注意
当記事は特定の国に対する反感の助長や戦争賛美など反社会的思想の肯定や擁護、誘発する意図は一切ございませんので、予め御了承下さい。
また、ここで紹介する設定の一部はあくまで一例であり、ファン個人の解釈に関しましては保証致しかねますので御了承下さい。
ヨーロッパの地域区分は、国連の地域区分に基づきます。
記念日は、その国で制定されている記念日のうちから建国・独立記念日やナショナルデー(なければそれに近いもの)のうち一つを抜き出したものであり、それらがその国の「誕生日」であると言うわけではありません。
記念日の下にある【】内の単語は、界隈の内外に問わずよく見かける呼ばれ方や絵文字表記です。これらはあくまで一例であり、表記揺れがある可能性もあります。
★はEU加盟国、☆はEFTA加盟国、♠︎はNATO加盟国、♦︎はCIS加盟国、♡はASEAN加盟国です。
記事の編集の際には、特定のCPに関する表現や特定の国に対する侮辱的・差別的な表現はお控え下さい。
西ヨーロッパ
ドイツ★♠︎
ドイツ統一の日10月3日
【🇩🇪/独逸/独/ドイチュラント(ドイツ語)/ニエムツィ(ポーランド語)】
眼鏡とスーツが特徴の、謹厳実直で生真面目な性格の男性。規律や規範はとにかく遵守する気質で、特に仕事に対しては熱心である。その点で日本と似ているとも評されるが、日本と違い定時で仕事を切り上げるのがドイツのお国柄。
環境保護への意識が高くエコには口うるさい。質素倹約をモットーとするゆえに「ドケチ」と評されることもあるが、金銭的に豊かであるため他国からたかられる描写もしばしば見受けられる。
欧州連合の中心地でもあるため人望はそこそこ厚いが、同時にかなり苦労している様子。
名産のドイツビールやソーセージ、じゃがいもを使った食事などを好む(余談だが、ドイツに「ジャーマンポテト」という料理名は存在しない)。
1990年まで西ドイツと東ドイツのふたつに分かれていたが、西独が東独を吸収する形で統一した。また第二次世界大戦の影響で、父親、あるいはかつての自分の姿であるナチスに対して深刻なトラウマを抱えている(ドイツでは法律で公共の場でのハーケンクロイツの展示・使用が禁止されている)。
オーストリア★
建国記念日10月26日
【🇦🇹/墺太利/墺/エスタライヒ(ドイツ語)/オーストリー/オーストライヒ(ドイツ語名の誤読)】
陽気でのんびり屋、楽天的でいつも笑顔だがプライドは高いことが多い。批評家精神に富んでいて、文句が多いと言われることもしばしば。ドイツと違って仕事にはそれほど身を入れておらず、いい加減と評されることも。
精神科医(おそらくフロイトの影響)である一方で、場合によっては貴族のような出で立ちをしていることも多々あり、作品によっては丸眼鏡をかけている。
また首都が音楽の都だと評されるだけあり、音楽家としての才能も申し分ない。
趣味は自慢のアルプスでのスキーとハイキング。好きなものはウィンナーコーヒーやアプフェルシュトゥルーデルなどのお菓子。
かつては大帝国を築くハプスブルク家のお膝元として栄えたが、WW1でハプスブルクが力を失った後は単体で独立。一時は存続が危ぶまれナチスドイツと合邦(アンシュルス)したこともあるが、戦後は中立国として西側諸国と東側諸国の架け橋となった。
上記のようにドイツとは縁が深く現在では友好関係にあるが、一緒にして欲しくはないと思っている節もある。他の親しい友人にはスイス、リヒテンシュタインなどのドイツ語圏、また旧帝国領にはハンガリーなどがいる。
オーストラリアと混同されることを大変気にしており、「カンガルーはいません」というシャツを作ったこともある。また、国名を名乗る際にわざわざ「ヨーロッパの」を付け、オーストラリアとの違いを強調することもしばしば。
スイス☆
建国記念日8月1日
【🇨🇭/瑞西/瑞士/瑞(スウェーデンも同様の表記を使うことがあるため注意)】
永世中立国であるためか現在では中立的で穏やかな人物として描かれることが多い。しかし警戒心が強く保守的な面もあるため、とっつきにくく感じられてしまうこともしばしば。何か物事を決める際にはとにかく住民投票をする民主主義的な性格。ヨーロッパ屈指の金持ちでもあり、名産のスイスナイフやスイス時計を身につけていることも。
好物はチョコレートとコーヒー。ウィリアム・テルの影響からか、弓矢やリンゴなどとともに描かれることも多い。
かつてはヨーロッパ中にスイス傭兵を送り出しており、それを農業に代わる一大産業にしていた(血の輸出)。昔から武術に優れおり、周辺の大国を相手に独立を勝ち取ってきた歴史がある。現在でも国民皆兵で訓練を続けているため、腕は衰えていない。
四つの公用語を使いこなすマルチリンガルだが、ドイツ語話者が国内に多いこともあってか、ドイツやオーストリアなどドイツ語圏の国々との絡みが多い。現在EUとは距離をおいているが特別仲が悪いわけではない。
隣国・リヒテンシュタインとは、彼もしくは彼女の国防や一部外交を担うほど関係が深い。
リヒテンシュタイン☆
建国記念日8月15日
【🇱🇮/リヒテン】
中欧にある小さな君主国家。ミニ国家であるため小柄な体型で描かれることが多く、金銭的に豊かなことからお坊ちゃまもしくはお嬢様であることがほとんど。国旗内の王冠を頭に載せていることも多い。
元は神聖ローマ帝国の一部で、リヒテンシュタイン家が神聖ローマ議会に出席する権限を得るために購入した土地。WW1まではオーストリアとの関係が深かったが、戦後同国が敗北し自身も経済的に苦しんでいるところをスイスに援助してもらって以降、スイスとの関係を深める。現在ではスイスに国防や郵便制度、一部外交などを任せるほどの仲(かつて演習中のスイス軍が間違えてリヒテンシュタインに「侵攻」してしまった際には軽く受け流していた)。
美しい切手を作ったり、美術品を収集したりするのが好き。
国歌のメロディがイギリス国歌と同じだったり、1936年のオリンピックまでハイチと国旗が同じであることに気づかなかったりと小ネタが尽きない。
フランス★♠︎
革命記念日7月14日
【🇫🇷/仏蘭西/仏】
ベレー帽と白黒のボーダーシャツに身を包んだ男性、あるいは女性。男性である場合は自信家でプライドが高く、女性である場合は上品でオシャレ好きであることが多い。
自己表現が豊かで頑固、基本的には無表情だが恋愛にはオープンで愛に熱い。フランス語に誇りを持っており、英語で話しかけてもフランス語で返してくる、もしくは無視することもある。
美術大国であることから画家として描かれることが多い。また、ナポレオンなどフランス史の偉人の格好をしているイラストも多く見かける。
名産のバゲットやワインを手に持っている描写もよく見る。優れた食文化を誇りに思っているが、カエルやカタツムリを食べるため近隣国から食のセンスが独特と評されることもしばしば。
フランス革命で倒された王政のフランスの首を掲げている絵を稀に見るが、おそらくルイ16世の処刑を表していると思われる。王政フランスとは親子関係であったり、同一人物であったりする。第二次世界大戦期にはヴィシーフランス(枢軸国側)と自由フランス(連合国側)の二つに分かれて闘っていたこともある。
昔からイギリスやドイツとは因縁の仲だが、近年はそれなりに仲良くやっている模様。スペインとは付かず離れずのなんとも形容しがたい関係。
カナダやベトナム、シリア等を義理の息子として持つ設定もしばしば見かける。また、モナコやアンドラとの関係も深い。
モナコ
建国記念日11月19日
【🇲🇨】
世界で二番目に小さい国。ゆえに小柄な体躯で描かれることがほとんど。
国旗がインドネシアと同じ配色で見分けにくいため、差別化のためにサングラスをかけていたり裕福そうな格好をしていたりする。
時間にルーズでのんびりとした性格であることが多い。また、フランスに似てプライドが高く個人主義なところがある。
モータースポーツが盛んなため、スポーツカーを乗り回している描写もよく見かける。稀にタバコや切手を作っていることも。また、国内にカジノがあるため自身もディーラーであったりギャンブラーであったりする。
公用語がフランス語であり、政治、経済、軍事的にもフランスへの依存度が大きいため、フランスと一緒にいることが多い。
ベネルクス
オランダ★♠︎
国王誕生日4月27日(7月26日が「独立記念日」とされることもあるがこれは公式的なものではなく、国王誕生日の方がナショナル・デーとして適切)
【🇳🇱/和蘭陀/和蘭/阿蘭陀/蘭/ネーデルラント(日本の学術的資料だと低地地方全体を指すことが多い)】
根っからの商売人で、守銭奴な男性。自己主張が強く、開けっぴろげな性格。議論好きだが他者や異なる思想に寛容な面も持ち合わせている。
世界一平均身長が高いため高身長キャラとして描かれることが多い。
英語で「Dutch(意:オランダの、オランダ人)」のつく単語は「割り勘(Go Dutch)」「ダッチワイフ(Dutch wife)」のように、ケチの代名詞オランダ人を揶揄するものとなっている。しかし自分が食べた分の方が少なければ決して割り勘にはしないし、寄付活動には惜しみなく金を出すといった倹約家ながら人道的な一面も持ち合わせていることも。
また、ミッフィーの出身国であるため、ウサギの人形を愛用していることが多い(余談だがオランダの国獣はライオンである)。
大麻使用が非犯罪化されているため、麻薬を吸っている描写もよく見かける。PB同様、麻薬の影響で目が充血していることもしばしば。また、干拓を続けた結果、国土の4分の1が海面下にあり、その影響もあってか水に弱い、もしくは泳げない設定であることも多い。
名物のチューリップや自転車、風車、木靴とともによく描かれる。
ベネルクス繋がりでベルギーやルクセンブルクとよくつるんでいる。スペインの息子(スペイン領ネーデルラント)という一面を持っていることもある。
ベルギー★♠︎
建国記念日7月21日
【🇧🇪/白耳義/白】
茶色のオーバーオールに茶色のキャスケットの少年、もしくは少女。中性的な外見で描かれることも多い。
穏やかで物静かな争いを好まない性格であり、妥協精神で物事を乗り切るおっとりとした人物。オランダ系のフランデレン(フランドル)、フランス系のワロン、ドイツ語圏の三人の人格に分かれている描写も見かける。
かつてフランドルは商業の中心地として栄えたが、度重なる戦火などで衰退。同時期にオランダはスペインからの独立を果たすが、ベルギーは反乱には加わったものの途中離脱しスペインの元にとどまった。
以降も度々フランス等に侵攻されたが、ナポレオン戦争後はオランダとひとつの国になる。しかしオランダの政策に不満を持ち、オペラに感銘を受けたことを直接のきっかけとして独立革命を起こした。
独立後は基本的に「中立国」として大国に挟まれる緩衝材となったが、中立は守られず侵攻を受けることもしばしば(WW1やWW2)。
ワッフルやチョコレート、フレンチフライ(「French(フランスの)」と付くが元はベルギー発祥、ベルギーではフリッツと呼ばれる)、ムール貝やベルギービールが好き。
現在のEU設立の立役者のうちの一人。歴史的背景や現在の欧州統合に果たす役割の大きさから「欧州の中心地」を自負しているが、ドイツやフランスに色々と持って行かれている印象。
猫祭りが行われることから、猫耳を付けている姿もしばしば見かける。
ルクセンブルク★♠︎
建国記念日6月23日
【🇱🇺/盧森堡/盧/ルクセンブルグ/リュクサンブール(フランス語)/ルクセン】
国旗がオランダ国旗に似ているが、青の部分がオランダより薄い。
国土が狭いことから小柄あるいは少年少女として描かれることが多いが、平均身長はかなり高い方。
中世のルクセンブルク公国の君主たちは、神聖ローマ皇帝を排出したり、ボヘミア(現代のチェコの一部)に至るまでの広大な領土を支配したりもするほど栄えた。その一方でルクセンブルク本体の統治はおろそかになり、公国自体が抵当物件のようにたらいまわしにされたこともある。カール五世のネーデルラント統一によってネーデルラント(南部)の一部となったが、一時期はオランダ国王の直轄地として扱われ、オランダから独立したベルギーとの合同を認められないなど不遇な目にもあった。
一人当たりGDPが世界有数の高さで金融業に秀でた国のため、よく金持ちキャラとして扱われる。美食家でもあることが多い。
基本的にはベネルクスつながりでオランダやベルギーとよくつるんでいる。ポルトガル系移民が多いため、ポルトガルとの絡みも見られる。
南ヨーロッパ
イタリア★♠︎
共和国記念日6月2日
【🇮🇹/イタリー/伊太利/伊太利亜/伊】
画像1枚目のようなカンカン帽と赤いスカーフを身につけた陽気で奔放な青年、あるいは少年。マフィア発祥の地だからか、マフィアの格好をしていることも多い。また画像2枚目のようにカラビニエリの制服を着ていることもある。
ナンパ好きでキザな男として描写されることも多い。時間やお金にルーズで、カトリックに熱心。稀に甘えん坊でマザコンとして描かれることも。
1861年まで「イタリア」という単一の国は存在しなかったため、今でも個々の地域や町ごとの独立意識が強く、北イタリアと南イタリアで性格が大きく違っていたり、隣町同士で対抗意識を燃やしていたりすることもしばしば。
また、現代においてはPIIGSの一国に数えられるなどの財政悪化が原因か、「ローマ帝国時代が最盛期」と揶揄されることも。
好物はピザとパスタ。また美へのこだわりが強く、服飾や高級車の製作にも熱心。
口癖はマリオでおなじみ「Mamma mia(マンマミーア)」。「お母さん」という意味だが、英語の「Oh my god(オーマイゴッド)」同様「なんてこった」という意味で使われる。
マルタ★
独立記念日9月21日
【🇲🇹】
地中海に浮かぶ小さな共和国。戦略的要衝とされ、太古から様々な国の支配を受けてきた。近年までイギリスの一部であったが、独立し今ではイギリス連邦の一員となっている。
かの有名なマルタ騎士団は、かつてマルタを支配していた宗教騎士団である。エルサレム発祥の聖ヨハネ騎士団がマルタに拠点を置いた際に「マルタ騎士団」を名乗り、マルタの名を有名にした。
現在では国土を失っているが多くの国に主権実体として承認されており、国連やEUのオブザーバーとしても参加していることなどから「領土なき国家」とも呼ばれる(そのためCHでは身体のない幽霊として扱われることも多い)。マルタのかつての姿や親として描かれることも。
性格は、マルタ騎士団の影響か勤勉で働き者なことが多い。平和を愛する陽気な人物と形容されることも。
小型犬マルチーズ発祥の地であることから、ペットとしてマルチーズを連れていることもある。サッカーが好き。
バチカン市国
ラテラノ条約締結記念日2月11日
【🇻🇦/バチカン/ヴァチカン/ヴァティカーノ】
ローマ・カトリックの総本山であり中心地。そのためか、カトリック諸国に敬われている描写も多く見かける。
国民の大多数が聖職者であり、ローマ教皇がバチカンの元首であることなどから、自身も聖職者であることがほとんど。
一般的に教皇やカトリック系の聖職者が奉神礼・典礼・礼拝の際に使用する祭服を身につけており、頭にはミトラを被っている。世界最小の独立国という事から、小柄な体型であることが多い。
イタリアとはインフラを頼るなど縁が深いが、ラテラノ条約締結までは険悪な仲だったなど複雑な関係。
サンマリノ
建国記念日9月3日
【🇸🇲/聖馬力諾】
イタリア内部にある共和国。現存する世界最古の共和国を自負するミニ国家。こちらも小柄だが年配者として描かれることが多い。
ローマ帝国に迫害されたキリスト教徒によって建国された。イタリア統一運動に貢献して以降、統一イタリアとの関係は深く、ともに描かれることも多い。
独自のコインや切手を作ることが趣味。
スペイン★♠︎
国際日10月12日
【🇪🇸/西班牙/西/エスパーニャ(スペイン語)/太陽の沈まない国(かつての渾名)】
南欧の陽気な青年、あるいは女性。国章は複雑さ故に省略される場合もある。
スペイン帝国はかつてのスペインの姿であったり、親であったりする。
情熱的かつノリがいい性格で、俗にいう陽キャとして描かれる場合も多い。昼寝を好む自由な性格。大航海時代に世界を旅した経験からか、スリリングなことが好きな冒険者と評されることも。
ポルトガルと同様、サッカーや闘牛には熱くなりがち(余談だが、スペインの闘牛では牛を殺し、ポルトガルでは殺さないという違いがある)。
パエリアやオリーブオイルを好んでいる描写が多い。また、優れた芸術家を輩出していることから美的感覚に優れているとされることも多い。
かつてはヨーロッパでも辺境の地として扱われ、「ピレネーの向こうはアフリカ」と揶揄されていた。レコンキスタにより誕生した複数の国が合併してできたため、地域ごとに性格に差がある。カタルーニャやバスクといった一部地域はスペインからの独立を考えているという描写も見かける。
