでも有名
林原がアーティスト声優の先駆けであるのに対し、こちらはアイドル声優の先駆けとして登場した声優。今なお人気の高いアニメ作品に出演する機会が多く代表作は美少女戦士セーラームーン、新世紀エヴァンゲリオン等の作品に出演している。特にチートなのは2014年から放送された美少女戦士セーラームーンCrystal において内部太陽系戦士や外部太陽系戦士、タキシード仮面やちびうさなどの主要声優陣が変わっている中、唯一主人公である月野うさぎを代わることなく続投している
俳優
- 大川橋蔵(2代目)
元歌舞伎役者で、俳優としては時代劇と舞台で活躍し、中村(萬屋)錦之助・市川雷蔵(8代目)・東千代之介らと共に『二スケ二ゾウ』と呼ばれた時代劇映画・ドラマの看板スターの一人である名優。
彼を語る上で絶対に外せないほど有名なのが『銭形平次』であり、1966年から1984年とかなり長期に渡って放送され、これがなんと放送回数が日本のドラマ史上最長である全888話という金字塔を打ち立てた。
これは海外でも他に無い世界最高記録で、ギネスブックにも認定されており、同一俳優が同一主人公を演じたドラマとしても、文字通り世界最高記録であり彼が唯一の存在である。
ご存知『暴れん坊将軍』において主人公・徳田新之助/徳川吉宗役で知られる名優。元々は勝新太郎が主宰する勝プロダクションで彼の付き人をしていたが、後に若くして吉宗役に抜擢される。
以降は1978年から2002年という長期にかけて演じ続け、放送回数が全832話という記録を打ち立てる。これは世界最高記録を持つ大川橋蔵の『銭形平次』に次ぐ話数である。
日本が生んだ世界に誇るアクションスターであり、空手家・武道家でもある。
特にリアルなアクションに対して並々ならない拘りがあり、それに纏わる様々な撮影エピソードや、命知らずなスタントを数多くこなしたことでも知られる。
国内だけでなく海外でも高く評価されており、彼を敬愛するハリウッド俳優は数多くいる。実はジャッキー・チェンが命知らずのスタントを熟すようになったのは彼の影響である。
次代のアクション俳優たちの育成にも非常に熱心であり、養成機関であるJAC:ジャパン・アクション・クラブ(現JAE:ジャパン・アクション・エンターテイメント)の創設者でもある。
俳優で、仮面ライダー鎧武の葛葉紘汰役で知られる。後述の高岩成二から「仮面ライダー主演俳優一」と言われるほどと称されるほどの身体能力の高さを持ち、ダムの上での演技やジャンプの演技においては命綱や安全装置、代役なしで演技してしまうほど。
数多くのスーパー戦隊や平成仮面ライダーシリーズで活躍するスーツアクター。平成ライダーに至ってはクウガと響鬼を除く全ての作品で主役ライダーを演じたため、「ミスター平成ライダー」と呼ばれている。特に電王に至ってはそれぞれ声や人格が異なる各フォームを1人で演じ分けている。
実業家
幕末~明治期において、日本に産業と言う概念を根付かせたと言っても過言ではない実業家。
現在のみずほ銀行の源流となる日本初の銀行を立ち上げたのを始まりとして、創業・経営に関わった企業は500を上回り、その大部分は現在も日本の一流企業として名を残している。
福沢諭吉に代わり新たな一万円札の顔として俄かに知名度を上げたが、彼の地元である埼玉県では渋沢翁として全国平均以上の知名度を誇る。
石油販売を主とする日本の大手企業・出光興産の創業者。明治44年に『出光商会』を創業して石油の販売を開始し、多くの困難にぶつかりながらも事業を海外まで拡大させ、戦後の住居も食糧事情もままならない困窮した状態でも社員の首を1人も切らず、過酷な状況を何度も乗り越え再び大企業へと返り咲いた。 百田尚樹氏が手掛け大ベストセラーとなった歴史経済小説『海賊とよばれた男』のモデルとなった人物。
クリエイター
画家
江戸時代の浮世絵師。88歳で死去するまで、『冨嶽三十六景』や『北斎漫画』など今でも世界的に高く評価されている傑作を多数産み出した。春画でも活躍し、代表作「蛸と海女」は現代のエロ漫画のような筋書きで、現代の触手モノにも通じる傑作である。もし平成の世に生きていたら…。
漫画家