また、1930年代のスペイン内戦の傷を引きずっているという設定も多い。その後長く続いたフランコ政権の独裁が終わった後、ポルトガルとともに欧州連合に加盟した。
隣国のポルトガルとは腐れ縁の仲(一度併合した過去があるが、その後も再併合を目論んでいる節がある)。かつてはカトリックの盟主としてプロテスタント国(イギリスなど)とは敵対していることが多かった。
ポルトガル★♠︎
ポルトガルの日6月10日
【🇵🇹/葡萄牙/葡/プルトゥガル(ポルトガル語)】
国章を眼帯にした小柄な男性、もしくは少年であることが多い。
スペインに比べるとおとなしくて目立たない存在として描かれることが多いが、基本的にはラテン系の明るい性格。衰退を辿った歴史的背景からか、どこか哀愁漂う寂しげな雰囲気を持っていることも。また、スペイン同様に時間にルーズでシエスタを欠かさない熱心なカトリック教徒でもある。
「サウダーデ(郷愁、と訳されることが多い)」という、言葉には形容しがたい独自の感性を持っている(日本でいう「侘び寂び」に近いと言われる)。
戦国時代の日本といち早く交流したヨーロッパの国だったが、鎖国令によって追い出された。それゆえポルトガル語由来の日本語も多い。
好きなものには名産のポートワインやイワシ、タラ(バカリャウ)、甘い焼き菓子などが挙げられる。また、ファド(哀愁漂うポルトガルの民謡)、フットボール、ファティマ(キリスト教の聖地)は、サラザールの独裁時代(エスタド・ノヴォ)には「三つのF」として重要視されたほど。
スペインと言語や文化、歴史に共通点が多いためセットで描かれることが多い(スペインとはかつて敵対し一時は併合されたこともあるが、今はそれなりに仲がいい様子)。
イギリス(イングランド)とは英葡永久同盟を結んでいたよしみから絡むこともしばしば。長年の友人ながら、時代によってはイギリスに生殺与奪権を握られているという描写も多い。
ブラジルやアンゴラ、モザンビーク、マカオ等を息子に持つ設定もよく見かける。ポルトガルを凌ぐ人口や経済規模を誇るブラジルへの感情は複雑だが、基本的には連帯意識を感じている模様。だがポルトガル語がブラジル語と呼ばれることを密かに嘆いている。
アンドラ
守護聖人の日9月8日
【🇦🇩/安道爾/アンドーラ】
スペインとフランスに挟まれた小さな山国。アフリカにある旧ポルトガル領の国アンゴラとよく間違えられるが、まったくの別人である。
ラテン気質のオープンな性格で、タバコが好き。
ヨーロッパのミニ国家の例に漏れず、経済的に豊かであり、かつてはタックスヘイブンでもあった。
ウルヘル司教とフォワ伯の間で起きた所有権争いがきっかけで、1278年に二人を共同統治者にすることで国として独立。共同統治という統治体制のおかげで現代まで存続することができた。1993年に正式に独立国家となる。
カタルーニャ語を話し、カタルーニャ語を公用語としている世界唯一の国。カタルーニャとは兄弟のような関係。
ギリシャ★♠︎
国家記念日10月28日
【🇬🇷/希臘/希/エラダ(ギリシャ語)/ギリシア】
古代ギリシャ風の衣装を身にまとっていることが多い。楽観的でおしゃべり、細かいことは気にしないのんびりとした性格として描かれる。良くも悪くも身内意識が強いと評されることも。働かないと形容されることも多いが、労働時間で見ると世界でもかなり長い方。
古代ギリシャと同一人物かどうかはファンの解釈によるが、古代時代との繁栄と現代の凋落ぶり(借金に借金を重ねてPIIGSと呼ばれてしまうなど)との格差に苦しむことも多い。
古代ギリシャ時代には文化の中心地として栄えたが、のちにはオスマン帝国下に入り独立を失う。近代に入ってから西欧の力を借り独立するが、WW2での枢軸国による占領やその後の内戦、軍事独裁など苦難の道を辿る。現在は欧州連合に加盟しているが、財政赤字を隠蔽しユーロ危機勃発の発端ともなった。
好きなものはオリーブオイルや、チーズ、トマトやキュウリ等の野菜。また、OECD中でも喫煙率が高いことからタバコを吸っている描写も稀に見かける。ボードゲーム「バックギャモン」を好んでいることも。
隣国のトルコ(共和国宣言記念日10月29日)とはなぜ国交があるのか分からないと言われるほどうまくいっていない。キプロスとは親子のような関係だと自負するが、親トルコの北キプロスとはトルコ同様うまくいっていない。また、北マケドニアとは名称問題(マケドニアという名前の使用について)で揉めたことがある。
キプロス
独立記念日10月1日、北キプロスは独立記念日11月15日
【🇨🇾(南キプロス)/クブルス(トルコ語)/サイプラス(英語)】
地中海に浮かぶ島国。愛の女神・アフロディーテの故郷ともされる。
様々な文化が交錯する軍事的要衝にあるため、ローマ帝国や十字軍、オスマン帝国に支配された。のちにイギリスに統治されるが独立。
しかしその後、トルコ系住民からなる北部とギリシャ系住民からなる南部で対立が続き、ギリシャとトルコの対立もあり最終的には南北に分断した。そのため、北キプロスと南キプロスを生き別れの双子とする設定も多く見かける。
一般的にキプロスと呼ばれる、国際社会で広く承認を受けているのは南キプロス。北キプロスはトルコ以外承認する国がない。ゆえに北キプロスはトルコ以外の国から見えていないという描写がなされることもある。
アルバニア♣︎
建国記念日11月29日
(画像中段右)
【🇦🇱/シュチパリア(アルバニア語)/阿爾巴尼亜】
鷲の子孫を自負し自らを鷲の国(シュチパリア)と名乗るため、国章にもある黒い鷲の羽が生えていることが多い。
オスマントルコの支配の影響から、人口に占めるムスリム率が高い。このためヨーロッパでも珍しいムスリム国として扱われることも(しかし戒律にゆるい一面もある)。だが一時期は無神国家をやっていたこともある。
性格は社交的で情熱的、人懐こいラテン系のノリと形容されることも。ギリシャなどの近隣国に比べると勤勉でよく働くという設定も多く見かける。
冷戦下の社会主義時代、当初は隣国ユーゴスラビアと仲がよかったが、ユーゴがソ連と対立するとソ連に乗り換え、ソ連がスターリン批判を始めると今度は中国に乗り換え、その中国が改革解放路線に転換するとついには中国とも決別し鎖国状態となった。それゆえか「ヨーロッパの北朝鮮」という不名誉なあだ名を頂戴したこともある(しかし本人は北朝鮮のことも批判している)。
市場経済導入後は混乱に紛れネズミ講が蔓延り、一時的な無政府状態と化したことも。
歴史的に関係の深いイタリアとともに描かれることが多い。民族的な繋がりから、コソボをアルバニアの弟とする設定も多く見かける。
セルビア
建国記念日2月15日
【🇷🇸/スルビヤ(セルビア語)/塞爾維亜/塞】
国章をアイパッチにしていることがほとんど。軍服を着ていたり、黒いスーツを身にまとっていたりすることも多い。アコーディオンを弾いていることもある。
「コソボはセルビア」であると主張しているが、実質的にコソボは独立状態にあり、それを承認している国もそれなりに多い(コソボ問題はいまだに解決していない問題であるため、扱う際には注意が必要)
豪快で陽気、愛想はいいが計画性がないとも評される。ブラックジョークが好き。
ユーゴスラビアの主導者的存在であったため、ユーゴの親として描かれることもある。
得意なものはテニス。好きなものはスリヴォヴィッツという蒸留酒やロバチーズなど。
自治州のヴォイヴォディナは、セルビアとは別の存在として描かれ、ハンガリーの兄弟とされることも多い。モンテネグロは弟のような存在で縁が深い。
クロアチアとは幾度も衝突した因縁の仲だが、最近は二国間協力も増えてきている。伝統的友好国のロシアや、経済協力の盛んな中国などとともに描かれることも多い。
モンテネグロ♠︎
国家の日7月13日
(画像奥左)
【🇲🇪/ツルナゴーラ(モンテネグロ語)/黒山国】
「働くな、労働すると死ぬ」「仕事をしたくなったら座って待ちなさい。そうしたら働く意欲は失せるでしょう」(モンテネグロの十戒)などとスローライフを謳うのんびり屋。
常に眠い顔をしていて仕事をしないため、「世界一なまけものの国」とも呼ばれている。それゆえか、たまに寝間着姿で枕を抱いていることもある。ユーゴスラビア諸国の集まりでも、一人離れた場所で眠りこけていることがしばしば。
好きなものは羊肉のミルク煮、イカスミパスタなど。
セルビアの隣国であり、民族、言語、宗教が非常に近しいためセルビアの兄弟とされることも。旧ユーゴが崩壊し他国が分離独立した後もセルビアの傍に居続けたなど関係が深い(新ユーゴスラビア)。
実は1905年に日本に宣戦布告していたが、戦闘に参加しなかったため講和会議にも呼ばれず無視され続け、2006年のモンテネグロ再独立時点で100年以上戦争していることになっていた。
クロアチア★♣︎
国家の日6月25日
【🇭🇷/フルヴァツカ(クロアチア語)/克羅地亜/呉呂茶】
経済面に秀でている国だからか、優等生然としたパーカー姿であることが多い。またクロアチア発祥のネクタイ(クラバット)を身につけていることも。紋章に含まれる赤と白のチェック柄をモチーフに取り入れているデザインも多く見かける。
あくせく働くことは好まないが、ドイツのように真面目でしっかり者と評されることが多い。
中世にはクロアチア王国が栄えていたが、その後はハンガリーやオスマン、ハプスブルクの下に入った。1918年にセルビア、スロベニアとともにのちのユーゴ王国となる国を作るが、政治的主張の強いセルビアに不満を持っていたため、WW2ではクロアチア独立国(現在のクロアチア国旗に近いデザインだが、左上にウスタシャの紋章が入っているなど違いがある)として枢軸側から援助を受け独立、セルビア人勢力を弾圧した。
WW2後には再びユーゴスラビアの元に戻るが、経済的に強いが政治的主張が苦手なクロアチアと、政治的主張が得意だが経済的にはクロアチアに及ばないセルビアとの間で不満が溜まっていった。苛烈な紛争を繰り広げたのちに独立、現在ではEUに加盟するほどまでになった。
好きなものはサッカーや名物料理のシュトゥルクリ、ハンバーグや生牡蠣など。南部ダルマチアが原産とされるダルメシアンをペットとして連れていることも。
ダルマチアとはその歴史的差異から別個の存在として描かれることもある。
スロベニア★♣︎
独立記念日6月25日
【🇸🇮/スロベニヤ(スロベニア語)/斯洛文尼亜】
国章をアイパッチにしていることも多いが、他国に比べサイズ感が小さいため画像のように目の上につけていることも多い。旧ユーゴスラビア構成国の中で経済的に豊かで、同じユーゴスラビア内のコソボより8倍も所得が高かった時期もある。
性格は几帳面で生真面目、器用でおとなしいことが多い。しかし歴史的にはしたたかな一面もある。
ユーゴスラビアに入る前はハプスブルク家の下にいたこともあってか、オーストリアなど西欧諸国の影響が根強い。そのためか、(スロベニアに限った話ではないが)自分のことをバルカンだとは思っていない。
隣接する国が多く国内で多言語が話されているため、自身もマルチリンガルである設定も多く見かける。
好物は蜂蜜、クロバサ・ソーセージやかぼちゃの種油など。名馬リピッツァーに乗っていることもある。
スロバキアとよく名前を間違えられる(どちらも「スラブ人の国」という意味)ため、定期的に誤配された荷物を交換しているとかいないとか。
ボスニア・ヘルツェゴビナ
独立記念日11月25日
【🇧🇦/ボスナ・イ・ヘルツェゴヴィナ(ボスニア語)/ボスニア/ボスヘル】
ボスニアとヘルツェゴビナの二つの地域が合体した国。WW1勃発のきっかけになったサラエボ事件が起きた国でもある。
かつてのユーゴ紛争の激戦地であり、戦争の傷跡は今も体に残っている(サラエボのバラ)。
国旗の黄色い三角の部分を布のようにして頭に巻いていることが多い。
タフで皮肉屋、聞き上手で人懐こい。逆境でも淡々としているとも言われる。
カトリック、正教、イスラム教の文化が混在する。好きなものはチェヴァプチチやボスニアコーヒー(トルココーヒーとは言わない)。
国内にあるスルプスカ共和国はセルビアの兄弟とされることもある。
北マケドニア♣︎
独立記念日9月8日
【🇲🇰/マケドニア/マケドニア旧ユーゴスラビア共和国(旧名)/FYROM(旧名の略称)/スコピエ共和国(主にギリシャ)】
偉大なる古代マケドニアの子孫……とされるが、現代の北マケドニアは古代マケドニアの領域の半分にも満たず民族的にも違っているため、「マケドニアを名乗るな」と主張する派閥もいる。
狩猟や登山、スキーが好き。チェスをしていたりタバコを吸っていたりすることもしばしば。好きな食べ物はタフチェ・グラフチェやアイバルなど。
長らく呼称・国旗問題で揉めていたが、とうとう現在の国名・国旗に落ち着いた。国旗はアレキサンダー王のシンボル「ベルギナの星」を大幅にアレンジしたもの。
セルビア、ギリシャ、ブルガリアには自国の一部として扱われていることもあった(バルカンの独立運動が盛んになった時代にもセルビア、ブルガリア、ギリシャに領土を取り合われており独立できなかった過去がある)など、振り回されがちで不憫なキャラクターとして描写されることも。
ユーゴ紛争の際にも唯一戦闘なしで独立を達成し、多民族を内包しているが目立った衝突が近隣国に比べて少ないことなどから、争いを好まないおとなしくて控えめな性格として描かれることも多い。
コソボ
独立記念日2月17日
【🇽🇰/コソヴァ(アルバニア語)/コソボ・メトヒヤ自治州(主にセルビア)】
中世セルビア王国の一部で、オスマントルコとセルビア軍が勝敗を決した重要な地でもあった(コソボの戦い)。負けたセルビアはその後500年ほどオスマントルコに支配され、コソボには多くのアルバニア系が流入し、セルビア系とアルバニア系が共存することになった。
しかし、旧ユーゴスラビア時代にアルバニア系が多数を占めるようになったうえ、少数派のセルビア系が寡頭政治を行ったため紛争が勃発。国連管理下で独立を宣言したが、セルビアやセルビアの友好国などは独立を承認していない。
そのためセルビアとは険悪な関係で描かれることも多いが、関係改善のために努力している描写も見られる。アルバニアとは先述の通り兄弟のような関係。
好きなものは伝統料理のフリアなど。得意なことには細線細工などが挙げられる。移牧が盛んなことから、羊を連れているイラストも多い。
北ヨーロッパ
ブリテン諸島
イギリス元★(2020年に離脱)♠︎
【🇬🇧/UK/GB(グレートブリテンの略称)/ブリテン/英国/英吉利/英/大英帝国(かつての渾名)/グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国(正式名称)】
三つ揃いの背広に身を包み紅茶を嗜む、時々腹黒・皮肉屋の典型的な英国紳士。愛用の片眼鏡とシルクハットは欠かさず身につけている。三枚舌外交のイメージからか、スプリットタンとされることも少なくない。
クイーンズイングリッシュ(いわゆるイギリス英語)を話し、アメリカ英語を敵視している描写も見かける。
イギリス=イングランドとすることも稀にあるが、基本的にイギリスとは1707年にイングランドとスコットランドが合同して初めて成立した国であるとされる(余談だが、ユニオンフラッグの制定自体は1606年のイングランド・スコットランド同君連合成立時に行われている)。
父親としてトラブルメーカーな息子達、特にアメリカに対して頭を悩ませていることが多い。だが史実ではグレートブリテン設立(1707年)よりイングランドのアメリカ入植開始の方が早く、13植民地(アメリカの前身、幼少期とされることも多い)の方が年上であると解釈されることも多々ある。
「光栄ある孤立」を謳ったりEUを離脱したりするなど、大陸のヨーロッパ諸国とは一味違う国を自負するが、EU離脱の際などにはなかなか煮え切らず各国に煙たがられていたこともあった。
有名な作品ハリー・ポッターや妖精、幽霊の伝承などから、ファンタジックな印象を持たれることも多い。また、国内でミステリー小説が盛んなことから、自身もシャーロック・ホームズのような探偵として描かれることも少なくない。歴史的に海軍が強かったことから、海軍もしくは海賊のような出で立ちをしていることもある。また、好物の紅茶やフィッシュ・アンド・チップスとセットで描かれることも。
料理が下手、味覚が独特と揶揄されることも多く、よくスター・ゲイジー・パイの特徴的な見た目をからかわれている。
構成国である「イングランド」「スコットランド」「ウェールズ」「北アイルランド」との関係は人によって大きく変わるが、親であったり子供であったり、イギリス内の人格(多重人格)であったりする。
「イギリス」の英訳として稀に「England」が使われることがあるが、イングランドはイギリスを構成する一地域に過ぎず、イギリス全体を指す言葉ではないため使用は控えた方が無難。また、「ブリテン+カス」という意味の「ブリカス」という呼称はいわゆる蔑称であり忌避するファンも多いため、使用する際にはTPOを弁えたい。
イングランド
聖ジョージの日4月23日
【🏴/英蘭/英】
イギリスのようなシルクハットに、黒のベストを身につけていることが多い。稀にモノクルを付けていることもある。
常に笑顔かつ丁寧な口調で話す、穏やかな人物。「イギリス人」のステレオタイプ(イングリッシュネス)のほとんどがイングランド人にも当てはまるとされているため、イギリスと似たり寄ったりな性格で描かれることが多い。余裕のある振る舞いを見せることが多いが、愚痴っぽかったり皮肉屋であったりすることも。
かつてはブリテン島の一部を占めるに過ぎない小国だったが、中世には大陸(現在のフランス北西部や南西部)に広大な領土を獲得し強大化した…と言われるが、イングランドの方が大陸の公国(ノルマンディー公国やアンジュー伯国など)に支配されていたという見方の方が一般的(余談だが、この時代には現代で言う「国」の概念がなく、王朝が土地を支配するという考えが普通だった)。
中世末期には、百年戦争での敗北や薔薇戦争などの内紛がきっかけで、しばらくブリテン諸島に引きこもることになる。大陸の領土を失い、また小さな一島国となったものの、宗教改革時にはプロテスタント陣営としてスペインらカトリック諸国に対抗し、大航海時代後期には積極的に海外進出を行った。近世においては当時の先進国・オランダと海上覇権を争ったが、ピューリタン革命や名誉革命といった大きな改革を経て、世界の海を統べる「大英帝国」へと至った。その後、「第二次百年戦争」とも呼ばれるフランスとの抗争に入るが、自身から独立したアメリカが台頭してくるまでは世界の覇権を握り続けていた。
1707年の合同法までは独立国として存在し、現在でもイギリスの中核を成している。そのため、イギリスをイングランドの傀儡や、イングランドの支配下にある子供とするファンも多い。
スコットランドとはお互いの政治に介入しあうなど、よく揉めた仲。かつてスコットランド王位継承に使うスクーンの石を持ち逃げし、イングランド王が戴冠に使う椅子に埋め込むなどしている(1996年に返還された)。
イギリス成立前においてもイングランドを「イギリス」と形容することが多いが、厳密には不正確であるため注意が必要。
スコットランド
聖アンドレの日11月30日
【🏴/蘇格蘭/蘇(ソ連にも使われるため注意)/スコッツ】
ケチな酒飲みとして描かれることが多い。スコッチウイスキーを片手に愚痴っている姿がよく描かれる。
民族衣装のキルトを着ていたり、グレンガリー帽やハンチングを被っていることもしばしば。
ローランドとハイランドというふたつの異なった文化圏を持つことから、多重人格、あるいは複数人いるとされることもある。
イギリスのEU離脱の際には、スコットランド自身はEUから離脱したくなかったものの、スコットランドの意向は反映されずイギリスごとEUを脱退(BREXIT)した。
大陸諸国との関係が途切れがちだったイングランドよりも大陸との関係が深く、フランスとは「古い同盟」を組みイングランドに対抗してきた仲。イングランドは古くからの宿敵で、お互い侵略しあったり影響を与えあったりしてきた。アイルランドとは兄弟のような関係とされる。
長い間イギリスからの分離独立を望んでいるという描写も多いが、大抵はイギリスやイングランドに丸め込まれている。
ウェールズ
聖デイヴィットの日3月1日
【🏴】
ケルト系だが、イングランドと一緒にいた時期が一番長いためイギリス構成国の中でも特にイングランド的と評される。それと同時にイングランド化に抵抗を続け確固たるアイデンティティを保ち続けたため、現在でも独自の文化を誇る。
歌を歌うことが好き。また、ニュージーランド同様に羊が好きでもある。リーキという西洋ネギを手に持っていることも多い。
言語が難解なため、言っていることが伝わらないとされることもしばしば。
国旗の竜の紋章から、ドラゴンじみた外見の少年として描かれることも多い。なお、イギリス構成国中唯一国旗がユニオンフラッグに採用されていない(当時ウェールズはイングランドの一地域と見なされていたため)。
ブリタニア時代の言語や文化を引き継ぐブルターニュ(フランスの州、かつてのブルターニュ公国)やコーンウォール(イングランドの一部)とは兄弟であることが多く、現代でも仲がいい。イングランドとはお互いをよく知る旧知の仲ではあるが、かつて弾圧されてきたこともあり少し複雑な感情を抱いている様子。
北アイルランド
ボイン川の戦い記念日7月12日(プロテスタント)/聖パトリックの日3月17日(カトリック)
【北愛蘭/北愛/北部6州(主にナショナリスト)】
アイルランド島の一部だが、イギリスを構成している。
歴史的背景より、イギリスとの合邦を望むユニオニスト(主に後から入植してきたイングランド・スコットランド系のプロテスタント)とアイルランドとの統一を望むナショナリストがおり、一時はナショナリスト勢力IRAによるテロとそれに対する弾圧が行われたが、現在では沈静化している。
キャラクターとしての解釈は、北アイルランドをどの政治勢力に基づく存在にするかによって大きく変わり、プロテスタントとしての北アイルランドはイギリスやイングランドに友好的で、カトリックとしての北アイルランドはアイルランドに友好的とされることが多い。それゆえ二重人格として描かれることも少なくない。
アイルランド★
聖パトリックの日3月17日
【🇮🇪(コートボワール🇨🇮によく似ているため注意)/愛蘭/愛蘭土/愛(エストニア等と混同しないよう注意)】
国花であるシャムロック(よく誤解されるが、四つ葉ではなく三つ葉が本来正しい)を身につけ、全身緑の民族衣装に身を包んだ青年。
アイルランド島(北アイルランド含む)における緑はカトリックの象徴、オレンジはプロテスタントの象徴であり、アイルランドも北アイルランドも緑やオレンジを使用したデザインで描かれることが多い。
基本的には陽気でおしゃべりで人懐っこい性格だが、反骨精神に富み芯が強い一面もある。時間にはルーズだが教育熱心であるという一面も。
かつては西ヨーロッパの中でも最貧国だったが急速な経済成長を遂げ(一時期はPIIGSに数えられたものの)現在では世界でもトップクラスに豊かな国である。
イギリス(イングランド)とは因縁があり今でも北アイルランド等についての悩みを抱えている。
ジャガイモ飢饉の記憶からジャガイモが好きだがなかなか食べられない、という設定を有していることも。名産のエールやギネス(アイルランドのビール)を飲んでいる描写もしばしば。
北アイルランドは別の国として認めているが、ラグビーを合同チームで行うなど緊密な関係を維持している。
北欧
デンマーク★♠︎
憲法記念日6月5日
【🇩🇰/丁抹/丁/ダンマルク(デンマーク語)】
平等意識が強く、個人主義的な性格であることが多い。ややプライドが高い面もあり、EUの中央集権化に反発することもしばしば。標高が低いため小柄な体躯で描かれることも。世界有数の福祉国家であり幸福度も高いため、現代では主に温和な笑顔なことが多い。
ヴァイキング時代にはヨーロッパ各地に進出し、交易や略奪を行っていた。中世にはカルマル同盟の盟主としてスウェーデンやノルウェーを束ね、北欧での主導権を握っていたが、スウェーデンその他との抗争で徐々に力を失っていった。
レゴ発祥の地であるため、レゴを扱ったネタが多い。人魚姫やみにくいアヒルの子、マッチ売りの少女で有名なアンデルセン(デンマーク語だとアナスンが近い)はこの国出身。
グリーンランド、フェロー諸島はデンマーク領であるため、絡んでいる描写も多く見受けられる。旧デンマーク領のアイスランドは弟や妹のような存在であり、何かと気にかけている様子が見受けられる。シュレースヴィヒ・ホルシュタインとは兄弟関係とされることも。
グリーンランド
【🇬🇱】
デンマーク領の広大な島。「グリーン」と付くが気候は厳しく、アイスランドよりもずっと寒い。メルカトル図法の地図だと非常に土地面積が大きく見えるが、実際はオーストラリアより小さい。
自殺率が高いことから鬱々とした表情で描かれることが多い。温暖化によって氷が溶けて苦しむという表現もよく見かける。また、様々な調査において「NO DETA(不明)」と表示されることが多い(人口が少ないうえ気候が厳しく、調査が困難だからだと推測される)ため、本人のプロフィールも「NO DETA」となっていることがある。アザラシ猟が趣味。
かつてアメリカがデンマークから買い取ろうとしたが、結局デンマークに断られた。
フェロー諸島
(画像右)
【🇫🇴/フェーロー諸島】
デンマークの自治領の一つ。面積が小さいため、小柄な体型で描かれることが多い。
国内に羊が多いためか、羊の角が生えたデザインも多く見かける。また、羊や馬、牛などの家畜と一緒にいることが多い。
好きなものはチェーンダンスやサッカー。
デンマーク王国を構成するデンマークやグリーンランド、兄弟のような関係にあるノルウェーやアイスランド、もしくはWW2時にフェロー諸島を占領していたイギリスなどと共に描かれることもある。
スウェーデン★
建国記念日6月6日
【🇸🇪/瑞典/瑞(スイスと紛らわしいため注意)/典/スヴェリエ(スウェーデン語)/スェーデン】
個人の自由と平等の実現の為に努力を惜しまない、非常に温厚な性格をした青年。服装としては北国特有の防寒着に、稀にヴァイキング時代の兜を被ることがある。生真面目で個人主義的かつ無駄を嫌う性格であることも多い。近現代においてはほぼ戦争をしていないことから、スイスと並ぶ武装中立の国として、争いを好まないと形容されることも。しかし近世にはデンマークから独立したのち数々の戦争を重ねバルト海帝国を築き上げるなど、好戦的で武勇に優れた過去もある。
レインボーフラッグを掲げる北欧の一国家として、やはり本人も同性愛者として描写されることがほとんど。
その他マインクラフト(スウェーデン発)関係のネタもある。
現フィンランド領のオーランドとは兄弟。
北欧諸国、特に旧スウェーデン領だったフィンランドやノルウェー、好敵手のデンマークらとともに描かれることが多い。
ノルウェー☆♠︎
憲法記念日5月17日
【🇳🇴/諾威/諾/ノルゲ(ノルウェー語)】
アイスランドやグリーンランド、フェロー諸島の兄貴分として描かれることも多い。北欧特有のシャイで自然好きかつ、法律(男女平等法)を制定するほど男女平等を理想とする性格。
デンマークやスウェーデンの統治下にいた期間が長かったことや、非常に穏便に独立したことから穏やかで争いを好まない性格とされることも多い。
EUには加盟していないが、石油が豊富に取れるため同じくEU非加盟のスイスやリヒテンシュタインと並んでリッチな国として認識されている。
かつてデンマークやスウェーデンに支配されていたが、現在では北欧として一体感を持っている。アイスランドとともに、商業捕鯨を行う数少ない国の一つでもある。
フィンランド ★
独立記念日12月6日
【🇫🇮/芬蘭/芬/スオミ(フィンランド語)/ソーメ(エストニア語)】
どこか哀愁漂う孤独な青年。パーソナルスペースが広く人見知りとして扱われることも多いが、親しくなると友好的になる。怒ると「ペルケレ!」(ファ○ク相当語)と言う癖がある。
外見的特徴として耳当て付きのニット帽があげられる。フィンランド生まれのキャラクター「ムーミン」をモチーフにしたデザインで描かれることも稀にある。
ペサパッロというフィンランド独自の野球をしていることもある。独特のイベントを多く行っており、エアギター世界大会、奥さん運び大会、携帯電話投げ選手権、サウナ我慢比べ大会等枚挙にいとまがない。また、2月5日(ルーネベリの日)にルーネベリタルトを食べる習慣がある。
エストニアとは民族的、言語的に近く(裏返すと他の北欧諸国やロシアとは民族的にも言語的にも違う分類になる)、唯一彼女(彼)を北欧とみなす。現在ロシアの一部であるカレリアとは兄弟のような関係。
かつてはスウェーデンやロシア帝国に統治されていた。ソ連とは過去に一戦交えた事もあり、凄腕のスナイパーとして活躍することも。
アイスランド☆♣︎
独立記念日6月17日
(画像左)
【🇮🇸/氷島/愛撒倫/イーストラント(アイスランド語)】
氷河と火山で有名な島国。ロピーセーターを着ていることが多い。元気で純粋な少年、少女として描かれることが多い。
ヴァイキングやスコットランド人などがやってきて入植したのち、ノルウェーやデンマークに統治された。
タラ・ジャーキーなどタラを使った料理が好き。かつて漁業権を巡ってイギリスと揉めたこともある(タラ戦争)。商業捕鯨を行う数少ない国の一つ。
「サーガ」や「エッダ」など優れた文学を誇る。ハンドボールやグリマ、スキーなどのスポーツも好き。
一時はEU加盟一歩手前までいったが、直前で加盟申請を取り消した。しかしEU圏の国々との関係は今でも密接である。
火山があるため温泉も多く、地熱発電をしていたり温泉に浸かっていたりするイラストも多い。またアイスランドに多く生息するパフィンとともに描かれることも多いが、ジビエというパフィンを使ったアイスランド料理が存在する。ということはつまり……。
バルト三国
エストニア★♠︎
独立記念日2月24日
【🇪🇪/愛(アイルランド等と混同しないよう注意)/エスティ/エエスティ(エストニア語)/ヴィロ(旧名)】
バルト三国を構成する一国。穏やかな性格をした少女。誠実で控えめ、おとなしく真面目な性格。大国に支配され続けてきたという歴史的な背景から、どこか悲観的な一面を持ち合わせている事も。国民の大多数が無神論者なため、本人も神を信じていないこともしばしば。
また世界有数のIT大国である事から、本人もプログラミングの才能に恵まれている事が多い。フィンランドとは言語的、民族的に近いので交流も多い(酒税が安いエストニアで酒を買い込むフィンランド人が多いことなど)。
バルト三国ではソビエト統治時代を暗黒時代とみなしており、バルト三国を「旧ソ連国家」と表記することは禁止されている(2022年2月にエストニア大使館がテレビ局による「旧ソ連のバルト三国」という表記に抗議している)。また、ソ連に併合される前の独立国家であった時代ののち、ソ連による不法な占拠を受け、ソ連崩壊時に実質的な独立を回復したとみなしているため、バルト三国をソ連の子供とする設定や、ソ連崩壊後に誕生したとする設定は注意が必要。
ラトビア★♠︎
独立記念日11月18日
(画像中央)
【🇱🇻/ラト】
バルト三国を構成する一国。
13世紀のドイツ騎士団の入植やドイツ人商人の増加などでドイツからの影響を色濃く受けた。ポーランドボールでは、ソ連時代の食不足からアイルランド、ベラルーシと並んで「じゃがいもが好きだがなかなか食べられない国」として描かれていることが多い。好きなものはライ麦黒パン、得意なことはホッケー。
リトアニア、エストニアとともにソ連の国旗、国章の鎌と鎚、ナチスの鉤十字を禁止している国でもある(他にソ連の鎌と鎚を禁止している国としては、ポーランド、ウクライナ、ハンガリーが挙げられる)
リトアニア★♠︎
独立記念日2月16日
【🇱🇹/リトヴァ(ポーランド語等)】
バルト三国を構成する一国。歴史的には他のバルトの二国よりポーランドとの付き合いが長く、以前には同君連合をしていたこともある(ポーランド=リトアニア連合)。かつては大国だったが、18世紀以降は分割されて消滅し大部分がロシアの領土になった。
バスケットボールが強い国であるため、よくバスケをしている姿が描かれる。公用語であるリトアニア語は言語的にはラトビア語に近い(エストニア語とは語族が違う)。
バルト三国つながりでエストニアやラトビア、もしくは歴史的に縁が深いポーランド、ドイツ、ロシアなどと一緒に描かれることが多い。
東ヨーロッパ
ロシア♦︎
ロシアの日6月12日
【🇷🇺/露西亜/露/RF】
ロシア帽と、場合によっては白と水色のボーダーシャツを着ているイラストも見かける。世界最大の国土面積を誇ることから大男として扱われることも。何かとぶっきらぼうな態度で人と接する無口な青年として描かれることが多いが、フレンドリーで人情味あふれる一面もある。また、辛抱強くて気が長いという描写もよく見かける。極度の大酒呑みで、ウォッカを片手に酔っ払っていたり泥酔していることが多い。
好きなものは当然のごとくウォッカだが、キャビアやスモークサーモンなどのおつまみ(ザクースカ)やジャムと熱い紅茶なども好む。
気候が厳しい国ではあるが、その寒さを生かしてフランスのナポレオン軍やナチスドイツを打ち払った経験もある。