漫画の神様。世界的に高く評価されている日本の漫画の下地、あらゆる漫画の技法を考案した。「後楽園球場で野球を見に行ったあと、記憶だけを頼りに球場を瓜二つに書いてみせた」、「複数のネームを1ページ書き終えるごとに同時に進行させた」など彼自身の漫画制作技術も極めて高い。また作風も冒険もの、少女漫画歴史もの、医療漫画と幅広すぎる。
今でこそ馴染みある設定(猫耳やボクっ娘、ツンデレ等)のほとんどを一番最初に考案にした人でもある。
ご存知『ゲゲゲの鬼太郎』の原作者。 戦争で左腕を失うというハンデを抱えながら、93歳で亡くなる直前まで連載を持ち続けていた。
「少女漫画界の偉大なる母」と称される24年組の筆頭格。 彼女が少女漫画界およびSF、BL界隈に及ぼした影響は計り知れない。日本SF大賞受賞歴を持つ漫画家は、萩尾と大友克洋だけである。
『犬夜叉』、『うる星やつら』、『めぞん一刻』などほとんどの連載作品がアニメ化されているヒットメーカー。デビューから40年経って今も週刊連載をするなど第一線で活躍し続けている。
『FAIRY TAIL』、『EDENSZERO』などの作品で知られている。漫画の面白さもさることながらヤバいのはとにかく速筆であること。恐らくここに挙げた漫画家の中で一番速い。
週刊連載と月刊連載を同時に持つ、仕事を休むために3話分の原稿ストックを一週間で描き上げた(なおストックは翌週号に全部載せられた)、週刊連載を持ちながらモンハンを即日クリア、果てには余った時間で自作ゲームまで作ってしまうなど伝説には事欠かない。多くの漫画家が睡眠不足が原因となって体調、果てには命まで落とす中、こんな仕事スケジュールで毎日7時間睡眠をしている怪物。
その他
日本犯罪史に残る「昭和の脱獄王」。26年間もの服役中に4回もの脱獄を敢行し、特に網走監獄からの脱獄のエピソードがよく知られ『ゴールデンカムイ』の白石由竹のモデルになっている。
- 高島雄平
史上稀に見る性豪。校長を自身を表す固有名詞にした男。14~70歳の12660人の女性(公称。行為時に写真撮影も行っており、こちらは14万枚以上存在)と性的関係を持ち、レジェンド、一人ODA、660人を端数にする男、中学校校長の全国平均売春数を1.2上げた男等の異名を持つ。どんな女性が来ても拒むことはなく代金の踏み倒しもせずに抱き、上記の写真撮影も嫌がる女性には強要せず、買われた女性に彼を悪く言う者はいなかったという。
日本最大の獣害事件、「三毛別羆事件」で加害熊を射殺した功労者にして、天塩一のヒグマ撃ち。
樺太に住んでいた若いころ、ヒグマと鯖裂き包丁一本で対峙し、刺し殺すという伝説を作った。
その他に、小さなリスや山鳥も銃弾一発で仕留める射撃の腕や、酒癖の悪さからくる性格など、エピソードには事欠かない人物である。
文明
18世紀において世界有数の100万人の人口を誇り、それ以降現在の東京に至るまで一貫して東洋最大の都市である。東京は1960年代以降は都市圏人口・経済規模において世界一を誇る、世界最大の都市となった。江戸時代以降幾度もの大火、直下地震(安政江戸地震など)や巨大地震(関東大震災)、さらには東京大空襲で焼け野原になるたびに、何度も復活し、そのたびに周辺を飲みこんで巨大化してきた。
- 皇室(世界最長の王家)
建国以来125代2672年の歴史を持つ、まだ文字さえ無かった紀元前の時代から現在まで続いてきた稀有な王家。起源が文字の無かった時代であるため、戦後に史実的論争が起こっているが、確認されているだけでも約1400年は続いている世界史上最長の王家。皇室の歴史は、日本の建国と共にあり続けてきたため、日本国の歴史そのものでもあり、ギネス世界記録にも認定されている。
競走馬
日本の元競走馬。僅か3歳の若さで病没という悲劇に見舞われながら、その短い生涯で出走した10回のレース全て優勝、そのうち7回はレコード優勝という戦後の競馬史に今もなお燦然と輝く伝説を刻み込んだ「幻の馬」。しかもこれ、脚に爆弾を抱えた状態での記録である。
日本の元競走馬・種牡馬。戦後初の三冠馬であり、当時最多の五冠馬。通算19戦15勝2着4回と2着以内に入る連体率は100%であり、この連体数19という記録は現在でも中央競馬の最多記録である。その他にも数々の逸話を持つことから「神馬」と呼ばれている。