ロシア帝国を祖父、ソ連を父とする解釈が多いが、すべてを同一人物にする解釈や、ロシアがソ連の親としてソ連を操る解釈なども少なくない。
旧ソ連構成国のベラルーシ、ウクライナ、カザフスタンや、旧東側諸国の一員だった北朝鮮や中国などと一緒に描かれることが多い。
ウクライナ
独立記念日8月24日
【🇺🇦/烏克蘭/烏/ウクライーナ(ウクライナ語)】
ウクライナの伝統的な花冠であるヴィノクを身につけた男性、あるいは女性。独立心が強く、主張のはっきりとした性格。ロシアと言語や文化に類似する点が多いが、同一視されることを好まない。また、ソヴィエト連邦時代の苦い過去(ホロドモールやチェルノブイリ原発事故など)にトラウマを抱えている描写もしばしば見受けられる。
国花のひまわりを手に持ったイラストや、国旗の元となったとされるウクライナの景色(青い空と金色の小麦が広がる草原)に立っているイラストが多い。
父親がソ連の場合はロシアの弟や妹であることがほとんどだが、それ以外ではウクライナ発祥のキエフ大公国がロシアの元になったという意味で、ロシアの兄や姉として描写されることもある。
ウクライナとは別に、ウクライナ蜂起軍(WW2時に独ソ双方に対して戦った武装組織、画像2枚目)と呼ばれる上半分が赤、下半分が黒の国旗が特徴の人物が存在する。また、ウクライナ・コサック(ヘトマン国家)はウクライナのかつての姿、あるいは別人として描かれることもある。
ロシアによるウクライナ侵攻についての描写は人によっては不謹慎・不快と感じることもあるため、細心の注意を要する。
ベラルーシ♦︎
独立記念日7月3日(3月25日や8月25日とする意見もある)
【🇧🇾/ビラルースィ(ベラルーシ語)/白露西亜/辺/白(ベルギーと混同注意)/白露】
東スラブの朗らかな少年または少女。ロシアやウクライナとは東スラブの兄弟として描かれることが多い。また、リトアニア大公国との関係性から、リトアニアやポーランドとセットにされた作品も多く見受けられる。親露的政策を取り続けるルカシェンコ政権の影響からか、ロシアと親しくしていたり一緒に行動していたりする作品が多い。ロシア・ウクライナ間の不和に巻き添え、または板挟みにされている描写も散見される。
白赤白の三色旗はボリシェヴィキに滅ぼされる前の「ベラルーシ人民共和国(独立記念日3月25日)」のものである。現在では国内での使用は禁止されているが、反ルカシェンコ派によって用いられ続けている。白赤白のベラルーシは赤緑のベラルーシと同一人物として描かれることもあれば、別人あるいは別人格として描写することもある。
ポーランド★♠︎
独立記念日11月11日
(画像左)
【🇵🇱/ポルスカ(ポーランド語)/ポーラン(ドイツ語)/波蘭/波】
青年、あるいは少年の姿である事がほとんど。中世のポーランドは大国であり、リトアニアやドイツ騎士団、神聖ローマ帝国と対抗していた。近代以降は他国に幾度にもわたって分割され消滅した経験を持つことから諸外国に振り回されている描写も多いが、何度滅んでも蘇る不屈の精神の持ち主である。画像右はポーランド・リトアニア共和国であり、ポーランドやリトアニアの親、またはかつての姿(もしくはポーランドとリトアニアの二人組)として描かれることが多い(余談だが、ポーランド・リトアニア共和国は初期の頃は二国が対等な立場にあったが、徐々にポーランドが優勢になり、ポーランドがリトアニアを支配する形となった)。
PBの影響で、ラバーカップ(トイレ用の清掃用具)を手にしてる姿はファンアートでもしばしば見られる。また、作品によっては翼が生えていたり、顔の中心に大きな傷跡が残ってる事も。映画が盛ん。熱心なカトリック教徒が多いことや元ローマ法王がポーランド人であることから、バチカンとともに描かれることもある。
V4繋がりでチェコ、スロバキア、ハンガリーとセットで描かれる事が多い。口癖はお決まりの「クルヴァ!」(ポーランド語でFxxkの意)
チェコ★♠︎
独立記念日1月1日(チェコスロバキアが解体した日)
【🇨🇿/チェキア/チェスコ(チェコ語)/ボヘミア(旧名)】
基本的には几帳面で頭がよく、マメな性格。歴史的な工業国であることから、手先が器用だったり理系分野に明るかったりすることも。
中世にはボヘミアとモラヴィアに分かれており、モラヴィアが一時中欧に覇を唱えたが、のちにはボヘミアの方が優位に立ち近隣諸国を支配するようになる。しかし、神聖ローマ帝国やハプスブルク帝国の一員としては、主張の強いハンガリーに後塵を拝することも多かった。
無宗教の国民が多いことから、自身も無宗教であることがしばしば。ビールの消費量が世界トップクラスなため、ビールを飲んでいる描写も多い。
かつてはスロバキアとともにチェコスロバキア(独立記念日10月28日)を構成していたが、東欧革命後平和的に解体した(「ビロード離婚」)。そのためスロバキアとは双子とされることも多い。
共にハプスブルク帝国を構成していたオーストリアやハンガリーなどと一緒に描かれることも多い。
スロバキア★♠︎
独立記念日1月1日(チェコスロバキアが解体した日)
【🇸🇰/斯拉仏克/スロヴェンスコ(スロバキア語)】
チェコよりもおとなしくて控えめ、牧歌的と称されることが多い。謙虚で引っ込み思案であることもしばしば。歌うのが好きという設定も多く見かける。
チェコとは言語(スロバキア語)も似ており兄弟のような関係にある。WW2では一時期はチェコに対する不満から対独協力し独立国の地位を得たが、戦後はまたチェコと一体化した。
チェコスロバキアとして独立する以前はハンガリーの一部であったため、ハンガリーの友人のひとりとされることも多い。
ハンガリー★♠︎
建国記念日8月20日
【🇭🇺/洪牙利/洪/マジャル(ハンガリー語、マジャールは誤表記)】
遊牧民を先祖に持つ、牧畜が盛んな中欧の国。中世はアドリア海からルーマニアまでの領域を支配する大国だったが、後にオーストリア帝国の支配下に入る。歴史的な背景から片目に眼帯、もしくは大きな傷を負っていることもしばしば。
かつては欧州連合への加入を強く望んでいたが、現在はEUから距離を置きたがっている節もある。
赤いパプリカは全国民に愛される安価な香辛料。ビールよりもワインの方が好き。ルービックキューブの発明者がハンガリー人であることから、ルービックキューブを持っていることも。
科学者(コンピューターの大部分を発明したノイマンなど)を多く輩出する国として、自身も理系分野に明るいことが多い。温泉やウォータースポーツが好きという設定もよく見かける。
オーストリアやポーランド、ルーマニアとセットで描かれる事が多い。また、トランシルヴァニア(ルーマニア領)やヴォイヴォディナ(セルビア領)はハンガリーの兄弟として一緒に描かれることもしばしば。
ブルガリア★♠︎
解放記念日3月3日
【🇧🇬/勃牙利/勃】
ヨーグルトとバラで有名な国。働き者で穏やかな性格として描かれることが多い。
隣国ルーマニアとはライバルのような関係。歴史的にロシアとの繋がりが深く、その独立にも影響を与えたためロシアと一緒にいる作品も多い。社会主義時代には「ソヴィエト連邦第16番目の加盟共和国」と称されるほどソ連との縁が深かった(ソヴィエト連邦の一部になることを提案したがソ連側に断られた)。
ルーマニア★♠︎
建国記念日12月1日
【🇷🇴/羅馬尼亜/羅/ロムニア(ルーマニア語)】
「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとなったワラキア公ブラド3世の影響により、吸血鬼であることがほとんど。職業として魔女が存在するため、魔女として描かれることも稀にある。
ラテン系の国であるためか、陽気で開放的、ジョークが好きな明るい性格で描かれることが多い。
冷戦期(社会主義国時代)には、西側とも東側とも交流する独特な外交を行う国として有名だった。しかし、ほぼ無血革命であった東欧革命が起こった際には、唯一市街戦が発生し国家元首(チャウシェスク)夫妻が殺害されたことでも有名である。
モルドバとは兄弟のような関係であり、親密である。近隣国のハンガリーやブルガリア、国内に多くいる民族のロマ(ジプシー)と絡んでいる描写が多い。
モルドバ♦︎
【🇲🇩/摩爾多瓦/摩/モルダビア(旧名)】
独立記念日8月27日
「恋のマイアヒ」で有名な国。
オスマン帝国支配後はロシア帝国、その後はルーマニアに統合された。旧ソ連構成国のひとつだったが、ソ連崩壊後独立。現在では、国内に存在する沿ドニエストルという親ロシアの未承認国家に頭を悩ませる。
好きなものはママリガやプラチンタ。ウォッカよりもワイン派と言われる。
兄弟国のルーマニアとは言葉や国旗も似ているためよく一緒に描かれる。また、「ガガウズ自治区」というトルコ系住民の住む自治区が国内に存在しており、そちらとともに描かれることも多い。
南北アメリカ・カリブ海
アメリカ♠︎
独立記念日7月4日
【🇺🇸/USA/US/亜米利加/米国/米】
常に愛用のサングラスと、NATO(あるいは“Say hey if your gay”)と大きく書かれた黒いシャツを身につけている。アメリカ人特有のハイテンションで高飛車な性格である事が多い。
星条旗の星は多くの場合「50★」と省略される。
かつての姿として13植民地(画像2枚目)があり、こちらは純粋無垢な少年として描かれることが多い。また、ボストン茶会事件の印象からか、茶を持っていたり捨てていたりするイラストが多い。
兄弟にカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、父親にイギリスやイングランドを持つことが多い。イングランドとイギリスを別人とする場合、イングランドをアメリカの父、イギリスを弟や妹とする設定も稀に見かける。また、かつて後に13植民地を構成することになる州を探検もしくは領有していたオランダ、スペイン、フランスなどの国々を親や親戚とすることもある。
カナダ♠︎
建国記念日7月1日
【🇨🇦/加奈陀/加】
赤いチェック柄のシャツに毛皮製の帽子を常に被っている青年。優しく温和で恥ずかしがり屋な性格である事がほとんどだが、一方で斧や棍棒を振り回したりするなど猟奇的な一面を持つ(恐らくアザラシ狩りのこと)。好物はメープルシロップ。アメリカを兄弟に、イギリスまたはフランスを親に持つ。オープンな大麻常用者。
メキシコ
(画像左)
独立記念日9月16日
【🇲🇽/墨西哥/墨/メヒコ(スペイン語)】
国章は難しさゆえに省略され、茶色の丸で描かれることもある。また、国章に描かれた鷲の羽が生えているデザインも多い。
陽気で親切、フレンドリーだが少しいい加減とも称される。テキーラやタコス、ブリートが好物。
独立後すぐにアメリカに国土の半分を持って行かれたことや、現在の移民問題などからアメリカとはやや複雑な関係。
ジャマイカ
独立記念日8月6日
【🇯🇲/ハマイカ(スペイン語)】
カリブ海に浮かぶレゲエの聖地。
怒りっぽいが根に持たないサバサバとした性格で、運動神経がいい。陸上競技やサッカーが強いが、実は国技はクリケットである。
ドラッグの使用が禁止されているにもかかわらず大麻使用が後を絶たないため、ヤク中として描かれることがある。マリファナを片手にハイになっているイラストが非常に多く、オランダのような他の大麻合法国/非犯罪国と一緒に描かれることも多々。
パナマ
独立記念日11月3日
【🇵🇦/巴奈馬】
パナマ運河やパナマ文書で有名な中米の国。パナマ帽を被った小柄な少年、少女であることがほとんど。
運河が国土を二分しているため、身体を分裂させることができる、身体に傷跡がある等の設定が多い。
ブラジル
独立記念日9月7日
【🇧🇷/伯剌西爾/伯国/伯/ブラズィウ(ブラジル・ポルトガル語)】
黒いキャップを被り、黒いTシャツに短パンというスポーティーな格好で描かれることが多い。サッカー大国であるから、サッカーボールを小脇に抱えていることも。
ラテン系の陽気で明るい性格で、スポーツが得意。サッカー以外ではバレーボールや格闘技などをたしなんでいる描写も見かける。
好きなものはカーニバルと甘いコーヒー。
かつてポルトガルの一大植民地だったが、ナポレオン侵攻により避難した王室がそのまま根付き、独立を果たした。独立後のブラジル帝国は今よりも気難しく落ち着いた姿で描かれることが多い。
南米では珍しくポルトガル語を話しているが、旧宗主国のポルトガルよりも話者人口が多いためポルトガル語を「ブラジル語」と称することもある。
ポルトガルを親に持つ設定が多い。アルゼンチンとは積年のライバル。
ペルー
独立記念日7月28日
【🇵🇪/秘露/秘】
(画像左)
マチュピチュで有名な南米の国。国旗の国章はよく省かれ、単なる赤白赤の三色旗として描かれることが多い。
ポンチョを着てアルパカを連れた、典型的な先住民(インディオ)のようなデザインをよく見かける。
性格はフランクで大ざっぱ、はっきりとしたことを好むラテン系と言われる。ゆっくりと丁寧なスペイン語で話す。
インカ帝国の子孫とされることも多い。
チリ
独立記念日9月18日
【🇨🇱/チーレ(スペイン語)/智利】
国土が南北に長いことからPBではヘビのように細長く描写されることがあったが、CHではトカゲやヘビのような尾が生えていることが多い。
基本的には温厚で真面目。近隣国に比べて地味だが争いを好まない平和主義者とも言われる。
元から細長い国土だったが、硝石戦争(太平洋戦争とも言う)でボリビアから海岸線を得たことでさらに長さに拍車がかかった。また、この戦争によって内陸国になったボリビアが「海を返せ」と主張しているイラストもよく見かける。
アルゼンチン
独立記念日7月9日
【🇦🇷/亜爾然丁/亜/リオ・デ・ラ・プラタ連合州(旧名)/アルヘンティーナ(スペイン語)】
南米のカトリック大国。
プライドが高く、近隣国から「高慢で気取っている」と評されることも。自身を南米ではなくヨーロッパに位置付けていた期間が長かったが、最近は南米諸国と協力することも増えてきている。
かつては先進国だったが、度重なるデフォルトなどで近年は経済的に苦しんでいるという一面もある。
ブラジルやウルグアイ、パラグアイなどとの絡みが多い。また、南極大陸の一部を自国領だとしているが、他国には相手にされていない。イギリスとはフォークランド諸島(スペイン語ではマルビナス諸島)を巡って対立した仲。
東・中央アジア
日本
建国記念日2月11日
【🇯🇵/日本(にほん・にっぽん)/日/日出処/やまと(旧名)】
アニメと漫画のおかげでネットミームに恵まれた国。よく猫耳が生えている(狐耳の場合もある)。
あまりにネタが多彩すぎて人格が安定しない。ゆえに多重人格や複数人で描写されることもしばしば。
セーラー服に身を包み猫耳を生やした(あるいは付けた)萌え系で文化面を表した「猫耳日本」(「にゃぽん」や「にゃっぽん」といった呼称も見かける)、礼儀正しくシャイで鬱屈した経済面や国民性を表した「社畜日本」という解釈が比較的多い。
自殺率の高さゆえか、精神を病んでいるという裏設定も多く見かける。和の心を大切にし、おもてなしを心がけている。
後述の大日本帝国とは、親子であったり兄弟姉妹であったり同一人物であったりと、ファンの解釈も様々。
PB同様やおいやHENTAIは洋の東西を問わずジョークの的である。
韓国
光復節8月15日/開天節10月3日
【🇰🇷/大韓民国/韓/コリア/South Korea(略してSK、えすけー)】
画像のように太極旗の卦(黒い線)を国旗から浮かせて描くこともある。より人間的なデザインの場合は、上二つの卦をヘアピン、下二つの卦をピアスとして描くことも多い(余談だが、かつての姿または祖先である李氏朝鮮は、旗の周りに縁どりがついているためか、顔の周りに黒いギザギザを浮かせているデザインをよく見かける)。
K-POPや韓流といった文化の影響から今時の流行を好む現代的な若者。また韓国が世界有数のプロゲーマー国家でもあるため、本人もゲーマーであることが多い。上下関係には厳しく目上の人にはしっかり敬語を使うなど、人によって設定はまばらである。お肌のケアを忘れない、写真を撮る時も映えを意識する等の美容大国ならではの設定も見られる。韓国料理は辛味が多いことから辛いもの好きである一面も見受けられる。
死者が出るほどのデモ・革命が多数起こっており、現在の体制やポップカルチャーはそれら運動があってこ成り立っている。朴正煕政権の頃は開発独裁が行われており、高度な経済成長を遂げた反面で北側工作員疑惑がかかれば即処刑、という政策をとるなどしていた。またこの国では"前大統領と真逆の政策を採用する"という風習がある。