日本の元競走馬・種牡馬。「日本近代競馬の結晶」と称され、史上2頭目となる無敗で三冠を勝ち取り、(ハーツクライに敗北した有馬記念や3位になったがのちに失格になった凱旋門賞を除き)ほとんど無敗。種牡馬入りしてもリーディングサイアーを2年連続獲得するという成績を持っている。
日本の障害競走馬。一般的な競馬よりもマイナーな障害競馬において数々の記録を打ち立て、競技の枠を超えたアイドルホースとなった。
艦船
→異能生存艦を参照。
番組
日本を代表する名作時代劇の一つ。
特に有名なのが、名優・大川橋蔵が主演を務め1966年から1984年と長期に渡り放送されたドラマ版であり、日本のドラマ史上最長記録である全888話という驚異の放送回数を誇る(次点は松平健の『暴れん坊将軍』)。
これは海外でも類の無い世界最高記録であり、ギネスブックにも認定されている。
同一俳優が同一主人公を演じたドラマとしても世界最高記録であり、昨今における日本のドラマは本作のような当時の時代劇や海外ドラマに見られる複数クールの連続ドラマ自体が全く製作されなくなってしまった状況もあって、ほぼ不滅の記録となっている。
日本の国民的特撮ヒーロー番組、仮面ライダーシリーズの第二弾として制作された作品で、前作を超える派手なアクションと硬派なストーリー、主人公風見志郎を演じる宮内洋の格好良さが相まって、なんと最高視聴率38%を記録した(解りやすく言うと、日本国民の約5人に2人が視ていた計算)。
これは『HERO』や『GOOD LUCK!!』といった木村拓哉主演の大ヒットドラマや、『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』『高校教師』といった名作ドラマを飛び越え、歴代ドラマ視聴率ランキングで見れば史上9位にランキングするという快挙である(もっと「ドラマ」としてカウントされていないためランキングには記載されていないが)。
また、番組のOPを見ればわかるように、撮影に使われた火薬の量も半端ではなく、今では絶対撮影不可能な程の爆破シーンが拝める貴重な作品でもある。よく死人が出なかったもんだ。もっとも、昭和ライダーでは死人が出そうな体を張った凄まじいスタント撮影は日常茶飯事であり、おまけに爆発の規模も話が進むにつれてエスカレートし続け、劇場作品「仮面ライダーV3対デストロン怪人」における室戸岬の爆破撮影では、使った火薬の量が桁違いに多かったため凄まじい爆発となり、海岸の地形が変わってしまった程。
乗り物
日本が世界に誇る世界最速の鉄道。
それだけでなく安全神話も持ち、開業から50年以上経っても事故死者を1人も出していない。
頑丈・低燃費で数々の伝説を持つ名車。累計生産台数8700万台に上る。乗り物で唯一立体商標入りを果たしている。その伝説は多すぎて書くのがめんどくさいので「カブ 伝説」でググってください。
- ホンダ・アコード
市販車。
JTCCにおいて、「F1の心臓を持った」とも言われた。
- トヨタ・ハイラックス
トヨタが海外に中心に販売しているピックアップトラック。
軍隊に使われるほどの耐久性が高さが特徴で、某番組の実験では、炎で燃やしても、木にぶつけても、海に流されても、さらにはビルの破壊に巻き込まれても壊れなかった。
- トヨタ・2000GT
トヨタ初のスポーツカーで、生産終了から40年経過しているにも関わらず車両の現存数ほぼ100%を誇る。
- 日産・スカイラインGT-R、日産・GT-R
日本を代表するスポーツカー。ハコスカことKPGC10型はJAFグランプリレース大会にて50連勝を記録し、BNR32型は全日本ツーリングカー選手権において29連勝を記録し、R35はニュルブルクリンク北コースのタイムアタックにおいて量産車最速記録(当時)を打ち出し、2008年度のスーパーGTのおいて全9戦中7勝を挙げて車種別勝利数最多記録を打ち出した。
WRCで有名な車。WRCなどの影響で走行性能に目が行きがちだが、実はそれ以外もスゴイ。4WDの高い駆動力から来る牽引力に関しては普通乗用車でありながら大型トラックを引っ張れる力を持ち、さらに安全性に関しては2012年に起きた笹子トンネル天井板落下事故ではNHK記者を乗せたGC8型インプレッサが事故に巻き込まれたものの、ボディの安全性と車の加速力のおかげでドライバーの命を救った。