大韓帝国を父に、北朝鮮を兄弟に持っており仲は良くないようだが、たまに物資支援等を持ちかけたりしている様子。1980年代には平和的統一の運動が高まったが、金日成の死により実現はできなかった。南北合同チームとして大会に出場している場合があり、代表例として1991年の世界卓球選手権、2018年の平昌冬季オリンピックなどが挙げられる。金大中・盧武鉉政権下ではアメリカからの圧力がある中、緩和政策である太陽政策が執られていた。しかし近年の世論では統一を望まない意見が多くなりつつある。
また、アメリカを義父としている場合もある。日本との関係は微妙だが、文化面での交流は深い。
北朝鮮
共和国創建記念日9月9日
【🇰🇵/朝鮮民主主義人民共和国/北/朝鮮/North Korea(略してNK、えぬけー)/DPRK(英語の略称)/ベストコリア】
軍服か人民服(と言っても独自のアレンジがなされている)を着ている事が多い。やたらと核兵器が好き。ファンの間では「えぬけー(NK)」という愛称で呼ばれる事も。短気で閉鎖的な性格で、ここ最近のミサイル発射数が多いことからよく核で脅している描写が多い。プロパガンダ楽曲からも読み取れる通り手が先にでがちなこともある。医療面や食料面などで他国に依存している。主体思想や全体主義から国家が成り立っている、いわゆる社会主義国。またこの国の行う先軍政治はもとは国を守るものであったが、代償として指導者の指示前にミサイルを発射する事態が発生している。彼自身「北朝鮮」と呼ばれることを嫌っており「共和国」呼びを推奨している。
韓国とは双子の兄弟であり仲は良くないが、度々行われる韓国側からの支援だったり国内でひっそりと韓流が流行っていたりと交流はある。また韓国とは微妙に言語が異なる(例えるなら文語と口語)。
現最高指導者の伝説話があることや迷信行為罪が施行されるほど占いが流行っていることから、そういうものを信じていることもある。
過去に初代国家主席が某ヨシフおじさんをビッグ・ブラザーと言い慕っていたことから、ソ連を兄や義父としている場合もある。しかし彼自身、トップへ登り詰めるために国内のソ連派すらも粛清している為関係は微妙であり、韓ソ共同声明が結ばれた際は猛反発していた。また最近の会談での態度等からロシアを異常に慕っているものの、彼からは冷たくあしらわれている例もある。アメリカの事を帝国主義と罵り、米帝と呼称していることがある。中華製スマホの規制、親中派の粛清など中国に対しては内心反発している例も見かける。しかし中国の支援なしでは生きていけないので、利害の一致から嫌々ながらも支援を受けている。
中国
国慶節10月1日
【🇨🇳/中華人民共和国/中華/中共/CCP(中国共産党の略称だが、CCP=中国とする解釈も多いため)】
黒を基調としたビジネススーツに防塵マスク、もしくはチャイナ服を身に着けた男性であるとが多いが、チャイナ服は漢民族の民族衣装ではない。一介の党(中国共産党)だった少年時代に人民服を着ていた事もあった。
日本の創作キャラクターでしばしば見かける中国人キャラクターのように語尾に「アル」をつけて喋ることが多いが、これはかつての外国人が話した簡易的な日本語、もしくは日本語と中国語のクレオール言語(協和語)が元になっているとされるため、標準中国語とは違うことに注意されたい。
辛亥革命が起きても変わらない世の中を刷新しようとする新文化運動の中で様々な思想が紹介されたが、その中でも社会主義に影響を受けたグループがソ連の援助で中国共産党を設立した。「連ソ・容共・扶助工農」を打ち出して共産党・ソ連との提携を行った中国国民党(元・中華革命党)とともに第一次国共合作を行ったが、国民党の蒋介石が上海クーデターを起こし共産党を弾圧したため、この協力関係は崩れた(国共分裂)。その後共産党はコミンテルン(ソ連)の指導を受け、各地で武装蜂起を繰り返したが失敗に終わった。そこで毛沢東が農村を根拠地とし、軍隊を強化、そしてついには瑞金を首都とする中華ソヴィエト共和国臨時政府を建てた。
満州事変などで日本の侵略が進むにつれ反日運動の勢いが高まり、コミンテルンの指導を受け共産党は八・一宣言を出し抗日民族統一戦線の結成を国民党に呼びかけた。しかし国民党の蒋介石は共産党の討伐を優先したため、国民党の張学良が蒋介石を監禁し、内戦停止と一致抗日を求めた(西安事件)。これにより日中戦争開始後、第二次国共合作が行われるようになった。
しかし日中戦争後には再び国民党と共産党に分かれ国共内戦が勃発した。共産党はこれに勝利し、1949年に中華人民共和国を成立させる。初期は今まで通りソ連を見習った政策を行っていたが、ソ連の平和共存政策に失望し、ソ連と対立するようになった。大躍進運動で多くの餓死者を出し、文化大革命では国内全土が混乱状態に陥ったが、「四つの近代化」を進めるなどして、現代では世界有数の経済大国へと成長した。
以上の経緯から、かつて老師に対して深い敬意を抱いていたが、1960年代を境に決別したと解釈されることが多い。とはいえ様々な因果関係が絡み、最終的に現在のロシアとは親しい間柄に落ち着いてる。
敵対する勢力に対しては高飛車な態度で挑み、また北朝鮮に対しても手名付けている(つもり)だが最近はどちらかといえば振り回されている。
中国のSNSでは国旗の表現が規制されているため、一部層が描く中国は五つ星の部分が「伍星」「伍★」となっている場合が多い。
簡体字を使って中国語を表記しているが、香港やマカオ、台湾は繁体字を使用している。
マカオ
特別行政区成立記念日12月20日
【🇲🇴/澳門】
中国の特別行政区。
旧ポルトガル領であり、1999年に中国へ返還された。
「東洋のラスベガス」と呼ばれるほどカジノ産業が盛んなため、ディーラーのような格好をしていることもしばしば。また、世界的に著名な自転車レースが開催されることからか、自転車に乗っていることもある。
香港
特別行政区成立記念日7月1日
【🇭🇰/ホンコン/シアンカン(中国語)/港】
中国の特別行政区。
旧イギリス領であり1997年に中国へ返還された。
世界有数の金融都市であることから、裕福であるという設定が多い。また、歴史的に西洋文化の影響が強いためか、イギリスのようにシルクハットを被りモノクルをつけていることもある。
台湾
和平紀念日2月28日
【🇹🇼(中華民国を表すのに使われることも多いため注意)/中華民国(下記の通り事情が複雑なため使用の際には注意が必要)/台灣(一般的に使われる繁体字表記)/フォルモサ(島の別称)】
タピオカミルクティーをこよなく愛する、気怠けな表情をした少年。東アジアの一島国だが、世界の多くの国から承認されていないため一般的には「地域」として扱われる(中華人民共和国の一部として扱う考え方もある)
経済的、政治的そして文化的に交流の多い日本やアメリカ、あるいは パラオ、パラグアイ、スワジランドなどの台湾を国家承認している国たちとセットで描かれることも。
本来、島にはマレーポリネシア系の先住民族(台湾では「原住民」という)が住んでいたが、17世紀にやってきたオランダ東インド会社に一時支配される。それを鄭成功が追い出し、台湾を拠点として、同時期に中国支配を固めた清に対抗して明の復興を唱えた。だがしかし、反清運動を鎮圧しようと画策する清によって制圧され、占領されることになる。この時、清は台湾の統治に消極的で、台湾全土には清朝の支配が及んでいなかったとされるが、中華民国も中華人民共和国もこの時期の台湾は清の支配下にあったと主張している。その後日清戦争に清が敗北したため、下関条約で台湾は日本に譲りわたされた。太平洋戦争での日本の降伏後は中華民国政府が台湾を支配下においたが、その際恐怖政治を行い多くの人々を処刑した。その後民主化が行われ、現在に至る。
台湾は島の名前、中華民国 (ROC)は現在台湾を統治する政府の名前である。
台湾人の中には、土着の台湾人(本省人)を国共内戦により大陸から逃げてきた本土の中国人(外省人)が支配したと捉えている者もおり、「台湾の正式名称は中華民国」と形容するのは避けた方がいい。
それに伴って、現在「台湾」国旗とされている青天白日旗は中華民国のものであり、真の台湾の旗ではないという意見もある。そのため、中華民国に関係なく台湾そのものを表す際に他の旗を使うファンも少なくない。
国内政治では主に泛緑連盟(イメージカラーは緑)、泛藍連盟(イメージカラーは青)の2つの政治派閥が争っているため、台湾自身も緑と青のオッドアイで描かれることもしばしば。
上記の理由から「台湾(中華民国)は正式な国家でないためCHに含めるべきではない」とする意見も存在するが、CHには国だけでなく地域や組織の擬人化も含まれることが一般的である。しかし国を扱うコンテンツである以上、その定義は各人の政治的立場によって様々であることを理解したい。
また、中国と台湾、中華民国の関係には時事問題的な要素が多いため、扱う際には細心の注意を要する。
モンゴル
独立記念日11月26日
【🇲🇳/蒙古(蔑称と捉えられることもあるので注意)/蒙/モンゴリア(英語)】
東アジア(文化的に分類すれば中央アジア)の国家。遊牧民のイメージが強いが、実はモンゴル国内の遊牧民は人口の12%程度しかいない。民族衣装のデールとともに描かれることが多い。感情をあまり表に出さず、負けず嫌いで(遊牧民気質故か)マイペースでおおらかな性格ではあるが、温厚で熱い情熱を持っている。
1924-1992年までソビエト連邦の影響で社会主義体制を取っていたが、ソビエト連邦崩壊を受けて社会主義を捨て、現在のモンゴル国となった。日本、韓国、ドイツ、スイスと言った国が資本主義体制移行後のモンゴルを資金援助で支援している。
同じ遊牧文化を持つカザフスタンや、モンゴルを挟む形で位置するロシアや中国とよく一緒に描かれる。しかし、中国とは経済面で親密な関係だが、これまでの歴史から大半のモンゴル人は中国をよく思っていない。一方ロシアとは比較的いい関係にある。
モンゴル国内で用いられているモンゴル語にキリル文字が使われているが、それは方言などではなく、もとからあったモンゴル語に社会主義時代に無理やりキリル文字を当てはめただけである。
トルコとは古来からの関係がとても深い。またチベットなどと一緒に描かれることもある(モンゴルで主に信仰されているチベット仏教の影響)
カザフスタン♦︎
独立記念日12月16日
【🇰🇿/カザフ/カザフエリ(新国名候補だったが、変更はされなかった)】
温和でもてなし好きな性格の青年。背中もしくは後頭部から黄金の翼が生えていたり、PBの影響で輪郭が長方形になっていることが多い。民族的にはキルギスやウズベキスタン内のカラカルパクスタンなどを兄弟とすることが多い。
ウズベク人から分化したカザフ人の国、カザフ・ハン国が過去の姿。ロシアと清という強国の間で上手く立ち回ろうとしたが、最終的にはロシアに併合される。現在では全方位外交を行うバランサーで、ロシアともCIS諸国の中で最も関係がいいと言われるほど友好的な関係を築いている。
一応ムスリムだが、あまり戒律には厳しくなく酒を飲むこともしばしば。
ウズベキスタン♦︎
独立記念日9月1日
【🇺🇿/ウズベク】
国内にイスラム教徒が多いため、ムスリムの格好をしていることもある。カザフスタンよりイスラームの戒律に厳しい国。
好きな物はプロフや緑茶。特技はクラッシュ。
民族系統は違うが、かつてこの地で大帝国を築いたティムールを尊敬している。近世以降はコーカンド・ハン国、ブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国というウズベク三ハン国と呼ばれる国家が並立していたが、最終的にロシアに併合されることとなった。
中央アジアをイスラーム的な面から統一していくリーダーになりたいと考えているが、考え方の違いなどでカザフスタンとは対立している。
国内にカラカルパクスタンというカザフ系の国が存在する。その気になればいつでも独立できるが、現状そのつもりはないらしい。
関係の深いCIS構成国や、隣国タジキスタン、アフガニスタン、国内の共和国・カラカルパクスタンと一緒にいることが多い。
キルギス♦︎
(画像左)
独立記念日8月31日
【🇰🇬/キルギスタン(かつての国名、現在でも別名として認められている)/クルグズ】
明るく優しいがイライラしやすい。他の中央アジア諸国より民主主義的と評されることも多い。
背中や後頭部からカザフスタンのような翼が生えていることが稀にある。
クミスとべシバルマックが好物。趣味はジャルー、牛の放牧、畑仕事、山登り。
兄弟にカザフスタンやカラカルパクスタンなどがおり、日本とは祖先が同じという伝説がある。ウズベキスタン、タジキスタンとは仲が悪い。ソ連構成国全体に対して言えるが、ソ連が継親として描かれる場合もある。
東南アジア
インドネシア♡
独立記念日8月17日
【🇮🇩/印度尼西亜/尼/印尼/インドン(Indon)/インドゥー(Indo)/ネシア/RI】
ペチを身につけた男性。世界最大のムスリム大国であるが他にも様々な宗教が混在していて、「多様性の中の統一」を国是として掲げている。オランダ統治、WW2期の日本統治を経て独立した。マジャパヒト王国を親とする設定も稀に見かける。
陽気で快活、あまり規則に縛られない自由人のように描かれることもしばしば。また、なんとかなるさ!といった意味を持つ「tidak apa apa」という言葉があるように、楽天的で物事をそれほど深く捉えないというステレオタイプもある。wkwk(日本のwwwに該当する)と笑う癖がある。
背中に生えている金色の羽は国章に描かれているガルーダという神鳥由来。また、猫好きが多いということから猫耳が生えている場合もある。
インスタントラーメン消費量が世界2位であることから、有名なインスタントラーメン「インドミー」が好物であることも。
フィリピン、マレーシアとともに「Maphilindo」としてセットで描かれることが多い。ASEANの盟主のうちの一人として、ASEAN諸国と一緒にいることが多い。
PKI(インドネシア共産党)を兄弟に持つ設定も稀に見かけるが、現在インドネシア政府はPKIを非合法化していることからある時点(9月30日事件)で決別したと描かれることも。
独立戦争時に竹槍を手にして戦ったことから、竹槍を手に持ったイラストも多い。
フィリピン♡
独立記念日6月12日
【🇵🇭/比律賓/比/カタガルガン(国名変更案)/マハルリカ(国名変更案)】
こがね色のオッドアイが特徴的な男性、あるいは女性。
国花のジャスミン(サンパギータ)を頭につけていたり、スカーフを首に巻いていたりすることが多い。
フレンドリーだが気まぐれで、熱しやすく冷めやすい明るい性格。大胆で快活な自信家だが、一方で過去の植民地支配や戦後のマルコス政権に対するトラウマを抱えていると描写されることも。
スペインやアメリカの養子として扱われることも多い。その影響で現在でもシエスタをしている。また、気候的に野菜が育ちにくいため野菜をあまり食べない。
戒厳令下では国旗が上下反対になっているが(画像二枚目)、これは戦時に勇気や愛国心を表す赤を強調する為である。
マレーシア♡
独立記念日9月16日
【🇲🇾/馬来西亜/馬】
かつてはマラヤ連邦と名乗っていた。
東南アジアの国で、国教がイスラム教に定められてる。しかし、中東に比べ規則が緩いことや国民性からのんびりとした明るい性格で描かれることが多い。温和で友好的な性格であることも。インドネシアとはよく競い合う仲。
MILOの消費量が世界一であり、よくMILO(マレーシアでは「マイロ」と呼ぶ)と一緒に描かれている。東南アジア屈指の甘党。
国旗にある月と星が浮いてるように描かれることもしばしば。
WW2中に抗日ゲリラ活動をしていたMPAJA(マラヤ人民抗日軍)を兄に持つ設定も稀に見かける。
シンガポール♡
独立記念日8月9日
【🇸🇬/新嘉坡/星/スィンガプラ(マレー語)】
眼鏡とスーツを着けた東南アジアの優等生。世界のハブ空港。
ガムの持ち込み禁止、ゴミのポイ捨て禁止など規則にとても厳しく、規則を違反した者には罰金を要求することで有名。従わない者にはむち打ちを行うこともある。その厳しさから日本では「明るい北朝鮮」と呼ばれることもしばしば。
元はマレーシアと同じ国だったが、独立する気がないにもかかわらずマレーシアに追放され涙を流しながら独立演説を行った。独立後は都市国家であることを生かした独自の路線で急速な経済成長を遂げ、今では世界屈指の一人当たりGDPを誇る。なおマレーシアには水や食料の輸入を頼っているため、いまだに切っても切れない関係である。
シングリッシュというシンガポール独特の英語の訛りが存在するが、本人はそれを気にしているらしい。
シンガポール原産の猫シンガプーラやマーライオンなどとともに描かれることが多い。
都市国家であるため、低身長で描かれることもしばしば。また、国土が三角形に見えることから頭が三角に描かれることもある(PB由来)。
東ティモール
独立記念日5月20日
(画像二段目中央)
【🇹🇱】
ポルトガルの植民地支配、インドネシアの併合を得て2002年に独立した。21世紀最初の独立国。その為子供として描かれることもある。
植民地時代に入ってきたコーヒーのプランテーションを中心とした農業が盛ん。
2022年11月にASEANへの加盟を果たした。
ベトナム♡
国慶節9月2日
【🇻🇳/越南/越/ヴィエットナム】
ノンラーが特徴の青年。私服はパーカーにジーンズといったカジュアルな装いをする事もある。女性の場合は民族衣装のアオザイを着ていることが多い。基本的には几帳面で真面目、礼儀正しくおとなしい。ベトコンのイメージからかくれんぼが得意として描かれることもある。実は無宗教の人が多い。
好物はフォーや生春巻きなど。コーヒー豆の生産量ランキング世界2位であり、本人もコーヒーをよく飲んでいる。
ラオスとは兄弟のような関係。中国の影響を多く受けた面もあるが、領土問題を抱えるなど険悪な仲。ソ連そしてロシアとは比較的良好な関係として描かれることが多い。
カンボジア♡
独立記念日11月9日
【🇰🇭/柬埔寨/カンプチア/クメール】
(画像左)
世界遺産のアンコールワットで有名な国。
基本的にはのんびりとした性格。昔はマリファナを吸っていたが、最近タバコに切り替えた。
ポル・ポト率いるクメール・ルージュ政権時代はトラウマで、今でもその後遺症に苦しんでいるとされることも少なくない。
フランスの養子とされることが多い。隣国ベトナムとは敵対することも多く、複雑な関係。
タイ♡
チャクリー王朝の記念日4月6日
【🇹🇭/タイランド/泰/サヤーム(タイ語の旧名)/微笑みの国】
いつも笑顔で、何事も断れない性格として描かれる。口癖は「マイペンライ(問題ない)」
飲み物を飲むときにストローを使うことが多く、ペットボトルやビールにまでもさす。トムヤムクンなど辛い料理が好き。
LGBTの先進国であり、ニューハーフが多いことから、本人もニューハーフ(カトゥーイ)であったりする。また、性別が18種類存在する。
あの正式名称が長い首都で有名である。
南アジア
インド
独立記念日8月15日(パキスタンと分離独立)、イギリスから独立
【🇮🇳/印度/印/バーラト(ヒンドゥー語)/インディア(英語)】
(画像上部左)
カレーを愛する人口約14億人の大国予備軍。インドゾウ、インドクジャク、ベンガルトラといった国の象徴たちと一緒に描かれることも。
ターバンを巻いて描かれることが多いが、ターバンはシク教徒特有の服装である。(シク教徒は全人口の2%に満たない)
人口の8割を占めるヒンドゥー教徒は食事制限が厳しく、牛肉と豚肉を食べない。
隣国パキスタンとはカシミール問題といった領土問題を抱えており、ライバルまたは明確な敵として描かれることが多い。
性格のステレオタイプとしては、陽気でよく口が回り、時間にルーズである。
なお、インドの中に一部だけポルトガル領だった州がある(ゴア州)。キリスト教徒が多く、お酒や食肉を楽しめる。
パキスタン
【🇵🇰/巴基斯坦/巴(パ)】
実は人口が世界で5番目に多いイスラム教国家。
服装はゆったりとした長袖・長ズボン(サルワール・カミーズ)であることが多い。
アルコールがハラム(禁忌)とされているイスラム教の国家ではあるが、名門ビールの生産工場があり、わずかな非ムスリム人口のために酒造を禁止していない。
隣国インドとはカシミール問題といった領土問題を抱えており、ライバルまたは明確な敵として描かれることが多い。
モルディブ
独立記念日7月26日
【🇲🇻/Raajje(ディベヒ語)】
インドとよく一緒にいる。黄緑のノースリーブ服を着た少年または少女。
地球温暖化によって海面下に沈む危機に瀕している。
英語名の「Maldives」は、モルディブの珊瑚礁の島々の浮かぶ様子を花輪に例えたものと言われており、モルディブ自身も花輪をつけていることがある。
オセアニア
オーストラリア
オーストラリアの日1月26日
【🇦🇺/豪州/豪/濠太剌利/オージー(オーストラリアの、を表す口語所有格、まれに渾名として用いられる)】
イギリスの息子、ニュージーランドの兄弟姉妹として描かれることが多い。オージーと呼ばれることも。
探検家の格好で肩にコアラを乗せや腕にヘビを巻きつけるような自然児として描かれることが多い。よくバーベキューをしている。
ニュージーランド
ワイタンギデー2月6日
【🇳🇿/NZ/新西蘭/西/乳国/アオテアロア(マオリ語)/キウイ(ニュージーランド人を指す英語の口語表現)】
イギリスの息子、オーストラリアの兄弟姉妹として描かれることが多い。羊が好き。
ニュージーランド関連のものを指すとき「キウイ」の愛称がよく使われるほどキウイと関連が深い。
パラオ
建国記念日10月1日
【🇵🇼/ベラウ(パラオ語)/帛琉/帛】
国土面積が小さく独立年が比較的近年であることから、小柄もしくは少年少女の姿で描写されることが多い。性格は明るく純粋なことがほとんど。
スペイン、ドイツ、日本、アメリカに統治されていた過去があり、パラオ語の単語の多くがこれらの国の言語から輸入されている。かつて大日本帝国の統治下にあった時に日本語から輸入されたパラオ語には、「Basio(場所)」「Dengkibasira(電気柱=電信柱)」といった名詞から、「Chazi Daiziob(味大丈夫=おいしい)」「Sapporo Ichibang(サッポロ一番=インスタントラーメン)」といった現代日本人からすると新鮮なものまでが存在する。
パラオ国旗は日本国旗に影響を受けたとする説は、肯定・否定意見ともにあり真偽が確定していないため注意が必要。
マーシャル諸島
(画像上段中央)
憲法記念日5月1日
【🇲🇭/マーシャル】
太平洋上にある小さな島国。小柄な少女。サッカーが好き。日本語に影響を受けた言葉(エンマン「円満」=「良い事」等)が存在しおり、パラオと似たもの同士で仲良くしている描写も見かける。
ナウル
独立記念日1月31日
【🇳🇷】
太平洋に浮かぶ小さな島国。日本ではナウル政府観光局のツイッターアカウントがバズっていることから、生粋のツイッタラーとする描写も稀に見かける。
元は漁業やココヤシの栽培等で生計を営んでいたが、リン鉱石の発見により生活が激変。採掘により豊かな生活を送ったが、リン鉱石が枯渇して以降は経済が衰退。一時は経済破綻までしたが、最近は改善されてきている。
南極大陸
南極
【🇦🇶/Antarctica(アンターティカ)】
南極大陸の擬人化。もこもことした暖かい上着を着ていることが多い。南極には定住する民族がいないことから、いかなる言語も喋らずに絵文字でセリフを表記されることも(例:「🐧❤️(ペンギンが好きの意)」)。
政府や国民が存在しないため明確なステレオタイプは存在しないが、長い間外界から隔絶されてきたため、大人しくて自然を愛する純粋な人物とされることが多い。
地球温暖化により氷が溶けていることから、本人の身体も溶けている表現をよく見かける。ペンギン等の南極に生息する生物とともに描かれることが多い。
多くの国が南極の利権を主張し南極を自国の領土だと主張したため、諸外国から狙われている描写も稀に見かける。
同じく温暖化の危機に瀕する国々とともに描かれることが多く、中でもグリーンランドとの絡みはよく見かける。
亡国(ヨーロッパ)
これらの国々は「旧国」と呼ばれることも多いが、それについてはコチラの「旧国について」の欄を要参照
ドイツ
神聖ローマ帝国
【Holy Roman empire/HRE/神聖ローマ】
「神聖でもローマでも帝国でもない」と揶揄されるほど非国家的な国家。初期は統一国家だったが、徐々に国家的な機能を失い名目的な存在と化した。
黒い鷲の羽が生えた異形めいた大男、もしくは国家としての力がない非力な子供など描かれ方は多種多様だが、通常のCHとは一味違った描かれ方をすることが多い(ファンによっては、そもそもCHとして存在しない場合もある)。
1648年のウェストファリア条約で死亡宣告がなされた後も1806年にナポレオンに解体するまで生きながらえたため、この時期の神聖ローマを死にかけの老人などとする解釈もある。
神聖ローマの元となった憧れの存在であるローマ帝国や、長らく皇帝位についたハプスブルク家(の統治下のオーストリアやスペイン)などと共に描かれることが多い。
ドイツの遠い先祖とされることもある。
プロイセン
【普/プロシア(英語)】
ドイツ帝国以前のドイツ…というが当時は「ドイツ」という名の国は存在せず、プロイセン自体は現在のドイツ地域(しかも北東の端っこ)に存在した数ある領邦国家の内の一つに過ぎなかった(後にプロイセンが主導となって1871年にドイツ統一を果たし、ここに初めて「ドイツ」という国家が出現した)。
異教徒に手を焼いたポーランドによりプロイセンの地に呼び寄せられてやってきたドイツ騎士団がこの地を「ドイツ騎士団領」としたため、ドイツ騎士団をプロイセンのかつての姿、もしくはプロイセンの元へやってきた新たな支配者とすることもある。熱心なカトリックであり近隣民族のキリスト教化に努めたが、宗教改革でルター派になった。
かつてはポーランドに従属していたが、ブランデンブルク選帝侯国と同君連合を行うなどして徐々に成長し、啓蒙専制君主フリードリヒ二世の時代にはヨーロッパの中でも大国となった。そして19世紀後半、ビスマルク主導下でドイツ統一を果たす。
ドイツ帝国と同じく軍服とピッケルハウベを身に着けていることが多く、また右目に黒鷲の眼帯をしていることも多い。背中に黒い翼が生えているデザインも多く見られる。
ドイツの曾祖父として登場することも。また、15世紀のポーランド、18世紀のオーストリア、19世紀のフランス、オーストリアと言ったライバル国家とともに描かれることも多い。
ドイツ帝国
【独帝/G.E.(German empireの略)】
1871年〜第一次世界大戦期まで存在した国家。神聖ローマ帝国(「第一帝国」)に続く「第二帝国」と呼ばれることもある。正式な国名は、ドイツ帝国からナチスドイツまで常に「Deutsches Reich(ドイツ国)」である。ライヒタングルと同じ国旗だが原則別のキャラクターとして扱われる。ピッケルハウベを被っていることが多い。
ドイツの祖父として登場することもある。
ワイマール共和国
【ワイマール/ヴァイマル】
戦間期のドイツ。ワイマール(ヴァイマル)共和国という呼び方はあくまで通称である(憲法制定国民議会の開催地ヴァイマルにちなむ)。
中折れハットを被った幸薄そうな青年。国政の不安定さからか体が弱い設定であることが多い。連合国の面子(特にフランス)やポーランドと仲が悪く、逆にソ連、オーストリア、中国等と仲がいい。ハイパーインフレのイメージが強く、大量の札束と一緒に描かれることもしばしば。
最終的にはナチスに殺されたり、乗っ取られたりするという設定が多い。
ナチスドイツ
【卐(ハーケンクロイツ)/ナチス(一部SNSではBAN対象となりうる単語であり注意が必要)/ナチ/第三帝国/T.R.(Third Reichの略)/N@z!s(英語でのナチスの伏せ字表記)】
1933年から1945年までのドイツ。ナチス関連の表現が規制されている場合はハーケンクロイツの部分は×印か他の記号に置き換わっている。親衛隊風の制服を着ていることが多いが、描き手によって大幅にアレンジが加わっていることもある。
ホロコーストや多くの侵略戦争から、国や民族を次々と迫害し、虐殺するというCHの中でも屈指の凶悪な人物として描かれることが多い。紳士的に振る舞う一方で非常に残忍で狡猾な性格とであることがほとんど。
WW2を取り扱った作品では最後は大抵ソ連に追い詰められてトドメを刺されるか、あるいは拳銃で自らの頭を撃ち抜き自殺する(自殺についてはヒトラーの自殺が元となっているとされる)。
ハーケンクロイツやナチスドイツの表現自体を忌避するファンもいるため、描写・投稿には注意が必要。
ドイツ民主共和国
1949年から1990年まで存在した国家。戦後連合国に分割統治されたドイツの片割れであり、社会主義政策をとるソ連の衛星国でもあった。そのため、兄弟を西ドイツ、養父をソ連とする設定もよく見かける。
秘密警察シュタージの存在や、スポーツ選手へのドーピング投与などに基づいてか、内面に闇を抱えているとする描写も少なくない。また、有名な国産車トラバントに乗っている描写も稀に見かける。
一時は「東側諸国の優等生」と評されるほど工業が発展し経済的にも豊かだったが、後期には借金に借金を重ねるなど苦境に苦しんだ。西ドイツに対抗心を燃やしていたが、最終的には西ドイツからの支援でやりくりをするなど豊かな西ドイツ経済に依存してもいた。ベルリンの壁崩壊後には西ドイツに吸収され国としての幕を閉じる。そのためか、崩壊したベルリンの壁の前で西ドイツと抱き合っているイラストをよく見かける。
ライヒタングル
(画像左)
【ライヒ】
ドイツ第四帝国を称するPB由来の架空国家。ほとんどの場合はPB同様顔が長方形かつ、小さくて丸い白目(アンシュルス・アイ)で描かれ、口は描写されない。現ドイツが怒った姿、またはオーストリアを併合(アンシュルス)した姿として描かれることも多い。PB同様、オムスクバード(画像右、クロコダイルという危険な薬物を勧めてくるロシアのオムスク州を擬人化したキャラクター)やロアノーク植民地(イングランドの植民地だったが入植者が集団失踪したため、顔の右上部が欠けた目の虚ろなキャラクターとして描写される)と仲がいいという設定であることが多い。
余談だが、「第四帝国」という呼称はドイツの影響力が色濃いEU圏に対する風刺として使われることもあるため、EUを「第四帝国」と称することもある。
ロシア
ロシア帝国
【露帝/R.E.(Russian empireの略)/帝政ロシア】
1721年から1917年まで存在した国(ロシア・ツァーリ国時代も含め1547年からとする場合も多い)。国旗は黒・黄・白の配色で描写されることが多いが、現在のロシアと同じ配色の旗に鷲の紋章をアイパッチにしていることもある(時代によって違うため要確認)。
ロシアの祖父でソ連の父であるという設定も多いが、同一人物とする設定も少なくない。また、モスクワ大公国をロシア帝国の原型とし、モスクワ大公国がロシアの周辺公国を吸収しロシア帝国になったとされる場合が多い。
モンゴル帝国にキエフ公国が滅ぼされたのち、モンゴル系国家・キプチャク=ハン国の支配(タタールのくびき)を受けていたが、その中でもモスクワ大公国とトヴェリ公国が力をつけた。モスクワはビザンツ帝国から「双頭の鷲」の国章を受け継ぎ、「第三のローマ」としてその後継国家となるなど権威を高める。その後モスクワはトヴェリとの覇権争いに勝ち、さらにタタールのくびきを脱してロシアの統一をほぼ達成する。のちに始まったロマノフ朝下で西欧化を推進するなどして大国化する。
ロシア革命(二月革命)によって崩壊し、ロマノフ朝皇帝ニコライ2世一家が処刑され再建の道が絶たれたことから、ボリシェビキに殺されたとする描写もよく見かける。
余談だが、旧クック諸島の環礁には「ロシア帝国」(現名称は「ロマノフ帝国」)と名乗るミクロネーションが存在しており、ロシア帝国の後継者を主張しているがこれを承認する国連加盟国はいない。
ソビエト社会主義共和国連邦
【☭/ソヴィエト/USSR/ソ連】
第一次世界大戦末期から1991年12月26日に崩壊するまで存在した、世界最大の面積を所持していた国家(正式成立は1917年ではなく1922年)。レーニン率いるボリシェビキが二月革命で成立した臨時政府を倒した(十月革命)ことで成立した。ソヴィエトとは「評議会」の意味であり、社会主義共和国連邦成立前は、臨時政府と対立していた。ソヴィエト内ではボリシェビキ、メンシェビキ、社会革命党(エスエル)がいたが、最終的にはボリシェビキに追放された。
国土面積の大きさからか大男として描かれることが多い。右目には鎌と鎚が描かれた黒いアイパッチや布を着けている事もある。
某ヨシフおじさんのせいで暴力的で苛烈な印象を持たれがちだが、冷戦末期の状況から悲劇的な人物としても描写される。またスターリン体制や冷戦期は密告社会であったことから、短気な人物として描かれることもある。
ロシア(とその兄弟)の親として登場することもある。稀だが、中国や北朝鮮など思想の赤い国々の義父か兄として描かれる例も見かける。東欧諸国など社会主義国家とともに描かれることも多い。
オーストリア
オーストリア帝国
【墺帝(単にオーストリアと呼ばれることも多い)/A.E.(Austrian empireの略)】
19世紀に存在した、ハプスブルク家の支配した帝国。
黒と黄色の国旗はハプスブルク家のものであり、前身のオーストリア大公国らによる同君連合時代から後身のオーストリア・ハンガリー二重帝国時代までを「ハプスブルク帝国」と称することもある。
ハプスブルク帝国は、(オーストリア帝国成立以前の)1526年からオーストリア帝国と同じ国旗を使用して描かれるが、国体としては別物なので注意が必要。また、前述した通りハプスブルク家のCH(家の擬人化)にもこの国旗が使われることもある。
ハプスブルク帝国、オーストリア帝国の内部にハンガリーやボヘミア(チェコ)等が含まれていることから、彼らをオーストリアの同居人または帝国内の一人格とすることもある。
プロイセンは宿敵だったが、最終的には敗北しドイツ統一の主導権を奪われた。
オーストリア=ハンガリー帝国
【🇦🇹🇭🇺(オーストリアとハンガリーのCP・コンビ名とも重複するため注意)/オーハン/二重/墺洪/オーストリア/帝国議会において代表される諸王国および諸邦ならびに神聖なるハンガリーのイシュトヴァーン王冠の諸邦(正式名称)】
ハプスブルク家が統治する連邦国家。
前身はオーストリア帝国だが、国内の諸民族の要望を押さえ込むために「アウスグライヒ(妥協)」を行い、国家連合となった。それゆえ多重人格であるとされたり、構成国ら複数人でひとつの国として描写されたりすることもある。
現在のオーストリアやハンガリーを筆頭にモンテネグロやウクライナまで含む広大な国家だったが、WW1での敗戦により解体。
両目に眼帯をしているデザインが多く、その場合盲目として描かれることもしばしば。国章はサングラスとして描写されることもある。
ドイツ帝国とともに描写されることが多い。
イタリア
ローマ帝国
【ローマ/SPQR】
古代のイタリア半島に存在した都市国家。トーガをまとい月桂冠を頭につけた出で立ちで描かれることが多い。コロッセウムでの剣闘技や風呂を好んでいるとされることも。
近隣に住む先住民族であるエトルリア人の王を追放して共和政となった。その後三回のポエニ戦争によって宿敵カルタゴを滅ぼし、地中海の覇権を得た。最終的にはヨーロッパやアフリカ北部、小アジアなどを広く統治する大帝国となり「パクス・ロマーナ」と呼ばれる長い平和の時代をもたらしたが、社会変動が原因で395年に西ローマ帝国、東ローマ帝国を遺して死亡。西ローマ帝国はその後すぐ歴史から消え去ったが、東ローマ帝国はビザンツ帝国としてオスマン帝国に滅ぼされるまで東方キリスト教世界の盟主であり続けた。
王政期〜帝政期までを含めると非常に長い期間存在していたため、一般的に支配者の風格を持つ年長者とされることが多い。
上記のように東西ローマ帝国の親、そして現代イタリアの遠い先祖とされることも。
ヴェネツィア共和国
【ベネチア/ヴェニス(英語)/最も高貴なる共和国ヴェネツィア(正式名称)/アドリア海の女王/水の都】
イタリア北部に存在した都市国家。ジェノヴァ、ピサ、アマルフィと並び四大海洋共和国の一員。
初めはビザンツ帝国の支配下にあったが、のちには第四回十字軍を主導してビザンツの首都・コンスタンティノープルを占領しラテン帝国を建てるほどにまで力をつける。14世紀にはライバルであったジェノヴァとの覇権争いに勝利し、東地中海交易の支配者となった。その後はオスマン帝国との抗争や新航路の発見などで地中海交易が衰退し、ヴェネツィアも打撃を受ける。最終的にはオーストリア領となり消滅した。
国旗が非常に独特であり、右半分が六本の帯として分裂している。そのため、ポーランドボールではその帯を触手に見立ててタコのように扱われることも多い。
イタリア王国
【🇮🇹👑/イタ王/I.E.(Italian empireの略)】
1861年のイタリア統一から第二次世界大戦終結までにかけて存在したイタリア国家だが、多くはムッソリーニ率いる国家ファシスト党の政権掌握後の時代で描かれる。
ファシズムを掲げていた政権故に、表向きは現在のイタリアのように陽気だが、実際は他人に容赦しない性格とされることも。またドイツの腰巾着的な立ち回りが目立ったことから、ナチスに深く心酔しているような描写もちらほら見受けられる(史実は逆だったりするが)。
イタリア社会共和国というキャラも別に存在する。
その他
カルマル同盟
【カルマル連合】
1397年にデンマークを盟主としてデンマーク、スウェーデン、ノルウェーの北欧三国が結んだ同盟。
カルマル同盟は単なる同盟でありひとつの「国」ではなかったため、構成国たちとは別の存在とされたりそもそも存在していなかったりすることが多い(稀に構成国たちが合体した姿で描かれることもある)。別の存在である場合は、デンマークの言うことをよく聞く子供のように描写されることも多々。
カルマル同盟時のデンマークは全盛期で、北欧を広く支配したが、それに不満を持つスウェーデンが独立を画策。デンマークがスウェーデンの独立を阻止するために起こしたストックホルムの血浴によって両者の関係は決裂し、1523年にスウェーデンが独立(以後デンマークはノルウェーとのみ同盟を続けたが、ノルウェーは実質的にデンマークの従属国であった)。そのため、カルマル同盟はスウェーデンに殺されたとする設定も見かける。
ポルトガル王国
(画像中央左)
【葡帝(単にポルトガルと形容されることが多い)/葡王/P.E.(Portuguese empire)】
スペインに併合される、フランスから逃げるためにブラジルに本拠地を移すなど色々あったが基本的には1139年から1910年まで存在した国家。
熱心にカトリックを信仰し海外にも布教して回ったことから、自身も宣教師の格好をしていることもある。
中近世にはいち早く海外へ進出し、大航海時代の先駆けとなった。アジアとの香辛料貿易で大いに栄え、一時はスペインと世界を二分する条約(トルデシリャス条約)を結ぶほどにまでなった。しかし王朝が途絶えたことがきっかけでスペインに併合されたのち、覇権を諸外国に奪われ徐々にイギリスに従属するようになった。
1910年の共和制革命で滅んだため、それ以後のポルトガル共和国(現在のポルトガル)とポルトガル王国を親子、別人とする設定も多く見かける。
スペイン帝国
【スペ帝/西帝/S.E.(Spanish empireの略)】
スペインのかつての姿、あるいは親であることがほとんど。ポルトガルとともに大航海時代の初期に活躍した国。熱心なカトリックであるため、レコンキスタ後や宗教改革時には異端審問所を設置して異教徒を厳しく取り締まった。
大航海時代には主に中南米に進出し、アステカ王国やインカ帝国を滅ぼしたり、先住民やアフリカからの奴隷を酷使して搾取したりする等、後の世では非難されるような行為も多々行なっている。黄金を求めて新世界に飛び出す好奇心旺盛な冒険者である一方、無慈悲で冷酷な面も持ち合わせる人物として描かれることが多い。
ネーデルラント連邦共和国
(画像中央右)
【蘭帝(単にオランダと呼ばれることの方が多い)/D.E.(Dutch empire)の略/Dutch Republic】
また「オランダ帝国」という国名自体は存在しないため、ネーデルラント連邦共和国やバタヴィア共和国、ホラント王国など植民地帝国時代のオランダを漠然と指しているものと思われる。
なお、国旗の一番上の色がオレンジで描かれることが多いが、1630年代には(オレンジが海風により退色しやすく、塗り替えるのに費用がかかるため)赤色に変わったとされている。
80年戦争ののちスペインから独立、中継貿易の中心地として栄える。大航海時代においてはイギリス(イングランド)、フランスと並んで後発組であり、ポルトガルやスペインから海上交易の覇権を奪い取った。
イギリス東インド会社(EIC)に対抗するためオランダ東インド会社(VOC)を設立し、日本などの東・東南アジアとの交易も盛んに行った。
ユーゴスラビア
【ユーゴ/七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家(社会主義国時代の二つ名)】
セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国〜セルビア・モンテネグロ(新ユーゴ)までの国の総称だが、主にユーゴスラビア社会主義連邦共和国を指して言う。
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国として登場する際は、独裁者チトーの軍服を着ていることが多い。多民族を平等にまとめようとする高い理想の持ち主。後に第三世界の盟主となり、他国を牽引していった。
また、WW2まで存在したユーゴスラビア王国とは別人とし、社会主義連邦共和国の元となる存在をチトー・パルチザンとすることも。
ソ連とは同じ共産主義を志す同志ではあったが、枢軸国に抵抗するチトー・パルチザンに援助をほぼ行わなかったことや、最終的には決別したことなどから、不仲として描写されることが多い。
モザイク国家であったユーゴスラビア社会主義連邦共和国はユーゴ内戦により幕を閉じ、セルビア・モンテネグロ(新ユーゴ)に移行した。
ユーゴスラビア構成国たちの親、あるいは子として登場することもある。
亡国(アジア)
これらの国々は「旧国」と呼ばれることも多いが、それについてはコチラの「旧国について」の欄を要参照。
日本
鎌倉
【Kamakurashogunate(英語)】
源氏の棟梁源頼朝によって成立した鎌倉幕府による統治が及んでいる時代の日本。
幕府内では権力争いによる暗殺や粛清が横行していたため、目的のためには手段を選ばない人物として描かれることも。
源頼朝の後を継いだ二代目・三代目将軍も粛清によって暗殺されている。大概の粛清は北条氏によるものである。また、承久の乱は源実朝の暗殺がきっかけとなり勃発した。源氏の血が途絶えた後は、北条家の人間による執権政治が行われていた。
後述の江戸もそうだが、幕府と皇室を分けて別人とする解釈も少なくない。その場合は幕府が皇室(皇国と呼ばれることもある)に忠誠を誓っているとする設定が多い。
元との絡みがよく見られるが、これは元寇によるものと思われる。元寇では日本内での合戦のルールが通用せず苦戦を強いられたが、二度にわたる襲来をなんとか防ぎきった。またこの戦では領地が貰えず、御家人の間で不満が爆発したため幕府は徳政令などの処置をとったものの失敗に終わり、鎌倉時代は終焉へと向かっていった。
江戸
【Edoshogunate(英語)】
江戸幕府によって1600年〜1868年の間統治されていた日本。
多くの場合、旗は大中黒旗で描かれる。江戸将軍の格好をした尊大な人物(政府の立場に近い)であったり、着物を着崩してた粋な江戸っ子(市民の立場に近い)であったりする。
また、日帝(もしくは明治)の親とされることも多い。
三代目将軍徳川家光の時代から1854年のペリー来航による開国までは鎖国体制をとっていた。が、清、朝鮮、琉球王国、オランダとは国交があった。朝鮮とは豊臣秀吉による侵略からの国交回復を目的に、オランダ(1799年の解散までは、オランダ政府ではなくオランダ東インド会社=VOC)とはキリスト教の布教をしないという取り決めで貿易を行っていた。
初期の頃の元禄文化では京都や大阪の町人を中心となっており井原西鶴、菱川師宣などが有名である。1800年代の化政文化では江戸を中心に広がり、葛飾北斎や歌川広重などが有名。そのため文学や芸術を愛する文化人とされることも少なくない。
生類憐みの令の影響か、動物好きであることが多い。また、上記でも挙げた鎖国体制のことを「引きこもっている」と表現することもある。
1837年の大塩平八郎の乱から1868年の大政奉還までの期間を幕末と呼び、この頃からロシアやアメリカなどがよく来航するようになった。開国騒動に乗じ国民(特に武士階級)は主に倒幕派と佐幕派の二つの派閥に分かれる。坂本龍馬がいがみ合っていた長州藩と薩摩藩の仲介を行い薩長同盟が結ばれた結果、樹立した倒幕派が徐々に有利になっていき、最終的に徳川慶喜は大政奉還を行い倒幕は成された。
その後の戊辰戦争でも新政府側が勝利し、時代は明治時代へと移っていくことになる。
大日本帝国
【日帝/☀︎(太陽の絵文字)/J.E.(Japanese empireの略)】
明治維新~第二次世界大戦終結までの日本だが、WW2期について描かれることがほとんど。
常に軍服姿で(モチーフは九八式軍衣が多い)、旭日旗で表現される(ただし旭日旗は厳密には国旗ではない)。
「大日本帝国」という一人の人物として描かれることも多いが、画像のように陸軍、海軍、空軍がそれぞれ独立したキャラクターとして描写されることも多い(画像左が陸軍、画像右が海軍)。大日本帝国には空軍は存在しなかったため要注意(空軍は特攻隊などが元になっていると考えられる)。
日本との関係は、先祖や父兄もしくは母や姉、または同一人物など解釈によって大きく変わる。
性格は、WW2での虐殺などが原因で凶悪で短絡的などと評されることが多いが、大和魂を持った志の高い日本男児とされることもあり、人によって解釈の違いが色濃く出るところである。
日独伊三国同盟や医療・法学・軍事・科学技術などで繋がりが深かったためか、ナチス(及びドイツ)を先輩と呼んでいることもある。
旭日旗の表現は国によってはタブー視されているため、描写・投稿には注意が必要。
中国
夏
中国史の一番最初の王朝とされるが、下記の殷と違い遺跡から文字が発見されておらず、夏王朝の実在を示すものは存在しない。ゆえに日本では伝説上の王朝として扱われるが、中国においては(二里頭遺跡の存在が理由で)実在の王朝として扱われることがほとんど。堯・舜・禹の禅譲のエピソードは有名であり、そのため夏自身も温厚で徳のある人物として描かれることが多い。だが最後の桀王は暴君であったとされるため、湯が武力で夏を倒し、殷を建てたとされる。
殷
【商(日本では殷の別称とされるが、中国ではこちらが本来の名として扱われる)】
夏を倒して建てられたとされる、実在が確認できる中国最古の王朝。王都を中心に他の村々(邑)が服属する、緩やかな連合体であった。殷が直接支配した範囲はごく狭いため、小柄な人物として描かれることもある。
優れた青銅器を作るのが得意で、骨を用いて占いを行い、その結果を甲骨文字で記すのが日課(後にそれらが殷墟から大量に発掘された)。占いが的中したよう見せかけるため、後から記録を改ざんすることもあるなど、機転のきく人物。太陽を崇拝しており、太陽は地中に10個ありそれが交代で出てくるものと考えている。そのため、死後より太陽に近づこうと墓を地中深く掘り下げて作ったこともある。
「酒池肉林」の故事成語から殷の紂王は暴君で豪華な宴会を好んだとされるが、これは殷を倒した周のプロパガンダとも言われている。最期は紂王同様に焼身自殺を遂げることが多い。
周
姫姓を名乗る一族が殷を滅ぼして建てた王朝。殷の時代からすでに力を持っており、殷が周を討つべきか占った記録も残されている。
農耕神を信仰しており、農業に重大な関心を抱いている。「封建(ヨーロッパのものとは異なる)」を初めて行った国でもあり、自分の血族に土地を与え諸侯とした。その後は卿・大夫・士といった身分秩序や宗法などを定めるなど制度の維持に腐心したが、諸侯たちとは初め強い血縁で結ばれていたものの段々と疎遠になり、それを抑えようとして逆に自身が追放されたこともあった。また、西周時代の最後は政治に無関心であったともされる。この後、周は都を洛陽に移し、「西周」から「東周」と呼ばれることになる。後の世では「礼」の文化が最も栄えた時代として手本とされることも多い。
秦
東周時代の後半、戦国時代に遅れて発展した国で、当初は夷狄(周辺の民族を中国と区別し、差別する語)とされていたが、春秋時代には中華に仲間入りをした。
孝公に使えた法家の商鞅の改革により発展したことから、自身も法家思想を持っていることが多い(後の世の王・始皇帝も法家の李斯を登用している)。
始皇帝は中国を初めて統一し、史上初めて「皇帝」を名乗り自身を「朕」と呼んだ。そのため、秦自身も大柄な自信家で、自称が「朕」であることが多い。不老不死の術を求め水銀を飲んだり、何度も支配地域に出かけることで自らの姿とその統一を人々の目に焼き付けようとしたりしたことから、自己愛の強い性格とされることもある。
急激な改革や過激な政策を行なったため、負担の増えた民衆から反感を買い、始皇帝の死後わずか三年で国は滅びた。
漢
陳勝・呉広の乱の末、項羽との戦いで勝利した劉邦が建てた国。都は長安。新の時代を挟み前漢と後漢に分けられるが、同一人物であったり別人であったりと設定は尽きない。
秦が一気に改革を進めようとして失敗したのを考慮し、郡県制と封建制を組み合わせた郡国制を敷いた(しかし、呉楚七国の乱平定後、実質的な郡県制になる)。武帝の時代には領土拡張政策をとり、西域や朝鮮なども支配下に置いた。匈奴(北方民族の一種)を挟み撃ちにするため大月氏という西方の国に使節を派遣したり、汗血馬という優れた馬を手に入れるためにフェルガナ地方の大苑に遠征したりと、活発に対外活動を行なった。また、五経博士を設置し儒学を官学化するなど、熱心な儒学者でもある(武帝期以降の話)。
拡大した領地を維持するために金を必要とし、五銖銭と呼ばれる銅銭を発行したり、インフレーションを防ぐための法律を作ったりした。しかし、こうした政策は社会に分断を生み、貧富の差の拡大へとつながっていった。
こうして人々の心は漢から離れ、外戚の王莽によって新が建てられることになった。新は儒教の理想を掲げ周の時代の政策を模したが、そのあまりにも急進的な改革は人々の反発を招き、赤眉の乱を発生させることとなった(また、新は華夷思想によって周辺の国家をあからさまに見下したため、他国との関係も悪くなった)。
結果、王莽は劉秀(後漢の建国者・光武帝)に殺され、新は滅びた。そのため、新は前漢を乗っ取り、後漢に殺されたとする解釈も多い。
後漢は荒れ果てた長安から洛陽へと都を移し、農民の負担を軽減させつつ儒教を栄えさせた。この時代に光武帝が日本に「漢倭奴国王」の金印を贈ったり、西域経営者の部下をローマ帝国に派遣するなど、世界各地とつながりを持った。
しかし、2世紀後半に周辺諸民族との抗争の激化・自然災害の多発、宦官と外戚の対立などにより、政治が不安定になった。儒教では解決できない社会の混乱を解決するため、新たな宗教・太平道と五斗米道が作られた。そして、これらの宗教が信仰の力で無縁の人々を大量に結びつけたことに恐れを抱いた漢王朝がこれを弾圧しようとすると、黄巾の乱が発生した。
魏
【晋(後の国名)】
魏王の曹操が後漢の献帝を迎え入れ、華北を統一したが、赤壁の戦いで破れ天下を統一することは叶わなかった。息子の曹丕は献帝から禅譲を受け、正式に魏王朝を創設した。そのため、魏の義理の親を後漢とすることがある。
蜀の劉備や呉の孫権も次々と皇帝を名乗り、ここに三国時代が始まった。魏は蜀を滅ぼすが、その後部下の司馬炎(武帝)に国を乗っ取られ、これ以降は晋と称するようになる。その後、呉も滅ぼし中国を再統一した。しかし八王の乱が起き、晋は内乱状態に。そこに異民族の匈奴が建てた国・漢が攻め込み、晋は一旦滅亡した。その後皇族の司馬睿によって東晋が建てられるが、五胡十六国時代と呼ばれる北方諸民族の国が分立する時代に突入する。その中で華北に対する影響力を失い、国内でも権威が低下した東晋は、劉裕が宋の皇帝に即位したことで正式に滅んだ。そのため、東晋時代は晋にとって辛い余生として描かれることもある。
北魏
鮮卑の拓跋氏が建てた王朝。わずか15年ほどで力をつけ、南部の宋からの攻撃に対しても逆転攻勢を行うことで、圧倒的な軍事力を見せつけた。
孝文帝時代には大規模な漢化政策を行い生活文化を中国的に改めた。このため、北魏は漢民族の王朝ではないが他の非漢民族王朝と違い「征服王朝」と呼ばれることはなく、中国文化に染まっていった「浸透王朝」と呼ばれる。また、道教が盛んでもあった。
のちに北魏は西魏と東魏に分裂し、西魏は北周、東魏は北斉となった(これを北朝と呼ぶ)。ちなみに同時期に存在していた南朝の王朝は宋、斉、梁、陳である。
隋
北周の外戚・楊堅が建国した国。ゆえに、北周の親戚とされることもある。大興城を建て遷都し、南朝最後の王朝・陳を滅ぼした。子の煬帝はさまざまな改革を行い、九品中正を廃止して科挙制を初めて実施した。また、大運河を完成させたが、そのやり方があまりにも性急だったため人々の反感を買った。他にも、豪華な龍舟をしつらえての揚州への巡行や、東突厥に威力を見せつけるための巡行、遠征など自分の権力を示威する行為をよく行ったため、自信家な性格ともされる。
三度の高句麗遠征を試みたが高句麗の反抗にあい失敗した。この間隋の国内でも反乱が相次ぎ、煬帝は反乱の収束を待とうとしたが側近に絞殺されて死亡した。そのため、隋自身も最後は絞殺されたとされることも多い。
唐
隋王朝を見限った隋の官僚たちの支援を受け、煬帝の死後に李淵(高宗)が即位して唐王朝を建てた。隋の文帝の時代に戻ることを目標にしていたが、この時期に支配が及んだのは長安周辺のわずかな地域だけであった。
息子の李世民(太宗)がクーデターを起こし兄の皇太子らを倒して皇帝となったが、即位直後に東突厥の軍が長安の目前まで迫ってくるという危機が発生した。しかし、盟約を交わすことでなんとかこれを乗り越えた。その後、弱体化に乗じて東突厥を滅ぼし羈縻体制下に入れた。そして新羅と連合して高句麗・百済を滅ぼし、西突厥を滅亡させて空前の大国へと成長する。そのため、当初は小柄であったが徐々に成長していったという解釈をされることもある。
唐では法典の制定が進み、律令国家体制が成立した。また、東突厥は唐に服属していたが独立し突厥となり、唐と父子の関係を結んだ。八世紀の中頃には突厥に代わりウイグルが力を持ち、表向きは唐の臣下となったが実際は貿易で莫大な利益を得ている。吐蕃は唐と婚姻関係を結び唐の文化を取り入れたが、インドからも仏教などを取り入れ独自の文化を生み出した。また、高句麗の滅んだのちの中国東北部には渤海ができ、唐から冊封を受けた。
高宗の時代には則天武后というのちに中国唯一の女帝となる人物が力をつけ、高宗の死後国号を「周」と変えた。則天武后は晩年退位を迫られ、国号は唐に戻されたが、今度は息子・中宗の皇后の韋后が権力を握ろうとし皇室と争った。この争いを制した李隆基(玄宗)の前半の治世である「開元の治」は高く評価されている。しかし後半の治世ではやる気を失い、楊貴妃を溺愛するようになった。この楊貴妃の一族が力を得ようとしたことを知り、安禄山が蜂起し安史の乱を起こした。ウイグルの支援を受けなんとか安史の乱を収めたものの、唐の衰退は明らかであり、直接統治の及ばない地域も増えた。税制の改革・塩の専売などで収入を増やそうと試みたが、塩の密売人・黄巣の乱が発生した。この乱は唐側に寝返った朱全忠によって平定されたが、最終的には朱全忠が唐王朝を滅ぼした。
唐の文化は貴族文化と言われ、貴族がリードしていたため、唐自身も貴族的な容姿で描かれることが多い。詩や山水画を趣味としていることがほとんどで、浄土宗や密教、禅宗を信仰していることもある。
中華民国
【ROC/🇹🇼(台湾とは別物)】
初期を除いて、基本的には中華民国≒国民党として扱われることが多い。メガネをかけ帽子を被ったインテリ風の外見で、梅の花をモチーフに使ったデザインであることが多い。台湾と区別するため、青い四角と白い太陽の部分を眼帯として着用していることもある。
武昌において革命派の新軍が清朝からの独立を宣言したこと(辛亥革命)がきっかけとなり、孫文を臨時大統領として成立した(のちにイギリスの仲介で軍事力のある袁世凱が臨時大統領となり、中華民国北京政府が成立した)。清朝の滅亡により、中華民国は正式に中国全体を統治する政府となったが、主導権を握ったのは革命派ではなく袁世凱であった。袁世凱は革命派の主導する議会と対立し、議会で圧倒的勝利を収めた国民党(元・中国同盟会)を押さえ込んだ。反対派の諸州は蜂起したが(第二革命)弾圧され、国民党の孫文は日本に逃れて中華革命党を結成した。
中国国民党は、中央の北京政府に対抗して広東政府(のちの広州国民政府)を組織した。それと同時に「連ソ・容共・扶助工農」を掲げてソ連&中国共産党との協力路線を打ち出した。これを第一次国共合作と呼ぶ。孫文の死後、力を握った蒋介石は、北伐という、北部の軍閥たちを倒す運動を進め、武漢を占領し国民党左派と共産党で構成された武漢国民政府を建てた。しかし蒋介石は上海クーデターを起こして共産党を弾圧し、南京国民政府を建てた。そのため第一次国共合作は終わりを迎えることになる。
再開された北伐によって張作霖が破られ、北伐軍は北伐の完成を宣言した。中国東北地方の権益を狙う日本が張作霖爆殺事件を起こしたが、息子の張学良が東北地方の権限を迅速に国民政府に継承させたため、中国は国民党によって統一されることとなった。
国民政府は日本を帝国主義国と認識し警戒するようになったものの、共産党掃討などによる国内統一を優先した。軍事面、経済面を含む日本の侵略に危機感が高まったものの、国民政府はそれを抑え込む政策を取り、国民の反発を招いた。しかし、張学良が蒋介石を監禁して内戦停止と抗日一致を要求する西安事件を起こすと、のちに第二次国共合作が実現する。
日中戦争開始後は、武漢や重慶に政府を移動させ続けながら日本軍に対抗した。日本は、東亜新秩序に参加する場合は国民党を排除しないと宣言し、蒋介石のライバル・汪兆銘を首班とする日本の傀儡政権を成立させた。
太平洋戦争が終わると共産党との対立が激化した。一時は双十協定を結び内戦が回避されたが、国民党は合意を守らず国共内戦が全面的に勃発した。しかし、当初は優勢だった国民党は国民の不評を買い、農民の支持を集めた共産党に敗北した。
第二次国共内戦に敗れた後に、元から軍事的支配下に置いていた台湾へと逃げ込み、そこで中華民国政府を維持した。そのため、中華民国を台湾の新たな支配者とし台湾(島)とは区別する解釈がほとんど(上述の台湾の項目も要参照)。一時中華民国はモンゴルまでを含めた大陸の中国領すべての支配権を主張していたが、近年は事実上台湾島周辺のみの支配を行っている。だが法律上は中国本土も領土に含まれており、初期には本土へ反転攻勢をかける計画もあった。
中華人民共和国(中国共産党)とは兄弟とされることが多い。台湾とは使用する旗が同じだが、歴史的経緯から別人、または台湾内の新たな人格(支配者)とみなされることが多い。
満州国
関東軍が満州事変、そして上海事変を起こして建てた国。この日本の行動に対して、国民党は世論に抗議し、リットン調査団が派遣されることになった。日本側はリットン調査団派遣前に占領地を拡大して既成事実を積み上げ、清朝最後の皇帝・溥儀を執政(のち皇帝)にさせ満州国を成立させた。しかしリットン調査団は満州国を承認しなかったため、日本は国際連盟を脱退。
上記の経緯により、満州国を清の生まれ変わり・蘇りや、清の死体を継ぎはいだものとする設定をよく見かける。
朝鮮半島
朝鮮王朝
【朝鮮】
李成桂一行が高麗を滅ぼし、明に国号の改定を命じられ成立した王朝。大に使え、儒教を重んじ仏教を排斥する政策をとっていた。現在の韓国・北朝鮮で用いられているハングルを作ったのがこの王朝である。現在の韓服(朝鮮服)の原型もこの時代に作られた。王族の権力争いが血で血を洗う裏切りの連続だった為、ずる賢い性格で描かれている場合がある。
豊臣秀吉の朝鮮侵略により日朝外交は中断されたが、江戸幕府が成立した後に国交を回復する。後の朝鮮通信使への対応簡素化にはあまり良い思いはしていない。
明とは王朝建設の頃からの恩があるので、割と良好な関係であった。……が、下等民族と蔑んでいた女真族の国である清が勢力を増してきた頃、清に迫られ明と国交を断絶し今後は清に服属することとなる。
後に大韓帝国と国号を変え、彼の父として描かれる場合と同一人物として描かれる場合がある。
大韓帝国
【韓帝/韓国/K.E.(Korean Empireの略)】
下関条約によって清の冊封体制から離脱し、それを示すために李氏朝鮮の王が皇帝に即位し、国号を変更して成立した独立国家。今後清とは通商条約を結び、対等な関係となる。王朝から国家になったものの、その実態は李氏による専制政治が続行されている状態。第一次・第二次日韓条約が結ばれ韓国総監府が置かれたことによりハーグ密使事件が発生した。事件により支配を強化しようとした日本に第三次日韓条約を結ばされ、ついに日韓併合条約に調印し、高麗以降続いていた朝鮮民族による統治は一度終わりを迎えた。
また、日韓併合は大韓帝国の合意の元行われたという観点から植民地支配ではないという意見もあるが、朝鮮に対して行っていた行為は植民地への政策に値するというのが一般論である。
朝鮮の息子、韓国・北朝鮮の親として描かれていることが多い。
モンゴル帝国
【モン帝/M.E.(Mongolian empireの略)】
1206-1388年に存在した国家。(この項目ではモンゴル帝国=チンギス、オゴデイとして話を進めたいと思う)モンゴル帝国と言うのはヨーロッパの帝国概念に無理やりこの国を当てはめた名称なので、正式名称は大モンゴル国(イェケ・モンゴル・ウルス)である。高身長で鍛え上げられた肉体を持ち、騎射を得意とする。絵師によっては、下半身を馬の姿で描くものもある。カリスマ性があり、モンゴルから大いに畏敬されている。当時、彗星の如くモンゴル高原に現れ、モンゴル高原にあった敵対勢力をまとめ上げた後中華諸王朝・中央ユーラシア・中東・果ては現在のウクライナ、朝鮮半島まで勢力を広げた。なおクビライ(フビライハン)の建てた元朝以降衰退したが、その影響は後のティムールやムガル、オスマンなどの帝国にも及んだ。
なお、元や諸ハーン国との関係は書き手によって大きく違う。兄弟関係であったり、親子関係、または親戚関係などと様々である。
オスマン帝国
中世~近代に存在した国。初めは地方のーベイリクに過ぎなかったが、アナトリアとバルカン半島、メソポタミア、エジプト、北アフリカと勢力を拡大していった。途中ティムール朝に敗れて一時分裂状態になってしまったが、持ち直してビザンツ帝国を倒した。後にバルカン半島以外にも目を向け始め、イランの大国サファヴィー朝を破り、モンゴル軍の侵入をはね返したマムルーク朝を征服した。当時のヨーロッパ諸国はオスマン帝国のことを脅威と感じており(ウィーン包囲などで)、オスマンと敵対する国とで包囲網を作ろうとしてしていた。オスマンの方は、インドに成立したムガル帝国ともサファヴィー朝の件で同盟を結ぼうとしていたが、お流れになったという。
その後は衰退の一途を辿る。一時西欧に対して宥和的になり、宮廷に西欧文化が流行したチューリップ時代が訪れた。(たまにオスマンとチューリップが描かれることがあるがこのためである)帝国再建のため近代化しようと試みたが、相次ぐ対外戦争に敗北し、ヨーロッパの瀕死の病人状態になっていく。第一次世界大戦中の風潮も相まって帝国は崩壊し、次のトルコ共和国になっていく。 countryhumansに関して、トルコをオスマン帝国の息子とする設定や、オスマン帝国と同一人物とする設定をよく見かける。
国際組織
国際連合
【🇺🇳/国連/UN/ONU(Organisation des Nations uniesの略)/(国際連盟と区別して)連合】
純白のスーツを身にまとった男性、もしくは女性。平和の象徴とされる白い鳩からか、大きな白い翼とオリーブの枝を身につけていることが多い。光輪(もしくは国旗内の北極を中心にした世界地図)を頭上に浮かせる天使として描かれることも。
常に敬語であり、「世界平和」という目標に向かって熱心に取り組むという描写が多い。基本的には優しく穏やか、争いを好まない平和主義的な性格だが、空回りして失敗してしまうことも。そのため、重い役目へのストレスを抱えている、疲れて目の下にクマができているとされることも少なくない。
国際連盟(画像二枚目、LNと称されることもある)とは家族関係であったり同一人物であったり、はたまた別人であったりする。
国連と国連機関が一緒に描かれることもあるが、その中でもよく見られるのはWHO(世界保健機関)など。
世界保健機関
【WHO/OMS(フランス語)】
国際連合の専門機関のひとりであり、国連の部下として扱われることが多い。日々人々の健康を守るために奮闘している。
旗の中にある蛇の巻きついた杖は「アスクレピオスの杖」であり、この杖を持った姿で描かれることが多い。また、この蛇を首に巻いていたり、かたわらに連れていたりするイラストも多く見かける。
欧州連合
【🇪🇺/EU】
青いネクタイと茶色のスーツを身に着け、また黄金の翼と星の光輪を持つ天使として描かれる事も。
欧州協力のために奮闘するが、ユーロ危機時のPIIGSや、BREXITを主張するイギリスに手を焼いていることもしばしば。EUにおけるドイツの影響力が強いためか、ドイツの言うことをよく聞くという設定や、はたまたドイツ自身であるという設定も稀に見かける。
同じ組織仲間として国連やASEANとともに描かれることが多い。
東南アジア諸国連合
【ASEAN】
東南アジア10ヶ国による地域の政府間組織。東南アジア諸国どうしが仲良くなれるよう日々様々な面でサポートしている。
他の組織と同じくスーツを身につけていることが多く、稀にメガネをかけている。
北大西洋条約機構
(画像中央右)
【NATO/OTAN(フランス語)】
西側諸国を象徴する軍事的な同盟組織。それゆえ軍服を着ている屈強な男性として描かれることが多い。